吉本さんの見識に基づく消費を控える活動の記録 (2014.8~12)








 ※ 2014年8月から12月に渡る、このわたしのささやかな活動の輪郭は、「回覧板①」、「わたしの活動のメモ①」、「わたしの活動のメモ②」を読んでもらえればわかると思います。また、この活動を始めたきっかけの文章は、このホームページにある「日々の言葉 ―思い・巡らし・放つ」の2014年6月「日々の感想⑤」です。4ヶ月余りにわたって、本来のホームページから離れて、出店状態を続けてきました。もちろん、心や意識も出店状態でした。

 わたしたち住民に政権を直接リコールする権利がない現状では、この消費を控える運動は、わが国に限らず家計消費がGDPの過半を超える先進諸国ではきわめて有効なものだと思います。もちろん、わたしたちがこんなことをしなくても良いような政治になればそれに越したことはありません。わたしの試みは実験的なものに終わりましたが、今後誰もが始めることができるよう、いくらかの参考にでもなればと思い、ここに活動の記録を収録しておきます。
                            2014.12.31

                                 
(この列島の一住民 西村和俊)





 目  次 (臨時ブログ「回覧板」記事一覧より)

        回覧板    日付
  1 回覧板① わたしは、目下ひとりたたかっています―昼寝のすすめ  2014年08月14日
  2 会社についてのメモ(2011年8月) 旧稿より  2014年08月16日
  3 日々の感想(2014年1月) 旧稿より  2014年08月16日 
  4 回覧板 ② 2014年08月17日
  5 経済ということ(2012年2月) 旧稿より  2014年08月19日
  6 新たなイメージの織り上げ方のために(2012年6月) 旧稿より  2014年08月21日
  7 個々人の意志が連結・構成されうる可能性(2012年3月) 旧稿より   2014年08月23日
  8 参考資料―吉本さんの社会分析  2014年08月27日 
  9 わたしの活動のメモ① 2014.9.20 2014年09月20日
 10 この列島の住民ということ  2014年10月11日
 11 現政権とそれを取り巻く言説に対して 2014年10月20日 
 12 日々の感想(2013.12月)―現下の道徳教育うんぬんに関して 旧稿より  2014年10月22日 
 13 参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ① 付「わたしの註」 2014年10月29日
 14 わたしたちが平等にかつ自由に現在の社会的な問題について批判しうる根拠について 2014年11月13日
 15 参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ② 付「わたしの註」 2014年11月29日 
 16 参考資料―吉本さんのレーニンに対するイメージから 付「わたしの註」 2014年11月30日
 17 わたしの活動のメモ ② 2014.12.1 2014年12月01日
 18 参考資料―小沢一郎の言葉より 付「わたしの註」 2014年12月06日
 19 参考資料―商の本質、柳田国男より 付「わたしの註」 2014年12月07日
 20 人間における「表現」という活動についての考察 2014年12月19日 
 21 参考資料―「十年やれば誰でも一人前」、鮎川信夫・吉本隆明対談より 付「わたしの註」 2014年12月21日 
 22 理想のイメージを思い描くということ 2014年12月23日
 23 選挙考2014.12 2014年12月28日 
 24 ものを考えることについての考察 2014年12月30日 
 25 わたしの理想のイメージ  2014年12月30日 
 26 わたしの活動のメモ ③ 2014.12.31  ―「吉本さんの見識に基づく消費を控える活動の記録 (2014.8~12)」の保管先について 2014年12月31日 






        おもてな詩、他     日付
  1 おもてな詩① 今 2014年09月02日
  2 おもてな詩② 言葉 2014年09月03日
  3 おもてな詩③ 風の言葉 2014年09月06日 
  4 おもてな詩④ 回覧板 2014年09月09日
  5 おもてな詩⑤ まぼろしの回覧板 2014年09月16日
  6 おもてな詩⑥ 草刈りに行く 2014年09月30日
  7 おもてな詩⑦ 今でも 2014年10月04日
  8 おもてな詩⑧ 人は黙々歩む 2014年10月14日 
  9 おもてな詩⑨ 二つのまなざしのあわいから 2014年10月29日
 10 おもてな詩⑩ はぶ茶を飲む 2014年10月30日
 11 おもてな詩⑪ はぶ茶の話 2014年10月31日 
 12 感動ということ①―例えば、桜の花から 2014年11月02日 
 13 おもてな詩⑫ 一時(いっとき) 2014年11月14日
 14 感動ということ②―二首の歌から 2014年11月15日
 15 おもてな詩⑬ ひとつの言葉 2014年12月13日 
 16 ついったあ詩(試作) 二編・・・・・これらは、ツイッターより 2014年12月13,16日 






回覧板


 

回覧板① わたしは、目下ひとりたたかっています―昼寝のすすめ



 わたしは、新たな社会状況になっても未だ存在している右とか左にも関わりなく、また、いろんな社会運動とも無縁に生きてきた、おそらく普通のこの列島の住民の一人です。一方で、日々のあわいに、いま・ここに生きる自分を照らすためにもこの列島の住民が遠い果てからどのような歩みをなしてきたのか、ということに深い関心を持ち、考え続けてもいます。吉本さんの「消費資本主義社会」の分析を何度か読んでいたことをきっかけに、最近ふと思いついて、考え実行していることを書いてみます。

 戦争による無数の死者たちの存在や敗戦後の大多数のこの列島の住民の戦争に対する内省などからくる無意識的な意志を、制定の経緯がどうであれ、汲み上げかたち成した憲法9条の非戦の意志が、しだいにひびが入り、さらに現政権の巧妙にすり抜けようとする「集団的自衛権」という無思慮と横暴によって本格的に無に帰す事態に当面しています。このことは敗戦後のこの列島の住民の歩みの総否定に当たると思います。また、経済や教育などに対する施策も古びた亡霊のような観念を拠り所に、社会にくさびを入れようとしています。これは、逆から言うと、戦争期は遠い時代になってしまいましたが、政治層もわたしたち一般住民も戦争の内省から戦争はいやだという気分的なものではない、自覚的な意志の形成をなし得なかったということになります。わたしたちの生活世界の理想は、平凡につつましくゆったりと生活することにあると思っています。これ以外に大切なことはありません。現在の政治の動向は、そういう理想を大きく揺さぶるものであり、見過ごしたり、聞き流したりできるような事態だとは思えません。

 敗戦後の経済に力を注いできた歩みは、現在のような割と豊かな社会をもたらし、消費中心の電子網で結びつけられた高度な社会を築き上げました。インターネットを含む電子網の普及は、世界の距離感を縮め、現在の複雑で高度な社会があたかも王や天皇などが現れる以前の割と平等な集落レベルの世界を仮想的に現出させていると思われます。このことは、後に述べる吉本(吉本隆明)さんの現在の社会分析と併せると、人類の歴史は、遙かな昔から住民が巻きこまれる形で、あるいは積極的に加わる形で隣の集落とのいさかいから他国との戦争に至るまで幾多の戦争を経てきて、今なお戦争をくり返しているわけですが、わたしたち集落の住民の生活にとって不本意なことを集落の代表層が行おうとすれば拒否権を発動できるという可能性が転がり込んできていることを意味しています。もともと、集落の代表層は集落の住民の幸福のため存在するはずですが、世界中どこでも王や将軍などを生みだし、転倒された歴史をたどってきました。現在の政治や行政の有り様と同じく、太古においても単に住民の代表に過ぎない組織が恣意的な権力を行使する芽生えはあったはずです。この連綿と続いてきた負の組織性を人類が手放せない限り、わたしたち普通の住民の内省と意志表示は必須のものと思います。

 近代のすぐれた思想家である柳田国男は、集落に保存された習俗や言葉を中心にしてこの列島の住民の心性や住民たちの組織性の原理の古層を探り当てようとしました。例えば、この列島の至る所に互いに矛盾するような同じような伝説が存在するのはなぜかと問いを起こして、それは例えば小野小町伝説であれば、説話を持ち運んだ語りの者が自分が見た聞いた、あるいは小野小町になりきって語るなど一人称形式で語った、そのことから素朴な村々の聴衆は語り手と小野小町を同一化することになり、列島各地に同じような小野小町の塚や伝説が残されることになったと分析しています。その背景には、この列島の住民の次のような心性があったと述べています。


 我々の愛する里人は、終始変せず御名などには頓着なしに、尊き現人神(あらひとがみ)来たってこの民を助け恵みたもうと信じ、すなわちこれを疑う者を斥(しりぞ)け憎んで、ついにかくのごとき旧伝を固定したのである。それが大切なる村々の神道であった。そうしてまた多くの不可解なる伝説の根原であったように思う。
  (『史料としての伝説』 P325 柳田国男全集4 ちくま文庫)


 つまり、「御名などには頓着なしに」ということは、「尊き神」ならなんでもかまわず伝説としてくっつけてしまう。おそらくこれはこの列島の太古の住民が長い長い自然の猛威と慈愛の中で身に着けて来た自然に対する対処の心性が、人間界の関係においても同様に発動されてきたものと思われます。柳田国男はなつかしさと愛情を込めて描いていますが、これは生活世界のわたしたちが今なお引き継いでいるあなた任せの負の心性であると思います。生活世界のわたしたちが過剰に政治を遠ざけたり、過剰に政治にからめ取られたりすることはそこから来ているはずです。わたしたちこの列島の住民は、必要で大切な自己主張に依然としてあまり馴染んでいません。

 自分がおかしいと思うことが、わたしたちの生活世界を離れたところで成されています。しかも、それらはわたしたちの生活世界に跳ね返って来ます。遠いはじまりにおいて、行政的なものや宗教組織は本来は集落の問題を解決するものとしてあったろうと思われます。蜜に群がる蜂のような政党や政治家たちが多いように見える中で、わたしたちの意志を行使できる主要な手段は、間接的な不毛に感じられる選挙権しかありません。わたしもまた、あの負の心性に捕らわれそうになることがあります。

 ところで、今は亡き吉本さんがわたしたちへの無償のおくりもののように、必死で現在の社会を実験化学者の手付きで分析した言葉があります。


 つまり、収入に対して総支出が五〇%を超えている。それから総支出のうちで選んで使える消費、だから自由に使える消費です。つまり選んで使える消費はまた、今申し上げましたとおり、五一・一から六十四%の範囲内で、半分を超しています。これは消費社会、あるいは消費資本主義といってもいいのですが、消費資本主義の大きな特徴になるわけです。
 つまり、この二つの条件があれば、その社会は消費資本主義社会に突入しているといっていいと思います。そうすると、何はともあれ、消費のほう、特に選んで使える消費を含むと、自由度が入ってくるわけです。つまり、消費のほうに重点が移ってしまっている社会ということになります。
 私は全く極端なことを言いますけれども、今言いましたように、それぞれの給料によって五一%から六十四%の範囲内で選んで使える消費になっているわけですから、例えばそれを皆さんのほうで選んで使える消費だけ、半期なら半期、一年なら一年使わなければ、大体どんな政府もつぶれてしまうのではないでしょうか。つまりそれに耐えられないのではないでしょうか。半分以下の経済規模になってしまうわけですから、ちょっとそれに耐える政府は考えられない。ですから、そういう意味合いでは経済的なリコール権を潜在的には持っているというのは、消費資本主義社会に突入した、つまり世界の先進地域の資本主義はそこに突入してしまっていますから、それはいってみれば一般大衆の中に政府をリコールする権利が既に移ってしまっているということ。経済的にいえばもう移ってしまっているということを意味すると、私はそういうふうに主張しています。だから、あとは政治的なリコール権に書き換えればいいと私は思います。それが政治的課題だと思います。 (「現代(いま)という時代」1995年 P17-P18 『吉本隆明資料集135』 猫々堂)


 付け加えれば、国の行政組織もわたしたちの家計消費の重要性に触れています。現在は月毎の家計消費動向が発表されていますが、上から目線で大いに一喜一憂しているのではないかと思います。


● 経済社会活動の中で大きなウエイトを占める消費活動

経済社会活動の中で、消費活動は非常に大きなウエイトを占めています。消費者が支出する消費額の総額は、2011年度は279兆円で、経済全体(国内総生産(GDP)=470兆円)の約6割を占めています。消費者の消費活動は、我が国の経済社会全体に大きな影響を及ぼすことになります。したがって、経済の持続的な発展のためには、消費者が安心して消費活動を営める市場を構築することが重要です。
 (「消費者問題及び消費者政策に関する報告(2009~2011年度)」消費者庁ホームページより)



 柳田国男の民俗学という方法には、旧来の貴族や武家などの政治層中心の歴史観とは異質な、名も無き大多数の生活者の世界に錘鉛(すいえん)を下ろしその精神史を明らかにしようとした、この国の思想史においては画期的なものが秘められています。それはわたしたち万人に開かれた可能性を持っています。誰もが視線を巡らせることのない場所に視線を届かせた吉本さんの考察も、同じように万人に開かれた言葉だと思われます。流れてくるのは、相変わらず経済・政治など上から目線の、自分の場所に都合のいいような言説ばかりですが、何がわたしたちの生活の現在において本質的な問題であるか、この波風立つ世界で日々生活する自分を開いて、静かに思いめぐらすことが大切だと思っています。

 現在の社会は文明史的にもいろんな新たな事態をもたらしています。急速に普及してきているインターネットなどの電子網もそのひとつです。この電子網は、「東日本大震災」による被災住民の支援プロジェクトの形成にも活用されています。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」代表である西條剛央さん及び多数のスタッフは、インターネットなどの電子網を活用することによって行政の支援とは異質な、小回りのきく、多数の支援者・被支援者とが関わり合う流れを形成しました。インターネットなどの電子網という仮想の世界を仲立ちとして現実的な多くの力を束ねることができたのだと思います。ネットにホームページも設けられています。
 (『人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか 』西條剛央 ダイヤモンド社 2012年)

 まず、わたしたちひとり一人が、この距離感が縮まって太古の集落レベルのような仮象を示す新しい社会の状況を認識し自覚することが大切だと思います。そこからひとり一人の社会や政治に対する批判という意味では無意識的な、生活防衛的な消費を控えるという消費行動は、自覚的な過程に入り込み、ひとり一人の力が手を重ねるように束ねられていけば巨きな力になり得るはずです。目下わたしは一人、実験に入り込みました。

 外に出かけて消費することなく家で昼寝していてわたしたちの意志を表現することができるなんて、なんと痛快なことだろう、と驚いています。まだこれはおそらく誰も意識的に実行したことがありませんから、ひとつの実験と言えるかもしれません。このあらたな社会の有り様に対応して、このわたしたちの経済的な力の行使には、旧来的な組織性、主催者や代表がいてそれに参加するなど、そういうことがここにおいては無用であり、この列島の住民が、ひとり一人外に出かけて消費することなく家でゆったりと昼寝していてわたしたちの意志を直接的に表現することができます。また職業や地位などまったく関わりなくこの列島の住民ひとり一人が平等に持てる力を発揮できます。

 目下わたしは、選択消費(娯楽費など)をできるだけ控えて半年か一年先に先送りしています。食費などの必需消費も以前にも増して意識的に抑えています。家計の状況は人それぞれでしょう。わたしもそんなに余裕はありません。しかし、使うお金が同額でも、無意識的な生活防衛の切り詰めとノウという自覚的な切り詰めとは大いに違います。

 吉本さんが指摘したように、GDPの過半を占める、このわたしたちの消費が、社会の経済的な心臓部にまちがいないと思われます。わたしたちの経済的な力の行使によって、負の「トリクルダウン」で、もちろんわたしたち生活者にも悪影響は下っては来るでしょう。しかし、わたしたちの日々の生活やそれを取り巻くものの有り様に対して、なにが本質的な理想であるかは、しっかり握りしめ、それを守るために意志表示をしていきたいものだと思います。わたしたちの代表に過ぎない政府が、こちらではなくあっち向いた経済政策や政治を行い、わたしたちの生活世界に害悪をもたらすような、その権力を恣意的に行使するのを、わたしたちがいつでもリコールする可能性を手にしているのですから。

 もしこの列島の一住民であるわたしが作った回覧板に賛同されたら、この回覧板を、あるいはこの回覧板に自分のコメントを付けて、あるいはまた、みなさんのもっとやさしい柔らかな言葉で新たに作られた回覧板を、お金は入ってくることはありませんがネズミ講のようにこの電子網を利用して回覧したらいいのではないかと思います。わたしたちの力を十分に束ねることができないとしても、わたしたちが知らない間に大きな経済的な力を持たされてしまったというこの社会の新たな事態を、現在のような政治・社会状況においては特に、この列島の住民ひとり一人が自覚することはとても大切なことだと思います。
 昼寝の夢の中で、この社会がもたらしたいろんな可能性を想像するのは楽しいことです。わたしにはそこまでの余裕や力量はありませんが、ネットに中継地を作って交流したりなどさまざまな自由な意志の表現が可能ではないかと考えます。それぞれがそれぞれのやり方で表現すればいいのだと思います。

                この列島の一住民より (2014.8.14)


 追記
 とりあえず、臨時のブログ「回覧板」( http://blog.goo.ne.jp/okdream01 )を開きました。そこに回覧板などを置きます。








 

会社についてのメモ(2011年8月)

 会社と言っても、様々である。「食品偽装」を行なう会社もあれば、今大衆的規模でもっとも切実な食品の「放射能汚染」に対して無自覚であったり政府任せの会社もある。利潤追求と効率第一の会社もある。一方、ここはすごいなという会社もある。クロネコヤマトの新聞広告について4月にひと言書いたが、その関わりから、クロネコヤマトの宅急便で知られる、ヤマト運輸の経営者であった小倉昌男の『経営学』を読んだ。本書は、そのようなすぐれた会社活動の報告書になっている。現在の会社という社会組織は、近代的な欧米の波をかぶりつつも当然ながらこの列島の歴史性を負った組織である。小倉昌男の会社活動を読むと、その最良の部分を内包していると思われる。 


 企業が永続するためには、人間に人格があるように、企業に優れた"社格"がなければならない。人格者に人徳があるように、会社にも"社徳"が必要なのである。
 企業の目的は営利であり、利益が出ている会社が良い会社であり、儲からない赤字の会社は、いくら良い商品を作り、優れたサービスを提供しても、良くない会社だ、という考え方の人もいると思う。要するに企業の存在価値は利潤を生み出すことにある、と割り切るわけだが、はたしてそれが正しい考えなのであろうか。
 私はそうは思わない。企業の目的は、永続することだと思うのである。永続するためには、利益が出ていなければならない。つまり利益は、手段であり、また企業活動の結果である。
 企業は社会的な存在である。土地や機械といった資本を有効に稼動させ、財やサービスを地域社会に提供して、国民の生活を保持する役目を担っている。さらに雇用の機会を地域に与えることによって、住民の生活を支えている。企業は永続的に活動を続けることが必要であり、そのために利益を必要としているのである。
 (『経営学』P288-P289 小倉昌男 日経BP社 1999年)


 たぶん、現在の企業活動の主流は、「企業の存在価値は利潤を生み出すこと」に置いており、そのための効率的な組織性を発揮しているのかもしれない。つまり、会社内や会社外の人の顔は抽象化されてしまっている。企業の社会貢献などどこの会社も掲げていると思われるが、それらは単なる飾りであることが多い。もちろん、そのような会社であっても、無意識裡には社会性をある度合いで果たしていると言うことはできる。一方、小倉昌男の「永続性」という企業理念は、彼らの企業実践で培われた肉体性を持った言葉であり、人の顔に対して開かれているように感受される。「永続」が第一義とは、会社活動によって、従業員や住民を支えるということであり、そこから「利益」ということも呼び込まれていく。

