画像・詩シリーズ



目次


画像・詩シリーズ      日付
#1 壊す 2022年10月07日
#2 立ち上がる 2022年12月01日
#3 残る 2023年01月14日
#4 父 2023年03月17日
#5 バール 2023年04月3日
#6 知らない間に 2023年05月22日
#7 どういう事情があったものか 2023年08月06日
#8 思わぬことがあり 2023年09月07日
#9 昔は・・・ 2023年10月25日
#10 木の剪定をする 2023年12月01日
#11 ふくらむ 2023年02月20日









#画像・詩シリーズ
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#11

 ふくらむ

寒い季節なのに
椿のつぼみが膨らんでいる
膨らむは
膨張する
力がみなぎっている
たぶんつぼみだけではなく
大地に刺さった椿の木
全体が膨らみの力を支えている
そうして
椿の花ひらく
花ひらいたら
実を結ぶため
甘い蜜もふるまう

だから
つぼみだけではなく
椿の木全体が
ふくらんでいる

人もまた
ふくらむ
からだとこころが
張り詰め緩みをくり返し
長い日々の
ふくらみの丘を越えて
新しい命が生まれ出てくる

ふくらむ
ふくらみを見ていると
ことばの人もまたふくらむ
ふくらみに震えて
温(あった)かいふくらみの言葉を放ったりもする






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#10

 木の剪定をする

今は亡き父が畑に植えていた
真木の木が伸び過ぎている
放っていてもいいだろうけど・・・
(現在と将来のこと いろいろ思い考えて)
ともかく剪定することにした

真木の木を剪定する
下の方には枝葉がほとんどない木も
頭頂部を伐る
(枯れてしまうことはないだろうか・・・)
脚立と自分の高さと木の切断部
うまくやらないと危うい
ノコギリで切り進めて
頭頂部が離れるあたり
(うっ と集中する)
ぼくの体の横をずずずっと滑り落ちていく

いくつもやっていると
要領がわかってくる
昔の人みたいに
木を伐る時
木につぶやくことはない
けれど単なる〈もの〉とも思えない
ただ 木を剪定して
幹や枝を切り落とし
適当なところに積み重ねる
(どこか 人の散髪みたいかな)
(木々の間の木は 少しすっきりするのだろうか わからない)

そこには他にもいろんな木がある
名前は知らない
〈その木〉〈この木〉〈あの木〉
と思う
遙か 〈木〉と名付けられる以前
のことばの人を思う
〈お おお いおい・・・〉
(途方もない時が流れ 流れる)
色んな名の木が生まれる
そうして次には
時間の川から抽出されて
〈木〉がそびえ立つ
それから〈その木〉〈この木〉〈あの木〉が動き出す

・・・不明の時を経て
時間の川原 今ここに
木があり ぼくがいる



 




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#9

 昔は・・・

時間を下ってゆく
もういろんなものが
霞(かす)んでいる
それでも
ふとしたことで
記憶が立ち上がることがある

行政用語の正式名称は知らないが
老人ホームらしきものが
前方にある
ずっと昔 社会党の市議会議員をしていた人が
建てたという話を聞いたことがある
どういう事情で
どういう理念を持ち
始めたものか知らない
中の利用者が
快適なのか 問題ありなのか
まったく知らない
建物が三つ四つと増えてきたのは知っている

よく知らない距離感で
建物たちが見える
逆に
畑にいるぼくも
向こうの中の人たちから
色んな視線で見られているのかもしれない

時間をさらに下ってゆくと
そこは小山だった
小さいぼくらは
夏には小山の手前の川を渡って
小山の中にある赤いヤマモモの実を取って食べていた
もうその木の場所も忘れてしまった

もっと時間を下ってゆく
と 人も少なくなり
風景が変わるのだろう

もっともっと 遙かに時間を下ってゆく
まだ人類が現れる前
それは自然に
火山の噴火の溶岩流が
多良山系を下って行ったのだろう
たぶんその小山もそうしてできた






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#8

 思わぬことがあり

どのくらい草が伸びているかなと
畑の見回りに出た
その日もとても暑い日だった

下の畑の人と話し込んでいて
ふと自分の畑に目をやると
ひどく低いところを電線が新たに通っていた
(後日測ったら一番低いところで地上180㎝だった)
電線にしてはストレートではなく
なんかヘンな飾りのようなものが巻き付いていた
ふしぎに思ったが
そこから引き返して電線に落ち着ついてしまった

