昔の詩集から A

 以下の詩集もここに載せることにしました。いい機会だから、自分でも、書かれた詩の流れがわかるように、この詩集も書き記してみます。そこで、昔の詩集@ABを発行年代の降順に直しました。
      (2012年6月25日)




詩集 『ことばの青い影』(1984年4月)


目次

  T 青 い 影
@青い影・序
A危うい風景のなかで
B疲れた秋の韻
C青 い 影

  U 解体詩篇―<沈黙と言葉>抄
D沈黙の核
E音のエロス
Fことばの現在
G沈黙の部屋
Hモノローグの劇
I石
J石仏解体
K一九八一年 秋
L漂流する夢
M或る地平に
Nことばの街角
Oことばの夜
Pことばの交叉点

  V ことばの青い影
Qことばの青い影
  ―詩のためのレッスン・ことばのワープ法

  あとがき







  T 青 い 影

@青い影・序


無限青の孤立系が遠くからの微かな冷たい風に疼くと ひび割れ
て舞い降りていった 消えゆく航跡にどこか痛みのようなものを感
じどこか名残り惜しげに 降りていった

凍えるような風の芯のわうに噴き上げてくる無類の時間 わたしの
青い影が交叉する するとにんげん的な時間の中枢が滲み出てく
るような場所が確かにある それは青い影となったわたしの最後の
劇のはじまりであろうか 夜の波間には愛や憎しみや不安などの全
ゆるにんげん的なものの影が漂流し 寄せ来るこの岸辺

深い未知の闇のなか うねりうねり 遠い古代の果てから くりかえし
くりかえし打ち寄せてはどこか未知へ噴き上がろうとしてきた 息苦し
げな徒労の時間の中枢に 青い影が交叉するときわたしの青い時間
の劇がはじまるだろう
青い街路の影に打ち寄せる夜の世界の喧噪の中から にんげんたち
の痛ましい無音の拍が聴こえてくる どこか深いところから 冷たい覚
醒を迫るようにわたしの青い影の芯のほうへ
視えない信号のようなものと対応するこの場所で それにかたちを与
えてみなくてはならない 深い焦慮ばかりの現在に 新たな未知の秋
が舞い降りて来ているようであった

するどい痛みを伴った衝動のように深く 覚醒のことばはどのように立
ち上がるか 衰弱したこころが呼び寄せる ちいさな風景の断片たち 
遠い遠い発生のなごりのようなものを放ちながら流れていくにんげんた
ちのちいさな手付や表情 閉ざされた退路と未明の時のなか わたしの
ことばは深いところからやってくる信号のようなものに触手をのばしてい

閉ざされた暗い時間の向こうには さらに閉ざされた巨きな時が揺れてい
た いまは寂かにわたしの全ての感覚のようなものをひとつに絞り込もう
 この時の底の方へどこからか無音の拍が聴こえてくるようだから





A危うい風景のなかで


子どもらの一団が帰って行く
無邪気にふざけ合いながら
今日の未知の体験の余韻にほてって
幸福な日ざしに包まれ 帰って行く

そんな風景がたしかわたしにもあったようだ
けれど 未知は怖れとともに
わたしの影に降り積もっていった
還るところを喪くしたわたしは
影の風景の方へ しだいに
降りていかねばならなかった

全ゆる約束事や規範は なぜ
怖れのように遠く思われたか
他人より一歩遅れて ぎこちなく
わたしにやって来るように思われたのか
全ては秘められた暗い由緒書のように
わたしの影の時間を彩っている
かつての少年たちは 今
昔のようにうまくやっているだろうか
散りばめられたガラスの破片のように危うい世界の下
つましい団らんを陽気に囲んでいるか
たぶん 一日の終わりの夜の夢で
昔のようにはうまくいかない疲労の影に出会っている

わたしの影もまた
深まった秋 秋のない秋
けれど 昔きみたちに流してしまった痛ましく寂しい眼
は今でも相変わらずだ
むしろいっそうの純度においてきみたちに近しい

わたしときみたちと
この危うい世界のどこかで
ぶつかる関係がむごたらしく思われたら
寂しい双曲線のように訣れよう けれど
たぶん わたしは聴きつづけるだろう
きみたちの疲れた歩行の余韻を





B疲れた秋の韻


秋の虫たちの韻に耳を澄ますならば
虫の追い詰められた疲労の韻とともに
虫の息であるにんげんたちについても
耳を澄ましてみなくてはならない

戻れない
少年期の虫たちとの出会い
保存された時間のかたちよ
おまえはにんげんの関係の原基を決定する
なかなか治らぬいやな性格のように強固に
虫のように生きていくにんげんたち
孤独な虫の調査官になりそこねたにんげんたち
虫であることを忘れたスマートなにんげんたち
いわば全ゆる人間のタイプが
保存された
少年期のたたかい方の時間によって決定される

現実の場で敗れたと思われたぶんだけ
魂のどこかに降りつもる 或るもの
もしも 全てが全ての現実から拒絶されて視えてきたら
かれは影の中枢の方へ降りていかねばならない
保存された少年期の時間のかたちのために
たたかいが死であり
自死が死者のたたかいの切断である
と感じられる場所では
疲労の現在だけが
信号する虫の息の沈黙こそが
全てだ





C青 い 影


ひとつの寂しい影が影を踏み重ねて行った
偏倚してしまったことばの影は
秋の枯葉の定型の裏側を
未知の孤韻を放ちながら
疾走していった
枯れた葉脈のどこにも指示されることのなかった航跡
街角でふと落とした眼ざしが風の通路に乗って
風の運動方程式の内面に座わり 運ばれていった
ことばの影の極北に広がってくる 無限青の孤立系
に溜まりゆくめまいのような韻のことばのはじまりで
出会ったものは何であったか
風の外部に残してきたものは何であったか

ことばの街角で
遠い余韻に引かれるようにして
雪崩うつ現在に醒めていった
青い影が深く青ざめていく
秋の枯葉への変身
病いのように閉じた
関係の特異点から視える危ういことばの風景
視えない風から来る疲労
いっさいの帰属の果ての 微かな未知の始まりへ
全ての風景を解体し尽くす或る運動体となって
一つの枯れ葉が弧を描いて降りていく
きまじめな出家遁世者のようにでもなく
無数の父や母のようにでもなく
うらぶれた遊び人のようにでもなく
死の内部と外部がちょうど交叉する時間を
いまだ顔のない顔として
漂流していく
未知の秋の特異点

遠い言霊と沈黙との黙劇
いつも視えない暗渠の現在
劇の終わりにうらぶれて帰りゆく どこか
どこか村人たちの顔の裏側へのめり込んでいってしまった
ような柔らかな未明の韻のことばを
あてどなく追っている
ちいさな頃からの固執された記憶の現在

装備された新しい言霊のシステムが幕を上げる
すると夥しい韻の死臭の歴史の頂近くへ
分裂病のことばたちがころがり込んでくる
無数の広告のコピーの露出症の裏側にある緘黙
「緘黙する糸井重里」でもない 緘黙
冷えきった影のエロスからくり出される
払暁 夜明け前 未明
時刻表に載っていない時刻
舞台を通り過ぎていく
小さな石たちの ひそかな韻
に変身する青い影のことば





  U 解体詩篇―<沈黙と言葉>抄

D沈黙の核


喪したこころ
喪したことば
喪した時間
喪した中空のなにか
なにか 無類の沈黙が降りてくる
論理が追っていった不明の懸崖の向こうから
ことばのわたしが苦しげに揺らいでいる

むしろ 喪した現在
乾いたことばの濃淡を剥ぎ取っていっても
なくならない
影の不安を解析してみなくてはならない
壊われゆくことばの時間の空洞で

いくつもの不安が撃ち落され
眼の安らぎに変わってきたこともあった
けれど 脱いでも脱いでも変わらない
影よ
巨きな磁場のなかの影よ
不安な眼の深い底のほうから
まだまだほんとうに安らぐことを知らない
凍えそうな沈黙の核が身構える
壊れゆくことばの時間の空洞で

不明のこころ
不明のことば
不明の時間
不明の中空のなにか
なにか 無類の沈黙が揺らいでいる





E音のエロス


解体された音楽
けれどそれは音ではない
年とともに閉じていく過去がせり上ってくる
痛みの感覚の頂で
きみはどのようなアーチストか
鳴らないピアノ 激しく鳴るピアノ
鳴らないギター 激しく鳴るギター
鳴らない音楽 激しく鳴る音楽
不明の宿題帳の白いページのなか
どこか深いところから
禁圧された原始音
禁圧されたシンセサイザーの爆発
禁圧されたエロスの行方
きみは鏡が気になる鏡のように
エロスの迷路に病んでいる
きみの演じるのは
音楽でも音でもない
きみはアーチストのような
けれど冷えきったアーチスト
名付けることのできない
きみの発語の極微の時間
のことばの構造のなかに
密かに秘められたことばのエロス
いや 闇のめまいに密かな通路を難渋しながら
越境しようとする あてどない
無音の拍のような苦しげな音のエロス