 現在の会社というものが、近代に導入された西欧起源の会社組織であるとしても、それは近世からの商の組織と張り合わされてきたものと思われる。つまり、組織原理は西欧の契約原理を模倣していても、商の慣習としてや会社内の慣習や会社活動としては近世以来の商の連続性を内包してきたものと思われる。 岩井克人が日本の会社組織の歴史性について述べている。


 ここで面白いのは、家の「当主」という言葉です。ヨーロッパや朝鮮や中国の家族制度では、家族の長は、家族の資産の所有者であることによって、まさに支配者として君臨しています。ところが、日本の「当主」とは、まさに言葉通り、当座の主人でしかないのです。たとえ三井総本家の当主であっても、「家」の支配者という色彩は薄い。むしろ、個々の人間を超越した存在である「家」を末代まで永続させていくことを目的とした、筆頭管理者という色彩が濃いのです。資本家というよりは、法人の代表機関としての経営者に近い役割をはたしていたと考えたほうがよいのです。
 その意味で、江戸時代における商家のあり方と、戦前の財閥グループのあり方と、戦後の会社グループのあり方とのあいだには、共通性があるというわけです。それは、江戸時代の商家も資本主義的な会社も、日本の場合は、たんなるヒトの集合であるのではなく、それぞれ「家」や「会社」として、あたかもそれ自体がヒトとしての主体性をもっているかのように存在していたということです。すなわち、法人名目説的ではなく、法人実在説的な存在であったということなのです。
 たしかに第二次大戦直後におこなわれたアメリカの占領軍による財閥解体は、戦前の日本資本主義を一瞬のうちに崩壊させたかもしれません。だが、それはその後に現れる資本主義の形態、とくに会社組織のあり方までは、決定することはできなかったのです。戦争の廃墟のなかから、ふたたび会社という組織を作り直していくときに、江戸時代の商家のあり方を規定し、戦前における財閥のあり方にも影響をあたえた、あの「家」という組織文法が強力に作用したのだと思います。結果として、戦後の日本の会社システムは、アメリカの民主化政策の当初の意図に反して、まさに日本型としかいいようのない形態のものになってしまったということなのです。
 (『会社はこれからどうなるのか』P215-P216
         岩井克人 平凡社ライブラリー 2009年)


 このような日本的な歴史性を内包した会社組織も、現在の欧米の経済学や企業思想の新たな波をかぶり解体的な乾いた様相を呈しているように見える。「中流社会」を解体した現下の荒れ果てた社会状況は、背景には欧米化の浸透と欧米追随があるのだろうが、主流は、自前の「経営哲学」を放棄し、会社活動というものが利潤第一や効率化となってしまって、人の顔を見失い、その社会的な存在の意義を後景に追いやってしまっている。

 日本の会社の特徴、会社の存在意義を近世よりさらに遡さかのぼるとどういった光景が現れるだろうか。
 柳田国男は、「オヤ」と「コ」という言葉の多義性に注目する。たぶん、たくさんの資料を収集し、吟味してきたものと思われる。


 親という漢字をもって代表させているけれども、日本のオヤは以前は今よりもずっと広い内容をもち、これに対してコという語も、また決して児または子だけに限られていなかったように思う。……中略……
 オヤとコとの内容が本来はもっと広かったらしい証拠は文献の上にも見られる。父母を特にウミノオヤといい、その所生の子女をウミノコといった例はいたって多く、単にオヤといいまたコとのみいえば、それ以外のものを含む場合が決して少なくないのである。『万葉集』などの用い方は人がよく知っている。ある時にはわが思う女をコと呼び、また時としては兵士をもいざコドモと喚びかけている。沖縄の神歌にコロというのも兵卒であったり、人民のことであったりする。決して家々の幼な児には限らぬのである。文章以外の国語には、今でも特に小児を意味するアカゴ・オボコの類が多く、一方にはまた個々の労働者を、セコだのヤマコだの、アゴだのカコだのハマゴなどと、コと呼んでいる語が無数にある。そうしてその頭に立つ者がオヤカタなのである。
 第二の痕跡としては現在の日用語で、弘く親類をオヤコという土地が、ちょっと方言ともいえないほど多いことである。
  (『柳田國男全集12』「親方子方」昭和12年 P499-P500)


 ここから、村落社会における「オヤコが一つの共同労働団」という像を浮上させていく。


 親方が最初から吉凶歳時の往訪や、贈遺交換など繁瑣はんさにするためだけに、設けられたものでないことはこの言葉の用法からでもわかる。我々のよく使う普通のオヤカタは、職人の頭のことだけれども、江戸期の文献によれば商家の主人も、手代・丁稚等の親方であり、武家でも奉公人は失礼でなしに、抱え主を親方と呼んでいる。東北では地主の大きいのも親方であるとともに、農家の亭主を雇人がそういい、さらに全国にわたって総領の兄を、親方といっている例はいっばいである。嫡子が一家の農作業を、指揮する権能を付与せられていた結果と考えられる。オヤコが一つの共同労働団でなかったら、親を認める必要はもと起らなかったのである。一つの場合はカイナリオヤ、すなわち人為の親の最も自然に近いものにシュウトオヤがある。この語の本来の意味はまだ誰も考えておらぬようだが、あまねく地方の語を調べて比較してみたら、おそらくこれが労働から出た名であることが判るであろう。現在は信濃の下水内郡(しもみのち)などに、舅をシゴトジッサ、姑をシゴトバアサという例がある。すなわち聟はその家から働く女をつれて行く代りに、この縁によって妻の家の労働の、一部分を負担していた名残かも知れぬのである。近世は家々の生産が孤立し、オヤコの間にも協力の機会は少なくなったが、それでも家作りとか山伐りとか、その他臨時の大作業だけには、出て行って大きな手助けをしている。個人の知能が今少し低かった時代には、中心に一人の「敬うべき者」の存在を、必要としたことは疑いがなく、それがまた武家としての軍隊編制の、日頃からの練習ともなっていたかと思う。家の分裂ということは少なくとも農業山村にとっては、いたって近代の変化に他ならなかった。しかもそういう再合同をせずとも、各自が自立して行かれる多くの条件が具わって、人はただ経済以外の目途のためだけに、主として今までの団結感の、ある部分だけを保存しようとしたかと思われる。死んで墓場に行くときの伴の数、もしくは年に何度という身祝いの日に、同じ飲みもの食いものを共にする者が、多い少ないなどは何でもないことのようだが、我々はただこの無形の満足のためにも、自ら所望していろいろの親方となり、たくさんの子分契約子を集めるのに努力した。だからこれがもし社会上の地位を築き、政治の力を養うに便だとわかると、次にさらにいかようの種類の親方制度を発明するか知れたものでない。日本がまだ純乎(じゅんこ)たる個人主義の国に、なり切っていないということはこれで明らかになった。この上は弊害を警戒してそれが悪者によって濫用せられるを防ぐべきである。前車の覆轍(ふくてつ)はすでに眼前に横たわっている。博徒の子分は理非を弁(わきま)えずに、ひたすらに親方の指揮に服従する。それがあるゆえにこの古来の慣行を、けしからぬものだと断定するは過ぎている。
  (同上 P524-P526)


 このオヤ―コの労働組織は、村落の「共同労働団」にかぎらず、商家や武家ややくざ世界などあらゆる世界に貫徹していたように見える。柳田国男が述べているが、商の世界は多く農村出身者から構成されている。支配的な政治・文化層を別にすれば、長らく農村社会が中心だったから、そこがあらゆる母体になっていたものと想像される。つまり、その組織原理はそこから分化し発展を遂げていったものと思われる。また、村落のオヤ―コの労働組織は、婚姻や年中行事など他の様々なものと関連し合っていたはずである。むろん、その組織構成の問題点も抱えていたはずであるが、少なくとも村落社会の生活の促す知恵として編み出されてきたものであるということは確かなことである。そして、そこには相互扶助も内包されていた。

 わたしの直感に過ぎないが、この組織性は、原発を巡る「原子力村」や他の公共事業を巡る、外に対してはがむしゃらな攻撃性と内閉性を併せ持つ組織原理にまで残留しているように見える。内側では、たぶん和気藹々(わきあいあい)の情緒性を持っているのだろう。

註.
『ほぼ日イトイ新聞』に「クロネコヤマトのDNA」①~⑫の
記事あり。2011-08-17~09-01)







 

日々の感想(2014年1月)

 またしても靖国神社参拝問題が問題化している。わたしは靖国神社のことはよく知らないし、また興味もない。そして、戦争の本質的な意味はそこにはない。戦争の本質的な意味は、戦争による多数の大衆的な死と苦渋の内に戦後を歩んできた戦争世代の沈黙の中に仕舞い込まれていると言うことができる。

 柳田国男によれば、現在の石塔などを建てる墓地以前には死者はある一定の場所に野ざらしのようにしていたようである。この現在の墓地の形式は、死者を遇する仕方として受け継がれてきている。そして、わたしもまた、その慣習をある程度自然なものとして受け入れている。わたしがもの心ついた頃には同居していた父方の祖父は亡くなっていたが、その祖父母や両親が埋葬されているわたしの家の墓は、近くの高台にあり、お盆などに墓参りに行くくらいである。身近な死者は、わたしたちが折に触れて想起するものであり、また、生理的かつ心的に或る関わりの時間性として血肉化されていると言えるかもしれない。しかし、それらをかたち成すものとして現在に到る墓地の形式を慣習として生み出したということは、人々の無意識的な死生観が促したものであろう。

 個や家族を超えた世界でも、墓地と同じように様々な祈念碑から原爆碑や靖国神社の慰霊碑などが存在する。そのことにとやかく言うつもりはない。しかし、これらは共同の意志の具現化とも言うべきもので、家族の墓地とは違って、政治的な回路に接続される可能性を絶えず内包している。わたしは敗戦後に生まれ育っているから戦争の具体性や現実は知らない。したがって、戦時下に生きた人々や死者たちに関しては、一般の大多数の大衆が好き好んで戦争に出かけるわけはないだろうから、主に言葉を通してその内面に仕舞い込まれた下降していく願望や意志を共同の意志として想起するほかにない。

 そして、その仕舞い込まれたものの抽出される共同の意志とも言うべきものは、本質的には靖国神社などではなく、形あるものとして、しかも未来性を持つものとして想起するならば、憲法九条以外にはあり得ない。依然として国家間や国家内の紛争の解決として戦争を避けることができない現状で、アメリカ占領軍の意志が加わっていたとしても戦争による死者たちによって促された条項と受け止めるべきである。そして、それをたんなる飾餅のように見なすことなく現実化されるべきものとして生かしていくことが遠くなってしまった戦争の負の遺産の内面化に当たると思われる。

 相変わらず世界は、国家の内部対立や外部との対立において戦争という形を回避できない状況が続いている。住民大衆の上向する意志は戦争に加担した、あるいは加担せざるを得なかったとしても、その意志を分離してみれば、住民大衆の生活世界に下降する願望や意志は、戦争とは無縁であると思われる。戦争から遠く歩んできた現在において、中国や韓国など、そしてわが国の現政権も、戦争の歴史を話題化することを止めない。未だ戦争世代が生きてあるはずだから、中国や韓国などが言いつのることが政治的な駆け引き以外の部分があるとすれば、戦争は長きに渡って大きな禍根を残すということを意味するだろう。そして、そのことは加害国内、被害国内に関わらず言えることである。

 人類の初源における隣の集落とのいさかいや戦争から大規模な内戦をたどり、そして近代の国家間の戦争を経て、世界がグローバル化して経済・政治として相互に関わり合うほかない現状となり、先の大戦のような大規模な国家間戦争というものがほぼ不可能になってしまった現在があるということ。こうした人類史の時間の旅程に思い至れば、自ずと政治を担当する者の採るべき道筋が見えてくるはずだ。そのことは、加害国、被害国に関わらず、遠く消え去りつつある戦争、更には人類史的な規模の戦争という負の遺産の積極的な内面化と内省でもあるはずだ。








 

回覧板 ②

 わたしは、六十代になったばかりの住民です。インターネットで一枚の画像を開くのに数分もじっと待っていなくてはならなかった頃以前から、二十数年にわたってパソコンやインターネットには馴染んできています。
 
 そこから眺めると、最近の電子網の高度化や多様化はめざましいものがあります。わたしは、最近のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は必要を感じていなかったので利用していません。今回の回覧板をたくさんの人々に読んでもらいたくて、mixi(ミクシィ)に加入しようとしたら、「※mixiをご利用になる場合、携帯電話番号の登録が必要です。」とありました。わたしは、これまた必要を感じていないのでケイタイを持っていません。電子網や電子機器の利用の仕方からすれば、わたしは旧世代に相当します。別にそのことに不満はありません。ただ、わたしの場所からこの列島の住民の方々につながりをつけ回覧したいと思った場合、例えてみれば手足がもつれてうまく走れない、というような自分に対する印象があります。

 願わくば、若い世代の人々が、わたしよりもっと柔軟な言葉やスムーズな走行でやってもらえたらなあ、と思います。 (2014.8.17)








 

経済ということ(2012年2月)

 経済というとなんとなくわたしたち生活者には縁遠いという気持ちになるが、日々の生活が経済という領域と関わっているのは確かである。わたしたちの日常生活に関わる物の値段や給与などについては関心が深いが、国内の経済的な動向や世界経済の動向については、縁遠いと言える。現在では、物や人やお金の流れは世界大に拡張され、正しく世界交通、世界経済と呼ぶにふさわしい段階に到っている。ギリシアの経済破綻が渦流をなし世界経済に大きな影響を与えている。したがって、経済活動を俯瞰的に見る場合には、それぞれの国民経済だけでなく、連動する世界経済の動向も考慮に入れなくてはならない状況になってきている。しかし、もちろん、これはわたしの任ではない。

 内田樹がブログの文章(「雇用と競争について」2011年10月20日)で、『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』 (下村治 文春文庫 2009年)を取り上げていたので、読んでみた。本書は、日本が貿易黒字をアメリカから追及されていた時期の、日米の経済関係に焦点を当てて書かれている。そしてアメリカ経済の多国籍企業群の考え方に影響された経済運営のまずさやアメリカが世界経済そのものとして立ち現れようとする状況を批判的に分析して見せている。さらに、財政赤字を抱えるアメリカ経済への処方箋も提言している。また、貿易黒字対策をアメリカに迫られて、アメリカのよいしょをする日本の経済人の言葉も批判的に取り上げられている。現在でも依然としてそのようなどこかによいしょをする連中が俯瞰的な経済世界の主流を形成している。


 どのような分野でもそうかも知れないが、物事が発展し、複雑になるといつの間にか基本的なことを忘れてしまいがちである。日米摩擦など最近の経済摩擦をみると、つくづくそう思う。
 まるで初歩的な質問だが、一体、経済とは何であろうか。何のために存在するのか。経済活動は何のためにあるのか。
 さらに問題を個人ベースに置き換えて、人は何のために働くのか。何のために会社へ行ったり、工場で汗水たらしたり、田や畑を耕すのか。
 言うまでもない。生きるためである。
 もちろん、ひと口に生きるといっても、単に肉体的生命を維持するという段階から高次な価値を実現するという段階まで、その意味は広い。しかし、いずれにしても人間は、仕事を通じてカネを手にいれなければ、一粒の御飯とて食べられず、したがって生きることは不可能だ。
  (『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』P92-P93
    下村治 文春文庫 2009年)

 国民経済とは何であるか、人々が経済によって生きて行くためにはどういう条件が必要であるか、という問題が分からなくなっている。目に見えないのである。
 では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
 その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。
 もちろん、日本は日本でそういう努力を重ねるが、他の国は他の国でそういう努力をする。そこでいろんな摩擦が起きるのは当然なことである。それをなんとか調整しながらやっていくのが国際経済なのである。
  (同上 P95)

 非常に簡単、かつ明瞭なことだが、世界中の国がそれぞれ節度ある経済運営をすれば、世界経済は安定する。世界経済といえばいかにも大げさに聞こえ、複雑に思われがちだが、これは各国経済の単なる連鎖にすぎない。したがって、どこかの国が異常な経済運営をすれば、世界経済にそのまま反映して、世界経済そのものが不安定になる。
 ただ、それだけのことである。
  (同上 P116)


 わかりやすい、俯瞰的な経済世界の像になっている。とりあえず、素人のわたしには役に立つ像である。明治生まれの下村治は、経済官僚出身で、高度経済成長期のブレーンも努めていたらしいが、経済活動というものの根底にある、この大多数の人々の幸福というイメージは、本来なら経済運営を担当する層の基本イメージであるべきなのに、現在では希少価値になってしまっている。

 官僚出身の柳田国男が、たぶん血縁的な結合に始まる相互扶助的な「親方子方」という農村の労働組織(その組織性は、商や武家の組織にも取り入れられていく)の存在に照明を当てたのも、その動機にはそのような基本イメージが内包されていたと思われる。

 政治も経済も、いかに占有や権力をまといつかせてしまっていても、人類の歴史の累積から照射させれば、この人間界で生きる大多数の人々の幸福というイメージは必須のものである。それに触れない、それを繰り込んでいない、経済論や政治論は塵芥(ちりあくた)というほかない。








 

新たなイメージの織り上げ方のために(2012年6月)

 会社の存在意義については、今までに触れたことがあるから、もう書き記す必要はないと思われたが、『会社にお金を残さない!』 (平本清 大和書房 2009年)に出会った。管理職もない、ノルマも目標もない、社内競争もない、など現在の会社組織に蔓延しているものの「否定の否定」というより「横超」と言ったほうがしっくりくる感じがする。現在においてこんな会社があり得るのかという驚きから再び取り上げてみる。

 平本清もその会社の一員である株式会社21(トゥーワン)は、そのホームページ(http://www.two-one.co.jp/a21/)の記載によると、設立1986年、現在、関東以西127店舗を構え、メガネ・コンタクトレンズの小売、光学品・補聴器などの販売を事業内容としている。この会社は、現在の会社の競争や効率やノルマなどによる利益至上主義、しかもその利益は社員に十分に還元されないなどの本流からすれば傍流に当たる。 この会社も業者間の競争などの現在にさらされているわけであるが、会社の存在意義と会社の構成の仕方からすれば無意識の本流に当たると言うことができる。

 もともと会社の前身は、柳田国男の発掘した相互扶助的な農村の協働組織にあった。もちろん、共同性における人間性の傾向性にもあるように、人々が協働組織を構成していく中でその相互扶助を逸脱する部分も内在していたと思われる。ちょうど、現在に至る歴史の主流のように。あるいは、現在の会社組織の主流のように。あるいはまた、現在の行政や国家組織のように。現在では会社には、相互扶助に加えて、雇用や社会的支援など社会に貢献するという社会的存在意義も加わってきている。しかし、それらは会社存在の歴史的な無意識としてしか存立し得てないのであって、欧米流の経済論や経営論の浸透の中でもやに霞んだ状態となっている。いわばわたしたちの生活世界にとっては外在的なものになってしまったものが、あたかも歴史の主流のようにおそらく国家形成以降君臨してきていることになる。それらの外在的なものは、人間の無意識の本流が生み出してしまったものには違いないが、いったん共同性に転化されたらある価値創造の威力を持ちつつもそこが仮象の人倫のようにみずからの出所を消去して独り立ちしていくことができるということを意味している。しかし、現在のような高度消費社会では、商品に対する生活者大衆の意志を無視し得なくなってきている。同時に、業者間のきびしい競争にさらされている。あるいは、世界経済規模の競争にさらされている業種もある。この蟻地獄のような熾烈さの中で、会社の存在意義という無意識の起源性を繰り込んで、新たな会社を構想・構成していくことができるのだろうかという疑念は消えない。

