消費を控える活動の記録・その後 3 (2015.11~)







 目  次 (臨時ブログ「回覧板」より)


        回覧板他    日付
48 『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治)を読んで 2015年11月06日  
49 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の1 2015年11月07日 
50  表現の現在―ささいに見える問題から⑥の2 2015年11月21日  
51  表現の現在―ささいに見える問題から⑥の3  2015年11月22日 
52  森田真生『数学する身体』から  2015年11月26日 
53  表現の現在―ささいに見える問題から⑦  2015年11月28日  
54  表現の現在―ささいに見える問題から⑧  2015年12月12日 
55  表現の現在―ささいに見える問題から⑨   2015年12月19日 
56  作品を読むことの難しさ―宮崎駿『風立ちぬ』の批評に触れて  2015年12月21日 
57 日々いろいろ―テレビコマーシャル「年賀状、ください」から  2015年12月24日 
58  日々いろいろ―テレビニュース・熊本の「奇祭」から  2015年12月25日  
59  参考資料―『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』より 付(わたしの註)  2015年12月30日  
60 表現の現在―ささいに見える問題から⑩  2015年12月31日 
61  関口知宏の旅作品の中のエピソードから  2016年01月07日 
62  表現の現在―ささいに見える問題から⑪ (ルビによる表現の拡張) 2016年01月09日 
63  日々いろいろ 2016.1.13  2016年01月13日  
64 表現の現在―ささいに見える問題から⑫ (又吉直樹の『火花』から)  2016年01月18日 
65  表現の現在―ささいに見える問題から⑬ (身体と精神の活動の不随性について)  2016年01月22日  
66  表現の現在―ささいに見える問題から⑭  (死のイメージについて)  2016年01月23日 
67 映像作品から物語作品へ―ささいなことから (映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について) 2016年01月24日 
68  若い世代の歌から(覚書)  2016年02月06日 
69  表現の現在―ささいに見える問題から⑮  (作品と作者)  2016年02月07日
70  再び、生活者住民ということ―その倫理の創出へ向けて  2016年02月08日
71  表現の現在―ささいに見える問題から⑯ (場面を再現する難しさ)   2016年02月10日
72  表現の現在―ささいに見える問題から⑰ (空返事について)  2016年02月13日
73  表現の現在―ささいに見える問題から⑱ (二つの心の状態について)  2016年02月15日
74  表現の現在―ささいに見える問題から⑲  (現在に潜む現在性と永続性) 2016年02月21日 
75  詩を読むのは難しい   2016年02月26日 
76 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む―中世の西行を思い浮かべつつ  (1/2) 2016年02月28日 
77  少しすっきりしたこと   (吉本さんの言葉の癖) 2016年03月01日 
78 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む―中世の西行を思い浮かべつつ  (2/2)  2016年03月08日 
79  表現の現在―ささいに見える問題から⑫-補註1 (吉本隆明『言語にとって美とはなにか』に触れ) 2016年03月30日
80  表現の現在―ささいに見える問題から⑫-補註2 (伊東静雄に触れ) 2016年03月31日 











        ツイッター詩     日付
42 ツイッター詩42 (11月詩) 2015年11月14日
43 ツイッター詩43 (12月詩) 2015年12月15日
44 ツイッター詩44 ( 1月詩) 2016年01月06日 
45  ツイッター詩45 ( 2月詩) 2016年02月05日 
46 ツイッター詩46 ( 3月詩)  2016年03月04日  









         短歌味体 Ⅲ      日付
74 短歌味体Ⅲ 207-210 微シリーズ・続 2015年11月01日
75  短歌味体Ⅲ 211-213 簡単に語れるかシリーズ  2015年11月02日 
76  短歌味体Ⅲ 214-218 葬式よりシリーズ 2015年11月03日 
77  短歌味体Ⅲ 219-223 葬式よりシリーズ・続 2015年11月04日  
78  短歌味体Ⅲ 224-226 比喩シリーズ  2015年11月05日   
79  短歌味体Ⅲ 227-229 微シリーズ・続  2015年11月06日   
80 短歌味体Ⅲ 230-231  2015年11月07日 
81  短歌味体Ⅲ 232-234 色々シリーズ   2015年11月08日  
82  短歌味体Ⅲ 235-237 疲れたらシリーズ 2015年11月09日 
  短歌味体について 2015.11.09   
83 短歌味体Ⅲ 238-240 色々シリーズ・続  2015年11月10日  
84  短歌味体Ⅲ 241-244 アルアリハル砂漠シリーズ  2015年11月11日   
85  短歌味体Ⅲ 245-247 巨シリーズ  2015年11月12日
86 短歌味体Ⅲ 248-251 接続論シリーズ  2015年11月13日 
87  短歌味体Ⅲ 252-255 接続論シリーズ・続  2015年11月14日 
88  短歌味体Ⅲ 256-260 接続論シリーズ・続   2015年11月15日 
89 短歌味体Ⅲ 261-266 接続論シリーズ・続    2015年11月16日  
90  短歌味体Ⅲ 267-272 接続論シリーズ・続   2015年11月17日  
91  短歌味体Ⅲ 273-278 接続論シリーズ・続   2015年11月18日 
92  短歌味体Ⅲ 279-281 意味もなくシリーズ  2015年11月19日 
93  短歌味体Ⅲ 282-284 意味もなくシリーズ・続   2015年11月20日 
94  短歌味体Ⅲ 285-287 意味もなくシリーズ・続    2015年11月21日  
95  短歌味体Ⅲ 288-290 無シリーズ 2015年11月22日 
96  短歌味体Ⅲ 291-294 無シリーズ・続  2015年11月23日 
97 短歌味体Ⅲ 295-298 もの・こと・こころシリーズ 2015年11月24日 
98  短歌味体Ⅲ 299-302 もの・こと・こころシリーズ・続  2015年11月25日  
99  短歌味体Ⅲ 303-306 もの・こと・こころシリーズ・続 2015年11月26日 
100  短歌味体Ⅲ 307-309 日々いろいろシリーズ  2015年11月27日  
101  短歌味体Ⅲ 310-313 日々いろいろシリーズ・続   2015年11月28日 
102  短歌味体Ⅲ 314-318 わたしはシリーズ  2015年11月29日 
103  短歌味体Ⅲ 319-321 わたしはシリーズ・続  2015年11月30日 
104  短歌味体Ⅲ 322-325 音の根っこシリーズ・続  2015年12月01日 
105  短歌味体Ⅲ 326-329 政治論シリーズ・続 2015年12月02日  
106  短歌味体Ⅲ 330-333 政治論シリーズ・続 2015年12月03日
107  短歌味体Ⅲ 334-336 日々いろいろシリーズ・続 2015年12月04日 
108 短歌味体Ⅲ 337-342 宗教論シリーズ 2015年12月05日
109 短歌味体Ⅲ 343-345 宗教論シリーズ・続  2015年12月06日 
110  短歌味体Ⅲ 346-349 むずかしいシリーズ  2015年12月07日 
111  短歌味体Ⅲ 350-353 むずかしいシリーズ・続  2015年12月08日
112  短歌味体Ⅲ 354-356 つながるシリーズ  2015年12月09日 
113  短歌味体Ⅲ 357-360 つながるシリーズ・続  2015年12月10日
114  短歌味体Ⅲ 361-363 つながるシリーズ・続  2015年12月11日 
115 短歌味体Ⅲ 364-367 つながるシリーズ・続   2015年12月12日  
116 短歌味体Ⅲ 368-371 つながるシリーズ・続    2015年12月13日  
117 短歌味体Ⅲ 372-374 わけわからなくてもシリーズ 2015年12月14日 
118  短歌味体Ⅲ 375-377 わけわからなくてもシリーズ・続  2015年12月15日 
119  短歌味体Ⅲ 378-380 おもいシリーズ  2015年12月16日
120  短歌味体Ⅲ 381-383 おもいシリーズ・続  2015年12月17日
121  短歌味体Ⅲ 384-386 つながるシリーズ・続  2015年12月18日
122  短歌味体Ⅲ 387-389 つながるシリーズ・続   2015年12月19日
123  短歌味体Ⅲ 390-392 記憶シリーズ 2015年12月20日
124  短歌味体Ⅲ 393-395 記憶シリーズ・続  2015年12月21日 
125  短歌味体Ⅲ 396-398 記憶シリーズ・続  2015年12月22日 
126  短歌味体Ⅲ 399-401 対話シリーズ・続  2015年12月23日 
127 短歌味体Ⅲ 番外  2015年12月23日 
128  短歌味体Ⅲ 402-404 ひと休みシリーズ 2015年12月24日
129 短歌味体Ⅲ 405-407 人界の今シリーズ 2015年12月25日 
130 短歌味体Ⅲ 408-411 一日シリーズ  2015年12月26日 
131  短歌味体Ⅲ 412-414 一日シリーズ・続  2015年12月27日 
132  短歌味体Ⅲ 415-418 イメージシリーズ・続  2015年12月28日 
133  短歌味体Ⅲ 419-421 イメージ論シリーズ 2015年12月29日 
134  短歌味体Ⅲ 422-425 イメージ論シリーズ・続  2015年12月30日 
135  短歌味体Ⅲ 426-428 喩シリーズ  2015年12月31日 
136  短歌味体Ⅲ 429-431 新年にシリーズ   2016年01月01日 
137  短歌味体Ⅲ 432-434 朝シリーズ  2016年01月02日  
138  短歌味体Ⅲ 435-438 朝シリーズ・続  2016年01月03日 
139  短歌味体Ⅲ 439-441 なんでもないけどシリーズ   2016年01月04日 
140 短歌味体Ⅲ 442-444 静かな夜シリーズ    2016年01月05日  
141  短歌味体Ⅲ 445-447 なんでもないけどシリーズ・続 2016年01月06日 
142  短歌味体Ⅲ 448-450 てにをはシリーズ 2016年01月07日 
143  短歌味体Ⅲ 451-453 てにをはシリーズ・続  2016年01月08日 
144  短歌味体Ⅲ 454-456 言葉の距離感シリーズ  2016年01月09日
145  短歌味体Ⅲ 457-459 背伸びシリーズ 2016年01月10日
146  短歌味体Ⅲ 460-463 ほっと一息シリーズ  2016年01月11日 
147  短歌味体Ⅲ 番外 2016年01月11日 
148  短歌味体Ⅲ 464-465 ほっと一息シリーズ・続   2016年01月12日  
149  短歌味体Ⅲ 466-468 デビッド・ボウイシリーズ  2016年01月13日 
150  短歌味体Ⅲ 469-472 いいねシリーズ  2016年01月14日 
151  短歌味体Ⅲ 番外  2016年01月14日  
152 短歌味体Ⅲ 473-475 いいねシリーズ・続  2016年01月15日  
153  短歌味体Ⅲ 476-479 リズムシリーズ 2016年01月16日 
154 短歌味体Ⅲ 480-481 リズムシリーズ・続  2016年01月17日  
155 短歌味体Ⅲ 482-484 ああそこはシリーズ 2016年01月18日
156 短歌味体Ⅲ 485-487 視線の不確定性原理シリーズ 2016年01月19日 
157 短歌味体Ⅲ 488-490 視線の不確定性原理シリーズ・続 2016年01月20日 
158 短歌味体Ⅲ 491-492 あかんシリーズ 2016年01月21日 
159  短歌味体Ⅲ 493-494 ああそこはシリーズ・続   2016年01月22日 
160  短歌味体Ⅲ 495-497 ああそこはシリーズ・続    2016年01月23日 
161  短歌味体Ⅲ 498-499 チャレンジシリーズ  2016年01月24日 
162  短歌味体Ⅲ 500-501 ああそうかそうなんだシリーズ 2016年01月25日 
163  短歌味体Ⅲ 502-504 かいだんシリーズ 2016年01月26日  
164 短歌味体Ⅲ 505-507 かいだんシリーズ・続  2016年01月27日  
165  短歌味体Ⅲ 508-510 かいだんシリーズ・続 2016年01月28日 
166  短歌味体Ⅲ 511-514 かいだんシリーズ・続  2016年01月29日  
177 短歌味体Ⅲ 515-517 かいだんシリーズ・続  2016年01月30日 
178  短歌味体Ⅲ 518-521 かいだんシリーズ・続 2016年01月31日
179  短歌味体Ⅲ 522-524 あらあらシリーズ 2016年02月01日 
180  短歌味体Ⅲ 525-528 付「一年経って」  2016年02月02日  
181  短歌味体Ⅲ 529-532 2016年02月03日  
182  短歌味体Ⅲ 533-535 『母型論』(吉本隆明)に寄せてシリーズ  2016年02月04日  
183  短歌味体Ⅲ 536-538 『母型論』(吉本隆明)に寄せてシリーズ・続 2016年02月05日   
184  短歌味体Ⅲ 539-542 言葉の下層シリーズ 2016年02月06日
185  短歌味体Ⅲ 543-545 風シリーズ  2016年02月07日 
186  短歌味体Ⅲ 546-549 言葉の下層シリーズ・続 2016年02月08日 
187  短歌味体Ⅲ 550-552 物語論シリーズ 2016年02月09日 
189  短歌味体Ⅲ 553-555 言葉の渡世シリーズ 2016年02月10日 
190  短歌味体Ⅲ 556-559 言葉の渡世シリーズ・続 2016年02月11日 
191  短歌味体Ⅲ 560-562 言葉の渡世シリーズ・続  2016年02月12日 
192  短歌味体Ⅲ 563-565 言葉の渡世シリーズ・続 2016年02月13日
193 短歌味体Ⅲ 566-569 言葉の渡世シリーズ・続 2016年02月14日
194 短歌味体Ⅲ 570-572 言葉の渡世シリーズ・続 2016年02月15日
195  短歌味体Ⅲ 573-575 異常時シリーズ  2016年02月16日 
196  短歌味体Ⅲ 576-578 知らないシリーズ  2016年02月17日  
197  短歌味体Ⅲ 579-581 ひとりひとりシリーズ 2016年02月18日  
198  短歌味体Ⅲ 582-584 ひとりひとりシリーズ・続  2016年02月19日 
199  短歌味体Ⅲ 585-588 あわいシリーズ 2016年02月20日
200  短歌味体Ⅲ 589-592 あわいシリーズ・続 2016年02月21日
201  短歌味体Ⅲ 593-595 あわいシリーズ・続  2016年02月22日 
202  短歌味体Ⅲ 596-598 なにかかにかシリーズ 2016年02月23日 
203  短歌味体Ⅲ 599-601 あわいシリーズ・続  2016年02月24日 
204  短歌味体Ⅲ 602-604 グローバルシリーズ  2016年02月25日 
205 短歌味体Ⅲ 605-608 春シリーズ  2016年02月26日 
206  短歌味体Ⅲ 609-611 言葉の渡世シリーズ・続   2016年02月27日 
207 短歌味体Ⅲ 612-614 ほっと一息シリーズ・続  2016年02月28日 
208  短歌味体Ⅲ 615-618 百人シリーズ 2016年02月29日
209  短歌味体Ⅲ 619-621 音遊びシリーズ  2016年03月01日
210  短歌味体Ⅲ 622-624 百人シリーズ・続 2016年03月02日 
211  短歌味体Ⅲ 625-627 わかれ目シリーズ 2016年03月03日
212  短歌味体Ⅲ 628-630 わかれ目シリーズ・続  2016年03月04日
213  短歌味体Ⅲ 631-633 物語論 シリーズ・続 2016年03月05日
214  短歌味体Ⅲ 634-636 見てるだけシリーズ  2016年03月06日
215  短歌味体Ⅲ 637-640 即興シリーズ  2016年03月07日 
216  短歌味体Ⅲ 641-643 ずれシリーズ    2016年03月08日 
217  短歌味体Ⅲ 644-647 どうしたものかシリーズ  2016年03月09日  
218  短歌味体Ⅲ 648-650 どうしたものかシリーズ・続 2016年03月10日
219  短歌味体Ⅲ 651-653 即興シリーズ・続  2016年03月11日
220  短歌味体Ⅲ 654-656 即興シリーズ・続 2016年03月12日
221  短歌味体Ⅲ 657-659 即興シリーズ・続    2016年03月13日
222  短歌味体Ⅲ 660-662  シミュレーションシリーズ 2016年03月14日 
223 短歌味体Ⅲ 663-665  シミュレーションシリーズ・続 2016年03月15日
224  短歌味体Ⅲ 666-668 即興シリーズ・続   2016年03月16日
225  短歌味体Ⅲ 669-671 即興シリーズ・続  2016年03月17日 
226  短歌味体Ⅲ 672-673 物語シリーズ  2016年03月18日
227  短歌味体Ⅲ 674-675  2016年03月19日
228 短歌味体Ⅲ 676-678 言の葉シリーズ 2016年03月20日
229  短歌味体Ⅲ 679-681 言の葉シリーズ・続 2016年03月21日
230  短歌味体Ⅲ 682-684 入口シリーズ   2016年03月22日 
231  短歌味体Ⅲ 685-687 グローバルシリーズ・続  2016年03月23日 
232 短歌味体Ⅲ 688-690 入口シリーズ・続   2016年03月24日 
233  短歌味体Ⅲ 691-693 世界視線シリーズ  2016年03月25日 
234  短歌味体Ⅲ 694-696 誰にでも通じるかなシリーズ  2016年03月26日 
235  短歌味体Ⅲ 697-700 2016年03月27日 
236  短歌味体Ⅲ 701-703 感嘆詞シリーズ  2016年03月28日 
237  短歌味体Ⅲ 704-706 言葉の表層からシリーズ 2016年03月29日
238  短歌味体Ⅲ 707-710 言葉の表層からシリーズ・続  2016年03月30日
239  短歌味体Ⅲ 711-714 言葉の中層からシリーズ    2016年03月31日 






 ※ 「短歌味体Ⅳ」は、不定期で、ゆっくりと表現していきます。歌と註から成ります。

         短歌味体 Ⅳ―吉本さんのおくりもの      日付
短歌味体Ⅳ はじまりは 1-4  2015年12月07日
2  短歌味体Ⅳ おくりものということ 5-8   2015年12月18日 
3  短歌味体Ⅳ 誕生 9-12 2016年01月26日 
4  短歌味体Ⅳ 少年期 13-18 2016年03月06日






回覧板他


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『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治)を読んで


『日本人は人を殺しに行くのか―戦場からの集団的自衛権入門』(伊勢﨑賢治 2014年)を読んだ。著者の「紛争屋」としての危うくしんどい体験に基づく、わかりやすい、いい本だ。住民保護の名目に該当国に深く関与する(戦闘)ように変貌した国連PKOの現状にも触れられている。現状は、国会等で語られたのんきなPKOの状況ではなく、関与すれば戦死をも覚悟せざるを得ないものとなっているそうだ。そして、憲法九条を巡る敗戦後から現在に到る道程を踏まえた上での著者の真摯な考えが展開され、憲法九条を活用したわが国の国際社会での今後の関わり合いの道筋が提案されている。

敗戦後、この国の官僚たちや政治指導層は、一面では戦争による多数の死者に贖われ、また一面では占領軍により偶然転がり込んできた、未来性のある憲法九条をずるずるとアメリカを斟酌して少しずつ崩してきた。したがって、現実の自衛隊などと憲法九条とが食い違うようになってきた。この矛盾を踏まえた上での自衛隊の意味づけを考えるならば、わたしたち生活者住民や地域行政の規模や力では不十分な、不測の災害時の災害救援ボランティアが主任務であるべきだと思う。

そんな矛盾する現状とPKOなどの現状を踏まえ、未来性のある憲法九条を持つこの国の、武力に拠らない世界での貢献にもこの本は触れている。ぜひ読んで欲しい本だと思う。また、付け加えれば、伊勢崎賢治氏は軍事を含む外交においては並の官僚や政治家より卓越していて、ブレーン無しで総理大臣をやれる器だと思われる。

残念なことに、私含めたこの島国の人々は、自前で「農地改革」もやれなければ、自前で敗戦にどう身を処すかもできなかった。良く言えば、『逝きし世の面影』(渡辺京二)に描かれたような温和な人々ということになるかもしれないが、一方で言えば、倭の五王辺りからの引っ込み思案や卑屈さの属国・住民性を捨て切れていないということになる。

わたしの外(国内の隣人や他の地域、あるいは外国)に向かう立ち位置は、イデオロギーを排した〈生活者住民〉の一人であるということ、そこからの視線である。したがって、国家指導層間のいわゆる力の政治関係ではなく、そこに住まう人々の置かれた有り様にまず目を向け、想像を働かせるということになる。

国内外を問わず、ある地域の〈生活者住民〉といっても、行政やある政治集団とつながったりしてそれを呼び込み利害対立が錯綜とする場合も多い。原則としては、その地域住民の最大多数としての利害が追究されること、そして、全住民のいろんな選択が許容され、保証されることだと思う。

その点からすれば、政治が絡んだ現在の大きな地域的な問題は、福島を含む関東の原発大事故被災処理の問題であり、もうひとつは沖縄の基地問題であるが、依然として、その地域住民の最大多数としての利害が追究されていないし、いろんな選択が許容され、保証されていない。

ということは、ほとんどの政策において多数の民意を反映できない政治の現状は、わたしたち〈生活者住民〉とはかけ離れた「乗っ取り政権」というほかない。〈生活者住民〉不在の政治の液状化現象の中で、政治家やイデオロギーがかった者たちが、力の政治による国際関係という空理空論をもてあそんだり、たき付け煽動したりしている。むしろ、わたしたちはそんなことに惑わされず、そんな国際政治なんて日々の生活中心を生きるわたしたち〈生活者住民〉には全く関係ないと思っていた方がいいと思う。わたしたちの絶望もまた深い。けれど、わたしたちは、日々を生き、意志を放ち続けていくだろうと思う。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)
 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の1


 人は生まれ育っていく過程で、誰もがその生きている家族や地域や社会から良い悪いは別にして、ある〈おくりもの〉を受け取る。その内実は、個に贈られる個にとっての成長していく、位相の異なる環界(もちろん生を助けもするし阻害もする)であり、個とそれらは相互交通に入り、次第にその個は、それらとのつながりの意識や関わり合いの仕方を獲得していく。そして、個にとっての様々な環界には、人類史的な規模の歴史的なものも浸透している。

 こういうわけで、個の感受や考え方は、個そのものに還元し尽くせない性質を持っている。個の側から見れば、それは個による、個と様々な環界との合作と言うことができる。個の感受や考えやさらには芸術表現を織り上げていく主体は、あくまでも個にあり、その織り上げ方の固有性は個に属している。このことは、遙かに歴史を遡れば遡るほど、個は環界に溶けてぼんやりしたものになっていく。つまり、個の固有性が薄らいでいく。

 芸術表現の世界で、個のある感受や考え方を持った作者によって表現された作品には、その作者の感受や考えやイメージなどが織り込まれている。それが、個にとっての環界に当たる社会で現在を生きる大多数の人々の平均的な感受や考えやイメージなどと異質な、自ら考え抜いたものである場合もあれば、大多数の人々の平均的な感受や考えやイメージなどと同じ場合もある。次に引用する作品は、後者の場合に当たる。


 便利さがいつしか人を弱くする (「万能川柳」2015年11月05日 毎日新聞)


 大多数の読者が、この作品を読んで、「ああ、そうだよね」と思うのではないだろうか。作者に大多数の人々の平均的な考えやイメージと異質な微妙な面があったとしても、短詩型文学という形式からくる制約として、連作ではなくひとつの作品では相当複雑な考えや微妙な感受を表現することは難しい。

 この作品で作者は、「便利さ」に否定的な感情を抱いている。しかし、この問題をよくよく考えてみると、そんな単純な捉え方でいいのだろうかという疑念が湧き上がってくる。時代の新しい動向に対しては、主に現在を揺すぶられる不安から必ずと言っていいほど逆向きの、それを押し止めようという考えが出てくる。これが時代の新しい動向に対する内省として働くならばいいけれども、退行的な場合が多い。

 わたしが小さい頃は、まだ川はきれいで、人々は近くの川で洗濯していた。そこから洗濯機という「便利さ」が登場した。それは、川の洗い場での人々の語らいや交流を奪ったかもしれないが、他方、労力を省き自由になる時間を拡大した。また、テレビのビデオ装置という「便利さ」の登場は、いやな気持ちしか残さないテレビのチャンネル争いに終止符を打った。このようなことは数え上げれば切りがない。柳田国男がたどって明らかにした「火の歴史」もそのようなものだった。絶えず誰かが側で見ていなければならなかった灯りとしての火の利用法から、明治になって電灯が開発されて登場したことは感動的なまでに驚くべきことだったと思われる。

 このように、「便利さ」は、人間の能力を延長したり自由になる時間を拡張したりして、わたしたちの自由度を拡大してくれる。こういう「便利さ」を追い求め続ける人や産業の文明史的な変貌は、避けがたい自然の趨勢である。ものすごい量の本を書きまくっている齋藤孝が、江戸期の人々の方が現在のわたしたちより足腰が強かったみたいなことを、現在に対して少し否定的なニュアンスでどこかに書き付けていたが、それは産業社会の水準に対応した労働や生活のもたらす必然性であり、もし現在のわたしたちのからだの有り様がマズければ内省が加えられていくはずである。おそらく二昔前には、ほとんどなかったと思える「散歩」などの登場はその内省のひとつの形である。

 この引用作品のように、芸術作品の中には美的な感動だけではなく、作者の考えや感受も織り込まれている。そして、そのことがわたしたち読者に内省を促すということもある。






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の2


 続けて、作者によって作品に織り込まれた作者の感受や考えをたどってみる。そして、それらを取り出して、少し考察を加えてみたい。


① 一万年前を見てきたこの氷

② ママママがある日突然オフクロに
           (「万能川柳」2015年11月5日 毎日新聞)

③ いとをかし今で言うならチョーウケる
           (「同上」2015年11月7日 )

④ 本当に在ってよかったぁ日本海
           (「同上」2015年11月10日)

⑤ ラグビーは知らんが知ってる五郎丸

⑥ ニュートリノなんや知らんがすごいのね
           (「同上」2015年11月13日)

 
 ①は、時々耳にする捉え方である。そして、数万年の深層水などミネラルウォーターのネーミングと同類の通俗性(大多数の人々が普通に感じ考えること)を持っている。確かに数千年を生き延びてきた縄文杉やアメリカのヨセミテ国立公園にあるメタセコイアの巨木は、見る者にある強い感動を与えるかもしれない。おそらく人間の生涯の時間を遙かに超えて幾多の厳しい環境の中を生き延びてきたことを擬人的(超人的)に捉えるところからくる感動なのかもしれない。その背景には、自然の猛威と恵みとを受け続けてきた太古からの経験、そこからくる人為を超えたものへの畏怖と感動に連なるものがあるのだろう。

 しかし、このことを現在の科学の知見を潜(くぐ)りながら振り返って考えてみると、つまり遺伝子レベルで考えるとわたしたち人間を含めて現在生き残っている生物は、変貌しつつもその生命の始まりからの連続性の内にあり、さらに自然レベルまで見渡せば、自然や生物全ての今存在するものは、原子や分子レベルで考えるとこの宇宙の始まりからの連続性の内にある。これは近代社会以降の新たな知見に基づいた捉え方であり、その途方もない変貌と連続性の劇に、誰もがある時ふと驚きとある感動を味わうことがあるかもしれない。つまり、①の作品の捉え方に対して、一万年の氷りに限らず、この世のあらゆるものが同様にすごいよ、というツッコミも成り立つということである。

 ③は、そうかな、ちょっと待てよというところがある。昔、作家の橋本治が枕草子や徒然草の現代語訳で、固い教科書的な訳と違った、「チョーウケる」のような日常の語り言葉を駆使した訳を試みたことがある。外国はいざ知らず、わが国の日本語の場合、話し言葉に限ってもこの社会の中で表現される時、次の二つの形が考えられる。

1.「チョーウケる」、「メチャいい感じ」
2.「とてもいい味わいがある」「とても趣がある。」

 「いとをかし」は文章語で「チョーウケる」は若者の生み出した流行語の話し言葉だと思われるが、その違いは無視して考えてみる。枕草子の時代である平安期は、貴族や普通の民衆の話し言葉がどんなものだったかよくわからない。しかし、想定されることは民衆はほとんど話し言葉が中心の世界だったろうということ、そして両者はたとえ住居が隣接していたとしても今と違ってその生活世界が隔絶していただろうから、両者の話し言葉は1.と2.以上の相違があったことが想像される。ということは、現在の作者の生活的な視線によって捉えた③の捉え方でいいのだろうかという疑念が湧いてくる。
 
 この1.と2.の二つの形は、現在では若い世代と大人世代、あるいは、私的な場面での言葉と公的な場面の言葉(普段の言葉とよそ行きの言葉)、あるいはまた、地域語(方言)と標準語、などなどに対応させることができる。そして、わたしたちは、相手や場面によって1.と2.の形を使い分けている。したがって、この1.と2.は現在のわたしたちにとっては割と連続したスペクトル帯に属している。しかし、平安期の貴族層の場合、その公的な世界で使う話し言葉や私的な世界での話し言葉が、現在のフラットな社会の話し言葉のどんなものに類比できるかわからないから、なんとも言えないなと思う。
 
 ④は、編者によって「秀逸」の句とされているが、なぜ「日本海」という言葉にこだわるのかわたしにはよくわからない句である。現実的な情感というより、思考を巡らせた概念的な傾向性が強く感じられる。作者名(柳名)の前に「伊勢」とあるから三重県辺りに住む太平洋側の人が、日本海側に旅して、その海を眼前にしたときの体験からくる作品であろうか。知識では「日本海」と知っていたが、現実にそれを目にした時の感動を表現したものと言えようか。それにしても、普通一般にはこんな感受は自然な感情としては起こらないと思われる。

 ④の作品がわたしの理解通りだとすれば、昔で言えば、歌枕となっている名所旧跡を実際訪れた時の感動に連なるものとみなすことができる。しかし、現在では、風景の目新しさは、中世や近世辺りとはずいぶん違ってきているだろう。旅が、死をも覚悟する必要もなく、また、大変な苦労をする必要もなく、容易になったこともその感動の質を変貌させていると思われる。中世の歌人西行の歌に「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 」という六九歳頃の歌がある。これは逆に見れば当時の旅の苛酷さや困難さを示している歌と言える。現在では、この④の句と違って、風景に対する感動の質が中世や近世よりはずいぶん薄らいできていると思う。

 付け加えれば、④の作品の表現上の生命感は、「よかったぁ」という感動の内臓感覚的な言葉の表現にある。そのことがこの作品を少し生き生きとさせている。

 次に、②は、おそらく誰もが経験してきたある場面、ある転機を歌っている。小さい頃母を「ママ」という言葉で呼び慣わしたことが、青年や大人になっても続いていく場合もあるかもしれないが、一般には青年期にある気恥ずかしさのようなもの訪れるようになり、「おふくろ」や「母さん」など少し中性味の語感を帯びた言葉に代わっていく。そんな誰にも訪れる、人間的な季節の変わり目が歌われている。その意味で、この作品は引用した他の作品に比べて表現としての深みを持っている。

 最後に、⑤と⑥は、わたしたちの日々の具体的な生活圏に湧き上がるものごとではなく、この社会に浮上してくるものがマスコミを通して流されて来る話題に対する、わたしたちの一般的な受けとめ方の問題が表現されている。わたしの場合も⑤や⑥の作者たちと同じような感受を持った。

 この現在の世界は、おそらく二昔以前と比べると社会を流通する情報の量が格段に増大してきていると思われるが、一般に、わたしたちの何かを「知っている」という状態には、よく知っている、大まかに知っている、ぼんやりとした感じで知っている、などの「知っている」度合いの違う状態がある。さらに、その様々な度合いで知っているということには、その対象をたどって自分なりのあるイメージを形作っていく過程において、対象に対する好き・中性・嫌いというような感情的な判断の位相も付け加えられていく。わたしの場合は、⑤と⑥の対象に対しては、中性的な感情しか持たなかった。つまり、積極的な興味・関心を持たなかったということである。

 ところで、⑤と⑥は、「わたしたちの一般的な受けとめ方の問題」と述べたが、この社会に自然に湧き上がったり、あるいはコマーシャルや流行のように意図的に流されたりする中で、わたしたちはそれらにどのように反応するかということは当事者には気付きにくい、日本人としての一般性があると思われる。外国人からの視線ならそのことは気付きやすいのかもしれない。

 例えば、ずいぶん前に読んだ本で、安土桃山時代の頃のことが書かれている、フロイス『日本史』に、たぶん京都辺りでのことだったと記憶するが、やって来た宣教師の中にメガネをかけている宣教師がいて、メガネのもの珍しさでそれを一目見ようと近隣の住民が何日間か大挙して押し寄せたという記述があった。また、宣教師たちがある地を去っていく時、住民たちが何キロも見送りについてくるという記述もあった。また、渡辺京二『黒船前夜~ロシア・アイヌ・日本の三国志』には、役人が北海道で捕虜として捕らえたロシア人を籠に乗せて江戸まで護送する道々では、付近の住民が好奇心を持ちながら食べ物などの世話を焼いたり、話しかけたりしていたという記述があった。
 
 これらは、社会に浮上してきた物珍しいものに対する、わたしを含めたこの列島の人間たちの反応の形や共同の心性を物語っているのかもしれない。いわゆる「マレビト」を有り難がる反応の形や共同の心性である。そして、それはこの列島の大きな精神史の流れとして、ずいぶん薄まりつつも現在にまで残り伝わっているように思われる。一方、以前、韓流ドラマやスターに対する熱狂があったけれども、このようなことが人類共通としてあるという面もあるかもしれない。そのことは、それぞれの地域で、どこまでが地域独自でどこからが人類普遍かというように、互いに付き合わせていけばそのことが明らかになるだろう。

 軽い遊び心からの表現的な解放感と言ってもいいかもしれない川柳の作品たちに、そんなにマジで力んで捉え返さなくてもいいじゃないか、という声が自他共にから湧いてくる感じもあるが、以上、作品に現れた、作者たちの感受や考えを少しまじめになって取りだして考察を加えてみた。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑥の3


 次の作品は、おそらく作者の身近な生活圏で目にする疑問がモチーフになっている。わたしたちは、仕事などを通してある分野の専門ではあっても、他の分野についてはよくわからないということが多い。わたしの父の世代は、いろんなことに通じていて自分で自給自足的に、例えば小屋を作ったりなどの大工仕事もできる人が多かった。今では、さらに分業化が進み、自給自足的な面もほとんど途絶え、高度で複雑になってしまった社会にわたしたちは生活するようになってしまった。次の作品は、スーパーなど商品の販売に身近に携わっている仕事の人なら、その事情がよくわかっているのかもしれない。わたしには物の値付けの具体性はよくわからない。スーパーなどの客寄せとしていくつかの商品が極端に安い価格として表示されることがあるということぐらいは人並みに知っている。



 いつも半額それって定価
        (「万能川柳」2015年11月17日 毎日新聞)



 この作品は、最後に疑問符を加えて読むのだろうか、それとも定価だよねと読むのであろうか。いずれにしても、定価と実際の値段との大きな乖離に関心が引き寄せられてできた作品である。商品の価格の中には、仕入れ値や販売経費や利潤が入っているといこともわかる。しかし、同業他社との競争や景気悪化状況下の消費者の引き締めや買い控えなどへの対処などから、店のサービスの工夫などもありうるが、商品の価格を下げるのが一番効果的である。スーパーで買い物をするわたしたちは(わたしが食事担当だからわたしはよくスーパーへ買い出しに行く)、日頃よく買う物の値段の推移をだいたい知っている。例えば、キッチンタオルは安値で最近144円くらいだけどそれ以前は120円くらいだったとか、ティシュペーパーは五個入りで220円位しているけど前は安値で198円とかあったとか。また、カレーやシチューのルーが、おっ安いなと思ったら10皿分だったのが8皿分に減量されているとか。店とわたしたち消費者との間にも、日々の熾烈なたたかいがある。収入が限られた年金生活世代は、さらにきびしい日々の状況があるのかもしれない。

 店は、どこまで商品の値段を下げることができるのかはわからない。また、値段の付け方も、逆鯖(さば)読みみたいに高く付けて割引で安く感じさせるなどあるのかもしれないがよくはわからない。わたしは、農協のスーパーであるAコープを日頃よく利用しているが、毎年一度、三日間の感謝祭みたいな大安売りをする。外にはテントも張られ、少しお祭り染みたセールである。客も日頃とは違って大挙して押し寄せる。近年は、全般にものの値段が低下気味のせいか、とっても安いなという感覚は薄れている。それでもいつもより安い商品がいろいろと並べられている。時々、こんなに客が多いなら毎日そんな値段にすればどうかな?と思ったことがある。これから考えてみると、物の値段と買いに来てくれる客の数との相関で、どれくらいの値段が最適解かという問題が店の側にはありそうに思える。そこにはまた、同業他社との競争という要素も相関している。(因みに、わたしの住む町内とその近隣に、同業他社が他に三つはある) そういうことも気にはなるが、わたしたち消費者には直接の関わり合いのない世界である。わたしたちは、毎月の所得と相談しながら、一般にはより安くてより良い物を求めて消費の活動をしている。

