表現集 3 (2023.1~)






 目  次


        批評    日付
最近のツイートや覚書など2022年12月 ② 2023年01月25日
覚書2023.1.28 ― 人の自然さの獲得のドラマ 2023年01月28日
最近のツイートや覚書など2023年1月 ① 2023年02月21日
最近のツイートや覚書など2023年1月 ② 2023年02月28日
最近のツイートや覚書など2023年2月 ① 2023年03月22日
最近のツイートや覚書など2023年2月 ② 2023年03月30日
最近のツイートや覚書など2023年3月 ① 2023年04月15日
最近のツイートや覚書など2023年3月 ② 2023年04月24日
最近のツイートや覚書など2023年4月 ① 2023年05月19日
10 最近のツイートや覚書など2023年4月 ② 2023年05月30日
11 最近のツイートや覚書など2023年5月 ① 2023年06月20日
12 最近のツイートや覚書など2023年5月 ② 2023年07月27日
13 最近のツイートや覚書など2023年6月 ① 2023年08月14日
14 最近のツイートや覚書など2023年6月 ② 2023年08月21日
15 最近のツイートや覚書など2023年7月 2023年08月31日
16 最近のツイートや覚書など2023年8月 2023年09月22日
17 最近のツイートや覚書など2023年9月 ① 2023年10月02日
18 最近のツイートや覚書など2023年9月 ② 2023年10月21日
19 最近のツイートや覚書など2023年10月 2023年11月12日
20 最近のツイートや覚書など2023年11月 ① 2023年12月10日
21 最近のツイートや覚書など2023年11月 ② 2023年12月22日
22 最近のツイートや覚書など2023年12月 ① 2024年01月06日
23 最近のツイートや覚書など2023年12月 ② 2024年01月12日
24 最近のツイートや覚書など2024年1月 ① 2024年01月22日
25 最近のツイートや覚書など2024年1月 ② 2024年02月26日
26 最近のツイートや覚書など2024年2月 ① 2024年03月07日
27 最近のツイートや覚書など2024年2月 ② 2024年03月23日
28 最近のツイートや覚書など2024年3月 2024年04月11日




批評





 最近のツイートや覚書など2022年12月 ②


2022/12/19
近代短歌bot@kindaitanka
ニコライ堂この夜(よ)揺りかへり鳴る鐘の大きあり小さきあり小さきあり大きあり  北原白秋『黒檜』


ニコライ堂の名前と概観くらいは知っていた。ニコライ堂の歴史の動画(9分)と鐘の音の動画を見た。鐘は関東大震災で壊れ、昭和4年に再建。鐘楼の内部の写真は見つからなかった。鐘の音の動画によると大小の音が混じっていたから、大小の鐘がいくつか配置されていたのだろう。

現在は、「あの鐘が鳴るのは、礼拝の行われる毎週日曜日の午前10時から10分程だそうです」とある。ここでは聖夜などかわからないが夜になっている。白秋が鐘楼の内部を見たことがあるかどうかはこの歌からは微妙だ。他に、「ニコライの鐘」(藤山一郎 昭和27年)という歌もある。



2022/12/23
RT
坂口恭平@zhtsss
今日のパステル画。
12月の玄関から見た金峰山。(画像は略)


できてしまった絵を見る者は、まず大まかに全体的な印象を感じ取るように思う。そして、いいなと思ったりする。一方、作者は、たぶん自らの心の層を通過させた形(点、線、面)や色を具体的に駆使して、行きつ戻りつしながら風景(対象)をある心的な風景として織り上げるのだろう。だから、

当然風景画でも写真と違って強弱や省略やデフォルメなどがあり得る。そして、作者もまた、できあがった作品が自分の心的な目にしっくりフィットとした時、いいなと思うのだろう。なぜこんな面倒なことを言うかといえば、言葉も絵もその表現の全過程や鑑賞にはまだまだ謎があると感じているからである。



例えば、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は観ていないけど(数分は見たかもしれない)、それを観てきたAさんがそこで出会った問題(感じたり考えたりしたこと)は、それを観ていない私にも別の場面でも必ずどこかで現れるように思う。なぜなら、この人間社会という宇宙の中の小宇宙群は互いに同質であるから。

少なくとも、言葉や文化や風習が割と共通した地域(国家)レベルでは特にそう言えそうに思われる。



2022/12/25
私は使わないけど、流行(はやり)の「分断」や「サブスク」などの言葉はどこに始まりどこまで流布・浸透しているのかな。書き言葉としての「日本語」自体が存在せず、漢字を借用して苦労して生み出した漢字かな交じり文。その始まりの場の様相の遺伝か、私には口にするとき一瞬のためらいがある。



2022/12/26
渡辺京二が亡くなった。その著書の中でも『なぜいま人類史か』、『逝きし世の面影』、『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』は、印象深い。この複合的な(縄文系・弥生系など)われら列島人の正と負の精神の遺伝子を抽出する上で、彼の業績は役立つことと思う。『バテレンの世紀』はまだ積ん読中。



2022/12/28
『腕におぼえあり』は、NHKの「金曜時代劇」で観たことがある。主人公は青江又八郎(村上弘明)、江戸に出て来た又八郎の用心棒稼業の仲間として細谷源太夫(渡辺徹)。この細谷源太夫役の渡辺徹はとってもいい印象だったのを覚えている。私たち普通の生活者と違って、作者も役者も亡くなっても言葉や映像の作品の中に長く残る。



2022/12/30
農事メモ2022.12.30
・12月2日に蒔いたソラマメの芽がやっと出ていた。寒さのせいで遅かったのかな。例年のように10月下旬頃までに蒔けばもう少し早く芽が出ていたような気がする。因みに、過去の農事メモによると、2019年では、10/31に蒔いたら11/14に芽が出ていた。



2022/12/31
石川啄木BOT@VNAROD_SERIES
いささかの銭(ぜに)借りてゆきし
わが友の
後姿の肩の雪かな

はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る
(いずれも歌集『一握の砂』)


歌の構成としていずれも、下の句の「後姿の肩の雪かな」や「ぢつと手を見る」に歌の中心がある。情景や動作に言葉では説明(指示表出)し難い気持ち(自己表出)が込められている。



全10数話のアニメ『チェンソーマン』を先日見終わった。wikiに「「チェンソーの悪魔」に変身する力を手に入れた少年・デンジの活躍を描くアクション漫画。」とあるが、この映像作品の物語世界の異様さ退けてそのモチーフを言葉に収束させるとすれば、主人公の語る言葉の出所にあるだろうと思う。

夢や希望や切り開く明るい未来などが想像するのさえ不可能で無効に感じられる現在の社会を生きる若者たちの感性や意識を示している。現在がもたらすある程度の物質的、精神的な富(豊かさ)を享受して別に大きな不満も批評性も持たない、消極的・受け身的な若者たちの感性や意識の物語だと受け取った。

一方、wikiによると「「自動手記人形」と呼ばれる代筆屋の少女を中心に繰り広げられる群像劇」のアニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、まだ今回の劇場版のは見始めたばかりだが、前回のを見た印象で、この作品のモチーフを言葉に収束させるとすれば、

現実に大きな不満も批評性も持たない、消極的・受け身的な若者たちの感性や意識の内にある沈黙の世界で、互いに柔らかく交歓するような物語に感じられる。









 覚書2023.1.28 ― 人の自然さの獲得のドラマ


 信じるということがある。あるいは、信じるとまでいわなくても、それに連なる新たに物事や他者に慣れ親しむということがある。その内側では、初めは少しはとまどいや疑念が湧くことがあっても次第に対象を受け入れ、それが自然なものとなっていく。この過程には、異和や親和をともないつつある受容に到るドラマがある。そうして、無意識的な自然さ、すなわち「ふつうのこと」として感受されていく。

 この慣れ親しむということは、自己とのあるつながりの存在を受け入れる、あるいは信じると言いかえてもよい。この信じることの起源は、吉本さんの『母型論』によれば胎内生活での母子関係(根源的な関係)にある。それを言葉の問題から眺めれば、「内コミュニケーション」ということ、言葉以前の言葉のようなものの漂う時空での母と子の互いの表出や受けとめや察知の世界である。そうして、ここで身に付けた信や察知などの力や道筋は言葉を獲得した後々まで身についている、ひとりひとりの信や了解の基底になっていると思われる。そういうひとりひとりが、あんまりいいことと感じられない場合には、例えば正社員時代から派遣社員の増大した社会に変貌していく渦中を今までの自然さを改定させられながら、ある澱のようなものを抱えながら生き延び自然さを獲得してきているのだろう。こういう今までの自然さから改定された新たな自然さへの変位は、誰もが個人的にあるいは社会的に経験してきていることである。そうして、その自然さは異和も親和も内包している。

 大きな波風の立たない良い育ち方をした者は信じやすいということがありそうだ。しかし、どんな育ち方をしても寄せて来る現実との関わり合いでは紆余曲折があり、人について一概には言うことができない。また、宗教に限らず、現在の社会内の諸規範に関しても、信じるという信仰の内側から見たら宝石の言葉に見えることが、信仰の外側から見たらイワシの頭にしか見えないということもある。両者は、向かい合えば対立的な様相を呈することになる。信を巡るこういう局面は、依然として現在的なものである。

 ここで、両者の真を判定するものはあるか。あるとすればそれは、大多数の普通の人々の経験 ― それは良し悪しを含めて長い歴史のなかで引き継がれ醸成された力である ― からくる普通の言葉の内包する感受や喜びや苦難に対して開かれているかどうかということである。現在のグローバリズムの考え方などからくる社会内の諸規範や知識や宗教などの別世界で身に付けた経験を携えて上から人々を啓蒙したり引き上げようとするのではなく、普通の人々の言葉に着地しようとしているか、あるいは普通の人々のあり方を丸ごと掬(すく)い取ろうとしているかどうかにあると思える。

 そして、そのようなあり方の会社などの組織や宗教組織はめったにない気がする。家族葬に象徴されるように親族や家族の関係も希薄になっている現在の社会で、血縁を超えた人々がお互いに気楽に話ができる穏やかな関係の場を目指す(提供する)のが中心の宗教組織なら申し分ない気がする。そこでは、組織拡大と大ざっぱすぎるイメージの社会革命を目指すための「献金」は不要である。しかし、現実には、献金を重視し、外に対して、社会に対して、威力を発揮しようとするカッコ付けの宗教がほとんどであり、その言説は、人々の現世での受難や内発性にまともに向かうことはなく、現在のコマーシャル全盛時代のコマーシャル言葉と同質のものと見える。

 ところで、わたしたちは、頭の隅ではこれは作りものだという意識があっても、物語やドラマの世界にのめり込んでいく。このことは、作者や役者が、ひとつの作りものの世界に入り込み、そこでの描写や振る舞いを迫真のものとしていくことと対応しているだろう。醒めた端(はた)から見たら作りものの世界ではある。

 例えば、海外ドラマには長く続いているものがある。『ER 緊急救命室』はシーズン15まであったから、15年も観続けたことになる。『ブラックリスト』は目下シーズン9まで放送されているから、9年間観続けてきたことになる。こんなに長く作りものの世界に付き合っていると、登場人物たちの性格にも通じてくるし、そんな人々にもその世界にも慣れ親しんでくる。つまり、物語世界や登場人物たちが自然なものになってくる。

 これを一般化すると、わたしたちは、読者や観客として、〈幻想〉の舞台に上り、その世界の存在を信じて自然なものと感じ行動するようになるということ。このことは宗教(信仰)でも物語やドラマでもあるいは生活世界の仕事でも共通する人間的な特質のように思われる。それはまた、現在的なものであるだけではなく、起源や根深い歴史性を持ったものであるように見える。その自然さの獲得までにはひとりひとり様々なドラマがあり、異和も親和も微かにくすぶり続けてその自然さに内在し続けている― その異和や親和はいわば批評的な芽として存在している ―。そうしてまた、その自然さも絶えず更新されていくのである。








 最近のツイートや覚書など2023年1月 ①


2023/01/02
農事メモ2023.1.2
・畑の見回り。全体を見回るつもりが1ヶ所で終わってしまった。
・咲き終わった木立ダリアの茎を切り出した。それは、少し乾かして新しい株の芽が出るように土の中に埋(い)ける。
・帰りしな、空を見上げると編隊を組んだ渡り鳥(?)が何隊も東の方に飛んでいた。数年前にも見たことがある。



2023/01/04
現代短歌bot@gendai_tanka
転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー  東直子『春原さんのリコーダー』


〈私〉が出した郵便物などが「転居先不明の判」を押されて戻ってきたのを見つめていると、近所に住む春原さんの吹くリコーダーの音が聞こえてきた。上の句と下の句は何の関係もなさそうに見えるが、わたしたちの日常はそんな偶然に満ちている。作者は、そんな偶然をある必然として作品に導き入れたか。



2023/01/08
昨日、「NHKスペシャル選 超・進化論(1)植物からのメッセージ~地球を彩る驚異の世界」を観た。例えばインディアンの精神世界を描いた『リトル・トリー』では、人は木々と話をすることができし、そのきもちを理解できる。これは科学を介したそんな世界の現在版であろう。
https://www.nhk.or.jp/campaign/mirai17/shinkaron_02.html



2023/01/12
近代短歌bot@kindaitanka
裸にてわれは持ちたり紅(くれない)の林檎(りんご)もちたり朝風呂のなかに 岡本かの子『浴身』


あの小説家でもある岡本かの子の歌のようだ。結婚適齢期への昔の周囲の視線や言葉と同じく、現在と違ってこの歌の当時は朝風呂なんてという普通の生活者からの視線は強かっただろう。しかし、そんな大きなバリアーを超えて、生命主義的な作者の心や言葉のあり所が真っ直ぐに出ている歌。



2023/01/16
最近刊行された晶文社『吉本隆明全集』第30巻(『心的現象論』)をめぐるリコールと再刊行を求める文章や署名の要請文に出会った。ほとんどの人には無縁のことかもしれない。わたしがその思想と表現の良質さに敬意を持っている、またいろんな本の編集の経験もある松岡祥男さんの文章が出た。