わたしの畑に電線が新しく通っていた
(普通なら他人の敷地を通す時は必ず承諾を求めに来る
しかしそれはなかった)
何か変ですねと下の畑の人と話した

土日明けの次の週初めに
電力会社の営業所に電話した
いくつかの電話の音声案内の分かれ道を通って
やっと人の声に到着した
メモして帰った電柱の番号などを告げても
何か反応が鈍い
結局それは「電柱」ではなく「電信柱」だった
電力会社ではなくNTTだった

そういえば
落ち着いて見上げてみると
上部の付属物やケーブルから見て
「電柱」ではなく「電信柱」だ
(何という思い込み
けどコンクリート製の柱だけほんやり眺めていたら
よくわからない)

ところで
今では電気は「電柱」で通信は「電信柱」と呼んでいるらしいが
まだ黒電話が普及していなかった
わたしの小さい頃は
今言う「電柱」のことは「電信柱」と呼んでいた
ような気がする

石川啄木の歌によると
「かぞえたる子なし一列驀地(ましぐら)に北に走れる電柱の数」
宮沢賢治の「月夜のでんしんばしら」( 1921.9.14)という短編では
その「電信柱」は
電気とも通信とも関わっているようなのだ
当時の「電柱」と「電信柱」の姿は
調べてみるとわかるだろう
しかしもうこれ以上は下って行く気はない
ただわたしの言葉の耳は
電気を通す「でんしんばしら」をたしかに保存している

たわいもない
ことかもしれないが
(でんしんばしら)
忘れていた
遙かな耳の記憶に出会ってしまった

その畑はイノシシが出入りするから
木立ダリアを際に植えたり
フキノトウを取ったり
草刈りしたり
するくらいしか利用していない
畑の上の低すぎる電話線のケーブルは
きちんと対処してもらうことになった
それはいい
問題は
(誰にも判断の誤りはあるにしても)
わたしが電話の通信ケーブルと電気の電線を間違ったこと
よくあるささいなことかもしれないが
軽いショックを受けた

 註.
道を隔てた畑の反対側に家が何軒か新築中で、電柱も通っている。その電柱と共用していた電話線とケーブルテレビのケーブルが、それらの新築の家の邪魔になって移設してくれと言う依頼があって、しかも相手業者の遅い申請と締め切りの切迫とで今回のような事態になったらしい。






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#7

 どういう事情があったものか

十年ぶりくらいの東京
といっても
いつも避けられない用事で来るばかり

夕方、高円寺駅横のJRのホテルから
高円寺商店街に出てみた
「高円寺商店街」といえば
あの、えーと、あの詩人がいたなと
思い出せない
後で調べたら
「ねじめ正一」だった

高円寺商店街を二人で歩いていたら
先の方に高い大きな木が見えた
二人で(なんだろう )
とそこを目指してみた

表札はあったが
家屋に竹や木が密集して
廃屋のようだった
(何があったのだろう )
と周囲を巡ったが
よくわからない
ただ敷地としては広い方だと思えた

見上げると
大木や竹がそびえていた
ここでどんな物語が展開してどんな終末があったのか
誰かが亡くなり誰かが相続したものか
わからない
ただ長く放って置かれてこんなになってしまった
のはわかる
柳田国男の「清光館哀史」を思い浮かべてしまった

大都市の中心部であろうが周辺部であろうが
こんな小さな物語の終末と
受け継ぎの物語がある
たぶん 人は
右往左往しながら
なんとかやりくりしていくのだろう





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#6

 知らない間に

父が植え育てていたキーウィが
長らく雄株だけになってしまっていた
ぼくはそれを何度も目にしていた

雌株を買って植え
実がなり始めて今年で3年目
寒い冬を過ぎて
今年もまた
キーウィの花が咲き出していた

知らない間に
キーウィの花が咲き
また知らない間に
キーウィが小さなみどりの実を結んでいる

(知らない間に?)
ぼくが訪ねるかどうかにかかわりなく
たぶんキーウィは
花を咲かせ
実を結んでいく
花を咲かせ実を結んでいく

日差しを浴びて
みどりの内で
流れ下り
上り
ふくらみ
流れ下り上りふくらみ
季節の表情になっていく

ああ もう初夏か
風も雲も大気も
ぼくにもそう告げている





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#5

 バール

山際の畑の隅の
父が自分で建てた農業倉庫
わたしは使ったことがない
ただ柿の枝がその小屋の屋根に懸かるので
何年か屋根に上って柿を取ったことがある
もう50年は経っているだろうか
学校や就職で家を出ていたからよくわからない
トタン屋根が穴が開いたりして
もう使い物にならない
これ以上のほったらかしもまずいかなと
その小屋を解体することにした