 わたしたちは、子どもから大人まで割と無意識的に日々の経済活動の渦流の中に居ていろんな経済的な行動を取っている。しかし、普通、この社会で「経済」という言葉で指示されるのは、主要に、経済システムや経済政策、そしてそのような世界規模の世界経済との関わり合いである。それらをほんとうは中心的に支えている普通の生活者についてその経済的活動が本格的に言及されることは稀である。吉本さんが指摘し続けたように、高度な消費中心社会になって、ほんとはわたしたち消費者がこの経済社会の主人公になってしまっているのに、企業も企業団体も国家もエコノミストや学者も、そのことに本格的に触れようとしない。この国の知の悪しき風習で、西欧諸国のエコノミストや学者が、お客様は神様です等と言い出さないとそのことに言及できないのであろうか。

 わたしは、一見、本流の流れのように装っている、そのような「経済」という支配的な領域の膨大な経済概念群やそれらの関わり合いにはまったく関心がない。わたしたち普通の生活者にとっては枝葉末節にしか見えないからである。わたしに経済に対する関心があるとすれば、太古に始まり、現在まで流れ来た〈経済〉というものが、普通の大多数の人間にとって何であったのかという根幹としての起源性である。太古から長らくくり返されてきた〈経済〉活動の裏側には、無意識的な行動として相互扶助やみんなの幸が意識されていたと思う。もちろん、一方には、自分だけの独り占めの意識も存在しただろう。個の中の意識で比喩的に語れば、人間は、他者の幸福も願う一方で、自己の利益のみを優先するというような二重性を持っているということだろう。この二重性は、現在まで形を変えつつも保存されてきている。すぐれた見識を持ち実践している会社の経営者もあれば、大企業のトップや経済団体や官僚層や政治支配層などで自己利益や特殊利害のみを追求するものもいる。

 そういう相互扶助やみんなの幸を目指すという〈経済〉の起源性、つまりほんとうの本流からの視線に自覚的になれば、わたしのような経済素人でも誰でも、一見、本流の流れのように装っている現在の経済社会の根幹のどこがまずいかが見渡せることになるはずである。

 そして、現在のようなある店と同業他社との熾烈な競争があり、店と消費者との熾烈な駆け引きがあり、ということは、「ブラック企業」のようにその中で働いている人々も熾烈さを日々強いられているということでもある。疲弊し荒れ果てたこれらの関係からの未来性に対しても、なぜ、なんのために会社はできたのかという会社の起源性を意識的に反芻し、繰り込むことによってしか、ほんとうに人間的な未来の方には押し進めて行くことはできないと思う。

 






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 森田真生『数学する身体』から


 高校生の頃わたしは、若くして決闘に倒れた、数学者ガロアの生涯を読んだことがある。他にもよくわからないなりに自然科学の本を多く読んでいた。原子物理に興味があったけれども、大学は日本文学に進んでしまった。だから、わたしの場合は文系とか理系という仕切りや意識はない。わたしの視野には、人間や人類が生み出したものということで、領域や分野がちがっても自然科学も文学も同一の地平に置かれている。もちろん、音楽や美術など興味はあるけど苦手とする分野もある。

 森田真生『数学する身体』を読んだ。数式や記号は使わず素人にも割とわかりやすい。一言で言えないことを一言で言うと、本書は数学の歴史的な現在の頂からの、数学の内省の書。数学という行為や世界を、数学としてのヨーロッパや数学としてのアジアを超えて、太古(アフリカ的な段階)のレベルから現在を照射している。つまり、数学という行為や数学という世界の〈起源〉に横たわる問題の現在的な意味を問うていると言い換えてもいい。

 触れられている柱のひとつ、岡潔は高校生の頃偶然読んで、小林秀雄と共に、なんて古ぼけた悟りすましなんだと思ったことがある。今でも幾分はそう思う。当時の時代性の中に埋没していく彼らの言葉の部分(その残余はあるとしても)も大きいと思う。

 もちろん、小林秀雄は印象批評から近代批評の確立の立役者でもある。岡潔は数学の世界でのすぐれた功績があるらしい。その数学と随筆などに表現された古ぼけた言説とにある対応があるはずだが、わたしは門外漢だから、ふうんと保留するしかない。

 しかし、なぜ戦争期雪崩打つように人々の心性や全ての芸術が古代や古代以前の退行的な世界に落ちこんでいったかはまだ十分に解明されているとは思えない。おそらく、急激な文明度の上昇という近代世界が人々の内面にもたらしたものが、かつてないほどの衝撃だったのだろう。

 例えば、立原道造などの「四季派」の、さびしい、どこか遠くの何かになぜか心ひかれる、帰りたい、などの心性を通して、それらの心性は戦争期に「鬼畜米英」などの攻撃的心性として収束し、あるいは、組織化された。また、歴史の靄(もや)の果てにある人柱の考え方が、特攻攻撃として案出され実行される。今では迷妄と見なされる太古の心的な世界が近代の果てにその負の花を開いた。今から振り返れば、それらの退行は近代世界の軋轢や矛盾がもたらした負の内省だったのかもしれない。

 最後に、森田真生氏は、「独立研究者」という立ち位置を取っているらしい。当該者には失礼な言い方かもしれないが、大学という保護された割とのんびりした世界ではなく、在野で活躍されているのはそれだけでもすごいことだと思う。似たような形で出前の科学実験などをしている人もいる。数学という行為や世界をわたしたちになじみやすい、開かれたものにする活動は、わたしには歓迎さるべきことだと思われる。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑦


 新聞の短歌欄も時々さらりと目を通すけど、以下に引用するような川柳の、記号を用いた目新しい表現には出会わない。おそらく川柳の方が、あんまりかしこまらないでカジュアルな意識で表現されているからではないだろうか。もちろん、その分普通誰もがそう思ったりするという通俗性に流される面もある。


① 可愛いね→強くなったね→怖いです (「万能川柳」2015.3.12 毎日新聞)

② どの花に止・ま・ろ・う・か・な・と迷う蝶 (「同上」2015.9.2)

③ 彼の部屋ヌードポスターに〓(でべそ)書く (「同上」2015.10.31)


 註.〓(でべそ)の正しい表示は、○の中に×印の記号。


 これらの作品は、たぶん説明の必要はない、読者もぱっとわかるような作品だと思う。→や・やでべそ印という記号を駆使した表現である。

 ①は、通俗性に流されユーモラスに表現しているが、表現としてその通俗性を抜きん出ているのは、女性が成長し、変身していく過程の時間の経過を→で表現している所である。この→がなければ、大きな時間の経過が読者に十分に伝わらないような気がする。また、矢印の代わりに一字分の空白をそれぞれに入れるよりも時の経過がわかりやすい。

 ②は、①とちがって・の記号を取り去っても作品の意味としては変わらない。では、・の記号によって何が違ってくるのだろうか。・の記号がなくても、「迷う蝶」(蝶が迷うかどうかはわからないけれども、作者はここでそう捉えている)を追う作者の視線の動きは、言葉に込められている。しかし、・の記号を入れると、花から花をたどる蝶の動きが、よりゆったりとした時間的な動きとなり、より広がりのある空間性を読者に感じさせている。

 ③は、おそらく軽い嫉妬心のようなものから出た、ユーモラスな行動の表現である。その落書きが彼にわかった後の、二人のやりとりも連想させる作品になっている。ここでは、記号表現せずに単に「でべそ」という言葉でも変わりはないように見えるけど、記号表現の「でべそ」の方が、読者に与える視覚イメージとして言葉よりも強いし、また落書きした場面の描写をより具体的なイメージとして表現できていると思われる。

 川柳といっても、気楽なことを気楽に表現しているわけではない。気楽な心の状態の表現であっても、このように作者たちはいろんな表現上の実験や工夫を日々やっているはずである。作者たちの、日常の中の気づきや思うことや考えたことなどを、言葉に表現していく場合、できるだけ開放的にのびのびと表現するには、現実世界の仕事など様々なことと同様に、その小さな表現の世界でのそれ相応の格闘や修練が日々行われていなくてはならない。

 







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 表現の現在―ささいに見える問題から⑧


 言葉の表現において、語音の同音による表現技法は、平安期の「掛詞」があり、またお笑いの「ダジャレ」がある。外国語の事情はわからないけれど、日本語には他の言語より同音異義語が多いという文章を読んだことがある。書き言葉の場合は、漢字かな交じり文として書き分けるから誤解は少ないけれど、話し言葉では、前後の言葉のつながりから判断しているのが現状である。

 おそらくこの列島の太古にも通じると思うが、「はは」は「母」以外をも指示する言葉であったとマリノウスキーを引きつつ吉本さんが触れたことがある。


 …では子どもにとって実の「母」や実の「父」と親族組織がひろがっていったために 「母」とは(ママ 「とか」か)「父」とか呼ばれることになる母方の兄弟(伯叔父)や姉妹(伯叔母)はおなじ呼称なのにどう区別されるのだろうか。マリノウスキーによれば、おなじ「父」 や「母」と呼ばれても、実の「父」「母」と氏族の「父」たちや「母」たちとでは感情的な抑揚や前後の関係の言いまわしによって呼び方のニュアンスがちがい、原住民はそれが実の「父」や「母」を呼んでいるのか、氏族の「父」たちや「母」たちのことか手易く知り分けることができると述べている。またこの地域の原住民の言葉(マラヨ・ポリネシアン系)には同音異義語がおおいのだが、それは民族語として語彙が貧弱なためでも、未発達で粗雑なためでもない。おおくの同音異義語は比喩の関係にあって、直喩とか暗喩とかはつまりは言語の呪術的な機能を語るものだと述べている。 わたしたちがマリノウスキーの考察に卓抜さを感じるのはこういう個所だ。たとえば「母」という言葉は、はじめはほんとの「母」にだけ使われる言葉だった。それがやがて「母」の姉妹にまで使われることになった。これは子どもの「母」の姉妹にたいする社会的な関係がほんとの「母」にたいする関係と同一になりうることを暗喩することにもなっている。そこでこのふたつの「母」を区別するために「母」という呼び方の感情的な抑揚を微妙に変えることにする。これによってほんとの「母」と、「母」の姉妹との社会的同一性とじっさいの差異を微妙にあらわし区別することになる。
 (「贈与論」『ハイ・イメージ論』 吉本隆明、
   『吉本隆明資料集115』 「ハイ・イメージ論9」より 猫々堂)



 ここで、吉本さんは同音異義語の発生の歴史的な段階と事情に触れていることになる。人類の幼児期や幼年期の感性が今の私たちのどこかにしまい込まれていて、何らかの形で発現してくるのと同じように、現在の同音の表現には深い歴史性が埋め込まれていることになる。また、太古に地名は地形から名付けられたと柳田国男は明らかにしているが、現在の人の名字も地名から来ているのも多い。特定の時期や時代としての具体像としてははっきりとはイメージできないけれど、ある段階的なものの移行としてなら考えられるかもしれない。

 ある地に住んでいた場合、おそらく血縁もある同族としてのつながり意識からその土地の名を冠したのかもしれない。その中から同族を統率するような者たちが現れ、庄屋や武家層を生み出していったのかもしれない。この場合、現在の家族や個人単位の名字とは違って、同族意識や共同意識が強かったものと思われる。最初は、土地の地名=そこに住む者の名字だったのが、つまり、特定の土地と結びついた同音同語のような強い絆の共同意識だったのが、次の段階として他の地域へ移動しなくても次第に分離して地名→名字の同音異義語のような意識に移行してきたものと思う。これは、同族内の階層化の進展と対応しているかもしれない。

 同族は疾うに解体され、親族といっても薄いつながりになってしまっている現在にあっては、土地の地名とそこに住む者の名字とは完全に分離を遂げてしまっている。言いかえると、土地の地名と名字が同音異義語だったとして、そのつながりの痕跡をたどることは難しくなっている。しかし、以上イメージしたような起源的なものが、現在の同音の言葉に見えない「蒙古斑」のように記されているのは確かであろう。同音を意識した作品を上げてみる。


① カレー臭すると子どもが大歓喜
           (「万能川柳」2015年2月17日 毎日新聞)
 
 ①の註として
  その昔抱きしめた息子(こ)の加齢臭
           (「同上」2014年11月2日)
 
② 来客に夫婦のようになる夫婦
           (「同上」2014年11月4日)
③ 捨てられた猫の鳴き声泣き声に
           (「同上」2015年3月12日)
 
④ 毎日を毎日読んで半世紀
           (「同上」2015年8月20日)

 
 
 ①の作品は、どこにも何とも書いてないけれど、わたしは同音の喚起から註として付している「加齢臭」(かれいしゅう)を想起した。強いていえば「カレー臭」と表現されているからか。一般に「臭」は嫌なにおいで、「匂」は良いにおいと見なされている。また、「匂」は和製漢字で音読みはなく、視覚的なイメージを表す言葉のようである。万葉集に出てくる。読みは少し違っても、口に出して発音すると同音と見なせる。同音喚起によってこの作品にユーモアの広がりを付け加えている。「あの加齢臭と違ってさ、こちらは良い匂いなんだけど、そのカレーの匂いがすると子どもたちは大喜びするね。」といった意味になる。

 ②③④は、「夫婦」(世間的にあるべき姿としての)と「夫婦」(現実の具体的な)、「鳴き声」と「泣き声」、「毎日」(新聞)と「毎日」いずれも同音であるが、現在では明確に区別された別々の概念(あるいは指示されるもの)である。しかし、いずれの同音にも先に触れたような太古からの同音にまつわる歴史的な事情が、わたしたちの現在にも痕跡のように存在しており、それらがなんらかの感触やささいなイメージのようなものとして、現在のわたしたちにも発動してくるように思われる。ほんとうは、わたしが知りたいのはそれらの太古からの概念や意識の積み重なり方と、どこでどのように古層や中層からそれぞれ発動されて表出されるかということであるが、これは少しずつ明らかにするほかない大きなテーマである。

 







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 表現の現在―ささいに見える問題から⑨


 古今集の時代には、「詠み人知らず」という歌もある。現在では、作品には作者という個が必ず控えていて、現在の世界の精神的な大気を呼吸する中で培った、あるいは、そこから借りてきた作者の感受や感覚や考えが、作品世界の言葉の「選択・転換・喩」などを通して織り込まれている。

 5・7・5の形式や音数律(註.5音や7音の組み合わせが生み出すリズム)の枠の規制(あるいは枠による自由度)を受けながら、言葉を構成していく。わたしの短歌味体の実作の内部の体験から言えば、その枠は、語の選択や語順などにも関わってくる。つまり、作者たちは5・7・5の形式や音数律の枠を舞台とする表現の空間で表現活動をしている。したがって、風景や情景や事実の描写と見えても、そこには以上のような表現形式の舞台での作者の表現活動という具体的(抽象的、観念的、幻想的)な行動の数々が作品の背後にはある。


① 安倍さんは未来朴氏は過去語る

② 大臣の椅子のためなら変える主義

③ たわわの実シブでっせとの貼り紙が
           (以上全て、「万能川柳」2015年12月10日 毎日新聞)


 ①から③、すべて事実を詠んだ作品のように見えないことはない。しかし、それらは事実そのものではなく、語の選択や転換に作者の対象に対する感受や判断・解釈が込められている。もし①が事実の歌なら、テレビニュースなど観ながらその対象の外に興味関心もなくぼんやりした状態で佇む作者の像を思い描くことになる。これなら事実を詠んだことになる。

 ①は、わが国の首相と韓国の大統領とを並べ、前者は(開かれた)未来を語り、後者は(閉ざされた)過去を語るというようにある価値判断や評価の下に対比的な表現で構成されている。「さん」と「氏」の対比も音数による制限と言うよりも、作者の対象に対する親疎を、つまり、作者の価値イメージや薄っぺらな政治意識を語るものと言えよう。①の作品には選者によるニコニコマークが付いているが、作品としてはつまらない駄作だ。

 なぜなら、個の具体的な感情や感動というより、そんな日常の生活次元を抜け出して概念(薄っぺらな政治言語)に乗り移った、あるいは取り憑かれた上から目線の自己の感覚を歌っているにすぎないからだ。しかも、その総理は、(開かれた)未来を語れる器どころではなく、正しく復古的な(過去)亡霊を呼び寄せようとしている政治イデオロギーにイカレタ者に過ぎないからである。このように生活次元の感受や考えを抜けだした表現は、川柳という短い形式の言葉では特に、丘陵地のでこぼこなどは平坦に均されてしまって、つまらない作品になりがちである。

 ②は、具体的な大臣を想定しなくても成り立つ作品だが、行革担当相として安倍内閣に入閣した河野太郎自民党衆議院議員のことを指しているのだと思う。脱原発の考えを積極的に披露していたのに自身の考えと大違いの政権に入閣したという点を捉えた作品である。①の政治世界に乗り移ったイデオロギー的な視線(上から目線)と比べて、②は生活者の地上的な視線だと思う。ただし、政治世界にはそれなりの清濁の歴史や現状があり、つまり、外からよくわからない他人の家の事情を論ずるような微妙さがある。

 ③は、たわわに実った柿を見かけて、すごいなあなどと見とれていたら、側に「シブでっせ」という貼り紙があって、作者の柿に対する感動がひきづり下ろされたような気持ちを表出した作品である。ここでも前半と後半とが対比的に表現され、作者のがっかり感が表現されている。また、柿の歌もある正岡子規は、柿がとても好きだったらしいが、この作者も柿が好きなのだろう。好きだからこそ作品に詠まれたのではないかと思う。

 わたしたちがふだん作品を読むというとき、半ば無意識的な状態で以上のような過程をもっと細かに通り抜けていくものと思われる。

 ちなみに、③関しては似たような出来事として、『徒然草』10段に次のような話がある。


後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂どのの棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かのためし思ひ出でられ侍りしに、「まことや、烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。


 こちらは、別の事情があって西行は誤解していたかもしれないという話になっている。(註.現代語訳省略。必要な人は、ネットにあります。)人の日常に感じることは、生活の形や社会が変わっても時代を超えて通じる部分があると言えるだろう。

 






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 作品を読むことの難しさ―宮崎駿『風立ちぬ』の批評に触れて



 村瀬学の『宮崎駿再考』(2015.7 平凡社新書)という本が目に留まり、以前、内田樹の『風立ちぬ』論(註.1)を読み、それに興味をかき立てられてその映像作品を観たことがあるから、買って読んでみた。この著者には、『宮崎駿の「深み」へ』という論考が別にあり、昔読んだけど中身はすっかり忘れている。本書を読むとていねいに宮崎駿作品を追いかけてきているように見える。わたしはこの著者の論考をほとんど追いかけて読んできている。わたしがその批評の方法や深度に敬意と信頼とを置いている数少ない表現者のひとりである。

 この内田樹の『風立ちぬ』評を読んで、今年だったか『風立ちぬ』がテレビで放映されたので観た。主人公たちの上層の階層の社会的なふんい気や関わり合いの描写になんかついていけなかったのを覚えている。もちろん、どんな階層の登場人物を描こうがそのこと自体には作品の本質とは関わりはない。そして、この映像作品の作者、宮崎駿のモチーフがどこにあるのかよくわからなかった。確かに内田樹が指摘したように、風物の描写は今までになくこだわりを持ってリアルに描かれていた。しかし人物の描写は普通の単調さで、両者のアンバランスがあり、これなんだろうと印象に残った。また、イタリアの「飛行機設計家カプローニ」が主人公堀越二郎の夢に何度か現れ、対話する。このことの意味。さらに、戦時中の話なのに、戦争の描写や影はほとんど描かれてなかったように思う。これもなぜなのかと印象に残った。つまり、戦争という重たい時代の中の出来事だけれども、別のことを表現しようとしたからだろう。作品を読む練習として、何度か観てみようかとも思ったが、1回観てビデオを削除してしまった。宮崎駿の作品は、テレビで放映されたのをいくつか観ている程度で、今のところそれ以上の関心がなかったせいもある。

 映像の作品に限らないけれど、言葉の物語でも一読と数回読みとではイメージが少し変わって来たり、気付かなかったことに気付くことがある。映像の作品も同じと思う。作者の織り成したり、散布してあるイメージは、階層的なもので、何度も観るうちにまた観客(読者)の作品に対するイメージが修正されることがあるのかもしれない。つまり、言葉であれ、映像であれ、それらの作者たちは、幾層かに分けて作品を構成しているのかもしれない。エンターテインメントの作品の上層から孤独できまじめなテーマを追究する下層というように。さらに、そこには作者たちの無意識というものも加担している。したがって、観客(読者)の持つ印象や考えも作品のいくつかの層に対応して様々に出てくるように見える。

 さらに、批評家ではない普通の観客が、この作品を観てどんな印象や感想を持っても自由である。たとえそれが作者から見て「違うんだけどな」と感じられても仕方がない。どんな作品でも同時代の大気を呼吸していても、固有性と呼んでいいほどの、生い立ちやものの感受や考え方の違いをそれぞれの観客(読者)は持っていて、そこを通して、あるいは、そこに呼び込まれるようにして、作品は観られる(読まれる)からである。作品の骨の部分は、ほぼ共有されつつも、細かい部分では、作者や観客(読者)の固有性や無意識も加担してくるから、いろんな微差はどうしても生まれてくる。

 一方、作者(たち)の方も、作品が多くの人の心引きつけ、観られる、作品が売れて経済的にも余裕が出るなどの現実世界のこともどこかで意識しながら、作品やそのプロモーションビデオなどを作るはずである。それはどのように作品に現れるかといえば、読者(観客)に受け入れてもらうための人物選択やいろんな仕掛けやもてなしとして現れるはずである。それは作品のモチーフとの折り合いとして現れるのだろう。また、作者の意図した作品のモチーフが十分に作品に実現されるとはかぎらない。なぜなら、映像の作品であれ、言葉の作品であれ、作品には読者の場合と同様に作者の無意識も入り込み関与するからである。

 批評家は、できるだけ丹念に作品を観たり読んだりする、また、作者(たち)はその作品におそらく集中して全力を注いだと思われるが、批評家は、作者の無意識も含めて同じ作者の作品の流れの中に位置づけようとする。観客(読者)は、作者(たち)と展開されていく映像の裏側でひっそりと出会い、物語の起伏を情感を波打たせながら作品とともに歩んでいくとすれば、おそらく批評家と作者は、それを越境して、作品のモチーフが無意識の乱流の付加を受けながら表現世界の現実的な負荷をかいくぐって実現されていく流れで出会うのであろう。出来得るならば、作者は十全に作品のモチーフを作品全体で実現したいし、一方、批評家は十全に作品のモチーフを作品全体に渡ってたどりつくしたいのである。  
 わたしはいつもふしぎに思うのであるが、映像や言葉などの芸術的な作品にかぎらず、なぜ人間の生み出す表現というものは多義的なのかということである。作品と観客(読者)とが数学の一対一対応のようには対応しない。必ずと言っていいほど揺らぎが起こり多義的な対応になってしまう。このことは、同時代の精神的な大気を呼吸していても、作者も観客(読者)もそれぞれ固有の育ちと固有の無意識とを携えているからである。さらに、映像や言葉にかぎらず人間が表現する媒体は、人間的な表現に備わっている植物的、内臓感覚的な情動が、生み出される頭脳的な概念や論理に生命感を与えるように作用し、その両者の織り成しとして働くような本質を内蔵している、あるいは喚起するからである。

 このような諸条件によって、芸術的な表現や人間の表現は、数学や自然科学の捉える、人間的な情動をぬぐい去った二者関係や一対一対応とは違って、錯綜としたものになってくる。わかるということ、わかり合うということが、難しいのである。

 ここで触れた二人の『風立ちぬ』評の中心的と思える部分を取り出してみると、



『風立ちぬ』にはさまざまな映画的断片がちりばめられている。
それのどれかが決定的な「主題」であるということはないと思う。
むしろ、プロットがその上に展開する「地」の部分を丹念に描き込むことに宮崎駿は持つ限りの技術を捧げたのではないだろうか。
 「地」というのは「図」の後ろに引き下がって、主題的に前景化しないものである。
 宮崎駿が描きたかったのは、この「前景化しないもの」ではないかというのが私の仮説である。
 物語としては前景化しないにもかかわらず、ある時代とその時代に生きた人々がまるごと呼吸し、全身で享受していたもの。
それは「戦前の日本の風土と、人々がその中で生きていた時間」である。
 宮崎が描きたかったのは、私たち現代人がもう感知することのできない、あのゆったりとした「時間の流れ」そのものではなかったのか。

  (『風立ちぬ』内田樹) (註.1)



なぜ「地震」から始まっているのか(小見出し)

『風立ちぬ』は少年の夢から始まっているが、実質は、大地震から物語が始まっている。

  (『宮崎駿再考』P218 村瀬学)


 もしここで、大地震のどさくさを利用して、二郎の女性への関心を描きたかったのだとしたら、この地震は別に関東大震災でなくてもよかったということになるだろう。単なる列車事故でもよかったはずだ。しかし宮崎駿は、この「大震災」を描くことにものすごく思い入れを持っていたのである。もちろんアニメーターに描かせているのだが、町の揺れ動き、群衆が右往左往する四秒の描写に、とんでもない時間をかけさせていたことが後になってわかる。
 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀/宮崎駿スペシャル「風立ちぬ」1000日の記録」(二〇一三年八月二六日放映)で、「関東大震災」の「たった4秒のカットに1年3ヶ月を費やした」というナレーションが流れた時にはびっくりしたものだ。…………中略…………確かに宮崎駿は、周りのものが推し量れないほどの思い入れをもって、この「大地震」を描こうとしていたのであって、だからこの大災害の描写を、二郎の下世話な色恋を演出するための小道具にしているようにみなしてはいけないのである。さらに主人公にモデルがあって、彼の二〇歳の時、たまたま関東大震災が起こったからそれを描いているという見方も否定されなくてはならない。
 そうだとしたら、この大地震は何のために描かれたのか。考えられることは、これから始まる主人公の「物語」が、とんでもない「大災害」を前提としていることを、観客に意識してもらうためであろう。こういう「物語」の設定は、観てきたように『未来少年コナン』や『風の谷のナウシカ』の始まり方とよく似ている。まず「地球規模の破局」が起こってしまうのである。それにもかかわらず、人々は下世話な動機も含めて生きてゆこうとする、そういう展開である。この最初に「破局」を持ってくるというのは、宮崎駿のアニメ人生の最初から意識されてきたことであった。そのことをこの最後の作品にも読み取るかどうかである。
 始めに「破局」ありき。それは長い地球の歴史を考えることで初めて想定し得るものである。この「地球感覚」と私が呼んできたものが、ここでも呼び起こされているのである。そして人類は、この地球感覚と向かい合って生き延びてきたのである。
『風立ちぬ』では、その「地球感覚」がまず「関東大震災」として描かれ、そのあと地球の鉱物資源を元に作る兵器(戦闘機から原子爆弾まで)で、「太平洋戦争」の「破局」を予感させてゆく。そういう武器のもたらす破局と共に、『風の谷のナウシカ』が描いた「菌」とのせめぎあいの世界も描かれる。「結核菌」との戦いである。
 映画の大地震も偶然に描かれ、菜穂子の結核も、堀辰雄の小説が偶然そうなっていたからそう描いているだけだというのなら、それらの出来事を「演出」の小道具のように見ているかもしれないが、武器との戦い、菌との戦いは、宮崎駿の出発から抱えていたテーマであったはずである。そこのところはもっと見てゆかなくてはならない。 
  (『同上』P219-P221 村瀬学)


 宮崎駿は老年になって、自らのアニメ人生を振り返ろうとしていたはずである。それを、「美しい飛行機」を作りたかったという『風立ちぬ』の二郎の夢に重ねるように考えようとした。しかし「美しい飛行機」を作ることも、「美しいアニメ」を作ることも、その「美しさ」を支えるのは「技術」という「数理的な理性」であった。そうなると、ここでどうしても「倫理」を飛び越える思考と向かい合わざるを得なくなる。そこに同じように「ファウスト問題」 (註.2) が出てきていたのである。
  (『同上』P231 村瀬学)



 これらの二つの作品批評は、まず作品に対する読みの部分性としてならどちらもはずれているわけではないと思う。しかし、作品をどれくらいの規模ですくい上げているかという問題はある。したがって、こちらこそが作品の総体を捉えたものだとして、両者の批評がまともにぶつかり合えば、それらの異質性が際立ってくることになる。作者の実現しようとしたモチーフは実現できたかどうかは別にして明確なものとしてあるはずだから、批評が大きく異なるということは、作品読みの深さの問題になってくる。

 内田樹の批評は、作品を一度観た(一読に相当)中で感じた印象やいろんな疑問を煮詰めていって、作者のメッセージ (註3) も参考にして、それらを一つに絞り込んでみたという印象を与える。しかも、物語性が景物やそこを流れるゆったりした時間の方に解体されている、あるいは溶け込んでいると見ている。時代が今と違う時間の流れる速度感を持っていたから、作品を創り上げていく過程で無意識の内に制作側もそのゆったりしたリズムにいい感じを持ったということはあるかもしれない。また、そんなゆったり流れる時間を背景とした主人公二郎の夢は、その背景の映像表現によって美を強化されているということがあるかもしれない。

 一方、長く引用した村瀬学の批評は、長い引用部分から、今までの宮崎駿の作品を考慮しながら(それらとの同質性や異質性)、作品をていねいに具体的に追いかけ考えを絞っていく様が見て取れるはずである。他の宮崎駿監督の作品やこの作品を何度もていねいに観てきた(百回読むに相当)のではないだろうか。また、指摘されればおそらく誰もが意識できるだろう、宮崎駿監督の最後の作品ということを、彼の内部のモチーフにそってすくい上げようとしている。作品『風立ちぬ』の作品批評としては、内田樹よりこちらの方が作品世界の総体に十分に迫れているように見える。

 ところで、『風立ちぬ』(宮崎駿監督作品)の批評を二つ取り上げただけで、それ以上のこと、つまりわたしのその作品批評はないし、今のところできない。ただわたしがここで取り上げたかったのは、作品(言葉であれ映像であれ)というもの、そしてその作品を読者(観客)として味わうこと、さらに作品を批評として俎上に載せることについてである。これらのことが現在なお十分に解明されていない状況があり、しかもそのことに割と無自覚に批評が成されているということを感じるからある。

 言葉自体についても作品の捉え方である批評にしても、先人たちの功績として残されたものを「おくりもの」として受け継ぎながら、まだまだそれらをはっきりした形のものとして明らかにしていく課題が、わたしたちの前には残されていると感じている。


註1 内田樹の『風立ちぬ』論 (「内田樹の研究室」2013.8.7 http://blog.tatsuru.com/2013/08/07_1717.php )

註2 村瀬学  「『風立ぬ』とファウスト問題」(その1)(その2)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/murase.html
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/murase2.html
(「編集工房 飢餓陣営 佐藤幹夫さんのホームページ」http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/index.html 内にあります)

註3 宮崎 駿 『風立ぬ』の「企画書」
http://kazetachinu.jp/message.html

 






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 日々いろいろ―テレビコマーシャル「年賀状、ください」から


 最近、「年賀状、ください」という「嵐」(わたしは彼らの顔をテレビ見知っている程度だが)のテレビコマーシャルが流れている。ネットで検索するといくつかのバージョンがある。わたしがこれを取り上げるのは、何か微かな異和を感じたからである。

 現在のわたしたちの日常生活世界には、企業や地方・国家行政などの社会や国家が、ある媒体を通して入り込んで来る。地方行政のお知らせやキャンペーンは、町内の回覧板を通してやって来る。しかし、現在の主要な媒体は、テレビや新聞である。(新聞に関しては、ネットに押され衰退の一途をたどっているという論者もいる)他に、電車やバスや駅や通りなどの公共的な空間での看板や電子公告などがある。また、電話セールスやネット広告もある。わたしたちは、膨大な広告空間の中に存在している。

 現在にあっては産業としても成り立つ、膨大な厚みを持ってしまった広告宣伝ということを、わたしの小さい頃に当たる半世紀ほど前を思い起こして、比べてみたことがある。当時は、町の所々の民家の壁に「おたふく綿」や薬の宣伝などの看板を見かけた程度である。また、めったに見ない映画にもニュースや広告宣伝が付いていたと記憶している。現在のように広告が産業として成り立つようになったのは、高度成長経済を経た消費社会の浸透や高度化と対応しているだろう。そして、広告産業の自立と高度化に大きな貢献を果たしてきているのは、電子網を通じてわたしたちの生活世界と連結し、音と映像と言葉を駆使して大量の情報やドラマや広告などを、わたしたちの生活世界に送り込むことのできるテレビの登場だと思う。

 わたしたちは、テレビを通して流れて来る大量のコマーシャル(広告宣伝)を別に奇異には思わないほどにはそれに慣れてしまっている。もちろん、ドラマを途中何度か断ち切るのでじゃまくさいとか、あるいは、ちょうど興味深いという話題のところでコマーシャルに入るので番組制作者たちにいやらしさを感じるとかはあるだろう。さらに、番組の合間に流すテレビコマーシャルは、一昔前よりも流す量が増えている。二つ三つだったのが、今では四つ五つになっている。おいおい、まだ続くのかい?とうんざりすることが多い。したがって、わたしは長いドラマなど録画してコマーシャルを早送りして観ることが多い。また、テレビやネットを通しての物の購入も拡大してきている。テレビショッピングの番組が、商品の紹介に登場する人物たちの番組の中での人柄や薄い物語性とともに受け入れられている。何だろうと思って観ていたら、体験者の物語性を織り込んだ青汁の宣伝番組というものもある。
 
 ところで、テレビコマーシャルには、体験者の体験談として素人みたいな人々も登場するが、主要にはスポーツ選手やら芸能人などの「有名人」が登場する。まったく企業や企業活動とは無関係な「有名人」が、代わって広告宣伝する。もちろん、これにも先例はある。にぎやかな音楽を振りまきつつ街を練り歩くチンドン屋である。ただ、現在のテレビコマーシャルは、チンドン屋のような企業の宣伝代行そのものということはなくなりはしないけれども、また、そのようなストレートなコマーシャルもあるけれども、商品やその広告宣伝ということから相対的に独立した物語性(虚構性、芸術性)の水準を獲得している。このことをコマーシャルを観る私たちの側から言えば、商品を買うか買わないかという選択領域以外のところで、面白さや風変わりなイメージや心に染み入るような思い等々をひとつの物語性として味わっている。

 あの人はいい人柄だから、信じるとかあの人の会社から購入したいとかいうことは、わたしたちの日常によくあることである。ということは、現在のような商品の宣伝からずいぶん離れたような物語性を持ったテレビコマーシャルでも、商品購入への通路や誘いとして機能していることになる。


①  ある企業→特定の商品→ある有名人→ある有名人演じるコマーシャル→消費者→その商品の購入(企業側からコマーシャルを見た場合)

②A ある有名人演じるコマーシャル→面白さやしみじみなどの感動または無感動→そのイメージとしての残留

②B ある有名人演じるコマーシャル→面白さやしみじみなどの感動→有名人≒特定の商品→その商品の購入


 ①は、企業側からテレビコマーシャルを見た場合の流れ。②は、わたしたちテレビコマーシャルを観る側からの流れ。②Aは、テレビコマーシャルを観ても消費行動につながらないでそれで終わる場合。②Bは、その商品購入に至る場合。有名人≒特定の商品ということは、ほんとうは有名人≠特定の商品であるが、その両者がテレビコマーシャルによってある通路を通って結びつくことを意味している。この通路は、今では大げさに見えるかもしれないが、巫女やシャーマンを仲立ちとして神とつながる宗教的な通路と同じだと思う。つまり、わたしたちは、依然として知識人や芸能人などの「有名人」を仲立ちとして商品に結び付けられている。遥か太古の巫女(みこ)やシャーマンに対する崇(あが)めるような感情や意識は、「有名人」に対するものとして形を変えて現在にも生き残っていることになる。

 嵐演じる「年賀状、ください」というコマーシャルに戻る。嵐は、誰に対して「年賀状、ください」と言っているのだろうか。まず、演者嵐は、ドラマの登場人物となって、架空のドラマ上の自分の知り合い(現実的なかれらの知り合いではなく)に対して「年賀状、ください」と語りかけている。そして、そのことは同時に、このテレビコマーシャルを観ているわたしたち観客に対して、(年賀状が欲しいな、年賀状出そうよ)とわたしたちの知り合いに成り代わり、わたしたちに語りかけていることになる。

 以上の物語性を持ったドラマであるコマーシャルを越えていけば、年賀状を増やしたいという企業の顔や意志と出会うことになる。たぶん、年賀状を誰に出すとか年賀状を出さないとか、あれこれ言われたり、やんわりと強制されたりする筋合いはない、大きなお世話だというわたしの感じとったものが、コマーシャルの中の企業意志の浮上あるいは浸透に触れて反発したのだと思われる。