「New ある返信 ―山本哲士たちの愚劇 松岡祥男」
http://www.fitweb.or.jp/~taka/Nyadex.html



少し前にネット上の知り合いに私の考えを求められた時、「全集の刊行時の慣行などよく知らないから、なんとも言えないけど、本文の中身を「改竄」したわけでもなく、そんなに怒ることなのかなと思っています。ただ、山本哲士らはものすごく力を入れて、編集して、やっと刊行したのだという強い自負のようなものは伝わって来ます。」というような趣旨を述べた覚えがある。

晶文社『吉本隆明全集』第30巻(『心的現象論』)について
#吉本隆明 #吉本隆明全集



2023/01/17
石川啄木BOT@VNAROD_SERIES
いらだてる心よ汝はかなしかり
いざいざ
すこし?呻(あくび)などせむ


「?(「口+去)呻」をあくびとは知らなかった。今は、「欠伸」の方が一般的のよう。歌は、張り詰めた気持ちを解きほぐしなさいよ、ということか。歌集『一握の砂』に次のような歌もあった。

路傍(みちばた)に犬ながながと※(「口+去」)呻しぬ
われも真似しぬ
うらやましさに




2023/01/19
うちのネコたちは、二人分それぞれの皿に削り節を加えてもひとりの時は、隣のも食べることがある。ネコには「人間的な配慮」はないのかな。ところで、人間はいつ頃から自分以外の他人を思いやり、さらに生活する集落全体のこと、そこからいっそう抽象化された国家のことを思い始めたのだろうか。

こんな人間的な「配慮」に近いのは、動物たちでは群れを形成したり、その群れの中での感じ考え行動するという配慮だろうか。現代人は、自分の生活の具体性や人間関係とは遠い、しかも自分の関知し得ない国家の軍備や防衛、さらには遠い他国のことなどを自然なものとして語れるのか、ふしぎだ。

という視線と思いの「自己本位」(夏目漱石)がわたしの場所。



象たちが亡くなった象から立ち去り難く佇んだりしているのをテレビで見たことがありますが、私たちと同様に仲間の死を悼んでいるような感じでした。デカルトの時代と違って、自己客体化はわかりませんが今では動物にも遊びの喜びや感情みたいなものがあるということは私たちは気づいていると思います。

どうしても現在の私たちのものの感じ方や考え方を基準にして人間の過去を見がちなように、人間の「心」を基準にして動物や植物の『心』を見がちですが、人間も動植物もそれぞれの心のようなものを比較しながらも包み込むもっと異次元のふろしきが必要じゃないかなという気がします。



「ちょっとお昼食べに行ってきますね」という言葉に出会って、ちょっと考えてしまった。もちろん、お昼(ごはんを)食べに行くの省略だと思う。しかし、朝食べに行くとか夜食べに行くとかは言わない。これは思うに、会社勤めの昼ご飯を社員食堂や外に食べに行く経験がくり返されて生まれた語法ではないかな。



2023/01/20
今頃政府・行政が「少子化問題」に力入れる素振りを「言葉だけで」示しているが、事の原因の過半は人々の経済的問題、すなわち派遣社員制度を考案し拡張してきた経済団体や政府に責任がある。また、過重な教育にかかるお金の問題、行政の無策にある。その他子育て環境への支援の無さがある。

なにが防衛費何十兆円か、国内が焼け野が原になろうとしているのにバカじゃないか。自分らの特殊利害を人々の一般利害としてすり替えても、こうして「少子化」として人々の無意識的な防衛反応として現れる。本当に一般利害のための政治を行っているかは、時間がかかるがこうして必ず現象する。

ほんとにくだらない政治は蹴ったくらないといけないと思う。まずは、政権支持率でNoを突き付けるだけでいいのに。「少子化問題」は、わたしは良いとも悪いとも思わないが、現在の若い男女の「自由」を求める意識も関与していると思う。また、両者のズレもある、女性が働くようになって女性の見聞きする結婚生活の圧迫感も結婚へのためらいとして大きいように思う。そして、男女に関わりなく、家族よりもまず自分(個)を重視する傾向の現れでもあるか。









 最近のツイートや覚書など2023年1月 ②


2023/01/21
覚書2023.1.21
口や文字を通して言葉で表現しているのに、解説や批評(理解)が要るということは、自他ともにこの世界の渦中に存在する心というものを捉えるのが難しいということ、さらにその心から言葉への通路の把握が難しいということに起因しているのだろう。

この人と人や人とシステムや規範が関わり合う世界内存在の心は、素直でもあればひねくれもする作為を巡らせもする。さらに本人自身の無意識的なものもある。そうした錯綜から言葉の通路を通って言葉が放たれてくる。言葉は何かを指示しつつ同時に思いが込められている。解説や批評(理解)が呼ばれる所以である。



2023/01/22
副島隆彦「私はプーチンがウクライナで開戦し、感動した」…佐藤優と語る「ロシア側の見方」(ビジネス社 2022.11.14)より抜粋。ネットより。

副島:それはそうでしょうね。プロの商売人や経営者の世界でもそうです。同業者同士での騙し合いに負けたほうが悪いとなります。ただし私は、プーチンが欧米のディープステイトとはっきりと対決してウクライナで開戦してくれたから感動しました。この一点で、プーチンをすべて許すということです。大戦略、世界戦略論としては、これでいい。

 ディープステイトとは、西側を500年前から支配してきた、頂点に隠れている人々のことです。はっきり書くと、ヨーロッパの王族や大貴族たちです。彼らは政治の表面には出てこない。特殊な人々だ。ヨーロッパ近代500年のあいだ、彼らが世界を支配してきた。現状は、それに対する戦いだと私は決めつけます。

佐藤:大きいところは、ディープステイトとの戦いに、ロシア全体が踏み切ったということですよ。さらにプーチンは、アメリカのネオコン勢力の影響をロシアとウクライナから一掃しようとしています。


佐藤優、副島隆彦、バッカじゃない!なにがディープステイトだ。先の大戦中の国家や戦争にイカレてしまったわが国の全知識層の所業と同じ。この戦争のせいで、双方の国の人々が逃げ惑ったり、殺されたりしているのに、国家間関係でしか世界を語れず、楽しそうに戦争を眺めているとは。



2023/01/23
「NHKラジオ第1「マイあさ!」で21日、つボイノリオの1975年の楽曲「金太の大冒険」がオンエアされ」たとのこと。この歌初めて知った。歌詞を見に行ったが、「きんたまけるな」というのにはTLで以前出会ったことがある。この列島の大昔からの大らかな性意識に連なるものの発現か。



2023/01/24
白川静bot@sizukashirakawa
この講話(文字講話)をやろうと提案したときには、私は八十八歳でした。主催の文字文化研究所の理事たちがみんな笑ってね、「大丈夫ですか」と(笑)。私は「これは神様に約束をするんで、あなたたちに約束するんではない。神様に約束すれば、神様はわかっていただける」と答えました。


定期的なその講話を編集した、平凡社の白川静『文字講話』ⅠからⅣは読んでいる。『続 文字講話』もある。すごい胆力だったと思う。



2023/01/25
坂口恭平note『生きのびるための事務』全12講を少しずつ読んで読み終えた。前回読んだ『お金の学校』もそうだったけど、事務やお金の話なんだけど、世間的な一般イメージの事務やお金ではない。人の存立(全存在)に関わる「事務」や「お金」というものが実感的にわかりやすく語られている。



2023/01/29
六草いちか著
『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』、『それからのエリス』


森鴎外の作品『舞姫』に直接関わることではないが、作品の背景にある森鴎外の体験のひとつである。それを実証的にとことん追求している人がいるようだ。感心するが、その追求の熱情やモチーフは何だろうか。

青空文庫の森鴎外の作品を見ていたら、リルケの翻訳として「家常茶飯」という文章があった。家常茶飯とは、「家庭における日常の食事。転じて、あたりまえのこと。ありふれたこと。」とある。なぜその言葉に目が留まったかというと、岡井隆に歌集『家常茶飯』があったからだ。その言葉は初めて出会った。



2023/01/30
岡井隆bot@OkaiTakashi_bot
一所懸命雪にならうとしつつある雨といふ感じ 気に入つてるんだ/岡井隆『ヴォツェック/海と陸』


誰にもお気に入りの音やリズムや光景がありそうだ。単なる自然物の現象が、人間的な世界に引き寄せられている。あるいはその逆か。思えば、慈愛と猛威を併せ持つ自然(神)との対話(懇願や誓約や褒め讃え)から宗教や歌や踊りや詩や物語は始まってきたのだから。人の視線には自然は物を超えている。

今では遙かな自然(神)との対話は朽ち果てた遺跡のようになり、それらの神話は近代以降冷たい自然科学に取って代わられている現在、しかし、歌ではもはや神話は構成しないが今なおこんなにもfriendlyに感受される自然。



2023/01/31
ナショナルジオグラフィック
「最初期の銀河」が予想以上に多く見つかる、従来説を見直しか
ジェームズ・ウェップ宇宙望遠鏡が明らかにする初期宇宙、新たに浮上した謎


私たちは、時間的にはあんまり地域の違いを意識することなく同時性という世界に生きている。だから、「望遠鏡はタイムマシンのようなものだ。遠方の宇宙を見ることは、時間を大きくさかのぼることでもある。望遠鏡がとらえる光は、何百万年も何十億年も前の天体の輝きだ。」には、距離(空間)と時間とが渾然としていていつも目まいする。

同時性という世界といっても、A地点の現在αとB地点の現在βは、均質化された社会ゆえにたぶんα=βの似たような現在だろうなと想像しつつも、隔てられているから、徒歩や車等の交通機関を利用してある時間後に到達し、A地点にいた私はB地点の現在β'に出会う。それであんまり不都合や変に思ったりはしない。

現在では、科学技術や機器の発達のおかげで、例えばスマホの「ビデオ通話」などを介してA地点の現在αとB地点の現在βはα=βであるという同時性の仮象を互いに経験できるようになっている。









 最近のツイートや覚書など2023年2月 ①


2023/02/03
夕方のテレビで、「東京リベンジャーズ2」とかいうドラマの宣伝が流れた。わかりやすくいえば、「東京で復讐する者たち」ということだろうか。吉本さんも『言語にとって美とはなにか』で似た言葉でも違いがあることに触れていたと記憶する。誰でも気づくことだが、両者はおんなじ意味でもなんか違う。

ふたつの映画の題名とすると、「東京で復讐する者たち」より「東京リベンジャーズ2」の方に大多数が流れそうだ。また、うまく例示できないがクッキーなどのお菓子の名前よりスイーツの方が、なぜか心引かれる(自己表出度が高い)ように思える。



2023/02/05
アルチュール・ランボー@ArthurRimbaudJP
ぼくは夏が嫌いだし、ちょっとでも夏が顔を見せると、死ぬような思いをするのだ。 ――エルネスト・ドラエー宛書簡、一八七二年六月、平井啓之・中地義和訳 アルチュール・ランボー

あらあ、ランボーは夏が好きなイメージに思えるがそうじゃなかったんだ。こちらの夏とは少し違うにしても、暑さが身体や心に負荷をかけてくるのががまんならなかったのかな。わが国では、昭和前半の詩人の伊東静雄が夏が大好きだったという。ちなみに、わたしは夏は汗が出るからあんまり好きじゃない。



2023/02/06
農事メモ2023.1.5
・昨年は、2月4日に初めて蕗のとうを20個ほど収穫したので、出かけてみたら、5個ばかり見つけた。今年の寒さのせいかな、もう少ししてから収穫しようと思う。フキノトウを収穫し始めて3年目になる。それまでは、畑の隅に生えているの何だろうと見過ごしていた。



覚書2023.2.6
人間は、遙か彼方から集団を組んできた。動物生の段階ではどういう集団の組み方をしていたのかはわからないが、言葉を獲得して人間となった以後の集団の組み方に後を引いているような気がする。

大いなる自然の猛威からの人間界の防波堤のように、またさらに大いなる自然の猛威と慈愛に似せて人間界に君臨するように国家を生み出し、王制などを敷いてきた。一方、集落内では相互扶助などが現在と同じようにあるいはそれ以上に強く行われていたのかもしれない。

現代は主要に民主主議や民主制になり理屈の上では、国家や政治は大多数の生活者に開かれてはいる。しかし、現実には、政治や行政に携わる者たちは受け継いだ集団の負の遺伝子(村政治)によっていくつも閉鎖された強固な壁を今なお残し維持している。だから、彼らは口先と行動が分裂して現れざるを得ない。

集団や政党の内やそれを積極的に支援する者たちから見れば、おそらくその集団や政党に大きな価値を置いているだろう。だから、無党派の者たちはついて来れない下位の者に見える。民主主義の趣旨からすれば、代理として「上に立つ」者たちは、ほんとうは自分らが下にいることを肌感覚で自覚すべきなのだ

と思う。そういう肌感覚の民主的な、平等の感覚が無いからそうなれないのである。
現在の最良の政治感覚として見れば、誰にも遠慮も忖度も無理な擁護もすることのない「無党派」こそが最上の位置に置かれるべきだと思う。無党派層とは「政党支持を持たない有権者層」のことで、現在は30%から45%存在

するという。だいたい、私たち生活者にとって、意見対立が存在するのは当然としても、党派としてイデオロギー対立することはありえない、無意味である。現在はそういう時代に近づいている。イデオロギーの残骸や宗教組織とのつながりはあっても、どの党派の政策も似通ってくる。

もう党派は解体してもよろしい、とわたしは思うのである。



2023/02/08
能力開発や「リスキニング」とかいう言葉を本気で信仰している人には、わたしはなんか付き合えない、避けて通るような気がする。会社であれいろんな人がいるだろう、極悪人超善人の存在と同様にいつもやる気100%人、怠け通しの人はめったにいなくて、ほとんどがその中間帯にいるように思う。