Fことばの現在


軽々と流れていく
都市の街路の踏みつけられた新聞紙が
流れていく
露出した岩が微速度フィルムで
剥がれていく
全ゆる風景から消去されたあと
けれど 溜まりゆく巨きな時間の沼地に ひっそりと
ひび割れた沈黙がうずくまる

空しい言葉の過剰
な風景の中枢に
閉ざされた夜の性愛の寂しい弧の曲線のように
苦の余韻が繋がれている
風景の死に
言葉の死に
にんげんの死に
けれど 死ねないにんげんの影の余韻が聴こえてくる
風化し尽したあとの
積もり積もった石の苦しい余韻

生きねばならぬ現在が どこにある
とでも言いたげに
言葉の手前で投身する 言葉の向こうへ投身する
過激な言葉の劇が演じる
舞台裏の寂しい死
言葉の解体が求心する
どこへ収束するあてのない不安
いわばふたつの劇の死が交わるところ
願望や不安の慢性疲労の寝台に
死ねないにんげんの密かなことばの時間が横たわっている
痛ましい死者の
空白の現在を重い唇に残して

ことばよ
いつも遅れてやってくる
痛みの裏側のように もどかしい
明日の通り過ぎていく関係を気に病み過ぎるように
ひとり女とうまく出会えなかった
或いは 一日の決算書から不明のなにかがこぼれていった
ことばよ
全ゆる風景を消去されていったあと なお
残留する澱のような

奥深い都市の掘割のような
沈黙の波面が深くひと揺れする
視えない苦の露地をいくつも通って
滾り上がろうとするなにか
街の遠い潮騒と共鳴して
苦しげにうなされている寂かな夜の駅
微かにひび割れたレールから 夢は
ことばの不安な明日にうなされている





G沈黙の部屋


振りかえれば
いくつものちいさなたたかいの傷跡がころがっている
言葉から隔てられ 積もり積もった
沈黙の自閉群がひとつの時間を病んでいる
風は 幼年の向こう
深いらせんのように吹き上がってきて
沈黙の頑なな表面をなぜては流れてゆく
言葉はいらない
言葉はいらない
けれど密かに 垂直性の沈黙がつぶやく
<ホントウ ノ コトバ ガ 欲シイ>

この病んだ沈黙の部屋は
もちろん 晴れ上がった空の下でも涼風を感じない
もちろん 慌しい労働の時間のシステムにも同調しない
夕食時の憩いの一瞬の光彩にもなじまない
都市の視えないシステムの流動に囲繞された
沈黙の孤立系が寂しい否定の懸崖へ下降するとき
深いところから湧き上がってくる はじまりのにんげん
とその寂しい与件
<サ ビ シ イ>
と感じることば 感じるわたし
が避けられないものなら
たぶん きみは歩み続けなければならない
無数のにんげんたちの歩んできた寂しい弧韻のように

にんげんという概念が凝固しはじめた時間の中から
にんげんたちはにんげんの与件を歩みはじめてきた
<生キルコトハナニゴトカデアル>
ということばの味が凝集してくる
ひとりの男の年輪の放つ吐息や歴史の韻の方から
たとえば現在
一日の疲労の残照のなか なお
密かに佇ち続けるのはなぜ?
病んだ沈黙の時間は
孤立した部屋のどこへうずくまり どこへ信号しようとするか
深いはじまりから積み重ねられてきた
にんげんという概念が沈黙の部屋の方へ倒れ込んだ
或いは引き寄せた
抽出された一滴のなかに写された最後の世界とわたし
その退路のない歩みの密やかな苦悶する韻の足跡よ

風が舞い降りてくる
都市の視えないシステムの流動に囲繞された沈黙の部屋に
深い時間の層から棘のように
そのとききみのことばは拮抗しなくてはならない
沈黙を無限の深度と構成に向けて装備し
ことばの深層からのエロスの反撃として





Hモノローグの劇


降り積もった雪が依然として消えない 四月
視えない時の季節のなか
凍える中枢へ 氷結しはじめる
層の厚みを重ねていくばかり
の冷たい生存の或るかたち
影の沈黙ばかりが雪崩うち
ことばはひっそりとうずくまっている

変わることのない朝の挨拶に
夕ぐれ時の町並のひっそりした空気の重さに
ことばのエロスが揺らいでいる 沈黙の暗渠よ
いつもわたしに訪れる世界の顔がある
ことばの手前の舞台で
圧倒的なものへの少年期のとまどいのように
その一歩が果てしない未知に視える

視えざる手に呪縛された一日に
死を禁じられた破綻の家族に
けれど澱み流れていく世界
数千年のパースペクティブよ
不可能性と可能性が死者の眼の二重のなかに
にんげんたちは不眠の夜を強いられている

ひとつの未知はどこでわたしのことばとなるか
ひとつの既知はどこへ歩み去っていくか
氷結した頑なな沈黙の中枢から
密かに開かれた部分が信号している
それを<あ い>と呼んでいいか どうか





I石


あの石はいつ頃からここに在ったっけ
どっしりした重みに触れたことがある気がする
ちいさな手
ざらざらとぼくの身体のどこかに雪崩込んできた
ような或るもの
ふとちいさな手を引っ込めてしまった

フラッシュバックの彼方

意志の無い石か
自分でもわからないうちに眠っていたような一瞬がある
一瞬か一秒か一億秒だったかわからない境界があり
言葉の混濁する特異点があるようだ
上昇するぼく 下降するぼく
不意に何か混濁しているような
剥げ上がるぼくの皮膚 降り積もる影
どこかに刻まれていく風の視線

言葉の幕が上がる

手垢にまみれた野の石 歪んだ内面の石 石……
通り過ぎる影の視線を呼吸してきた
野の石の沈黙の履歴書
静かに深く変貌していく重量に
露出して来るような不明の質量よ

頭上を通り過ぎていくばかりのような風に
しなやかに靡く石のエロスと
しなやかに靡かない石のエロス
揺れる不安の波紋の中に
不明の関係が横たわっている

電車の窓から切り取られた石 工事のため一部削られた石
重い石 軽い石 石 石
無数の視線が気にかかる病いの波面が写し出す
閉じられゆく野 膨れ上がりゆく波の関数
写し出さない
秘められた石 意志のないように視える意志
石の芯の齢が追い詰められた迷路の現在に追いすがって
いる
いない
箱庭の石 宇宙の石 古代の石 意志
自在に変貌できる石
できない石
喜劇と悲劇の境界が一瞬混濁してしまうような舞台に
けれど確実に ひそやかに石は坐って居た

錐揉みしていく言葉 不安の言葉
死ぬ言葉 けれどひそやかな言葉のエロス
そうして懸垂の言葉





J石仏解体


なんでも写っている
なんにも写っていない
どこか不確かなあわい
いやな三葉の写真から 歩み去っていく石仏
どこか見知らぬ秋のほうへ落ちていく 滞留する
微かに揺れる韻のことば

シャッターが降りた瞬時のうちに
ころげ落ちていく石仏に 切り取られた言葉の石仏
引かれた境界の余燼が舞い落ちてくる
夢の瞼の裏側
密かに気配が感じられる未知の夜の谷間
或いは 禁じられた言葉の在所

柔らかな風呂敷の言葉を散布したつもりなのに
消失していった石仏
固く縫い合わされてわからなくなってしまう地平
がある
消えていった石仏の垣い間見せた照れのように
寄せてくる 拒絶する
韻のことば
そのとき シャッターの言葉はぎこちない
石仏への変貌を免れることができない
すべてが終わったスクリーンから
こだわりの波紋が重なり合い
ほんとうに何かが始まるような
シャッターを押した時の指のこだわり
がしこりのように或る舞台の方へ落ちていった

<ハ・ハンサムか……二枚目 かわいそ ほんとはどうでもい
いんだ 二枚目もブスもいいじゃないの キ・キャンプ・ファイア
……あの歌だめ この歌いい 日曜の朝のコーヒーの味のよう
な歌 いいなあ いかすぜ>
終電車を降りた疲労の足がふと立ち止まる
といろんなものが埃りのように立ちこんでくる
十年前の古びた借用書
昔いかれたことのあるロックのリズム
今明るい家路の向こう 薄暗い街灯の向こう
の妻子のこと
昨日の夢の破片へのこだわり
こだわっていくと
さわやかな一瞬の冷気が変貌する
凍結していく石仏の表情
凍結していく石仏の言葉
流れる自在そうな風景の言葉が闇へ失墜していく