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 日々いろいろ―テレビニュース・熊本の「奇祭」から


 11月4日、テレビニュースで担いでいる神輿を投げたりする熊本の「お法使祭り」と呼ばれる「奇祭」を取り上げていた。すぐに柳田国男がそれに類すること(子どもの地蔵転がし)に触れていたのを思い起こした。この「奇祭」についてネットで調べてみると、


 お法使祭(おほしまつり)の名前について

御法使の当番区では、それぞれ「御仮屋」を建て、
一年間御神体を安置し、翌年、次の当番区へ「受け、渡し」が行われます。
この祭りの特徴は、オホシサンを神輿に安置し、この神輿を受け渡し場所へ運ぶ途中に、道や田畑に投げ落とす荒神輿で大変珍しい祭りです。

※オホシサン・・・天宇受売命(あめのうずめのみこと)(天の岩戸にお隠れになった
天照大神にお出ましい頂くために岩戸の前で踊られた女の神様)といわれています。
また、猿田彦命(みちしるべの神)という説もあります。
(
http://www.tre-navi.jp/toretate/?p=8547)


 これは、「おこうぼうさん」等と言われ祀られている(古くからの石棒あるいは陰陽石も脇に置かれているものもある)のが、弘法大師と直接の関係があるか疑わしいのと同様に、「オホシサン」というのも、挙げられている神に余り関係のない、もっと古い「神」を実質は指しているように思われる。弘法大師にしろ、挙げられている神にしろ、箔を付けるために呼び寄せられくっつけられたもので、そういう例は、この列島中に数え切れないほどある。


 祭りで神輿を「手荒く扱う」理由について


「お法使祭り」は菊陽町と益城町、そして西原村にまたがる12の地区が毎年交代で神様を祀るもので、年に一度の引き継ぎの日には、神様を喜ばせようと氏子たちが神輿を何度も畑などに投げるという奇祭です。
(RKK熊本放送 gooニュース、リンク切れ)


手荒に扱う理由は、「祭神が霧で迷った様子を表現した」、「道路事情が悪かった昔、みこしを落としてしまったのが始まり」など諸説ある。
( 「くまにちコム」、リンク切れ)


12年に一度しか巡ってこない神様との別れを惜しみ、受け渡し場に行く道中、神輿を地面に放り投げたり、転がしたりします。これがこの祭り最大の見せ場です。神輿を転がすようになった理由ははっきりしていません。一説には、天宇受売命が勝気な性格で荒神様ともいわれていることから神輿を投げるようになったのではないかということです。
(「お法使祭」日本の祭り、リンク切れ)


 要するに、長い時間が経ち、世代も次々に入れ替わり、祭りの本来の意味がわけがわからなくなっているということだろう。こういうこともこの列島にはたくさんある。わけがわからなくても祭りの形として受け継がれている。わたしには、①の「神様を喜ばせようと氏子たちが神輿を何度も畑などに投げる」ということが確からしいものと思われる。投げるといってもこれは人々と神とが遊んでいるということで、この祭りは、以下に取り上げる「地蔵転がし」などの、この列島に長らく伝わってきたとても古い時代の慣習や祭りと同根のものと思える。

 次の例は、山形の「地蔵転がし」について触れている。


◆ 地蔵転がし
  子どもたちがお地蔵さんを引きずりまわしながら各家庭を練り歩き福を呼びます。 地蔵を手荒に扱うのは仏との親交ぶりを表し、無病息災や豊作の願いが込められています。 嘉永年間に地区の菅野惣八という人が自作の木彫り地蔵を背負い、四国や秩父などを行脚したそうです。その地蔵を地蔵堂に奉ったことから祭りが始まったと伝えられています。 子どもたちは二手に分かれ、縄でしばった地蔵を池や川につけては雪まみれにして家庭を回ります。玄関先に勢いよく地蔵を置き、たくさん雪が散らかるほど縁起が良いとされ、家の人は地蔵の頭をなでたり祈ったりします。
 (
http://www.city.obanazawa.yamagata.jp/1974.html)


 福を読んだり「無病息災や豊作の願い」が込められているということは、仏教や仏像がこの列島に流入する以前からの祭りや信仰の姿が、そこに込められ実践されているということになる。柳田国男がそのことに触れつつ、古い慣習や祭りの現在的な有り様について触れている。



 雨乞いの祈祷(きとう)にも、よく石地蔵はしばられました。羽後の花館の滝宮明神は水の神で、御神体は昔は石の地蔵でありました。これを土地の人は雨地蔵、または雨恋地蔵とも称えて、旱(ひでり)の歳には長い綱をしばりつけて、石像を洪福寺淵に沈めて置くと、必ずそれが雨乞いになって雨が降るといいました。(月之出羽路。秋田県仙北郡花館村)

 こういう雨乞いのし方は、ずっと昔から日本にはあったので、地蔵はただ外国からはいって来て、後にその役目を引き継いだばかりではないかと思います。


 子供が亡くなると、悲しむ親たちは腹掛や頭巾、胸当などをこしらえて、辻の地蔵尊に上げました。それで地蔵もよく子供のような風をしています。そうして子供たちと遊ぶのが好きで、それを邪魔すると折り折り腹を立てました。縄で引っ張ったり、道の上に転がして馬乗りに乗っていたりするのを、そんなもったいないことをするなと叱って、きれいに洗ってもとの台座に戻して置くと、夢にその人のところへ来て、えらく地蔵が怒ったなどという話もあります。せっかく小さい者と面白く遊んでいたのに、なんでお前は知りもしないで、引き離して連れてもどったかと、散々に叱られたので、驚いてもとの通りに子供と遊ばせて置くという地蔵もありました。
 なるほど親たちは何も知らなかったのですけれども、子供たちとても、またやはり知らないのであります。今頃新規にそんなことを始めたら、地蔵様は必ずまた腹を立てるでしょうが、いつの世からともなく代々の児童が、そうして共々に遊んでいるものには、何かそれだけの理由があったのであります。遠州国安村の石地蔵などは、村の小さな子が小石を持って来て、叩いて穴を掘りくぼめて遊ぶので、なん度新しく造っても、じきにこわれてしまいました。それを惜しいと思って小言をいったところが、その人は却(かえ)って地蔵のたたりを受けたということです。(横須賀郷里雑記。静岡県小笠おがさ郡中浜村国安)


 このようなつまらぬ小さな遊び方でさえも、なお地蔵さまの像よりはずっと前からあったのであります。昔というものの中には、かぞえ切れないほど多くの不思議がこもっています。それをくわしく知るためには、大きくなって学問をしなければなりませんが、とにかくに大人のもう忘れようとしていることを、子供はわけを知らぬために、却って覚えていた場合が多かったのであります。
  (以上、『日本の伝説』柳田國男 青空文庫)



 この熊本の祭りは、その趣旨はよくわからず、始まりは、江戸期とか言われているが、成長した神を神社に祀るなどよりもっと古い、たぶん人と神とが同列に並ぶような段階(縄文的、アフリカ的)の名残かと思う。一説に「神を喜ばせ、もてなす」というようなのが書いてあるが、おそらくそうだろうと思う。古代(国家)の成立以降の考え方の自然性からすれば、神や地蔵を転ばせたり、落としたりするなんてことは考えられず「奇祭」と見なすほかないから、おそらくそれ以前のものの名残だろう。

 柳田国男の書き留めているように、大人も子どももわけがわからなくても、子どもの「地蔵転がし」については、仏像を粗末に扱ってはならないという現在の常識の大人とそれ以前のもっと古い段階の神との交渉の仕方を無意識に体現する子どもとの間に溝がある。しかし、大人の世界にもよくわけがわからなくなっても、この熊本の祭りのように祭りの形として、つまり無意識的なものとして、その精神の古層が保存されてきている。

 その大人と子どもの溝は、ちょうど現在の世界政治の構図のように見なせないことはない。先進社会の「民主主義」と発達途上やそれ以前の社会の社会体制や宗教・思想などとの同在や対立などとして。これらが互いの良いところは分かち合えるようにして、現在の避けられないグローバル化が、剥き出しの「強欲資本主義」としてではなく、軟着陸するように進んで行けたらなと思う。






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 参考資料―『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』より
                            付(わたしの註)



 そしてこの近代国民国家なるものは、徳川期日本もそのひとつである近世国家とは重大な一点で決定的に相違していた。すなわち、近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家大事にかかわる必要がなく、不本意にもかかわらねばならぬときは天災のごとくやりすごすことができたのに対して、近代国民国家においては国民は国家的大事にすべて有責として自覚的にかかわることが求められた。

 幕末の日本人大衆は、馬関戦争では外国軍隊の弾丸運びに協力して、それが売国の所業などとはまったく考えていなかった。戊辰戦争で会津藩が官軍に攻められたとき、会津の百姓は官軍に傭われて平気の平左だった。天下国家は統治者階級の問題で、彼らの関知するところではなかったのだ。明治になって彼らの国民的自覚は多少改善されたかも知れないが、彼らが依然として国際情勢などには無関心だったのは、明治十七年に出版されたある書物で次のような慨嘆が洩らされていることでも明らかである。

「わが三千七百万の同胞兄弟は、やれ徴兵煙草税と、内々苦情を鳴らす頑固親父殿は少なからぬも、外国との関係はどうなっているか、白河夜船の高いびき……これこそ無気力の奴隷根性、……ああ、かようなる腰抜人足は、たとい日本が赤髭の属国になっても、同じくヘイヘイ、ハイハイと頭を下げるに相違なく」云々。

 当時の識者たちは福沢諭吉以下みな、国民の知識が低く愚かなことに痛切な憂慮を抱いていた。なぜ憂慮すべきかというと、国民が自覚して国政に参与し対外関係を自覚しないとすれば、インターステイトシステムの中におかれた日本国家の将来は甚だ危いからである。インターステイトシステムとは、国際社会が国民国家(ネイションステイト)間のかけひきのシステムとして減少することをいう。万国対峙といっても、帝国主義といっても同じことである。一九〇〇年前後には、国家というものは他国との戦争を含むかけひきを勝ち抜くことなしには生存できぬという感覚が、疑うべからざるものとして共同認識化されていた。だとすれば、勝ち抜くための最低要件は国民全体が国家目的に献身することである。(引用者の註.この認識は、政治担当層や一部の知識層のものであろう。しかし、現在の構図ともよく似ている。)
  (『明治の幻影―名もなき人びとの肖像』P96-P98 渡辺京二 平凡社 2014年)


 だが、その義勇公に奉ずる勇敢な日本兵も、望んで戦場に屍をさらしたわけではなかった。彼らをやむをえぬ義務に駆り立てたのは、国民の自覚である以前に共同体への忠誠のゆえではなかったか。彼らは何百年というあいだ、村共同体への忠誠義務をほとんど肉体化していた。この伝統は一五、六世紀の惣村の成立に始まる。

 戦国の世、惣村は自衛せねばならなかった。惣村はミニ国家といってよろしく、水争いなどで隣村としばしば合戦を催した。その際村民は必ず戦闘に参加せねばならず、もし逃避すると罰され、戦死すると遺族は村によって扶養された。……中略……このような村全体の存続のために成員が自己を犠牲にする心性こそ、明治新国家における国民の忠誠義務、一旦緩急あれば義勇公に奉ずる献身の義務を国民一人ひとりに叩きこむ土台となったと考えて誤りはあるまい。

 村を国家の次元に拡大すれば、お国のために死ぬことが納得できる。だが、村と国家との間には絶対的な違いがある。戦国期の村はいささかミニ国家の風があったが、それでも村の生活は上部権力の興亡とは次元を異にする日常の明け暮れだった。日常とは自然との交渉であり、隣人・家族との関係であり、インターステイトシステムにおける国家利害とは本質的に無縁な生のありかたである。村のために死んでくれといわれる覚悟はしているが、それすら自分たちの日常を守るためであって、国家の統治はもちろんのこと、ましてや国家間の外交など自分たちには何の関係もない領域である。

 明治以降の知識人は、いや徳川期の識者ですら、こういう日常の生活圏に自足する熊さん八さん、太郎兵衛次郎兵衛を無学な愚民とみなしたが、実はこういう庶民の日常に自足したありかたこそ、人間という生物のもっとも基本的な存在形態なのである。
  (『同上』P100- P102 )


われわれの本来の生活は国家と無縁であるべき個の位相にあるはずなのに、国家のうちに包摂されてそれと関係を持たざるをえない必然に責任を負うてゆかねばならない。この根本的な裂け目に架橋しつつ生きてゆかねばならぬのが、現代人たるわれわれの運命なのか。
  (『同上』P107- P108 )


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 (わたしの註)

 ―現在につながる、普通の人々の置かれた状況の明治近代に強いられた転位


 簡単にまとめると、明治という新しい時代になっても、普通の人々の意識は、「近世国家においては統治者以外の国民はおのれの生活圏で一生を終えて、国家大事にかかわる必要が」ないというものだった。しかし、村落共同体の中の一員としての村社会への関わり方(註.1)が、国家レベルのそれへと写像、接続されていった。このことは、従来の普通の人々の置かれた状況からの位相的な転位に当たる。つまり、関わりの構造自体が変容し繰り上がってきたのである。

 わたしは、中国の「鼓腹撃壌」(普通の庶民の側から見れば、誰が政治をやっているかわからないくらい、政治とは無縁に平和で安楽な生活を喜び楽しめる社会)と言う言葉に込められたイメージがなぜか気に入っている。たぶんこの列島を含むアジア的な社会や制度の持つ日常生活圏と政治や文化上層間の目も眩むほどの断絶や距離感の精神的な遺制から来ているのかもしれない。

 政治というのは、もともとは意識的あるいは無意識的に普通の生活者住民の代行に起源を持つはずである。もし、そうでなくはじめから富や力を集約して力を手にした者が支配者の座に着いただけなら、力の強いものが統率する動物社会の群れの構造となんら変わらない動物生段階そのものであるからである。もちろん、現在の社会や世界を見渡せばわかるように、そういう部分も邪悪さを含みつつ次第に芽生えたり織り込まれたりしてきたものと思われる。

 アジア以前の、つまり日本では古代国家以前に相当するアフリカ的な段階では、普通の人々は奴隷的な状態にあり、一方、王には絶対的な権限が与えられ、その代わり住民に災いをもたらす失政が続けば、その王は殺害されるという「殺され王」という政治運営の形態もあったらしい。遙か遠くのそのような様々な試行錯誤の末の政治として現在があるのだとは言えるけれども、政治の現状を見れば国内も世界も、今でも生活者住民の代行以前の段階にあり、理想的な状態からはほど遠い。

 著者は、引用の最後の部分で、近代以降は、それ以前の共同的な意識に埋もれていた個の位相が突出してきて、個が近代国家のうちに包摂されてそれと関係を持たざるを得なくなった状況を、「現代人たるわれわれの運命なのか」と疑問符と共に記している。

 わたしたち普通の生活者住民は、一般に仕事としても思考の基盤としても日常の生活圏から離脱しない。このことは現在でも前提的なものと見なせるだろう。もちろん、近代以前の普通人は、現在と違って生活以外には上層の文化や知識とはほとんど無縁であった。現在では、普通人と学者や評論家との境界が不分明になってきていて、普通の生活者住民が時代の先端的な知識や文化に関わったり、出入りしたりできるようになってきている。これは一面では個にとっての自由度の拡大であるけれども、その反作用として日常の生活世界というものに対する浮力としても働く。つまり日々の生活という具体性の手触り感などが抽象化や人工化の浮力を受けるということである。したがって、わたしたちは普通の生活者住民としてその生活世界を価値の中心として感じ考え位置づけるという意識的な姿勢が、現在では今までになく必要になってきているように思われる。

 明治近代以降、わたしたちの生存が社会の方へ過剰に引き寄せられたり絡め取られたりする構造になってきているとしたら、その関係の構造自体の中に、わたしたちの生存の重力の中心である日常の生活世界をしっかりと確保できるような社会にしていくほかない。例えば、誰が政治に参与しようが良いとしても、わたしたちの政治に対するリコール権だけはしっかり位置づけ確保するなど。わたしたちが放っていても官僚や政治家がきちんと代行して政治や経済の運営をするだろうなどということは、現実にない教科書民主主義に過ぎないし、残念ながら、いまだかって歴史にないことである。したがって、わたしたちは寝転んでいたり放っていても、きちんと代行されることを夢見て、現在にシビアに対応していくほかない。
 
 また、この消費資本主義の段階に到って、吉本さんが孤独な作業の中から抽出してくれた、GDPの6割を占めるようになった家計消費の意味、つまり、わたしたち普通の生活者住民に一人ででも家族でも昼寝してても行使することのできる経済的な力(権力)が転がり込んできたということ。現在のところは生活防衛的な家計消費の引き締めであるだろうが、わたしたちが家計消費(選択消費)を一斉に控えればもうわたしたちは政権を追い落とせるかもしれない。政府リコール権がなくても実質のリコール権を手にしていることになる。わたしたちの置かれている現状を著者のように少し悲観的に見る必要はないと思われる。


(註.1)

 著者は、「この伝統(引用者註.「村共同体への忠誠義務」)は一五、六世紀の惣村の成立に始まる」と述べている。しかし、著者も考慮に入れているかもしれないが、それはもっと古い流れを持つのではないかと思う。おそらく農耕が本格化してきた古代辺りから、屋根の葺き替えやそのための茅の確保や干拓仕事や田んぼの整備や虫追い祭り等々、集落の集団で責任を分かち合いながらの活動や行事は、それらがほぼ消滅に近づいてきている現在と比べものにならない位多く、密接なつながりが集落の成員間にあったはずである。したがって、これらの集落の中の組織性という長い経験の蓄積は、中世の惣村につながり、その原形に当たると思われる。

 ところで、柳田国男の本をずっと少しずつ読みたどってきて、ここに書かれていることはいつの時代のことだろうかと思うことがしばしばあった。いつ頃のこととちゃんと書いてある場合もあるが、時代や時期が不明な記述も多くある。膨大な資料収集をした柳田国男だが、彼の目指したのは、まず日本人の精神の古層を発掘し、その移りゆく過程をたどりながら日本人の精神史を描こうというモチーフの実現である。さらに大きな構想としてそこから世界レベルへの拡張も考えていた。

 柳田国男は、しばしばA→Bへと移りゆく過程の中間の過程はどうなっていたかということを問題にしている。要するに、精神史というのは、何らかの形でその古層も保存されつつ時代と共に段階を踏んで変貌していくものでなく、何々時代はどれそれというものではない。時代とは別の大きな流れとして段階を踏んでいくものと思われる。A→Bへと中間にいくつもの小段階を踏んで移りゆく。したがって、ある程度時代との対応をはずれた〈段階〉という捉え方になっている。精神の古層からの〈段階〉とそれが飛躍していく〈転位〉として大多数の普通の人々、主に農耕民の精神の歴史が記述されている。わたしも、〈段階〉的なイメージの移りゆきとして、漠然と「二昔前」というような表現をすることがある。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑩


 ただ今でテストの結果分る声
      (「万能川柳」2015年12月25日 毎日新聞)



 作者名から作者は女性であるから、おそらく母親の位置に立って学校から帰宅する子どもの様子を捉えた作品であろう。子どもは、「ただ今」と言っているだけであるのに、母親は、今日テストがあって(これは事前に知っていたのかもしれない)その結果が良かったか悪かったかがまるで占い師のようにわかるということが表現されている。

 しかし、このようなことはわたしたちの日常では普通のことである。個人差があるとしても、一般に人のうれしい悲しいつらいなどの内臓感覚的な感情は、顔の表情や言葉の微妙な力強さやか細さなどのしゃべり方として表に現れてくる。そして、自分が何か気がかりみたいなものを抱えていて、それに気付けない場合があり得るとしても、こういう言葉そのものに拠らないコミュニケーションは、現在なお生きて活動している。これはおそらく人間の歴史としてもより古い層に属するものと言える。一人の生涯で言えば、生まれて言葉を覚え始めるまでに形成され、表現として使われる初源の言葉ということができる。吉本さんは、このような言葉の古い層でのコミュニケーションを「内的コミュニケーション」あるいは「内コミュニケーション」と呼び、胎児から乳児に至る時期に形成される母子関係に発祥すると見なすほかないと考えていたと思う。まだ、子どもが言葉を覚える以前の互いに察知するコミュニケーションのことである。その察知力を普通以上に鋭く研ぎ澄ませ統御できる力を偶然に持たされた者が占い師や霊能者と呼ばれる人々だろう。


  その思い込みの元というのは察知能力です。つまり、相手の表情をみたとか、相手をみたら何を考えているかをだいたいわかるような気がする。特に親しい人や恋愛関係の人となると、その人の精神状態がすぐわかっちゃうというのは、元をただせば、正常な能力なわけです。言葉ではないんですが、それを内コミュニケーションといえば、すでに胎児の5~6ヶ月の段階から成り立つということがいえることになります。
 では、内コミュニケーションの段階の範囲というのはどこまでかというと、それもみなさんご存知のように、1歳未満で初めて人間は言葉を覚えますから。受胎して10ヶ月して出産されて、乳児ということになるわけですけど、1年未満の段階の乳児までの間に、この内コミュニケーションの原型ができてしまうというふうに理解すればいいと思います。つまり、言葉ではないんだけど、言葉に似た、言葉以前の段階でそれができてしまう。どう考えても、胎児5~6ヶ月から1歳未満までの間以外にできる過程があり得ないわけですから、その段階までに内コミュニケーション、つまり言葉なき言葉といいますか、言葉以前の言葉みたいなものでわかってしまうという能力というのは、そこで形成されるというふうに考えるのがいちばんよろしいだろうと僕は思います。
(A124『言葉以前のこと─内的コミュニケーション』、「2察知能力・思い込みと内的コミュニケーションの異常」より 吉本隆明の183講演)(註.有り難いことにこの講演も書き起こされたテキストもネットにある。それを借りた。)



 このように、わたしたちが日頃意識的、無意識的に使って表現している言葉というものには、曖昧さを含みつつ察知することから明確に何ものかを指示するということに渡るひとつの層成す構造がある。この構造の下限には言わなくても分かるなどに対応する言葉の世界があり、上限には刺戟→反応のようなクリアーなコミュニケーションやその理論の世界がある。そして、遙か太古から現在までの人類の歩み(歴史)を包み込んだようなものとして、その下限から上限までが複合されて言葉は発動しているものと考えられる。また、わたしたちが作品を読むときにも、下限から上限に渡って言葉を発動しながら読んでいることになると思われる。

 最後に、ひとつ付け加えておきたいことがある。ウィキペディアにもある「ブーバ/キキ効果」についてである。


。「ブーバ」という言語音は曲線的な図形を,「キキ」という言語音は鋭利な図形を連想させるようです。この効果は,音声がある特定のイメージを喚起する(音象徴性)というものであり,ゲシュタルト心理学で知られたW.ケーラーが見出し,V.S.ラマチャンドランが広く紹介したものです。音と形は無関係ではないことを示す格好の材料であり,音声に伴うイメージに対して,比較的それに合う図形があることを容易に示すことができます。(木藤恒夫 「音と形の心理学」 http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/63/63-30-31.pdf)


 この「ブーバ」と「キキ」という言葉、あるいは初源的な言葉が、地域や文化や人種を超えて、高い割合でまるっこい画像ととんがった画像とにそれぞれ対応するらしい。たぶん多くの者がうなずきそうな気がする。これも上の「内的コミュニケーション」と同様の、人類の普遍的な古い層としての初源的な言葉の有り様を示唆するものかもしれない。言葉とその語音とは、遙かな不明の靄の中、恣意的なつながりと見なされているのかもしれないが、一考の余地があるかもしれない。柳田国男は、わが国の地名はその土地の形状から来ていると述べている。この場合に、その「ブーバ/キキ効果」があるのかどうか分からないし、また、わたしにはそれを確認する力量はないけれども、土地の形状と言葉としての地名の対応からさらに何か明らかにできることがあるのかもしれない。

註.「ブーバ」と「キキ」の画像

 






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 関口知宏の旅作品の中のエピソードから


 NHKBSに、「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」という新しい番組がある。以前、関口知宏のヨーロッパの鉄道の旅は放送されたことがあるから、再放送かなと思って調べてみたら、新規のものだった。オランダ編を最近やっている。昔、彼の中国大陸の長期にわたる旅(『関口知宏の中国鉄道大紀行 ~最長片道ルート36000kmをゆく~』2007年)を観続けたことがある。構想され撮影され編集された、仮想の旅体験を興味深く味わった。思い出したエピソードがある。

 もう旅も終盤の中国の辺境の地だったと思う。そこで関口知宏の小走りが女性風だったからか、その地の子どもたちがおもしろがって追いかけてくる場面があった。関口知宏は、作品の舞台にリラックスしつつも少し張り詰めて、登場人物として登場している。つまり、映像作品の登場人物に変身してしまっている。

 しかし、登場人物になってしまっても、関口知宏の固有の性格的な行動が無意識として滲み出す。この小走りは、意図的なものではなく映像作品の舞台に立った登場人物(関口知宏)の性格的な無意識の表現に当たると思う。

 あらゆる芸術表現において、作者や登場人物たちの、こうしよう、そのように組み立てようなどの意識的な表現とともに、このような無意識的な表現が、作品には織り込まれている。その無意識的な表現には、登場人物や作者の性格のような場合もあれば、時代の流行や風俗習慣など時代の性格のような場合もある。この無意識的な表現(選択や行動)は、無意識故に登場人物や作者たちの意識を超えている。つまり、はっきりとは意識され得ない。

 ただ、作者の側からも読者(観客)の側からも、作品を意識的に作り上げていくという面と、それに織り合わされる無意識的な面とを明確に分離することは難しいように見える。以上のことは、芸術表現に限らず、政治的な表現も含めて、あらゆる人間的な行動(表現)に当てはまるはずである。

  (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


 






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 表現の現在―ささいに見える問題から ⑪ (ルビによる表現の拡張)


 毎日新聞の「万能川柳」から作品を抽出して、以下にA群とB群に分けてみた。語のルビという表現から短詩型文学の表現の現在を少し考察してみる。


A-1 嫁が風呂入るまで息子(こ)の電話来ん (2014年10月30日) 

A-2 鏡みる亡母(はは)に逢えるが嬉しゅない (2014年11月04日)


B-1 雨音は雨音でしかない凡人(わたし) (2014年10月30日)
 

B-2 娘の写真背景(まわり)鑑定してる父 (2014年11月07日)

B-3 コマよりもぴったりのルビ独楽(スマホ)です (2015年01月10日)

B-4 体中(あちこち)が主張するんだ年とると (2015年01月10日)

B-5 犬(キミ)と見る視線の先は別のもの (2015年03月07日)


 A-1の作品は、後で述べるが、二通りの捉え方ができると思う。つまり、一点に絞り込んだ意味としての確定が難しい。その他の作品は、大意をたどる必要もなく読者に意味は伝わると思う。

 A群のルビは、語の元々の読みや指示する意味に近い。A-1では、子でもいいはずであるが、娘ではなく息子であることを表現するために「息子(こ)」という表現にしたのだろう。「嫁」という呼び方から作者と嫁は中年位で息子は大学生かそれ以上であり、この「息子(こ)の電話」は、二通りに受け取れる。「息子への電話」と「息子からの電話」との二通りである。家から学校や会社へ通っている息子が、家に居るのなら、彼女(恋人)からの電話であろう。息子が進学や就職で家を出ているのなら、息子が家に電話するということになる。いずれの場合も、母親が息子に対しておしゃべりすぎるか口うるさいからか、母親が煙たがられているということであろう。A-2では、作者の母親なんだけど、もう亡くなっているということを表現するために「亡母(はは)」という表現になっている。

 B群のルビは、語の元々の読みや指示する意味から離脱したものになっている。この中でも、B-2と4の作品の、「写真背景」(まわり)や体中(あちこち)は、語の元々の読みではなくて指示する意味の方での離脱の度合いは低い。残りの作品は、語の元々の読みや指示する意味から離脱していて、語とそのルビとが読者が読み取れるような意味つながりでつなぎとめられている。

 語とそのルビによる表現によって、A群のような複雑な指示性(説明)を盛り込んだり、B群のように「写真背景」や「体中」などの固い言葉を(まわり)や(あちこち)のように柔らかい日常感覚的な言葉にしたり、あるいは、凡人(わたし)や犬(キミ)のように対象を説明的に二重化したり、独楽(スマホ)のように、「独楽」という語のイメージからその読みを超えて新たに(スマホ)と読んだ方がふさわしいという表現になったりしている。このようにB群の中は、さらにいくつかに細分できそうである。B群の中では、B-3の独楽(スマホ)という表現が一番高度なものだと言える。言いかえると、あまり見慣れない新しい表現だと言える。

 そして、B-5の作品を除いた他の作品は、作者たちの表現の欲求と5・7・5という音数律からの形式上の要請とがうまく出会ったところで作品の表現が成り立っている。つまり、「息子(こ)」でも「亡母(はは)」でも「写真背景(まわり)」でも、5・7・5の音数からのちゃんと音数に収まるようにと言う要請にも応える形になっている。5・7・5の短詩型の音数律に乗りながら表現が貫かれているのである。






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 日々いろいろ 2016.1.13


 新しい事態が登場したり、困難が訪れたときの人や組織の振る舞いには世界普遍性がありそうに見える。解決の難しいものが押し寄せたり、深い衝撃を個が受けたとき、その問題解決の意志や志向がまともにぶつかっていく場合もあれば、「気晴らし」を求める場合もある。いっそう追い込まれた状態としては病と見なされる「退行」ということがある。しかし、いずれも問題解決の方法であることには変わりがない。
 もうだいぶん摩擦は鎮静化しているように見えるが、ケイタイの登場と使用もしかり。最初期は、喜んで活用する前進と頑固な拒否の後退があったのではなかろうか。日々の時間の蓄積が個々の心から精神に渡る振る舞いを沈静化・自然化していく。つまり、人は新たな事態に慣れていく。もちろん、新たな事態への相変わらずの異和も残るかもしれない。私たちは、明治期のチョンマゲからハイカラへなど無数の新たな事態に遭遇してきている。

 現在の先進諸国の排外的な動向やわが国の古ぼけた復古やイスラム国の復古。頑固な先祖返り。しかし、それらは現実的には不可能な、後ろ向きに前に進むことであり、どんなに元気盛んにスローガンを打ち上げても、解決の不可能性の意識の象徴に過ぎない。現在に問題群として押し寄せる困難な波を安易に避けようとしているに過ぎない。そして、生活者住民たちは、相変わらずとばっちりを受け続けている。

 私たちは、遙か遠い人間や人間社会の始まりからの新たなくり返しを―問題の根はそこに始まっているだろうから―、この高度で複雑になってしまったように見える現在の人間や社会において、何度でもくり返す他ないのだろう。現在的には、何のために存在し、何をするべきか、まったくわかっていない逆立ちした政治代行を私たちの住民世界に取り戻すこと。

 ただし、私たちの前に立ち現れる問題群がいかに複雑に絡み合っているように見えたとしても、その場合の感じ考え結論する土台は、遙か遠い人間や人間社会の始まりから連綿と続いてきている、日々の具体性を帯びた生活者住民という、小さく見えようとも歴史普遍、世界普遍の土台である。

 すべての「起源」を思え、これは個人の歴史としても、人類の歴史としても大事なことだと思う。例えば、うまく歩けなかったり、言葉が操れなかったりする小さい頃があったということ。横着に振る舞う自分や組織の戒めにもなる。

  (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています) 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑫
(又吉直樹の『火花』から)


 作品の中の自然描写は、登場人物たちが作品世界でいろんな関わり合いやドラマを演じていく上で必須のものというわけではないように見える。けれど、作者が物語世界に語り手を派遣して、登場人物たちの振る舞いや内面の流動を表現する時、わたしたちが日常において場のふんい気を大事にしたり自然物の様相に目をやり心なごませたりするのが必須なことのように、場のふんい気や色合いを生み出すのに自然描写は必須なものとして大きな貢献をしているように見える。

 作者は、物語の起伏だけでなく、自然描写や情景描写にも同様に力こぶを入れているはずだ。すなわち、この作品というひとつの世界の構成に全力を注いでいる。それがうまくいったかどうかはわからない。しかし、主人公「僕」が師と仰ぐ「お笑い芸人」の神谷との関わり合いを通して、作者が体験してきている〈芸〉の世界を切り開き、読者をそこへ引き込み読ませるというひとつの世界を造型できたことだけは確かである。


 午後七時に池尻大橋の駅前で待ち合わせた。色づいた銀杏を見て、秋だと感じ、そのあまりに平凡な意識の流れをみっともないと思った。
  (又吉直樹 『火花』P108)


 これは、語り手でもある主人公「僕」の内面の記述であるが、読者であるわたしにとっては少し唐突な感じがする。わたしたちは、心や意識を集中して何か考え事をするとか内省するとかの場合ではなく、街を歩いているなどの心の自然な状態では、普通このような内面の流れを持つことはない。したがって、この部分は主人公の「僕」が急に芸人としての意識にとらわれたか、あるいは作者が乗り出してきたかのいずれかである。わたしにはそれらの両方が複合された表現だと思われる。

 作者は、「僕」という「お笑い芸人」の主人公(語り手)を設定し、師事する先輩芸人の「神谷」との関わり合いを通して物語に起伏をもたらし、〈芸人〉として思い悩み考えていることや〈芸〉とは何かなどを浮かび上がらせている。作者は、おそらく〈芸〉というものの新鮮な本質に触れたいのだ。そして、そのことは翻れば、この作品世界のあらゆる描写において―自然描写や情景描写にも―、そのような新鮮さを表現として貫徹したいのだ。次に引用するのは、「紫色に暮れ出す」と「一様に黒っぽい洋服」と「冬っぽい匂い」ということに、普通そうかなあとわたしは少し異和感を持ったが、おそらく普通の見慣れた描写(レベル0)と見なしていいのだろう。


(レベル0)

1.辺りが紫色に暮れ出すと雨粒が僕の方を濡らし、次第にシャツを濡らした。
  (『同上』P29) 

2.年の瀬の街を行く人々は一様に黒っぽい洋服を着てどこか足取りも慌ただしげに見えた。  (『同上』P36)

3.部屋に入ると、自分が着ている上着から冬っぽい匂いがした。
  (『同上』P89)

4.十一月の半ばを過ぎ、本格的な冬の到来を感じさせる風が吹いた頃、神谷さんの居場所を知らないかと大林さんから電話があった。
 (『同上』P135) 



 自然描写や情景描写が(現在において)普通の表現ということは、わたしたちが特別の驚きや感情の高ぶりや感動などを持つことなく何かを見ているような(現在的な)心の状態に対応している。つまり、コンサート会場やお祭り会場でのなんとなく心高ぶる状態(心の励起状態)ではなく、平静な心の状態(心の定常状態)の表現と見なすことができる。そして、いずれの表現も、作品世界の流動していく場に合わせたふんい気や色合いを生み出していく。

 次の引用は、普通の自然描写とは違った不明の表現を含めて、特別な驚きや感情の高ぶりを持って風物を眺めるような心の状態に対応している描写の部分(レベル1)である。これは作者としては「お笑い芸人」としての〈芸〉と同様に、表現における〈芸〉を意識し、試みたのではないかと思う。ただし、そのことの意味は別に検討されなくてはならない。


(レベル1)

1.熱海湾に面した沿道は白昼の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。
 (『同上』P3)
 
2.雨が上がり月が雲の切れ間に見えてもなお、雨の匂いを残したままの街は夕暮れとはまた違った妙に艶のある表情を浮かべていて、そこに相応しい顔の人々が大勢往来を行き交っていた。
 (『同上』P35)
 
3.渋谷駅前は幾つかの巨大スクリーンから流れる音が激突しては混合し、それに押し潰されないよう道を行く一人一人が引き連れている音もまた巨大なため、街全体が大声で叫んでいるように感じられた。
 (『同上』P44)
 
4.買い物袋を持った人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切っていく。僕達はベンチに腰掛けたまま、夜の気配に言葉を溶かし、あらゆることを有耶無耶にして何事もなかったかのような顔でいた。
 (『同上』P60)
 
5.井の頭公園入口の緩やかな階段を降りて行くと、冬の穏やかな陽射しを跳ね返せず、吸収するだけの木々達が寒々とした表情を浮かべていた。
 (『同上』P76)
 
6.この小さな劇場では毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が、この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑うのだ。
 (『同上』P124)



 
 まず、不明な描写から。2.の「そこに相応しい顔の人々」、3.の「それに押し潰されないよう道を行く一人一人が引き連れている音もまた巨大なため」、4.の「人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切っていく」、これらはなんとなくわかるけどわたしにとっては不明な表現に属している。2.は、ある通りが若者向けの街でそれにふさわしいファッションに身を包んだ若者たちが行き交っているというのならわかるが、それとは少し違うことを指示しているように見える。3.の一人と一人の引き連れる音が、連れとのお喋りや足音などから生まれるとすれば、それらを合わせた音がどんな感じか東京を歩いたことは何度かあるが、そんなに巨大な音になるのかなという疑念と共に静かな地方都市住まいのわたしには実感が湧いてこない。4.は、3.と違って実際の音がもちろん聞こえてくるわけではない。ただにぎやかな通りを抜けてきたら、一般的にはどことなく心に微妙な変化が起こっているかもしれないということは言えそうだ。