 会社というものが相互扶助性を持つということは、積極性としてみれば会社が社員を食い物にしないこと、むしろ社員の幸福(経済的、精神的に)のために存在するということである。現在のまなざしからではあるが、果てしない初源へ、このような組織の存在理由の起源にまでイメージを収束・展開させてみたら、会社という組織の存在意義は明らかであると思われる。しかし、日常の見聞きや新聞などの記事からすると、これは現在危うい状況にあると言える。圧力団体である経団連の前会長や現会長の言動を読むと相変わらずだねということ以外にない。わたしたちの繰り出す論理が、言葉の世界で自立的に増殖する自由度を持つ中で自らの固有の言葉の在所を裏切ることがありうるように、組織もまたその固有の在所を裏切る自由度と増殖性を持ってきている。いずれにおいても生活者大衆の歴史的な無言知の揺らぎの中に歴史の主流があると見なすなら、起源性は絶えず新たな形で包括されていくほかない。


 私を含め「21」の創業メンバーは、広島県内の大手メガネチェーンの出身です。県内シェア六〇%を誇る、巨大かつ強力な会社です。
 その会社の経験が、ときに見本となり、ときには反面教師となり、いまの「21」に影響しています。
 私たちが辞めた当時、その会社では年間約一〇億円の利益を上げていました。
 すると、おおよそ五億円が税金で持っていかれます。典型的な同族会社でしたから、残りのうち三億円が同族の取り分で、一億円が社長の収入となります。(おおよその計算です)。
 すると、残りはたった一億円です。これが社員に配られていました。(株式保有率三〇%の社員株主に対する配当も、このなかから配られるわけです)。社員株主としては、納得のいかない配分方法です。
 あまりに不公平な配分方法も気になりますが、税金として引かれている額(利益の約半分)も無視できません。
 新たに「21」を創業した私たちは、税金の取り分と同族・社長の取り分を減らす方法を徹底的に考えました。
 強大・強力な企業と戦うのですから、まともなやり方をしても太刀打ちできません。そんな切迫した状況のなかで、儲けた分はとにかく社員に配ってしまうという仕組みが誕生しました(社員に配り、会社にお金を残さなければ、法人税をぐっと抑えることができます)。
 私たちのやり方なら、一〇億円の利益を上げなくても、うまくいけば二億円でも勝負はできます。それどころか、社員の収入は二倍になるという構想を練りました。
 会社に内部留保をしなければ、法人所得税の五五%がなくなり、個人所得税を二〇%払っても、社員の収入はグッと増えます。(P19-P21)


 この会社は、大手との激しい競争の中で生き残りをかけて、日々活動していく中から構想され現実化されてきている。その生き残るための構想は、前居た会社の前社長から学んだことを踏まえて現在の主流の会社の組織構成や経営とは一線を画す方向に形作られている。本書には、「人の意見・主張を否定せず、とりあえず受け入れるのが平本流のやり方」という著者の目から眺められた会社の様子がもっと微細に描かれているが、本書の中から、この会社のイメージを構成する上で大切だと思うことがらを箇条書きに取り出してみる。


 会社に内部留保をしない。社員に内部留保する。つまり、社員がすべて出資する究極の直接金融。自分たちでお金を出して、自分たちの会社を経営し、自分たちの職場を確保する。

 高額賞与は退職金の前払い。

 儲かった分を社員で山分けして、それでも余ったら値引きという形で客に還元する。

 「21」にとって、一番大切なのは社員の幸せです。「社員を幸せにするためにはどうするか」を何より優先して考える。

 同一労働・同一賃金。

 すべての情報を公開する。

 部長、課長などの役職はない。フラットな組織になっている。あくまで対外的な意味で社長という役職は残しているが、社内的には仕事内容は他の社員と同じ。任期は四年。人事、総務、経理などの専属部署もない。

 重要事項に限らず、何か提案があるときはすべて社内ウェブを使う。提案された内容に対して、反対する人が誰もいなければ即決定という仕組み。社内ウェブは、賛成意見は書き込まず、反対だけを書くというルールの上に成り立つ。「黙認は賛成とみなす」という考え。

 ノルマや目標はない。社内の競争は効率ダウンにつながる。

 「ミスを許さない」という姿勢が隠蔽体質をつくる。ミスは許すが、隠さない。

 ギブアップ宣言という制度。「もうこれ以上、○○さんとは一緒に仕事ができません」と宣言することが認められている。それによって、本人(あるいは相手)が異動になり、別々の職場で働くことが可能になる。

 会社のすべての仕組みが巧妙かつ、有機的につながっている。


 社員相互の関係は、垂直的ではなく、フラットな水平的な関係で、社員全員による共同経営的な会社の構成になっている。また、「社内ウェブ」などの現在の技術力の成果もその会社の構成を助けている。社員の個々の労働の発現が、自分に十分に還流してくるような会社の構成になっているから、会社は社員の労働意欲と活動に支えられ、社員はそれに見合って会社に支えられている。日々、生起してくる様々な問題の中で、繰り出される様々な方策は、社員の経済的かつ精神的な幸福を第一義とするという流れから出ている。平本清は、自分たちはこういうふうに会社を作ってくるほかなかったと言っているように見えるが、この試みは現在を超出する、すぐれた試みのひとつとしてわたしたちの前に投げ出されている。共同性における人間の振る舞いというものを踏まえ、それに柔軟に対処してきている、現在における新たな会社の思想であると呼べると思う。そして、それは会社の起源性を包括したものになっている。







 

個々人の意志が連結・構成されうる可能性(2012年3月)

 『ほぼ日イトイ新聞』に、「ほぼ日桜前線(2012)」というのがあって、昨年も目にしている。自分の近所に桜が咲いたら、カメラで撮影してメッセージとともに投稿する。その中から選ばれたものが、この列島の地図の中の桜マークに、日付のある写真とメッセージが収められる。このような出し物は、各地に支社があるだろうから、大手の新聞社などでも可能なことかもしれないが、やりようによってはそれ以上の規模と細かさで簡単に出し物として作り上げることができるように思える。

 ダイヤルアップ接続の時代は、画像一枚開くのに一分前後かかっていたように記憶している。ブロードバンドと呼ばれる大容量通信ができるインターネット接続サービスの時代になって可能になった出し物と言える。技術力の成果が絶えず社会の網目に流し込まれ、わたしたちの関わり方の自由度を更新している。別に、他の地域の桜の開花状況なんてどうでもいいや、というのはもちろんありうるが、各地域に住む人々のカメラに収めた写真とメッセージを編集・連結して容易にひとつの出し物として作り上げることができ、また、それを目にすることができるということは、旧来的なものから離脱した社会における連結のイメージや連結の仕方をわたしたちに思い巡らせる。

 昨年の6月に、『ほぼ日イトイ新聞』での西條剛央と糸井重里の対談を読んでいたので、『人を助けるすんごい仕組み―ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』(西條剛央 ダイヤモンド社 2012.2)を読んでみた。著者は、宮城県仙台市の生まれで、震災後二十日くらい経って南三陸町に被災地入りしている。そこからすぐに、著者の実家で「ふんばろう南三陸町」のサイトを立ち上げている。


 通電はしておらずパソコンも使えないが、宅配便が届き、携帯電話もつながるという現地の「状況」を把握したうえで、ホームページとツイッターといったいま使えるツールを組み合わせて、被災者支援という目的を達成するための新たな仕組みを考案した。
 それはシンプルなものだった。


 ―ホームページに、聞き取ってきた必要な物資とその数を掲載し、それをツイッターにリンクして拡散し、全国の人から物資を直送してもらい、送ったという報告だけは受けるようにして、必要な個数が送られたら、その物資に線をひいて消していくのだ―。

 そうすれば必要以上に届くこともない。また、仕分ける必要もなければ、大きな避難所や倉庫で物資が滞ることもない。必要としている人に必要な物資を必要な分量、直接送ることが可能になる。ツイッターの文面に直接必要なものを書いて拡散する人がいたが、その方法では無限に広がり、物資が充足しても延々と届き続けてしまう。

 ツイッターの拡散力と、ホームページの制御力を組み合わせて、新たな支援の仕組みをつくったのである。

 そして、驚くべきことに、それから24時間以内に、そこに掲載した物資はすべて送られていたのだ。
  (『同書』P62-P63)



 三泊四日の後東京に戻ると、大学の教員をしている著者は、周囲の学生に協力を求める。あるいは、著者のツイッターを読んだ友人、知人が協力を申し出てくれる。


 反響は凄まじく、最初「ふんばろう南三陸町」から始まったプロジェクトは、東北全体に拡大して、「ふんばろう東北支援プロジェクト」になり、さらに東日本全体に拡大して、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」となった。
 この間、わずか数日のことだった。ツイッター上で立ち上がったプロジェクトは、こうして拠点もないまま、瞬く間に広まっていったのである。
  (『同書』P66)

 フェイスブックはプロジェクトごとにグループをつくることができ、またメーリングリストと異なり、この人に入ってほしいという人をすぐに追加することができる。チャットも書類を送ることもできる。情報をシェアすることで、拡散ツールとしても使える。メール、メーリングリスト、ミクシィ、チャットといった既存のメディアの包括ツールのようなもので、これさえあれば、ひととおりのことはできる。
 また、フェイスブックにはグループをつくる機能があり、それを使うことで、グループや支部ごとにメンバーの登録や情報の伝達、共有、交換が容易にできる。
 そうしてフェイスブック上に、マネジメント、Web構築、会計、翻訳、電話窓口、渉外、庶務、公的支援申請、広報など、多くのチーム(班)が立ち上がっていったのである。
 こうしてフェイスブックは、ネット上で立ち上がった「ふんばろう」が動きながら規模を拡大していくためには欠かせないツールとなっていった。……中略……
 情報拡散のツールであるツイッターと、組織運営ツールとしてのフェイスブックのグループ機能(+サイボウズLive)が、「ふんばろう」の両輪となり、被災地をかけ巡ることになるのである。
  (『同書』P87-P88)


 わたしは、他人のツイッターを読んだことはあるけれども、ツイッターもフェイスブックも使ったことがない。だから、ぼんやりと想像するほかないが、それら現在の技術力がもたらしたものを柔軟に使いこなしている人々を目にしていることになる。たぶん、それらの世界はわたしから見たらどうでもいいことやあるいは悪意や憎悪のはけ口になっている面もあるように見える。それはそれで別に言うことはない。しかし、半面、それらは個々ばらばらの周囲の人間や友人、知人、そして見知らぬ他人をすばやい速度で波及的に連結して、幻想的な網目状の高度な時空を築き上げ、ある流れに沿って信号を交わし合うことを可能にしているように見える。それを支えているのは、西條剛央のしなやかな人間理解である。もちろん、そのシステムを稼働させている主体は、被災者や支援者や支援スタッフなどの具体的な個々の人々である。そのような一人一人の主体が稼働するシステムに連結され、あるいはシステムを増殖させ、ひとつの大きな力能の表現を可能にしている。これは旧来的な国や自治体などの、融通の利かない縦方向(上下方向)の被災地や被災者支援(例えば、P82-P83,P135,P276,P283)とは異質なものになっている。大規模な復興は、国の力が必要だろうが、被災地の放射性物質を含む瓦礫を全国にばらまくことにうつつをぬかしたりして、放射能汚染対策も被災地復興支援も明確な方針を出せない旧来的な支援が色あせて見える。ほんとうにこのようなどんづまりの国家なんて要らないよ、という思いが込み上げてくる。

 この「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(http://fumbaro.org/)は、「『ふんばろう』の全体の目的は、『物資を送ること』ではなくて、『すべてを失った人たちが、もう一度、前を向いて生きていこうと思えるような条件を整えること』なんです」(P175)という明確な方針の下、現在も継続中である。被災地や被災者の現況をくみ取って、その形態を柔軟に対応させてきている。また、なぜ無償ボロンティアなのか、いつどのようにこの支援プロジェクトを収束させるかなどの組織運営や、組織内のスタッフの心理的な負荷にも、きちんと目配りや対応を取っている。

 西條剛央は、学者で「構造構成主義」という思想を研鑽しているようだが、これまでのその思想の研鑽の経験が、ツイッターやフェイスブックなどの現在の技術力に助けられながら、このすぐれた大きなプロジェクトに生かされていることは確かだと思われる。

 








 

参考資料―吉本さんの社会分析


 どうして国家を開くというのが難しいのかといいますと、この問題は社会主義的な理想というものの鼎の軽重を問われる問題ですから、やはり一所懸命考えざるをえなかったんですが、ソ連も中共も全部だめだ、国家社会主義にしかすぎない、どうしたらいいんだ、国家を開く、民衆に対して開くということを一所懸命考えました。そこで、さしあたっていちばん簡単な方法は、国民の無記名の、議会を介してではない、直接投票で半数以上が現内閣であり現勢力に反対であるという投票結果が出たら国家はかわるべきだ、リコールされるという法律を作ればいいんだ、少なくとも国民に対しての半分だけは国家を開けたといえるんだという結論に達しました。そして、その法律を作るために誰が奮闘してくれるだろうかと日本の政党を眺め渡すと、一つもありません。進歩政党と名乗りながら、国家社会主義の真似ごとをする政党はありますが、やってくれそうな人もいないし、日本国の半分の署名を集めるなんてできっこないしなぁと考えて絶望的になります。
 しかしウカウカしていました。一年足らずのつい最近、あっそうだと思い至りました、それは、日本国とアメリカと欧州共同体は経済的な意味からいえば、ひとりでに国民はいつでも国家をリコールできる状態になっているということに気がついたんです。この三地域は経済的にいいますと、所得の五〇パーセント以上が消費に使われている社会になっています。つまり、給料の半分以上は消費に使われている。消費に使われている半分以上は選択的な消費というか、選んで使える消費に使われているんです。選択的な消費とは、少し金が余ったから旅行に行こうとか映画を観ようとかいった消費ですが。先進三地域はこの二つの条件をほぼ確実に持っています。
 そこで、極端なことをいいますと、皆さんが半年間選択消費、つまり選んで使う額をかりに一銭も使わなければ、この地域の政府は潰れてしまいます。経済規模が四分の三から二分の一に減ります。経済規模が四分の三から二分の一に減って、それに耐えるだけの責任を問われずにすむ政権なんてありえないわけです。民衆が半年選択消費をがまんすると、どんな政府でも潰れてしまいます。それだけの潜在的実力をこの先進三地域はすでに持っているということなんです。皆さんはそれに気づいていないだけで、また、一斉にやりましょうと誰かがいって一斉にやらないだけです。この場合、生活費は落とさないでそうすることができるのです。エングル係数二〇パーセントの毎月の食費は必需消費の中に入りますから、生活費は落ちないということになります。
 このことは先進三地域においては、資本主義は日本資本主義もそうですが、一種の超資本主義というか凄い段階に入ったということなんです。現在の不況を考えても、国民総生産に占める個人消費が六〇パーセントということは、皆さん個々の国民が脇を緩めないかぎり、企業体が単独で経済不況から脱出できません。設備投資とか輸出入とかは二〇パーセントを出ない。やはり皆さんが何気なくお金を使っていないから不況をダラダラと長くしているんです。不況を測るには家計簿を見て、選択消費が昨年の同月と比べてどれくらい減ったか見ればわかります。もう少し大雑把な測り方ですが、百貨店とかスーパーとかの売上高が前年同月と比べて減っているか増えているかを見れば、選択消費の額に匹敵しますので、やはりわかります。
 それは逆にいうと、政治認識でいう政治の究極的な理想とは何なんだということの達成点に、先進三地域はすでに達した、すでに終わったよというのが私の内緒の声でいいたいことです。これをあからさまにいうと、社会党とか共産党とか進歩的知識人はみんな失業してしまいます。しかし、その三地域の社会の産業経済は、その段階に入ったんです。資本主義が終わったといってもいいし、資本主義段階における革命思想は終わったといってもいいです。いま社会変革の思想がありうるとすれば、十年、十五年あとの問題に対していかに適応できるかということがこれから始まることであり、作っていかなければいけないことなんです。先進三地域では資本主義下における革命思想は無効です。そこで、理念、思想の課題は何かといえば、十年、十五年後にやってくる社会に対する課題なんです。

(「近代国家の枠を超える力」1994年講演 P47-P50『吉本隆明資料集137』猫々堂)








 

わたしの活動のメモ ① 2014.9.20

 その分析を読むのはもう何度目かになりますが、今年の6月に吉本(隆明)さんの現在の社会分析とそこから来る帰結について読んでいたら、そのことについて考えたことを文章にしてみようと思い立ちました。署名活動やデモもいいけど、どうして運動を組織する者が、それらよりも強力な、吉本さんのおくりものに応えようとしないのかなとふしぎな気持ちになりました。わたしはそのような社会運動や政治運動の組織者ではないから、自分ひとりでも消費を控える活動を開始するぞ、という文章を6月に書きました。

 それ以後もそのことを時々考え続けていました。そして、文明のもたらした現在のような社会では、わたしのような活動の経験もない普通の者でも、たった一人ででも、その意志を表現し、社会的に波及するような、この列島の住民ひとり一人の力が束ねられていくきっかけを作り出せるのではないかと思い立ち、「回覧板①」を8月14日に書き上げました。それは、従来のイデオロギーや政治思想のようなものではなく、同じ時代にこの列島という同じ地に生活する住民同士というイメージで、あくまでわたしたちが生活する世界を主体とする、住民同士のメッセージのやりとりとして「回覧板」ということを思いつきました。そしてその「回覧板①」を、ネット上のブログやホームページのコメント欄やメールを通して、あるいは掲示板に書き込んだりして、約60軒配って回りました。そして、この臨時ブログを開設し、この回覧板①に関係する、わたしの過去の文章や、「おもてな詩」を掲載してきています。

 消費を控える、経済的な力の行使という行動は、現政権や自民党が退場するまで続けるけれど、もう、これでわたしのネット上の活動は、お終いかなと思いました。一方では、野党勢力は当てにならず、しかも現政権に近い政党があったり、現政権と同じような考えを持つ政治家やらが野党の中にもあちこちにいて、イデオロギーではなくわたしたち住民の生活や意志を第一に考える政治家(代表者)はいないのか、うんざりだねと苦い思いを感じていました。この活動は、当面、未だかつてなかった復古的なイデオロギーで組織された現政権や自民党の退場を目指していますが、これはまた、いい加減なことをやればわたしたちはいつでもこの経済的なリコール権を行使するよという、すべての政治家に対するメッセージでもあります。

 わたしたち住民の意志を表現するやり方として署名活動やデモなどがすぐに思い浮かびますが、大多数の普通の人々がそれらの活動に参加することは、3.11の東日本大震災及び福島原発の大事故以前は特にあまり考えられなかったと思います。選挙以外に国レベルの政治的なリコール権をわたしたちが持っていない現状では、このわたしたちの消費を控えるという経済的な力の行使は、署名活動やデモにも勝るもっとも強力で効果的なものと思えます。しかも、この列島の住民ひとり一人が主人公として、平等にその力を発揮することができます。

 現政権は、また経済に力を注ぐと言っていますが、またモグラのように別の顔を出して、「集団的自衛権」のための法的な措置を謀ってくるはずです。現政権の支持母体と思われる日本会議は、例えば、その地方議連による「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書」の地方議会決議運動を組織しています。今回は、いわば言ってみるだけではなく、本気でこの国を復古的なイデオロギーで塗り替えようとしています。それらへの対抗として当てにならない野党の状況で、法的な措置がずるずるとすんなり通っていけば、何をきっかけに何が起こるかわかったものではありません。したがって、この危ない状況で、現政権及び自民党を退場に追い込まなくてはならないと考えています。