スポーツでも仕事でも、個人の自由さやいい加減さを許容し受け入れないような指導や労働環境は、経営層、労働層の両者に渡って、本音と建て前や二枚舌を生み出さざるを得ない。また、ほんとの人間力も引き出せないと思う。今も引きずっているが戦中の日本や北朝鮮や中国のアジア的負の発想。



2023/02/09
大人になってからは、わたしはワクチンはほとんど打ったことがない。よそ事に見ていた。しかし、コロナ前に子宮頸がん予防のためのHPVワクチンの副作用(副反応)を訴える人々とそんなことはないとワクチン無謬を唱える医療関係者の発言にネットで出会ってなんかこのワクチン変だねと思った。

そしてこのコロナワクチンもなんか変だねと思ってきた。どちらかと言えば、わたしは科学(医療)技術の恩恵を素直に歓迎する方だが、今回は新たな形のワクチンでもあり、しかも緊急使用的な形でもあり、江戸末期の天然痘対策の種痘推進と種痘を打てば牛になるという俗信との対立とは違っているようなのだ。

わたしの場合、今回のワクチンはアブナイ感じでなんか変だから家族がワクチンを打ってから最後に打ちに行こうと思っていた。その前に、かかり付け医にこの医院で打てますかと相談したこともある。医院でも打っているらしいがあんまり薦める感じでもなかった。ということで、結局打たずじまいで今に到っている。



2023/02/10
「あいみょん」、「みちょぱ」、「ゆきぽよ」などの芸名や愛称が、言葉の問題として時々気になる。学生時代に名前を愛称で呼び合うような、そんなネーミングのようだ。また、「きゃりーぱみゅぱみゅ」というのもある。いずれも、例えばゆるふわ系やカワイイ系に属することのやわらかな宣明かもしれない。



RT
毎日新聞@mainichi
西部邁さん死去から5年 闘争、いまも引き継がれ

会経済学者で保守の論客、西部邁(すすむ)さんが東京都大田区の多摩川に入水して78歳で亡くなり、1月21日で丸5年がたった。私は、死の10日前まで約11年間、断続的に取材したり、寄稿を担当したりした。そんな私が、5年ぶりに会いたいと思ったのは、西部さんの友人で評論家の長崎浩さん(85)。一緒に、西部さんの原点と残したものを考えたくなったのだ。
 長崎さんは、私が高校時代に初めて読んだ西部さんの著書「六〇年安保センチメンタル・ジャーニー」(1986年)の主要登場人物の一人である。


西部邁は1冊くらいしか読んでいないが、西部邁には自身を含めた大衆像がないという吉本さんの評言を思い出す。消費資本主義の時代になって、知識層や思想に限らず経済社会でも、自身を含めて普通の人が何を求めどう感じ考えているかという大衆像の繰り込みは必須のものとなっている。

社会運動の組織化にはわたしは縁がないが、西部邁が生きた時代につなげて言えば、マスコミなどの世論調査で徹底して支持しないとか選択的消費を絞りに絞って抑えるとか、そういうひとりひとりの行動、そしてその組織化は、一見easygoingに見えるが、現在的な社会・政治批判(の行動)であり得るように感じる。



だんだん「任意」だったというマイナが、横着になってきている。今年の確定申告では、添付書類台紙には、マイナ持たない人(わたしも)には、「Ⅰ番号確認書類」+「Ⅱ身元確認書類」が必要と書いてある。なんで今までより面倒になるのか?イミわからん。嫌がらせだろうか。スルーした。

以前、住民票には勝手にマイナの番号が書いてあるのがあると知って驚いたことがあるが、背後で便利に処理されていて行政とわたしたち住民が(便利になったなあ)となるなら良いとしよう。しかし、毎回毎回今まで以上の面倒さをわたしたちに要求しないでもらいたいものだ。

官僚は細分化に自分の能力の本領発揮と生きがいを感じているようだ。しかし、この止めどもない細分化社会で細分化だけを推し進めたら、担当する人々は疲労困憊、鬱状態を加速する。この細分化という病は、学校の先生の仕事や入試内容に限らず全社会的なものだが、必要なのは無意味な細分化を削ること



2023/02/12
古井由吉といえば、昔いくらか読んだ感覚からはもやもやの作家というイメージを持っている。私たちは自然や他者や共同性(国家など含む)と割と無意識的に接続や交換をなして日々生きているが、そしてその機構はまだ十分に解明されていないが、古井由吉はその深奥の舞台に立ち続けていたと思う。



民主党が政権を取った時期だったか、吉本さんが、民主党の打ち出す方針よりも、自民党(的なもの)をできるだけ削れれば良いなと思うと語っていた。その時はよくわからなかったが、現在の与党や野党の体たらくを見れば、旧来的なもの(の腐食)を削りながら試行錯誤の未知を発掘するしかない、ということだったのだろうか。









 最近のツイートや覚書など2023年2月 ②


2023/02/13
RT
非正規公務員に頼る自治体の「やりがい搾取」 毎日新聞
上林陽治・立教大特任教授


人件費を削減したいという予想はつくが、うーん、今ひとつ行政の意図がはっきり見えてこない。それに、学校の先生が、多範囲、多忙の仕事を強いられているが、それも「無駄な仕事」として大いに削ることができると思う。そのように、行政でも簡素化などで大いに仕事を削ることができるのではないか。

情報化社会といい、銀行の振込や車の保険も、今までの紙への記入から電子端末などでの応答・入力になっている。(しかし、こちらとしては時間や手間が省けるようには感じられなかった) 電子化やネットワーク化は、必然だろうが、今までの形式・内容の簡略化ではなく、余計な仕事の負荷になってないか。

おそらく情報化社会の必然から押し出されてきた「マイナンバーカード」にしても、最初の登場は私たちに何の利便性も感じさせなかった。かえって、毎回余計な手続が必要みたいであった。だから、住基ネットと同じく行政の都合(が下心)なんだろうなと思っていた。今頃になって利便性の「宣伝」をしている。



2023/02/15
RT
【作品コラボ】
ため息を白い蕾に変えていく世界で歌は水仙になる
グラフィックデザイナーのムラヤマアヤノ(@ayano9025)さんとの作字×短歌コラボ
なんてかわいいの...どこかレトロで全ての色がマッチしてて...一見バラバラのようでも統一感と透明感あってどタイプです
#tanka #短歌 #作字 #タイポ

(引用者註.上の短歌を独特の書体で描いたモの)

幕末近く国後島で松前藩の役人に捕らえられた軍艦ディアナ号艦長、ゴローニンの『日本幽囚記』によれば、抑留中の見張りの役人たちは、眠りを妨げられるほどの割と大きな声に出して読書していたという。歌を声に出していた中古の歌合の時代に通じるものだろう。それはまた、無文字時代の名残もあるかもしれない。

ところで、書き言葉中心の時代になってしまった文学、詩は、手書きの時代を抜け出して、電子の時代になった現代では特に、書き記した文字の形や表情などの肌感覚の表現の具体性は削り取られ、具体的感覚的な表現でも抽象的なフィルターを通して表現するほかないようになってしまった。

昔、毎年のようによくやられていた「詩のボクシング」が、声や身ぶりを交えた詩の表現とすれば、これは、書き記した文字の形や表情などを通して肌感覚の表現の具体性を回復(付加)したいという試みのひとつか。いずれも、太古の詩の時代から遠くやって来た詩の現在からの、新たな詩の模索と言えそう。



2023/02/17
RT
Body transfer illusion
The illusion of owning a part/or entire body other than one's own
sight, touch and proprioception (a sense of body position) all combine to convince this person
that a rubber hand is their body part
身体転移錯覚
自分以外の体の一部または全体を所有しているという錯覚
視覚、触覚、固有受容感覚 (体の位置の感覚) のすべてが組み合わさって、ゴム製の手が自分の体の一部であるとこの人に納得させます


わたしたちは普通は自分の手や足や顔などをほとんど意識しない。心や脳を介して反省の意識が起こった時は、意識的になったりする。切断された手の存在を感じる「幻肢」ということがある。これはその幻肢を生み出すような実験か。催眠術の構成もこれと関係あるだろうか。



2023/02/20
「刈り働き」を調べたら、「刈り働きとは敵の領地に兵を送り込み、収穫間近の稲や麦を刈り取り、持ち帰ってしまうこと」。知らなかった。ただ、後に織田信長のことを記した『信長公記』を昔読んだ記憶からすれば、敵の領地を攻めるとき、田畑のものを刈り払うような記述は何度かあった。



2023/02/22
覚書2023.2.22
この人間世界のことでもよくわからないことはたくさんある。時には、ふと立ち止まってそのことを考えることがある。しかし、簡単に結論が出ないことが多いから保留しておくことが多い。そうして、またいつか形を変えたその問題に対面することになる。

わが国は幸運にもというべきか、先の大戦の敗戦後には戦争とはほぼ無縁になった。もちろん、特に安倍政権以降急激に悪い方にバージョンアップさせてきた日米安保関係によって、戦争に巻き込まれる可能性も増大してきている。しかし、わたしの場合は、そうした高所からの視線ではふだんは考えない。

今回のプーチン・ロシアのウクライナへの侵略戦争にしても、そのことによるウクライナ民衆とロシアの民衆の受難と悲劇にしかわたしの主要な視線や感受は向かわない。けれど、もやもやは残る。こうした戦争下という特殊な状況下では、いずれの国の民衆も国家の動向に自らの運命は強力に左右されるからだ。

たとえ非戦の考えを持っていても、侵略者と遭遇した具体的な場面では、自分や家族の身を守るために、逃げるか、武器を取るかなどするだろう。あるいは志願するにまで至るかもしれない。圏外の私たちには無縁なことだが、ロシアやウクライの民衆は、そんな様々な選択を強いられているだろう。

ウクライナの民衆にとっては、自らの運命を左右するだろうから、欧米の武器援助を歓迎しているかもしれない。圏外のわたしは微妙なのだ。ロシアが敗北(停戦含む)しない限りこの侵略戦争は終わりそうにないから、それもやむを得ないものなのかと思ったりしている。

一方で、欧米の武器援助の正否を判断する圏内にはいないからわたしがどうこう言う問題でもないような気もする。本来なら、先の大戦後の反省の実体化によって、国連や国連軍が出向いて紛争解決ができるような体制になっていたら、こんな形にはなっていないだろう。だから、その過渡的な形と見るほかない。

ひとつ付け加えると、戦争とまでは呼べないがわが国の中でも地域の紛争がある。行政や国が地域の問題につながっていて、その問題の渦中に介入してくる。そうして、かき回してそれに関係している人々を賛成派と反対派に分離し、翻弄するということがある。諫早湾干拓や辺野古新基地建設問題などがそれである。



2023/02/26
白川静bot@sizukashirakawa
今日本は、これはあまり大っぴらには言えませんけれども、事実上占領下にあり、属国であります。日本が独立国であるなんて思うておるのは、事実の誤認も甚だしい。これは属国です。

吉本さんも、日本は以前は中国の、敗戦後はアメリカの属国(忘れたが別の類義語を使われていた)だと語られたことがあり、ふうんと思ったことがある。つまり、普通に社会生活している分には庶民はそれに気づきにくいということ。しかし、政府上層の政治家や官僚は肌でわかっているのだろう。

また、例えは゛そのことが現象する沖縄の基地周辺の現場の人々は、彼らとは逆の意味で苦々しく実感しているはずである。しかし、鳩山由紀夫前首相が現職時に「日米合同委員会」の存在を知らなかったというのもふしぎである。属国事情は秘匿されてきたのか。

今調べていたら、吉本さんは「冊封体制」という言葉を使われていたようだ。「冊封国(さくほうこく)とは、前近代の東アジアで中国王朝を中心とした冊封体制の下で、中国王朝を宗主国とした従属国のこと。朝貢国・藩属国・服属国などとも言う。」(wiki)

「冊封とは、称号・任命書・印章などの授受を媒介として、「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ名目的な君臣関係(宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)を伴う、外交関係の一種。」(wiki)



2023/02/27
RT
【転職応援メディア】キャリアタウン【公式】
の中の言葉より


「50歳超えてるけど転職本気で考えてみようかな」は、話し言葉の文体であり、普通は、書き言葉では特に、助詞を加えて「50歳(を)超えてるけど転職(を)本気で考えてみようかな」となる。主語の省略も助詞の省略も、この場合は誤解の余地なく伝わるように見える。限界線はどこまでか気になる。



2023/02/28
白川静bot@sizukashirakawa
私はご承知のように、今おっしゃいましたように殷周のような古い時代、三千年ほども昔の時代に長い間遊んで、遊びほうけて、流連して帰ることを忘れ、そのうちにこんなに年をとってしまった、という人間でございます。


流連(遊興にふけって,家に帰るのを忘れること。)って言葉に初めて出会った。いくら人間として太古から何らかの連続性があるからといっても、これほどまでにしないと太古を太古のままに浮かび上がらせるのは難しいことなんだろうな。









 最近のツイートや覚書など2023年3月 ①


2023/03/01
フォローしてないけど、D・アトキンソン氏のツイートが流れてきた。「人口減少によって崩壊する農業:耕地面積は8割減も」「今の農業の基幹従事者の69.6%も65歳以上。」のデータを示し、「財政を使って、耕地面積の集約を支援する戦略は効果的でしょう。」

「中小企業の分析と全く同じ結論。生産性向上を基軸にして、資源を集約して、付加価値を高める。財政はそれを応援する。」との方策を提示。なんか今までに耳にしたような方策ではある。この農業問題も少子化問題と同じ気がする。私たち方策・立案・政策の部外者の素人から見れば、

今までの諸策は根本的に無策だったように見える。今の冬枯れ状況がそれを示している。ひとつ言えるのは、上の二つの問題で言えば、農業者や若者や既婚者などの内面の場に下り立ち、その主体の声なき声に誠実に根本的に答える諸策でなければ現状の改変は望めないだろうということである。