 1.5.6.は一連の表現と見なすことができる。見慣れない表現だから、あれ?と読者が立ち止まる箇所である。いずれも無生物が動作主体のように描写されている。1.は典型的な励起状態の表現になっている。5.は、もちろん木々も絶えず活動しているわけだが、理科の分析的な捉え方のイメージがする。「寒々とした表情」というのは語り手が感じ取っていることである。6.は、この種の励起状態の表現の失墜例に当たっている。つまり、お笑いの芸でいえば、すべってしまった表現である。わたしたちが信じてないけどそんな冗談を言ってみたりすることがあるような、通俗性の表現になっていると言ってもよい。

 しかし、1.から6.は、少々ぎこちなさを伴うけれど、普通の描写を超えて励起状態の表現を作り出そうという点では共通している。ところで、3.の描写がいくらか他の描写より気づきやすいと思うが、作者が物語世界に派遣した〈語り手〉の視線の位置がはっきりしない。通りや街中に主人公の〈僕〉として居て対象を見ているのか、それとも街や駅などの全体を見渡す視線を行使しているのかはっきりしない。こういう疑問を挙げるのは、後者ではないかと思うからだ。おそらく描写のぎくしゃくした感じは、作者が語り手の方に概念のようなものになって(いい表現を思いつかないが)乗り出してきて描写に参画しているからではないかと思う。

 この又吉直樹 『火花』の自然描写や情景描写を考えていたら、大正末期に登場した「新感覚派」と呼ばれた表現を思い浮かべた。その中の横光利一を少し知るくらいである。横光利一の短編小説「頭ならびに腹」(1924年 大正13年)によく知られた有名な出だしの部分がある。


 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。(青空文庫より)


 この作品の描写の際に、作者が「新感覚派」の表現を意識していたかどうかはわからないけれども、先に引用した(レベル1)の1.の表現は、「新感覚派」の表現に類似する、あるいは模倣ということができる。模倣だとすれば、その当時の「新感覚派」と呼ばれた作者たちが表現の必然として取った表現の姿をアンティークとして新鮮味をもたらすように現在に蘇らせていることになる。確かに読み進みながらわたしの言葉の足取りは、それらの箇所に引っかかった。何か変だという異和を感知したということである。ただし、文体の新鮮みは残念ながら感じなかった。

 次に考えられることとして、このレベル1の自然描写や情景描写を昭和初期の新感覚派の単なる模倣と見なさないならば、新たな社会の段階に対応する表現の必然的な姿の一つとして、次のように理解する他ない。

 作者も作品も、まずこの現在を生き、呼吸している。現在というものの性格について、どんな言い方でもできるだろうが、昭和初期の大きなテーマだった「都市と農村」の問題から、都市の中の小さな部分としての農村に現在は変貌してきている。前者の自然を利用したり作り変えていく第一次・二次産業中心の産業構成から、現在では自然性とのシステムを介した任意のつながりを持てる第三次産業中心の消費資本主義社会に変貌している。キュウリやトマトは、ハウス栽培などにより年中見かけるようになり、また冷蔵技術の向上により、ずいぶん長期間の保存も可能になったように見える。また、従来のいちいち現場に出向いて対面してという交通(やりとり)の自然性から、ネットやシステムを介していろんな場とのつながりをつけて情報を得たり手続きをしたりショッピングをしたり等が可能になってきている。これらを一括りにして捉えるならば、わたしたちの人間界における自然との関わり合いが、従来の生の自然な関わり合いから人工的な自然との関わり合いに一段階繰り上がってしまったということになる。わたしたち人間は、一般に変貌に少しずつ慣れていく。気づいたときには大きな変貌を遂げているということになる。

 この新たに人工化した自然(例えば、この年中あるキュウリやトマトも従来から一段抜け出た人工化した自然と見なせると思う)や人工的なシステムとの関わり合いの世界に、わたしたちは日々生活していて、変貌に少しずつ慣れて来たから、そのことにあまり異和感は持たないと思われる。つまり、新たな自然性の感覚を携えながらわたしたちは日々生きていることになる。又吉直樹 『火花』における自然描写や情景描写のレベル1の表現は、このようなわたしたちの一段階繰り上がった人工化した自然性の感覚から、おそらくその無意識的な内省として、人工化した自然物とわたしたちの関わり合いの自由度や任意性の象徴として取りだして見せたのではなかろうか。(註.わたしはまだ十全に捉え切れているとは思っていない。)たんなる新感覚派の模倣と捉えるよりも、この方が作品に即しているように思える。そして、以上のことは、実現できたかどうかは別にして、この作品が芸人を目指している「僕」を通して、今までを超える「芸」の姿形や深度を志向する「火花」をも秘めていることを意味している。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑬ (身体と精神の活動の不随性について)


 わたしたち人間は、動植物と違って自らの行動や世界の有り様などを振り返る(内省する)ことのできる存在である。もちろん、外に取りだして振り返ることなく動植物と同じようにそのこと自体を生きている存在でもある。現在のわたしたちの生存の有り様から見て、もし全てのものやことを共通のものとしてわたしたちが意識化して把握できるとすると、いいかげんさや遊びがなく、まるで脳の信号的な反応回路や電子回路のようで息苦しいものに見える。一方、作為や虚偽の接続回路も白日の下にさらされすっきりしたものに見えるかもしれない。しかし、わたしたち人間は、下限をあいまいな内臓感覚的なあるいは植物的な心を座とし、上限を脳のネットワークによる精神を座として、両者のある緊密なシームレスの織り成しとして行動している。

 現在では過剰な脳中心の社会になってしまっている。しかし、脳が大事な働きを果たしていたとしても、お腹や心臓などが重視されて様々にイメージされ脳というものが大切なものだと見なされていなかった歴史の段階も長らくあったのである。


1.無意識に息をするってすごいこと
           (「万能川柳」2016年01月16日 毎日新聞)

2.焼きそばを食べたくなったシュレッダー
           (「同上2016年01月19日)


 この作品の作者たちの行動を追跡してみる。両者とも、どうしてそういうことに気づいたのかは問わないが(このこと自体はまた別の難しい問題である)、ともにある気づきがやって来る。1.は、わたしたちが日常の生活で不随意性(自分の意志で動かせないこと)を持っていて、わたしたちが気づかない、知らない間にわたしたちが、あるいは、わたしたちの諸器官が、活動しているということに気づき、思いを巡らせ感動したという作品である。2.は、たぶん会社で要らなくなった貴重な書類をシュレッダーにかけていて、その裁断される紙の様子を見てまるで麺のようだというイメージの連結が起こり、そう言えば自分の好きな焼きそばが食べたいな、という、見ている対象と焼きそばという意外なものとのイメージの結びつきのおもしろさを表現した作品である。

 わたしたちが、自分たちの行動(物理的かつ精神的)について不明なことがはっきりしてくるということは大切なことであり、いいことである。不明ゆえにあれこれ悩み抜いたり、人間関係で無用な摩擦やくいちがいや離反などを少しでも軽減したり、避けたりすることができるかもしれないからである。同様に、芸術の表現においても、その表現に至る過程が明らかになることは、作品を十全に味わうためにも大切なことである。

 わたしたち人間の日々の生活は、身体器官を自分の意志で動かせないという不随意性(一般に、心臓は自己制御できない完全な不随意だが、呼吸を止めたり目を閉じたりなど不随意と随意を併せ持つ器官もある)だけでなく、心―精神に渡る活動でも知らない間にある行動をしていたというような不随意性に支えられている。もし、人間の身体的―精神的な諸活動が、脳や神経のネットワークのみに依存し、かつ、すべて自分に意識化されるものならば、わたしたちの日々の生活は、わたしたちの現在の有り様から見て、ぼおっとしたり、のんびりくつろいだりすることのない、なんと騒々しく神経症的なものに見えることだろう。

 わたしたち人間に張り巡らされてきた、身体から精神に渡る不随性と随意性とのシームレスな織り成しは、おそらく生命の発生及び人間の発生以来の積み重ねられてきた分厚い地層のようなものとして現在的に存在しているのだと思われる。そして、その機構を内省によって少しでも明らかにしていくことは、わたしたちが大いなる自然に囲まれながらこの人間界でよりよく生きていくことと深いつながりがあると思われる。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑭  (死のイメージについて)


 わたしたちは、知らない間に生まれ育っており、知らない間に死んでいく。誕生も死も人が誰でも通る道筋のように見えるが、その両端の自覚はおそらく本人には訪れない。この「おそらく」という意味は、死をわたしたちは自己体験できないからである。誕生がこの世界での「わたし」の始まりだとすれば、死はこの世界での「わたし」の終わりになるのだろう。一般に現在では、死はこの世界での存在の終わりを意味し、死は大いなる自然へ、あるいは宇宙の物質に還元されていく。わたしもそうだと思う。太古の輪廻転生の考え方とは違って、死は身体―心―精神に渡る統一的な、ひとつの固有な活動する存在の終わりをもたらし、身体は物質へと還元され、心―精神は身近な人々の存在によって想起される一方向の交流へと形を変える。身近な者たちの死に際して、火葬場での骨になった状況を目の当たりにすれば、実感としてそういう捉え方がふさわしいと思える。人の死もまた、植物がこの世界に芽を出し成長し花開き実を結んで枯れていき土に帰る過程と同質のものに見える。

 わたしたちが自己体験できない死であっても、わたしたちはそれにイメージの触手を伸ばそうとする。また、一般には、高校生から大学生に当たる年齢の青年期と老年期には死というものが重たい存在として感じられたり訪れてきたりする時期のように見える。前者は、人間世界の家族の保護下に成長を遂げその保護から解き放たれて社会とのつながりが押し寄せようとしてくる時期であり、後者はいろんなことを潜り抜けてきた人間世界からの離脱が近づいてくる時期である。いずれの場合も、当面する現在の世界の中に無意識のように未来が影さして来ているのが感受されるのかもしれない。これ以外に死のイメージや死の観念が身近に訪れる場合は、吉本さんの『母型論』を援用すれば、「母の物語」の失敗によって、生きようとする生存の心や意識のハードルが低く形成されてしまったため、否定性としての生つまり死のイメージや観念に簡単に魅入られるという場合がある。

 太古では、例えば「臨死体験」などの体験がくり返されみんなで共有されていく中で、この世とあの世の通路やあの世のイメージなどが獲得されて、輪廻転生などの魂の死と再生の物語も信じられ、強化されていたのかもしれない。現在では死は相変わらず大きな謎であり続けているのに変わりないが、そのような輪廻転生の物語の中にはもはや存在しない。死は、「臨死体験」ということはあり得ても自己体験できないもので例えようもないけれども、わたしたちはなんとか例えをたぐり寄せて死のイメージをつかもうとすることがある。わたしたちのこの世界における生存は、確固としたもののように見えても、その根源である生誕や死の偶然性のような曖昧さの意識があるから、先に挙げた二つの時期以外でも、ことある毎に死を呼び寄せるのかもしれない。


 電池切れみたいな感じ?死ぬときは
           (「万能川柳」2016年01月21日 毎日新聞)


 「電池が切れる」とそれを内蔵し動力としているものは動かなくなる。この場合、「電池が切れる」といっても、計器で測ってみると低下していてもまだ電圧はある。そのものを動かせなくなっても低下した「電気がある」という状態で、人間の場合の死と似ている。ミシェル・フーコーが触れていたと思うが、人は死んで普通の活動はできなくても、当分は髪の毛や爪が伸びたり、細胞レベルの活動はあるという。つまり、死は瞬時ではなく、じわじわと寄せ広がる分布であると。植物が枯れゆく過程もそういうものかもしれない。わたしの目下思い描ける死のイメージは、ある時夜眠りについてそのまま目覚めることがないというイメージである。
 
 現在、どこから出始めてきたのかはわからないが、死の準備の「終活」などという言葉や活動や仕事がある。人々がそれを受け入れる意識の要素があるから普及するのであろう。他人が遺言書を作ったり「終活」なるものをするのはかまわないけど、わたしには少し異和感がある。死ぬことはこの人間界からの完全な離脱であり、人間界での行動や生活のような「準備」や計画などを超えたものである。つまり、本人にとってはジタバタ準備や計画などの現世的なものの果てに向かうわけだから、無意味だと思う。もちろん、後に人間界に残された者たちがあまり困らないように身辺を整理しておくことには反対はない。

 植物や動物たちは、いずれ枯れたり死んでしまうからと「自死」することはおそらくない。わたしたち人間も大多数の人々は、何十億年後にこの太陽系が滅びるだろうとかあるいはもっと身近な百年足らずの生涯しか人は生きられないとかわかっていても、自暴自棄になったり、自死したりせずに、そのこととは無縁なように日々ちいさな世界に生きて活動している。そんな風に遙か太古から人は歩んできている。一方で、今にもこの世界が破滅してしまわないかと心配したという中国の「杞憂」という成語があるように、人間ばかりが、破滅や死の意識に魅入られたり、死を引き寄せることがある。しかし、大多数の人々は、植物や動物たちと同じように、この大地に日差しを受けて無心のように日々を生きていく。それは、そのような素地を自然なものとして植物や動物たちと同様に人間も身に着けているからだろうと思われる。この大いなる自然や大宇宙の方から見たら、わたしたちありとあらゆる生き物は根源的な受動性を強いられている。つまり、この世界の根源は、生き物たちや人間が生み出したのではなく、偶然のようにわたしたちが与えられているということである。死の扱われる形も死のイメージも時代とともに変貌していくとしても、また、ヨーロッパ近代のような自然の上に立つ人間優位の横着な理念や思想が生まれ出ようとも、そのような動植物や人間の根源的な受動性というものの自然な有り様は不変なものに見える。






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 映像作品から物語作品へ―ささいなことから
 (映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について)


 「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」の日めくり版ベルギーの旅の1日目を観ていたら、おそらく関口知宏が乗って走っている電車を外から撮った場面が出てきた。このような場面は、『関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36000kmをゆく』でも何回かあった。また、アメリカのテレビドラマ『FRINGE(フリンジ)』でも、舞台はあの牧歌的な西部劇の舞台ではなくこんな高度に錯綜とした世界ですよと観客に意識化させるかのように、ドラマの各回の始まりや場面が大きく転換したときなどに大都市を上から俯瞰した場面が毎回ちらっと出ていた。このことから連想したことがある。

 そのことに触れる前に、言葉の作品、物語ということについていくらか触れておく。 ある人が、何かを表現しようとすると「作者」に変身する。現在では、作者は、想像的な時空を生み出すために「語り手」や「登場人物」たちを派遣する。作品の言葉を現実に書き連ねていくのは、当然のこととして「作者」であるが、なぜそのような想像的な時空を生み出したのかという作者のモチーフや作者自身は、影を潜めるように「語り手」や「登場人物」たちの後景にいる。このことにわたしたちは十分に慣れてしまっていて不思議なことには思わない。作者は作品の言葉の細部にも意識的にか無意識的にか散りばめられるように宿っているのかもしれないが、わたしたち読者は、作品の全行程を走破することによって作者の表情やモチーフに触れる、あるいは触れた気持になる。

 昔、演劇の劇中で舞台裏(現実)をちらっと明かすような作品があった―ずいぶん昔のビートたけしや明石家さんまの登場した『オレたちひょうきん族』にもそんな舞台裏(現実あるいは偽現実)を明かす要素があったように思う―、また、芥川龍之介は「作者」を作品中に登場させた。これらをもう少しわかりやすい例で言えば、あるとても有名な俳優がいたとして、その俳優(本人からすれば、今は舞台を下りている普通の人)が、自分たちと変わらない買い物などの日常的な行動をしているのを目にした時の、俳優としてのその人への眼差しと普通の生活者としてのその人への眼差しとが、自分たちの中で齟齬(そご)を来たして異和感をもたらすことになる。あるいは、新鮮な驚きという場合もあるかもしれない。これらの感覚の奥深い根は、太古の巫女やシャーマンなどに対する普通の住民の眼差しにあるのは確かだと思われる。

 作品や俳優の裂け目を垣間見せることは、わたしたちの自然な感覚に異和感をもたらすものであった。と同時に従来とは違うということからある新鮮さももたらすものでもあった。しかし、わたしたちは日々の生活で、家庭や学校や勤務先などでは同一人物なのだが、それぞれの場面で微妙に違うような人格として振る舞っていて、普通そのことには疑問を抱かない。それと同じように現代では、ある人が何か書き始めようとして「作者」に変身した時、「作者」は想像の物語空間に合わせるように「登場人物」たちを配し、作者と同一とは言えない「語り手」を派遣する。


 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
  (「羅生門」芥川龍之介 青空文庫)



 「作者は・・・・・と書いた」とか「前にも書いたように」とあるが、確かに言葉を連ね書いたのは「作者」であるが、普通なら作者から分離された「語り手」が語っていることになる。ここでは、「作者=語り手」となり「作者」と「語り手」が未分離になっている。こういうことがどこから来ているかと考えてみると、西欧文学の影響に関してはわたしはわからないから、この国の表現の歴史から考えれば、長く受け継がれ来た語りの伝統ではないかと思う。

 現在、物語において「作者」が「語り手」を分離するのは、わかりやすく言えばちょうどある人が衣装を身に着け化粧もして「俳優」に変身して舞台に上ることと同じである。さらに身近な例で言えば、家族の中では「圭ちゃん」と呼ばれているある少年が、学校という小社会では友達関係でなければ一般に「圭太郎」と呼ばれたり、名字で呼ばれたりするのと同じである。わたしたち人間は、家族や学校や勤務先など誰もが現実の位相の異なる小さな世界間や、何かを連想したり想像したりなどの精神的な世界間を割とシームレスに日々出たり入ったりしていて普通はそのことをあまり意識しない。

 ところで、わが国の「語り物」の伝統では、過去に作られた物語やあるいは歴史上の人物や出来事を自らアレンジしたりして、物語を語る「語り手」がいた。柳田国男によればそういう人々がこの列島を旅して村々や町々に語り物を流布させていた。その「語り手」は、一般に、近代小説のように登場人物たちの内面に入り込んで内面描写をすることなく、登場人物たちの行動を外側から語った。例えば「語り物」の例を挙げてみると、


 (引用者注.雪が降るすばらしい景色を前にして)……しばらくの間ごらんになってたんだが正宗公(引用者注.若い頃の伊達政宗)はご満足あそばしましたのか、されば帰還をいたすであろうと立ち上がりました。この正宗公という方は非常に癇性(かんしょう)の強い方だったんだそうで、寒中でも足袋をお履きになりません。素足でございます。
 (神田松鯉(しょうり)の講談「水戸黄門記より 雲居禅師(うんごぜんじ)」、NHKの『日本の話芸』より)



 このように、「語り手」は伝聞や想像を交えて、自らが見てきたように語るが、「語り物」では外面描写になっている。このことの意味は、別に語り物の起源からの歴史的なものとして論じなくてはならないが、ここではそれには触れない。近代以前の語り物では、誰かがあるいは多数の人々が共同で作りあげた物語を、「語り手」はいくらか自らの主観や感情や聴衆への受け狙いなどを付け加えながら語り継いでいったのだと思う。したがって、現在のような物語世界の仕組みの知識に触れていない聴衆(読者)の側から見れば、「作者=語り手」と同一化されたはずである。あるいは柳田国男が小町伝説の全国的な流布の原因として述べたように「語り手=登場人物(主人公)」の同一化も起こりやすかった。テレビ放送が始まりだした頃の話として聞いたことがある。テレビドラマの中で一度死んだ者が、生きていてまた別のドラマに出ているのにおばあちゃんだったかがびっくりしたという話である。真偽のほどは別にして、こういう笑い話が流布するということは、二昔前の聴衆は「俳優」とその演じる世界、「語り手」とその物語る世界、そして想像世界と現実世界とを同一化しやすかったからだと見なすほかない。

 近代以降の小説に慣れたわたしたちには、「作者」が「語り手」を分離せずに芥川龍之介の「羅生門」のように「作者」と「語り手」が未分離なのは、現在的には「普通人」と「俳優」とが二重化したような異和感がある。あるいは、読者としてはせっかく虚構(つくりもの)と意識せず物語を読み味わっているのに、これはつくりものだよと言われているようで感動が白けるように感じるかもしれない。つまり、この「羅生門」で作者が登場する必然性は感じられないのである。芥川龍之介の「羅生門」は、登場人物たちの内面に入り込んだり、内面を推し量ったりと、近代小説の構造を十分に備えている。考えられることは、「羅生門」というこの作品が古典を素材としていることであり、そのことが、この「作者」と「語り手」の未分離ということを呼び寄せたのではないかということである。つまり、古典を素材としアレンジする中で、内面描写を伴う近代小説の構造を持ちつつも、わが国の長い語り物の伝統を無意識に体現したものではないだろうか。人間の感覚や意識も、また表現の歴史も、華やかな現代性を持ちつつも、太古からのその深い感覚や意識や表現の奥深い歴史の地層の中に浸かっている。したがって、表現の長らく続いてきた定型は何らかの拍子にこのように顔を出すことがあるからかもしれない。

 ここで、ようやく最初の連想に戻る。
 最初の連想の話に戻せば、旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮るということは、映像作品として見れば作品の舞台を俯瞰的に見渡す映像を重ね合わせただけだという普通のことに過ぎないかもしれない。しかし、この映像作品には、旅の主人公関口知宏という登場人物や彼が現地で通り過ぎたり出会ったりする登場人物たち、数々の情景、口数は少ないにしてもナレーションとしての「語り手」などが存在する。映像を撮り持ち帰りそれを編集しナレーションを加えという、表現される映像空間の外にいて映像作品としての作り上げの過程に関係する人々を「作者」として括ると、「作者」は映像作品の趣旨や現地での旅の主人公関口知宏の行動についてお互いに前もって何らかの打ち合わせをしているはずである。そういう「作者」としての関与があるはずである。大まかにはそれに沿いながら旅の主人公関口知宏が相対的な自立性を持って行動することによって映像作品のための主要な部分が形成されるだろう。ナレーションはおそらく映像の編集過程で後から加えられるもので、言葉の物語作品の語り手の重要な働きとは違って、軽いものに見える。

 旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮る(見る)ということやその映像を選択して作品に付け加えるということも、作者の映像作品への関与のひとつであり、作者の眼差しが作品に登場したものだと見なすことができるように思う。

 そして、先に述べてきたように、このことを言葉による物語作品に対応させれば、芥川龍之介の「羅生門」に「作者」と宣言して登場するように露骨にではなく、見分けにくいけれども作品の中へ「作者」が顔を出すことと対応していると思われる。わたしが小学校の頃には、先生が「みなさん、この部分の描写から作者の気持ちを考えてみましょう」のような国語の時間があったように記憶する。作者と作品とは同列に対応するように見なされていたように思う。このことは、現代から見て単なる誤りということではなくて、この国の文字使用以前からのとても長い語りの伝統の残滓としての自然性、自然な感覚ではないかと思う。柳田国男は語り物について、語り歩くものがいたわけであるが、本当は「群れが作者である」と述べていた。つまり、語り手は大多数の民衆に受けそうな物語を語り、民衆の感動する曲線に沿うように語ったからである。

 しかし、主に明治以降の近代社会においては、西欧の思想の影響下、個の存在の自覚が本格的になり、現在に向かって次第に個が先鋭化してきている。それに対応して、近代小説においては、作者という個がせり出してきたために語りという近世までの主流と違って、作品を読み味わい批評する上で「作者」という固有の個を考えざるを得なくなってきた。つまり、作品の背後にそれを生み出した作者という固有の内面を想定せざるを得なくなってきた。

 ここから、作者、作者の想像し創出する物語の世界、そこに入り込んで登場人物たちの内面をのぞきこんで説明したり、情景を説明したりする語り手、などの表現過程における各要素や各主体を分離したり関連づけたりしなくてはならないようになってきた。作者は、作品からは退いた後景に位置するが、一般的には作品のモチーフとなって物語世界に参与する。また、作者のいくつもの作品によく出てくるような場面の描写があるとすれば、それだけ作者の意識的か無意識的に固執されたモチーフだから、そこは作者の顔出しと言えるだろう。ともかく作者は小さな破片のようなものとなって作品世界に散布されているはずであるが、その作者の顔を分離して余さず取り出すことはとても難しいように見える。したがって、読者にとってお気に入りの作品であれば、何度も読む度に新たな気づきや発見があり得るかもしれない。

 ところで、作者、語り手、登場人物に関して、吉本さんが『悲劇の解読』かそれに関わる対談だったかで触れていたが、そのときは深く考えず意味するところがよく飲み込めなかった。あるいは、わたしの方にそのことに対して吉本さんほどの切実さのモチーフがまったくなかったからかもしれない。人は、互いにある切実さのモチーフという同じ舞台に立てないならば、本当に切実に物事を感じたり受けとめたりすることは難しいものだからである。

 吉本さんのモチーフは、生身の「作者」と作者が想像的な表現の世界で変身した、あるいは作者から派遣された「語り手」とを区別しないならば、例えば作者の生存の悲劇をどこに帰したらいいか明確にならないというようなことだったと思う。今は、少しわかってきたように感じている。遙か太古からのつながりの中にありながらも形を変えてしまっているということ、そういう現代において物語を表現するということ、表現された物語を出来うる限り十全に読み味わうということ、そのためにはそのような微細に見える区別と連関に対する理解を深めることが大切な課題になってくる。

 






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 若い世代の歌より(覚書)


 (1)

 俵万智の『サラダ記念日』は、読んだことがあり、短歌もこんな現在のファッションや風俗の現在性を掬い取る自由度を持つのかと驚いたことがあるが、短歌にはあまり近づいたことがない。彼女以降の次の大きな波が来ているのだろうか。最近、穂村弘や山田航の存在を知る。


りすんみい 齧りついたきりそのままの青林檎まだきらきらの歯型  (山田航「自選十首より」)


いい歌と思う。上の句≒下の句だろうか、上の句だけでは指示表出が微少だ。つまり、意味の自由度が最大であり、なんとでも解釈できる。



  (2)
 
 ネットで集めた山田航の作品より。よくわからない作品も多いけど、次のはいいなと思う作品。

 
放課後の窓の茜の中にゐてとろいめらいとまどろむきみは
 
ためらひがフォルティッシモで鳴るときに吊り革少しだけ揺れてゐた



 
 二作品は、「とろいめらい」「フォルティッシモ」によって、言語の自己表出性から見た価値(『言語にとって美とはなにか』 吉本隆明)が高められていると言ってみたいが、私もまだそのすぐれた概念を自在に使いこなせないし(吉本さんがマルクスから学んだ、マルクス―吉本隆明の〈疎外論〉が駆使されていて難しい)、ましてや批評の世界で十分に受け入れられていないから、取りあえず次のように言っておこう。
 
 二作品は、「とろいめらい」「フォルティッシモ」によって、音楽的な意味という音楽性と普通の言葉の意味という二重化によって、励起された言葉の表現になっている。したがって、言葉から来る重畳した波によって私たちの感動もいっそう高められることになる。

  (以上、ツイッターのツイートより)


 (註.)

 (1)の引用歌中の「青林檎」について

 以下に引用するように、「青林檎」には、二種類があるようである。品種としての青リンゴでわたしの知っているのは、玉林やトキがあり、トキは好きである。この歌の場合の「青林檎」は、上の句の「りすんみい」の語感が酸っぱい感じを与えるように思うから、たぶん完熟していない未熟な状態のリンゴだと思う。しかも、それは生命力あふれ出す青春の喩にもなっている。作者のHPのプロフィールによると、「札幌市東区丘珠生まれ、北区あいの里育ち。」とあり、ねっと検索してみたら、札幌でもリンゴが栽培されている。なぜそんなことに触れるかと言えば、身近でリンゴに触れていないとこんな実感が込められたような歌は難しいと思うからだ。


青りんごとは、りんごがまだ未熟な状態で収穫するため、青(緑)色をしている りんごです。
基本的にはりんごと同じですが、熟していない分、甘みが少なく酸味が強いです。
熟したりんご味とは別の「青りんご味」として親しまれています。

また、未成熟果実ということとは別に、ふじ、つがるなどの赤い品種と、王林などの黄色・黄緑などの青りんごがあります。
こちらは成熟果実ですが、りんごの赤色色素のアントシアニンが、青りんごは生成されず、地色の葉緑素が見えているのです
(「野菜の知識」高松青果物商業協同組合 http://www.t0831.net/blog/2012/08/post-177.html )


 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑮  (作品と作者)


 以下に引用する、新聞掲載の川柳作品を読んで気づいたのだが、自分の作品を選者の目に留まり載せてもらいたいという動機で詠まれた作品に時々出会う。次の意表を突いた作品もおそらくそんな作品である。「載った句は」という表現にその動機が込められている匂いがする。


 載った句は三月も前の自分です
  (「万能川柳」2016年2月3日 毎日新聞)


 作品を作り上げて投稿し、選ばれて新聞に掲載されるまでにどの位の日数がかかっているのかわたしは知らないが、三月というのがどういうところから来ているのかはわからない。つまり、そんなにもかかるのかなという疑問がある。要するに、ここでは掲載された作品が読者に読まれる今と作者が詠んだ時とは違うということ。したがって、読まれる作品は、現在の作者の心の有り様とは違うかもしれませんよという内容である。表現されたものを読む場に、意表を突いたところからツッコミを入れるのを作品のモチーフとしている。

 ところで、わたしがこの作品を取り上げたモチーフは、この作品をきっかけとした次のことにある。福岡伸一は、『動的平衡』で、現在の知見によると人間の細胞は絶えず死滅と生成をくり返していて、私たちの生体は別人になること無く絶えず生まれ変わっていると述べていたと思う。人間の心から精神に渡る世界は、そのこととは直接の対応はしていないように見える。一方に、一般的な見方として人の性格は簡単には変わらないと言われるような固有性の本流があり、他方には、それにもかかわらず人は日々の経験の中でその根強い固有性を反復しながら少しずつ変貌するということがあり得る。また、現実の場で追い詰められたりすると、ちょっとしたことに見えるものをきっかけとして大きく豹変することもあり得る。

 以上のことから判断すると、作者という存在にスポットライトを当ててみれば、作品としてかたち成した表現には、作者の性格のような固有の本流とともに、その影響下に現在の何かの対象に触れ、関わったことによる現在性の流れとの二重のものが織り込まれていると思われる。






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 再び、生活者住民ということ―その倫理の創出へ向けて


 現在の状況をネットやSNSを鏡としてみれば、いろんな対立が浮上している。その背後には、無数の日々の生活の渦中にいて黙する人々のように見える生活者たちが居る。対立自体は、人間社会であり得たし、あり得ることだ。しかし、大雑把に括れば、ツイッターというSNSに現象しているのは、政権派と非政権派との対立であり、上層部分では、これはもう頭がちがちのイデオロギー(集団思想)対立のように見える。もちろん、両者ともに硬軟のスペクトル帯がある。たぶん、両者共に自らが正当だ、正常な判断を下しているのだと思っているに違いない。しかし、もし両者が、自分やその周辺の一部ではなく、大多数の人々の日々の生活の安定と幸福というものを願い目指しているとするならば、その道筋が一つではないとしても、両極端に分極し、対立することはおかしいということになるはずである。

 わたしも「非政権派」に入るかもしれないが、できれば無用な対立はない方が良い。こんな対立の起源は、人間の集落形成以後では隣の集落との対立だろうと想像する。集落内での対立も、対立者を隣の集落のように別集団と見なすから、それに含めて考えることができる。今では、集落間の対立は解消されて、テレビで観たことがあるが、石の投げ合いや綱引きや運動会での地区ごとの競い合いなどの風習のようなものとしてとして名残があるくらいであろう。ただし、人と人との関わり合う学校や会社などの小社会には「いじめ」などとして今なお残存している。

 人と人との関係には、個と個、個と集団、集団と集団などの関係がある。集団と集団の関係を見てみると、少人数であれ集団が対立に関わるとき、互いに相手の集団を自分たちの〈外〉と意識してきたに違いない。〈外〉である以上、ひどいことをしても許されるというように突っ走るのかもしれない。ふだんは、心優しい人でも、集団の力学の中では異類のように豹変する。恐ろしいことにこのことに例外はない。現下の私たちの社会に浮上する諸事件も、あるいは戦争も、その残虐の本質はそこにあるように思う。日常の眼差しの届かない、けれどその渦中に入れば誰もが残虐に振る舞ってしまう可能性を持つものとしてのブラックホールは、例えば「いじめ」等の目撃や体験などを通して誰もが生きてきた過程でその世界の匂いのようなものは嗅いだことがあるように思う。

 ところで、現在では、学者や芸術の専門家ではない、わたしたち普通の人々の知のレベルが上昇してきて、純文学やサブカルチャーの垣根が取り払らわれ、旧来的な文化の秩序や関係の秩序が液状化して久しい現状がある。このことは、家庭内の親子関係も、二昔前の一般に厳しい親子関係とは違って、兄弟関係のようにフラットなものになってきていることとも連動しているはずである。

 本当は10年はやらないと各分野の専門家に向き合うことは難しいと思うけど、私たち普通人が生かじりでもいっちょ前に見える言葉を言えるし、そういう言葉も飛び交っているように見える。また、専門家といっても、たいしたことない人々もたくさん居られるかもしれない。このように、二昔前と比べて、社会の構造が液状化してきた。第一次産業の農業従事者数と第三次産業のサービス業従事者数とが逆転して、社会に張り巡らされていた第一次産業の農業中心時代の上下の秩序構造が、産業社会の構造的な変貌によって第三次産業による消費中心社会へ移行していく過程で、液状化してフラットで均質な秩序構造になってきた。このことが、そのような社会の下に生きるわたしたちの意識構造や関係意識に大きな影響を与えてきたはずである。しかも、ネット空間やSNSという仮想空間の存在が、わたしたちの距離意識を縮め、割とフラットな関係を引き出し、わたしたちの自由度をずいぶんと拡張してきた。

 もしこのような仮想的なネット空間やSNS、あるいはマスコミの世論調査などが存在しないならば、現在の社会状況や人々の意識状況はいっそう可視化しにくいものとなるだろう。逆にそれらが存在する故に、世界は仮想的に身近に感じられ、仮想と現実とか奇妙に織り合わさった新たな〈現実〉の中で、拡張される自由度とともに、あるいはその自由度のもたらす負性を活用するように憎悪や対立の言葉さえも発射される。しかし、これは仮想のゲームではない。生身の人間が背後に居るのである。

 もし私たちが、このような無用な諸対立を本当はなくしたいと考えるならば、現在のところで考え得るかぎりでは、根本的に解決する道は、外のイデオロギーを自分の頭に乗っけたり、自分の手足の強化ギブスにしないことだと思う。つまり、この列島内以外のことは「生活者住民」として関知しないという姿勢を取ることだ。

 町内会での問題処理や解決のように、その外の問題である、国の外交問題などには一切触れない考慮しないという立場である。その外交問題は、代行たる官僚層・政治層が話し合ったりして良い解決の道を探るべき問題に過ぎない。私たちの最重要世界は、日々の小さなくり返しの日常世界なのだから。

 自分たちの生活世界に根本的に関わる問題以外に関しては、我関せずという生活者住民としての立場(倫理のようなもの)が今大切に見える。自分から遠い世界、例えば政権や国などに自己同一化をしないこと、取り憑かれてしまわないこと。またわかりやすい例えで言えば、自分の住む地域の神社の固有の神に、外の大げさな神々をくっつけないこと。我を忘れたお祭り気分や、日々の生活を抜け出たスーパーマン気取りは止めて、冷静な内省と眼差しを自分自身や日々の生活に向けることをわたしたち全ての生活者住民が問われているように思う。

 (2/7のツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)


関連参考1. 「この列島の住民ということ」(2014年10月11日)
         (この文章の在処、「002」回覧板No10)

関連参考2. 「漱石に倣って、『生活者住民本位』ということ」(2015年7月20日)
         (この文章の在処、「004」回覧板No38)

 






71


 表現の現在―ささいに見える問題から⑯
   (読者が作品の場面を再現する難しさ)


 読者(観客)として作品を見る場合、表現された映像は、瞬時に指示して場面を表現できるのに、あるいはすでに場面は出来上がっているのに、言葉の場合は、作品から指示された場面を再構成するのが難しいということがある。

 今では、誰かに自分の見たものや人や出来事を説明するには、言葉ではなく映像(ケイタイで撮った画像、音声付きの動画など)によることが可能となり、この場合が多くなっているような気がする。わたしはケイタイを持たないからこの便利さや快適さを肌感覚ではわからないけれども、こういう動向の積み重ねによって言語の今まで果たしていた指示的な説明の機能が徐々に取って代わられ、旧来的な表現は少しずつ退化していくだろうと思われる。


 1.寿司届き和尚の経が早くなり

 2.表札に博士と書いている阿呆

 3.洋服に付いた草の実とる車内
  (「万能川柳」2016年2月6日 毎日新聞)