言葉の夢の隧道の幕が上がる
出口の視えない薄暗がりのなか
言葉を喪した少年が降りて来ている
うずくまる影がどことなく自分の影に似ている
宿痾のように混濁させる言葉の権力が
無言の韻を確実に貫通している
内部と外部の境界が崩れ落ちて来る
深みから無数の石仏たちが現われる
裸形の言葉への韻 迷路の宙吊られた青いぼさつ行

<夢で会いましょう>
こだわりが一つ安らいだこだわりへ降りて行く
言葉の韻から韻のことばへ
未知の言葉の回路の内部を降りて行く
日課のように 夜
十年前の言葉の夢と現在の言葉の夢との間で
バランス・シートの上を疾走する
韻のことばの石仏に出会うために
韻のことばの石仏になりきるために
言葉の夢の隧道が微かに 微かに開示する
夜 戒厳令の言葉の制圧線をすり抜けて

註. 現在(2012.6.27)からの註
第1連4行目「いやな三葉の写真」は、たぶん、太宰治が
作品のなかで語った、「わたし」の三葉の写真を意識し
て書いている。





K一九八一年 秋


<どうでもいいや>
<つまらん>
埃にまみれたはにかみの青い記憶棚の底から
ふと忘れていた一つの所用が落ちてきた
密かにひねくれた残像がわたしの身体の年輪の芯に
今も谺している

降り積もらせせてしまった現在よ
どうでもいいことを
つまらんことを
青い氷雨のことばをつぶやきながら
通過儀礼のようにふてくされ
影のにんげんのように死者の眼をして
歩いてきた 男の影の年代記よ
きみは光によってではなく
影によって 年輪を刻んできた
けれど 光の関与したぶんだけ
どうでもいいことを
つまらんことを
寂しい身体のように所有してしまっている

影は
光は
どこからやってくるか
問いはすでに影や光を十分浴びてしまっているから
舞台は暗転する
光はたとえば一日の電車の運行
乗客のなだらかな一日の疲労曲線の舞台
を支えているなにか
影は
影は二十四時以降走る幻の電車
いまだかつて組織されたことのない疲労の深層の舞台
沈黙の寂しい弧にたまる弧韻たち
けれど それは視えない歴史の巨きな動因

<愛 相合傘のないあいつ 愛スレバ殺サレル 愛と衝突した
相棒の愛号 革命 カクメイ 角迷 ジャパネスク ディスカバ
ー・ジャパン カクカクシカジカ ジカタビ>
ことばの流行の街を漂流していくきみの影
なにものをも拒絶した
ひねくれた残像の芯のほうで
寄せくることばの深層に波長を合わせようとする
たぶん きみは不安な沈黙の悲鳴に耳を澄ましている

どうでもいいことを
つまらんことを
忍耐のように寂しく通り過ぎた後に
影と光が交叉する
影の 影の舞台よ
なお <どうでもいいや> <つまらん>
を負と正のベクトルへ腑分けするように引き絞り
未知のことばの方へつなげていくだろう
影と光から構成してしまったわたしの年輪が
微かに 微かに
揺らいでいる
固く抽象されてしまった
さ び し さ





L漂流する夢


ポケットを裏返しても
漂流する夢ばかり
座礁しきることのできない座礁の日々
テレビの画像の町並みから流れてくる
白けきった流行歌にも背を向けた
無言の葬列のような影が漂流する
緊迫した時間の海だから
山へ行った男も
川へ行った女も
なけなしのことばをはたかされ
地獄の関所の手前で
死の民話の底に
安らぐことのない今日を抱えあぐねている
なんども通った魂の小塚原
死ねないサラリーマンの道行きは
不安な風に伴奏されてなんども繰り返され
自閉の淵を踏み固めていく
叫んでも 沈黙しても
流れゆくばかりの白けた画像のなか
どこまでも漂流してゆくばかりの夢
或いは 緘黙のエロス
いくつもの儀式を通った甘い期待の夢は
疾うに埃をかぶった中古テレビのように
白い画像しか写しださない
ころがされた暗い物置きの中である
<夢 夢 ユメユメ夢をみない夢>
剥がれ落ちた呪文のこちら側で
画像の風景に繋ぎ留められた最後の夢が
あてどない漂流を繰り返している





M或る地平に


時間の空から不明の証文が降ってくる
寡黙な風信のように

息苦しい関係の衣服を脱いでいっても
きみは哀しい芸を鬻ぐ香具師にはなれない
きみは哀しいことばを鬻ぐことのできない
ことばの哀しみ
追い詰められた風景の片隅の香具師 楽しそうなスターの香具
師 働きアリのようなセールスマンの香具師
野心のない影の香具師たちよ
かれらはどのような在所に生存の韻を塗り込めたか
ちっぽけに見える芸の 巨きな韻
韻をどこまで踏んでも辿り着けない芸
ことば ことば
ことばの解体
飲んだくれの大工きどりしかできない
ことばのイエスの拡散する場所

影の香具師たちよ
どこで どのような証文を交わしたか 交わさなかったか
きみたちの強いられた芸は
どこへ どのように向うのか 向わないのか

こわれたことばの海を
どのような泳法でならことばの現在まで辿り着けるのか
未知数ばかりが降り積もる夜
きみは逃れられない最後の場所から
最後のはじまりを告知しなければならないのだが……
全てのことばを喪失して なお
ことばを生きていかねばならないとしたら

舞台は進行している
そうして きみも芸のなかに在る
沙幕が降りていてよく視えないけれど
観客であるきみのことばは 或る地平に向けて
弱った視力の眼を凝らしている





Nことばの街角


言葉が昨日と同じように或る街角で折れた
もう何度おさらいした屈折点の習慣であろう
青い影のような余韻に誘い出され
閉ざされた時の球面に 微かに
しおれた線香花火の戦火が上がる
けれど 言葉の舞台は疾うに降りていて
もどかしい言葉が失墜していく 死の内面
或いは輝きそこねた言葉のわたつみ
迷路に倒れ込んだわたつみの言葉は
暗い海底の舞台裏に収納され ひっそりと
沈黙ばかりが冷たいエロスを噛んでいる

言葉は椰子の実
ではなかった
椰子の実のように漂流してきた
のでもなかった
けれど 言葉はそんな表情の固い殻をまとって現れる
どこからともなく 風が
無数のちいさな余燼を舞い上げる
死の民話の言葉の等高線
からずれてしまった異形の言葉
言葉にならない言葉
の時間の地層を
いつも一歩遅れた
あせりあわて気まじめぎこちなくふてくされ
て泳いできた魚の歪んだエロス

ほんとうは舞台は視えていない?
何げない風が悲劇の温度で言葉の芯をなぜていくとき
言葉は街角で立ち竦む
街角に吹き溜まる輝くイメージたちはどこかうさんくさい
けれどまた どこかうらぶれた影を垣い間みせる
また どこか気ままに泳ぐ魚のようでもある
透き通るような風景が或る未知にうち震えている
薄いガラスが微かに震えるように

風が或る未知の通路を流れて 小さな波のように寄せてくる
と思われる死角がある 聴覚がある
言葉と沈黙がふと慌しい労働を放棄して向い合う
柔らかな近親の磁場がある
微かに ほんとうに微かに聴こえて来るような 迷路の未知
新しい街角に押し上げられた言葉がめまいにふるえている

たとえば 奇妙にユメという言葉が気にかかる
けれど 表わす言葉がない
還元法が視えないのだ
夢でもゆめでもない
この世界の形容語や文法を拒絶した
ユメなのだ
言葉のエンクロージャーの中
微かに 微かに 滲み出てくるような
柔らかな漂うものよ
死んだ言葉たちを剥ぎ捨てながら
影を奪われた夜の都市の街角を降りていく
不在の影の韻に触手を延ばすように





Oことばの夜


いちまい にまい さんまい
何かが剥がれていき
失愛のメモランダムが降りつもる
つもりつもって
たとえば ひとりの少女が
投身するか
ありふれた女へ成熟するか
を拒んだとしたら
少女の青い沈黙はどこへ流れて行かなければならなかったか

冷たい風の舞い降りてくる
ことばの手前とことばの先との境界のところで
青い沈黙は不在のことばをつもらせる
向こうは途切れたレールの駅 けれど
駅頭は森になり
拒絶されたお札は
あてどない宙空にたなびいている

いちまい にまい さんまい
あどけない子供らの遊びの輪が消え
喪失の表情が消え
消された消しゴムも知らぬ間に
変容したことばから
純化されたみぞれの韻が谺していた