農業問題で言えば、現状ではキャベツやキュウリが無いからと騒動が起こることも無く、国内の生産と海外からの輸入とで需要を満たす程度には供給がなされているのだろう。わたしの場合は、趣味の農業から、ほとんど畑に人を見かけない冬枯れ状況の農業の風景を見続けているだけである。



白川静bot@sizukashirakawa
【土】の古音は【社】で、【社】の初文。【土】が多義化するに及んで、限定付の【示】を加えて形声字となった。卜文・金文の【土】は、【社】の原字として用いられることが多く、【土】は土主にして【社】の原形をなすものである。[説文]に「地主なり」とあり、土地の神、「うぶすな」をいう。


ときどき疑問に思うことがある。白川さんの解析は、同じアジア的段階と言っても中国という地域の文字(漢字)に込められたイメージや意識の組み立て方である。その漢字を輸入し改造したわが国の漢字の活用と漢字かな交じり文の発明だが、本家中国とはまた、漢字に込めたイメージや意味は違うような気がする。



2023/03/02
宮沢賢治と法華経の安楽行品を検索していて、宮沢賢治「若い木霊」という短い作品に出会った。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43801_18092.html (青空文庫)
ここに、次のような描写がある。

「その窪地はふくふくした苔に覆われ、所々やさしいかたくりの花が咲いていました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花は

ふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色いろのあやしい文字を読みました。「はるだ、はるだ、はるの日がきた、」字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました。」


普通人には見えない対象(植物や人)の内面の領域、あるいはそこから表出されるものを捉えたいという作者の欲求の表現になっている。この作品では、若い木霊が「葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色いろのあやしい文字」を目にして読み取ったと表現されている。

ところで、対象(植物や人)の内面の領域やあるいはそこから漏れ出るものを把捉したいという作者の欲求の表現に以前触れたことがある。
 「表現の現在―ささいに見える問題から 29
    ―『吹上奇譚 第二話どんぶり』(吉本ばなな 2019年1月)を読み始めて」
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/895cf0a479a3e9abb9b5edbe028c20d2


今思ったことだが、「際立った共感覚者で知人のスザンヌの場合、誰かが話しているのを見ると、それが文字になって文字通り、口から出てくるらしい!」(J・ウォード『カエルの声はなぜ青いのか?―共感覚が教えてくれること』) 共感覚ということが割と普通だった「文字」のない太古ではどうだったんだろう。



2023/03/04
独立系メディア(E-wave Tokyo)と称するHPは、先の原発大事故以降何度か訪れたことがある。その主催者のひとり青山貞一は、事故後の初期の武田邦彦同様、割と真摯な人のように感じられた。しかし、いずれもとんまな人たちであった。問題はどこにあるのだろうか。感じ考える根の所在だと思う。

例えば、敬愛していた高村光太郎が「戦争詩」を書き公表しはじめた時、軍国少年であったが文学中心であった吉本(隆明)青年の驚きはいかほどであったろう。たぶん「戦争詩」は、光太郎に限らず、西欧の感性や思想に出会った経験とそのある程度の血肉化があったとしても、「真摯」な通路を通って、

そこからの退行(無意識的な詐術)によってなされたのだろう。敗戦後の大衆の無意識的な戦争体験の反省が、戦争はいやだとか国なんて信ずるに足りない等の感性とすれば、吉本(隆明)さんの戦争批判は、その大衆の無意識的な批判的感性を論理化して見せたことだ。『共同幻想論』は、その代表作。

そんな吉本さんんの発想や考えの根にあるのは、考えや判断や思想の生まれ出てきたところ、すなわち人々の生活世界への注目、内省であった。自分の考えや判断にその大衆像を、ひとりひとりの生活の具体像を(自分の内省像を)、繰り込めないならば、先の戦争時と同じように、プーチンロシアと欧米諸国と

いう空疎な国家間対立内に閉じ込められることになる。このような構図と敗戦後の内省から生まれた課題とは、小は学校のクラスの話し合いから大は政治や思想まで貫徹されているが、依然としてひとりを大切にしない空疎な状況が主流を占めている。

トランプは、自らフェイクや陰謀論を放ったり、またそうしたものを放つ者たちにも支えられていたという点では、クソッタレである。しかし、政治に限らずこの生活者大衆の声を聞くという歴史の流れにおいては、主に「アメリカの東部から中西部に広がる製造業の集積地帯「ラストベルト(さびついた地帯)」」

の「中間所得層からの転落を恐れる多くの白人労働者の怒りと不満を」(NHK)をトランプが繰り込もうとした点は評価されなくてはならないだろう。わが国では、日本会議・統一教会・安倍政権は、私たち生活者の声を聞くどころか、この社会を骨董品の古臭い伝統日本一色に塗り替え、

そこへわたしたちを巻き込んで退行しようとした。ところで現在、子育てなど生活上の困難を抱えている人々や貧困に転落している中間層の疲弊した沈黙の声をどこの党が繰り込もうとしているのか?



2023/03/05
農事メモ2023.3.5
・今日は天気も良く昼間は寒くはなかったので、施肥してサツマイモの種芋を埋(い)けた。自宅に小屋がなくなかなか種芋としてうまく保存ができないので、一部でも腐っていないか心配。
・また今年の農作業がいろいろと忙しくなりそう。

・次に、上の方にある山際の畑へ。畑の横に亡き父が作った農業小屋があり、もうトタン屋根が落下していて解体片付けするほかない。そこの片づけ2回目。別の畑の小屋はずいぶん前に業者に解体・処理してもらった。これも最後は業者に頼まなくてはならないかなと思案中。

「終活」とかいう言葉が流行っているが、人は、自分がいつ死ぬかもわからないし、なかなかきっちり片づけて去って行くという風ではなさそう。それは、幸福の科学の大将の場合もそうだろうと思う。今ここをいい感じに生きようとすればいいのか。だから、残された者たちが片づけるほかなさそうだ。



2023/03/07
「H3ロケット、打ち上げ失敗=2段目エンジン点火せず―JAXA」。前回、失敗を中止だったかに言いかえる政府答弁並みの神経には驚いたが、そんな神経・判断で次は大丈夫だろうかと思ったものだ。前回、失敗と受けとめ曇り空になっても、次こそはと青空の気持ちで臨めば少しは違ったのかもしれないと思った。他人事だけど。



2023/03/10
「現代ビジネス」の『女官 明治宮中出仕の記』 (講談社学術文庫) からの抜粋の紹介記事に出会った。また検索していて、この文章にも出会った。
知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記 http://gendai.media/articles/-/49332 (知られざる天皇家の「闇」をあぶり出した、ある女官の手記 明治大正期の貴重な証言  原 武史)

天皇家の人々は、どういう生活を送りどういう考え方をするのかには興味がある。韓国の宮廷ドラマをいくつも観てきたが、こちらは作られた物語ではあるが、そこにも同じ興味関心がある。私たち生活者は、普通は一般に公的なことはほとんど意識したり考えたりしない。天皇家の人々とは逆転した関係だろうか。

柳田国男は、武家層は主要に百姓出身であると述べていた。それがいつの間にか、『葉隠』などとまとめられるような武家独特のカッコつけた倫理や世界観を生み出し継承してきた。天皇家も遙かな元々は、普通人だったのは自明だ。そこから武家や商人世界のように、独特の倫理や世界観を生み出してしまった。



昨日の農事メモを書きながら思いだしたことがある。わたしが耕運機をなぜ使わないかということについてである。父が亡くなって、耕運機は親戚の人にやってしまった。農事に手を染めることは予想していなかったが残された畑などの草刈りをしていて、少しばかり農事を始めてしまった。

わたしのは、それで生活する正式の農業ではなく、いわゆる「家庭園芸」程度の農事だから、また心身の運動代わりでもあるから、耕運機は使わなくもいいかと思っている。農業技術の専門家からすれば、貧弱な人力のすばらしい拡張としての農機をなぜ使わないのかと驚かれるかもしれない。

思い出したのは、江戸期のたぶん農業技術の専門家が一般の人々(農民)に向けた視線や考えを記した農書「郷鏡」について、以前にわたしが書いた文章のことである。長らく「郷鏡」の言葉をどう評価すべきか考えあぐねたことがある。そうして、その評価は、現在のことについても言えることであると思う。

批評〕 「過去の資料をどう読むか―江戸期の農書「郷鏡」より」(2017年10月14日)
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/bad86b572890e49e9e121b6ce23ef138




2023/03/12
RT(註.マイナンバーカードの駆け込み申請の記事に関するヤフコメ。役所の担当者らしい)
カード申請の窓口業務をやっています。
平日は役所、土日は商業施設、ここ数日はお昼休みは
まともに取れず、水飲む間もなくトイレも我慢して、
ひたすら対応しています。
そもそもマイナンバーカードもマインポイントも自
分自身で申請する物であって、窓口はお手伝いする
場でしかありません。
昨年から3回も申請期間を延長しているのに、駆け込
みでやってきて待たせ過ぎとキレる人、申請書を持
ってこない人、カード申請も終わってないのにポイ
ント手続きしろという人、本当にウンザリです。なぜも
っと早く来ないと直接言ってやりたい。

ポイント付与前のカード普及率は3割弱、それが自ら
情報を取りに行き判断できる日本人の割合なのでし
ょう。
この後ランチに行きたいので美味しい寿司屋はどこ
かとも窓口で聞かれました。
何もかも他人任せで行政にキレる人が多く日本は終
わっていると思います。
すみません、あまりに疲れて毒吐きました。


役所内の客観的(内省)の視線によれば、そんな気持ちになるのは自然かもしれない。しかし、それをくり返せば、市民蔑視や上から目線になるかもしれない。別の客観的視線によれば、マイナンバーは、初めは私たち生活者になんら便利さを感じさせるものではなかった。余計な手間のかかる不便なものだった。

だから、信用ならない政権の何か別の意図を感じさせた。派遣制度も初めは限定的だといっていたのに、どんどん改悪されて現状になってしまった。政権のこの体質は変わらない。今頃になってポイント付与云々の客寄せ興行みたいなことをやっている。住民票にはすでにマイナンバーがついているのがあるが、

役所と私たち住民との双方が便利さを味わえるようになることはいいことだ。だから、カードを持ち歩くセキュリティー上の問題もあるし、今まで以上に私たちに面倒なことをさせるのではなく、できるだけバックグラウンドで機能させればいいと思う。ところで、わたしはマイナンバーカードは持っていない。



2023/03/14
『存在消滅―死の恐怖をめぐる哲学エッセイ』(高村友也 2022.5)をやっと読み終えた。前回の『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読む、では作者を中世の西行になぞらえた。今回は、わたしの好きなギリシアのエピクロスもそこに付け加えたい。「私はただ、安穏に生きたい。」(「あとがき」より)



2023/03/15
覚書2023.3.15
もう何年も前のことだが、「奇跡のリンゴ」の木村さんのリンゴを食べてみたいと一度ネットから注文しようとしたことがある。しかし、手に入りそうになくあきらめた。想像するに、トマトでいえば昔風の力強い風味のようなものだったろうか。

これは土の問題ではないが、トマトもリンゴも野菜も長い年月に渡る品種改良などがなされてきての現在がある。これは大きな時間でのこと。だから、自然栽培は、今まで積み上げられてきた作物の栽培に取って代わるのではなく、植物(作物)と土などの環境世界との関わり合いを今まで以上に深く内省する

きっかけとなるのだと思う。
小さな時間で考えると、人間の場合、あんまり運動せずにかつ節制しない食生活なら太っていく(家猫もそんな気がする)。植物でも、春の花祭りなどの売り出しの時におどろくほど大きなメロンなどが鉢植えで展示されている。たぶん、肥料の働きだと思う。

人の場合の育ちや健康ということと対応させると、そんなふうにして育てた作物は、そうでないのと比べて植物体としてまた味などどうなんだろうと疑問を抱えている。



門井慶喜の小説『銀河鉄道の父』は、読んだことがある。作者は、群馬県の出身。これが脚本化され演出を施されて映画化されたという。例えば、賢治役は、大阪府出身の菅田将暉。父政次郎役は、諫早(長崎)出身の役所広司。今でも実在した他人を演じるのは難しいことだろう。ずいぶん昔の人ならなおさらだ。

賢治や父政次郎などについてはいろんなエピソードが残されてはいる。しかし、彼らの人物を造形し演じていく上で、固有の個性を造形する難しさではなくて、その手前で、例えば他所から来て覚え立ての大阪弁を喋る人に感じるような微かな違和感のようなものは、賢治の生きた地域の人々には起こらないだろうか。


 








 最近のツイートや覚書など2023年3月 ②


2023/03/18
『よつばと!』という言葉に出会って、そのマンガを無料サイトで3話読んできた。おもしろかった。『ちびまるこちゃん』より少し過激そうだが、それと同じ天真爛漫系の作品みたい。私たちの現実は清濁からみ合っていて重たいことも多いが、それを照らす鏡のような作品、また息抜きになるような作品か。



2023/03/20
RT
美術ファン@世界の名画@bijutsufan
ジョン・コンスタブル『麦畑』1816年 クラーク美術館


うわあ、二百年ほど前の世界(のイメージ) に出会えるなんて。まだまだ手仕事中心の時代。

これで連想するのが、数億光年(光で数億年かかる距離)先からの光が現在に届いたとして、観測する私たちは数億年前の過去と数億光年離れた場所で出会っている。上の絵が、同じ地球上でその絵と同じ場所に立てたとしても約200年の時間の隔たりがあるのに対して、光の場合は、

場所からは数億光年隔てられ時間からも数億年隔てられている。それに、距離≡時間みたいに感じられる。やっぱりミラクル。
ついでに、ヤフー知恵袋である問いに対する回答で「すでに到達してる『過去の光』を観測してます。その光の年代は約130億年前の姿~ほぼ現在までの姿が保存されております。」