 ここに引用した作品は、ちょっと見でいずれもどんな場所が指示されているのかわかりそうな気がする。しかし、その場面の方へ入り込んでいくと、いろいろと不明なことが出てくる。1.は、今では葬式後その日のうちにやることが多い「初七日」なら、まだ死者が身近すぎて少し生々しすぎるから、もう少し後の「法事」の席の場面であろうか。お経の後の一同の会食の時間に配慮したか、あるいは自分もその会食に呼ばれていて食欲を無意識的にそそられたか、であろう。この場が、自宅なら寿司の配達の人の声がするかもしれない。自宅でなければ会場に設けられた仮設の仏壇に向かい、法事の参会者に背を向けてお坊さんは座りお経を上げるだろうから(他所の地域は知らないけど)運び込まれる寿司はお坊さんには見えないのではなかろうか。ということは、この法事は自宅で行われているのだろう。

 言葉を拾い集めて、言葉をたどり、作品として表現された場面を再構成しようとすると、このように不明な部分がいろいろと出てくる。

 2.は、作者が通りがかりに偶然目にした光景であろうか。「表札」とあるから、店で宣伝を込めて表示したのではなく、個人宅であろう。また「阿呆」と締めくくっているから、例えば表札に「安倍博士(註.読みは、ひろし)」と書いてあったとして、それを「博士(註.読みは、はかせ)」と読んでダジャレを言っておもしろがっているわけではなさそうだ。それとも誤解のしようもなく、「安倍太郎博士」という風に書いてあったのだろうか。珍しいことだ。

 世の中にはただの普通の人に満足できなくて、カッコつけたり、名声にすがったり、虎の威を借りたりする者が居る。もちろん、あの親鸞でさえ名声などを気にすることを自戒を込めて述べていた。すぐに内省が訪れるけれども、わたしでもそんなことを気にする瞬間はある。しかし、もし個人宅の表札に「安倍太郎博士」と書いてあったすれば、わたしたちの普通の感覚や行動を超えた「イタイ」(最近この言葉を知った)人ということになるだろう。作者もそんな感受の視線を「表札」の主に投げかけていると思う。

 3.は、近くの川原の土手の雑草の生い茂っている草地でも歩いて来たのだろうか、あるいは行楽地に出かけて草地でも歩いて来たのだろうか。言葉には書き記してなく表現された言葉から匂い立つのであるが、この車内の場面には何人かが居ると思う。もう帰りであろうか、電車かバスかあるいは自家用車か特定できないけれども、その車内で服に付いた草の実に気づいて、自分含めてみんながいっせいにそれを取り始めた光景を、あ、おもしろい光景だなと感じて取りだした場面だと思われる。これがもし一人だったら、なんだかさびしい場面になる。

 このように、映像による表現と違って言葉による表現では、表現された言葉からその場面の細部を完璧に再構成することは難しい。作者ならばわたしたち読者とは違ってこの場面の細部を説明することができるかもしれない。しかし、作品の方は、あまり細部にはこだわらずに一挙に言語における美を、その場面の中枢を占拠するように指示性を集中して表現されているように見える。わたしたち読者の方もまた、それに見合うように場面の細部にはあまりこだわらずに作品の中枢で出会えたらいいなと思っているのかもしれない。と言っても、映像作品も言葉の作品も、作者の中枢に込めたモチーフは、場面のどんな細部やエピソードにも浸透しているということは確かなことだと思われる。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑰ (空返事について)


 人が集まれば、自分が思いもつかないような捉え方や考えに出会うことがある。あるいは、人の現在における平均値的な考え方を抜け出た考えに出会うことがある。話し合いであれば、そういう見方や考え方が、平均値的な話し合いの軌道修正になったり、よくない方に突っ走るのを引き留めたりという場合もあるように思う。


 返事なしよりはいいだろ空返事
  (「万能川柳」2016年2月11日 毎日新聞)



 この作品は、わたしたちの平均値的な考え方をいくらか抜け出ている。普通、「空返事」(「生返事」)というものは、否定的なイメージとしか見なされていない。この人と人とが関わり合う人間界での倫理として、互いに良く思わない同士や対立関係にある同士の場合は別として、つまり普通の関係の場合、相手に呼びかけられたらそれに応答するのが普通のことと見なされている。したがって、相手に話しかけられての「無言」や「空返事」というのは問題ですよということになる。しかし、日常の家族や職場などの場面で、大人同士や親子の関わり合いで、相手の言葉になんと言っていいかわからない「無言」も、「空返事」も十分にあり得ることである。そして、言葉を普通に交わし合うのではない「無言」や「空返事」の場合も、互いの意識の交通は行き交っているはずである。逆に考えると、人と人とが関わり合う時、Aか非Aかという単純な硬直する対立ではない多様性の有り様の象徴として「無言」や「空返事」という反応を捉えることができるように思う。

 この作品のたぶん夫婦の場面のように空返事はあり得る。この場合の「無言」ではない「空返事」は、本人が何かに熱中しているとか集中しているとかしていて、それを中断はできないけど、話しかけてくる相手の存在も認めていて、その相手とのつながりの意識からの表出と見るべきである。人は同時に双方に対して集中的な応答はできないからこういう場面が生じてくる。自分の集中してやっていることが中断できるのなら、自分も相手もすっきりするのかもしれない。しかし、実際問題としてそんなにうまく中断できない場合が多いように思う。この作品では、その中断ができなくても、「空返事」はあなたの方に意識や関心を向けていますよ、というモチーフの作品である。

 






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 表現の現在―ささいに見える問題から⑱  (二つの心の状態について) 


 前回の「空返事」の作品で触れたのが、わたしたちの普通の心の状態(定常状態)の表現とすれば、今回取り上げるのはわたしたちの特別な心の状態(励起状態)の表現である。わたしたちは、普通にはこの二つの心の状態を誰もが持っている。


 別れ時ワインの澱がよく見える
  (「万能川柳」2016年2月2日 毎日新聞)



 この「別れ時」というのは、友達と食事か飲み会に出かけたその別れ際ということではなくて、おそらく付き合っていた男女の別れの場面であろう。どういういきさつがあったとか、この場で別れ話を持ち出されたのか、事前に別れることはわかっていて最後の会食なのかなど細かなことはわからない。わからなくても、このこの作品に表現された場面や心の状態は、何らかの深刻な事態に人が当面している時の場面や心の状態として一般化すれば、誰でも思い当たることがあるだろう。

 まずこれは別れを体験していないと出て来ない表現だと思われる。この作品の場合、作者が過去の体験を踏まえて書いているのか、ごく最近の体験を書いているのかはわからないとしても、その現場の〈私〉に移行して、〈私〉になりきって、その心を開示した作品と見える。作品の中で〈私〉は、別れという二人の今まで降り積もらせた関係が切断されていく状況の中に居て、そのことが閉ざされた部屋に居るような重たい気分になっていて、ふと目をやったワイングラスの底の方に溜まった澱が妙にくっきりと見えるという、内心に掛かる重力の中に居る〈私〉と〈私〉の外界への眼差しとが乖離してぼんやりした心模様を示している。つまり、〈私〉の心は、普段のように外界の景物を見ても心がそれと同調したり情感とともに自然に流露したりすることがなく、内心に掛かる重力が普段と違った大きさのために外界と隔てられている状態にある。

 このような場面や心の状態を物語作品から取り出してみる。


 ①
 強烈に、映画の一場面のように、その景色は丸ごと私の中に刻まれていた。
 春先の優しい雨が降っていた。
 雨の船橋、駅前のビル群が全て灰色にかすんで見えて、私はうっすら淋(さみ)しい気持ちになっていた。
 心細い……私はここでやっていけるのかしら? この街を好きになれるかしら?
 とまだ制服を着ていた十五の私は思った。
 そのときのまっさらの気持ちをはっきりと覚えている。
 わくわくした気持ちは一切感じられなかった。となりに母がいたからだ。
  ( 『ふなふな船橋』 P7 吉本ばなな )


 ②
 いつものデートをするはずだったその土曜日、俊介さんはいつものようにぴしっとアイロンがかかったシャツを着て、いつもの待ち合わせ場所であるFACEビルの中にある椿屋カフェに座っていた。
 店に入った私は彼の表情の違いに全然気づかなかった。そういう意味では私も彼に関心がなくなっていたのかもしれない。いてあたりまえ、会えて当然、そうなっていたのだと思う。……中略……
「ごめん、今日は花をうちに泊められなくなったんだ。」
 俊介さんは私がうきうきとしながらアイスコーヒーを頼むやいなや、そう言った。
「急ね。お母さまが出てらしたの?」
 私はにこにこして言った。
「実は、好きな人ができたんだ。」
 落ち着いた声で、俊介さんはそう言った。
 私の笑顔は固まってしまった。ただ目をまん丸にして、黙っていた。
 俊介さんは続けた。彼の目の前の珈琲(コーヒー)は口をつけないまま冷めていた。私はそれをぼんやりと見ていた。入り口近くのスペースの他の席には人がいなかった。よかった、と私は思った。きれいな制服のウェイトレスさんたちが行き交うのを夢みたいにぼんやりと見ていた。アイスコーヒーが運ばれてきたから一口飲んだが、全く味がしなかった。
 おかしいな、と思ってガムシロップをみんな入れて、ミルクも入れたけれど、味はやはりしなかった。
 だから、グラスを置いて、俊介さんをまっすぐに見た。
 俊介さんは言った。
「もう、つきあいはじめている。だからもううちに来てもらうわけにはいかないんだ。」
  ( 『同上』 P45-P46 )



 ①は、この物語の出だしの部分であり、主人公でも語り手でもある〈私〉(花)の回想場面である。〈私〉にとって、父と別れて再婚する母との別れの場面であり、新たな街船橋で母の妹である奈美叔母さんと一緒の生活をすることになっている。それがおそらく〈私〉の尊重された自由意志としての生活の選択だとしても、未だ心安らぐことはない新しい見慣れぬ街に佇む十五の〈私〉には、吹っ切れない内心のいろんな精神的な重圧ととも未来への不安がある。十五の〈私〉にとっては、これは重大な精神的出来事だった。だからこそ、「強烈に、映画の一場面のように、その景色は丸ごと私の中に刻まれていた。」のである。

 そして、内心の抱える精神的な重みのために、外の景色とがぼんやりと分離状態のように「雨の船橋、駅前のビル群が全て灰色にかすんで見えて、私はうっすら淋(さみ)しい気持ちになっていた。」と語られている。〈私〉に「灰色にかすんで」見えるのは、見分けにくいけれども「春先の優しい雨が降っていた」のせいばかりではなく、「ワインの澱がよく見える」と同様の内心と外界の乖離状態が影響していると思われる。「ワインの澱がよく見える」は外界が〈私〉の内心とは無縁にくっきり見えるのに対して、こちらはまるで見知らぬこの地での生活の不安に彩られるかのようにかすんでいるという違いはある。

 ②は、〈私〉が付き合っていて結婚すらも想像したりしていた俊介から別れを切り出される場面である。〈私〉の「うきうきとしながら」の内心と「アイスコーヒーを頼む」外界に働きかける動作は自然なものとしてつながっている。ところが、別れを宣告する俊介の言葉によって、「私の笑顔は固まってしま」い、「ただ目をまん丸にして、黙っ」た。それから、外界は〈私〉にとって変貌し、〈私〉は、俊介の口を付けてないコーヒーやウェイトレスのきれいな制服は、最初の川柳作品同様おそらくくっきりと見えていると思われる。しかし、俊介の別れの宣告による〈私〉の重く占領された重力下の内心のために、〈私〉の眼差しを向けられる外界の景物は〈私〉とは乖離した状態で「ぼんやり」見えるばかりである。さらに、運ばれて来たアイスコーヒーまでも全く味がしない。これがあり得るとすれば精神的な重圧は、わたしたちの感覚をも変容させることがあることになる。これはありそうなことに思える。付け加えれば、テレビ番組『世界の果てまでイッテQ』で催眠術を見たことがある。催眠術は、精神的な重圧ではないけれども精神の定常状態からの変容であることは間違いない。そういう意味では精神的な重圧と同等と見なせるかもしれない。その催眠術では、辛い物を甘い物と感じて食べていたと思う。つまり、五感を変容させるということである。

 ①と②は、当然ながら作者吉本ばななが作品を書いている。しかし、実際には作者は、古くは巫女さんのように物語世界の登場人物「花」や語り手に分離・変身して、逆に彼女らに書かせられているといった方が実情に近いかもしれない。とは言っても、①や②の場面を描写するに当たっては作者の現実体験や見聞きした体験が元になっていることはいうまでもない。

 以上、取り上げたわたしたちの特別な状態(励起状態)における心の表現であるが、これらは、心や精神の病以前のわたしたちに普通に訪れる心の状態の描写に当たっている。したがって、誰もが思い当たる所があるというような普遍性を持った表現であると言うことができる。そして、このことは現在だけではなく、遙かな過去にまでさかのぼれるような普遍性だと思われる。そして、この丘陵の向こうの、このような普通の心の状態(定常状態)と特別な心の状態(励起状態)の圏外には、それらと接触しつつもさらに特異な心や精神の「病」と呼ばれる領域がある。

 






74


 表現の現在―ささいに見える問題から⑲
   (現在の渦中に押し寄せる二重性、現在性と永続性)


 空想力は、もちろんそれも人類の現在までの蓄積の上から放たれるイメージや考えであるはずだが、何でもありの自在性や自由度を持っているように見える。例えば「宇宙エレベーター」などその現実化には、素材から設備、運行に到る膨大な技術力の集結と積み重ねの長い年月が必要であろう。しかし、村上龍の小説『歌うクジラ』には、地上から宇宙ステーションまでの「宇宙エレベーター」が登場する。つまり、空想世界や物語世界ではいとも簡単に実現する。わたしたちにとってこのことには異和感はない。科学技術としての研究・開発に取り組むきっかけとなるアイデアも、現在までの技術力の頂を踏まえながらも、そんな空想のようなイメージがきっかけとなっているものがありそうにも思われる。


 自動運転居眠りしてもいいのかな
  (「万能川柳」2016年2月20日 毎日新聞)



 昨年辺りから、「自動運転」という言葉や開発の取り組みなどがテレビ、新聞などで紹介されていた。ウィキペディアの「自動運転」も参照してみた。開発側は自動運転車の開発段階をいくつかのレベルに分けて考えているようだ。つまり、当然ながら膨大な事柄が関わり合う自動運転システムが一朝一夕で出来上がるわけではないからである。

 わたしは開発側とはまったく関係ないから、まずイメージしたのは、上の作品と同類のことである。つまり、自動運転が実現したら、運転者が居眠りしてても大丈夫とすると、飲酒運転も大丈夫ではないだろうかということであった。しかし、なんか遠慮してなのか、なかなかそんなことを言う人は見かけない。

 飲酒運転と言えば、とてもむごい事故があった。それで罰則が強化されたらしいが、それでもしばらく経つとまた飲酒運転者が現れてくる。ということには、そこには人間の本質性が潜んでいるように見える。現在のところ、飲酒運転は抗弁しようもない悪であり、擁護できる論拠はあり得ないように見える。

 わかりやすい例を登場させると、まだビデオ装置が登場してなかった頃のテレビでは、観たい番組を巡って子どもたちのチャンネル争いということがあった。一人っ子でない限り、そこでは当然ある取り決めが必要になってくるだろう。ところが現在では、ビデオ装置のおかげでチャンネル争いということはほぼ解決されてしまっている。これは技術力がわたしたちの生活の一場面に無用な争いをしなくてもいいような自由度をもたらしたからである。

 同様に、現在では擁護のしようもない悪そのものと見なされる「飲酒運転」も、実現されるのはまだまだ遠い先かもしれないが、「チャンネル争い」と同じ無用な争いを解消するのではないかと想像する。

 現状はどうなっているのか知らないが、飲酒運転事故が大きくマスコミで取り上げられた頃、アルコール検出とエンジン始動などを結びつけたシステムの車の開発などを報じていた。現在の段階では飲酒運転による事故を防ぐことは難しいから、何らかの現在的な対処法を考えたり、実行するのは当然であろう。しかし、これなどは、先の罰則強化と同じく人間というものをナメタ安易な後退的な対処法だと思う。

 吉本さんが、現在の渦中には「現在的な課題」と「永続的(永遠)な課題」が混じり合っていると述べていた。飲酒運転の事故によってわが子を亡くした親の場合は、以下の捉え方は難しいと思うけれど、当事者ではなければ次のような立ち位置が望ましく思う。現在の渦中の問題に対して、「現在的な課題」のみと見なして絶対化すれば、飲酒運転=絶対悪としかならないが、交通社会の登場と一般化によって起こってきた諸矛盾の一つである飲酒運転も、いつか自動運転などとして技術力が解放するというイメージや意識を持っていたら、長く生き残る考え方と言えるのではないかと思う。つまり、半身か三分の一身かは未来性の方へイメージや意識を保留したり、開いたりしておくということである。

 なかなか飲酒運転がなくならないのは、人間の本質性に関わっているのではないかと思う。現在の学校も職場も社会全体もどんどん機能・効率などのシステムを上り詰めてきている。昔の大工さんたちで、家を建てたり改築工事などで昼休みにビールなど飲んでいるのを見かけたことがある。現在では過去と現在間で相互に、だんだん想像できない断絶した世界になってきている。人間のいいかげんさやのんびりやぼーっとするような余地を許さないようなシステムや社会は、その人間の本質性に反している。このようなことを上り詰めるとわたしたちに病をもたらすだろうことは確実である。現代社会の「うつ病」の増大もそのことと無縁ではない。飲酒運転に対してもできるだけ柔らかな現実的な対処を考えるべきだと思う。

 






75


 詩を読むのは難しい


 次の詩は、ツイッターで出会った詩である。


ライフ


私たちは
しんだひとに
つめたい。(A1)

それは
しんだひとが
先に
つめたくなった
からだ。(A2)

「あたためますか」
「はい」と
コンビニで
生まれて。B1(A3)

お箸も
つけてもらう。B2(A4)

(宮尾節子 #宮尾の短詩生活)


 この詩の各連を順に、A1、A2、B1(A3)、B2(A4)と呼べば、わたしは初め、次のようなAとBの関連不明の詩行として読んだ。もちろん、詩題(テーマ)との結びつきもわからなかった。つまり、ひとつひとつの言葉は大体わかっても、この詩がよくわからなかった。詩題(テーマ)とA群とB群とがわたしの中では分裂していた。わたし自身も詩を書いているけれど、自身を平均的な普通人以下に鈍い方だと見なしているせいもあり、他人の作品を読み取るのは苦手で苦労する方である。もちろん、一般性としては、固有の地での固有の関わり合いから生まれ育ってきた他人の言葉を読み取るのは難しいということはある。

A1→A2 
    B1→B2

 何度かくり返し読む内に、B1→B2の詩行の流線、特に「お箸も/つけてもらう。」が、A1→A2の詩行の流れを絞り決めていると思うようになった。つまり、この場面のスポットライトは、コンビニの弁当に当たっている。「しんだひと」というひらがな表記は、「死んだ人」を直接指示していない。ユーモラスに「死んだ人」のイメージも織り込みながら、「しんだひと」は、コンビニの「冷えた弁当」を中心的には指示している。そこで、わたしの中で、まだ少し不明な部分を残しつつも、やっと次のようなスムーズな言葉の流線を描くことになる。

A1→A2→A3→A4

 この詩は、わたしたち(わたしはスーパー中心でほとんどコンビニは利用しないけど)が、コンビニで弁当を買い、冷えているのは嫌だから暖めてもらって食べるという日常生活のひとこまをユーモラスに表現した作品だと思う。







76


 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む (1/2)
      ―中世の西行を思い浮かべつつ



     1

 わたしは、本書を読みながらわたしの好きな中世の歌人、西行のことを思い浮かべた。西行は、平安末の動乱の時代を生きた北面の武士、佐藤義清(のりきよ)であったが、なぜか若くして出家してしまった。後に読まれた歌からすればこの世での生き難さから当時の流行思想である仏教の方に入り込んでいったのか、妻も子もいたらしいが、出家の動機も出家後の動向もよくはわかっていない。

 ところで、西行は平安期末の1140年23歳の時出家したと言われている。西行といくらかのつながりのあった貴族の藤原頼長の日記『台記』には、次のように描写されている。 


「そもそも西行は、もと兵衛尉(ひょうえのじょう)義清也。重代の勇士たるを以て、法皇に仕ふ。俗時より心を仏道に入る。家富み、年若く、心に愁無きに、遂に以て遁世す。人これを嘆美する也」(『台記』1142年3月15曰の記事)(http://www.intweb.co.jp/saigyou/saigyou_nenpu.htm ここから引用した)



 藤原頼長が西行とどれくらいの関わりがあったかは知らないが、訪れてきた西行の印象が簡潔に描写されている。そして日記という性格もあるだろうが、これは西行の内面には触れない外面描写になっている。これ以外にも荒唐無稽な話を含む西行の説話的な物語や伝記や記述が書かれているものがある。これらをひとくくりで外面的な描写や説話と見なせば、現在でそれに対応するのは週刊誌の記事や描写であろう。その外面的な描写や説話も現代の週刊誌の記事や描写もともに、ある特定の人物の内面を十分に描写する位置にないし、描写し得る文体でもない。

 だが、西行には歌が残されている。出家前のことや出家後のこと、あるいはとても心引かれていた桜を歌った歌など『山家集』に収められている。また、当時から人工的な美の造型である新古今派の歌と引き比べて具体像をまとった西行の歌は異質であり、すぐれたものであるという評価を歌の世界(貴族社会)では受けていた。残された西行の歌は、人間界の前景からの消失、つまり出家遁世の動機とその心模様を西行が自覚的ではない形で自ずから語ってしまっていると見なせると思う。もちろん、歌であるから、西行の内面が整序立てて明確に語られているというわけではない。しかし、歌には西行の内面が具体像を伴いながら描出されているものもある。例えば、次の『聞書集』の歌は、おそらく老年になっての歌と思われるが、若い頃を思い出しつつ「たはぶれ歌」の形式に乗って歌われている。このような日常詠の歌は、俗謡としては似たものはあったかもしれないが、日常詠の歌として本格的に歌の領域に入り込んでくるのはおそらく近世になってからだと思われる。



 ①

  嵯峨にすみけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを(八首)

うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏の昼臥し(聞書集165)
 【通釈】うない髪の子供が戯れに吹き鳴らす麦笛の音に、はっと目が覚める、夏の昼寝。 

昔かな炒粉いりこかけとかせしことよあこめの袖に玉だすきして(聞書集166)
 【通釈】昔であるなあ。炒粉かけだったか、そんなのをしたことよ。衵(あこめ)の袖にたすきがけをして。


我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ(聞書集170)
 【通釈】私もそのように庭の砂の土遊びをして、そうして成長した身であったのだ。


恋しきをたはぶれられしそのかみのいはけなかりし折の心は(聞書集174)
 【通釈】恋しい思いをからかわれた、その昔のあどけなかった頃の心は、ああ。
 
 (http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/saigyo.html#kikigaki 「千人万首」西行 より引用)



 ②

  春立つ日よみける
なにとなく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山(1062)
 【通釈】春になったと聞いた日から、なんとなく、心にかかる吉野山である。


花に染そむ心のいかでのこりけむ捨て果ててきと思ふわが身に(76)[千載1066]
 【通釈】花に染まるほど執する心がどうして残ったのだろうか。現世に執着する心はすっかり捨て切ったと思っている我が身なのに。


ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならむとすらむ(353)
 【通釈】あてどもなく、月を見ているうちに心が澄みに澄んで、ついには私の心はどうなってしまうというのだろう。


あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき(710)
 【通釈】ああ、ああ。現世のことは、ままよ、どうとでもなれ。しかし、来世もこのように苦しいものなのだろうか。


  題しらず
世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ(新古1471)
 【通釈】世の中というものを思えば、すべては散る花のように滅んでゆく――そのような我が身をさてまあ、どうすればよいのやら。


  あづまのかたへ修行し侍りけるに、ふじの山をよめる
風になびく富士の煙の空に消えてゆくへも知らぬ我が心かな(新古1613)
 【通釈】風になびく富士山の煙が空に消えて、そのように行方も知れないわが心であるよ
 (同上 より引用)



 ①②の引用歌から見ても西行は、仏教の修行者というイメージとはちがっている。桜の花に心ひかれたり、出家しても残る現世への執着を隠そうともしていない。平安末の動乱期、現実世界での生き難い心が、当時の流行の思想である仏教を呼び寄せたと言うべきだろうか。自分の内面との果てしない問答がくり返されている。しかも、それがどこへどういう形で到るのかは西行自身にとってついに不明のままであった。

 ①の引用歌は、西行が眼前の子ども等の所作から自分の過去を振り返ったり、あるいは遠い過去の記憶を思い浮かべたりしている歌である。②の引用歌と比べたら、割と穏やかな内面の在処や表情が表現されている。出家後も一人きりというわけではなく、同じ出家者の親しい知り合いも居て交流もあったようだし、①の子どもの砂遊びなどを見ての歌などもあり、よくわからないという抽象性を伴いつつもある具体像を思い浮かべることができる。人が生きていくということはわたしたちの現在を内省すればわかるように、②の表現のようなある思想的な思い悩みのきびしい系列の表現もあれば、①のような自らを慰藉するような柔らかな表現もある。

 ②の引用歌は、花や月や山などの自然が詠み込まれているけれども、おそらく現世的なものと出家の世界、つまり仏教の世界との間に引き裂かれた心を持て余している表現になっている。西行は、おそらく穏やかな生を望みつつも生涯このような思い悩みを手放せなかったろうと思う。


付.

 奈良県の吉野にある西行庵を若い頃訪れたことがある。出張ついでに訪れた。残念ながら桜の季節ではなく夏だった。著者の小屋程度かそれより少し小さい小屋である。どういう生活の日々を送っていたかは想像できるわけもなく、建物をのぞいただけであった。

 冬の西行庵の写真(urlのみ)
 (http://87yama.sakura.ne.jp/gallery/saigyou-an.html より) 






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 少しすっきりしたこと


 以前、「参考資料―吉本さんの『ほんとうの考え・うその考え』のこと」(「消費を控える活動の記録・その後 2 (2015.6~10)」)の「わたしの註」の末尾で、吉本さんの「対称」という言葉の癖のようなものについて触れたことがある。そんなに重要な問題とは思わなかったけれど、少し長く気になっていたことである。

 最近になって、「短歌味体Ⅳ―吉本さんのおくりもの」を書き進めている関係で、遠い昔に買って若い頃読んだ『吉本隆明全著作集 2 初期詩篇Ⅰ』(勁草書房 昭和46年)を何十年ぶりかで開いて見ていたら、巻末の「解題」(川上春雄)にそのことがちゃんと書き留めてあった。後振り返れば吉本さんの著作の数は膨大で、雑誌に載ったり、本として出版されるものを次第に追っかけて読むようになっていった。傍線が引いてあるから、遠い昔一度は読んだはずのその「解題」のことはわたしの記憶のどこにもなかった。



 用字仮名づかいについては、この解題でふれておかねばならないことは、著者の用語、仮名づかい、あるいは修辞の上で甚だ特色に富むことである。ついては、この企画の第一回配本がこの第二巻『初期詩篇Ⅰ』となる関係から、第一巻の刊行を待たずに、ここに一括して用字用語の大概を記しておく。

 且てたれもがそうとはおもはなかつた不思儀な対称が視られるでせう。

 右の文でたとえば、著者の意識的な好みなり、無意識的な誤謬なり、その混在なりの一端がみられる。しかも、そう(「そう」に傍線)はあるときはさう(「さう」に傍線)となり、対称は、ひとつの文章のなかにおいてさえ、対象、対照を併用していることもあるから一貫した用法ではない。これを校正係から[嘗て]あるいは[かつて]と訂し、[不思議][対象]と訂することの申出があれば、著者はただちにこれを諾するであろうということは、このようなことに固執しない人柄からみて、およそ明らかである。文学的な記録を意識的に行為するようになった米沢在住時代以降、昭和四十三年(一九六八)の現在にいたるまで、依然として、

 (且て)(たれ)もが(そう)とは(おもは)なかつた(不思儀)な(対称)が(視)られるで(せう)。(引用者註.カッコの部分は、傍線あり。)

 というような筆記法によっている。もちろん手紙の文面でもおなじである。



 しかしながら、かつて「不思儀」を「不思議」と書きかえしなかった編集者校正者は存在しないのであったが、この著作集全般の校訂に際しては、あえて原型をのこして、著者の作風、感性を保存しようとつとめた。慣例、適切、常識、精確というような点では、あるいは一般的用字法に折合わなくても、著者独特の語法に拠って、原作にたちかえることを旨とした。

 (『吉本隆明全著作集 2 初期詩篇Ⅰ』「解題」P410-P413)

 
 
 
 そういうことだったのか、と少しすっきりした気分になった。
 






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 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む
 (2/2)
     
 ―中世の西行を思い浮かべつつ



     2


 本書は、著者が現代の出家とも見なせる小屋暮らしをするようになったいきさつや著者の内面的な体験などが語られている。西行の時代に対応させれば、その出家の動機や出家後の生活を西行の場合とちがって外面からではなく内面から割と事細かに語ってくれていることになる。あるいはさらに普遍化させれば、わたしたちが他者(身近な人であれ、社会に浮上する事件の当事者であれ)の行動を推し量ろうとする場合のわたしたちが気掛けるべきことを暗示している。つまり、どんな他者の世界も、ということは自分の世界も、そんなに単純な道筋を経て現在の姿に到っているのではないということ。さらに一見そのことと矛盾するように見えるかもしれないが、この世界を日々生きているわたしたちは、それぞれ固有の色合いや性格を携えながらも誕生から生い育って死へという過程を誰もが一様にたどってゆくのだろうということである。

 しかも、一般的には人は、内省することはあったとしてもそのような過程自体をごく自然なものとしてたどっていく。しかし、この著者の場合はその大多数が生活している「自然さ」に異和感を抱いている。また、誰もが何らかの形で持つのと同様であるが、著者によって事細かに内省的に語られても、著者が容易には触れ得ない無意識的な領域も存在する。著者の場合、それは日常性を振り切るような威力を持つ、〈死〉というものに過剰に引き寄せられ、引き回されることである。下の②に引用するように、そのことの起点としての小学生頃のイメージのようなものは描写されているが、おそらくその〈死〉への囚われは、もっと根深いもののように見える。そしてこのことは、西行の絶えず現世と出家後の仏教的な世界との間に引き裂かれ思い悩み、現世へ執着する心と似ている。
 
 西行の歌を①と②に分けて引用したのと対応させて、本書の著者の言葉から取りだして、以下①と②に分類的に抽出する。



 僕は遠い昔、むしろまったく逆の人間だった。人を真似したり、信じたりすることによって、無数の人々が構築してきた文明や文化の恩恵を享受する術を知っていた。しかし今や、自分の性格や思考様式はすっかり変貌してしまった。

 それでも、なんとかやっている。僕は僕のままでちゃんと生きている。
 小屋暮らしにはどの季節にもそれぞれのよさがあるが、あえて季節を一つ選ぶとするなら僕は冬を選ぶ。小屋を留守にしてどこかを彷徨っていることもしばしばだが、小屋を建ててから今まで、冬に小屋にいなかったことは一度もない。
 朝、ロフトの寝床で目を開ける前に、雑木林ごと綿で包んだかのような静けさとほんのりとした暖かさに気づき、今日は特別な日だと感じることがある。目を開けて、ロフトの天窓が雪で覆われているのを確認し、「やはり」と思う。屋根に積もった雪が断熱材として機能しているのだ。かまくらの原理である。
 顔を洗って外に出て、薪棚の前で今日はどれにしようかなと目をキョロキョロさせる。積まれている薪はあちこちからかき集めてきたもので千差万別てある。太いのもあれば細いのもあり、樹種も乾き具合も、表皮の厚さなんかも全然違う。なるべく相異なった太めの薪を三本ほど、たいがいサクラを一本、焚き付け用の細い小枝と一緒に抱えて小屋の中に戻る。


 ストーブが稼働したら、パンを二枚焼く。薪ストーブの上で焼き網に乗せて焼くと輻射熱で中まで熱が通り、絶妙に焼ける。バターを塗って、こんがり焼いたベーコンを乗せて、塩胡椒を多めに振り、コーヒーと合わせて朝食とする。これは僕が冬の間中ずっと繰り返していたメニューである。
 (『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』P144-P146 高村友也)


 小屋は、舗装された道路からでこぼこの林道を数百メートルほど入ったところにある。……中略……
 都会にいながら、「一人の時間」を確保するのは、そんなに難しいことではないかもしれない。喫緊の用事を済ませ、携帯電話の電源を切って、部屋の扉にカタリと鍵をかければ、何か思案に耽るにはとりあえず事足りる。
 山小屋の「一人の時間」はそれとは少し異なる。部屋に鍵をかけ、外界を遮断して一人になるのではなく、外界と繋がったままにして一人なのだ。雑事を締め出し、雑念を追い払い、ようやく作り上げるかりそめの一人の時間ではなく、全体性を持った本物の一人の時間である。
 この全体性こそ、わざわざ実際に土地を買って小屋を建てて、自分の生活そのものを捧げてまで欲しかったものである。
 (『同上』P146-P147)


 小屋には誰も呼んだことがない。
 僕は一人でいるのが好きだ。何か趣味に没頭しているわけではない。何もすることがなくても、何ヶ月でも延々と一人でいられる。「一人」というのは、本当に心が安らぐ。
 自分の中の最深部へ降りていったとき、そこに他人がいるか否か。そこに他人がいるという人は、安全地帯にも信頼できる他人が必要なのだと思う。僕の場合、そこには自分以外には誰もいない。
  (『同上』P146-P147)






 しかし、あえて一言で言うならば、「自由に生きる」ために僕はこの生活を選んだし、選ばざるをえなかった。


 自由に生きるとはどういうことか。
 それは、自分の中にあるものすべて投じて、自分自身に忠実に、全身全霊で生きるということである。もしも、自分の中のごく一部の能力、ごく一部の思考、ごく一部の人格のみによって、上っ面を撫でるような毎日しか送れないとしたら、それ以上の悲劇はない。 ことさらに自由を求める人が往々にしてそうであるように、そもそも僕は本来、自由とは正反対の性質を宿した人間である。とりわけ小屋を建てようと思っていた頃は、数多の抑圧を抱えて身動きが取れなくなっていた。
 その抑圧の根底には、物心ついた頃からずっと考え続けてきた「自分の死」のイメージがある。いつか死んで永遠の無に溶け込むことを知っている自分と、今まさにこの瞬間に日常を生きつつある自分とが乖離していって、なんだか毎日に全人格を投じて生きられていないと感じるようになった。
 自由に生きる。自分自身として生きる。そのためには、生と死のどちらをごまかすこともできない。自由に生きるとは、すなわち僕にとって、「死」というものまで包含しながら生きてゆくということだった。
 (『同上』「はじめに」)


 小学校の一年か二年か、そのくらいだっただろうか。はっきりとした年齢は覚えていない。
 実家の二階の少し広い和室に布団を敷いて、いつものように一人で寝るところだった。橙色をした豆電球の明かりをぼんやりと眺めるともなしに眺めていて、いやもしかしたら目を瞑っていたような気もするが、突如、「僕はいつか死ぬんだ」と思った。次の瞬間、「そして永遠に戻って来ないんだ」と思った。
 たった二秒か三秒のできごとだった。
 そのとき、現実の存在物とまったく同等なリアリティを持って僕の脳裏に浮かんでいたのは、僕がいなくなった後の暗黒の宇宙と、百年、千年、一億年、……永遠に終わらない無限の時間だった。
 僕は動悸を起こし、発汗し、震えていた。上半身を起こし、そのまましばらく掛け布団の青い花柄を見つめていた。
 僕は消えてしまう。永遠に消えてしまう。怖い。絶対に嫌だ。
 時間の感覚が消失し、僕を突き動かしていた「人生」という物語が消えた。自分の人生が、点のように小さくなってしまった。


 この二秒か三秒足らずの経験によって、僕は、外界にまったく原因を持たない、日常生活という文脈から完全に切り離されたところからやって来る、純粋に内的な経験があることを知った。僕にとって決定的な経験であったにもかかわらず、時間的に前後の出来事と結びついておらず、何歳のことであったか定かでないのは、文脈がないからである。
 その内的経験は、何か現実の存在物の抽象化といった過程を経て得られるのではない自立した「観念」と出会うこと、あるいは自身の中に最初から存在していたその観念に気づくことを意味した。
 そして、その純粋に内的な存在であるはずの観念が、肉体に影響を及ぼしうるのだということを知った。
 (『同上』P20-P22)


 僕はひたすら、自分ばかりを見ていた。
 ―中略―
 しかし、特定の誰かの視線ではない、誰の視線でもない視線があった。死の観念がもたらす、死の世界から見る視線だった。
 (『同上』P58)