変容したことばのさまよい出る 夜
( 止めてくれるなお吟さん
 いいえ それじゃああたしはどうなるえ)
ことばのドラマをよぎっていく
気がつくとどこかで擦過して微かに滲んでいる
そうして 影は実在の人物のように
冷たい風に確実に伴奏されて来る
( 今日は片足奪われた 明日は頭かことばかな
 あーあ どこまで奪われていくのかしら)
奪われ奪われ
ほんとうは何をどこで奪われたのだろう
感応回路はセットされていて
ことばの夜にしか反応しなくなっている
秘められた夜
( 寄る 寄る どこへ夜 たぶん寄るべない夜かしら)
流行歌謡の向こうに もうひとつ
深い舞台の懸崖を視ている
ことばの韻たちよ

凍えそうなことばの韻たちがよぎった
楽しそうな
悲しそうな
白けたことばの街路を
昨日は今日で
明日は今日で
今日は……
禁じられた
ほんとうの鼻歌を
どこかちがった深い夜の方へ流しながら
白けゆく朝のほうに向かって
無意識に 身を固く
武装しはじめる





Pことばの交叉点


      1

なにかが揺らぐ
ぶつかって 反射してきた光も微かに揺らいでいる
わたしは
ことばでもなく ことばであった
沈黙でもなく 沈黙であった ような
微かな不明のあわい
アモルフな影の位相が高速度フィルムによる開花のように
柔かに開かれはじめる

内部と外部からでは異色にみえる
複相の単体 金
にまつわる神話が剥げ落ちていく
異常気象が不連続な特異点を炙り出す
沈黙とことばの極地が反転すると
わたしは佇っていた
危ういバランスの新しいことばの交差点であった

たとえば知らない間に風に流してしまっていた
リズムのからだ
棘々しいこころがふと踵を返したとき
記憶の残像は霞み立つ山間に消え
臨場のことばが視えない
ほてったなごりの沈黙がどこかむず痒い
冷たくなった身体は暗号解読されて
風景のバランス・シートの中に安置されていく
まて まてえ
とこえを限りに叫んでも
曲り慣れたことばの街角から連れ戻される
死体焼却場の劫火が燃える
もえる もえるう
瀕死の際の めまいの底のほうで
硬直か覚醒か
あやめもしらぬ恋の目裏一瞬
素粒子が乱れ飛ぶ
飛跡のなかにクォークを視たのか 視なかったのか

ことばが乱れ飛ぶ
沈黙が乱れ飛ぶ
乱れに乱れて
仲たがいした後のように
風とこちらが折り合わない
もっとも肝心な風の舞台が消去されてしまっているような
ことばや沈黙の不安

たとえばまた言葉が風化していく
返品になった週刊誌や書物たちはどこへ去っていくのか
こだわりがこだわりの影踏み 病んでいく
病んだ影のひそかな通路に
剥がれ落ちている狐憑き
膨れゆく精神病
それらが漂い 出会う
半透膜のように視えない死語回収場
消滅させる日付もない真白な予定表の回りには
無数の苦の片肺飛行が影のようにまとわりついているようだ
着地するあてもない宙空の影

明るいような風景
死んでいるような風景
「ような」の深々とした霞を
禁圧線の下トンネル効果のように 微妙に
死に至る病がくぐり抜けて来たような
無名の影
の場所である かたちである


      2

ワタシ

コトバ
デモナク
コトバ
デアッタ
沈黙
デモナク
沈黙
デアッタ
沈黙トコトバノアワイ深ク
霙ガフル 或イハ 微風ガ上ガル
アワイノ モドカシイ沈黙ノ韻
ノ今ダ記サレタコトノナイ分裂症ノ旅程

柔かな微風が止んだ
どんちょうが降りている
闇の舞台
今から進行していく劇が闇打ちをかけてくる
わたしのおさらいすることばは震え
呪縛された時間が身体をぎこちなく流れている
いつも踏み迷ってしまう
ひとつのことばへ出立するためらいの境界
不安なでもの果てしない深淵へ落ちていく
苛立たしいデモンストレーションの渦のなか
宙吊られた沈黙の韻が唇をかんでいる
血が滲んでくる
からだの冷たい芯のほうから

舞台は視えない
果てしれぬ太古から
視えない万全の準備が施されてきている
磁場の層
の風がかたくなる
他の演技者たちは準備体操のように
ことばを舌の裏側に器用にころがしながら
幕に上るリズムを身体で測っている
けれど 張りつめた風のなかの微かな疲労の匂い
わたしは体操の苦手な端役だったので
かれらの影から
不可解な天上の劇を視ていた
名づけられたことのない
或る場所であった

幕が上がる
すると
季節は秋
稲穂が風に揺れているのを視ていた
わたしは揺れる稲穂であった どこか
瞬時にくぐり抜けてしまった夢の隧道
の微かな不安の余韻のなかで
わたしはひとつのことばであった
声かけ笑い滑らかに揺すり独りごつ稲穂たちの影に
死にそうな微風に霙が降り
確かに わたしも稲穂のように揺れていた

ごつごつと 不安の遠い波が寄せてくる
空隙の助詞が落下していく
奈落の死児
生きつづけるには いくたび死児を風葬すればいいのか
微風の女に
弔いの韻はどんな夢を告げるか

沈黙が剥がれていく 沈黙が重量を増す 微かに揺らぐ
からだの冷たい芯を沈黙の韻が降りていくような たしか
風の階段にちいさく揺れるからだの微風 微風のからだ


      3

ひとつの風景があり ひとつの風景が揺らぐ一瞬がある
交差する
稲穂の行列のなかのワタシを
もうひとりのわたしが宙空から視ている
瀕死者の視るフラッシュ・バック
霞のかかった対話を閉ざされた孤立系から
どこか
吸い寄せられていった
交差する
交差する
或る親しい感触が甦ってくる
密かに ことばたちの交差するところへ
交差する

輝く稲穂たちがかすかに歪んで視える
乱れた影の呼吸が微かに聴こえる
ことばたちの交差点には
どこか張りつめた稲穂たちの節々の不安が澱んでいた
疾走する柔かな時間と失速する張りつめた時間のアマルガム
その微妙な内面を垣い間みせる
一瞬の残像のような
こちらが少しでも神経質に張りつめたら
逃げ去ってしまう
シャッター・チャンスの交差点

今また稲穂が揺れた 微かに
すでにもうひとりのわたしのことばは走っている
いつも一歩遅れて
けれど一瞬の無意識を貫通する
この微妙な場所を探査することばだから
薄い膜のようなスクリーンを除去することができない
二つのちいさな微風のような時間
疑問符のなかで冷たく覚醒し
共鳴のなかで微風のようにちいさく眠る
無名の風
わたしたちは 大気を巡り呼吸する微風であった
微かな大気の揺らぎの場所で
密かに交差する

交差する もうひとりのわたし
危うい
ことばの地層の頂から
危うい夢の隧道に乗って
触れている
微かに
たとえば アインシュタインの見果てぬ夢の裏側
黄ばんだ計算用紙が無名のロックのリズムに揺れている





  V ことばの青い影

Qことばの青い影
  ―詩のためのレッスン・ことばのワープ法


     0

 言いようもなく………
 言いようもなくAとか言い切ってしまいたい。けれど、すぐ
さまA1、A2、………An、Aとか、¬Aとか、A=エ?とかこだわ
ってしまう。このこだわり地獄の中で、わたしの偏執的なまで
のこだわりの正体を見きわめんと、またこだわってきた。
 俊成が無意識に桐の火桶ひしと抱きしめ、裃着けて、それは
忘れて、ひたすらエイ、ヤと歌をひねり出しだのが歌や文学と
いうものとすれば、わたしのは文学の裏街道である。病草子か
らこぼれ落ちたこだわり病であり、死に体以前の死に体である。
 こだわりが、その分光器みたいなものにこだわり群を通しつ
づけていると、固い、柔かい、暗い、明るい、スマート、ぎこ
ちない、弱者、強者、赤、青、白などの言葉がとりあえず出て
くる。だけど、太宰治じゃないけど、それらの言葉の位相や結
接などがよく読みとれない。
 ところで、わたしもまたことばの服をいつも身に着けている。
色は、赤、青、白の三色から成っているみたいだけど、時や場
所や日によって、全体の色合いが変化したりするみたいだ。そ
して、もちろん服の下にはことばの肉体がある。そして、それ
が時々疼くんだけど、何か、わたしに湧き上がってくるこだわ
り群とつながりがあるようだ。
 とりあえず、言いようもなくエントロピー。
 わたしがことばの服を振動させたり、ことばの服から言葉を
放出したりする時、ことばの肉体のどこかが疼くことがある。
何か、エントロピー情報のようなものをことばの服の方へ不連
続的に放っているようなのだ。その何かがわかれば、もう少し
こだわりも軽くなると思うのだが。
 そういった次第で、いまから言葉で記述するのは、わたしは
視たとか聴いた、という風になるだろうが、それは本来は目に
視えないエントロピー情報みたいなものであって、単なる言葉
ではない。言葉に変換されたエントロピー情報である。
 とりあえず、言いようもなく………のこだわりに耳を傾けよ
う。