 ものごとは、流れに漬かって考えていると、なんとかまた新たな道が開けるもので、それまでやったことがなかったツイッターを8月24日に利用開始しました。これによって、今までより多くの人に回覧板を読んでもらえるかな、と思っています。現在、この回覧板に関するいろんなことを考えながら、不慣れなツイッターに取り組み、はじめての自転車乗りの練習のような日々を送っています。ほんとは以前のような穏やかな日々に早く戻りたいのですが、しょうがないなと思いつつふんばっています。わたしの場合は、ツイッターは控えめで、臨時ブログの方が主になるのではないかと考えています。このわたしのネット上の活動は、もう少し先まで行けそうに思いますが、また変わったことがあったら報告します。

 消費を控えるというこのわたしの「昼寝のすすめ」に賛同されるみなさんも、ゆったりと「昼寝」されながら、お互いに智恵を出し合い、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、自力を発揮してもらえたらいいなと願っています。また、何かいい智恵を思いつかれたらわたしにも教えてください。

 わたしのツイッター 「 nishiyan @kotobano2  」






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この列島の住民ということ

①人と人の関わり合う関係の有り様の原型は、学校の文化祭や体育祭を巡る話し合いや活動にあると思われます。そこでは、ひとり一人の具体的な事情の言葉や飾りの言葉や同意や反発などが渦巻きつつも、一つの流れをたどっていきます。義務教育であれば、原則として誰でも学校の住民であることを離脱できません。

②学校行事への参加などを巡って、そこを通過してきたわたしたちは誰でも、なかなかうまくいかない人のいろんな関わり様を見聞きし、自ら体験してきています。そして、自らも学校の住民の一人としてなんらかの関わり合いの仕方をたどってきています。

③大人になって特に小さい子どもが居たりすると、学校やPTAなどを介した地域での関わり合いに参加することしばしばあります。また、町内会に加入していれば、その関わりもあります。ここでの人々の関わり方も学校の原型的なものと対応していると思います。 

④地域の行事に参加することもしないこともあり得ます。しかし、観念(頭)の中では、地域住民の一人ということは消去できても、ある地域に住み具体的に生活している以上住民としての自分の存在を消去することはできません。人は観念の世界を生き観念を増殖させることがあります。

⑤ウヨクもサヨクも集団的な観念(イデオロギー)の世界です。亡霊のように共に未ださまよっていますが、わたしの理解では、前者は先の戦争の敗戦により、後者はソ連崩壊により終わったと考えます。イデオロギーが悪だとは思いませんが、具体的なひとり一人の住民を殺傷することがあります。 

⑥この住民とイデオロギー(宗教)の関わり合いは、聖書によく知られた描写があります。(「マルコによる福音書」第六章 他) 郷里での住民とイエスの対照として描かれています。住民の側から見ると、イエスは大工の息子でどこでこんな偉そうなことを学んできたのか、となります。

⑦一方、イエスの側からは、「『預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない』。そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。」と描いています。この両者の視点は現代でも通用します。 

⑧そういう意味で、両者の視点を取り出し描いた聖書の内省的な記述は、普遍的な優れたものだと言えます。ところで、わたしは集団的な観念(イデオロギーや宗教)以前の、この列島に住み日々生活している無名の具体的な住民という、おそらく誰もが認めるだろう場所から、考えようとしています。そして、その背景には、この列島の無名の住民たちの連綿と続いてきた、大きな歴史がひかえています。 

⑨もちろん、この列島の住民といっても、考え方の違いや対立もあるでしょう。ただ、その場合、わたしたちの共通の了解事項であって欲しいのは、この列島の住民の一部ではなく、全体の利益や幸福を第一に置くことです。政治や経済や経営などの学問もそのように書き換えられていくべきだと考えています。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)

 






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現政権とそれを取り巻く言説に対して


①韓国のドラマを観ることもあります。こちらとの風習の違いなどに目が留まることがあります。モンゴル辺りから、中国、韓国などインドより東のアジア諸国に生活している人々は、言葉を話さなければ日本人と同じに見えます。言葉を喋ると、各々の微妙な差異が際立って感じられてきて、おそらく互いに分離された感覚になるのだと思われます。

②顔かたちがとても似ているということは、お互いにとても近しい関係にあるということを意味するはずです。しかし、互いになんらかの交流をしながらも、長らく違う地域に住み、異なる風習や文化や言葉を築き上げてきました。でも、ベースには互いに共通するアジア的なものがありそうです。

③さらに、さかのぼれば人類のアフリカ起源ということで、世界全体にわたって人としての身体的共通性や死生観などの基本的な共通性も見られます。遺跡や遺物など遺されたものからはもうこれ以上人類の足跡はたどれそうにないと思われたとき、科学の発展と呼応するようにして遺伝子技術が人類の移動の足跡の探査に貢献できることがわかりました。おそらくこのように靄に包まれた果てしない時の彼方も少しずつ明らかになっていくのだろうと思います。つまり、人は人としての共通性と差異性を抱えながら、各地域に住民として生活してきています。そして、その社会の上には現在でも、民族国家というものが覆い被さっています。

④先の両大戦を経てきた現代では、大規模な戦争は不可能な時代となり、住民同士や国同士の付き合いも、主流としては力を行使することなく話し合いによって交流したり解決する段階にようやく至っていると思えます。この背景には先の大戦の膨大な死者の存在と苦い反省があります。しかし、今なお戦争や対立をしている国と国なども存在しています。

⑤こういう世界関係の主流の現状で、今流行っていると言われる「嫌韓」などの外国やその住民を敵視する言葉は、何を指し示そうとしているのだろうか、という疑問がわたしにはあります。それらの言葉は、現在でも存在する国同士の敵対的な関係を築こうとしているのではないかと思われます。

⑥したがって、それら「嫌韓」などの言葉や憲法九条の非戦の理念を否定するイデオロギーは、人類の未来性を持つものではなく、退行的で、過ぎ去った過去的なものと見なすほかないようにわたしには思われます。ということは、現政権は決定的に現在という時代と無縁に後ろ向きに存在し行動していることになります。

⑦もともと、この列島では古代の大陸(朝鮮半島)との戦争や秀吉の朝鮮出兵や近代の戦争ということを除けば、あるひとつの地に対して異質な地名が共存することなどから、割と平和的な流入や混じり合いがあったのではないかと見なされています。また、保守派がよく口にする「伝統」とかいっても、混じり合っていてどこまでが大陸的なものでどこからがこの列島の古い縄文的なものなのかなどよくわからないものとなっています。ただ、一般に認められている考え方に拠れば、いつの時期かは確定的ではありませんが、この列島に南方的なものと大陸の北方的なものとが押し寄せてきて、二層を形成していると見なされています。排外主義的な右翼も存在しますが、主流はわたしたちの現在でもいいかげんさやあいまいさを許容し合う部分に、その遠い過去のこの列島の人々の体験は保存されているのではないかと考えます。そのいいかげんさやあいまいさを否定的なものと見なさないとすれば、そこには遠い先人たちの戦いを避ける交流の足跡が記されているのであり、その文化的な遺伝子をわたしたちが引き継いでいることになります。

⑧現在の世界史的な段階では、旧来的な「文化」や「伝統」はもはや半分は終わっているのではないかと思います。それをもっともっと突き抜けたところで、人間の存在や社会の有り様を問われてきているのだと考えます。それが地球規模で経済や政治が関わり合うようになったグローバル化というものの本質だと考えています。
  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)






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日々の感想(2013.12月)―現下の道徳教育うんぬんに関して


 ネットのニュースによれば、文部科学省の有識者会議なるものが、「道徳教育」の教科化を求める最終報告書案作り上げたということだ。文部科学省や中央教育審議会は、膨大な人員や時間を費やして「道徳教育」について論議してきているのだろう。そして現在のこの動向には当然ながら現政権も関与しているはずだ。これは膨大な無意味というほかない。

 わたしの、子どもとしての学校体験と十年程の高校教員としての学校体験からすれば、「道徳教育」をあれこれ問題にするのは無意味である。人が何にどのように影響を受ける存在であるかはわからないという観点からすれば、それもなんらかの影響を子どもたちに与えるかもしれない。あるいは、与えないかもしれない。道徳教育指導という啓蒙主義、あるいは強制は、人間存在への洞察という点で表層的であり、形式主義である。つまり、いかにある方向に引き上げようとかある形を形成しようと作為をこらしても、人間存在の根幹やその活動性と十全に交わることはない。そういう形で、子どもや人々に迫ってくるとき、子どもや人々は、「本音と建て前」という形で表出し行動することになる。

 この世界は、膨大な無意味に満ちている。しかもそれを織り込まずにはわたしたちの生存は有り様がない。それは人間の歴史の積み重ね来た現在的な有り様であるからである。膨大な無意味を生産、消費しても世界はその動きを止めることはない。ちょうど理論物理でどのような空想的な理論を生み出し続けようが、現実の世界はその有り様を止めることがないのと同様に。この「膨大な無意味」というとき、現在に至る人類の歴史における数々の不幸な出来事を念頭に置いている。無意味と言うには余りに生々しく、簡単には解決しがたい世界にわたしたちは日々生きている。 

 この世界には個人の力ではどうしようもないこともある。この世界がまだ国家以前の集落レベルの社会であったときは、まだ成員と組織の間には現在のような亀裂や膨大な無意味はなく、相互に流れ合うものであっただろう。個人の力を超えたものはその中で処理されて来たにちがいない。そして、巫女やシャーマンなどが晴れがましく登場するようになり、動乱を経て国家形成、そして統一国家形成へと突き進み、無意味を降り積もらせてきた。つまり、行政や政治が住民の日々の生活から分離され、逆にそれに介入するようになる。もちろん、その動向が一方で文明度を飛躍的に押し上げてきたのは確かであろう。

 歴史の初源からの照り返しでいえば、現在も相変わらずの生活世界と支配上層の間に大きな亀裂が存在する。わたしたちの生活世界に降りかかる本質的な問題は、制度的、政策的にいい加減に捨て置かれても、人々や世界は動き続ける。しかし、例えば現下の東電や国が引き起こしたと言える原発災害による生活世界への放射能被害は、個人の力を超えたものだ。個人には、困難を背負って居住地から避難することくらいしかできない。責任主体である東電や国が政策的、制度的に解決するほかない問題である。マスコミは作為的にその話題を避けているのがわかる。当該地域(関東、東北)の健康被害の調査の動きも感じられない。放射能被害は、公開的ではなくタブー視されている。ネットによると、死者や病気になる者が事故以前に比べて増大しているというデータも見かけるが、わたしたちには確かめる術もない。このように述べるのは、社会的に立ち現れる表現には、虚偽も作為も含まれることがあるからだ。よくわからないせいもあって誰もまともには語り出さない、あるいは語り出せない。また、わたしの場合はその圏外ということもあり、生活的な切実さが薄いということもある。原発の事故処理や放射能被害というこれまでに経験したことのない、たぶんどうしていいかわからないようなお手上げに近い現状で、国や官僚層や自治体は、原発や原発利権や経済性や自治体の温存とこれくらいでは大したことは起こらないはずだという願望が、生活世界への放射能被害をないものとするという閉鎖的な最悪の対処しか採らないできている。現実の動きがその大したことは起こらないはずだという願望の通りであれば言うことはないが、そうではないような気がする。高度経済成長期がもたらした公害の教訓は、この規模もレベルもちがった新たな公害に対して公開性という一点に限っても十全に生かされてはいない。

 現下の放射能被害問題とちがって、支配上層から降りてくる道徳教育問題に関してはアホらしいと思えば無視すれば済む。もちろん、学校では生徒たちはなんらかの新たな枠を強いられるかもしれない。しかし、これもまた、「本音と建て前」でなんとかすり抜けることはできるにちがいない。

 道徳教育などとことさらに言わなくても、子どもは日々学校という場で自己や他人や教師と関わり合い、無意味な諸制度や政策とは無縁な固有の位相で、悩み、喜び、日々を生活している。学校という枠や勉強がいかに無意味でも、義務教育ではそれを通してしか自己を実現できない。多様な人間の集まりの中、人と人との関わり合いの具体性こそが貴重であり、人は見聞きし行動し、肌感覚として多くを学ぶものだ。もちろん、いいことも悪いこともある。学校という世界にもこの人間社会の原型的なものが散りばめられているからだ。そして、この時期に体得した学びは、人それぞれの固有性を抱えて、成人して社会の場に登場したときの振る舞いにも通底しているはずである。降りてくるそれらの無意味な諸制度や政策の流れと交差し様々な軋轢(あつれき)は存在し続けるが、その独自の位相はわたしたち大人の生活世界と同様に不変である。 (少し加筆訂正あり)






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参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ①

「社会の変革は可能か」(註.小見出し)

― 現代の社会状況について、どのように把握し
 ていますか?

(吉本) ごろんと寝転んで、役にも立たないことを、とりとめもなく考えています。それは非常に抽象的なレベルで考えます。もう何年も考え続けていますから、自分なりの構想があります。ただ、いちばんの本音は誰にも言いません。いま俺はこういうふうに困っている、どういう対策がいちばんいいですか、と普通の人に聞かれれば答えますよ。お前が政治指導者をやれと言われれば、これを真っ先にやる、という自分なりの考えもあります。けれどもそれは別に自分から言うべきことではないし、お前の言うことを役に立ててやるという奇特なやつもいないから沈黙しています。
 僕は政治にそんなに縁がなくて、文学者という程度のところで済んでいるけど、もし口を開くとしたら、民主党、自民党から共産党から、いまの政党や政治家はみんな駄目だということになっちゃいます。「じゃあお前がやってみろよ」って言われれば、いつだってそんなことはできる(笑)。

― たとえば明日から総理大臣をやれ、と言われ
 たら、やる準備はありますか?

(吉本) 面倒くさいから寝転んでいたほうがいいよ、と本音では思います(笑)。でも、お前はこれまで大きなことを言ったり書いたりしているけど、本当にできるのか、と言われれば、それはできるのは当たり前です。左翼の中には、いまだに何かのアンチテーゼで考えているやつらがいるんですよ。だけど、僕らはもうアンチテーゼなんか終わったんだ、とずっと言ってきた。次にどうすればいいか、俺にさせてくれたら、翌日からでもちゃんとやってみせるぞ、と思ってます。
 戦後、アメリカが日本に占領軍としてやってきて、一つだけいいことをしたんですよ。それは小作人を解放したことです。アメリカの軍人にそういう思想があったわけじゃなくて、占領軍と一緒に来た日本学者が教えたとおりにやった。日本からも然るべきいい学者を集めて協議させて、地主の畑を耕していた小作農をぜんぶ解放して自作農に変えちゃった。それでも誰も文句を言えないんです。これは胸がすーっとするほど、たいへん見事なものでした。アメリカはそれだけのことはやって日本を占領した。日本の政治家が考えもしない戦後のいちばんの大変革、いわば革命です。ただし、アメリカが日本でいいことをしたのは、それだけですね(笑)。

― いまの日本も、戦後と同じくら
いの大きな変化が必要な時期だと思います。

(吉本) ある意味では、当時とそっくりですね。民主党はもっとやると思っていたけど、自民党と何も違わなかった。知恵なんか何もなくて、素人が考えるようなことしか考えていない。
 戦後の農地改革に相当することがあるとしたら、いまであれば失業者とか、家を取られてしまった人に、お金をいちばんに与えることです。金持ちの会社からふんだくって与えればいい。そういう人たちがちゃんと働ける場所に直すということは、黙ってたってせざるを得ない。もし僕が総理大臣だったら、多少の抵抗があったって、それを強行します。どんな人が総理大臣になっても、それはやらなきゃお話にならない、それを真っ先にやって、それからが本当の変革だということですね。

― こんどは日本人自身の手で社会を変えられる
でしょうか?

(吉本) できるか、できないかといえば、それぞれの境遇や運命があって、誰もなかなか大口は叩けない。でも、もし自分にその番が来たら、まずは世の中を平らかにして、何か開かれたな、と思えるようにする。隠れて背後で何かをやるみたいなことは絶対にしないで、開かれた場でちゃんとやってみせる。普通の人の誰もがそう思うようになったらたいしたもので。そのときは本当に社会は変わります。そうじゃなければ、決して変わらない。共産党を頼ってとか、社民党を頼ってとか、そんなことで変わるわけがない。それは自明の理だから、そんなことはあてにしないほうがいい。心の中で、普通の人が「俺が総理大臣になったらこうしようと思っている」ということをもてたなら、それでいいんですよ。あとは何もする必要ないから、遊んでてください (笑)。 (終わり)

 (「吉本隆明インタビュー」より 季刊誌『kotoba』2011年春号 小学館)

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(わたしの註)

 このインタビューをはじめて読んだとき、吉本さんはすでに八十代だろうから、できればやりたくないと言いながらいつでも政治を担当できるという吉本さんの言葉にびっくりしたのを覚えています。吉本さんは2012年3月16日に亡くなられていますから、今から振り返れば最晩年に当たります。編集の記述から、2011年春、吉本さん86歳のときのインタビューのようです。

 現在の選挙による政治システムではそういう政治担当は不可能ですが、お世辞や形だけの挨拶とは無縁な吉本さんは、本気で語っています。この国の現在の学者や文学者や表現者でこういう言葉を語れる者は皆無だと思います。わたしもまた、現在のところ語ることはできません。

 ところで、わたしがものを考える場合、そのものごとのはじまり(起源性)ということから照らし出すことを近年よくやります。そのように考えてみると、初源の人間の集落においては、すべての成人した集落のメンバーが平等に集団的なことがらを担当していた可能性が想定できます。それは、国家以前の、集落の宗教的なものや行政的なものが専門化されるずっと以前の段階として想定します。そう想像する根拠として、現在では消えかけているかもしれませんが村の行事の担当として、各戸輪番制のようなものが存在していたようですし、また現在でも町内会の班長の輪番制としても残っています。これらが存在してきたし、存在しているということは、長い歴史の中に根強い根拠を持っているからだと思われます。他方で、それらの集落の上に覆い被さるように宗教や政治が専門化されていったのは、政治的な権力の構成の歴史と深い関わりがあり、現在の政治にまで及んでいます。

 高度で複雑な社会でありつつも電子網で結びつけられ、距離感が収縮して感じられる世界の現在は、遠い遠い集落レベルの、誰もが「政治」を担当する可能性が、回り回って新たな形で浮上しつつあるように思われます。現在の政治家になる意識の主流のように、喜んでとか、意気込んでとかではなくて、しょうがないから輪番制で政治を担当するか、といったように。もちろん、まだまだ微かな兆しやおぼろなイメージとしてではあります。






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わたしたちが平等にかつ自由に現在の社会的な問題について批判しうる根拠について


 ①当たり前のように見えることも、いろいろと思いを巡らせてみると、いろんな問題が浮上し、それらが複雑に関わり合っているということが感じられてくることがあります。

②わたしたちは、偶然のようにこの世界に生まれ落ち、気づいた時には物心が付いています。小さい頃は主に家族に面倒を見てもらい、互いに精神的な交流をなしながら、次第に成長し独り立ちしていきます。そして、個々人の選択やがんばりなどによって、この社会における自分の場所をひとり一人獲得していきます。

③その結果、わたしたちはこの現在の社会にこのように日々生活しているわけですが、人それぞれに職業や経済力など異なっています。それらの個々人の状況は、すべてそれぞれの個人のせいでそういう状況になっている、つまり、いわゆる「自己責任」という考え方で割り切れるものではないと思われます。