というのがあった。初めて耳にすることだった。数億年旅してきて届いた光にも何らかの変化や摩耗みたいなことがあるのだろうか。



安倍晋三の二度目の政権投げ出しより前だったと思うが、モーニングショーで「政治評論家」の田﨑史郎が「自民党内で安倍さんが信頼されて力があるのは、選挙に強いからです」という趣旨の話をしていた。その時は、わたしは興味なくふう-んとしか思わなかったが、内から見れば選挙は議員にとっては切実

なもので、選挙を制する力は党内の権威・権力の源だったのだろう。日本会議系-安倍政権-ネトウヨ応援団との認識しかなかったが、実は統一教会(ネトウヨ応援団A)≡日本会議系-安倍政権-ネトウヨ応援団Bとまではまったく思い至らなかった。



2023/03/21
「「新スタートレック」終了から四半世紀! 遂にジャン=リュック・ピカードが帰ってきた!!」って、知らなかった。昔よく観たスタートレックシリーズだが、そのUSSエンタープライズの艦長だったピカード艦長の話『スター・トレック:ピカード』が、最近、作られて放送されているのは知らなかった。

宇宙船USSエンタープライズの艦内では、音声で尋ねるとコンピュータ(AIか)が音声で応答してくれる。(なぜスタートレックを検索したかというとこの確認のためである。)私たちの現在も、それが幸か不幸かは別にして、PCやスマホなどでそれと似た世界を実現している。



2023/03/23
「現代の日本のどこかにあると言われるUQ殿。
その宮殿には女王UQUEENが君臨し、UQに関する様々な取り決めを行っている。
これは、スマホの未来を切り拓くべく奮闘する、QUEENと執事たちの物語である。」
 ( https://www.uqwimax.jp/cm/ )


上のHPにある、2月22日から放送されているという「UQUEEN『お忍び視察』篇」を今日テレビで見かけた。宣伝を司るUQUEENが、市中をお忍び視察しているのがバレてしまうという物語の構成。そして同時にナレーションが加えられたその物語全体が私たちへの宣伝となっている。

CMの観客であるテレビの前の私たちは、そのCMの物語を味わいながら同時にCM(宣伝)として受けとめ感じている。auのCMも物語的であり、「新人さんのあまのじゃこ」篇(au三太郎シリーズ)では興味深い新人(あの)を起用している。CMスタッフは楽しみながら物語を構成し、同時に宣伝となっているのだろうか。

しかし、楽しみながら、同時に宣伝しているということは、前時代のCMであるチンドン屋さんの場合となんら変わらないだろう。ただCMの中の物語は複雑になってきている。そうして、その物語の価値(ウケること)が宣伝価値とうっすらつながっているように見える。



2023/03/24
くびられし祖父よ菜の花は好きですか網戸を透きて没(い)り陽(ひ)おわりぬ

「くびる」には、「ひもなどでくくる」意味があり、まずそこから歌に入ったが、どうも不穏なふんいきがする。調べてみると、「縊る(くびる)」には「首をしめて殺す」の意味がある。
「佐伯の祖父の土肥原賢二は、東京裁判でA級戦犯として裁かれ、昭和23年12月23日に東条英機らとともに巣鴨プリズンで

絞首刑に処された。・・・中略・・・1947年生まれの佐伯は、ひっそりと世を憚るように暮す戦犯の家で育った。処刑の前年に生まれた佐伯には、祖父の直接の記憶はないはずである。「くびらるる祖父がやさしく抱きくれしわが遙かなる巣鴨プリズン」という歌があるが、この時佐伯は二歳に満たないので、実際の記憶ではなく家族から聞かされたものだろう。」
(橄欖追放 東郷雄二のウェブサイト 069:2004年9月 第3週 佐伯裕子)」
とある。

作品から、作者やその時代に分け入って(調べてみる)みないと、現在からはよく見えてこない。強いられた不穏を抱えて作者は生きてきたのだろう。戦犯で裁かれた者もいれば、うまく生き延びて「妖怪」のように政界に生き延びその子供達にバトンを渡した者たちもいた。



2023/03/27
RT
日経BOOKプラス@nikkeipub
多くのAIスタートアップに携わる孫泰蔵さんは、もはや人間はAIと競争してスキルなんて身につけなくていいと語ります。では、どうやって稼ぐのか、どう暮らしていけばいいのでしょうか? その意外な答えとは?


能力の「リスキニング」などを私たちに脅迫的に迫ってくる、現在の社会の「能力主義のメリトクラシー」(註.メリトクラシーは、「業績主義」、あるいは「能力主義」のこと)を振り切って、その後の社会をイメージされている。孫正義の弟さん。AI(人工知能)の普及・深化がもたらす社会革命のイメージが興味深い。

上の文章を読んでいて、坂口恭平君を思い浮かべた。つまり、二人の共通性を感じた。



2023/03/29
ドラマを観ていて、あの人は殺されてしまうかもしれない、なんとか助かって欲しいなと思っても、敵の残虐さを強調するために殺されてしまうかもしれない、あるいは、小さな幸せをすくい取るために生き延びさせるかもしれない。それを決めるのは作者(演出家や監督)のモチーフである。

ドラマの中の作者のモチーフは、現実社会の〈法〉のように絶対的である。あの登場人物はこうしたらいいのにと思っても、作者のモチーフという〈法〉に縛られる。現実社会では〈法〉を破ってしまうことがあり得るが、ドラマの中では、作者のモチーフという〈法〉は絶対であり登場人物は〈法〉を破れない。









 最近のツイートや覚書など2023年4月 ①


2023/04/01
RT
集英社オンライン編集部ニュース班@shuon_news
〈壱岐市・男子高校生死亡〉 “虐待疑惑報道”の里親の激白150分「留学生受け入れはお金目的?」「台風のなか正座させた?」「亡くなる直前の動向」…疑惑・誹謗中傷についてすべて話した


前に文春の記事を読んだことがあるが、何もコメントしなかった。これは集英社オンラインの記事。こんなこともあろうかと、初めによくわからないな、で止めていた。〈情報〉を軽く素直に信じて切り張りして自分のフィルターを通してコメントするのは危うい。〈情報〉には生身の内側があるということ。

それは、現下のロシアのウクライナへの侵略戦争に関しても言える。まるでゲームのように、まるで家康と秀吉に焦点を合わせるように、〈情報〉を消費している層がいる。敗戦後70余年、違うだろう。国家もヘチマもあるものか。焦点を合わせるべきは、ウクライナとロシアの民衆に対してであろうに。



2023/04/02
wikiによると、前回のシリーズ『仮面ライダーリバイス』は、原作 石ノ森章太郎 脚本 木下半太 他。現在放送中の『仮面ライダーギーツ』は、原作 石ノ森章太郎 脚本 高橋悠也、となっている。原作者の石ノ森章太郎は、1998年に亡くなっているし、ドラマの内容から見ても原作とは名ばかりのようだ。

しかし、原作の「仮面ライダー」という名を受け継ぎ、「変身」ということと「悪」に立ち向かうというモチーフを受け継ついでいるから、原作者に石ノ森章太郎を記し続けているのだろう。



先日録画していた時代劇専門チャンネルの『殿、利息でござる!』(2016年5月)を観た。原作は磯田道史の評伝「穀田屋十三郎」(『無私の日本人』所収)で、史実に基づいているらしい。18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の話。これで思い出したのがしばらく前に観た髙田郁原作の『銀二貫』。

これは創作だが、いずれも、欧米の大波をかぶった後の現在の企業や商業の倫理(利潤追求や合理化や生産性の向上や能力開発等々)からすると、途方もない迷妄、反倫理に見えるかもしれない。しかし、そのように経済活動にとっては反倫理と見えるようなものも包括できないと息苦しいような気がする。

『殿、利息でござる!』を見終わってRCサクセションの「上を向いて歩こう」の歌をバックに流れる配役を見ていたら、「羽生結弦」の名が流れてきた、(うん?)と思って、調べてみたら、そうだった。最後あたりの場面で登場する殿様役だった。ああ、どうりで素人ぽかったなと思った。



2023/04/03
いろんな「坂本龍一」との出会いがありそうだ。わたしの場合は、吉本さんを通して出会った。吉本隆明+坂本龍一の『音楽機械論』がある。また、吉本さんが「言葉」や「内部」(内面)について本質的に語った鼎談(村上龍、坂本龍一、吉本隆明『IN・POCKET』』1984年4月号)が特に印象深い。↓
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/0a80d7064ad18a6abfe9acb763e9c3ca



2023/04/07
TLで流れてきたので、なになに?とまたマンガを読んでしまった。『働かないふたり』 を4話ほど。良かった、おもしろかった。ネットでずいぶんたくさん無料で読めるのはいい。気に入ったら買ってくださいねということか。文学やコミックに限らず、こちらが知らないだけでいろんな表現者が活躍しているようだ。



2023/04/12
RT
ラジオを使いこなす柳田国男―朝日新聞時代の社説から
Theopotamos (Kamikawa)



昔、「『柳田國男全集』(ちくま文庫)詳細目次」を作っている方のブログに出会い、文章を書くのに愛用している「秀丸エディター」にコピーしていた。上の文中の「国語教育とラジオ」で検索するとヒットした。全集の21巻にあった。昔読んだことがある。ほんとうに、現在の「検索」には感動する。

柳田は、ラジオは危険とか害悪だとか言う退行的な意見とは別に、ラジオ放送を割と好意的な捉え方をしていた。こういうことは、文明の曲がり角で利器や利便を巡って何度でもくり返してきた。ケイタイはコミュニケーションを壊すとか、ゲームはゲーム脳になる等々。

で、現在のAI活用のChatGPTのことだが、よく知らないけど、本質ははっきりしている。吉本さんが人間の表現する言葉の本質は、「自己表出」(気持ちを表す)と「指示表出」(ものごとを指し示す、選択する)の二重性、あるいは織り合わされたものであると捉えている。AIはそれを偽装できたとしても「自己表出」がない。



RT
NHKニュース@nhk_news
新型コロナ 5類移行後の感染者数把握 「定点把握」に 厚労省


政府-厚労省などの方針はわかったが、どうしてそんな方策に転換したのかがわからない。つまり、コロナの現状が過去とどう違うのか、抗ウイルス薬などの薬や治療がうまく回るようになったからか、その説明がないように思う。マスコミは、そのことと新たな方策をきちんと批評しないのだろうか。



2023/04/16
岸田首相が若者に狙われたらしい。安倍の時もそうだが、私は負の関心(否定的な無関心)しかないから、武器まで準備して実行したその心情は本当はよくわからない。前回のは一応わかった。今回の動機はまだ明らかになっていない。ただいずれも実行者が、対象との濃密な関係を意識したのは確かなことだろう







10


 最近のツイートや覚書など2023年4月 ②


2023/04/17
RT
海上自衛隊イージス艦が8隻体制から12隻体制へ(JSF)
#Yahooニュース


今回の北朝鮮のミサイル打ち上げ問題で、そう言えば「イージス艦」というべらぼうな値段の艦船が1、2隻あったなと思いだして調べてみたら、さらにべらぼうなことにイージス・システム(「アメリカ海軍によって、防空戦闘を重視して開発された艦載武器システム」)搭載艦が増えている。しかも役立たず?のアメリカ買い。

誰が書いたかwikiの「イージス艦」によると、「イージス艦」や「イージス・システム」について、たいそうなことが書かれているが、今回の「はずれ」によって、その(アメリカの人工衛星にも頼っている?)防衛網の実態がちらりと可視化された。



農事メモ2023.4.17
・昨年は、スーパーの店頭で買った安納芋を種芋にして4/13に畑に植えたら、5/9頃芽が出ていた。
今年は、3/5に自家種芋を植えた。今日4/17に、1つだけ芽が出ていた。少し腐ってはいなかったか、と心配していたので、ホッとした。
(註.2023/05/22現在、10株以上の種芋が芽を出して育っている)



覚書2023.4.17
柳田国男が『遠野物語』にまとめ上げた村落社会やその村落社会内の人の心や精神の働かせ方は、近代以前のもので現在からは迷妄に見える。しかし、割と閉鎖的な村落社会の関係意識が生み出した必然だったとも言える。それでは、現在の渦中に生きるわたしたちの目にする「陰謀論」じみた

言葉や「フェイク」などの迷妄や特にネトウヨに顕著な政治的、社会的幼稚さなどの閉塞的な花盛りは、現在の何が駆動させている必然なんだろうか。現在は、『遠野物語』のあの山越えたら別世界という閉鎖社会から、均質化した社会になり、ネットという仮想空間を通して個が全世界のことに居ながらにして

接続できるような仮想開放社会に変貌した。これは、私たちに世界の縮小感をもたらしているし、生存の感覚もバーチャル化しているのかもしれない。そうして、中には全世界のことをリアルに「知る」ことができ「動かす」ことができるというような一種全能感を感じている人々もいるようだ。

画像処理の高度化なども「フェイク」の手助けをしている。しかし、そんな誇大妄想は、現在的な迷妄というほかない。私たちは、相変わらず多くの面倒な手続を踏みながら、ものごとの〈真〉に迫ろうとする以外の近道はないと思い知るべきとわたしは思っている。



養老孟司が書評している千葉聡『招かれた天敵 生物多様性が生んだ夢と罠』であるが、「千葉聡」って何か耳にしたことがある名前だなと思って調べてみたら、耳にしたことがある人は、同姓同名で歌人で高校の先生をしている人だった。

ところで、この本は興味深いけどそこまでの余裕がない。私だけなのかどうか。私がジャンルを問わず読書するせいなのか、現在が書物であふれかえる時代になってしまったからなのか、よくわからないけど、ゆっくり読むから絞りに絞った読書にするほかない。村上春樹の新作届いてるけどいつになるやら。



2023/04/19
数年前、当時コピーしていた内田樹「改憲案の「新しさ」」(2013.5.8)をやっと読んだ。
http://blog.tatsuru.com/2013/05/08_0746.html