     1

 わたしはぎこちなかった。
 わたしのからだと言葉たちとが肉離れをおこすような不安の
影の渦に巻き込まれていた。ぎこちないことばの肉体であった。
奇妙にまぶしくうねり蠢く学校の空間。通り抜けようとする小
道には、案の定バリアーのようなものが張りめぐらされていて、
全ゆる風景といっしょに、わたしのことばの肉体はブラック・
ホールヘずり落ちていった。それで、わたしのことばの肉体が
感受したことは、外に吐き出された言葉では、アーとかウーと
かいう奇妙に歪んだ音声にしかならなかった。外見は何にも変
身こそしなかったが、毒虫に変身したグレゴール・ザムザの出
す言葉と似ていた。一方、わたしの吐き出した言葉は、少しず
つ中性味を帯びていった。
 学校で、わたしはチューリップがうまく描けなかった。きれ
いな字を書けなかった。今ではほとんどどうってことないけど、
その時は、わたしは言葉を喪した。「チューリップ」や「きれ
いな字」が、光り輝く学校の空間のように、或いは、ヘーゲル
哲学のように、わたしを窒息死させんばかりに圧倒してきた。
また或る時、一人ずつ前に出てオルガンに合わせて歌わされる
ことになり、みんなのように歌うことができずに泣き出してし
まったことがある。また、運動会の行進の練習の時、注意され
た誰かのように自分もまた手と足を同時に動かしてしまうので
はないかとひどく気に病んだこともあった。
 学校の建物の隅のひっそりした場所に、わたしの言葉たちの
死がしずかに降り積もっていった。
 みんな帰ってしまった後のがらんとした教室を見回すと、一
人一人の無意識の呼吸のあとが、分光器を通ったあとのスペク
トルのように、しかも入り乱れて澱んだ層をなしていた。
 学校にはいろんな人種がいたが、大ざっぱに見ると、滑かに
文字や声に辿り着けるスマート族、それを気に病むこともない
ような表情をして遊び回る、中には滑かに運動に辿り着ける者
もいる要領良し族、両者の間を揺れ動いている中間族、群から
離れたようにしている薄ぼんやり族などである。わたしはよく
二番目の人種と遊んだが、一番最後の小数民族に近かったかも
しれない。いや、厳密に言えば、それらのどれでもない。なぜ
なら、わたしのことばの肉体は、ブラック・ホール内に在った
のだから。
 ところで、わたしは要領良し族から世間知もかけひきも受け
取ることはできなかった。女の子との話し方や宿題を忘れた時
の応答の仕方や歌の歌い方なども。かといって、自分なりの方
法を開発することもむろんできなかった。
 わたしはぎこちなかった。
 影の揺らぎであった。
 閉ざされた影の世界で、舞い降りてくる光のうねり蠢めきに、
圧し潰されんばかりに身をこごめ、張りつめているばかりであ
った。けれど、遊びは回りの者と同じようにできたのである。
ただ、体育などの時には、視えないしるしつきのバリアーにつ
まづいてしまい、アー、ウーの言葉と同じようにぎこちない動
作になってしまう。それで、体育はダメだと見なされるように
なったみたいだ。ただし、単純に見える短距離走は速い部類に
入っていたし、中学になって大車輪もできた。踊りなどの複雑
な手続きや動作の変化を伴うものは、ひどく苦手であった。
 わたしは世界というもの、その手続きというものがまるで理
解できなかった。例えば、労働組合というものの存在や、きれ
いな字を商売にしたり、字を売ったりして、生活している食字
族がいるなどと思ってもみなかった。明治憲法発布を絹布をく
れるものと思ったという庶民がいたというエピソードまではい
かないまでも、それに近かった。ブラック・ホールの中の閉鎖
的な農耕民であった。
 この世界は二色に視えた。スマートさとぎこちなさを両極と
する、その或る度合として。しかし、ぎこちないわたしは、非
色であった。わたしのことばの肉体は、スペクトル帯のどこに
もしっかりと腰を据えてはいなかったのだ。わたしはぎこちな
さの度合だけ他人を信用した。無意識の吐息の中で、何者にも
手を借りない、誰とも共同戦線を張らないで訪れてくるだろう、
孤立したぎこちなさの戦士を待ち望んだ。世界の張りめぐらし
ているバリアーから限りなく無縁な、限りなく逃走したぎこち
なさの果て、弱々しさの極限の或る強さ、それが存在しうるか
どうかわからないが、また、その放つエロスのうねりや韻が何
を物語っているのか知らないが、子供っぽい激情したドストエ
フスキーのように、そのような未知の人を長く待っていた。し
だいに中性味を増していく言葉たちの芯のようなところで、或
いは、わたしのことばの肉体で。
 けれど、そんなふうに誰も現われては来なかった。
 小学校の高学年の頃だったか、天皇か皇太子かがわたしの住
むちっぽけな町にやってきたことがある。わたしたち生徒はな
ぜかはわからないが、かれのやって来る公園に連れていかれた。
まるでサーカスにでも使うような高い台の上にかれが現われる
前に、回りの者たちは物知り顔にかれの帽子の振り方や手の動
かし方などを喋ったり、待ち臨んでいる風であったりしていた。
わたしはその空気やかれに対してふてくされ、反感すら抱いて
いた。交通制限したり、特別視するふんい気が気にくわなかっ
た。わたしのことばの肉体は、そのように信号を放ってきた。
もちろん、わたしには天皇か皇太子かの存在が何であるかはよ
くわかっていなかった。
 この町には、春になると春の市というのがあって、どこから
ともなくいろんな香具師たちがやってきた。効能のためか実演
してみせるがまの油売りの放つ吐息は奇妙であった。独得な喋
り口、鋭い刀、異装、がまガエル。奇妙であり、どことなく近
よりがたい恐ろしさが漂っていた。余り売れそうにもないのに、
どんなふうにして食っていっているのだろう。
 高校に入って、不安げなネガティヴな言葉ではあるが、よう
やく外に向かう言葉を手にすることができるようになった。く
だらん、という言葉である。その頃、ドストエフスキーに溺れ
ていたわたしのことばは、どことなくイワン・カラマーゾフ=
ムイシュキン公爵的な表情をしていた。それを無意識に講釈を
言わんとすれば、倹しく生きつつ、全世界をとらえ尽しつつ、
生きること、とりあえず、ドストエフスキーのような壮大な作
品に向けてことばを走らせることであった。
 けれど、ブラック・ホールの中のわたしのことばの肉体!
 外の世界に漂っているのは、まばゆいばかりの光の言葉たち。
そして、複雑に入り組んだバリアーたち。わたしは不可視の失
語の死語であるばかりであった。
 〈      〉
 〈…………〉
 ワ、
 ワ、 ワ、ワー、わあーあ、
 ワー、ワー〜〜〜〜〜〜



     2

 わたしは久しぶりに聖書を拾い読みしていた。
 こんなからだのうねりは何かよくわからないけど、いつかと
同じようだなと思いながら、しばらくすると、SFアニメのタ
イム・ワープしはじめる場面のように、紙面とともに言葉たち
が揺らぎ出した。うまく言えないけど、わたしはワープしてい
るようだった。わたしのことばの肉体は、言葉の重力場の励起
された負荷を強く受けているようだった。息苦しかった。


   はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むな
  しく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをお
  おっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があっ
  た。
   言葉ハ光輝クバベルノ塔デアッタ、ソレデヨイ、ケレド
  私タチハドコカムズ痒イ。天変地異ニ人ガ死ヌ、人変人異
  ニモ人ガ微力ニ死ヌヨウダ。「命の木」カ「善悪を知る木」
  カナンテヨク分カラナイ。知ッタコトデハナイヨウナ……
  ……不安ニ無花果吸イ着キ、言葉ノ村デハ息苦シイ。コト
  バガ、コトバガ…………。


 ことばのアダムとイヴは苦しげにそうつぶやくと、ふっと消
えていった。わたしは依然として言葉の巨きな重力場の影響下
にあった。
 ことばのアブラハムが、今ではうっとりとして立っている。


   わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あな
  たの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わた
  しは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやし
  て、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたがわ
  たしの言葉に従ったからである。
  ハハア!有り難キ幸セデス。今、言葉ハ滑カデス!


 そばには、ことばのアロンやモーセ自体にというよりも、そ
の行なったしるしによって信じてついて来たことばのイスラエ
ルの人々が立っていて、疲れ切った死にそうな表情で口々に罵
っている。


   あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、子
  供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのか。
  ナゼ、ナンデヤ!