④わたしたちがこの世界のある家族に生まれたのもそこから育ってきたのも、本人にとっては選択できない偶然のように見えます。物心ついて自我に目覚めていくとそこに自分というものがせり出してきて、自分に訪れる世界と関わり合いながら選択や行動をして自分の意志を発動していくことになります。
 また、ここでの関わり合いも、本人と他人、本人と職場というように相互の関わり合いとして存在しますから、普通は自分の責任だと見なしがちですが、ある個人の置かれた状況をその個人だけの自己責任に帰することはほんとうは不当なことだと思われます。

⑤このように、わたしたちは誰でも物心つく以前と以後、言い換えると、無意識的な部分と意識的な部分を併せ持った存在ですから、単純な自己責任では割り切れません。また同様に、全て家族のせいや社会のせいにしてしまうこともできません。だれもが、それらの複合した状況で、影響を受けたりはね返したりしながら日々生きています。

⑥つまり、わたしたちのこの社会における有り様には、自分の責任の預からない部分と自己責任に帰する部分とがあります。そして前者には、両親、祖父母、……と果てしない世代を継ぐ流れの存在とそこからの関わり合いがあります。そしてその流れはこの列島の住民たちの歴史に深くつながっています。

⑦したがって、わたしたちのこの世界における有り様は、「現在」だけを切り取って「勝ち組」やら「負け組」やらの「自己責任」に帰することで終わるものではありません。現在というものは、すべてそのもののなかに遙か太古からの歴史を含んでいます。現在に至る社会の有り様を築き上げてきたのは、この列島の住民たちの歴史ですから、誰もがその果てしない歴史を背にしていることになります。

⑧こういう次第から、現在のこの列島の住民であるわたしたちは誰もが、平等に、歴史的な現在としてのこの社会に湧き上がる諸問題について、なんらかの責任を持っていることになります。また、その社会の有り様について自由にかつ平等に批判できる根拠もまた持っていることになります。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)






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参考資料―吉本さんの政治に対するイメージ②


(吉本)
江藤さんの言った、秘儀をあばけば全部終っちゃうんじゃないか、ということですね。それがたいへん重要なことじゃないかと思うのです。レーニンというのは、それに対しては、わりあいによく洞察できていたと思うのです。だからレーニンが究極的に考えたことは、少くとも政治的な権力が階級としての労働者に移るということはたいした問題じゃない。つまり、それは過渡的な形であって、ほんとうは権力というのはどこに移ればいいのか。それはあまり政治なんかに関心のない、自分が日常生活をしていくというか、そういうこと以外のことにはあまり関心がないという人たちの中に、移行すればいいんじゃないか、というところまでは考えていると思います。そうしますと、そんなことはできるか、ということになるわけで、これはユートピアかもしれないけれども、レーニンは明らかにそういうことを言い切っているわけです。なんらかの意味でイデオロギーをもっていたり、政治的関心をもっていたり、政治的に動いたり、そういう人たちじゃなくて、まったくそういうことには関心のない、ただ日常自分が生きて家族を養い、生活していくという、そういうことにしか関心をもたないというような、そういう人に権力が移行すればいいじゃないか。では、権力が移行するというのは具体的にどういうことか。そういう人たちは政治なんていうのには関心がないわけですから、お前、なんかやれ、と言われたって、おれは面倒くさいからいやだ、と言うに決まっているわけです。しかしお前当番だから仕方ないだろう。町会のゴミ当番みたいなもので、お前何ヶ月やれ、というと、しようがない、当番ならやるか、ということで、きわめて事務的なことで処理する。そして当番が過ぎたら、次のそういうやつがやる。そういう形を究極に描いたんですね。そういうことで、秘儀をあばけば全部終るじゃないかということに対しても、思想的なといいますか、理論的なといいますか、対症療法として考えたわけですよ。

(吉本)
 レーニンが究極的に、ポリバケツをもった、ゴミ当番でいいじゃないかと言った時に、究極に描いたユートピアというものは、ほんとうはたいへんおそろしいことだとおもいます。おそろしいというのは、江藤さんの言い方で言えば、そうしたらすべてが終わっちゃうじゃないか、ということを、ほんとうは求めたということです。つまり、すべてが終わったのちに、人間はどうなるんだとか、人間はどうやって生きていくんだということについては、明瞭なビジョンがあったとは思えないんです。また、そういうビジョンは不可能だと思います。だけれどもすべてが終わったということは、そういう言葉づかいをしているんですけれども、人間の歴史は、前史を完全に終わったということだと言っているわけです。これは、ある意味では江藤さんの言葉で、人間は滅びる、というふうに言ってもいいと思います。なぜならば、それからあとのビジョンは作り得ないし、また描き得ないわけですから。だから人間はそこで滅びるでもいいです。それを、前史が終わる、というふうな言い方で言っています。前史が終わって、こんどは本史がはじまるというように、楽天的に考えていたかどうかはわかりません。だから人間はそこで滅びるでもいいと思います。だけれども、そうすれば前史は終わるんだということです。まず第一に政治的な国家というのがなくなるということは、ほんとうは一国でなくなっても仕方がない。全体でなくならないとしょうがない。そうすると、全体でなくなるまでは、いつも過渡期です。だから、どこかに権力が集まったり、どこかにまやかしが集まったり、どこかに対立が集まったりすることは止むを得ないけれども、それに対しては最大限の防衛措置というものはできる、そうしておけばいい。しかし、そうしながらも究極に描き得るのは、人類の前史が終わるということです。あるいは江藤さん的に言えば、いま僕らが考えている人間は終わる、ということです。それから先は、描いたら空想ですから、描いても仕方がない。理念が行き着けるのはそこまでであってね。だけどそこまでは、超一流のイデオローグは、やっぱり言い切っていると思います。なぜそうなるかという理由についても、そう言えるかという理由についても、僕は言い切っていると思うんですよ。だから僕はそのことはわりあいに信じているんです。

(対談「文学と思想の原点」 江藤淳/吉本隆明「文藝」1970年8月号)

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 (わたしの註)

 

 宗教や政治が生まれ、秘儀が生み出され、わたしたち住民とは異質な世界を人類は生み出してしまいました。そしてこの秘儀は、宗教や政治の世界にかかわらず、芸能人や有名人と呼ばれる人々に対しても、それを受け入れる人々の視線の中には、彼らも自分たちと同じ人間であり同じような生活があるだろうという認識があったとしても、何かしら優れている、何かしらすごいというような感受の中に「秘儀」が匂い立っているものと思います。現在ではマレビトの秘儀の威力はずいぶん低下していますが、それは遠い果ての秘儀の始まりから受け継がれてきた遺伝的なものの現在の有り様だと思います。

 わたしはレーニンの述べている箇所は知らないのですが、吉本さんは、ロシア革命の指導者レーニンの描いた理想の政治のイメージをたどりながら、それに自分のイメージを重ねています。「町会のゴミ当番」のような政治担当のイメージです。現状のような党派というものがあり、それぞれがなんらかの層を代表して対立的に活動している状況では、このような政治のイメージは正(まさ)しくイメージに過ぎません。しかし、政治というものの内省点が、その発祥の地であるわたしたち住民の生活世界であることを考えれば、十分にイメージの現実性を持っています。そして、政治家が自分の活動は政治の発祥の地である住民の生活世界のためであり、ほんとうはそこに帰還して普通に暮らしたいという願望を持っているとすれば、自分たちの政治や政党を開くイメージは必須のものだと考えます。

 近年、起源というものを意識するわたしなりに「町会のゴミ当番」のような政治担当のイメージを受けとめれば、秘儀を生み出し受け継いできた果てしない人類史の、再び初めからのやり直し、生まれ変わりのようなイメージとして受けとめています。






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参考資料―吉本さんのレーニンに対するイメージから


(吉本)
 だからさっきのアマ、プロで言うと、僕はアマチュア的考え方で、どうしてもあばいたほうがいいという考え方になるわけです。僕はレーニンという人はとてもアマチュアだと思うのです。つまり、アマチュアとしてのよさがある。政治運動に伴う暗さとか、陰謀とか、同じ集団に属する者とか、同じイデオロギーをもつ者同士の間の争いということに大半の精力を使わなければならないというようなのが政治運動家みたいな者の宿命だと思います。政治運動家というのはそれに馴れていきますと、たいてい、煮ても焼いても食えないというようなふうになってしまいますね。ところがそういうものをしこたま体験しているにもかかわらず、なぜレーニンが優秀なのかというと、アマチュア的素朴さといいますか、それを残していることだと思います。人柄の中にも残していますし、政治的なやり方の中にも残している。そういうことは、相当強固な意志を持った優秀な人でないとできないんじゃないかとおもうんです。たいてい、海千山千の権謀術策家で、どうしようもないというふうになるのが、政治運動家とか、政治家というものの運命だとおもうのです。どこかに、人間的にか、あるいは政治的にか、素朴さ、あるいは率直さというものを残しているとすれば、たいへん優秀な人か、そうでなければ政治から遠ざかるか、どちらかと思います。レーニンというのは前者だと思うのですね。だから、あの人は、江藤さんの言われるように、権力をとる前とあとではちがうということで、それはたしかにそうなんですけれども、権力をとったあとでもレーニンはオンボロ車に乗って出勤するわけですよ。少なくとも一国の元首なんだから、もっといい車にしたらどうですか、とはたから言われても、いや、おれはオンボロ車でいいんだ、ということで退けるわけです。それから政治的にも、官僚連中に対して、お前たちは労働者の給料以上の給料は絶対取っちゃいかん、というようなことを言うわけです。それは僕の考えでは、たいへんアマチュア的なんです。そんなことはどうだっていいじゃないかとか、あるいはまた別の考え方で言えば、能力があるならそいつは給料をたくさん取ったっていいじゃないか、というふうにもなるんだろうけれども、レーニンは固執するわけなんですね。それはまったくアマチュア精神だと思うんですけれどもね。ただ、たとえばクレムリン宮殿というものがある。わりあいに広いところで、これはすぐに使える、それでここを政府機関に使おうじゃないか、というふうになるわけだけれども、アマチュア的欲を言いますと、それもやめた、そんなところ使うな、というそこまで徹底しますと、たとえばスターリンみたいな人は、出てこなかったと思うし、出られなかったと思うのです。……中略……少なくとも一国の最高指導者が、おれはオンボロ車でいいんだということは、ある意味でたいへん気違いじみていることなんですね。だけれども、そういうところにレーニンは固執しますね。たいへんトリビアルなことになぜそんなに固執するんだ、政治にとってそんなことはどうだっていいじゃないか、というようなトリビアルなことですね。だけどもそういうところはものすごくアマチュアだなというふうに思います。それで、アマチュアを徹底的に通せば、(引用者、註.ロシア革命は)たいへんあとあと、ちがった展開の仕方をしただろうと思いますけれどもね。

(対談「文学と思想の原点」 江藤淳/吉本隆明「文藝」1970年8月号)

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(わたしの註)

 今から40年以上も前のわたしの若い頃は、世間的には、音楽やるのは不良だとか、マルクスやレーニンという言葉はタブーだとかいうふんい気がありました。現在ではそのようなタブーはほぼなくなっています。タブーが消えてものごとや人物や言葉を自由に取り上げ批評できるようになったのは、いいことに属しています。

 吉本さんは、たとえば高村光太郎や宮沢賢治やマルクスなど、自分にとってとても大事な存在だと思われる対象については、その者の作品から書簡、メモに至るまで徹底的に読むということをどこかで語っていました。幾多の血が流され、壮大な負の実験に終わったロシア革命、その指導者レーニンも十分に味読すべき存在だと見なされたのだと思います。人類の歴史のゆるやかな流れを急激にせき止め革命を実行しようとした、その渦中の指導的な部分の中にあった、ささいに見えることだけど、とても大切な意識的な部分について触れられています。このことは、いじめから集団的な悪に至るまで、現在でもどのような集団についても言えることでもあります。「アマチュア的」というのは、わたしたち普通の生活者の開けっぴろげの開放性や率直さと言い換えることができます。それらが集団の中では圧殺されることがあり得ます。

 わたしたちの日頃の人間関係においても、仲間と思える中に自分には付き合いづらい人も居れば、仲間じゃないと思える中にほんとにいい感じの人が居るということもあります。吉本さんが取り出して見せたレーニンの「アマチュア的」ということは、おそらくレーニンの個性的な固有のものから来ているだろうと思われますが、特に集団の中ではこのような「アマチュア的」な素朴さ、つまり開放性と、そのことに固執する意志力は現在においてもなお貴重なものに見えます。集団というものは、今なお小から大に至るまで、個人をのみ込んで、あるいは個人に乗り移って、数々の非行を行う存在なのですから。






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わたしの活動のメモ ② 2014.12.1

 これは、「わたしの活動のメモ ① 2014.9.20」に続くメモです。
ツイッターを8月24日に利用開始し、ずっとツイッターで「フォロー」したり「フォロー」されたりしながら、わたしのこの消費を控える活動を紹介・お勧めし、いろんなものを見聞きし、ものを考えたり、ものを書き付けたりして、今まで出店(でみせ)状態を続けてきました。

 ネットで、たまたまアメリカから来た署名サイト「change.org」を見かけました。ツイッターを仲立ちにして、消費を控える行動への賛同=実行を募る署名活動を行おうと考えました。署名とそれに関わるサイトの存在が、ひとり一人の賛同者=実行者の日々の行動を支えるものになるかもしれないと考えました。しかし、署名サイト「change.org」の「キャンペーン」を作る要領がよくわからないのと回覧板①よりもっとわかりやすい文章を書くのが難しく、あきらめました。

 次に、ツイッターで何かできないだろうかと考え、ネット上のツイッター集会を考えました。♯ハッシュタグ(註.#記号と、半角英数字で構成される文字列のことを Twitter上ではハッシュタグと呼ぶ。発言内に「#○○」と入れて投稿すると、その記号つきの発言が検索画面などで一覧できるようになり、同じイベントの参加者や、同じ経験、同じ興味を持つ人のさまざまな意見が閲覧しやすくなる。)を使って、♯ツイッター集会を開催できないかなと考えました。

 もし余りにたくさん集まったら見づらいだろうし、あるいは負荷がかかって画面表示が重たくなりそうだから、分散して、♯ツイッター集会1~♯ツイッター集会nという形にしたらどうかなと考えました。

 あれこれ、いろいろ考えている内に、それを実行に移す前に、安倍政権は、退陣ではなく解散してしまいました。ちょっと肩すかしを食わされた格好になりました。

 吉本さんのアイデアを実行に移す、わたしの消費を控える活動は、もうしばらく意志表示として継続しますし、その活動の意味を知ってもらいたいという活動ももうしばらく続けます。言い換えると、ツイッター+臨時ブログはもう少し継続します。ただし、「回覧板①」の「昼寝のすすめ」という活動への賛同と行動を他の住民に働きかけるのは休止します。

 また、いつか、わたしがこの活動を開始するかどうかはわかりません。しかし、若い世代が、いや誰もが、いつでも開始できるように、わたしのささやかな試みの記録は、わたしの本来のホームページに保存して、いつでも参照できるようにしたいと考えています。

 目の前に選挙が近づいています。現政権の退場、少なくとも大きく勢力を減殺したいと思います。野党にも問題ありありの議員も多いですが、取りあえず最悪の政権の追い落としにわたしたちの力を重ね合わせたいものだと思います。






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参考資料―小沢一郎の言葉より


●今の自民党はかつての自民党ではない

 それ以来、四十数年たっておりますけれども、私はそのときの先生の言葉を私自身の政治信条として今日まで忘れずに、ずっと持ち続けて政治を行ってきたつもりであります。そういう考え方からいたしますと、本当に今、行われている政治。かつての自民党は今のような考え方じゃなかったですよ。
  私も自民党に長くいました。しかし田中先生の、今、紹介した言葉にあるとおり、自分たちの心のふるさと、依って立つ地域のことを決して忘れなかった。だから、かつての自民党は地方のことばっかり甘やかす、農業のことばっかり過保護にするといろんな批判を浴びました。
  しかし、全国どんな山村に住んでいても、どんな離島に住んでいても、みんなが安定して生活できる。そういう国土を、日本をつくらなきゃいけない。その思いをずっと田中先生ばかりでなくて、自民党の政治家は持ち続けてきたんです。
  ところが今、どうですか。今の政治家はどうですか。これは小泉さん以来ですけども、安倍政権になりましてより強くなった。要するに自由競争、市場原理。競争で勝ったものが生き残ればいいんだ。競争力のある力の強い企業をどんどん、どんどん大きくする。そして、その企業が儲けたお金を国民に全部分配すればみんなも良くなるじゃないか。こういう話です。
  小泉さんもそうだった。だが皆さん、今回、為円が安くなって、輸出を中心とした大企業は史上空前の利益を出しております。利益を出している。その利益を出したお金がみんなに回りましたか。全然みんなには回らずに、企業の懐に貯まっているだけじゃないですか。そうでしょう。こういうのが政治だとしたら、それはもう政治は要らない。自由競争を放りっぱなしにして、強いものが勝ちさえすればいいんだったら、まさに弱肉強食の世界じゃないですか。


●景気を良くするには、まず国民所得を増やすことから

 私は今の安部さんの政治を、個別にどこがいいとか、悪いとかなんとかっていうことを言ってんではなく、こういう基本的な考え方で政治を行っている。それが根本的な間違いだということを皆さんに分かってもらいたいんであります。
  この3~4日、党首が8人も9人も顔を合わせてテレビだのなんだので討論をやりました。その中で農業のことを、地域のことを、ほとんど触れる人は誰もいない。私はこんな政治を続けていたら、本当に国が結果として滅びてしまう。本当に心配いたしております。

  大企業の、経団連のお偉いさんともたまに会うんです。あんた方、目先はそうやってお金儲けて、労働者も正規雇用しない、全部非正規雇用で都合悪いときは首を切る。給料も安くて済む。そういう思いでやっているかもしれないけれども、しかし、国民が疲弊してしまったら、結局はあんた方にそのつけも回るんだよ。天につばする話だと。
  今景気良くするんだ、景気良くするんだって、安倍さんやなんかみんな一生懸命言っているでしょう。日本の経済の6割以上は個人消費なんです。個々の皆さんが使うお金、それが日本の総生産の6割以上を占めているんです。アメリカでは7割以上。
  大企業がいくら儲かったからって、個人個人の皆さんの収入が増え、生活が安定しなきゃ、消費に回さずに財布のひもを締めんのは当たり前でしょう。将来どうなるか分かんない、収入も減ってきている。結局、個人消費は増えない。落ち込んでいる。だから景気は良くなっていないんです。
  景気が良くなったら消費増税延期なんかしませんよ。景気が悪い。自分の政治の実態が見えちゃう。その前に総選挙をして、まずもう一度、政権を続けたい。それが今回の選挙であります。

(「小沢代表総選挙第一声全文」2014年12月04日より 「livedoorニュース」)

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(わたしの註)

 日本の経済の6割以上を占める個人消費の重要性と、それが景気と大きな関わりがあるという認識が語られている。

 わたしは個々の政治家や政党には否定性ばかりであまり関心を持ったことがないが、ここには、身内からの、またマスコミを含む複合する権力からの、作為的な長期にわたる徹底的な悪のイメージを形成され、追い落としキャンペーンを受け続けてきたにもかかわらず、つっぱり続けている孤独な姿がある。小さな集団になってはいても、ここには、自民党をかつて抜け出た最良の部分の最良の言葉があると思う。ということは、自民党は政権維持のためにわたしたち住民の方をちらりと見るばかりの、抜け殻のイデオロギー政党になってしまっている。もうすでに政治というものがイデオロギーではなく、例えば町内会で、ある問題をどうするか、というような状況に近づいてきているのに、わたしたち住民が置き去りにされている。ほんとうは死に体の枯れ果てた政治家や政治は退場して、局所的な個別利害を超えて、この列島に生きるわたしたち大多数の無名の住民たちのゆったりした生活が可能となるような社会や政治の有り様や諸条件を、みんなが知恵を出し合って考え出すべき段階に到っているように思われる。そうでないと社会に立ち現れる気分よくない数々の痛ましい事件も減ることはないだろう。これらの事件の過半は社会の有り様の責任である。