 病気ではないことははっきりしているし、医者に症状を言えば病気と言われるであろうこともはっきりしているし、医者には治せないであろうこともはっきりしているし、症状が治ればいいという問題ではないこともはっきりしている。
 (『同上』P171)




 著者が、過去を振り返り、自らを内省し、「随所にその動機となった思いや経験をちりばめた」言葉の中から、わたしが大事と思うそのいくつかを抽出してみた。わたしは心の専門家でもない普通の平均的な世界を主に潜り抜けて来た者に過ぎないし、どこまでそれが可能かわからないけれど、できるだけ著者の心の在所に近づこうとしている。

 抽出した①の群は、著者の小屋暮らしの描写の中から、わたしが特にいいなと思った部分である。たとえ不安の影が背に張り付いていたとしても、そこには万人が持つであろう、日々の細々とした生活の中で、穏やかに流れる時間があり、柔らかな眼差しや憩いや心安らぎがある。ここでは、人と人との関わり合いが希薄な、中世の「隠者」たちのような静けさがあるとしても、である。

 ②の群は、著者がなぜこのような小屋暮らしをするようになったかの動機の連鎖に当たっている。人は誰もが気づいたときには物心ついていて、誰々の家の子であり、どんな性格であり、という風になっている。どうして自分は感じ方や考え方や性格がこんななのだろうと嫌になったり、疑問に思うことは誰しも多少はあっても、それをたどる術がない。現在では、胎内の胎児の振る舞いが画像としてある程度わかるようになってきているとしても、その謎をたどる術がないように見えるのは変わりがない。ただ、わたしたち人の性格の核の部分の形成は、胎内から始まっていると言えそうである。そして吉本さんが明らかにした太宰治や三島由紀夫の乳児期の有り様から見れば、人の性格などの核の形成時期に相当する胎児期や乳児期という、人が絶対的な受動性であるほかない時期の生活の有り様が、無意識的な核として後々を大きく左右するほどとても大事であるということも言えると思う。

 著者が、〈死〉というものに過剰に引き寄せられたり、占領されたりすることの起点として小学生頃のイメージを置いて描写している。著者に思い当たるのは、そのような唐突に訪れた体験であったのだろう。しかし、人の生まれ育ちの観点からすれば、誰もが通り過ぎてきたのに「そこに思い出せない記憶があるということはわかっている」(P37)とあるような漠然とした靄のような心の領域がある。わたしたちの性格の核の部分は、容易に気づくことのない、無意識的な領域に沈んでいるのだと思う。したがって、それは性格の核の部分が発した現象の一つなのかもしれない。付け加えれば、生まれて言葉をしゃべれるようになったまだ小さい頃なら、胎内の記憶を持っていてそれを語り出す子もいるらしい。

 生きようとする意識にどこからともなく寄せてくる(ように見えたり感じられたりする)死の想念の波によって、著者の生存の感覚や意識は、今・ここに・生きているという現存性と、「世界をどこか遠くの上の方から眺める人格」(P95)とに二重化する。したがって、引き裂かれた分裂感(乖離感)を味わい続けることになる。

 ところで、ここで個としての心や魂の場所から視線を引いて見る。
 鎌倉期に多くの新仏教が起こり活動的になったということは、当然ながらそれ以前からの胎動があったということになる。平安末から鎌倉期にかけて、飢饉や病や戦さなど世の中のどうしようもないほどの惨状を目の当たりにして、また時代の激動と流行思想に押されるようにして、現世から出家遁世する者たちがいた。彼らは仏教の修行をしながら、西行のように文学(歌)に力を入れた人々もいた。これらの後に隠者と呼ばれる人々が、どの位の規模で存在していたのかは分からないけれども、この一群の人々が鎌倉期の新仏教への流れに大きく関係しているはずだから、社会的に無視し得ないような規模としてあったと思われる。例えば、西行の絶えず自らの生存の有り様を問い続ける歌のように、この一群の人々は、流行や流行思想に乗りながら、この世界から外れるようにしてその存在自体によって、この世界やそこでの人の生の有り様を照らし出していたはずである。

 同様に、現在の著者のような生活する人々や「ニート」と呼ばれる人々まで含めると、この社会から一歩退いて生きる人々は、割合から見ても無視できない規模だと思われる。かれらを共通の地平で捉えれば、個々人の動機の違いは様々でも、自分の存在に対する何らかの否定性が普通以上に強いのかもしれない。これを社会との接触の面で見れば、本人たちの自覚としては希薄でも生き難い社会として否定性として見なされているはずである。このような動向や、例えば社会の現状に対応して社会で進行している葬式の有り様の変貌(家族葬の増加や葬式の簡素化)などが、徐々にこの社会を突き動かし変貌させていくのだろうと思う。もちろん、それらの大本には、わたしたちが関わり呼吸するこの社会の産業的な構成の更新があり、それに促されて変貌が現象してくる。

 最後に、著者の場所に戻る。
 普通、人々は、人間関係でひどい目に遭ったとか大きな難題に出くわしたときとかはあり得るとしても、学者や研究者や表現や思想などに入りこみすぎた者でなければ、日々生きていること自体を意識的に、継続的に問うたり、追い詰めていたりはしない。著者の場合は、生きていく上で大きな難題に魅入られてしまったから、避けられない形で小屋住まいという生活の形の有り様や本書の言葉として結んできたのだろう。

 著者が力こぶを入れている(入れざるを得ない)ように見える哲学的な言葉は、ほんとうは彼の生存の条件から強いられたものにすぎないのではないかと思う。つまり、彼の生存の固有の条件が、哲学的な言葉を引き寄せ、哲学への関心へと押し出した。著者がどこかで哲学自体にそんなに関心があるわけではない、と記していたように思うが、ほんとうは、自らの魂の在所にわずかでも光が差し込んで、その心から精神に渡る乖離やこわばりがほどけていけばいいのだろう。それが第一に願われていることだろうと思う。

 このように、思い悩むのは人であれば例外はないけれども、著者のように重たい課題を抱えてしまった人々も居るのだろう。その背負ってしまった重たい課題は簡単には解けてしまわないと思われるが、日々の生活の具体性を生きくり返す中から、いい小径ができて、心穏やかな時間が十分に持てるようになったらいいねと願うばかりである。お節介ではあるが、わたしから見ると著者は潔癖すぎる印象だ、もっと生活過程でのいいかげんさも大切にされたらと思う。

 引用②の最後に、「病気」についての捉え方が記されている。坂口恭平『家族の哲学』の中の、作者が深く流れ込んでいると思える躁鬱を抱えた〈私〉もまた、この著者と同様な病の捉え方をしていた。この捉え方には、外からはいかにささやかにみえようと日々積極的に自由に生きようとする著者たちの、悪戦苦闘と生存の意志が込められている。






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 表現の現在―ささいに見える問題から ⑫
    -補註1 (吉本隆明『言語にとって美とはなにか』に触れ)



 ※今回からのいくつかの補註は、前回の又吉直樹の『火花』に触れた文章(⑫)の補註に当たる。あれはあれで一つの区切りは付けていたが、もう少し残余があり、しかもその問題がわたしにとって大きすぎて、難しすぎるのでこの文章はのびのびにしていた。曖昧さは含むだろうが、一応のけりを付けておきたい。



 例えば、竹取物語は作者未詳と言われている。このような作者がはっきりしない作品は平安期でも他にいろいろある。当時の作者意識は現在とは違っていたのではないかということを推測させる。現在では、作品には固有の作者が存在する。しかも、著作権ということで著作に対して作者は法的な保護も受けている。

 作品は、わたしたち読者をある物語の時空へ誘い出し、様々な物語の起伏や流れを通してもてなしてくれる。作者もまたわたしたちと同じような社会関係の中に存在し、同じ時代の大気を呼吸している。したがって、作品には、作者を通してわたしたちと共有される時代の感性や意識の水準と作者固有のものとの二重性が織り込まれている。わたしたち読者は、すぐれた作品との出会いにおいては、作品世界に入りこめば作品をまるで日常の行動のように読みたどりながら、物語のわくわくするような起伏や流線の流れに乗って開放感を味わうことの他に、作品の中に作者を通して織り込まれた時代性としての既知のいい感じの感覚やイメージを味わったり、時代性を超えようとして作者が密かに微かに指し示す未知の感覚やイメージを味わったりしている。

 以下に引用する吉本さんの『言語にとって美とはなにか』と「カール・マルクス」からの言葉は、わたしの言葉で簡潔に言い表せば、前者の言葉は、「作品には、作者を通してわたしたちと共有される時代の感性や意識の水準と作者固有のものとの二重性が織り込まれている」、その二重性の一面の、共通性として抽出できる社会や時代と関わる面を主要に扱っている。ある時代のある社会の状況が、その全ての生活者住民にある影響をもたらす。そして、普通の生活者ならそれに対する様々な反応が日常の生活過程での選択や行動として引き出されてくる。このことは表現する作者であっても同じであるが、作者の場合はさらにそれがより先鋭的に表現世界における反応へと持ち越され、作品の世界に現実社会での反応とは区別される表現的な反応として現れてくる。これらが、ある抽出された抽象度の水準で考察されている。そこでの具体性とは、個々の作品に表現される、言葉の表現の具体性である。

 後者の「カール・マルクス」から言葉は、人間が社会の内で自然と関わり合い自然を人間化していく、またその反作用として、人間は自然に対するイメージや意識を形成していく。人間と自然との関わり合いの歴史的な積み重なりの中で、現在はそういう現実社会の大規模な変貌の段階に遭遇していて、そのことがわたしたちの自然に対するイメージや意識に知らぬ間に新たな段階を画しているのではないか。そして、それは感受できる徴候として当然ながらわたしたちの日々の生活の渦中でのイメージや感覚や意識として発現されているだろうし、作者たちの表現された作品の言葉にも発現してくるはずである。



 個人の存在の根拠があやふやになり、外界とどんな関係にむすばれているかの自覚があいまいで不安定なものに感じられるようになると、いままで指示意識の多様さとしてあったひとつの時代の言語の帯は、多様さの根拠をなくしてただよってゆく。〈私〉の意識は現実のどんな事件にぶつかってもどんな状態にはまりこんでも、外界のある斜面に、つまり社会の構成のどこかにはっきり位置しているという存在感をもちえなくなる。
 こういう情況で、言語の表現はどこにゆく手をみつけだすだろうか。
 たぶんこれが大正末年このかた近代の表出史がつきあたった表現のもんだいだった。これは高度に均質にはばをひろげていった資本制度の社会で、さまざまな個人の生活史がどれだけ均質な条件にさらされたかということにちがいなかったろう。表現としていえば、文学者たちの現実にむかう意識はローラーでおしならされたように、かわりばえもなく均質化された。そして、文学の表現は、どんな個性の色彩をもち、個別のモチーフを唱いあげたものであっても、この社会がしいたローラーならしにたいする反応や、抵抗や、代償としてはじめて成り立つほかなかった。


 解体にひんし、均質化につきあたった〈私〉意識が、まずみつけだした通路は、文学の表現の対象になるものを主体のほうからすすんで平準化し、均質にならしてしまうことで、現実の社会のなかでの〈私〉の解体を、表現では補償しようとすることだった。
 たとえば、〈石ころ〉と〈人間〉とは現実世界ではまったくちがったものだ。そしてちがった認識の位相にひとりでに位置づけられている。また〈猫〉と〈舟〉とは現実の世界では質がちがい〈花〉と〈子供〉とは現実の世界でちがった意味づけをあたえられている。人間と自然とは、その自然が建物や器械のように人工的なものであれ、草や樹木のような自然なものであれ、まったく異質だということは、わたしたちが現実の社会にあるとき暗黙のうちに前提にしている。こういう前提が現実の人間社会を成り立たせている根拠になっている。そこで生活しているときのわたしたちの関係には、そういう基本になる確かさがひそんでいるといっていい。だが表現世界をどんなことでもあるしおこりうる想像の全球面とかんがえると、かならずしもこんな確かさは前提にはならない。それはけっして想像は自由だから(ほんとうは自由でないのだが)ではなくて、現実認識の序列があやういところでこそ表現の特有な秩序が成り立つものだとかんがえなければ、芸術的な表現は自由に存在できる根拠をたもちえないからだ。しかし、くりかえしていえば、芸術の表現が自由な秩序をもてるということは、すぐに想像がまったく自由だということを意味しない。すくなくとも、現実の社会でさまざまな個人が、じぶんの根拠や理由が不確かだとおもったとすれば、その部分に対応するある球面での想像が自由になるとかんがえることができよう。
 近代の表出史がこのもんだいに当面したのは大正末年だった。
 (『定本 言語にとって美とはなにかⅠ』「新感覚の意味」P256-P258 吉本隆明 角川選書) 


 (引用者註.横光利一の作品を引用して)
 これらの断片が鮮やかにしめしているのは、表出の対象が等質だということだ。それは馭者が馬をさがさずに、馬が馭者をさがしてもおなじだし、日の光が馭者の猫背に乗りかかり、朝日が「私の胸」に殺到し、寒駅がぼんやり列車の横腹に横たわっているという主格の転倒によって、もともと対象の主格性が交換可能なものにすぎないことをあざやかに啓示した。
 おそらく、そういう表出の根源には解体してしまった〈私〉の意識からは対象は自然であれ人間であれすべて交換可能な相対性にすぎないという認識がひそんでいた。その意識からは〈馬〉や〈日の光〉や〈寒駅〉に表現のうえで自意識をあたえることが不自然ではないという文体革命のうえの事情がかくされていた。わたしたちはこれらの表現から横光利一の個性の特質をえりわけねばならないだろうが、しかし、そのうえに表出史のあるぬきさしならぬ契機がここにはあったとみなければならぬ。…………中略…………近代の表出史ははじめて大正末期に、ある想像線を設定し、その想像線のなかでは現実的な序列とちがった表現の対象があつまって、並列にならぶことができた。その無秩序が表出としてありうることを確証したといってよい。これは表出史としてみれば、現在までにかんがえられる最後の水準に言語空間が足をふみいれたことであった。
 (『同上』P260-P261)




 ここで、吉本さんは個々の具体的な作家や作品を取り上げたとしても、ある論じうる表現の地平に対象を抽出して、ある抽象度で論じている。先ほどの作品に織り込まれる二重性の、意識の面から見た共通な社会の有り様や時代の感性や意識の水準から作品と作者が捉えられている。つまり、人間が、ある社会状況の渦中や時代性の中に生き、そこで呼吸している以上、そのことが人々の抱く感覚や行動にある共通性をもたらすだろう。同様に、芸術表現の世界に赴く者も、個性やグループなどにおけるバリエーションがありつつも、何らかの共通な傾向性を持つだろうことは確実である。それらが歴史的な積み重なりの水準として把捉されている。

 したがって、「現実の社会のなかでの〈私〉の解体」は、「新感覚派」のみに限らず同時代のすべての表現者を襲った共通の時代性の水準と見なされていて、「現実の社会のなかでの〈私〉の解体を、表現では補償しようとすることだった」、その一態様として「新感覚派」の表現も捉えられている。現実社会での人の対応とは相対的に独立した表現世界の有り様が追跡され、記述されていることになる。






80


 表現の現在―ささいに見える問題から⑫
   
-補註2 (伊東静雄に触れ)



 ここで、大正末から昭和初期の人々の意識に押し寄せた均質化を迫る都市意識と「現実社会のなかでの〈私〉の解体」、そこからの反応について、詩人の伊東静雄を具体例として触れてみる。

 現在は、都市と農村間の物質的・精神的な落差が解体されて、割と均質な社会になっている。割とという意味は、どこへ行ってもコンビニなど似たような風景があり、似たような仕事や生活様式であるという均質さと共に、まだその地域独特の言葉や風習などが残存しているからである。もちろん、その地域特殊に見える残存しているものも、柳田国男が追い詰めたように、二昔前までのこの列島の共通性として抽出できるのかもしれない。ただ、現在の「消費資本主義」という新たな段階の社会様式の均質性から見たら、それらはそれ以前のもの、均質化以前の残存と見なせると思われる。

 産業の構成として現在は、伊東静雄が詩人として登場し始めた大正から昭和初期の第一次産業中心からちょうど入れ替わった形の、第三次産業中心の社会になっている。(註.図表資料参照)その渦中にいるわたしたちは気づきにくいけれども、長い歴史を振り返ってみても農耕社会が始まったような新たな歴史段階とも呼べるような異例の社会が到来しているのではないか思う。しかし、現在は現在で、その均質化した都市の内部に様々な諸問題を抱え、未来に向けた再構成が促されているように見える。

 一方、近代の主要な問題として、物質的・精神的な落差としての都市と農村の問題があった。諫早(長崎県)という地方(農村)出身の伊東静雄が、思想や詩の表現において強いられた場所も、以下に引用する「大阪」「京都」という文章に見られるような、伊東静雄に押し寄せてくる都市意識と伊東静雄から湧き上がる地方(農村)意識とが交わる境界にあった。



 もし私が大阪に住まなかつたら、恐らく私は詩を書かなかつたことだらうと、近頃はよく考へる。さう考へることは大へんたのしい訓練である。誰だつて詩を書くといふことは、はづかしいことに相違ない。しかし大阪は私に詩を書く口実を与へるのだ。大阪では、自ら「心ある人」を以て任じてゐる人達は、私に、萩原朔太郎氏の所謂西洋の図(コレ西洋の図に傍点)を、余所の町でよりやすやすと認容するからである。大阪はそんな町である。私はかかる「心ある人」をこの町で一番軽蔑してゐる。
 私は家で退屈し切つてゐるが、外に出てそんな人々に故意とさも美しく生れ故郷の風景を、興奮した口調で描写する。そして聞き手の反応にじつと目を据ゑるのは私の反抗の流儀である。
 しかし、このたくらんだ西洋の図(コレ西洋の図に傍点)を簡単には許さない一二の友人だけが、表情の仕様もなくぽかんとして私の話に、実に実に困り切つてゐる。その表情がはじめて私を真実に興奮させる。友人はそこまで私を辛抱強く我慢してくれねばならぬ。そこでやつと臆病な私はいきいきと友情を感じて、対等な、虚空な場所に浮き上がる。私の目の前から大阪がなくなり、私の詩もなくなつてしまふ。
 そんなことを繰り返して私は毎日大阪で暮らしてゐる。
   (「大阪」全文 『椎の木』昭和十一年一月号)
     (『定本 伊東静雄全集』所収 人文書院 ※旧漢字は新漢字に直した)



 私が京都で大学生生活をしてゐたのは、大正の終りから昭和の初めにかけてである。九州の田舎から出た性急な私は、京都の温雅清寧の風景に先づ閉口してしまつた。何処へ行つても融和しがたい、憤懣に似た感情を味つた。私の当時の情感は、京都の風景を拒絶したが、悪いことに、私の本質はその美しさを理解してゐたのである。そのために二重にいらいらとし、自分がのけ者になつてゐるのを覚えた。私はこの温雅な風景に向つて、大声に罵倒してやりたい衝動をいつも覚え、おちついたその鑑賞者までが癪にさわつた。……中略……しかし私は今日でも尚、それ等愛読の古典とそれを生み出した京都といふ土地とを結びつけるのに困難を覚えるのだ。それは何故だらう。この背反の中にそのまま住するこのやり方は、私の性格に深く根差した発想法ではないかとも思ふ。自分の詩と生活の様式はいつもそこから出てゐるのぢやないか、そんなことが、それから十年経つた今日少しずつ自覚されて来るやうだ。しかし、再び京都に行つて、も一度今の目で京都を見直したいといふ気には未だなれない。その気持ちは頑強に持続している。
   (「京都」『新生』昭和十五年一月号) (同上所収)



 大正末から昭和初期の知的な若者たちで地方農村から都市に出向いた者たちの初めて感じた感受や言葉の落差を実感として想像するのは現在のように均質化した社会からは難しくなってしまった。かれらは地方農村の中でも経済的に割と余裕のある階層の出身であった。伊東静雄の場合は、旧制の佐賀高校を経て京都帝大に入学している。

 萩原朔太郎は、伊東静雄の第一詩集『わびひとに与ふる哀歌』(昭10年10月刊)を、「傷ついた浪漫派」の詩として高く評価した。伊東静雄の詩の言葉を「都市意識」あるいは西欧的な抒情詩の方から見れば萩原朔太郎の言葉のような「傷ついた浪漫派」の詩に見えただろう。一方の伊東静雄が引きずっている「農村意識」あるいは現実的な意識の方から見れば、青い未熟の果実しか実らないような不幸の農村世界の影が見えただろう。伊東静雄の詩は、「都市意識」の方から眺められた華やかなイメージ評価を多く見かけてきたけれども、ほんとうは伊東静雄に寄せてくる都市意識と伊東静雄から湧き上がる農村意識とが交わる境界にこそ伊東静雄の言葉の在所はあったのである。

 地方出身の伊東静雄に都市意識や都市という世界への同化を迫るように感じられるなかで、「大阪」という文章にあるように、西欧も無批判的に受け入れる都市や都市の人々への異和を表明している。しかし、伊東静雄が親友と交わした『伊東静雄青春書簡―詩人への序奏』を読めば、旧制の佐賀高校時代は島崎藤村や浪漫派の文学、当時の流行の阿部次郎『三太郎の日記』などの哲学書も読んでいたようだから、それらを通して間接的にであれ西欧の文学や思想や知識に触れていたことになる。伊東静雄の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』から詩「わがひとに与ふる哀歌」を引いて見ると、


  わがひとに与ふる哀歌


太陽は美しく輝き
或は 太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行つた
かく誘ふものの何であらうとも
私たちの内の
誘はるる清らかさを私は信ずる
無縁のひとはたとへ
鳥々は恒に変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讃歌を
あゝ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでゐる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何にならう
如かない 人気ない山に上り
切に希はれた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに

  ( ※旧漢字は新漢字に直した )


 伊東静雄は、「都市意識」と「農村意識」の間に引き裂かれる境界から、詩においてはひとつの息苦しい仮構によってその矛盾を乗り越えようとした。たとえ「輝くこの日光の中に忍びこんでゐる/音なき空虚」が見出されようとも、「 太陽は美しく輝き/あるひは 太陽の美しく輝くことを希ひ/手をかたくくみあはせ/しづかに私たちは歩いて行った」そして「 いま私たちは聴く/私たちの意志の姿勢で/ それらの無辺な広大の讃歌を」(「わがひとに与ふる哀歌」)歌い上げるのである。この詩は、「わがひと」に与える「哀歌」とあるように、「傷ついた浪漫派」の詩である。しかし、読者がこの詩に散りばめられた語群を結びつけていって華やかな哀歌のイメージを受け取るのは実像とは違うような気がする。この詩の背景には、伊東静雄が同郷の先輩の娘(たち)に思いを寄せ続けたが、拒絶されそれでも思い続けたという現実的な体験がある。その娘(たち)を「都市意識」と見なせば、拒絶された伊東静雄は引き裂かれた「農村意識」と見なすことができる。「音なき空虚を」を乗り超えようと呼びかける「あゝ わがひと」という詩語は、現実的には引き裂かれた悲痛さの表現に他ならない。伊東静雄が心寄せた娘の行動や語られた言葉から推測すれば、その娘には、互いに同郷の出身なのだが伊東静雄は「都市意識」からははずれたがさつな田舎者に写っていたように見える。しかし、不思議なことに伊東静雄は別の女性と結婚して以後も生涯その娘との手紙のやり取りなどを続けていた。

 この「わがひとに與ふる哀歌」という詩は、現在から見ればストーカーの心理のような奇妙な詩に見えるが、実像としてはきらびやかな詩ではなく、ひでりに疲弊した集落で必死に雨乞いを唱える、そのような言葉と見た方がいいと思う。それが「雨」を現実にもたらすことはないから、つまり、「わたし」と「わがひと」とが現実に結ばれることはないから、萩原朔太郎はこの詩を「惨忍な恋愛詩」と呼んだのであろう。そして、「雨乞い」と言っても太古以来の呪術的なそれではなく、近代的な衣装をまとったイメージとしての呪術とも呼ぶべきものだと思う。伊東静雄は、ドイツのロマン派詩人、ヘルダーリンの詩を愛唱していて影響も受けていたようだが、願望のイメージとしては具象性を欠いた西欧のそのような世界を彼岸として指し示そうとしたのかもしれない。しかし、この詩「わがひとに與ふる哀歌」に見られるような生硬な欧文脈の翻訳体のような詩の言葉が、そのイメージの此岸としての在所と孤独とを語っているように見える。

 「農村意識」を抱えた伊東静雄は、こうして「都市意識」の差し出す均質化の要求に耐え、失墜必須の不可能なイメージの翼を広げ飛翔を試みたと言えるだろう。若い伊東静雄は、大正末当時のロシア経由の流行思想である社会主義などの思想にも少し近づいて引き返したが、現在からの視線として言えば、ほんとうは柳田国男の言葉の在所へ近づいて、その言葉を繰り込むべきだったと思われる。


 註.図表資料

 伊東静雄の表現活動を開始した時期の大正から昭和初期と現在の産業の構成について。
 下の図表は、全国の平均であるが、大正から昭和初期の日本の平均的な産業社会像が、第一次産業中心であることを示し、現在のそれが、第三次産業中心であることを示しているのは確かである。

 表3-1 産業(3部門)別15歳以上就業者数の推移-全国(大正9年~平成17年)
 
  総務省統計局
 ( http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2005/sokuhou/03.htm )




















































































ツイッター詩



 [ツイッター詩42]


今日も地が震い
遠い国では戦火が上がる
フツーに暮らしていても
どこで 何が あるか
わからない
世界に生きている

ふあん
あなたは何のふあん?
あなたは誰のふあん?
追いかけて
あいまいな
木の葉を何枚数え直しても
お金は消費しても
愛にも 希望にも
ならない
愛の行き止まり
希望の行き止まり
つまり言葉の行き止まり

もう行き止まり
と誰もがわかっているのに
そこのかど あそこのかどと
ランニングマシーンのように
日々足早に歩いている
そして誰もが行き止まりの言葉をつぶやいている

明るすぎる照明を浴びて
楽しそうにダンスダンスダンス
けれど
この列島の大地から
無数の砂粒の軋む音のような
否定の韻ばかりが
幻聴のように聞こえてくる
いま・ここは・・・・





 [ツイッター詩43]


遙か
真っ暗な夜があったように
まっくらな言葉もあった
まっくらくらに目まいしながら
人は
わずかの火を頼りに
細い道を歩いた

母音の集落に
ああ おお
交わし合い
つぶやいたり
日差しを浴びて
一日の流線をたどる


そこに ある もの

母音に染まり
大いなる自然にこだま響かせ
人は音の丘陵を
上り下りして
踏み固めゆく
くり返しくり返す
足跡

(これをもし野蛮と言うなら
今も大して変わり映えはしない
むしろ今は
くたびれた靴下のよう)





 [ツイッター詩44]


眠り入るようなある境に
ぷるぷる ぷるぷる
水の揺れる
小さな音だ
あまりに近く大きい
水滴の振る舞いに
圧を感じ
心波立っている

水なのに
微かに
匂い立ち来て広がるものがあり
「水が違う」気分に
落ちていく
どこまで下るかわからない
心の片隅の不安
重くはない

不確かでも
何度か出会ったことがあるような
夢まぼろしのように
変幻で
大きさや形は不定でも
この圧の触れゆく感じは
抗いがたく
ぬるりと迫り来る




 [ツイッター詩45]


踏み重ねる
いち にい
いち にい
くり返す くり返し
くり返している
この世のものみなすべてと同じく
くり返す

足踏めば
熱も出る
汗も出る
踏まれるものから
青い麦の匂い微か
溶け出し
匂い出し
抗力の
寄せる風に包まれる

足は
踏み重ねる
くり返し
踏み踏む
遙か彼方からの流れのなか
無数の人々と同じように
薄闇のなか
いくぶんか
ねこのふみふむように
踏み重ねているのかもしれない





 [ツイッター詩46]


詩は生活の一部にすぎない
けれど生活の重力を振り切ろうとする
生活はリンゴを収穫し流通させ購入し食べること
詩は直接に幻のリンゴを創造し収穫しかじってみること

生活は3Kでも突き進む
詩はよけて理想の線分を描き終わることもできる
いま ここに

生活も詩も兄弟みたいに手足頭動かして
何かを生み出したり消費したりする
いま ここに

人は
生活に日々黙々と生きて
人は
詩に幻の血煙を上げる
遙か 始まりの
分岐線を
静かに回収し
いま ここに
新たな種を蒔くように
日差し受け 周りをよく見ていても
無意識的な内向は 深く 深く
(dance dance dance!)



















































短歌味体 Ⅲ


  [短歌味体Ⅲ] 微シリーズ・続


207
選択し接続される
言葉たち
丘陵(おか)を上り下るベクトル場の


208
落とされた言葉の波紋
見えない
けれどもんもん触れ波色立つ


209
肌に触れ下りゆくゆく
言葉たち
波紋ゆらゆら深く青みへ


210
青々の遙かな深み
身震いし
上りゆく言葉に微かな青の




  [短歌味体Ⅲ] 簡単に語れるかシリーズ


211
簡単に言えば言えるか
子どもなら
論理の外から匂い見定める


212
言葉の絡み合う櫓(やぐら)
透視する
ほねほねほねの芯がうねってる


213
尽くされたひゃくまんげんも
骨がある




  [短歌味体Ⅲ] 葬式よりシリーズ


214
読経する広がる沈黙の
深みから
生死を分かつ奥深い谷


215
人並みに手は合わすれど
ナンマイダブ
声に出さない「お疲れさん」


216
葬儀終え沈黙の深み
より浮上
きれいさっぱり秋の空


217
下り下りて言葉の谷の
身内(みうち)には
湧き漂う霧に湿り気を帯ぶ


218
つながりの糸様々に揺れ
時を駆けて
来る柔らかなフラッシュバック

全体の註.久しぶりの親戚の通夜、葬式に出向いて。




  [短歌味体Ⅲ] 葬式よりシリーズ・続


219
目に入り来る次々の
木々のみどり
に生あるもののうちふるうあり


220
火葬場の白い骨となり
静かに
人(ジン)きっぱりと生死を分かつ


221
遠くの静かに揺れ揺られ
木々のみどり
生あるもののように日差し浴び


222
白い骨となり果てても
人間界(ひとのよ)超え
青い宇宙界(ほら いまここ)にこのように在り


223
読み下す不明の読経
流るれど
母子のように内で合流す




  [短歌味体Ⅲ] 比喩シリーズ


224
古ぼけた手垢の付いた
比喩を着る
他人(ひと)の歩みでもうーんかび臭い


225
マフラーを付け加えると
リニューアル
少し新たな匂い立ち始める


226
晴れ間求め喩の舟に乗り
ずんずんずん
おもい大気を遙か突き抜け・・・




  [短歌味体Ⅲ] 微シリーズ・続


227
あ 髪の毛付いてますよ
急変
する気配のような匂い立つ


228
今すぐに請(セイア!)といっても
くねくねした
道を一気に駆け上るか言葉は


229
通り過ぐ木の葉の事情
ただ揺れる
みどりの内に微かに映える




  [短歌味体Ⅲ] 


230
年老いて「いないいないバア」
再びした
後に静かに無の大地の方へ


231
おんがくの打ち鳴らし
響き合う
なびく green grass 沈黙の丘陵地(おか)




  [短歌味体Ⅲ] 色々シリーズ


232
色々の色滑り出し
流れ乗り
混じり合い隣り合い風立ちぬ


233
禁色となるまえの配置
から一歩
人の配置と同じく抜け出る


234
選ばれて配置された
色かたち
人のこころ色匂い立ち来る




  [短歌味体Ⅲ] 疲れたらシリーズ


235
疲れたらスピードゆるめ
ゆっくりと
芯に沈みつつ辺り見回す


236
荒れ模様よくなる気配
なくなくに
通り過ぎる時舞い来る木の葉


237
疲れたらささくれ立つ
飲み込んで
窓開け放つ言葉の岸辺




 短歌味体について 2015.11.09

 「短歌味体」が、2015年02月02日からほぼ毎日書き続けてⅠ・Ⅱ・Ⅲ合計で850近くの作品数になりました。途中から1000を意識するようになりました。

(短歌味体な Ⅰ 100
短歌味体な Ⅱ 500
短歌味体 Ⅲ 237)

 まずは、万人の思い思う舞台に立ってその場からの言葉を繰り出せたらいいな、次に、短詩型文学の先端的な課題に少しでも触れられたらな、また詩へ環流していくものがあればいいな、という欲張った思いでやっています。(表現は、表現内部の現在的かつ歴史的な課題を抱えていますから)

 





  [短歌味体Ⅲ] 色々シリーズ・続


238
どうしたの?と聞かれたから
いろいろ
あってねと答えても通じ合う道


239
複雑な迷路の窓を
閉めゆくと
色々のもの一つ二つに


240
概念の包むふろしき
太っ腹
色々のもの柔らかに包め




  [短歌味体Ⅲ アルアリハル砂漠シリーズ


241
つまずいてすっからかんに
なっても
生きてるかぎりまた芽吹く春


242
くたびれた言うに言われぬ
おもいもの
時の重なりの静かな浮力


243
砂を噛む乾いたのどを
流れゆく
潤いの時も蜃気楼でなく


244
一粒がこんなにも深く
染み渡る
言葉の手前の静かな丘陵地(おか)に

註.シリーズ名は、「ルブアルハリ砂漠」の語感を借用した幻の砂漠。




  [短歌味体Ⅲ] 巨シリーズ


245
黒々と舞い上がりゆく
コウモリの
無数が一つの龍とうねる

 註.インドネシア辺りだったか、昔テレビで観た情景。洞窟から一斉に飛び立つコウモリ。太古の人々は、こんなものから龍のイメージを得たのではないかと思ったことがある。



246
濁流のうねり逆巻く
大水は
魅かれ見入る身の危危危危(キキキキ)縮む


247
触れてゆく鉄のかたまり
果てもなく
大空の彼方伸びゆくような




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ


248
知らぬ間に幕が上がり
揺れるリズム
物語は漕ぎ出していた


249
とある舟に生まれ落ちては
流れゆく
物語の 木々や 日差し浴び


250
知らぬ間につながれていた
へその緒は
断ち切られては見えないつながりへ


251
降り積もる「いないいないバア」
肌になじみ
同じ同じ違う世界湧き出す




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ・続


252
少年期、日々葉を揺らし
揺れ揺られ
恐れを知らない宇宙の一点(てん)


253
出入りする世界は伸び縮む
日時計と
なじみの道を行き帰りする


254
分布する少年たちの
色合わせ
張り出してくる色色もある


255
どこからか着込んで来るぞ
少年ら
重力場に、分布し始める




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ・続


256
青年期、青みの糸は
打ち上がり
花火のような色々の糸屑(いと)


257
なじみ来た青の深み増し
あふれ出て
言葉の青汁匂い立たせる


258
反り合い柔らかに溶け
合いもあり
解(ほど)けぬ結び絡み合うもあり


259
裏道で受け渡しする
残虐の
鉄さびた血に虚空振り返る


260
人間界(ひとのよ)に足場をひとつ
ふたつみつ
築いては陣(ジン)眺め渡す




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ・続


261
なじんでたニャンコの時間
途切れ果て
今きみは遙かどんな途上(みち)にいる?