 ことばのモーセは緊張するとよくどもるので、それを心配し
て何も言わなかった。ことばのアロンは弁舌巧みであるが、そ
知らぬ風をしていた。二人はまた泣き言がはじまったなと感じ
て、エイ、ヤと言葉の律法空間の方へ消えて行った。
 わたしのからだはまだワープしているようだ。
 きらきら光る服を着たことばのヨハネが現われた。「彼は光
ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきた」ようで
ある。かれはことばのパリサイ人たちに向かって演説をはじめ
た。


   初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であっ
  た。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、こ
  れによってできた。できたもののうち一つとしてこれによ
  らないものはなかった。この言に命があった。そしてこの
  命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、
  やみはこれに勝たなかった。


 それから、ヨハネは我々がモーセの律法やイエス・キリスト
から受けた幾多の恵みについて喋りはじめたが、ことばのパリ
サイ人たちは、ヨハネのきらきら光る服にばかり気をとられ、
新しがり屋のかれをうさんくさげに眺めているだけであった。
わたしには両者の背中は色合いこそ違え同じような光に包まれ
ているように視えた。そして、ことばのパリサイ人たちの服よ
り、ことばのヨハネの方がより複雑に洗練されており、スマー
トであった。かれらは仲が悪いが、同じ言葉の光族だ。闇は光
のために存在し、闇自体はまるで存在しないかのように、威勢
がいい。からだから言葉が光のようにほとばしり出てくる。
 言葉の光が進軍する。
 〈おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れている
もので、知られてこないものはない。〉
 言葉の光が進軍する。ヨーロッパへ!ヨーロッパの言葉の闇
を目ざして、進軍する。闇、止むことのない闇を蹴ちらし。
 〈からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れ
るな〉
 ふと、わたしのからだから言葉が湧いて出た。
 ことばのヘーゲル!
 これは説明するのは難しい。わたしのからだが感じた第六感
のようなものである。
 ことばの光と光たちが戦闘する。光と光が衝突する、屈折す
る、融合する。互いに、「法に服さない者、空論に走る者、人
の心を惑わす者」や「教にかなった信頼すべき言葉を守る人」
などを投げつけ合い、手を握り合い、戦闘する。
 硝煙とともに、ことばのパウロの言葉の破片が流れてきた。


   クレテ人のうちのある預言者が「クレテ人は、いつもう
  そつきたちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」と言
  って言るが、この非難はあたっている。〈クレタ島人:A 
  デタラメ言ウナ、コノヤロウ!〉〈クレタ島人:Ω 嫌ニナ
  チャウ、今日ハ洗濯デキナイワ〉だ、だから、彼らをき
  びしく責めて、その信仰を健全なものにし、ユダヤ人の作
  り話や、真理からそれていった人々の定めなどに、気をと
  られることがないようにさせなさい。な、なさい。


 光に向かう闇のアラペスクにまぎれて、誰かがその破片から、
「或るクレタ島人が、クレタ島人はみなうそつきである、と言
った。」という言葉の小石を拾い出した。かれの背中が視えな
いので、どんな男かよくわからない。ことばの光族に属する者
であろうか、或いは、虫きちがいと呼ばれたファーブルのよう
な者であろうか。少なくとも、ことばの聖書の中のユダでもな
く、ことばの太宰治の「駈け込み訴へ」ユダでもない。ひょっ
とすると、預言者風のスマートなことばのユダであるかもしれ
ない。とにかく、かれの小石は形式論理の光ることばの海へ投
げ込まれた。
 ことばのへーゲル!
 闇の底の方が少しずつ薄らいでくるようだ。と同時に、上方
の光は強さを増し、ことばのへーゲルの匂いが強くなってきた。
 い、い、息、苦しい。
 急に、ふうっとわたしのからだが少し軽くなったみたいだ。
回りが見慣れた風景を増してきているように感じられる。
 秋の夕暮れ時である。ことばの太宰治が、駈け込み訴へする
風でもなく、言葉の裏通りをとぼとぼ歩いてきた。疲れ切った
ことばの背中だったが、表情は「子供のやうな好奇心」がまだ
うっすら漂っていた。
 ことばの太宰治の顔が少し上気して赤くなったように視える。


   〈預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこでで
  も敬われないことはない。〉オレハドコニイテモ敬ワレタ
  コトハ一度モナイ。家庭ノ幸福ハ諸悪ノ本。ケレド………。
  一度モ無イノダ!ダケド、ソンナコトハドウデモ良イ。ケ、
  ケレド。タダ、タダ………。


   〈エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。〉私ハ人ノ弱点
  ヲ、アヤマタズ見届ケテシマフ鋭敏ノ才能ヲ持ッテ居ル。
  私ハアノ人ノ日頃ノ言葉ヲ信ジナイ。大袈裟ナオ芝居ダ。
  ソレハ平気デ聞キ流スコトガ出来ル。シカシ、チラリト見セ
  ル、上気シテ赤クナッ夕顔ノコトバハ信ジテモ良イ。ケレド、
  アノ人ハソレヲ言葉デハ決シテ言ワナイ。ソウシテ今、ア
  ノ人ハ子供ノヨウニ、不安ト恐レデ胸ヲイッパイニシテ、
  死二瀕シテイル。………私ハ、出来レバアノ人二説教ナド
  ヲ止シテモラヒ、私トタッ夕二人キリデー生永ク生キテヰ
  テモラヒタカッタノダ。アア、タダ、ソレダケ、ソレダケ
  ダッタ………。(私はオカマではない!)


 ことばの太宰治は、依然としてとぼとぼ歩いていた。悲劇の
秋、その定型の裏通りを。
 わたしはことばの太宰治からしなやかな言葉を聴きたかった。
少し赤くほてった顔から、ことばの柄谷行人みたいにスマート
でなくて良いから、ただ、しなやかに「ワープ!」という言葉
のうねりを聴きたかった。
 しかし、ことばの太宰治の回りには、ワープヘの準備段階の、
視えないエネルギー磁場のようなものが、オーラのようなもの
として、微かに感じとれるだけだった。


   〈愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はす
  たれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、
  わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところ
  も一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なも
  のはすたれる。わたしが幼な子であった時には、幼な子ら
  しく語り、幼な子らしく感じ、また幼な子らしく考えてい
  た。(幼な子A:ホ、ホントニソウデシタカ?)し、しか
  し、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしま
  った。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろ
  げに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、
  (幼な子B:チュースルノ?)み、見るであろう。わたし
  の知るところは一部分にすぎない。しかし、その時には、
  わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。〉
  幼ナ子、幼ナ子………私ハイツマデモ幼ナ子ノヨウナ世界
  ニトドマッテイル。ソレハナゼカ?ケレド、パウロヨ、私
  ニハオマエノ元気ナホテッタ言葉が信ジラレナイ。


   〈繰り返して言うが、だれもわたしを愚か者と思わない
  でほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされても
  よいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。主によって
  言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところ
  を信じきって言うのである。………自分の弱さ以外は誇る
  ことはすまい。〉コトバノパウロヨ、ケレド、オマエノ身体
  ヲ流レルコトバノ強イウネリヨ、オマエハ転向者ノ薄暗イ
  忠誠ノヨウニ強イ。オドオドシタオマエノ言葉ノ背ハ光ッ
  テイル。オマエハコトバノ弱者デハナク、コトバノ強者ダ。
  オマエノコトバノ弱々シゲナ肉体ハ、或ル強固ナ定型ノ表
  通リヲ通ッテ、コトバノヘーゲルノヨウニ、強イ言葉ノ幻
  想カヲ獲得シテイルデハナイカ。私ニハソノ詐術ガ信ジラ
  レナイ、パウロヨ!………幼ナ子、幼ナ子、コトバノ弱者、
  或ル、アルコトバノ通路ヨ、ソレガ見ツカレバ、ソレガ…
  ……。私ハ「四千の日と夜の空」ノ裏通リカラ、「一羽の
  小鳥のふるえる舌がほしいばかりに」、イッサイノモノヲ
  傷ツケ、喪シテシマッタノダ。イヤ、幼ナ子ノヨウニ、言
  葉ノ裏通りヲ歩イテイタダケダ。コノウツウツトシタエロ
  スヲ偽リヘ飛躍サセテハナラナイ。ナラナイ。ソウ簡単ニ
  ドコヘ?トイウ苦シミノ定型ノ飛躍便ニ乗り込ンデハイケ
  ナイ。コトバノ肉体ヲ殺シテハイケナイ!