それにはバールが要るなと思いついて
バールを買った
どこで何に使ったかは忘れたが
若い頃バールを使ったことはある

バールだけで解体できるわけじゃないけど
バールがないとどうしようもない
明治期に洋くぎが使われるようになって
西洋のバールが登場したという
バールひとつと
ぼくのひとつの手と
からだ全体で力を込める
たぶん歴史の古いてこの原理
次々に板やトタンがはがれていく

日にちが決まっているわけでもないから
焦る必要もなく
少しずつ少しずつ
小屋を解体していく

父はいろんなものをそのままにして
逝ってしまった
「終活」とかいう言葉まで生まれる時代になってしまったが
人はそんなにきちんと折り畳んで逝ってしまえるものじゃないようだ
引き継いだ者は
小屋を解体するなり補修するなり新築するなり
引き継いでいく

というわけで
ぼくの先々のこともあり
ぼくはこの小屋を解体している
バールのちからには静かな感動が湧いてきて
ぼくの手はそんなバールに呼応して
わりと無心に
少しずつ小屋を解体していく

ところで
言葉もまた引き継がれる
考え抜かれた誰かの固有の言葉が
誰かによって
固有のやり方で引き継がれる
そんな言葉を小屋に例えるなら
引き継ぐ者は
一部解体したり
増築したり
補修したり
その小屋の構成を参考に
全て解体して新築し始めたり
いろんな引き継ぎ方があるようだ

そんな時
言葉のバールは
ことばのからだに呼応しながら
どんなふうに活動しているのだろうか


 




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#4

 父

山際の畑の横に小屋があり
その横に赤い椿たちが咲いている
と散歩で通る人は見るかもしれない
あるいは
亡き父を知っていた人は
そこに父の姿を重ねるかもしれない

写真を見せられながら
青年の父は
相撲が強かったと耳にしたことがある
父は
戦争に行った
若い頃は
看守の仕事をした
兼業の農業に差し支えるからとそれも辞めた
話も耳にしたことがある
それから製材所に勤め農業も兼業した
このあたりからは
少年のわたしは実際に目にしている

看守の仕事は同じ仕事していた親戚から紹介されたものか
わからない
しかし父が看守の仕事を辞めたのは
別の理由の気がする
わたしもまた
十年ほど勤めてみて学校の先生を辞めた
生徒の時も
先生になった時も
アーマー装備して生身の相手に向かう
かたくるしい世界だった
(どこの小社会も似たようなものではある)

少年の頃は時々農業の手伝いをさせられた
(嫌だったな)
それでも一仕事した後の風は心地よかった
父の亡き後
地味も日当たりもあんまりよくない
農地もいくつか残された
初めは荒れた農地の草刈り程度だったが
隣の畑の人にさつまいもの苗をもらってから
少しばかりの農事に手を出してしまった
少し風の流れが変わった
(人と世界との関わりには無数の偶然の要素があり
人はつい引き寄せてしまうことがある)

父は
たぶん小屋をひとりで作り
いろいろ活用して
そのまま残して逝った
その小屋は
わたしはほとんど使ったことがない
ただ小屋の屋根に柿の木が懸かっていて
その柿を収穫する時に小屋の屋根に上って取っていた
トタンの屋根がサビて破れ
それももうかなわなくなった

それでその割と大きめの小屋を壊し始めている
まだその側壁は壊してなくて
赤い椿たちが咲いている
この山際の畑には
いくつもの椿が咲いている
たぶんわたしが今の家を建て替えた時
父が自宅に植えていたいろんな椿をここに移植したものか
(そうしてここに来て毎年花も眺めていたのかもしれない)

山際の畑の横に小屋があり
その横に赤い椿たちが咲いている





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#3

 残る

今では古くなってしまったものが
残っている
使い続けて残っているものもあれば
五月人形のようにしまい込まれ埃をかぶっているものもある
いずれにしても
残っている
壊したり捨てたりするには
まだ名残があるか
最初に仕舞い込んだままになっているか
いずれにしても
残っている

同時代には
新しい物から
古いものまでの
時間のスペクトルが生きて在る

人間の心の層も
とっても古いものから新しいものまで
連係し合って
現在を生きているようなのだ





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#2

 立ち上がる

人に囲い込まれた地は
売買・交換・相続可能な土地となり
耕されたり建物が建ったりする
主が亡くなっても
相続されたり交換されたり
また新たな表情で立ち上がる
くりかえしくりかえし
くり返されていく
人に見捨てられてしまった山中の土地が
地に帰って行くもある





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#1

 壊す

ここにひとり住まいだった九十代のおばあさんは
今は施設にいるらしい
見知った家
を壊しているにはちがいない
こちらからは壊されていると見える
子の娘夫婦が住む家が建つそう
移りゆく時間があるんだな
壊れる中に
芽ばえもありそうだ





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