262
旅ならば日々歩きゆく
浮かれ歩き
しょんぼり歩き共に歩き


263
あくせくと気付くことなく
日々歩く
今が全ての圏内に居て


264
圏外も遠い昔の
知り合いが
ふと訪れる日のように降る


265
親も居てこの子等が居て
おやおやと
糸たぐることなく日々黙々と


266
日々重ね日差しに糸は
透き通り
蒙古斑も今では遙か




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ・続


267
老年の、日差し弱まり
見も知らぬ
果ての方からイメージ強いる


268
赤ちゃんと逆ベクトルの
老年は
微笑みの内にしずかに下るあり


269
違うのは瀕死の視線
ぼんやりと
風景の層を貫き下る

註.「瀕死の視線」とは、臨死体験の時見られがちな、自己の斜め上方から俯瞰する視線。


270
赤ちゃんとおんなじなのは
灯台の
下に日々力(リキ)入れて歩き回る

 註.赤ちゃんも老年も、ともに「灯台下暮らし」か。試しに、ことわざの「灯台下暗し」を検索していたら、私が意味をずらして使い始めたと思った「灯台下暮らし」という言葉をすでに使っている人がいた。



271
鼻歌にばったり出会った
空模様
一人さびしい忌み言葉の降る


272
明後日(あさって)のことは知らない
今ここの
立ち上り下り(のぼりくだり)ゆくものをこそ




  [短歌味体Ⅲ] 接続論・シリーズ・続


273
つながりは言葉に溶け居り
確かめる
糸縒(よ)りかけて日に晒(さら)す


274
つながりは・・・多と暗闇(やみ)があり
多と一・・・
一と多から晴れ上がる一と一

註.「宇宙の晴れ上がり」のような、人類史の「晴れ上がり」


275
絡まりし糸糸糸の
靄(もや)を経て
一人の中に晴れ上がる宇宙(いま)


276
不在でも遠く離れても
亡くなっても
つながりの糸はまぼろしでなく


277
誰もみな無意識にも
現在(いま)の倉庫
から取り出してつながり模様色づけする

 註.
現在のようにSNSを生み出したシステムにより仮想的に距離が収縮して外国の事件でも身近に見える、思えるようになった同時代でも、隣人や遠い異国の他人のこと、あるいは、平安期や太古の人のことを思い起こすとき、自分の織りなすその考えやイメージの源は、自己やその外界の無意識的な現在的水準にある。したがって、同時代の他人や太古の人々の有り様を捉えイメージを形作ろうとするとき、どうしてもこの地の自分なりやこの地の現在なりの捉え方やイメージに着色されやすいという自然性がある。このことは、物理学の微視的、量子的な世界における「不確定性原理」のように、自己(観測者)がある時空に在る対象を調べそのイメージを得ようとするとき、自己の存在そのものが観測対象の像をかく乱してしまうということに似ている。ほんとうは、自己から空間的にも時間的にも離れた対象をできるだけそっくりそのまま理解しイメージを作ろうとするとき、とても困難なことであるが、自己にかかる重力場の自然な力を振り切って、対象の漬かっている渦中や歴史性を含めて、ありのままのイメージを浮かび上がらせるような意識的な行動が必要になってくる。自己の捉え方やイメージとして外化しようとするとき、ちょっとまてよ、という内省を走らせることが大切だ。



278
つながれつなぎつながれて
泳法は
色違いでもみな泳ぎゆくよ




  [短歌味体Ⅲ] 意味もなくシリーズ


279
遠い日々棒切れカタカタ
物や通り
に触れて行く夕暮れの少年


280
カタカタと音立て触れゆく
棒切れの
あそこまではと素振り染み出す


281
人に会い手持ち無沙汰に
窓の外
半身は草木の流れを追う




  [短歌味体Ⅲ] 意味もなくシリーズ・続


282
道々の草木に手触れ
歩みゆく
わが少年期(むかし)だけでなく大昔も

註.「大昔」、例えば『枕草子』(第二二三段「五月ばかりなどに山里にありく」)。


283
「意味もなく」と言い出すとき
意味有りの
巨きな都市が背後に控える


284
太古には「意味もなく」は
芽生えずに
大いなる自然に溶け込んでいる




  [短歌味体Ⅲ] 意味もなくシリーズ・続


285
意味有りも無しも意味ある
人間界(ひとのよ)は
大いなる自然の防波堤か


286
意味もなくぼんやり閑(カン)と
してる時
こころの重心深く下っている


287
意味もなくランラランラン
つぶやく時
意味の祖先の意味の旅してる




  [短歌味体Ⅲ] 無シリーズ


288
無といってもこの宇宙から
象(かたど)られ
なにか有の靄(もや)が漂っている


289
むむ、むむむと無に思い
あぐねても
どこからか急に転がり出る有(う)


290
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
わけもなく
意味と無意味の谷間から湧き立つ

註.「わけもなく」は、いろいろ意味があるが、ここでは「(はっきりした)理由もなく」の意味。




  [短歌味体Ⅲ] 無シリーズ・続


291
無に入ればものみなすべて
圏外の
人知れず笑む景色外(はず)るる


292
完全無なら暗闇の
中をとぼ
とぼ歩いてる光当てもなく


293
完全に変色して
しまったら
ふとした一歩暗黒に溺るる


294
有と無とのさびしい国境(さかい)に
立つ者は
現と幻混じり揺らぐ




  [短歌味体Ⅲ] もの・こと・こころシリーズ


295
さびしい時があっても
気楽だね
ひとりが良いよと言う者あり


296
例えばネコ見てて不意と
扉開き
ころころころと心揺れ揺られ


297
ものに触れはっとするほど
冷たい!
流れ出る水に手肌固まる


298
ドア開いて忘れていたもの
おむすび
ころりんころころりんと出る




  [短歌味体Ⅲ] もの・こと・こころシリーズ・続 


299
ありありとやったと書いて
あるあるに
いやぼくは知らないよありある


300
流れ出す「ゆうきもらいました」
にいわをもつ
なんじゃそりゃあと小さくつぶやく


301
人と人生まれも育ちも
違うけど
ちがうおなじちがうの中に道が開けゆく


302
好きじゃない「げんきもらった」は
マレビトの
袖に縋(すが)らず自分で出せよ




  [短歌味体Ⅲ] もの・こと・こころシリーズ・続


303
わからないささいなようで
波風の
どっと寄せ来るバーストイントラフター

註.「バーストイントラフター」は、英語では「 burst into laughter」。


304
歳とともに見える地平と
色合いが
違ってくるくる秋の夕暮れ


305
知らなかったささいなことから
火が付いて
中はぼうぼう外はゆらゆら


306
なんにも知らなくっても
いいよいいさ
知らないようでその道歩いてる




  [短歌味体Ⅲ] 日々いろいろシリーズ


307
あいさつに相も変わらず
と答えても
微妙な偏差昨日と今日


308
一日も一時もまた
燃えている
我知らずの静かな拍動


309
通り過ぎ後振り返る
眼裏(まなうら)に
燃えてしまった灰の舞い上がる




  [短歌味体Ⅲ] 日々いろいろシリーズ・続


310
包丁を砥石に研ぎ研ぐ
亡き父の
教えた少年時思い起こしつつ


311
思い出す宴会の席
語り舞う
今は亡き同僚(ひと)の「弁慶の天草砥石」


312
耳底にかすかに残る
音の香り
この地につながり語り舞い流るる


313
研ぎ上げた包丁を
日にかざす
ゆらゆらに一瞬(ふと)日常(ひ)を超え戻る




  [短歌味体Ⅲ] わたしはシリーズ


314
はじまりは未分化のわたし
名前はない
けれど沼地にひとつ花開く


315
わたしをのぞき込んでも
深みでは
あなたと違う固有振動数


316
深みからわたし=(は)あなた
わたし=(は)
国家、宇宙とまぼろしの舟上り詰める者あり


317
まぼろしは同一化しても
くねくねと
身をよじっても身は大地に根づく


318
オレオレがオーレオレオレオレー
と必死に
歌い出しても審判はわたし

註.この作品は、二つの解釈可能性を意識した作品です。




  [短歌味体Ⅲ] わたしはシリーズ・続


319
入口で行きつ戻りつ
ためらいの
アニメの変身と違う劇の入口


320
なじめないものも時の中
少しずつ
ゆっくり熟成変身しゆく


321
わたしはたわしになれない
けれども
なんどもなんども踏み固めたわしになる




  [短歌味体Ⅲ] 音の根っこシリーズ・続


322
小さい子喜び勇んで
乗る舟は
うーうーうーううう何度も岸を出る


323
同じ赤塗り重ねても
道分かれ
「おかあさん」もひとりひとり分かる


324
もお、もお、もおもおもおお
落ちていく
言葉の谷には無数の死骸


325
考える「うーん」と巡る
地形図は
丘陵(おか)を上り下り旅してくる




  [短歌味体Ⅲ] 政治論シリーズ・続


326
そこそこ、そこは通れないよ
わたしの
みどりあふるるいつも通る道


327
流れてるけれど流れない
大きな音
粗い流線わたしの外に


328
髪整えよそ行き着て
でかけなくても
大事なことはいま・ここに・ほら


329
ああ、はい。いえいえ、はい。
ええ、ええ。
ここで行き止まり、入れませんよ。




  [短歌味体Ⅲ] 政治論シリーズ・続


330
どんなことにも現れる
個のこと
隠(イン)・彼(か)のこと誰それのこと


331
住人寄れば十人の
様々な
事情あって蟹さんになる


332
ぶつぶつとつぶやきの果て
静かに
通り過ぎゆく未来の影の


333
仲違い隣村との
いさかいに
血止めの処方知恵巡らし来た




  [短歌味体Ⅲ] 日々いろいろシリーズ・続


334
ふと眺む隣家との距離
近いけど
ぐるぐるぐるぐるぐる遠おーい


335
年重ね波風立たない
日々に見え
今までに見たカラフル流るる


336
年重ね心の歩幅
縮まって
若い頃より細やかに歩く




  [短歌味体Ⅲ] 宗教論シリーズ


337
縄文海進、海退。
大津波の
悪夢くり返す、無言のOh!


338
わたし居て石があって
しずかな
それだけでは終わらない、ある。


339
空に耳闇に目を当て
深々と
流れ来るのか流れ出すのか


340
運んでる石が急に
重くなる
信じる者は跨(また)ぎ越しゆく


341
始まりは紙以前の
神があり
紙に記された後の神がある


342
以前あり渦中があり
以後がある
遠い異国のイエスもアラーも




  [短歌味体Ⅲ] 宗教論シリーズ・続


343
ひねこびた旬のキュウリ
目にしても
自然と心は直(なお)き方に向く


344
乞食であれ付き合い長く
触れ合えば
王子を超えて親しい仲に


345
美醜とてあげつらっても
遙か深い
時間の底から疑問符の湧く




  [短歌味体Ⅲ] むずかしいシリーズ


346
偶然に箸が落ちた
だけなのに
ナノなのになぜ笑い出すのか


347
お風呂はいい加減が
自然なのに
五分遅れのいいかげんは


348
人と人こじれたラップ
修復
しようともがくもがけば深谷(しんこく)


349
針に糸通せる年齢
分布の
外にも確かにいろんな人がいる




  [短歌味体Ⅲ] むずかしいシリーズ・続


350
「たあたん たああたん」
「はああい」
流るる自然の奥処(おくが)に入る


351
わからずもなんとなくいい
感じの
つながりに触れ漬かっているよ


352
気付くのは何かの不幸
ゆえなのか
難しいこと跨(また)ぎ越す本流(ながれ)


353
戯れの構造主義も
韓流も
この列島の不明の種か




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ


354
男女(ひととひと)年重ねても
むずかしい
解けなくても気ままの自由が


355
あればいい日々歩みゆく
見慣れた
景色の中差し込む日差し


356
浴びてたら暖まりゆく
日にかざす
手は赤々と脈打ち流る




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


357
遠い日の体育祭に皆
手をつなぐ
フォークダンスの心震う手


358
手と手とを取り合っていても
生まれ出る
波動の中のひとりひとりの


359
ひとりとはさびしい砦
日差しや
さえずる言葉に首出し見回す


360
まなざしの寄せ来るさざ波
ベタベタと
縄張り染みて肌触れ来るもあり




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


361
つらいきびしいかなしいの
形容詞の
水底に呑(ドン)皆座っている


362
座している静かな森は
暗転し
いつでも臨戦態勢をとる


363
個の取るは言葉の剣(つるぎ)
すぱあーんと
空を切り裂き空気入れ替える




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


364
親鸞も名声気にする
己知る
強力の本流流るる


365
流れから子どもらに混じる
良寛は
上下(うえした)目線、横から自然に


366
自然とは計らひなしに
自ずから
足踏み手振り舞い踊り出す


367
人界の主流旅する
道端に
舞い踊りつつはずれゆく者あり




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


368
すごいとかかんどうしたとか
言わなくても
小さく明滅するひかりあり


369
まっくらくらと断言して
しまっても
ほんとはそれで終わりにならぬ


370
ならぬならぬときっぱりしても
ひたひたと
小声のしずく染み渡り流る


371
身にしむは言葉を越えて
峠から
七曲がり坂ぐるぐる下る




  [短歌味体Ⅲ] わけわからなくてもシリーズ


372
ひざすひざすわけわからずも
動いてる
手に手を当てると微かに鼓動


373
どこからかひざすひざす
あたたまる
ネコのように自然とくつろぐ


374
一部のみ取り出し駆動
ヒートアップ
ひざしひざす深く太くひざす




  [短歌味体Ⅲ] わけわからなくてもシリーズ・続


375
遮断すゴシックの電車
走り来る
信号・無視し横断すすっと


376
漢字と仮名の二重奏
こっそりと
谷間の夜に抜けていく参会者(ひと)


377
あっ忘れた何だったかな
走り去って
もう当分は再来しない予感




  [短歌味体Ⅲ] おもいシリーズ


378
(おもいぞう)ぼくの方が
おもいみたい
ごみすてのみち(ああおもいなあ)


379
おもいは同じかはかる
何はかる?
どこにはかるか千々(ちぢ)におもいは


380
端(はた)からはおもいおもいか
何おもいか
あいまいもこのおもいかおもい




  [短歌味体Ⅲ] おもいシリーズ・続


381
おもいぞうかかえきれない
おもい流れ
圧におもいはどんよりおもい


382
かるというおもいつかない
圏外は
おもい宇宙の外にあるおもい


383
おもくない?おもい聞いても
おもくない
みちみちおもいおもくなるおもい




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


384
今では自然な歩み
に見えても
遙かなこだわり左足から


385
左からか右からか
回り方
にこだわりの記しっかり刻む

註.「記」は、古事記のこと。

386
今はもう忘れ果てても
血の巡り
から滲み出しこだわりの湧く




  [短歌味体Ⅲ] つながるシリーズ・続


387
あっそうだね 一瞬の内
グルグルグー
巡りに巡り橋を渡り来る


388
春風にぼおっとしてても
丘を越え
谷越え山越えグルグルグール


389
知らぬ間にあちこち探索
くたびれて
ひかり求めるお腹のグルグルグー




  [短歌味体Ⅲ] 記憶シリーズ


390
歩み来た今に湧き出す
イメージは
濁り薄らぎ湧水のよう


391
もし次に生まれ変わったら
と問われて
もう一度きりでいいよと答う

註.普通そんなあり得ない仮定の質問遊びには、遊びであってもうんざりするが。


392
自分でも無意識の場面
記憶の川に
知らない映画の流るるか




  [短歌味体Ⅲ] 記憶シリーズ・続


393
始まりのさらに向こうに
おぼろげな
月明かりの ゆらゆらゆらり


394
始まりのさらに向こうの
親類の
古い始まりつながり来る糸


395
記憶から脱色された
色思い
微かに匂い立つ時のある




  [短歌味体Ⅲ] 記憶シリーズ・続


396
あいまいみい記憶をたどる
幽冥(ゆうめい)の
ひんやりどきり肌を流るる


397
静夜の真っ暗けでも
煌々(こうこう)と
火燃え盛るとき記憶のなごむ


398
見知らぬここはどこだろう
夢の中
ぼんやり記憶を探査している




  [短歌味体Ⅲ] 対話シリーズ・続


399
すっごおい元気もらったあ
(・・・・・
雨の電車 今 駅を離る)


400
これわたし作ったのよ
(言葉から
こぼれ落つ重量(おもさ)を推し量る)


401
ありがとう(吹き下りゆく
風圧に
心地よい春のみどりの匂う)




  [短歌味体Ⅲ] 番外


1000首の峠過ぎゆく
いい景色
と余裕はなく ただ 歌の形に歩む


千の峠無数の人の
踏み固めた
道気負いなく歌の芯を旅ゆく

 註.「短歌味体な1」から「短歌味体3」現在まで1000首の道のりを歩いてきた。苦しい難所もあったし、あるのだが、日々黙々と割と気楽に歩いてきたように思う。わたしは若い頃、短期に全力出す短距離走向きで長距離走は苦手だったが、こんな風に歩くのなら長距離でもできそうだ。もう少し、歩いてみる。





  [短歌味体Ⅲ] ひと休みシリーズ


402
今日は予報と違い
日が差して
冬の朝少し暖まる空気


403
休憩は ゆったり 腰下ろす
こころの
気付かぬ椅子がどこかにある


404
ひと休み遙か思い浮かぶ
人の世が
つらくきびしくも遊びのような時を




  [短歌味体Ⅲ] 人界の今シリーズ


405
人界と大いなる自然
にまたがる
遙か古老の言葉人界に干からび


406
人界の合い言葉は
一ミリ
進んだか退いたかの花盛り


407
たましいは人界の網の目に
からまって
こんがらがって息荒れている




  [短歌味体Ⅲ] 一日シリーズ


408
眠る海意識夢うつつ
かたち成す
まぼろしもなく夜のさざ波


409
眠りから日に溶け出す
バターの朝
みどり映え閉じた葉開く

註.はぶ茶の葉のように、昼間は葉が開いていても夜は葉を閉じてしまう植物もある。


410
ぶんぶんぶん蜂のように
せわしなく
時空駆けゆく滲みたリズムに押され


411
ゆったりと風呂につかる
ひとり歌
つぶやきのように流れ落ちゆく



  [短歌味体Ⅲ] 一日シリーズ・続


412
「馬鹿言ってんじゃないよ」
黙々と
「なんでもないような事」の内側を我は流るる
 
註.「」は、いずれもふと思い浮かんだ歌謡曲の言葉。


413
関わりの人の世では
わかっていても
ぴったり言葉の手前に墜つ


414
重力に耐えかねて
昼間の
衣装(ふく)くたくたびれて眠りの海へ




  [短歌味体Ⅲ] イメージシリーズ・続


415
石 緑 みち 入る
広がる
奥行き 百行の 静けさ


416
サンダル脱ぎ ふうっ 歩く
中ドア 開ける
いつもの 光 射している


417
折り曲げてくり返し折り
曲げ重ね
煙り立ち上りくねくねりゆく


418
いちまい にまいさんまい
よんまい
微量の変位 感知さるる




  [短歌味体Ⅲ] イメージ論シリーズ


419
ありふれたただの人形
深夜には
人のイメージの舟に乗り来る


420
ただの言葉巡り巡りて
肌を流れ
熱を帯びて発火しゆく


421
ああそうかそうだったんだ
イメージが
未知の通路からほとばしり出る



  [短歌味体Ⅲ] イメージ論シリーズ・続


422
巨きな時イメージ炉から
一瞬
の内透明に抽出さる


423
イメージの生まれ育つ
旅程には
時代の貯水(みず)と人の半生織り込まる


424
イメージは自由そのもの
善悪は
軽く超えられ陸海空突き進む


425
見えずとも糸織り始め
舟を出し
粗い風景立ち上りゆく




  [短歌味体Ⅲ] 喩シリーズ


426
井戸のぞき込んでいると
湯の沸いて
湯気の中に揺れ揺らるもの


427
見知らぬもの近づいて来て
少しずつ
なじみ始める新たな景色


428
ゆ 喩 you 湯湯you喩
ゆゆゆゆゆ
弓弓弓揺揺you 弓揺弓揺弓弓you
 
註.「弓」「揺」は、いずれもの読みも「ゆ」。喩は自在。




  [短歌味体Ⅲ] 新年にシリーズ


429
さまざまに行事区切られ
少し照れくさく
身にまとい来てその重み自然となり来る


430
来るだろうまだまぼろしの
きびしい
寒に敷き詰められ埋もれている春


431
のんびりと日差しを浴びる
杞憂杞憂杞憂
ブレーキ踏まずなだらかに滑りゆく




  [短歌味体Ⅲ] 朝シリーズ


432
寒い朝日の差し揺れて
そらまめの
自重の内にやわらかに立つ


433
しずかでも遠いかすかな
音はする
正月も脈打つ冬の朝


434
どんなこと起こってしまっても
無心に
いつものように朝は下り来る



  [短歌味体Ⅲ] 朝シリーズ・続


435
ばたばたと時間に追われ
朝の舟
眠りの名残振り払い出る


436
ふかしてたエンジン音は
なだらかに
朝から昼へ移りゆくか


437
慌ただしい朝ばかりが
居座ると
一日はずんずん狂い始める


438
どこどこか知らなくても
まぼろしの
ゆったり始まる朝の分布す



  [短歌味体Ⅲ] なんでもないけどシリーズ


439
いつもより少しずれてた
言うほどの
ことでないようで気にかかる


440
なんでもないと言ってしまって
一瞬の
1/fゆらぎゆらゆらアンバランス

註.1/fは、置き字で読みません。


441
降り積もる雪片のような
ひらひらり
なんでもないけど溶け滲みてゆく




  [短歌味体Ⅲ] 静かな夜シリーズ


442
静かな夜いつもの窓から
越えゆくは
深く瞬く星々のみち


443
静かな夜沈黙の深み
に訪れは
静夜静夜(セイヤセイヤ)と祭りの声も


444
人界と大宇宙の
境目を
軽々と行き来する静夜!




  [短歌味体Ⅲ] なんでもないけどシリーズ・続


445
なんでもないけど道端に
小石の
ひとつあってただ座していた


446
なんでもないと言うからには
小さな火
吹き消す煙り一筋なびく


447
なんでもないと言ったとき
水面に
落ち濁り始めて消失す




  [短歌味体Ⅲ] てにをはシリーズ


448
走る走る丘越え山越え
見晴らすは
遠く海原に走っ 走っ 


449
てにをはのてを抜いたら
急停止
ゆるやかな休止の手前に倒る


450
島原の原城へ
から・を・の・が
奥深い通路下りゆく「へ」




  [短歌味体Ⅲ] てにをはシリーズ・続


451
と言われてもこうしてああし
そうなって
とっとっととと不明の森の


452
「へ」か「ほうへ」かアイマイミーは
揺れている
森の一木に中途を刻む


453
大空に「を」を目指しても
傷つき
破れ果てて落下する「を」




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の距離感シリーズ


454
山、家、イエ、いえ、雲の
動いてい
るよ、風か?
かぜのけはいここにはない


455
人からヒトそしてひとへ
近づくと
ふとえみのわきながるるあり


456
犬の走る走るハシリ
はしりきて
ぶるぶるぶるんこころおどるよ




  [短歌味体Ⅲ] 背伸びシリーズ


457
背伸びするうっうっううう
解(ほど)けゆく
凝り固まり湧き立つエナジー


458
背伸びするつま先立ちの
揺れ揺られ
青い鏡に不安な自画像


459
届かないつま先立つ
しかない
ならば手足鋭く引き絞る




  [短歌味体Ⅲ] ほっと一息シリーズ



460
コーヒーの熱い一口(ひと)下り
冷え切った
ごはん暖まり湯気の湧き立つ


461
降り積もる仕事かき分け
仕舞いには
会社のドア朝より軽く


462
どう言おうこうそうああと
巡らせる
出会ってみるとぐるぐるの止む


463
いやなこといやいやいやでも
やっている
やっと抜け出る霧が上がってる




  [短歌味体Ⅲ] 番外


番外
おやすみ2355今日の
終わりに
おはよう0655朝が始まる

註.わたしは知らなくて、わたしの奥さんが見つけた番組。
NHK『2355』(http://www.nhk.or.jp/e2355/)
NHK『0655』(http://www.nhk.or.jp/e0655/)




  [短歌味体Ⅲ] ほっと一息シリーズ・続


464
誰もが荷を横に下ろし
凪いだ海
なだらかな水面にこころ滑らす


465
(ああ)この感じ音でも色でも
言葉でも
染み渡りゆきからだ静まる

註.(ああ)は、置き字で読みません。




  [短歌味体Ⅲ] デビッド・ボウイシリーズ



466
さんまさん知らない人が
テレビ出て
電波のように驚いたこと


467
驚いた私知らない
こともあり
中性色のデビッド・ボウイ


468
この世には恒河沙(ごうがしゃ)の
無名の
デビッド・ボウイ日々紡(つむ)ぎいる




  [短歌味体Ⅲ] いいねシリーズ


469
いいねいいねそりゃあいいね
窓開(あ)いて
新たな光降り注いでる


470
人ゆえに誰かかが思い
開け放つ
夜空に新たな星の瞬く


471
それもいいけどこれがいい
なぜって
うまく言えないけどこれいいね


472
ほほえみは頬の辺りに
たどり着き
いいねいいねと沈黙の舟




  [短歌味体Ⅲ] 番外


ああ、あれはどこの者たちじゃ
無縁顔
かたっ苦しくも身も心も包む

 註.今年も偶然に「うたかいはじめちゃん」をテレビでちら見した。遙か太古の集落の辺縁に集う不思議な種族を見るようなまなざしで見た。





  [短歌味体Ⅲ] いいねシリーズ・続


473
降下するズンズンズン
あれは何?
探査・推進ズンズンズン

註.ドローンの目になったつもりで。


474
挨拶でいいねと言って
入り込み
関わりの森に二心持つ


475
いいねの根個から時代に
続いてる
共鳴と異和(ひびきとずれ)この根震わす




  [短歌味体Ⅲ] リズムシリーズ


476
そよ風そよぎそよがれる
とんとんとん
二階にまでもそよぐそよ風 春


477
じんじじん大気も風も
じんじん
ぽきりと屈するわけには参らぬぞ 冬


478
さらさら乾いてどこか
中空へ
りんりんりりん虫の音誘う 秋


479
じゅっくい濡れる暑うて
暑うて
ままよ 雨濡れ放題の子どものように 夏




  [短歌味体Ⅲ] リズムシリーズ・続


480
追い追い来る折って来る
らんららん
ぽきぽきぽきり追い詰め来るぞ


481
ゆりいかのからだぷるぷる
揺れている
遙か探索の帰路のゆりいか!




  [短歌味体Ⅲ] ああそこはシリーズ


482
どんなにおとなしそうでも
ああそこは
と無言の内に臨界になる


483
穏やかな波間に浮かぶ
昼下がり
夕に傾き暗転する波間


484
こころには高度も光度も
硬度もあり
場と接続に千変万化す




  [短歌味体Ⅲ] 視線の不確定性原理シリーズ


485
旅の途次ふと目をやると
向こうから
波の寄せてはさっと身を引く


486
垣間見た内に湧き立つ
風景の
気分とともに修正されゆく


487
遙か遙か視線舞い落つ
浮上する
太古の姿現在色に




  [短歌味体Ⅲ] 視線の不確定性原理シリーズ・続


488
あるものはあるがままに
駆動するか
時間の圧に自然と押し出る


489
目などの触手で
触れるほか
ないないに視線歩ませる


490
近づけば互いの視線
揺らぎつつ
二機のように空中を舞う




  [短歌味体Ⅲ] あかんシリーズ


491
かたくなに閉じゆく扉
追いかけても
ぶつかるばかりのもんもんもん


492
小窓くらい開けとかないと
籠もりもこ
もこ湧き出してメタンハイドレート




  [短歌味体Ⅲ] ああそこはシリーズ・続


493
ここそこもあそこもまた
静かな
凪(なぎ)の夕べのようであるが


494
静かな昼下がりの
水槽の
銀色に跳ねる魚のような




  [短歌味体Ⅲ] ああそこはシリーズ続


495
色々と塗り重ねては
重く濁り
行き止まりに色を失う


496
色ならばこそぎ落とすも
血の流る
心の色は重く沈みゆく


497
さり気ない一言下り
下りゆき
重く閉ざした窓に風の入る




  [短歌味体Ⅲ] チャレンジシリーズ


498
うおんまかそよんまか殺
びおんずる
じわんずこおずおもんがあ殺

註.時々目にする北朝鮮のテレビ放送のリズムで読む。


499
緑萌え春の兆しが
微かにも
まだ雪残る冷たい地から

註.学校の校長の長い話を聞き続けなくてはならないような気分で読む。




  [短歌味体Ⅲ] ああそうかそうなんだシリーズ


500
ああそうかそうなんだ雲(ウン)
雲(ウン)流れ
心は街角に捜しあぐねる


501
ああそうかそうなんだ
目の前の
紙切れ折る折りたたみ居る




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ


502
会社にも階段がある
そこでも
ここでもあそこでも階段状の言葉


503
家族には階段不要
と思いきや
子どもの方へ階段言葉


504
太古には巫女上りゆく
まぶしいぞ
きらきら鏡の階段上る




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ・続


505
例えば舞台に上る
「かいだん」は
無数の光射して変幻す


506
かいだんでかいだんのこと
話すのは
ふしぎなほどに怪談染みる


507
かいだんで待っててねと
言われて
百年も待ち続ける




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ・続


508
かいだんの大気に触れて
踊り場の
空気巻き込みらんららんらん


509
かいだんの中身は言えぬ
一歩二歩
上ってみれば空気漂う


510
かいだんを解体すれば
団塊の
歩んだ道々めくり返される




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ・続


511
かいだんをトントントトン
下るとき
上り始めるかいだんの夢


512
かいだんにかいだん重ね
ぎゅうぎゅう
ぎゅぎゅう固く押し込めらるる


513
かいだんを上り詰めれば
新しい
景色とともにかいだんの始まる


514
かいだんで何かいだんと
問われても
いちにいさんと跳びゆくばかり




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ・続


515
かいだんで遊ぶ子どもら
周期4
でしゃべり合いじゃれ合い揺れ合う


516
かいだんで一転二転
三転し
虹のかいだん下りてくる朝


517
翻訳のかいだんの手すり
ごわごわと
森を踏み迷う「欧米か!」




  [短歌味体Ⅲ] かいだんシリーズ・続


518
かいだんの話は皆無
でもしかし
かいだん書の6Pに記されて在り


519
一人でもかいだんに触れ
増殖し
びびりばびりぶ踊りの輪にいる


520
煙り立つかいだん上れば
しみていく
目鼻口とかいだん人に


521
かいだんも生い立つ雑草(くさ)に
からまれて
苦苦空空(クッククウクウ)ひび割れていく




  [短歌味体Ⅲ] あらあらシリーズ


522
あらあらそお、そおなの?
でもねでもね
そうゆーこともあるし、あるんだから


523
いろいろねいろいろあるわよ
なのであんな
こんなそんなねいろいろだわよ


524
あらいくみどうしちゃったの?
あらあらいくみ
なみだでてるし…… 新井久美15歳




  [短歌味体Ⅲ] 


525
あっ ちっ ち スローモーションで
下りゆく
ざわりざわわん情感の海


526
江戸は遠くなっちまっても
3代目
江戸家猫八亡くなっても江戸は代々続く


527
イメージのささいなところも
生きた時代(とき)の
流れ渦巻く色香に染まり来る


528
過ぎ去った昭和の日々
湧き立つは
土ぼこりしたり砂利道だったり




 「一年経って」 

  ツイッターの手持ち無沙汰から始めた短歌味体。始めてから今日で一年経ってしまった。1000首以上作った。しかし、まだまだ歌の初心者という感じがするばかり。当然だろうけど、山道の霧は深い。(2016/02/02)





  [短歌味体Ⅲ] 


529
恵方巻縁起の海から
引き上げられ
リニューアルの列に並んでる


530
スイーツか、なーんだそれと
思っても
そんな甘いもんじゃありませんと座す


531
判断の当否を超えて
滔々(とうとう)と
時間の海を大河は流る


532
陰謀も作為・操作も
夜影に潜み
昼の重力には耐え得ない




  [短歌味体Ⅲ] 『母型論』(吉本隆明)に寄せてシリーズ


533
大洋の夕日まぶしく
陰りゆく
斬惨残(ザンザンザン)陰りゆくばかり


534
呼ばれたと思い思われ
気分にて
しずかな夜の黒戸を開ける


535
とまどいは深く時間に
棹さして
いちにいさんし後ろ向きに進む




  [短歌味体Ⅲ] 『母型論』(吉本隆明)に寄せてシリーズ・続


536
小波立つ柔らかな風
も立つ……
ふと背後には言葉の匂う


537
言葉でははっきりきりと
結ばず
ぼんやりでもからだに響き届く


538
ねえねえにはいはいと応え
言葉なく
日差しやわらかに波立っている




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の下層シリーズ


539
凪の海 今なんか言った?
無言でも
予感実感迫り来る波感


540
なんにも言ってなくても
射す影の
匂う触れる沈黙の肌


541
乖離する躁と鬱とに
裂かれる谷
はしゃぐ声色重く沈みゆくは


542
どこだろう無意識の道
知らずに
とぼとぼ歩き疲れ果てて




  [短歌味体Ⅲ] 風シリーズ


543
今ここに風が吹いている
肌を撫(な)で
確かに風は流れ下りゆく


544
空洞を下りゆく風は
もうすでに
〈風〉という言葉に変身しゆく


545
立ち上る〈風〉にまといつく
色香響き
龍のように小鳥のように




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の下層シリーズ・続


546
網の目が張り巡らされ
愛や自由
高く聳(そび)えて黒根毛(くろこんもう)深く


547
わからないなぜ選んだ言葉
不明の道
懐中電灯(あかり)照らしつつ踏み迷い戻る


548
膨大な言葉の排出
横たわる
見ると一言で言えるかも


549
(心の)風景を描写する
代わりに
膨大な言葉が消費さる




  [短歌味体Ⅲ] 物語論シリーズ


550
石ころが立ち上がり舞い
舞い踊り
飛んでいく言葉なのに血を流す


551
人と人ぶつかり合わずとも
背後には
根深い物語の複雑骨折がある


552
語り合う二人の背から
異色(こといろ)の
線が伸びたり反れたり絡まったり




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ


553
たったそこまで出かけるのに
千里にも
見え春霞〈あ〉から〈い〉の愛


554
かんたんに〈うん〉とは言えぬ
相槌は
霧の中から金槌となるも


555
らんららんと走ってるつもりも
下ろし立ての
服のこわばり run rarun




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


556
久しぶりの晴れ上がりの空
眼差しの
いい感じに音階たどる 2016.2.10朝


557
目覚めると不明の森に
霧は立ち
小道伝いにあてどなく歩む


558
ぼんやりと夢うつつに
眺め暮らし
大空の青いいなと見とれたい


559
言葉から微細な振動(ふるえ)
探査して
毎夜歩くは言葉の森の




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


560
普段なら善悪の中間
でも言葉は
善悪の極北まで巡り巡る


561
ああ風だと寝っ転がりもするが
源流と
風のベクトル場をたどりゆく


562
子ども心胸底より
染みだして
気ままに渡りゆく極北




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


563
極北の〈太宰治〉も
下り来て
近く顔合わさば哀しいゴミ屋敷かも


564
人と人美人もブスも
距離次第
時間の内に再分離されゆく


565
自然な佇(たたず)まいを
揺らしさすり
未明の未知の自然を匂う




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


566
〈言葉では何とでも言える〉
肌合いは
裏切ってぴく、ぴくぴく震う


567
〈言葉では何とでも言える〉
舞台下り
どこか違う明石家さんま


568
どんなにか目を見開いて
織り成しても
言葉たちには見知らぬ模様の


569
言葉には見知らぬ自分と
自分の背
どことなくなんとなく気配がある




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


570
例えばゆきがはらはらと
降りしきる
日に雪となって嫁いでいく


571
ゆきちゃんねえゆきちゃん
と呼んでた
語感変わって雪江去りゆく


572
ぐんぐんとあまてらし郡
あまてらす軍
のぼりつめつめ社長爪切る




  [短歌味体Ⅲ] 異常時シリーズ


573
一、二ミリ違うだけで
かみ合わぬ
ぬぬぬぬぬうっと異変大変


574
ふだんなら思いもしない
歯の痛む
ずきずきずっきん不遇遭遇


575
うれしいと身の震え出し
共振し
うおっほっほっ言葉の楽屋は




  [短歌味体Ⅲ] 知らないシリーズ


576
知ってても知らないと言う
素振りは
動物から人へ引き継がれ来たか


577
知ってても知らないと言う
二つの
懸崖の海から急浮上する


578
〈もう知らない〉と突き放しても
控え目の
力の匂い突き丸くなる




  [短歌味体Ⅲ] ひとりひとりシリーズ


579
人と人、ひとりひとりが
灯る時
合力よりも深い味わい


580
岩をも動かす合力の
振り向きざま
どけどけどけぇいひとりの灯(ひ)を踏む


581
誰かを頼む合力は
みずみずしい
ひとりひとりを干からびさせる




  [短歌味体Ⅲ] ひとりひとりシリーズ・続


582
合力は例えば巨人
細い路地
無き者にしてどしどし進む


583
合力は例えば色
赤・白・
黒・青以外はまるで禁色


584
日差し浴びひとりひとりは
川砂の
プリズムのようにきらめく色の




  [短歌味体Ⅲ] あわいシリーズ


585
ああ、はいと引かれ棚引く
道中は
ひとりひっそり膝を抱いている


586
少しだけあわいあわく
滑りすぎ
あわあわとしたあわいに佇む


587
あわいから無数のものが
飛び出して
直線引くと淡く消えゆく


588
あわあわとあわあわあわわ
馴染んでる
どっちやねんと言われてもねえ




  [短歌味体Ⅲ] あわいシリーズ・続


589
固まらぬ両端のあわい
小刻みに
揺動しながら探る平均台


590
〈待つ〉ちがう〈迎える〉ちがう
双子のよう
で双子でないびみょうなあわい


591
言葉にすると生きの良さが
なんとなく
色褪せてしまい仕舞う〈横超〉


592
左右振れ位置定まらぬ
絶対性
百年後なら静かな着席




  [短歌味体Ⅲ] あわいシリーズ・続



593
対立する〈あ〉と〈お〉の間には
他音他色
蝟集(いしゅう)して濃度高まりゆく


594
母と子のわんわんわんの
側には
少し身を固めネコが静まり居る


595
対立の内では釜が
煮立ってて
なんでんかんでん意味有りげに煙る?