 最後の悪あがき政治家や政党によって政治が占拠され続けている。政権はろくなことはやってきていないのだから、新しい芽が出て育ち始めるまでは、むしろ「決められない政治」の方が望ましい。残念ながら、この国の政治は未だそのような段階にあると思う。当分、政治も誰もがしょうがなくやる掃除当番のようにはならないだろうが、そのような理想のイメージを持ち続けることは大切なことだと思う。たぶん、太古においても、現在のような住民と宗教・政治層とのあつれきは存在していたものと思う。しかし、この列島に生きる大多数の住民の日々の幸福を求める言葉や人がなくなることはないはずである。






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参考資料―商の本質、柳田国男より

 これに反して町が村に対抗しようとする気風は、かえってそれ以前に始まっている。いわゆる都鄙(とひ)問題(註.都市と田舎、都市と農村)の根本の原因は、何か必ず別にあったはずである。 私の想像では、衣食住の材料を自分の手で作らぬということ、すなわち土の生産から離れたという心細さが、人をにわかに不安にもまた鋭敏にもしたのではないかと思う。今でこそ交易はお互いの便利で、そちらがくれぬならこちらもやらぬと強いことが言えるが、品物によっては入用の程度にえらい差があった。なくても辛抱できる、代わりがある、また待ってもよいという商品を抱えて、一日も欠くべからざる食料に換えようという者などが、悠長に相手を待っておられぬのは知れている。ましてや彼等が農民の子であったとすれば、小さな米櫃(こめびつ)に白米を入れて、小買い(註.さしあたって必要な分だけ少量買うこと。)の生活に安堵(あんど)してはおりにくい。
  (『都市と農村』 P350 柳田国男 ちくま文庫)

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 (わたしの註)

 商という行為は、良い悪いを超えて言うのであるが、あたかも「オレオレ詐欺」のように現在では様々なオブラートに包まれている。テレビでは、洗練されたコマーシャルが流れる。企業としては、商品を買って欲しいわけであるが、販売市場が拡大した一方で、現在ではそのことは様々な迂回路をたどらないと実現されない。したがって、現在では商品と消費者を媒介する広告・宣伝ということが重要な位置を占めている。そして、インターネットやケイタイなど多くの消費者の好奇心や需要にかなうものは爆発的な普及ともなり得る。

 柳田国男の『都市と農村』は、1929年(昭和4)に出版されている。これを都市と農村の間の関係意識の問題としてではなく、商と消費者との関係として読むことができる。わたしたちの社会は、柳田国男の記述した百余年前と比べて、大きく様変わりしている。しかし、引用部分を商の本質と見なせば、そのことは現在においても不変である。現在の商と消費者との関係は、その間に市場調査や経営コンサルタントや広告・宣伝などが複雑に関わり、柳田の時代の牧歌的なそれとは様相が違っていても、現在の商も百余年前と同じ不安を抱えている。つまり、消費者に買ってもらわないと商は成り立たないということである。

 本来は商、そしてその組織化や拡大は、社会性としてはその成員の幸福を目指しつつ社会に貢献するものであったと思われる。しかし、農村の地主制度と同じように人間的な組織悪をも芽生えさせ成長させるものでもあった。その姿は、現在の「ブラック企業」や人ではなく企業優先の考え方などにも現れている。エコノミストやら企業の経営者にかぎらず、一般にも外来の「グローバリズム」や「市場経済主義」やらが浸透しているが、本来的な商という行為、つまり企業の歴史的な社会性は、冷静になってじっくりと内省するに値するものだと思う。本来的には、消費者と対立的ではないものとしてある商という行為において、企業の主流がその本来の社会性から逸脱して「グローバリズム」や「市場経済主義」やらの外来の経済イデオロギーを貫徹し続けるならば、商と消費者は対立的な関係に入り込む他ないと思われる。
 
 柳田の時代の牧歌的な商と消費者の関係と違って、現在のような高度な「消費資本主義」においては、わたしたちの自給自足的な生活がほぼ底をさらわれてしまった代わりに、選択消費を拡大させてきた。つまり、現在ではずいぶんと荒涼としてきているが、社会が豊かになってきたのである。
 
 個々の企業体は、様々であり得るとしても、政治と関わり続ける経済団体やエコノミストら、そして官僚層や政権が、現在のようにこのわたしたちが住む社会を荒らし続けるならば、商と消費者は対立的な関係に入り込む他ない。食費などの日々の生活にどうしても必要な必需消費は欠かすことはできないとしても、それ以外のとりあえずなくても済ませられるとか出かけなくても良いなどの選択消費は、わたしたちの個や家族の自由裁量によって決定される。
 
 現在では、わたしたちは知らぬ間に経済的な力(権力)を持ってしまっているのである。素人考えであるが、このことが同業の企業間競争の激しさと消費の獲得という中で、価格競争によるデフレ(物価の下落)となって立ち現れているのではないか。逆に言えば、デフレということは、消費者の経済的な力の象徴であり、消費者の経済的な力と経済社会が出会うときに生み出される表現と見なすことができると思われる。したがって、「デフレからの脱却」ということは、わたしたち大多数の消費者を無視した経済政策では特に不可能と言うべきである。






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人間における「表現」という活動についての考察



①宮沢賢治は、「農民芸術概論綱要」などで、遠い過去の人々の「可成楽しく生きてゐた そこには芸術も宗教もあった」有り様をイメージしながら、芸術という行為を大多数の普通の人々(農民)にまで拡張しようした、いやむしろ、普通の人々の世界にこそ芸術の主流があると考えた。そこには仏教や科学、西欧由来の近代的な粧いや匂いもつきまとっていたが、彼のモチーフはわかるような気がする。
 
 現在でも、ずいぶん文明に浸食されながらもわりとのんびりと暮らす原住民の社会の画像を時折テレビを通して目にすることもある。食事の種類は限られていたり、住居は粗末であったとしても、「可成楽しく生きてゐ」る様子をうかがうことができる。したがって、宮沢賢治の描いた遠い過去の人々の像は、牧歌的なイメージもつきまとっているが、また飢餓などの苛酷なことも伴っていたとしても、あり得た像と言うことができる。

 宮沢賢治は、そうした遠い過去の人々の生存の有り様をイメージしながら、現在の「灰色の労働」に生きる人々を対照させている。そして、新たな時代のあり得る人間像を、宇宙レベルの感応を導入しながら形作ろうとしている。わたしたち日常生活世界からの視線によれば、以下に引用するような宮沢賢治のイメージは、ずいぶん場違いなものに映る。当時の宮沢賢治の言葉と出会った東北の農民たちにとってもなおさらその思いは強かったものと思われる。


農民芸術の興隆

……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ


農民芸術の本質

……何がわれらの芸術の心臓をなすものであるか……

もとより農民芸術も美を本質とするであらう
われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する
「美」の語さへ滅するまでに それは果なく拡がるであらう
岐路と邪路とをわれらは警めねばならぬ
農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である
そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である
そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし
巨大な演劇舞踊として観照享受することを教へる
そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとするかくてわれらの芸術は新興文化の基礎である

  (「農民芸術概論綱要」より 宮沢賢治 青空文庫)


②おそらく一部の者に占有され続けてきた芸術というものを、親鸞の悪人正機のように普通の人々こそ日常において芸術的な行為をなし得るのだという風に「芸術」というものを転換、あるいは拡張したかったのだと思う。

③しかし、世界中で「芸術家」と呼ばれる専門化せざるを得ない人々によって担われてきた芸術的な世界は、相変わらず現在でも存在しているし、これからも存在し続けるだろう。いろんな分野の専門化と対応するように、現在まで芸術も専門化の深い坑道を掘り続けてきているし、掘り続けていくだろう。

④わたしは、宮沢賢治の「芸術」の構想とは違って、「表現」という行動においてなら、人はみな平等に見渡せる地平に立てるのではないかと思う。わたしたちの日々の諸活動は、物質的なものや精神的なものを生み出したり、それらをまた自分に取り入れ味わったりする、生産と消費の活動と見なすことができる。この活動は万人が日々行っている活動である。

⑤わたしたち万人が平等に表現というものを持たされている、あるいは持ってしまっている。そして、経済の生産と消費は時間的な間隔が開いているが、人間的な行動の生産と消費は同時的なことが多い。つまり、何かを作り出すことが同時に精神的な喜びや解放感あるいは不安感の表現であるというように。

⑥文学や美術や音楽や舞踊などの芸術の表現は、その同時的な生産=消費という人間的な表現の中に含まれつつ、他の専門の分野と同じく、歴史的な積み重なりの現在として特殊化された表現の世界ということができる。しかし、その汲(く)み上げる養分は、わたしたち大多数が日々活動、表現する世界に在る。

⑦こういうことを述べるわたしの強いモチーフは何だろうか。現実の人間界でのひとり一人の存在には、弱者や勝ち組や職業や地位・・・などなどのうんざりする社会的なイメージが張り付いてなんらかの力を放つことがあるように、芸術的な表現にもそのような非本質的な社会的なイメージが張り付いている。

⑧それらの本質的ではない張り付いたイメージを押し分け掻き分けて、日々の生活世界に生きるわたしたち万人の等しい表現の地平と専門化された芸術的表現の世界との有り様(実像)を、両者の関わり合いを含めて見定めてみたいのである。

 (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)






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参考資料 ―「十年やれば誰でも一人前」、鮎川信夫・吉本隆明対談より

   詩人の才能 (註.小見出し)

吉本 はいはい。ところで鮎川さん、詩ってものがあるでしょう。僕の感じかたなんですけれども、今の平等、不平等に関連するわけですけれど、こうなんですよ。詩ってやつも、靴屋さんが靴をつくるように、それから何屋さんが何をするようにってこととまったくおんなじで、たとえば十年詩を書いてたらね、だれでも一人前になれるっていうふうに思ってるわけです。そのことに能力の違いはないっていうふうに思ってるわけですよ、僕は。それじゃお前は一人前の詩人だとなるとするでしょう、僕の考えではそのあとに詩の問題になるのではないかと思うわけです。そうすると詩というのはきわめて意識的に、こう手を動かして書く問題になるのじゃないかと思うんです。
 だいたい日本の詩人の場合、十年やって一人前の詩人であるというところまではやるわけです。そうしておいて結局はその後がほんとに詩の問題じゃないのかなというところでは止めてしまうと思うんですよ。僕なんかそうですね。僕はもともと一人前かどうか別にしましてね(笑)。その後結局止めてしまいますよね。そして書いたとしたって、習慣的にしか書かない、っていうふうに思うんです。つまり十年の間にこう言葉が、つまりこういうふうにやればなんとなくできちゃうみたいな、こう坐ればなんか観念の流れというものに入れば、そうすれば詩というものは、習慣的にできるんだというような感じがあってね。そういうことの、まあある意味で面白さのなさと、それからある意味じゃこれから詩というものが始るんだよという、こんどは詩っていうのは苦痛だねっていう感じですよね。これは修行しなくちゃいけない(笑)、という、そういう感じで。


鮎川 いや、大工さんが一人前の大工さんになるというプロセスとある意味じゃまったくおんなじだという……。


吉本 うん、おんなじだということ。つまり僕の考えでは、その場合に十年やればこれはどんな人だって、別に文学なんか関係ない、関心ないよっていうよう人だって絶対に一人前の詩人だといわれるようになると思いますね。それでほんとうは鮎川さんの言われる能力の違いがあるかっていうような問題は、おそらくその後で始まるんではないのか、それはおそらくは意識的な、相当苦痛な過程なんじゃないかというふうに思うんですけれどもね。それでそのところでそれに耐え切ったというふうなことは、ちょっと日本の詩人の場合には少ないんじゃないかというように思うんです。つまりいろんな要因があるんだと思うんですけど、あとは結局習慣的になら書けるさっていうような感じでいくというふうな、それからもともと勘がいいから書けるという、たとえば田村さんみたいな(笑)、まあ、勘がいいから保ってるというふうな。しかし僕はだめだっていう気がするんです。つまりそれ以降の詩の問題は勘じゃない、相当意識的な修練ではないか、そしてそのときに本当の詩の問題というものが出てくるんじゃないかと、僕はそういう気がするんです。


鮎川 なるほど。


吉本 そして自分はそこで、もうこれはいかんということでね、止めちゃったような気がするんです。だからなんといいますか、そこを耐え切ったらちょっとよかったんだということになるんですけれどもね。だけどそのあとはだいたい習慣で書いているというね。それじゃたとえば明治以降、そうじゃないって言えるような詩人というのは本当に数えるほどしかないのではないか、あるいはいないのかもしれない(笑)、とそんな気がするんです。


鮎川 そうね。


吉本 そこの段階でほんとうは決まるみたいな、そういうことが僕はあるような気がするんです。それまでの問題は、能力の問題じゃないっていう感じがするんです。だからそのあとに能力の問題というのは出てくるかもしれない、あるいはやりかたいかんではいろんな思いがけない展望が開けるのかもしれないというみたいなことがあるような気がするけど、ちょっと十年の問題だったらば、能力もヘチマもないしね、文学に関心があるかないかもないと思う。とにかくやれやれってやって、十年やったらなんとかなるんじゃないかっていうのが、僕の感じかたなんですけれどもね。

(「情況への遡行」鮎川信夫・吉本隆明対談 初出「現代詩手帖」1973年3月号)

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(わたしの註) 「十年やれば誰でも一人前」について

 


 以上は、鮎川信夫・吉本隆明対談の、ここで取り上げる「十年やれば誰でも一人前」の核心部分です。この引用部分の少し後で、鮎川信夫は吉本さんの考え方について「そういう考えかたっていうのは僕はやっぱりすごく科学的な感じがする。文芸批評という感じよりも、なんていうかやっぱり科学者が対象を検討するやり方っていうかね。」と語っています。

 吉本さんは、ある言葉や概念を単なる思いつきに終わらせることなく、長い年月をかけて考え、煮詰めてきています。ある場合には修正したり、またある場合には次第に深化させてきたりしています。この吉本さんがよく言ってきた「十年やれば誰でも一人前」という言葉も何度かくり返されています。ここでは、この言葉のそうした過程を明らかにすることはしませんが、上の対談からずいぶん後に語られた言葉をひとつ引用しておきます。ネットから採集してきました。


――専門家でないと物を書けないように思われがちですが?

(吉本) 学問者や研究者と、僕みたいな物書きとどうちがうかというと、前者は頭と文献や書物があれば研究ができる。物書きは手を動かさないと作品が書けない。僕も手で考えてきた。頭だけで書いたらつまらないものしか出ない。考えたことでも、感じたことでも手を動かして書いていると、自分でもアッと思うことが出てくる。それは手でもって書いてないと出てこない。
  でも、年食ってくると、いちいち、しんねりしんねりしながら手を動かすのが、おっくうになる。それは研究者も同じ。本を読んで、いちいち必要なところだけメモを取るなんて、面倒ですよ。そんな辛気くさいことやってるより、どっかの会長になる方が楽だよね。しかし、手で考えるってことをやめたら、物書きは一巻の終わりですね。これはあらゆる芸術でも言えることだよね。手を動かすっていう本筋は変わらない。
  だから、もし文学者になりたければ、10年間、手を動かすことだと思います。10年間やれば、一人前になりますね。秘訣も何もない。才能があるとか、ないとか言うのは、そのあとの話ですよ。文学の場合、「気が向いたときに書いて、気が向かないときには書かない」というのがいいことみたいに言われるけど、それはウソだよ。気が向こうが向くまいが、何はともあれ書く、手を動かす。そうしたら、一人前になりますね。

(「吉本隆明さんインタビュー」(09-10-26)『不登校新聞』http://www.futoko.org/special/special-19/page1026-540.html)


 吉本さんは、上の鮎川信夫との対談で音楽家や数学者は子どもの時からやらなくてはいけない例外として語り、それ以外であれば何歳からでもひたすら十年やれば誰でもいっちょ前になれると語っています。ただ、例えば詩であれば、気が向く日だけ詩を書いていてはダメで、書けない日でも毎日机に向かうというそういうつらい修行をしなくてはいっちょ前になれないと別のところで語っています。また別の所では、手を動かすことの重要性がここよりもう少し突っ込んで語られています。

 鮎川信夫は、吉本さんの発想を「科学者が対象を検討するやり方」と語っています。鮎川信夫の感受の鏡に写った吉本さんの言葉の像が語るのは、文学の内部に居るものの視線からはそう見えるということだろうと思います。しかし、「十年やれば誰でも一人前」という吉本さんのこの考えは、文学の世界を突き抜けて、わたしたちが生活世界で日頃感じていることと合致するもので、おそらく大多数の人が受け入れ可能なものではないかと思います。逆に言えば、その言葉は職人さんとかの当人からすれば、そんなこと当たりめえじゃねえか、ということになりそうです。万人が認めるような言葉は、まさしく「当たり前」と感じられるからです。ただ、ふだんはその「当たり前」にいろんな飾りがくっついてそれが見えなくなっていることが多いと思われます。この言葉は、「やっぱ才能かよう」とつぶやいてあることから引き返す若者を励ますものを持っています。もちろん、「十年やれば誰でも一人前」ということの中身には大変な日々の過程があるとしても、です。

 このような吉本さんの対象に対するまなざしの獲得は、鮎川信夫が語ったように吉本さんの科学的な素養(実験化学)からも来ていると思われますが、それだけではないと思います。ここではそのことを明らかにはしませんが、人間界での生き方のアドバイスをする評論家が、ある場合には努力というものを強調したり、またある場合にはチャンスをつかむことが大事とか、いうふうに対象の本質の周辺を語っている場合が多い中で、つまり当てにならないことがたくさん語られている中で、吉本さんの言葉は、職人さんならその職人さんの内面を包み込むような普遍的な(万人に当てはまるような)視線を行使しています。どうしてそのようなまなざしを獲得できたのかということは、わたしたちにとっても大事なことですが、ここでは吉本さんの、そのような万人の内面に深く棹(さお)さすことができるようなまなざしや言葉を取り出すだけにしておきます。

 付け加えれば、この対談(1973年)で吉本さんは詩を書かなくなったと語っていますが、また再開しています。1975年から1984年にかけて書き継いだ詩を元に、それらを再構成して『記号の森の伝説歌』(角川書店, 1986年12月)という詩集を出しています。吉本さんにとって、詩という表現は根源的なもので、思い入れも深かったものと思います。






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理想のイメージを思い描くということ


①わたしたちの思い描く「理想」というものは、現状に対する否定の意識から湧き上がってくる。一方で、自分や社会の現在の有り様に対する否定性が駆動する理想のイメージには、それは集団的なイデオロギーではないから、どこかに穏やかに着地したいという、概念的ではない、具体的な肌合いの感覚的欲求も併せ持っている。したがって、生み出される理想のイメージには、例えば概念的には「自分の家を持って暮らすこと」と一言に集約されたとしても、様々な色合いやふんい気を伴っている。