 ことばの太宰治が、急に強いエネルギーを放ったようだった。
だけど、それはすぐにふうっと闇にかき消えてしまった。そし
て、かれもみえなくなった。
 ことばの太宰治は、しなやかな「ワープ!」を聴かせてはく
れなかった。


   〈私ハ、鳥デモナイ。ケモノデモナイ。ソウシテ、人デ
  モナイ。ナイ、ナイ………ナイ、ナイ………〉


 消え去った後の空白から、ひそひそ聞える。なんだか聞える。
後引く余韻のように、微かに、微かに。


   〈反物ヲモラッタノデ、春マデ生キテイヨウト思ッタ。〉
  (何をきざなことを言ってるんだ。)(春衣を与へると言ふ
  のは、後の理会で、魂を頒ち与へるつもりだったのである。
  即ち、みたまのふゆの信仰である。)(チョット違ウヨウナ
  気ガスル。微カナ、閉ザサレタ、或ル小サナエロスノ在所
  ノヨウナ………、或ル記録シガタイ、微カナ………。)


 微かな言葉が微かに揺曳している。
 まだ言葉が揺らいでいる。逆さまになった操縦席に居るよう
な気分だ。急ににぎやかな言葉の表通りがみえてきた。今度は
昼下りのようだ。竹の子族やトラウマ族が楽しそうに泳いでい
る。ことばの柄谷行人が、わざわざゲーデルの格好をして、「
クレタ!クレタのクレタの、何をクレタの?建築への意志、決
定不能性!ああ、愛しのタブル・バインド!」などと元気よく
パーフォーマンスしている。しばらくすると、スマートな英語
の発音で、急に「トポロジー!」と意味不明の言葉を得意げに
つぶやくと消えて行った。かれの背には微かにあどけない不安
が漂っているみたいだった。


     3

 わたしはこの頃よくことばの太宰治の夢を見る。厳密には夢
現で、よくわからないけど、ずっと以前から気がかりな、どこ
かなじみのある課題みたいに、しばしば訪ずれてくる。
 昨日もかれが夢に現われてきた。


   私は醜態の男である。なんの指針をも持つてゐない様子
  である。私は波の動くがままに、右にゆらり左にゆらり無
  力に漂ふ、あの「群集」の中の一人に過ぎないのではなか
  らうか。さうして私はいま、なんだか、おそろしい速度の
  列車に乗せられてゐるやうだ。夜がふけて、寝なければな
  らぬ。私は、寝る。枕の下に、すさまじい車輪疾駆の叫喚。
  眼をつぶる。(ことばの大原富枝:大都会の人波はジャン
  グルのように人を呑む。あの人と二度と逢えるだろうか、
  という不安が湧いた。茫然と立っていた田沢衿子は我にか
  えって身を退った。闇の中から電車が何物をも圧殺してゆ
  くように煌々と驀進して来た。)イマハ山中、イマハ浜。
  ―童女があはれな声で、それを歌つてゐるのが、車輪の怒
  号の奥底から聞えて来るのである。


   私は矮小の市民である。さすがにそれが、ときどき佗び
  しく、ふらと家を出て、石を蹴り蹴り路を歩いて、白痴の
  如く歩いてゐるのだつた。私は、やはり病気なのであらう
  か。私は小説といふものを間違って考へてゐるのであらう
  か、と思案にくれて、いや、さうで無いと打ち消してみて
  も、さて、自分に自信をつける特筆大書きの想念が浮ばぬ。
  確乎たる言葉が無いのだ。のどまで出かかつてゐるやうな
  気がしながら、なんだか、わからぬ。私は漂泊の民である。
  波のまにまに流れ動いて、さうしていつも孤独である。
   よいしよ、と小さい声で言つてみて、路のまんなかの水
  たまりをワープする。水たまりには秋の青空が写つて、白
  い雲がゆるやかに流れてゐる。水たまり、きれいだなあと
  思ふ。なんだか、悲しく、ほつとする。この小さい水たま
  りの在るうちは………。


  イマハ山中、イマハ浜
  アハレナ童女ノ背カラ密ヤカナエロスガ流レテイル
  ヨウダガ
  ギコチナクワープシタ
  私ノコトバノ航跡ヲ録ス言葉ガナイ
  唖ノ鴎、沖ヲサマヨウ
  汽車ノ行方ハコトバノ志士ニマカセヨ
  闇、沖ヲサマヨウ
  無言デサマヨイツヅケル
  アノ小サナ水タマリノ在ルウチハ


 夢から醒めたら、いつもエロスの韻の破片みたいなものが、
わたしの唇の回りに微かに漂っていた。
 ことばのヘーゲル時代、つまり、ことばのヘーゲルの共同的
な全面制圧下で、ことばの太宰治は、追い込まれたぎこちなさ
の芯に、疲れ切った子供のような表情で佇んでいるばかりであ
った。
 わたしたちは、ことばの太宰治よりうまくワープができる。
しかし、しなやかなワープがどうしてもできない。ことばのヘ
ーゲル時代の凋落の現在、わたしたちは暗い沈黙の尾をかみし
めるばかりの蛇から、少し広野ハラヘ近づいたような闇の薄ら
ぎや匂いを感じることもあるが、よくわからない。
 ワープ!しなやかな言葉への着地。
 ことばのヘーゲル、ことばのワープとは何か?うまく説明で
きないが、それは、わたしのことばの肉体を流れる或ることば
のさわりのように、感じ分けることができる。
 ことばのヘーゲルの起源は定かではないが、それはどんなに
疲れていても、疲れた顔を隠し、歯を磨いて、服を着て、朝食
をとって、靴はいて、玄関開けて、言葉を出す、というふうに、
確固とした順序の定型を一歩一歩、忍耐と努力をして上りつめ
ていった果てに、言葉の海へ着地する。そして、一度その順序
の定型をことばの肉体に刻み込めれば、後は場面場面に応じて、
同調作用を働かせて、簡単に力強いことばのヘーゲル語を自分
の言葉のように振り回すことができる。
 まず、ことばの肉体が沈黙している。沈黙が急に揺らぐ。そ
のときすでに、ことばのへーゲル性の巨大な重力場の力を受け
てしまっている。このことばのへーゲル性は、人間の歴史のは
じまりとともに、各地域で社会的な権力を掌握してきたのでは
ないかとわたしは思っている。特に、それがこの世界全体を制
圧したのは、近代になってからである。全ての闇という闇を隈
なく制圧しだした無数のことばの光族。それらを一つの中心に
吸収する巨大な重力場、それがことばのへーゲルであり、こと
ばのヘーゲル時代であった。
 気弱なことばたちは、夜の闇にまぎれて外出することもでき
なかった。中でも反抗することばたちは、反重力場を求めて、
各地で反乱をくりひろげたが、ことばのへーゲルの巨大な重力
場を振り切ることはできず、戦死したり、捕えられたり、反重
力場に辿りついたつもりが、メビウスの輪のように反転してこ
とばのへーゲルの戦士に取り込まれたりした。無数の管制塔に
監視されたことばの太宰治らは、零から光速近くまで制圧され
た速度の磁場の中、何度も何度もワープのようなものを試み、失
速しては、零以前の闇の地平へ疲れ切った子供のようにとぼと
ぼ戻っていくばかりであった。当時、まだ光速という概念すら
広く確定していなかったから、当然ワープという言葉もなかっ
た。また、現在でも超光速という概念は確定されていない。
 たとえば、ことばの肉体たちが、どのように語り出そうか、
どんな色合いの言葉で、どのように叙述を進めようか、などと
考えあぐねている時、ことばのヘーゲルなら、ちらっと今日は
天気が良いから散歩したいなとか、昨日のあの娘いかしたなと
か思っても、すぐに打ち消し、排除して、えへん!と肉体ふる
わせると、自分のことばの肉体を言葉の重力場の力に同調させ、
その勢いに乗って、或る決まったうねりの速度で、ベクトル場
の無数のベクトルたちのように言葉をくり出して行けばよい。
果てしないらせんを力強く描いて上って行く。一方、ことばの
太宰治は、まずそこで立ち止ってしまう。散歩や昨日のあの娘
にこだわってしまう。かれらといっしょに言葉への旅をしたい。
決して終りに光輝くことを約束されていないカメである。
 零から光速近くまでわたる光の定型のうねりは息苦しい。輝
き出す狐の皮衣のように、どこか自分がよそよそしくなってし
まう。閉ざされた速度の闇、ことばの肉体を流れる微かな言葉
の韻のような、ふうっと気分よく横ざまに超えるような、気持
いーーいみたいに自転車をこいで行くイバン・イリイチのよう
な、用事を忘れて小供と遊ぶ良寛のような、ようなようなの喩
地獄でないような、けれど危うい喩でしか言えないような、速
度の定型でない速度ではない速度のような、トポロジカルな論
理学のような………。


   ケレド 父ハドコカデ義ノタメニ遊ソデイル
   地獄ノ思ヒデ遊ンデイル
   私ハ糞真面目デ興覚メナ気マズイ事二堪エ切レナイ
   光ヲ背ニシテイルヨウナ家庭!
   子ヨリモ親が大事
   ケレド 光り輝クコトヲ決シテ約束サレテナイ義
   義デハナイヨウナ 義 ジレッタイ 義
   私ノカラダニ刻マレテイル
   幽カナ クスグッタイ文字
   ガ言葉ヘシナヤカニワープデキナイ
   ソレハ 死デハナイ
   死ト見マガウホドノ 闇二閉ザサレタ
   微カナ微カナ 私ノエロスノ磁場ノヨウナ………