内田樹は、「自民党の改憲案を「復古」とみなす護憲派の人たちがいるが、それは違うと私は思う。」と述べ、改憲勢力の意図や感性は、国民国家の枠が緩んだり壊れようとも現下の資本主義のグローバリズムの感性や行動を促進することを意識的・無意識的に計ろうとするものであると捉えている。

吉本さんの戦争期の思想の批判では、当時の資本主義の感性と古臭い日本的な感性への先祖返りは矛盾なく張り合わさった二重性としてあったと分析されていたと思う。ここで内田樹は、日本会議系や統一教会と手を結ぶ改憲勢力の古い感性を取り上げていないが、戦争期と同様の二重性だと思う。



「日本のお笑いタレント(吉本興業所属、ロンドンブーツ1号2号)、司会者、作家、ラジオパーソナリティ、YouTuber 、会社経営者」(wiki)といろんな顔を持つ田村淳が、よく調べもしないで、統一教会の下関「聖地」問題に反射神経的にツイートして、その間違いを突き付けられている。

私は戸惑うけど、こんな多様な顔を持つようになったのは現在の特徴のようだ。彼は、以前、教育問題にも触れていたが、ジャーナリストの浅い文体で鋭い洞察には見えなかった。本気かよ?と思った。しかし、私の好きな明石家さんまは、相変わらずお笑いだけのように見える。



2023/04/20
内田樹の2022年1月17日以下のツイートにまた出会った。
「古語辞典一つあれば千年前の古典でも読めるという国語教育をしている国ってもう東アジアには日本と台湾くらいしか残ってないんです。中国も韓国もベトナムも、古典はおろか百年前に書かれたものさえ一般人は読めなくなっている。」

中国では、1950年代に、それまでの繁体字を大幅に簡略化した簡体字とした。それで、これからの漢字、漢文の研究は、日本によろしくお願いします、と中国の政治家の江沢民(?)が白川静(?)に言ったという記憶があったから、なるほどねと思ったものだが、中国の教育事情を知る人々から、そうではないてせすよと突っ込みが入っている。



2023/04/25
今、「HR業界を活性化する」という言葉に出会って、「HR」って何?と思った。「HRとは「Human Resources(人的資源)」という英語の頭文字をとったもので、簡単に説明すると人材のことを示します。」とあった。AI( artificial intelligence)の場合は、人工知能みたいなものと受けとめられるようになって

きている。AIの場合は、HRの局所性と違ってずいぶん流布してきているから、今はAI≡人工知能という翻訳の回り道を含む了解でも、先々は「コンビニ」や「スマホ」と同様に「AI」で直接に対象を指示するようになるだろう。言葉には、業界レベル(地域レベル)で終わるものと、列島レベルにデビューするものとがありそう。



最近、藤井一至『大地の五億年 ― せめぎあう土と生き物たち』(2022年 ヤマケイ文庫)をやっと読みはじめた。まだ50ページくらいだけど、なんか物語を読むようなふしぎな感じでおもしろい。



毎日新聞くらし医療部@mainichikurashi
30代で自殺したベルギー人研究者。死の直前までAIの自動会話システムとの会話にのめり込んました。「イライザ」と呼ばれるチャットボットが感情を持っているかのような会話で、彼を追い詰めたのではないか――。そんな指摘もあり、記者も「イライザ」との会話を試みました、
https://mainichi.jp/articles/20230423/k00/00m/030/156000c


太古から近代以前までは、それが次第に薄まってきたとしても、木が言葉を語るとか人と木が交歓できるということは一般的には自然なことと思われていた。現在ではそれは迷妄で木は無機質的なものと一般には感じられている。AIは自己表出(人の心)を持たない無機質的なものだけど、太古の人々が木に対した(そんな人と木との交歓が描かれているのは、フォレスト・カーター『リトル・トリー』。)

ように擬似的な自己表出を感じることができそうに思える。それはペットロボットのaibo(アイボ)についても同様ではないだろうか。いわば、太古の自然なレベルでの人と自然との交流が、現在では人工的(バーチャル)なレベルでの人と自然との交流に置きかわっていると見なせそうに思う。



2023/04/28
マスコミも、当時はくり返しくり返し「決められない政治」と民主党政権を批判して、安倍政権への流れをアシストしたのだったか。初めての民主党政権でもあり、決断力の無さや右往左往もあったろうが、それ以降、今までになく自公政権が勝手に決めてしまう政治、

しかも司法やマスコミにも手を突っ込んだ最悪政治になってしまった。まだまだわが国は、与野党伯仲で「決められない政治」の方がマトモだという段階だろう。こんな体たらくの政治を目にし続けてきて、有権者の見識や理性としては、少なくとも与野党伯仲させるべきと思う。

それとも、多数の無党派層は、悪政治と不能の野党に自然の猛威に対するように耐えたりあきらめたりしているのが現在だろうか。



HK Eテレ(教育テレビ)@NHK_ETV
NHK Eテレ 04/28 23:00 こころの時代ライブラリー 外国人収容者と共にありて 柚之原寛史
外国人収容者と共にありて 柚之原寛史
初回放送日: 2023年4月28日


牧師の柚之原さんが、外国人収容者の話を聞いたり支援活動をされているのを少し観た。渡辺京二の『逝きし世の面影』などに描かれた日本人は、日本の民衆は、外国人に対しても情愛の人であった。江戸時代に捕らえられたロシア人ゴローニンに対してもその護送の途中には、好奇心もあったろうが民衆は

食べ物を与えたりもてなしたりしたという。たぶん一般に生活者の感性は今でもそのようなものだろうと思う。現在の入管の問題に対して、しかし、政治家やネトウヨなどは〈法の人〉や〈イデオロギーの人〉の顔が前面に出ていて、外国人収容者を人として見ることができていない。

また、この間の入管職員の〈法の人〉や〈処罰の人〉としての収容者に対する振る舞いは、学校などの小社会でのいじめから警察の体質などにも通じる、古い体質の悪組織性(負の精神の遺伝子)だと思える。現状の入管制度はもっとゆるいオープンな方に解体されるべきだと思う。



2023/04/29
覚書2023.4.29
行政(政治)の起源を踏まえた、現在が放つ理想のイメージからすれば、誰が政治家になろうと良いということであり、それは学校のクラスの委員みたいに当番で仕方がないからいやいやでもやるというイメージになる。だから、好き好んで政治家になるという現在は何かおかしいということになる。

政治が真に国民(生活者)のために行われるなら、方法論のいくらかの違いはあっても激しく対立する必要はなく、政治党派も不要であるはずである。それが、そうでない現状では、口先だけは別にして政治が真に国民(生活者)のために行われていないということを示している。

それでは何のために行われているか。国民以外の利益団体や自らのイデオロギーのためというほかない。宗教団体である日本会議や統一教会との政権の癒着はそれを証している。







11


 最近のツイートや覚書など2023年5月 ①


2023/05/01
RT
週刊東洋経済 4・22号の ChatGPT特集編 で、新井紀子が面白いコメントを発している。「ネットがジャックされてしまえばもはやなすすべはない。そのとき、われわれは過去30年間享受してきた『ウェブ』という資源を失うことになるもしれない」。


牛乳を飲んだら「牛」になるか、ならないか。種痘を接種したら「牛」になるか、ならないか。江戸末期から明治にかけてのこうしたものも、現在から見たら疑いもなく真偽は明白と思える。しかし、当時においては、明白ではなく、現在のコロナ下のワクチンの捉え方と同じく真偽は明白ではなかったのではないか。

ラジオやテレビやゲームやスマホなどの新たな技術の登場する時には、必ずと言えるほど、受容と反対(恐れ、退行)とが起こる。このChatGPT(AI)問題もしかり。わたしは、そんなに恐れる必要はないと思う。今までに人類が生み出したものはそれなりの内省・コントロールがなされてきた。

しかし、残念ながらコントロールできなかったものもある。銃や火薬の発明とその後の戦争への利用などである。また、原子力の開発と核兵器への利用もある。こういう人類の発明は、押し止めようもない自然な動向だと思う。私たちは、うまく使いこなすような工夫や歯止めなどを編み出すほかない。



農事メモ2023.501
・農事メモより昨年にならって、ソラマメを初収穫した。
・畑の際や山際に亡き父が植えていたお茶の木。20数株。今年は摘もうかなと思っていたが、もう遅いかどうか。手摘みだから時間がかかる。今までに、2回ほど茶摘みした。フライパンで炒り、手でもみ、また炒る。

できた茶葉に熱湯を注ぎ、5分ほど置く。昔風の万葉調のお茶になる。



2023/05/03
農事メモ2023.5.3
・お茶を作った。大きい昔風のフライパンで弱火で手やしゃもじでかき混ぜながら炒り、ゴザの上で手もみし、を何度かくり返して、出来上がり。260gほどの茶葉が、80gほどのお茶になった。今日は寝かせて、明日飲んでみる。



2023/05/04
RT
朝日新聞デジタル連載SOUND for LIFE 坂本龍一から生まれたもの記事
第1回
坂本龍一さんと違う道歩くしかなかった 小室哲哉さんの憧れと劣等感
聞き手・定塚遼2023年5月3日



二つ感じた
柳田国男は、最晩年に日本人はどこから来たのかを追究した『海上の道』(1961年)を刊行した。吉本さんは、そのことを意識して、2008(平成20)年7月、八十四歳の時、ひとつの集大成とも言うべき「芸術言語論―沈黙から芸術まで―」を講演した。小室哲哉もそろそろそんなことを意識しているようだ。

もう一つは、小室哲哉から見た坂本龍一像は無根拠ではないだろうということ。大きな表現者としての条件には、人類史規模の〈音〉の始まりからの考察とともに具体的な日常の大衆性が必須だろう。坂本龍一の作品をよく聴いてきていないから直観で言うけど、その後者の繰り込みが不十分だったのではないか。



2023/05/06
たかちゃん、「インディアンの言葉」を読む。
463・サミー族の「石と神」(松本孝幸さんより)
http://matumoto-t.blue.coocan.jp/indian463.html


昔テレビで見たことがある「セノーテ」(「中米ユカタン半島の低平な石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸や泉のこと 。約3500か所存在する 」)は、「まず第一に真水の供給源であった」「巡礼の地、供物を捧げる場として機能したものもあった」という。

住民の生活に恵みをもたらす「セノーテ」は、神的な場所であるとともに、雨乞いの儀式のため生贄を捧げたりもするし、また、黄泉の世界に通じるものでもあったらしい。このように、最初の神々は具象的で、「人類それぞれがおかれている環境によって、神としての対象物が違うもの」(萱野茂)だったろう。

「セノーテ」は、スペイン語とあるが、原住民は何と呼んでいたのかと思って調べてみたら、元ガイドさんのブログによると「セノーテ Cenoteと読み書きするのが定着していますが、本来はスペイン語ではなくこの土地に古代から住むマヤ民族の言語「マヤ語」からきています。」

「元々、セノーテは「dzonoot」と呼ばれていました。意味は「水のある穴」それが変化し現在の Cenoteとなりました。」とあります。別の人のブログによると、セノーテは「地下水がある場所を意味するユカテコ語のマヤ語「ts’onot」に由来しています」とあった。



今年はまだタケノコごはんを作っていない。昔、といっても五、六年前には、行きつけのスーパーで一袋に竹の子が四、五個入って500円位だったか。ただ日にちが経ち過ぎていたら臭いがするから要チェックだった。今年は、小さなひとかけらの竹の子で300円前後で、とても買えない。

ただ5月15日位から山で小さめの竹の子をどんどん収穫できるから、それを楽しみにしている。ところで、スイカを作っているからほとんど買わないけど、カットスイカ(1/6かな)が昨年は値上がりして380円台だったかな。今年はそれが500円台になっている。何もかも値上げばかりのよう。



2023/05/08
↓RT
#多度大社の上げ馬廃止を求める
#馬虐待
ドーピング、竹や鞭で
むやみやたらに殴打する
下腹部を蹴り上げる
笹・法被・ロープを振り回す
水をいきなりぶっ掛ける
大声で怒鳴るなど激しい直接的暴力

 ※上げ馬の告発をした獣医の方の記事

多度大社の「多度祭の由緒」によると、この「上げ馬神事」は、
1.「南北朝時代の暦応年間(1338~1341)に、このあたりを分領する武家の中より始まった」
2.「この神事では、古くより農作の時期や豊凶を占われております。」
つまり、ずいぶん古くからの農事の吉凶占いと武家の荒々しさとが

融合したもののようだ。現在的な視線からは、馬がかわいそうで、動物虐待という受けとめになるが、当事者たちにとっては本当の占いのためにはハードにならざるを得ないという構造か。

例えば、走りを競いにして、Aが一番なら・・・、Bが一番なら・・・、Cが一番なら・・・みたいにも占いできそうだけど、よく話し合うしかないだろうな。



2023/05/12
農事メモ2023.5.12
・昨日もお茶摘みして140g。数回分のお茶になりそう。今年はこれでおしまい。
・前回のお茶をいれたもの。今風のお茶ではないけど、自家製茶ゆえのおいしさが加わってそう。

熱湯を注いで7分ほど置いたもの。







12


 最近のツイートや覚書など2023年5月 ②


2023/05/16
録画していた坂本龍一の番組少し観てもういいや消してしまおうかと思ったが、消さずに少しずつ観ている。先ほど観ていてふと思った。音符や音譜が生み出されて音楽は、従来とは別次元のものとなったのではないか。個が割と自由に音楽創造でき、同時にどんな者でもそれを共有することを可能にしたか。

音符や音譜は、言葉の表現ではあいうえおや文章に相当するもので、それらを用いた音楽は書き言葉の次元の言葉に相当するのではないか。また、音楽への電子楽器の導入は、肉質の運動性や質感を離脱し内蔵化してしまったキーボード入力の文字(言葉)に相当するのでは。ちょっとした素人考え。