②自分や社会の現在の有り様に対する否定性を駆動するのは、現在の社会の精神的な大気を呼吸し、現状を肌で感じ、もっとよりよい状態があり得るはずだというわたしたちの内省という行動である。わたしたちは日々生きる中で、この理想のイメージを生み出すという行動を誰もが等しく取っている。もちろん、憎悪や悪意による否定性の駆動もあり得る。

③理想のイメージに限らず、わたしたちが日々生きていくということは、物質的にあるいは精神的に、何ものかを生み出し、同時にその過程で何ものかを消費している。例えば、食事を作るということは、何ものかを加工し生み出していくということと同時にたとえ嫌々であっても何らかの精神的な消費も行っている。この人間的な過程は、活動する当人において、その表層においては計画的だったり、目的に対して意識的だったりということであっても、その人間活動の深層に対しては無意識的に行動するという度合いが大きい。したがって、そこは学問・研究や哲学の対象となり得る。

④もちろん、わたしたちの日々の行動には、総体として見れば、同時的な生産=消費もあれば、時間差を伴う生産→消費も消費→生産もある。そして、それらは複雑に関係し合っている。例えば、職人さんの作るものでも芸術作品でも、それらを作り上げていく過程では、同時的な生産=消費を行いつつ、完成した(完結した生産)後で、その職人さんがある感慨を催す(精神的な消費)、あるいはそれが販売されて人手に渡り、その人が消費するというように。次に、買ったその人が、職人さんが生産したものを使って(消費して)、先に述べた同時的な生産=消費を行いつつ、何ものかを生み出す(完結した生産)というように。

⑤その生産=消費という同時的なわたしたちの日々の行動は、人が活動するあらゆる場で齟齬(そご)することなくしっくりと張り合わされていた方がいいに決まっている。しかし、人は人と人とが関係し合う世界にも生きているから、現実にはその行動は波立ったり、泡だったりすることもある。ここに憎悪や悪意、親和も立ち上ってくるし、また内省も否定性も立ち上ってくる。

⑥集団的なイデオロギーではない個の理想のイメージには、個々人から生み出されるから、個々人の生きてきている年輪からの負荷が加えられていて、話し合いでちょうど一つのテーマに対して様々な案が出てくるように、人によって少しずつ理想のイメージやその肌合いや色合いのちがいがある。

⑦しかし、ゆったりした大河の流れのように、少しずつ少しずつ変貌して来た理想のイメージを追い求めるような痛ましい人類史の無意識の歩みに目を凝らすとき、そのことを考慮に入れる(媒介する)ことによって、個々人の理想のイメージは、その現実性を獲得し、普遍的な理想のイメージへと変貌しうる契機(きっかけ)をつかめるのではないだろうか。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆)






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 選挙考2014.12


 今回の選挙は、おそらく誰もが内心予想していたように結果は曇り空であった。わたしも選挙に出かけるようになったので、今回の選挙を自分なりに振り返っておきたい。

 まず、わたしの選挙体験を語れば、今回の12月の選挙で3度目である。若い頃公立高校の教員を3年勤め、その間、組合(日教組)に入っていた。しかし、動員じみた選挙には一切加わったことがない、いや意志的に投票というものをしなかった。相も変わらず社会を牛耳る層に対しては否定の意識しか持たなかったから、選挙というものに意味を見いだすことはできなかった。したがって、わたしの選挙体験は、2009年の民主党の政権交代以後というほんとに失望的な状況から始まっている。それは同時に、この国でそういうこと(政権交代)が可能だったんだという後からの驚きでもあった。わたしの50歳代後半から60歳代前半に当たっている。

 したがって、ツイッターで時折見かけたが、今回の選挙の投票者が棄権した者をくそみそに言いたい気持ちはわかるとしても、わたしは長らく選挙を拒否してきたからそのようには言えないし、また言う気もない。もちろん、前回の選挙を含めて今回の選挙結果もがっくりした気分になった。これほど今までにないアブナイ政権を放し飼いにしていたら、良くないだろうという危機意識がわたしにはある。

 有権者の総合を一人の巨人(人間)と見なすと、わたしたち住民のひとり一人がその一部を構成している。しかし、その巨人は、結果として今の最悪政権にもう少しやらせてみようとしたことになる。それに代わる政権担当能力のある政党がなかったのは確かであるし、それが大きな理由だったと思う。それでも、わたしの考えでは、「決められない政治」に持ち込むべきだったと思う。「決められない政治」でも、取りあえず大多数が認めるほかないものは決まるであろう。わたしにとって、巨人は温厚すぎるように思う。

 しかし、わたしの考えにもうひとつ内省を加えてみれば、おそらく巨人の意識は、政治の現状を超えているのかもしれない。政治の方が巨人の意識に応えるものを持たなかったのである。野党も政権と対応するように体たらくであったのである。現政権はクレイジーなほど例外的であるが、現在の政治は、どの政党も似たり寄ったりの政策や考え方に近づきつつある。わたしたち住民の意志や考えていることは、大まかな傾向性としてマスコミのアンケート調査でわかるようになってきている。(もちろん、マスコミのある方向への誘導性や作為性がないとは言い切れない) 各政党は、その住民の総意に近いものに注目すればいいのである。まちがっても我々が教え導くなどという横着な考えは持たない方が良い。正に現政権はこれに近い。様々なものが旧来的なものからの脱却を迫られている。現政権は、旧来的なものの最悪に凝縮したものになっている。おそらく最期の悪あがきだと思われる。

 巨人の、暮らしの経済中心の考え方は、それに異存はないけれども、戦争から遠く離れたわたしたち戦後世代の住民のプライドが試されていると思う。つまり、積極的に自由や人権を獲得したことがない負の伝統しかないこの列島で、しかも依然としてどこかで戦争が続いている現状で、偶然のように未来性のある憲法9条を持つことになった。これを生かすも殺すもこの列島の住民であるわたしたちひとり一人である。その憲法9条も今までにずいぶん傷ついてきている。この点に関してわたし含めて巨人は余りにも無防備すぎたと思う。これは暮らしの経済以上に重要な問題である。わたしたち住民のプライドと存立に関わる根本的な問題である。これが、わたしもその一部である巨人に対する自己批評である。

 戦争と敗戦を経験した世代が、底をさらわれてきている。それと呼応するようにそれらを体験したことがない世代が大多数を占め、その世代からパワーポリテックス(軍事力を背景とした力の政治)の具体性を装った、「集団的自衛権」に象徴される抽象的な論議が起こってきている。これは戦争を生き延びてきたものの悪しき遺伝子や現在の主流の欧米的な合理主義というほかない。これらは歴史の忘却の結果であり、誤った「歴史認識」から来ている。また、内省を欠いた合理主義から来ている。こうした状況で、大規模な国家間の戦争は不可能に近い時代にはなっているとしても、国と国との付き合い方(外交)も、わたしたちの生活世界の常識から、戦争と敗戦からの教訓をただぼんやりした平和や民主主義としてではなく、はっきりしたわたしたち住民の意志として示し、形作っていかなくてはならない時代に当面しているという状況認識がわたしにはある。こういった次第で、いい加減うんざりしながらも今回の選挙に出かけた。






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ものを考えることについての考察




 誰もが、日頃、感じたり自分の視線を内省したりすることがあるような場所について触れてみたい。あるいは、そのような場所から言葉を繰り出したい。

①わたしたちの日々の生活は、現在が重力の中心であり、さらにその場で自分が主体であるから、現在の世の中の有り様や自分に引き寄せたものを中心にものを考え、行動するのは、自然なことである。しかし、この自然性による視線では、局所性を免れられない。つまり、総体的なイメージを獲得するのは難しい。なぜなら、わたしたちは自然性においては、無意識的にもある地域のある家庭に育ちある小社会を潜り抜けてきたという自分の固有性に基づいて眼差しを向け、切り取ってくるからである。したがって、あるものについての総体的なイメージを獲得するためには、わたしたちは意識的な姿勢を取る必要がある。

②例えば、所得が400万の人の日常生活の有り様と所得が200万の人のそれとはずいぶん違うはずだ。私たちの視線や言葉は、無意識のうちに自分の有り様をもとに繰り出されるから、内省の視線や言葉を行使しない限り、現在のこの列島の住民の生活の有り様の総体的なイメージを獲得するのは難しい。

③さらに、所得が同じ200万の人々の生活の有り様も様々であるに違いない。ドラマや物語作品と違って、自分とは異なる経済的な生活の有り様をその内面にまで降りて、手触りの感覚を手に入れるのは難しい。

④しかし、はっきりしているのは、そのような所得を強いられていては十全なゆったりした生活を手にすることは極めて困難であるということである。このような大まかな判断は、自分の生活の有り様に対する内省と想像力を働かせれば明らかであると思われる。

⑤ところで、わたしたちは、現在に、個を中心に、日々生活している。しかし、それは現在や個の歴史を超えて、人類としての連綿と続いてきている歴史の大河を背景にしている。そのことについては、ふだんは無意識的である。したがって、人類の歴史の経験に対して開くことなく閉じてしまうのは、ものを考えることを偏向させることになる。

⑤'戦争が遠くなり、戦争世代も消え入るように少なくなっている状況で、戦争-敗戦におけるその指導層ではなく、大多数の住民の声になりにくい体験や不幸の数々に対して、聞く耳を持たず、復古的イデオロギーやパワーポリティクスをのんき気に弄(もてあそ)んでいるのは、閉ざされた偏向に違いない。

⑥この歴史性の考慮を抜かして、私の結論的なイメージを言うと次のようになる。例えば、高校の体育祭に向けて、係で話し合いを主導する者、それに同調する者、できるだけ参加する者、できるだけ参加したくない者、自分の興味関心が中心でそっぽを向く者、いろんな考えや行動のスペクトル帯がある。これはわたしたちの関係し合う世界での普通の光景である。

⑦このように集団として眺めれば、わたしたち住民の中にもいろんな考えや行動の層がある。自分自身がどのような考えや行動を取ろうとも、それらすべての層に対して、自分の視線や考えを閉じることなく開いておくことが大切なことだと思う。町内会などの話し合いによる大事な決め事は、一般にそのような自己配慮を働かせて成されてきているのではないかと思う。

⑧私たちの日常の人間関係でも、ある人が割と頑固な人だなと思える場合がある。自説をあくまで主張するのは別にかまわないが、他人の気持ちや考えに対して開かれていない場合には、私たちにはその頑固さは否定的なものと映る。これは悪しき意味での「空気が読めない」問題ではない。

⑨しかし、お互いが顔つき合わせていかなくてはならない家族や学校や職場などの小社会に存在する限り、長い時間をかけて徐々に互いの新たないい関係を作り上げていくほかない。大多数の住民たちが今までやって来たように、これからもやっていくように。

⑩現在の歴史の段階において、ある人が、ある(政治、経済、宗教)思想を持つのが自然なように、生活世界のことしか関心がないというのも自然なことである。また、人が集団的な思想(イデオロギー)を持つのも、持たないのと同じく自然なことである。これらのことは、ある宗教やイデオロギーを持つ人とそうでない人とが対立的になった場面での、当人同士や端から見る人に与える、言い様もない空虚感の問題とは別に本質的に言えることである。

⑪しかし、日常世界でも、関係に追い詰められたりして他人に対して閉じてしまうと刃傷沙汰にもなり得るように、宗教やイデオロギーに熱中しすぎると、同様のことになり得る。両者の目には、他人は悪意を持った存在や敵対性に見えるようになる。残念ながらこのことに無縁である者は誰もいない。

⑫またそのような閉じた目には、他者は「何も考えていないような否定的な存在」に見えることがある。しかし、何も考えていないという状態は、短時間ではあり得ても継続的にはあり得ない。それは頭を休止して内臓感覚を開いたようなぼーっとしている状態であり、誰もが日々経験しているものだ。そして、わたしの小さな観察に拠れば、犬や猫などはそのようなぼーっとしている状態を中心にうまくこの世を渡っているように見える。犬や猫の世界は、人間世界に劣るなどとはわたしには思えない。わたしたち人間も大切なものとしてそのような動物生の状態を共有している。

⑬ここで「何も考えていないという状態」は、ある人に映った否定的な他者の像であるが、その他者の本体では、そのイメージとは別に、誰もが日々の生活で思い悩み判断し行動し喜び楽しむというような複雑な諸活動が成されている。もちろん、その中から宗教やイデオロギーに触手を伸ばす場合もあり得る。

⑭私の判断では、例えば政党が似たり寄ったりの状況になってきているように、もはや旧来的なイデオロギーはとうに終わっており、新たなわたしたち大多数の住民思想とも言うべきものが生み出されなくてはならない段階に到っていると思われる。

⑭' その住民思想を形作っていく場合の大切な核は、もちろんこの列島の住民たちが、負性を伴いつつも連綿と生み出してきた諸々の叡智(えいち)というものを新たな形で受け継いでゆく以外にはない。

  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)






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わたしの理想のイメージ

 ①空想としてではなく、実現されるべきものとしてわたしの現在思い描く理想のイメージは、いくつかある。その根本はおそらく大多数が認めるであろう単純なことである。

②偶然のようにこの世界(人間界に限らず、大自然、宇宙を含めて)に生まれ落ちて、いろんなものを見聞きし学んできて、やはりわたしたち人間は(ほんとはあらゆる生けるもの、存在するもの)、上に立ったり下に立たされたり、差別したりされたりすることなく、苦労少なくゆったりと楽しく生きたいものだ、ということである。

③逆に言えば、その理想像に反する現在の有り様、職場や生活圏で現れる、例えばスピードや効率や……などは、理想のイメージに反する否定性と見なさる。ただし、ゲームや遊園地のジェットコースターなどのもたらすスピードは、快として受けとめられるというスピードの一面もあるから、ことはそう単純ではない。

④上に見たスピードの二面性が、全面的に否定されるべきということではなく、例えば仕事の息苦しいスピードということであれば、懐古的に二昔前の割とゆったりした時間に戻るということは不可能だから、週休を二日以上に増やすとか、あるいは仕事の一部を人間以外の機械などに任せるなどとして考えられるべきだ。

⑤大多数の主流は働くだろうけど、まずはたとえ働かなくてもなんとか生活できる社会。社会的な贈与によってそういうことは可能だろうか、例えば「ベーシックインカム」(最低限所得保障)の導入などにより、社会保障などに関わる公務員や組織を大幅削減することにより、システムを単純化し風通しを良くする。わたしは経済には疎いのでよくわからないが、システムの導入や、社会的な贈与によって消費を生み出す、これらのことの経済的な意味を専門家にはぜひ試算・検討して欲しいものである。もし、それが実現されれば、最初はいろんな問題をはらみつつも、徐々に自然なものとして受けとめられていくだろう。

⑥ということは、会社と求職者やそこに働く者との間に現在のような権力関係(上下関係)が生じないこと。また、たぶんとても細分化されてきたそれらに関わる法律が静かに消えていくこと。これらはおそらく「ベーシックインカム」が導入されれば、徐々に実現していくもののと思われる。

⑦さらに、無関係な者を殺傷したり、子どもを虐待したりなど、それらが時々痛ましい事件として社会に浮上して来て、この社会に重たい陰りの彩りを加えている。現在の社会が荒んで見えるとしたら、その過半は余裕のない社会の有り様のせいである。それはゆったりした社会の形成とともに何世代かを通じてゆっくり解きほぐしていくほかないと思う。現在の社会の有り様は、もはやどんずまりの状態に到っているように見える。

⑧わたしは「ベーシックインカム」がずっとずっと昔から検討されているということを近年まで知らなかった。専門的なことはよくわからないけれど、年金や福祉や生活保護などが個別的に問題を抱えすぎている状況で、この構想はそれらを総合する簡素なシステムとして近未来に導入されるべきものだと思う。
 
⑨この「ベーシックインカム」の構想は、けっして荒唐無稽ではなく、現在でもテレビで時折目にする原住民社会、マレビトが来たとき以外は、いつも同じようなものを食べ、割と平等に分かち合いながら、ずいぶんゆったりと流れる時間の中に生活している、それらの新たな形での反復(繰り返し)に当たると思う。
 ちなみに、わたしのこうした理想のイメージに呼応するような現在を呼吸する言葉を任意に拾い上げてみる。


頑張りたい人は頑張ったらいいし、頑張りたくない(頑張れない)人は頑張らなくていいと思うんだよね。俺らは頑張ってるのに頑張らない奴がいるのはズルい、じゃなくて、頑張れない人が頑張らずに生きていける社会が良いなあ。もう背伸びもキラキラもしなくていいと思う。
(「IEIRI.NET ほぼ日刊ダメ人間」家入一真 2014/12/10の記事「頑張りたくない」より) 


  (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)






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わたしの活動のメモ ③ 2014.12.31

 ―「吉本さんの見識に基づく消費を控える活動の記録 (2014.8~12)」の保管先について



 振り返れば、我ながらこんな活動を開始するなんて驚きでした。しかし、わたしは戦争を体験していませんが、この国の文学や思想をたどる中でわかった、先の戦争への過程でこの列島の住民もあらゆる芸術家も総敗北しかなかったという無惨な歴史認識が、いつもわたしにはあります。また、歴史の遠い果てから考えても、この列島の住民は、神頼みこそすれ、自分たちの大切な生活世界を自立的に決死の覚悟で守るという経験に慣れていません。そういう歴史的な状況認識がいつもわたしの中にあり、わたしをつっぱらせるものになっています。

 2014年8月から12月に渡る、このわたしのささやかな活動の輪郭は、「回覧板①」、「わたしの活動のメモ①」、「わたしの活動のメモ②」を読んでもらえればわかると思います。たった一人からでも活動することができ、しかも現実世界に波及させることができるこの活動は、現在という時代の「おくりもの」だと思います。それを具体的に言えば、家計消費がGNPの約6割という現在の「消費資本主義社会」、吉本さんのその社会分析、ネットやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などの仮想空間の普及・拡大などがあります。

 わたしたち住民に政権を直接リコールする権利がない現状では、この消費を控える運動は、わが国に限らず家計消費がGDPの過半を超える先進諸国ではきわめて有効なものだと思います。もちろん、このような運動は、しなくて済むに越したことははありませんが、太古以来、人類の歩みにはわたしたち住民がそういうことを自覚して、せざるを得ないものを引きずってきています。わたしの試みは、十分計量できない実験的なものに終わりましたが、今後誰もが始めることができるよう、いくらかの参考にでもなればと思い、ここに活動の記録を収録しておきます。

 わたしは、この列島の無名の住民として終始したく思い、活動してきましたが、活動の記録の保管先であるわたしのホームページ「言葉の海から」を見られたらわたしの個人名がわかります。「有名人」ではないから別にたいして変わらないかもしれませんが、現代社会の慣習により、個人名を記しておきます。                   
                       2014.12.31
                      (この列島の一住民 西村和俊)


 ※保管先ホームページ
「言葉の海から」( hhttp://www5.plala.or.jp/nishiyan/syouhiwohikaeru.html )
  読者は、現在10名弱だと思いますが、できるだけゆったりと必死でやっています。

 ※ツイッターは、残します。前からやってみたかった「ツイッター詩」(140字制限)をやってみようと考えています。臨時ブログ「回覧板」は、もうしばらく続けてどうするか考えたいと思います。




















おもてな詩、他


 

※「おもてな詩」について

 このブログに立ち寄られた方々に、お茶やコーヒーや菓子などのもてなしは残念ながらできません。ところで、言葉にも頭脳的な記号性とは別に色合いや香りなどの味わいやからだに響いてくるものもあります。そんな言葉の有り様(ありよう)への願いを込めて、拙いわたしの言葉を味わっていただけたらと思い、「おもてな詩」を掲載します。