   (カレハハジメテワガ近代ニ「霊魂(タマシヒ)」ノ〈負〉ノ行方ヲ
   確定シテミセタ)

   悲劇ノ色が滲ミ出ス境位二
   岐レユク色合イ
   ワタシノ頼リナイ残像ノ中デ
   ジレッタイ 義ノ色ト水タマリノ青空が融合スル
   負ノワープデアッテナイヨウナ
   ワープ


 ことばのヘーゲル時代の凋落の現在、ことばのへーゲル性に
貫かれた創世譚や継子譚や英雄譚や貴種流離譚、その他もろも
ろの物語が死に瀕している。しかし、それは依然として世界の
権力を掌握している。ことばのヘーゲル性は、継木や飛躍やト
ポロジカルな変成を展開しながら、現在まで生き延びて来てい
る………卜言ウ言葉ハ、ことばのヘーゲル的デ、ワカリニクイ、
ソシテ本当ハヨクワカッテイナイ。ケレド、ワタシハワープ星
カラ来タ、ワープ語ヲ語リ書ケル者トイウワケデハナイ。SF
アニメノワープ航法自体、過去ト現在カラヤッテキタ、当然ノ、
或イハ、思ワヌ結晶ナノダ。ト言ウワケデ………ことばのヘー
ゲル性をことばのエロスに変換すると、それはことばのエロス
の死生観、生産、交換、再分配、資本主義的様式などなどのう
ねり合いの醸し出す、我れ知らずほろ酔いの、いくつかの或る
エロスの定型性と言ってもよいのではないか。


   ケレド注意セヨ!
   ことばのエロスハことばのエロスの重力場ノ中ニアル
   デモハシナクトモ運動スル
   古イ言葉ガアル ニンゲンハ一人デハ生キラレナイ
   ソノ瞬時ノことばのエロスノ表情ヲ注意セヨ!
   デモデハナクトモ或ル運動二加ワルベキダトイウ弱者ブ
   ッタ強者カモシレナイシ
   クダランケド、ショウガナイ、ケドトイウ苦イ沈黙カモ
   シレナイシ
   死、詩デハナイ死ダケガイッキニ越境スル
   ソレハ疲レ切ッタ死ノワープデアルノカ、ナイノカ
   ことばのエロスノオボロゲナ死ノ境位ガ分明デナイ
   微量分析以後デモ微妙ダ
   一人ノ少女ガ落チ着キハラッテ、死ハ悪イト投書スル
   ケレド注意セヨ!微妙ナ表情ノアワイ
   我レ知ラズホロ酔イガ滲ミ出テイナイカドウカ
   死、詩、死ノ詩ノ微妙ナ、危ウイ手前デ
   死ノ詩ノ死ノ詩ノヨウナ
   ことばのエロスガ我レ知ラズホロ酔イノ権カヲ行使スル
   コトナク 醒メテ気分ヨク運動スル道行キハナイモノカ


 ことばのヘーゲル時代が凋落する、けれど、最後の枯葉まで
凋落するのか、さらに幹も根もすべて死滅するのかどうか。そ
して、ことばのへーゲル弁証法的にことばのワープ法へ止揚さ
れるのかどうか。或いはまた、ことばのへーゲル時代は、トポ
ロジカルに連結、変成されて、ワープ時代となりはじめている
のかどうか。或いは或いは、かくめいも非かくめいもなかった
し、ないのかどうか。かくめいから微妙にずれた、醒めてどこ
かなじみのあるかくめいらしからぬかくめいなのかどうか。わ
からない。ないけど、どのようにか在りうるような、微妙な、
微妙な、ことばのエロスの感受するあわい。


   言いようもなく
   言いようもなく醒めたエロスのあわい
   言いようもなくエントロピー


     4

 わたしはこれまで、正確に言うと六百三十余篇の詩を投げ出
してきた。もちろん、無意識にも遍歴譚風に約束された光に向
かって遍歴してきたつもりではない。ないけど、革命、風景、
孤独などの固いことばのヘーゲル的な言葉を、ぎこちなく使っ
てみたことも無数にあったし、今でもその重力場から逃れられ
ないで、あたふたしている。
 何度か、ことばの太宰治のように死の岸辺まで投身しそうに
追いつめられたことがある。また、疲れ切ったムイシュキン公
爵とともにスイス行きの列車に乗り込みかけたこともある。
 わたしは何度、とりあえずワープのようなものを、試み、失
速しつづけてきたことだろう。
 死、詩、死の詩の微妙な危うい手前で、わたしは佇みながら
生きてきてしまった。
 今、革命、風景、孤独などの固い言葉に代るしなやかな言葉、
〈  〉、〈  〉、〈  〉も、或いは、〈  〉もない。
けれど、とりあえず言いようもなくエントロピー!
                       (おわり)

 註.はじめから3行目、「¬A」は「Aでない」という論理記号。




  あとがき

 第三詩集である。TからVへ、ほぼ制作年代順に配列しているが、この詩集を編むにあたって、すべてにいくらか手を加えた。一九七八年から一九八四年四月までに投げ出された作品からとってある。
 詩がとても書けそうにないと思いながらも、作品の或る地点では力こぶを入れすぎたり、また或る地点では流してしまったり、また或る日それに手を加える時、不明になった行間に新たな韻を加えたり、照れくさい言葉を連結して流してしまったり、そんなふうに言葉を投げ出し続けてきたみたいだ。すると、或る時ふと、横ざまに新しい別のちいさな通路が出来かけていると思われるようなことが時々あった。また或る日、よくかみしめてみると、相変わらずだなあ、いやだなあなどと思われたりするのだった。
 書き込んでいるうちに、しだいに、書いているわたしの作品の言葉自体を追いつめていくようになってしまった。そして、それは従来のわたしの頼りない形式や構成のようなものを投げうってでも、執着するに値すると思われた。今だかつて、人々が闇の中で密やかにつぶやく以外に方法がなかった、或る密やかな場所のようなものについて、公然と密やかな言葉で語り出してみたいと思うようになった。もし、わたしの方法が誤っているとするなら、五〇パーセント以上は死骸の、もしくは、死に体の言葉にすぎないことになる。 言葉は病んでいる。言いようもなく病んでいる。その病いは、ことばの「戸塚ヨットスクール」や「おしん」によって治るものではないことははっきりしている。今や、ことばの退行のエロスは死に体しか許されてないからだ。もし、「治る」とすれば、人間における影響というものはリニアーなものでないということであり、或いは、何か本質的な病いが隠蔽されることによってであり、そういう「治り方」においてである。それはまた、それなりの存在理由によって存在を許容されている。
 言葉の過剰な身ぶりや空虚な無言は、人間の歴史が押し上げてきてしまった、言葉の地平のある境位における、密かで本質的な病いの信号ではないだろうか。言葉は、抑圧的な何ものかからの解除や、或るしなやかな運動を欲求しているように視える。それが、現実の奥深い舞台の不可避なバリアーにぶつかり、抑圧を意識する分だけ、言いかえれば、欲する真のようなものを手ばなすまいとする分だけ、不可避に病いの身ぶりを装ったり、病いの彩りの負荷を受けたりするのかもしれない。
 自分の言葉が生きつづけようとするかぎり、その病の奥深い舞台を、じっと見つめたり、耳をかたむけたり、第六感のようなものを働かせたりする以外にない。それは、病いの表情から地下茎にわたって、一枚一枚剥がすように解体していく、と同時にそれがまた或る未知の構成にもなってしまうかもしれない、という方法である。ただし、ことばのエロスの退行や、古代風超宇宙論、わかりやすく言えば神秘主義の一種は禁じられている。それは、ことばのエロスは言葉を産み出し、展開させてしまっており、しているからであり、また、エロスとなってしまっていること自体によって、生への衝動を主要なベクトルとしてしまっているからである。後者については、ことばのエロスは生物や生命や宇宙と連関しているはずであるが、宇宙や超宇宙に還元したり、解消したりしてしまうことはできないように視えるからである。ちなみに、それらは論理のようなものの危うい一歩のところで、妙に合理主義的な古代風を放ったりする。これらはもっと緻密に応じる必要があるが、これ位にしておきたい。
 言葉の病いの街角から、それらの言葉の表情や韻の全てでありつつ、全てでないような、危うい、或る密やかな場所へ、生(註.「行」)きつ戻りつしながら、街角からふと流した言葉、その総体と、世界論や宇宙論との間をしなやかに橋渡しする、ということがいまわたしの心に懸っている。
    (一九八四年 四月三日)











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