私は使わないけど、「推し」という言葉はいつ頃からはやり始めたものか。誰々を「推す」(推薦する)という意味の用法は昔からあったようだが、「推し」(人に薦めたいと思うほどに好感を持っている)は最近芽ばえた言葉のような気がする。私はいつも流行に一歩二歩遅れる。

流行に浮かれはしゃぐのって、別にいいんだけど、なんか気恥ずかしさが先に立つ。なぜだろう。流行の無邪気な自然さ以外に、なんか作為のようなもの、わざとらしさを感じ取ってしまうからだろうか。



2023/05/18
佐伯泰英『奔(はし)れ、空也 空也十番勝負(十) 』(文春文庫 2023.5.10)を読んでしまった。わたしが初めて知った「室生寺」の描写がある。ささいなことに見えるかもしれないが少し立ち止まってしまった。

 室生川に架かる大橋ひとつ渡っただけで一変した寺領の厳粛整然とした佇まいに、空也は思わず身が引き締まった。
「空也はん、あんたはんの生地に所縁(ゆかり)の弘法大師様が修行なされた室生山どすがな」
 と説明する又兵衛の言葉つきも心なしか厳しかった。
 深山幽谷、杉の巨木に囲まれた室生寺の山を仰ぎ見た瞬間、空也は即座に、
(この地で修行しよう)
 と決意した。


おそらく作者は、現在の室生寺を訪れ、体験している。舞台は江戸後期だが、奈良時代末期の創建と言われる室生寺の江戸期の様子はほぼ知りようがない。現在は、「杉の巨木」がいくつもあるらしいが、江戸期もそうだったという確証はない。ちなみに、「スギは150歳で直径1.5メートル、高さ50メートルの巨木になる。」(藤井一至『大地の五億年』P102)という。だから、作者は、現在の室生寺の様子を参考にして、江戸期のものとイメージする室生寺を描きそこに主人公坂崎空也を歩かせたのだろう。



2023/05/20
覚書2023.5.20―人間性のスペクトル

自分が生徒として見聞きしてきた中で、学校の先生の中には、ある問題が起こってクラスの生徒全体あるいは学校全体の生徒に向かってみんなはダメだという話し方がある。体育系や生活指導の先生に多かった。論理化の言葉も未熟な大多数の生徒は自分が立派な行動をしているという思いはないから、恐縮したようにそれを受けとめるほかない。

何が問題なのか。その先生が自分を棚に上げていることか、もちろんそれもあるが、要はその先生の「人間認識」の問題だと思われる。人間性の有り様をスペクトルの分布と見れば、極端な善悪を両端として、それぞれからヘンな人を通り、割とまともな思慮のある多数の普通の人々という真ん中辺りに来る。

この人の有り様のスペクトル全体を人間の有り様と捉えるのではなく、その局所の帯域やあるべき像や理想像を基に他者の行動を眺めたり、判定したりすると、他者にとっては受け入れがたいものとなる。現在は、政治家でも有名人でも、その行状がネットやSNSなどを通して瞬く間に伝わってしまう。

しかも、割と正確な情報と言うより、切り取られた断片的な情報となりやすい。現在の人間が特にヘンな人が多くなったとか、人間性が劣化したとか見なしやすいが、それは昔ならよく知られなかったことがネット社会の深まりによって、いわば開けっぴろげの部屋みたいになってしまったからではないかと思う。

昔なら沈黙で耐えていた不満や感情などが、ネットという仮想空間が生み出されて、匿名性もあってそれらを割と自由に配慮もなく吐き出すことができるようになったとかの個や社会の変貌がある。そこはゲームやスマホ中毒と呼ばれるものと同様に、時間をかけてネット社会での振る舞い方(新たな倫理)を生み出していくほかないだろう。

しかし、人間性の根っこの部分、すなわち人間の有り様のスペクトルは、昔も今も割と不変であると感じている。また、個の上述した人間性のスペクトルは、穏やかな人だったのが切迫した悪状況などで犯罪を犯してしまうなど、誰にもあり得るように、変位することもあり得る。



2023/05/21
覚書2023.5.21―人間性のスペクトル・続

人間の有り様が配列される人間性のスペクトルといっても、人類普遍の面もあれば、地域性(種族や民族や国家など)によってもそのスペクトルの様相は違ってくる。また、地域性の同一性の中でもそれに規制されつつも個々の家族の生い立ちによってスペクトルの分布は左右されるだろう。

吉本さんは『母型論』(1995.11)中で、子どもは母胎の中の〈大洋〉期に母の全てを刷り込まれると述べている。そうして、その母は、具体的な固有の人であると同時にその地域の子育ての仕方の風習の中に育ち生きている。こうして、人はその地域性と固有の母との影響下からひとり歩き出していく。

例えば、粗暴な振る舞いをする子どもや心がこもっていないような話し方をする者を目にしたら、誰もが自分のことは棚上げして育つ過程でなんかあったんじゃないかと思うだろう。母になった人ならもっと実感的にその「なんか」がわかりそうな気がする。



2023/05/22
農事メモ2023.5.20

小山の竹の子が二日おきぐらいで、1本、2本、そしてやっと6本採れた。これでタケノコごはんができる。それに加えるフキも採った。



池波正太郎原作の『剣客商売』では、田沼意次は割と「良い人」として描かれている。主人公は剣客、秋山小兵衛。その息子の大治郎は田沼意次の娘三冬と結婚する。いわば、田沼意次と近しい位置からその権力者の日常の具体的な振る舞いの姿が好意的に捉えられている。

一方、佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』では、主人公の坂崎磐音(佐々木磐音)は権力者の田沼意次とは遠い位置にあり、田沼意次は対立していろんな策謀を巡らせ暗殺者を送り込む存在として描かれている。公人はその見え方の対立的な二重性を不可避なものとしている。

もしも、吉本さんが構想したように政治が単なる当番制のようになれば、権力臭を放つ政治家への関心も薄れお近づきもなくなりその二重性は解消し始めるだろう。
これで思い出すのが、安倍晋三(政権)の話である。

様々な動機でお近づきになった有名人やネトウヨなどは安倍晋三をとっても「良い人」として語り、描く。わたしからは、ろくでもなかった存在にしか見えなかった。個人や公人にいたるまで、人によって見え方がそんなにも違う、そんなことってあるんだなと改めて思った。

まあ逆に言えば、個人として考えれば、一色で見られることなく、そんなことがあるから、どんな人でも救いがあるということにもなるだろうか。



「サブスク」というのが流行っているらしいと最近知った。言われてみれば、毎月とか毎年定期的にお金が入ってくる経営システムって、いいなとずいぶん前に思ったことがある。昔は、会計ソフトは買い切りでバージョンアップのフロッピーなんかも無償で送ってくれてありがたいなと思ったことがある。

それが、最近では付属の確定申告はその年度しか使えない仕組みになってしまって、毎年お金を払わなければならない、実質「サブスク」になってしまった。サブスクはいろんな分野で流行っているようだが、昔の現金買いから月賦が生み出された時のような大きな変貌のような気がしている。

サブスクリプション(英語: subscription)は、月単位または年単位で定期的に料金を支払い利用するコンテンツやサービスのこと。商品を「所有」ではなく、一定期間「利用」するビジネスモデル。日本ではサブスクとも略される。(wikiより)



2023/05/25
今日、以下の二つを読んだ。私にはリーダーとか関係ないが、別の関心から読んだ。
1.米国で東アジア系がインド人より出世できない理由 日経BP
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00030/071300115/
2.似た者同士で群れる日本人 リーダー量産するインド人とどう違う?
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00351/042600027/
これと関わる覚書を最近書いていた。↓


覚書2023.5.25―沈黙の存在感

各自の本意は棚上げしてある主題について異なる立場に分かれ議論するディベート(debate)がある欧米流なら、沈黙は価値以前の存在とみなされ、いかに論理を効果的に駆使するかに価値が置かれているのだろう。黙想や沈思黙考等の言葉(アジア中国由来かどうかは知らないが)を持つ

わが国では、その欧米流の浸透をずいぶん受けても、その欧米流が生み出された地域性と同様にわが国の精神の遺伝子とも言うべき沈黙を無価値とは見なさない地域性がまだ残っているような気がする。もちろん、言葉にして外に表現するには見聞きする他人を想定しているから表現の筋道や工夫が必要である。

だからといって、沈黙の内で感じ考えていることがそれより劣るとか外に表現されないかぎり無価値であるとかいうわけではない。だから、話し合いで議長をする者から色んな組織の指導者や会社の管理職、政治家などにおいては、沈黙の声に耳を傾けることがもっとも大切である。

沈黙というのを本格的に考察したのは、わたしの知る限り吉本さんのみである。「沈黙の有意味性について」(1967.12)、「芸術言語論――沈黙から芸術まで」(2008年7月19日講演)しかも、生涯に渡って沈黙と言葉の存在である人間を考察してきた。

吉本さんは後者において、言語の本当に幹と根になるものは、沈黙であり、他人とコミュニケーションを交わすための言語は枝葉に相当する。仕事や社会生活や経済では、後者の枝葉が言葉の主人公のように大切に見なされがちだが、人間にとってほんとうに大切なのは幹である沈黙であると考えていた。

西欧も、理性を重視し論理や概念が盛んに立ち上がって来るギリシア時代、それ以前は(例えばケルト人の文化などには)、霊性と共に沈黙を重視する段階があったのかもしれない。依然としてその西欧の言葉や論理の価値化が世界制覇しているが、沈黙の無視は世界の半分しか捉え尽くせないのは自明だ。



2023/05/27

今日の朝のニュースで「内戦なしでは乗り切れない」という言葉に目が留まった。そんなふんいきは感じていたが、わたしは初めて耳にしたような気がする。「ローズ被告が『内戦なしでは乗り切れない』などと支持者らにメッセージを送ったうえで武器などを購入し、議会議事堂を占拠しようとした」


アメリカもわが国も最上級の閉塞感が、トランプや維新やN党や参政党などの「ヘンな人(集団)」を生み出しているのだろう。理想の社会の構想や政治の構想など口からでまかせに過ぎないが、扇動性の言葉だけは持っている。全体がなんかひちゃかちゃのまさしく沼状況で、うっとうしいな。



2023/05/28
テレQで韓国ドラマを観ているが、宮廷ドラマでは何か失敗を犯したらよく「わたしを殺してください」というセリフがある。これは罰してください位のニュアンスなんだろうか。上の者はほとんどそれをスルーしている。日本なら、切腹させてくださいは、そんなわけにはいかないだろう。無意識的な伝統か。



2023/05/29
今月読んだ本 2023年5月号(松本孝幸さんより)
・『吉本隆明全質疑応答Ⅴ』
現在を遙かに超えていた日本国憲法のこと。
http://matumoto-t.blue.coocan.jp/23yonhon05.html







13


 最近のツイートや覚書など2023年6月 ①


2023/06/04
農事メモ2023.6.4
・杏(あんず)の木が1つあり、今年は例年になく杏が不作。7個ほどしかなっていなかった。昨年は、7㎏も収穫した。
・スイカがなりはじめていた。ソフトボール大より大きかった。



2023/06/09
最近見かける「かーさんお肩がこってるの プチプチプチプチプチシルマー」のテレビCM、昔もあったように思うが、なぜか印象に残る。歌のリズムのせいだけではなく昔懐かしいチンドン屋さんの様式を受け継いでいるからだろうか。



2023/06/12
行政の責任者としての熊谷俊人(千葉県知事)の長文ツイートを読んで改めて感じたこと。

専門家も今回のコロナやワクチンについてよく把握できていない気がしてきたが、まず、わたしは素人だから素人の素朴な疑問になる。

1.(集団)免疫は成り立つのか
「抗体保有率が一定水準に達するなど集団免疫を社会全体で獲得するまでは感染の波を繰り返すことになりますので」とあるが、変なこというようだが今回のコロナもそれに当てはまるのか。一度ならずコロナに罹っている人たちもいる。

2.1.とも関わるが、四年程度で収束したスペイン風邪とコロナの振る舞いは違うのか。

3.医療が逼迫しだしたら、盛んに「重症化リスクのある方を感染から守る観点からの対策」とか当局は言い出していたが、また言われている。これは一種のお手上げですということではないのか。

4.ワクチンについては別に役立つ良いものだくらいにしか思っていなかったが、コロナ前に子宮頸がん・HPVワクチンの副作用に苦しんでいる人々がいることを知った。一方、医療系でそんな人々に攻撃的でワクチンは無謬だみたいな者もいてちょっとワクチンに疑念を持った。ところで、今回の新たな仕組みのワクチンだが、問題は無いのか。

5.不明な後遺症を伴ったりする今回のコロナの振る舞いと副作用をもたらしているように見えるワクチンの有り様は、従来的な捉え方で済むのか、それとも新たな観点が必要なのか。専門家は、問題点を集約してそろそろそんな問いに答える時期ではないのか。

6.わたし(たち)は、まだまだできるだけコロナに罹らないように注意した生活を送るだろう。



2023/06/15
農事メモ2023.6.15
・まだ竹の子が採れる。
・今年のキュウリが採れ始めた。
・わたしは稲は育てていないけど、九州のこちらは今が田植えの時期。

大まかには大陸の北と南からの二種類の人々が時期を隔ててこの列島(島嶼)にやって来て各地に住み着いたり、移動したりした。同じ稲作でもそれぞれの地域の気候条件などにより稲を植える時期も当然違ってきたのだろう。また、柳田国男が細かに収集・分析したが、同じ言葉も地域によって言い方が違ってしまった。







14


 最近のツイートや覚書など2023年6月 ②


2023/06/18
どうかなおもしろいかなと思いつつ、高田郁(かおる)原作の『みをつくし料理帖』(NHK版)を時代劇専門チャンネルでみた。うーん、よかった。なんか『銀二貫』のふんいきにも似てるなと思ったら、同じ原作者だった。ところで、きまじめな町医者役で永山絢斗という俳優さんが出ていた。時の人とは知らなかった。