  [短歌味体Ⅲ] なにかかにかシリーズ


596
すーしすーはすすすんすん
すーはすーし
さそせしさんすそんたらさんす


597
ぐるぐるトンぐるぐるぐるる
ぐぐるトン
ぐぐぐぐぐーぐ、ぐるぐるぐるトン


598
ぴちゃぷちゃぴっちゃぷっちゃ
どおいどい
くちゃくちゅくっちゃくっちゅ




  [短歌味体Ⅲ] あわいシリーズ・続


599
〈はい〉と飛ぶ矢 返事しても
引き絞った
矢の背後には無数の泡立ち


600
〈きゃあああ〉と有名人に
飛んでく矢
巫女への眼差し龍を見るように


601
いいんだよ別にいいんだけれど
数万年の
待ち続けた時間のあわいに立つ我は




  [短歌味体Ⅲ] グローバルシリーズ


602
風吹き来るブローブリュー
ブロウン
世界中を巡りに巡り


603
方々の土は言葉の
花開き
夜は岩盤の同一夢を見る


604
手を出してネコと遊ぶ
つもりが
思わぬ所(赤)ズキズキズッキン

註.(赤)は、置き字で読みません。




  [短歌味体Ⅲ] 春シリーズ


605
生き物はみな感知する
崩れ出し
押し寄せ来る柔らかな春波


606
なみなみと注(つ)がれてなくても
下水(したみず)の
ようようと染み渡る春波


607
春波寄せものみなすべて
肌ふるる
耳目より速く染み匂い立つ


608
つっぱる根がはる芽がはる
手がはる
ふくよかにはる春の岸辺




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の渡世シリーズ・続


609
言葉にムチ当てなくても
自然に溶け
響き合い眠る静かな部屋がある


610
走り出しギャロップになっても
手綱締め
〈あい〉が〈愛〉に急変はしない


611
歩み出す ぶんぶんぶん
歩みは続き
〈ぶんぶんぶん〉言葉の路に入る




  [短歌味体Ⅲ] ほっと一息シリーズ・続


612
実際に穴掘っていたら
あ、横道も
あるじゃん、ふいと道が開ける


613
自転車に初めて乗る
知らなかった
こんなにも柔らかな風の


614
人の世はあくせくあくせき
自力の走法
宇宙では他力の人間(ひと)よ




  [短歌味体Ⅲ] 百人シリーズ


615
〈あっ 火の鳥だ〉と耳捉えても
ひとりは
後ろへ駆けゆきひとりは盆栽に


616
〈みんな知ってるよ〉と耳にしても
百人
みんなが知ってるとはかぎらない


617
〈避難せよ〉と警報出て
でんぱする
ひとりは山へひとりは川へ


618
ひゃくにんの濃度及ぶよ
島々に
等質の宇宙巡るように
 
註.「世論調査」というものをちらり思い浮かべて。




  [短歌味体Ⅲ] 音遊びシリーズ


619
いちごにごさんご量り越え
日差し赤
赤夕日の海に沈みゆく


620
ぷるぷるとあまえび淡く
照り映えて
ふれる視線はあまく折れ曲がる


621
かまくらの灯り見てると
くらくらと
おもいは飛ぶよ「北の国から」




  [短歌味体Ⅲ] 百人シリーズ・続



622
百人の匂い立つ色
一色(ひといろ)も
千差万別(いろいろ)あり千変万化(めまぐるしい)よ


623
色々と色決めかねて
とりあえず
揺れ揺られつつ苦海に舟出す


624
街路には服も色々
咲き出して
百人町も華やぐ春は




  [短歌味体Ⅲ] わかれ目シリーズ


625
なべの中だいこんやにんじん
しゃべってる
とってもふしぎとは思わなかった

註.小学校低学年の頃、図書室での映写の授業だったと思う。まだ幻灯機と言ってたか。 


626
いつの間にかサンタクロースは
ベール溶け
三太苦労す物語の始まる


627
あの一縫い余分なかったら
はるうらら
さらさらさらと歩み過ぎたのに




  [短歌味体Ⅲ] わかれ目シリーズ・続


628
人はみな生まれ出るより
わかれ目の
峠を越えこえを限りに内向す


629
越えゆけば後振り返る
わかれ目は
際だってイメージばかり細る


630
大人になり小学校に踏み入って
座ってみた
椅子の異和感例えようもなく




  [短歌味体Ⅲ] 物語論シリーズ・続


631
幻の時空を自在に
飛翔する
と見えて主の引く手に付き添う


632
造花でも滴したたる
花のように
幻の朝が降りて来る


633
深みからふかいふかい殻
ふるえる
突き抜け来る無意識の叫び




  [短歌味体Ⅲ] 見てるだけシリーズ


634
見てるだけナノなのにざわ
ざわざわわ
目の差し伸べるじれったいぞ〈手〉


635
見てるだけと言ってもずん
ずんちゃちゃ
奥深い部屋でステップを踏んでいる


636
見てるだけでさざ波立ち
草なびき
涙に滲(にじ)む丘陵(おか)に静かに立っている




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ


637
ほんとはかんたんなこと
なのぬねに
始まり遙か糸糸糸の


638
一言が道案内の
面倒さ
に入り込んで前前右……


639
一言が道案内の
面倒さ
迷い込んでメドゥーサ!


640
閉じていく「異議はないですか」
吸い込む
風圧に黙って踏み耐えている




  [短歌味体Ⅲ] ずれシリーズ


641
普通に声も言葉も
出ているが
ふと気づけば手足そろって歩いてる


642
銀行員じゃないんだから
十円
ぐらいちゃちゃちゃのちゃ鼻歌歌う


643
銀行員になったつもりで
アジアの
軍隊の行進を観てしまった




  [短歌味体Ⅲ] どうしたものかシリーズ


644
今年は40個だけの
まばらな
夏みかんどうしたものか

 註.
父の遺した果樹のひとつである一株の夏みかんの。何年か放っていたが、ここ五六年収穫して夏みかんジャムを作っている。例年は100個ほど夏みかんがなっている。



645
夕暮れにどうしたものか
カーナビ
なしの手作業に霧中(むちゅう) あっ月。

註.農作業していて。


646
飢饉がイナゴの大群のように
伝播する
救荒作物(あれ)でいつまで……どうしたものか

註.遠い時代を思いつつ。


647
プリクラでつるつるつるんと
写っても (しょぼ)
まだまだまだだどうしたものか




  [短歌味体Ⅲ] どうしたものかシリーズ・続


648
歯が痛む世界は一色
赤々と
安らぐ椅子を奪い続ける


649
知らぬ間にトゲトゲ波は
暗転し
痛みの記憶夢に溶けてる


650
約束の日にちまでには
そこに立つ
加速加加速減中加速




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ・続


651
鼻歌のしらずしらずの
角曲がり
あらあ こんなとこにこんなものが


652
ええっとね ミーちゃんはね
マーちゃん
ミーちゃんのね マーちゃんミー


653
庭に来る鳥のしぐさの
今日はまだ
みかんがないねと言ってるような




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ・続


654
ああ そおか そおだったねえ
見上げれば
寒空遥か鳥の飛びゆく


655
椅子からふっとずり落ちた
心は今
はない柱時計(とけい)の振り子と揺れる


656
シーソーのガッツンする
ことのない
揺れ揺らる朝は春の微風の




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ・続


657
外見にはなんてことない
カップでも
共に山越え小皺もある


658
訪れる他人(ひと)には圏外
見え聞こえ
の向こうにはなだらかな丘陵地(おか)の


659
岩ないと伝わらぬ水
があり岩
なくてもあっても伝わる水の




  [短歌味体Ⅲ] シミュレーションシリーズ


660
本番のずっと前から
セリフに入り
しぼんだ風船と成り果て休む


661
ヒコーキに乗ってる積もりが
シームレス
危うい岩肌通り抜け出る


662
紙を次々に折り畳む
だんだんと
苦しさ増すよ 山登り詰む




  [短歌味体Ⅲ] シミュレーションシリーズ・続


663
小さい子がママゴトしてる
ぶつぶつと
何か唱えつつ手足動かす


664
ええっと…司会が言って
次の次
まずは「おめでとう」……そんでそんで


665
知りません十年後(さき)のことなんか
保険の
確率分布の滲んだ手の伸び来る




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ・続


666
おお寒は記憶の方へ
退いて
春の花びら舞い落ち始む


667
衣更え近くなりなりて
蟻さんの
手こする音の聞こゆるような


668
蟻さんの不明の高度
よじ上り
幻の世界線を拡張す




  [短歌味体Ⅲ] 即興シリーズ・続


669
スピードを上げても伝う
漂い
流る朝の気配に「おざーす」


670
異国語は知らず知らずに
「しゃらっぷ」
こちらの軒下重力下


671
じゅげむの魂の地形
たどり来て
ゆっくり腰上げ「彼は」と語り出す




  [短歌味体Ⅲ] 物語シリーズ


672
明け方に鶏鳴く声は
消え果てて
失意の内に幻聴する者ある

 註.新聞の事件の記事を読みながら、聖書のイエスの予言思い浮かべつつ、不可避の悪ということを思う。



673
ひとつ道へ羊のように
促されるも
心の地面にはただ異邦の文字の

 註.「私の胸の奥の白絹に、なにやらこまかい文字が」(「父」太宰治)を思い浮かべつつ。





  [短歌味体Ⅲ] 


674
お腹の深みの方から
声は出さない
朝 曇り 今日もまた舟を出す


675
やわらかな雨に濡れる木々
や草花の
ゆったりと飲む朝のコーヒー




  [短歌味体Ⅲ] 言の葉シリーズ


676
ぐるぐると巡りに巡り
ふいと踏む
ふいごの音に春溶け匂う


677
さわさわと幹揺すっても
落ちてくる
ものはなく深、静まり返る


678
葉脈のみどりの道を
たどるとき
言の葉揺れて影差して来る




  [短歌味体Ⅲ] 言の葉シリーズ・続


679
言葉へと喜怒哀楽の
葉となって
音楽のように鳴り響きうねる


680
言葉たち手品みたいに
瞬時に
変身する 鳥・舟・水・火


681
どこからか言葉舞い上がり
どこかへ
落ちていく感情線を通り




  [短歌味体Ⅲ] 入口シリーズ


682
入口では遙か太古と
同(おんな)じに
こんにちわなど言い掛け通さる


683
入口がホームグランド
でないならば
周囲の気配に触手伸ばしてる


684
入口では白、手ぶらでも
日々巡り
日差しに焼けてゆったりと出て来る




  [短歌味体Ⅲ] グローバルシリーズ・続


685
グローバル政経巻きこみ
我らにも
津波のように大地を寄せ来る


686
硝煙染み込んでいても
われらは
ラフな普段着でグローバルに出会う


687
肌色や言葉風俗
違っても
遙か遙かのアフリカの同一夢(ゆめ)




  [短歌味体Ⅲ] 入口シリーズ・続


688
入るのはとても簡単
足抜けは
干潟抜け行くに似て 集団の


689
入るも去るも大道無門
と言ってても
去り際に互いの水の重く濁る


690
感情は個々の出入り口
とは言っても
太古からおんぶお化けのように




  [短歌味体Ⅲ] 世界視線シリーズ


691
バンジーの視線ゆらゆら
迫り来る
ピカソの風景掻き分け流る


692
見渡して衛星の高度から
のぞき込む
目くるめく(遙か太古からの)時間の深み


693
ホラホラ、これが世界視線
突き抜けて
死後の表情までもが見える

 註.「世界視線」

「ランドサット映像が世界視線としてあらわれたことの意味は、わたしたちがじぶんたちの生活空間や、そのなかでの営みをまったく無化して、人工地質にしてしまうような視線を、じぶんたちの手で産みだしたことを意味している。この視点はけっして、地図の縮尺度があまりに大きいために細部を省略しなくてはならなかったとか、さしあたり不必要だから記載されなかったということではない。ランドサット映像の視線が、かつて鳥類の視線とか航空機上の体験とかのように、生物体験としての母胎イメージを、まったくつくれないような未知のところからの視線だということに、本質的な根拠をもっている。いわば、どうしても人間や他の生物の存在も、生活空間も、映像の向う側にかくしてしまう視線なのだ。」(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「地図論」P155 吉本隆明 ちくま学芸文庫)





  [短歌味体Ⅲ] 誰にでも通じるかなシリーズ


694
頃合い超えて立ち合えば
いくつもの
ザボンはや落ちて草に埋もるる


695
椅子取りのゲームでさえも
はぐれた子
言葉を超えて佇む峠


696
「八時だね」「うん八時だよ」
暗転の朝
八時の駅は見知らぬ人ばかり




  [短歌味体Ⅲ] 


697
例えば買ったばかりの
靴履いて
約束の地へ足早に行く


698
新しい靴にふれふる
肌合いの
気に懸かりつつ橋を渡る


699
初めての店に入る時
幻の
バリアフリーをふと思い浮かぶ


700
よそ行きはふだんぎ着てても
よそ行きの
心模様の絞り染めつつ




  [短歌味体Ⅲ] 感嘆詞シリーズ


701
あっ 忘れてたと思い直して
気に留めても
しばらくすると晴天の空


702
あっ ととと 思い出して
しまったよ
できれば消し去りたい記憶


703
あらあら 困った風(ふう)でも
お腹には
柔らかな風流れ子を見る




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の表層からシリーズ


704
公人の乾いた言葉
春桜
灰ばかり舞い流れ寄せ来る

註.「花咲か爺」を思い浮かべつつ。


705
言葉に言葉積み重ね
徒労ばかり
汗滲み出し不毛の砂漠


706
はーいチーズ 呼び寄せられても
頑なに
表情を解かない春の




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の表層からシリーズ・続


707
表面を飾りに飾る
言葉たち
井戸は涸れても声はつややか


708
幻の読者をあてに
修辞
修辞修辞!かざりにかざる
 
 
709
舞い踊る修辞者たち
今もなお
俊成の桐の火桶の

註.中世の歌人、藤原俊成は現実の姿としては冬、桐の火桶を抱きかかえるようにして苦吟したという。


710
肌寒い春の花びら
ひんやりと
乾いた井戸に降り積もりゆく




  [短歌味体Ⅲ] 言葉の中層からシリーズ


711
いくらかは鏡ちらちら
見い見いし
用事顔にて言葉は歩む


712
鏡との静かな対話
くり返し
ぱたぱたするする装いもする


713
道々にふと湧き上がる
不安から
微妙に道ずれはずれゆくか


714
そんな印象言われても
身に覚え
ないと振り向く旅の途上




  [短歌味体Ⅲ] 






  [短歌味体Ⅲ] 

















































































































































































短歌味体 Ⅳ ―吉本さんのおくりもの


  [短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・はじまりは



はじまりはなんどかじょそう
くり返し
見知らぬドアを開け進みゆく



気負い立つ土煙払い
ゆっくりと
言葉の階段を下ってゆく



どこまで行けるかわからない
けれども
心の深いポケットにジョバンニの切符秘め

註.「ジョバンニ」は、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の主人公。



ゆっくりと旅する時間に
湧き上がる
風景の深み肌合いを流る



 註.は、ブログに掲載します。


 註.

 はじめに


 おそらくまだ吉本さんが元気だった、2008年頃に、まずは人の「順次生」(親鸞。その仏教的な解釈と違って、次から次へ順を追ってつながり生きると言う一般的な意味で)としての受け渡し(物質的かつ精神的に)ということから「おくりもの」というテーマで、そこから転じて「吉本さんのおくりもの」というテーマで文章を書こうと、資料から切り出したり、メモを取り始めたりしたことがある。批評の慣習に倣わずに「吉本さん」という呼び方で書くということまで決めていた。なかなか書き出せずに途切れてしまった。

 生活上でも、芸術表現上でも、何か物事には、いろんな蓄積の上で機がある程度熟して一気に取りかかることができるような場面がありそうに思える。もちろん、機が熟さなくても取りかからざるをえないとか、とりかかるということは、生活上でも、芸術表現上でもありうる。わたしの場合は、怠け癖もあって、また批評などは書くのがおっくうだからなかなか書き上げることができない。大まかな文章は早くに書き上げても、不明な箇所があったりしてなかなか書き上げてしまって公表するという所までいかない。そこで、機が熟するというよりももう書き上げるしかないといろいろと追い込まれた状態で、取りかかることが多い。

 「短歌味体Ⅳ」を「吉本さんのおくりもの」という副題で始めてみようと思う。このことを意識して、「短歌味体Ⅲ 31-33 太宰治シリーズ」で、歌と註(資料や文章)を試みたことがある。そんな形での表現を考えている。しずかに、深く「おくりもの」ということを受けとめてみたい。人(に限らずあらゆる生き物)は誰もが何らかの「おくりもの」を無意識の内に受け取り、自分のものにして意識化していく。そうして、また誰かに密かに「おくりもの」を手渡すことになる。

 この「短歌味体Ⅳ ―吉本さんのおくりもの」は、「短歌味体Ⅲ」と併行して進める。そして、不定期で、ほんとうにゆっくりとやっていくことになると思う。

                (2015年12月7日) 


 (付言)

 吉本さんの晩年は、原発大事故にも遭遇し、その大まかな収束の全過程の中途で逝かれてしまった。それは現在もまだ収束の過程にある。自然科学や科学技術の自然必然としての歩みも、また原発技術と同じ深さの自然との出会いから取り出された様々の科学技術の応用が現在の社会に普及しているのはわかる。
 
 原発大事故後、原発についてわたしも少し考察を巡らせたことがある。権力を持つ清濁含む支配的勢力が、依然として政策の大きな流線を左右してきているが、今までより一段高度化した、このような深みとしての自然との出会いから取り出される科学技術には、ある「器」というものが必須になってきているように思える。そうでないと大規模事故に相当することをいろんな分野でこれからも引き起こしてしまうような段階に現在はなっていると思う。
 
 マルクスは「イギリスのインド支配」で、インドの近代化という大きな歴史の主流の自然必然としての避けられない流れへの認識とそれがイギリスによって富の収奪やインドの伝統的な社会組織の解体、つまり住民の悲劇を伴いつつ成されたということを、外からある抽象度で把握しながら、その内にある人々の有り様にも想像を巡らせつつ、ある深い感慨を添えて述べている。このことは、現在でも問われるべき問題だと思われる。つまり、どこまでがこの世界を駆動する避けられない科学技術や文明史の大きな主流であり、どこまでをそのような世界の内側で今を生きる住民としてのわたしたちがそれにまつわる諸々を許容できるか、ということとして。水俣病などの公害問題やこの度の原発大事故問題を経て、そういう痛ましい負の問題を生み出さないような、ある「器」が、倫理のようなものが、未来に向けて、担当する組織に問われているのだと思う。例えば、新幹線が一度も事故を起こしていないのは、そのことに対する倫理のようなものからの対処やチェックが日々成されているからではないだろうか。
 
 わたしは、ただ生活者住民という場所から、この問題の有り様に関心を持ち続けている。しっかりした「器」もなく、右往左往してきたり、居直ったりしている国家や行政や学者たちや企業上層の下―もちろん、それらの世界にもまっとうな人々は数知れずいるはずだが―、被害住民の無念の言葉の場所をわたしの考えの中心に据えておきたいと考えている。それは現下の沖縄の基地問題においても同様である。なぜなら、いつ何時、わたし(たち)が、そんな状況を強いられるかわからないからだ。両者ともに、生活者住民といっても、行政や国家とつながったり、自らの特殊利害の主張もあり、それらが相対立しながら、ことはそんなに簡単ではないだろうが、あくまでも多数の普遍的な生活者住民の利害に眼差しを向けつつ、万人が落ち着くだろう場所を見つめ続けたい。
 
 最後に付け加えれば、40余年の言葉としての吉本さんとの付き合いからみて、この世界の有り様とそこでの人の有り様をラディカルに、あるいは全人的に柔らかに開示して見せてくれた、吉本さんはわたしにとってほとんど異和のない存在であることは確かなことである。







  [短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・おくりものということ



人はみな人知れず我知らず
受け継ぎ
渡すものあり無償のおくりもの



道端のふと拾い上げた
ひとつの石
溶けてみどりの滲み入ることあり



ことばに触れたどるとは
人の持つ
深さ広がり未知をも開く



死に急ぐ人は不幸のみか
半ば外
半ば自ら故の ああ日差し在り

(註は、ブログにて。)




註.


 おくりもの


 わたしたちは、ふだんおくりものをすることがある。中に立って何か口をきいてもらったなど利害の絡む場合もあれば、今ではもう薄れているのかもしれないが本家への中元や歳暮など慣習的な場合もある。現在、個人的な次元で考えれば、人類が築き上げてきた人と人とが関わり合う時の共同的な風習のひとつとして、今なお強力に、しかも靄のかかったようなあいまいさをともないつつ、― つまり、どうしてそういうことが始まり今に至っているかということはよくわからないとしても ―、おくりものは現在的な姿で生き残っている。

 おくりものということを少し拡張してみる。人がこの世界のあるところに生まれ落ち、育っていくという始まりとその後の過程は、人が他者(ひと)からなんらかの「おくりもの」を物質的や精神的に受け取っていると見なすことができる。そして、人が生きて「おくりもの」を享受しながらこの世界と関わり合う中で、今度は自らが他者(ひと)や世界に対する「おくりもの」を生み出していくことになる。その「おくりもの」には、この列島では割と均質なものと見なせるかもしれないが、世界各地、地域毎の長年の慣習が色合いのように織り込まれているはずである。

 このおくりものの現在の姿から、考えられるおくりものということの純粋な形態は、無償(見返りを求めない)のおくりものということである。そして、この無償ということの中には、この世界で人と人とが関わり合いながら生きていくあり方の理想形が込められている。ここで理想という意味は、その無償性は人に対して権力的や抑圧的に作用することなく、自由をもたらすからだ。それが可能な場は、現在のところ主には個と個とが関わり合う場と家族という場である。しかし、現実的には、その場には人を通して社会的な価値概念などその自由にヒビ入らせるような様々なものが混入してくる。

 もちろん、今でもおくりものということには、返礼という意識がつきまとっている。しかし、親鸞の「順次生」という考え方が人の世代を継ぐ関わり方やつながりと見なすならば、人は誰でも、誰かから物心両面で何ものかを受け取り、この世界に育ち、また何ものかを次に渡していくことになる。そのことは、誰もがたどらざるを得ない普遍的な道筋であり、「わたしを生んでくれてありがとう」とか「自分のために親はこんなことしてくれた」などと取り立てて返礼の倫理を喚起される必要はないと思われる。

 遠い昔、学生の頃、二段組みか三段組みの文学全集で、太宰治集の巻頭に太宰治の写真とたぶんその下に「反物をもらったから春まで生きていようと思った」というような言葉があった。これに似た言葉は、「葉」という掌編の出だしに「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」と作品の言葉としてある。この言葉は、虚構性の言葉ではなく作者太宰治の思いと見てまちがいはないと思う。太宰治の日記を昔読んだことがあるが、いろんな人の世話になったり、おくりものをもらったことなどが記してあったと思う。先の巻頭の言葉にわたしは唐突な感じを持った覚えがある。普通そんな言葉を書かないだろうという感じである。しかし、太宰治にとっては真剣だったのかもしれない。人一倍落ちこみやすい心が、なにげない習慣のようなものの中に滲んでいるものに鋭敏に感応する。そしてそのおくりものに自分をこの世界につなぎとめるものを感じ取ったのかもしれない。これは言葉で言い表すのはむずかしい気がする。おそらく太宰治本人もよく意識していないような無意識的な部分が加わっているように見えるからである。大げさにいえば、生命という身体感覚レベルに近い言葉ではないか。傍目にはいい加減な人間に映るかもしれないが、さりげない言葉の中に、命を切り開こうと悪戦する太宰の一瞬が切り取られている。 


 でも、大人の私は自由がほしくて、パパが私のほうにぐっときてしまったらほんとうは困る。
 だから、まるで恋愛を隠している男女みたいに、ふたりで暮らして行けたらいいとお互いがちょっとずつ思っていることを、ふたりともじっと黙っている。
 こういう愛もあるんだな、と思う。
 心配しあって、抱き合って、いっしょにいたがるだけではなくて、じっと抑えているからこそ絶対的に伝わってくるもの。ハムやお金に交換されてやってくるほんとうの気持ち。
 読み取れる感受性だけが、宝なのだ。
  (『みずうみ』P149 よしもと ばなな)



 そして、もちろん小説というのは、作者の経験、幼年期からこれまでの人生、彼が考え、行ない、目撃し、読み、夢みてきたありとあらゆることから生れます。しかし、経験というのは、手に入れようとして入れられるものではありません-それは、贈り物です。そしてその贈り物をもらうための必要条件はただひとつ、それに対して心を開いていることです。
  (『夜の言葉』「書くということ」P286 ル・グウィン 岩波現代文庫)



 ここに物語の作者たちの言葉を二つ引用した。人が物語を作りそれを読者に提供するということは、現在ではもちろん経済社会のシステムを通してわたしたち読者の下に届くわけであるけれども、そのつながりの底流では作者と読者は純粋なおくりものを交わし合っているように見える。おくりものは無自覚的にも人を活かすけれども、おくりものということを十全に受け取り、渡すには、「読み取れる感受性」や「心を開いていること」が大切なことだ。

 







  [短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・誕生



人はみな祝い祝われ
誕生す
通路(みち)の後先、密かに陰る


10
いつの間にどうしてここに
いるのだろう
言葉にならぬ表情流る


11
偶然に生まれ育っては
ひとはふと
まなざし深こう胎内生活(なか)の顔する


12
華やいだ春の衣装が
まぶしくて
一歩二歩に目まい微かに

  (註は、ブログに掲載します。)




註.


 誕生


  ①何人かの人々により積み重ねられ来た吉本さんの年譜より

一九二四年(大正一三年) 一一月二五日
 吉本順太郎、エミ夫妻の三男、第四子として、東京市京橋区月島東仲通四丁目一番地で生まれる。


 吉本一家は、吉本がまだ母の胎内にいたこの年の春四月、熊本県の天草から月島に移住してきた。


 東京に移住してきたのは、第一次世界大戦後の不況による、炭鉱の閉山や石炭運搬船の需要の減少などがかさなり、それらによる危機を乗り切ることができず、借金をそのままに、順太郎の直系の一族といっていいほどの者たちで夜逃げ同然のようにして、天草と地形が似ている月島で再出発を果たそうとしたことによる。先に、順太郎が上京し舟に関係する雇われ大工のような仕事につき、そのあとで家族をよんだ。
 汽車による見知らぬ土地への長時間かけての移動は、幼い子どもたちにも、身重の母・エミにとってもたいへん負荷のかかることであった。

(「吉本隆明年譜[一九二四~一九五〇]より抽出 宿沢あぐり 『吉本隆明資料集139』 猫々堂)



 この世界を生きるわたしたちの誰もが、この世界のいつかどこかに生まれ落ちる。そのことに例外はなく、そして誰もが、男と女の、彼らの背景との関わりを含んだある関わり合いの事情を生理的(遺伝的)かつ精神的に引き連れて現れてくる。そこで、子どもを産むのは女性であるから、生まれ出る子は胎内から誕生にかけての〈母の物語〉を印されてこの世界に登場することになる。吉本さんの場合、上記の年譜にあるような不幸な〈母の物語〉を印されたことになる。


 ②生誕と固有の不幸な〈母の物語〉の刻印


 年譜に書かれた、この間の事情は、吉本さん本人の記述がいろいろとあり、『少年』(1999年)や『母型論』(1995年)などにも触れられていて、それらを引用しつつ、松崎之貞『吉本隆明はどうつくられたか』(徳間書店 2013年)に詳しくたどられている。

 〈母の物語〉が大きな失敗であればどうなるのか。子の「無意識が荒れ」、また、外界から押し寄せる負荷に対する耐性が弱く、外界に対する過剰な引き寄せや過剰反応となり易い。吉本さんが度々述べていた言葉で言えば、閾値(いきち、「特定の作用因子が、生物体に対しある反応を引き起こすのに必要な最小あるいは最大の値。限界値または臨界値ともいう。」)が普通人より低くなる。ということは、普通の人々が、あまり思い詰めたり、考え込んだり、し過ぎないようなことをし過ぎてしまうということになる。性格的には、たぶん外界に対する防御的な姿勢として「引っ込み思案」や「内向的な性格」となる。「人と人との関係が『なんだかぎこちなくてうまくやれない』という感受性」になる。もちろん、これは吉本さんの場合の〈母の物語〉がもたらした一態様に過ぎない。現象としてそうでないばあいもあり得るだろうが、外界に対する反応の基本的な性格は普遍的なものとして捉えることができるかもしれない。

 吉本さん本人が、当然ながらさまざまな生き難さとして物心ついた頃から意識し続けてきただろうし、そのことにいろいろなささいに見えることにも無数の格闘をしてきただろうと想像される。このようなことは、誰もが通る普遍的なものであるが、普通以上に苛酷な〈母の物語〉を印された人々は、普通以上に感受し、普通以上の風景を目にし、普通以上の魂の劇を強いられる。このことは、価値の問題では全くなく、不可避な生存の有り様というほかない。吉本さんが批評として取り上げた三島由紀夫も太宰治もまたそのような苛酷な〈母の物語〉を印された人々であった。

 吉本さんは、この国で類例のないほどの思想のオープンさを持っていた。表現者として恥ずかしさやプライド?などから秘匿するのが一般的なこともさらけ出してきている。晩年では自らの老年の有り様を開示し、論じている。また、50歳頃にはたぶん編集者や出版社からの働きかけだろうが、心理分析を受け、分析者との対話がある。(『特別企画 吉本隆明の心理を分析する』青土社 吉本隆明・馬場礼子 1974年) この吉本さんは、自分が分析されることに興味を持ち、少し前に乗り出しながらも、どこか無意識に引いている姿勢のような印象も持った。もちろん、自分をオープンにして公開的に触れるまでには、ためらいの消失などそれなりの時間の経過や年齢的なものがあっただろうとは思う。別の対談では、次のような「対人恐怖」や「赤面症」のことが触れられている。


 そこで『言語にとって美とは何か』でとったぼくの考え方は、文字を媒介にした言語表出というところからはじまっていますが、それをもっと非言語、非文字という領域まで拡大してみたいという考え方が、言語の問題としても、心的な問題としてもあります。それは『言語にとって美とは何か』と『心的現象論』を拡張するといいますか、原型のところまで遡ってそのふたつをいっしょに解いてみたいという考えがあるんです。だから田原さんのやられている方法にはとても関心があります。できるだけ具体的に聞けたらいいなというふうにおもっているわけです。
 それからぼくは、いまでも「対人恐怖」ですが、思春期前後のころは、ひとを正視して話をする、とくに女のひとと話をするということができなかったんです。それから「赤面症」も、思春期に入る前後のころは極端にそうだったんです。いまは摩耗しているというか、それほどじゃないですが、そのころは意識すればするほどそうなっちゃう。べつにひとからみて顔が赤くなっているかどうか、それこそ田原さんのいわれるとおりわからないですが、カッーと耳までも熱くなっちゃう。一時期それにずいぶん悩まされました。悩まされたというのはだれでもそうなのかもしれませんが、それを悩みとしたということなんだとおもいます。これなんかはいまでもあるわけですが、なんか階段を昇り降りするとき、右足から第一段目を上がらないと今日は縁起が悪いとか、そういうのって思春期前後には極端にありました。それでじぶんのことをいうと、『言語にとって美とは何か』と『心的現象論』をもっと無意識の核のところまで遡って自己カウンセリングしてやろうみたいな問題意識があるんです。
    (対談集『時代の病理』P47-P50 吉本隆明・ 田原克拓 1993年)



 この引用に象徴されるように、人がこの人間界に生まれ育ち老いていく過程は、誰もが固有の〈母の物語〉を背負いつつ、この現実の人と人との関係の中で、それを修正したり、それに沿って生きたりなどしながら、この世界を旅していくのだと言えそうである。そして、苛酷な〈母の物語〉を強いられてしまった人々は、それが普通の人々以上に苛酷な旅になるだろうと想像することができる。

 しかし、いずれの場合も、人がこの人間界に生まれ育ち老いていく過程は、個人的には、固有の〈母の物語〉の受容や修正やかくめいの劇であり、外の世界に対しては、この世界の成り立ちの根源からの受容や修正やかくめいの劇である。誰もがその生存においてこの二重性を帯びていると思われる。吉本さんの〈母の物語〉に根底的に触れた『母型論』に到る論理を築く歩みにもそのような二重性が秘められている。

 







  [短歌味体 Ⅳ] ―吉本さんのおくりもの・少年期


13
朝日の背にずんと押されて
駆け出して
ひみつの基地を紡ぎ歩く


14
入り日差し火照り香残し
ひかれゆく
明暗の敷居ゆっくりまたぐ


15
風景は目線の年輪
振り向けば
時間の風貌を浮上させる


16
生まれ落ち時折優しくも
氷解(とけ)ない
日々くり返し浮上する氷壁(かべ)


17
まぼろしの母のたましい
の在所
訪ねに訪ね不明の戸叩く


18
いつの間にか不明の深み
より湧く
ずきんと深い別つ渓谷(たに)はなぜ?




 註.

 少年期


 ①少年期は自体を生きる


 少年期というのは、例えば生まれて間もないひな鳥が巣の周りで出入りしながらもまだ巣立つ前の状態に対応させることができそうだ。すると、青年期は、家族から巣立っていく時期に対応する。次の吉本さんは、少年期を前期・中期・後期と三つに細分しているけれども、大雑把な感じで言えば、少年期はそれ以降の時期に比して内省的になることが少なく、また論理の言葉も未成熟で、それ自体を生きる時期のように見える。少年の当面する世界も具体的な環境も含めてとても狭い限られた世界になっている。このことは、逆にに言えば、少年にとっては世界はより濃密で、世界の濃度が高いと言えそうに思う。そして、誰もが生誕からひきづったものを、その世界の渦中で半ば以上に無自覚的に反復したり修正したり固執したりしていることになる。
 したがって、自体を生きるという性格の少年期だから、次の吉本さんの『少年』のように、自身に記憶やイメージとして残留しているものをたよりに、そこを通り過ぎた後から振り返って少年期は内省的に捉えるしかないものとしてある。



 ②吉本隆明『少年』より


 少年に難しさがあるとすれば、少年期から思春期に入る前に「性」が介在してくるところからやってくる。もっと本質的な難しさをいえるとしたら、人間は少年期に入るまでに、自分の責任ではないのに何かがつくられてしまっていることだ。そのことを経なければならないことが難しさだとおもえる。
 これはどんな人間にとっても重要なことなのに、どこに根拠や責任をもっていけばよいのか、誰にも半ばしかわからないのだ。
 自分ではべつに生まれてくるつもりもなかった、もしかすると、親の方も生むつもりはなかった。それにもかかわらず生まれたという既成事実を運命のように見做すしかないということだ。すくなくとも資質や性格についてはそうだ。
 そこではすでに親と子、とくに母親と子の関係は先験的にできてしまう。厳密にいえば胎内から生じているのだろうが、そのことが決める親と子の関係、とくに母親と子どもとの幼いときの関係について、子には責任の持ちようがないし、また責任がない。
 もっぱら責任のことをいうなら、母親あるいは間接的には父親が負ういがいにない。ただ親に根拠をもってゆくほかにないという意味で、それは責任であるかどうかはわからない。責任という言葉を使っているだけだ。
 自分には責任がないことを経なければ生存にならないことは、ものすごく重要な人間の特質のようにおもえる。ここには、自分には責任がないんだ、というままに残ってしまうものが存在する。



 少年の前期に重みをかければ、フロイトのいうようになってしまう。少年はおよそケダモノが持っている粗暴さや異常さや残虐さ、そういう無倫理の世界を全部持っている。露出していなければ潜在的になっている。もちろん植物的な繊細さも、静かさも、魂の芽ばえも、弱さも併せ持っている。
 この矛盾した特性は、少年の複雑さと単純さの根にあるものだ。少年は純真で善良でマユのように内向的であるとともに、関係意識が欠けた粗暴な動物的な存在でもある。
 少年の後期へ行く道、つまり、性の意識が芽ばえ、性の問題が介在してくる中期から後期に重みをかけてみれば、少年とは全部内向的な存在だといったらいいだろうか。それは自分以外の他の人には通じないし、親にも通じない。内向的なものを徐々にはぐくんでいる。
 少年は自分のなかの内向性を肉親や近親や家族との親和や風習に変え、動物的な運動性や衝動性を仲間との遊びの共和性に変える。少年の人間生芽ばえは、この親和力と外向的な群れの共和性とのあいだに、固有の境界地帯としての秘密の場所を設けるところにあらわれる。家族のなかの共和性の世界では、少年はまだ半ば少女なのだ。ここでは性の芽ばえが一種内向的に抑制されるとすれば、少年はまだ母親にたいして女性(引用者註.この「女性」性とは、「男性」性と見なしうる母親に全面的に依存してしか生きられない受動的存在の乳児を指している)だった乳児期の名残をひきついでいるからだ。
 (『少年』P125-P128 吉本隆明 1999年)











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