おもてな詩 ① 今



生命保険みたいに
たまには考えることがあっても
あんまり遠い先のことばかり考えてもしょうがない
けど
今のことは考えてしまう
不幸であっても
幸せであっても
今というふしぎなドアに
誰もが引き寄せられることがある

今 偶然 この世界に住んでいる
何か どこか よくわからないうちに
互いに 分かち合っている
シェアハウスでなくても
今 この立ち上る大気を分かち合い
今 流れ来る風になびき
黙々と立ち働いている
黙々といい感じの流れをからだの芯で願いながら
今日はうまくいったぞと微笑んだり
うまくいかないなとしおれたり
自分の知らないところで
どこかの だれかに
信号を放っている

今……
振り返ると
通り過ぎた気配ばかりが
走り去った車の排煙みたいに薄く漂っている
けど
あんまりきまじめに語られることのない
照れくさいひそかな物語は
誰にでも等しく流れている







おもてな詩 ② 言葉


生み出される言葉には
その人固有のものも加わるけれど
たくさんの手垢が付いている
別に それを振り払おうとは思わない

オリンピックを巡って
お・も・て・な・し
が流行ったことがあった
わたしの耳にはギャグじみて聞こえ
この詩の題名を決めるときにも意識した
別に けなそうとは思わない

こちらのおもてな詩は
割と普段着で たいそうなものでもない
むしろ
口ごもりつつ どうぞ と
そっとお茶など差し出すようで
ありたい

言葉には
誘導したりだましたりも
争ったりののしったりも
あるあるけれど 
言葉も すべて
遠い遠い 果てからの
手垢にまみれたおくりものには違いないのだから







おもてな詩③ 風の言葉

(川野くん、最近見かけないね)
(入院されているそうですよ)
(えっ そおなの)

(……さん、この頃見かけんね…)
(ああ、娘さんが……からお産に帰っとらすけん)
(そりゃあ、……忙しかたいね)

言葉は風に溶けて
流れて来る
感じる肌合いがあれば
誰でも触れることができる
時には
にっこりと ひそかに 微笑むこともある







おもてな詩 ④ 回覧板


回覧板を持って行く
回る順番は決まっており
わたしの家から次の家に回すと
次から次へ 次から次へ
十数世帯の小さな班を巡って行って
また班長の当番になっているわが家に戻ってくる

回覧板を持って行く
ひとことふたこと言葉を添えて渡される
別に大した内容ではない行政からの連絡がほとんどだ
けど
ただ回っているだけで
渡し受け取り 渡し受け取り
なにものか 煙立ち流れている

政治家の場合と違って
好き好んでする者はほとんどいないと思われるが
当番で回ってくるから仕方なく町内会の班長をしている
もう少しで役目が終わるとまた少し静かになるだろう







おもてな詩 ⑤ まぼろしの回覧板


回覧板を配っている
まぼろしの回覧板
このわたしの歩行も
つっぱってはいるけど
このクニの遠い遠い果てからの流れに漬かっている
引っ込み思案も遠慮も気配りも人並みにあるけど
新たなことはここからしかはじまらないから
よいしょと腰を上げる

まぼろしの回覧板を配っている
老いも若きも
ウヨクでもサヨクでも無党派でも
誰でも
この列島の住民の表情を持っている限りは
はいどうぞ 読んでください
と配っている

たとえば
けんかの当事者たちでも 傍観者でも
その場面をすべてと見なすなら
泥仕合で みんながそれぞれ固く閉じてしまい
互いに暗く固い険しい言葉の彫像になってしまう
人それぞれに それぞれの
言葉に尽くせぬ背景や流れやうねり方があり
ほんとは だれでも
良い悪いを超えて 言うに言われぬことがあり
飲み込んだりかわしたり忘れようとしたり
日々黙々と歩いている
歩いている
そんなこころ模様に向けて
はいどうぞ 読んでください
と配っている







おもてな詩⑥ 草刈りに行く


小さい頃は
野山や川で遊んだことがあり
兼業農家で田畑の手伝いをさせられたこともあり
嫌々ながらの手伝いであっても
嫌々が消え去ったような
流れ伝う汗と風の出会いや
やり終えた仕事を振り返るほっと息つく時もあった
場面は大きく変わっても
おそらく今の子どもたちもまた どこかで
柔らかな風に出会っているのだろう

それから遠く農作業とは無縁に歩いてきた
父が遺した田畑を見回る内に (風が何度も流れ下り)
田畑の草刈りをするようになり (風が何度も流れ下り)
草刈りしている内に種をもらったりして (風がいくつかの結び目を成し)
きゅうりかぼちゃさつまいもすいかわさびな
育てるようになってしまった

人間界が嫌だというわけではないが
時折自然界に抜け出ている
言葉は 飛び交わない
静かな
日差しを浴び 風が流れ下り
むしょうに汗を流している
カラスが子どもの頃の声色で
かあかあ飛んでいくこともある
(いいかんじ)
沈黙の内につぶやいている







おもてな詩⑦ 今でも


今では想像を超えるかもしれないけど
小さい頃 この辺りでは
川で洗濯していた
桃太郎の時代ではない
洗濯機が普及する前のことだ
今と違って川はきれいで魚とリにも出かけていた
川に馴染んでくると こことあそこと ああそこそこと
魚が居そうなところがわかってくる
つまづかないように両足で冷たい川水を切って歩く
 
川にいくつかの大きめの石で堰(せき)のようなものが作ってあり
そこで洗濯をしていた
川の流れの音を超えるほどの大きな声で
母や近隣の女たちはなにか語らいながら洗濯している
連れてこられた小さなわたしは
川の脇の砂地に石を積んだり水の流れを引き入れたりして
一時を過ごす
世界は 小さく それなりに自足していた

世界が目まぐるしく変貌してしまっても
小さい頃の風景は
それぞれの世代 ひとり一人に
それぞれの色合いに織り込まれており
いずれにしても戻りようもない風景が
今でも 時折滲(し)み出してくる







おもてな詩 ⑧ 人は黙々歩む


おそらくとってもながいながい
想像をも超えた ながああい間
人には
頭が十分じゃない時代があった
(今と引き比べても仕方がない
また 今と数万年後を引き比べても仕方がない)
小さな子どものように
言葉は右往左往(うろうろ)し
けれど確かな情動は流れていた
日差しを浴びて
植物の太い維管束の流動のように
ずんずん ずんずん ずんずんずん ずずん ずんずん
流れ下り 波を上げ 上り下る

今は頭中心の時代で
次から次に言葉が生み出されている
別に それは自然なこと
アタマが良いって得意になる筋合いではない
クモの巣に落ちるみたいに 概念が絡まり合い 論理の矢が飛び交う
無数の言葉の残骸を掃いてみると
毛細血管みたいなか細い情動の流れた跡が見える

なぜだかわからなくても
人は
歩き続ける
言葉を生産し消費する
この先どのような街角をいくつ曲がっていくのか
わからなくても
日々 黙々と生きる
ああ そおかあ
と身震いするほどの わかる
出会いはなくても
もくもくと生きる足跡は付いていく
果てしなくとおおい昔も 今も
そのことばかりは等しく不変である







おもてな詩 ⑨ 二つのまなざしのあわいから


人は
あれこれ心積もりしたり
これそれ実行したり
している
ひとつひとつの行動の縫い目を流れる
小川は本人でもよく見えない
微かな 流れの音 水の匂い
はする

人には
自分のことでもよくわからないことがあり
十年二十年三十年……と
大きな時間の中から
ぼんやりと浮かび上がってくる灯りがあり
あるいは生涯かけてもわからない暗闇があり
けれど誰でも 日々朝早くから走り出さなくてはならない
断定ばかりが疾走する
ように見えるけど
わからない ということがあり(降り積もる)
なんどもなんども考える ということがあり(降り積もる)
口ごもる ということがあり(降り積もる)
足と心の関係がしっくりいかないな

たとえば
ひとりの男が赤信号の踏み出しの一歩を一瞬ためらった
ひとりの少女が知り合いの少女を殺傷した
法のまなざしは
表面を何度か擦過して
馴染みの引出しの方へゆったりと引き返して行く
ただ ブンガクのまなざしだけは
寄せ来る場面の流動にひとつの心がゆらゆら棚引いている
なんどもなんども
語られることのない物語の方へ
ゆっくりと降りていくばかりである

慌ただしい日々の流れに
誰でも二つのまなざしの間に揺れ
戸惑いに引き裂かれている
そんな一瞬がある






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おもてな詩 ⑩ はぶ茶を飲む


今日の夜は
いい匂い漂う
はぶ茶の風呂から上がり
冷たいはぶ茶をコップに注ぎ
飲んだ
感じ慣れた匂いに味
のどを下っていく
それだけのことなんだけど
妙に感じ入る時がある






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おもてな詩 ⑪ はぶ茶の話


栄養やカロリーは考えたことがない
健康に良いからと何かを摂取したこともほとんどない
おいしければ 食べ 飲む
どういういきさつではぶ茶を育て飲むようになったものか
はぶ茶とハーブ茶と 今では耳には似てても
昔から同類項だったのかどうか
はぶ茶とあの物騒なハブと 検索すると関わりありそうで
昔どういう出会いがあったものか
確かなことは わからない
ものごとは
他人に聞いてもわからないことがあり
自分に聞いてもわからないことがある
わからなくても
いま ここが このように ある

何年か前
(四五年?五六年? もう調べないとわからない)
近くから鳥が運んだものか
畑にはぶ茶が少し生えていた
みどりの双葉に小さな黄色い花が咲き独特の匂いがする
遠い昔に見知っていた
けれど夜になるとなぜか双葉がぴったり閉じるということは知らなかった
(か忘れてしまったか……)
その種を畑にばら蒔(ま)いたら翌年から更にはぶ茶の株が増えた

十月になり何日か晴れた日が続いた後
茶色くなったり黄色く色づいているはぶ茶の細い鞘(さや)を
色づく度に収穫していく
(四五日して畑へ行く
ぽりっと気持ちよく採れることもあれば両手を使うこともある)
家に持ち帰りゴザなどの上で天日干しにする
(風が強い日はゴザがめくれないよう防備をしっかりしなくてはならない)
時にはわが家のねこがすり寄ってくることもある
晴天の日を何日かたどりかわいた鞘をひとつひとつ指で割っていく
(ぱりんと割れる鞘もそうでないのもあり 気分の明度が明滅する)
ひとつの鞘から二十個程度のはぶ茶の小さな実が転がり出る
それらの実を取っていたプラスチック製の寿司桶のようなものに集めて
また何日か晴天の日差しを浴びる
(何度かはぶ茶を収穫するから鞘と実は並んで日を浴びる)

キッチンタイマーをセットして
天日干したはぶ茶を15分ほどフライパンで中火で炒る
しゃもじでかきまぜ かきまぜ なんどもかきまぜ
(ああ 疲れたな あ あちちっ)
途中ぱちぱち跳ね出したら蓋をかぶせる
またかきまぜる

冷えたら茶筒のようなものに移し入れる
(ああ いい香り)

キッチンタイマーをセットして
はぶ茶を片手つかみに三杯ほど水をいっぱい入れた大きいやかんに入れる
15分ほどかけて煮出す
(沸騰注意 終盤に吹きこぼれないようフタを少しずらす)
冷えたら半分ほど飲料として瓶に入れる
残りはその日の風呂に入浴剤として入れる
(湯船に注ぐ やかんの穴がはぶ茶で詰まる
焦りを払って あれこれ工夫してゆっくり注ぐ)






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感動ということ①―例えば、桜の花から


①若い頃、めったにない県外出張(大阪だったか、奈良だったか)のついでに(一部さぼって)吉野の山、西行庵を訪れたことがあります。マイクロバスみたいなのに乗ってでこぼこ道を揺られた記憶があります。桜の季節ではなく夏だったのが、とても残念でした。西行は桜がとってもお気に入りでした。桜の歌も多く詠んでいます。吉野の桜は映像や写真でしか見たことがありません。

岩押して出でたるわれか満開の桜のしたにしばらく眩む
                   (『鳥獣蟲魚』前 登志夫)


 この歌にツイッターの「現代短歌bot」で出会いました。これは作者の体験から流れ出た桜のイメージや感覚だと思われます。山からの仕事帰りでしょうか、その桜の木(々)は作者がよく見かける馴染みのものかもしれません。限られた字数と音数律からなる短歌表現では、詩や散文の描写と比べて省略が大きいですから、逆に読者には場面の具体性を想像する自由度がより多く存在します。そして、中には難解な短歌というものもありますが、一般的にはそんな省略にもかかわらず表現の中枢はちゃんと伝わるようになっています。

③歌意の中心は、「満開の桜のしたにしばらく眩(くら)む」という満開の桜の花への感動ですが、この歌の生命は「岩押して出でたるわれか」にあります。作者は満開の桜の花への感動を荒くれの縄文人のような古い感覚として表現しています。おそらく「あ」とか「う」とか言葉にならぬ感動でしょう。しかし、現代でもわたしたちの何かに対する感動というものは、それと同じような言葉にならないようなものだと思われます。言葉にするとその感動の生命感がこぼれ落ちてしまうような感じで、これはおそらくわたしたちの内臓感覚と密接に関わっているからだと思います。

④「か」という助詞には、満開の桜の花に対する自らの心の有り様をのぞき見る作者のまなざしが込められています。それはあたかも無骨な縄文人のようなとても古い感覚として捉えられています。

⑤わたしの読みでは、この歌は「分厚い岩を押し開いて闇から出てきたのであろうか、わたしは。この光充ち満ちたような満開の桜の花の下で言葉も無く、しばらく目眩(めまい)するよ。」となります。

⑥このように、言葉は、現在の生活感覚や意識を表現するとともに、おそらく遠い遠い時代の古い感覚や意識をも表現することもできます。振り返ってみると、言葉というものは、死語になることもありますが、長い歴史を連綿と変貌しながら残り、使われ続けて来ているということがあります。

⑦ということは、わたしたちすべての者に等しく、この列島の人々(人類)が経験してきた歴史の主流が、なんらかの形で受け渡され保存されているということになります。ちょうど、わたしたちの小さい頃のことがわたしたちの心のどこかに保存されていて、ふと顔を出すことがあるように。そして目に触れる自然に対する感動の質は、遠い遠い昔も現在もあんまり変わっていないように思われます。

⑧『前 登志夫全歌集』、現政権がしつこく退場しませんので、残念ながらまだまだ買えません。(笑い)
 (註.ツイッターのツイートを元に少し加筆訂正)






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おもてな詩 ⑫ 一時(いっとき)


日頃気づくことはほとんどない
またいで通り過ぎている

振り返ると
ちいさな隙間には
いつものように小川が流れていて
水音も かすかな水の匂いも
波打っている

例えば 今日の ここでの この一歩の踏み出しにも
多くのものが流れ匂い立ち上っているということ
しみじみと思い沈み 考え巡らせる
そんな日差しを浴びた一時(いっとき)もある

しずかな一時
急に冷たい風が吹き寄せ
あったかい日差しに生い立つ雑草を
機械でなぎ倒すように踏みしだき続けたなら
とっても窮屈なことになる
歩いていると痛い 靴が 歩きが 気に奇に忌に飢に
なってしまう

今日も 今 ここを 通り過ぎる
一歩に気づかれぬほどのあそびがないと
こころは固くなり身構えてしまっている






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感動ということ②―二首の歌から


 例えば次のような歌があります。

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

バレンタイン君に会えない一日を斎(いつき)の宮のごとく過ごせり
                            (『サラダ記念日』俵万智)


 人間の表現というものは、言葉や絵画や音楽やダンスなどの、その表現形式の違いにもかかわらず、表現というものによって、その微細な機構は未だよくわからないとしても、あるまぼろしの時空を生み出し築き上げていくものだと言えそうです。そして、文学の表現が、誰にでも通じるという一般性の上に、作者の固有な経験からやって来るものが作者によって織り合わされたものと見なせば、表現された言葉には流行などの一般的な時代性とともに作者固有の言葉の選択や彩りが込められています。

 この二首の歌の時空を流れる主流の時間は、現在の普通の若者たちの生活する時間です。一首目の「カンチューハイ二本で言(う)」は、「カンチューハイ」+「二本」という具体的な言葉の選択は作者固有のものですが、流行の飲み物ということで現在という時代性を象徴してもいます。二首目では、「斎の宮」という性から遠ざけられ、神に仕える忌み籠もる女性という古代的な言葉の時間性を選択していますが、ここでは恋人に会えないでつまんない状態で居るという軽い意味で使われています。作者にふと呼び寄せられた知識やイメージが、使ってみたら面白そうだということで選択されたのではないか思います。別の言い方をすれば、作者も従来の短歌の修練を十分に積んできているはずですから、従来の短歌の表現を意識しながら、そこから抜け出た新しさや気楽さと従来性との折衷作と言えるかもしれません。しかし、前登志夫の引用の歌と違って、それらの選択された言葉は歌の主流の時間を揺さぶるものにはなっていません。あくまで歌の主流の時間は、普通の(若い)人々の生活感覚の中を流れる時間になっています。

 一首目は、すべて語られた言葉と見なせるような口語ですが、二首目は、「斎の宮のごとく過ごせり」と後半が文語になっています。いずれにしても、現在という主流の時間の中に、作者によってどこかでしっかりと意識されている5・7・5・7・7の音数律によって、普通の生活する人の感覚をつなぎとめようとしています。

 学校で習う短歌のように、どこか裃(かみしも)を身に着けて表現されたような、いわば「純文学」的な短歌に慣れてきた人々や、あるいは短歌に無縁であった人々にとっても、『サラダ記念日』という作品群は、ああ、そんなにカジュアルでいいんだ、そんな風に歌えるんだという衝撃や感動をもたらしました。

 遠い昔おそらく専門の人々によって担われ始めて芸術と呼ばれ今日に至っていると思われますが、芸術として専門化していく遙か以前は、人々は日々の生活の中で「つらいよ」とか「いいなあ」とか「ほんとにうれしいよ」のような誰にも当てはまる(普遍的な)感動を身体の表情と共に語り出す言葉に表現していたものと想像します。『サラダ記念日』という作品群は、現在を生きる大多数の人々の心から湧き上がる普遍性に触れて表現されています。そういう意味でも、芸術の起源性を保存しています。そしてこの芸術の起源性は、時代を鋭く突き抜けようとする作者たちによって、意識的に繰り返し表現されてきたし、表現されていくものだと思われます。






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おもてな詩 ⑬ ひとつの言葉


現れてくる
ひとつの言葉にも
受け取る
ひとつの言葉にも
十人十色があり
ひとつの意味の回りに
癖のあるにおい匂い立つ

言葉にも
八方美人があり
唯我独尊があり
巧言令色があり
温厚篤実があり
作為行使があり
外柔内剛があり
則天去私があり
自然法爾(じねんほうに)があり
ちょっと見には
フラットな地肌にも
目を凝らせば
ありありと丘陵や起伏や傾斜角が
浮上してくる

普通に操(あやつ)っている
言葉の背後にも
不可思議な人間界のふしぎさが
ありありと漂っている






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ついったあ詩(試作) 二編



 ついったあ詩(試作) おかね


(おかねおかねおかね
おかねさん!おかねさん!)
おかねさん、最近は出突っ張りだね

他人の横取りやオレオレ詐欺でなければ
おかねさん 別にかまやしないけど
靴を千足持ってたって
一億円の靴を持ってたって
別にかまやしないけど

あ フケが付い





 ついったあ詩(試作) あー


あー
聞こえますか
あー あー
聞こえますか
あー あー あー あーあ
本日は晴天なり
(どんより曇ったり 雨だけど)

(さ む い)











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