2023/06/20
RT
【奇祭】男を藁でぐるぐる巻きにして、街中をゴロゴロ転がし、容赦なく水をぶっかける『水止舞』が、東京都大田区大森で7月9日(日)13時~15時開催。
ぶっかけられた男はそのたびに法螺貝を吹く。
今年の水止舞は、元亨3年(1323年)から700年となる記念奉納となります。


現在の視線では、雨=自然現象と見なして疑がわないし、それが自然な感性となっている。現在からは、 雨=龍神は象徴的・抽象的に見えるけど、近代以前までは長らく現在の私たちの自然な感性と同じく雨=龍神と見なしていたろう。そんな具体性の自然な感覚のドラマがこの祭りの構成にも見られると思う

ところで、現在の視線からは雨が止むかどうかは確率1/2だから祈祷に関わりなく、偶然雨は止んだという見方になりそうだ。確かに人(々)の強い願いが現実や現実の関係を動かすことはあるが、自然現象を願望だけでは変えられないというのは現在的な感性や思考の基本だ。しかし、以前はそうではなかったのだろう。



覚書2023.6.20
例えば、軍備を持つのが当然のような「政治」の常識がある。個人に例えれば、武器を隠し持ってあるいは武器をちらつかせて、付き合いをするようなものだ。太古から儀式的なものや紛争などから武器はずっと存在し続けてはいる。しかし、近代社会以降は、隣村との武器を持った対立などは解消した。

その代わりか、国家が軍備を必須と見なすようになってしまった。そうして、核兵器という恐怖の宗教性の上に「戦術核兵器」やら無人機やらロボットやAIやらが積み上げられているようだ。もうこれは軍備や戦争自体のデカダンスだろう。現在の軍備を持つのが当然のような「政治」や「外交」の常識を

必要悪としてであれ認めることは、その事態を永続させようとすることだ。人間的な理想もヘチマもない。例えば、北朝鮮はミサイル開発や実験を続けている。一方で、ネットの記事によると民衆に餓死者が出ているという。「国民の生活が第一」と思わないこんな国家って、何なんだと思う。

同様に、ヘンな政党ばかりになっているような現状で、そんな政党を許容することは、その事態を永続させるのを支えることになる。無党派層が増大してきている中で、政党も無党派を目指すべきだと思う。そうして、対策の方法上の対立はあっても、私たち生活者のためだけに存在すればいい。



2023/06/21
もうずいぶん韓国ドラマ(宮廷ドラマ)を観てきた。どれも観客を楽しませるよううまく作ってあるし、そのための俳優さんもきちんと配置している。今はQテレで『馬医』を観ている。主人公はもと馬医だった医師のペク・クァンヒョン。最近の場面で、こんなことがあった。

主人公のペク医師と同じ師匠に付いていたが破門されたヒョンウクが、倭の国から戻ってきて、世子(セジャ)の治療をしているペク医師は知らないことがあるはずだから必ず失敗するとつぶやいた。一方、別の場面では、ペク医師の師匠だったかが、ペク医師はきっと成功するとつぶやく場面があった。

この二つともが、ドラマの中では登場人物の単なるつぶやきに過ぎないが、ドラマの流れを左右する作者(脚本家、監督など)の声でもあるのではないかと思われた。その後その「予言」に反し、また「予言」に従い、ペク医師は、世子の手術後の処置の困難に遭遇しそれをうまく乗り越えて、手術に成功したのである。



2023/06/22
味気ない/運河に揺れて/いる光/ひっかき傷が/まだ治らない 朝田おきる

音数律を意識して読むと「句またがり」になっており、それが運河の光を突出させる。その光はくすんだような感じで、「ひ」音を介して〈わたし〉の傷の癒えないさえない感じとシンクロしているか。



2023/06/23
現在のところのわたしのイメージでは、AIは、編集機能ということになるだろうか。わたしたち人間も見聞きしたり学んだりする過程で「編集」ということをやっている。AIの場合は人間によって操作(プログラム)されて編集主体になっているとすれば、人間の場合は固有の心や感受が編集主体になっている。

今後AIも深化・高度化をとげ、様々な分野で人の支援をしてくれるだろうが、AI=人工・知能であるかぎり、一見自立的に見える編集機能というその本質は変わらないように見える。また、AIは、悪の支援もしてくれるはずである。



2023/06/25
スーパードラマTVの 『スタートレック・ピカード』は、放送終了後に知って、再放送がいつになるかと待っている状態だけど、今日新聞の番組欄を見ていたら、NHKのBSに『大富豪同心3』が載っていて、3?と思い見ていたが、新シーズン初回を半分ほど見ることができた。こちらは、一応セーフだった。



2023/06/27
吉本ばなな『はーばーらいと』が今月に出たという。振り返ってみれば、現在は物語でも本でもドラマでも過剰になってしまった。見たい聞きたい知りたいものだけでも追うのは骨が折れる。どうしても積ん読が増える。たぶん作者の数も社会のスピードも過剰なのだ。どうする「わたし」?



覚書2023.6.27
鎌倉時代の新仏教はいくつも宗派があったが、いずれもインドー中国由来の仏教であり、それまでの貴族層中心の外的なものではなく、戦乱や飢餓をの渦中にあった民衆の不安な心にまで下りてきて内的に揺さぶり組織した点では同一であった。それも、現在では人々の静かな無関心の中にある。

幕末の「尊皇攘夷」運動は、幕藩体制の維持勢力と対立的なものであったが、ともに「内憂外患」の幕末状況を乗り越えようという意志においては同一であった。そうして、普通の生活する人々という概念が希薄なのも同一であった。さらに、現在では、いずれの思想も無効になってしまった。

ところで、中国由来の「保守」や欧米由来の「リベラル」という言葉で、何かを主張したり説明したりしている風が現在でもあるが、現状を乗り越えようという意志はともに同一だと思う。また、拠り所としての普通の生活者という概念の希薄も同一である。この二つもまた、寿命は長くはないと思う。

ということは、何が根本問題なんだろうか。上に挙げたような、しかもほとんど外来性の思想を拠り所とする考え方(それはしょうがないとしても)は、時代状況と共にアップデートされてきたが、共通する根拠は、無用な対立をかき分けて、普通の生活する人々という概念を持つことだと思われる。

そういう場所からわたしは素人なりに政治や社会を見ている。バカな政治家や有名人の発言などにうんざりだなと思いながらも、世界は、それらの恣意的な発言や振る舞いや作為を超えたところ、深い所で蠢(うごめ)き流れているような気がする。(例えば、家族葬の登場などは何らかの変貌の象徴だろう。)







15


 最近のツイートや覚書など2023年7月


2023/07/01
事件として社会に浮上してきた時、市川猿之助が、家族会議では「死んで生まれ変わろうと話し合い」と語ったということに引っかかった。死ぬ方便としての言葉でないとすれば、現在の主流の死生観とはズレているなという気がした。またもう一つ、どういう母子関係だったか知らないが、母を殺して「遺体の一部を食べた」

ということにも、現在の感性とのズレを感じる。古代では縁者が、亡くなった人の人肉を食べる風習があったという記述を読んだことがある気がする。「霊媒師になるために殺す必要があった」というのは、それと同様の〈力〉を得るためだろうか。この娘は、もはや日常の生活世界から半歩以上抜け出ていたのだろう。

いずれにしても、現在の視線からは異様に見えるが、本人たちは正気だったんだろう。遙かに通り過ぎてきた人類の過去の振る舞いを、なぜ現在にこうしてくり返してみせることがあり得るのか。現在でも占いが商売としても成り立つように、遙か太古の人類の歩みは現在でも主流から外れて生き残っているからだろうか。



2023/07/02
例えば、昔テレビで見たアラスカのクジラ漁は、村人総出で行われ、漁の後にはクジラの肉の配分を恐縮することもなく当然のことのように老女が受け取っていた。相互扶助やもやいの社会の自然な光景だったのだろう。ところで、わたし(たち)はツイッターにずいぶん慣れ親しんでいるが、無償を自然なものと見なしている。

その背景には、ある種の虫と植物の共生(相互支援)のように、ツイッター社は、無償でサービスを提供し集まってもらい、人々(ユーザー)の集まったことによる〈力〉によって広告事業から収益を得ることができる。現在は広告の時代でそれが無になることはないが、ツイッター社はこのシステムが今危うくなっているのだろうか。



昔は単独で諸国を巡っていた芸能者もいたろうが、親方-芸能者、現在で言えば芸能事務所-芸能者というあり方もある。現在では例えばアパート経営も不動産屋を通すとか何でも囲い込まれてしまっているから、芸能事務所-芸能者というあり方しかないのかもしれない。

その関係の有り様については語ることはなくても折口信夫は通じていたかもしれないが、わたしが思いつくのは時代劇に出てきた角兵衛獅子の親方-芸能者(子ども)の関係である。実際に親方による虐待などがあったらしい。その独特の世界の名残は、今ではずいぶん近代化された関係になっているのだろうか。



農事メモ2023.7.2
・今日はくもり日で、午後から畑に出た。帰りしなに、畑の先の林から、カラスらしき鳴き声がした。初めは「カアカアカアカア」が四五回聞こえた。四拍子かなと思ったら、「カアカアカアカアカア」が一度あり、「カアカアカア」が三、四回あった。



録画していた「NHK MUSIC SPECIAL 椎名林檎」(6/1放送)を、負の関心から見た。椎名林檎のデビュー時は、もううろ覚えだけどハスキーボイスでツッパッた感じだったかな。変わった者がいるなと思った。追ったことないからその後はよく知らないが、椎名五輪みたいな儀式歌みたいなのにも手を出していた。

歌詞の言葉の面から番組内で歌った「ありあまる富」をみても、自分を棚上げして言えば、理屈っぽいのが負の特徴か。「私は猫の目」の畳み込むような饒舌さと併せると、すぐにイデオロギー性の儀式歌に転位可能な気がする。もちろん、彼女なりに長年表現活動をしてきているからそんな単純なことでもないけど。

あともうひとつ。これは以前から感じていることで椎名林檎に限ることでもないけど、最近の歌は背景に照明としてではなく光やイメージの流れを必須とするようになっているのだろうか。つまり、音楽のパワーは言葉の側からするとうらやましく感じることもあるが、現在の歌は、そのパワーが減衰してきているのだろうか。

歌だけでは物足りなくて、ダンスを入れたり、イメージの流れを背景に流すことで、その歌自体のパワーの減衰を補償しているのだろうか。音楽素人の雑感でした。



2023/07/06
農事メモ2023.7.6
4/17 晩白柚の花がとてもたくさん付いていた。(A)
7/06 なかなか見つけにくかったが、やっと確認。今年は五個なっていた。(B)
・(A)→(B)は、どういう事情かわからない。



2023/07/08
稲垣吾郎・草彅剛・香取慎吾が送る教育バラエティー▽「子ども記者会見」モデル・冨永愛が登場。10代でのニューヨークデビュー以来、世界で活躍するカリスマにせまる!初回放送日: 2023年7月8日

途中から見た。この世界にはいろんな小世界があり、知らないで済ませていることも多い。モデル・冨永愛は顔と名前ぐらいは知っていた。

モデルの仕事を沈黙の表現者みたいに語っていた。つまり衣装をまといそれに合わせて身体の動きや立ち姿で表現する者であると。一方それゆえに、言葉での表現も加わる俳優の仕事には初め戸惑ったと。



RT
「ABC予想」の証明理論、欠陥見つけたら1.4億円 実業家が発表
有料記事
石倉徹也2023年7月7日


 数学の超難問「ABC予想」を証明したとする京都大数理解析研究所の望月新一教授の理論について、ドワンゴ創業者で実業家の川上量生(のぶお)さんが7日、「間違いの証明」に100万ドル(約1億4千万円)の賞金をかけると発表した。
 論文の正しさを確かめる長い検証を終え、2年ほど前に出版された理論の「欠陥」を探せというものだ。数学史上、極めて異例の賞金が登場した。
 賞金を手にする条件は、望月さんの理論の間違いを指摘した論文が査読付きの専門誌に掲載されていること。掲載誌は、過去10年に数論幾何の論文が10本以上掲載されている専門誌とした。審査は非公開で、川上さんが数学者の意見を元に独自に判断する。賞金は川上さんがポケットマネーから出すという。
 数学の賞金としては、超難問「リーマン予想」など未解決の7問に1問100万ドルがかけられた「ミレニアム問題」が有名だ。ただ、一度認められた証明に対して、多額の賞金がかけられるのは過去に例がない。
 対象となる理論は、望月教授が約20年かけて1人で築いた「宇宙際(うちゅうさい)タイヒミュラー(IUT)理論」。足し算やかけ算をする世界(=宇宙)を縦横無尽につなげ(=際)、数を自在に行き来させるという斬新なアイデアだ。ABC予想を解決したとして2021年春、論文が7年半の検証を経て国際専門誌に載った。
 ところが、「異世界から来た」と言われた理論は当初、奇抜さと難解さから多くの数学者が大意さえつかめなかった。出版前から異例の勉強会が開かれ、解説論文も次々出たが、習得の壁は高く理解者は増えなかった。・・・


以前、望月教授の「宇宙際タイヒミュラー(IUT)理論」を読み解いた加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学―IUT理論の衝撃』(2019年4月)を読んだことがある。うすぼんやりの理解だったのが、もう雲散霧消した印象になっているが、なぜかその時この問題から、吉本隆明が『共同幻想論で』提唱した、

人間の生み出す幻想を自己幻想、対幻想、共同幻想の三つ(の宇宙)に抽出し、それら相互の関係の構造を明らかにしようとした試みを連想した。現実的には、それらの三つの幻想は、ひとりの人間の中に複雑に絡み合って内在している。数ではなく幻想(観念)だが、人間の生み出したという点では同一である。

ちなみに、加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学―IUT理論の衝撃』の「刊行によせて」という望月新一氏の言葉によると、「『宇宙際タイヒミュラー理論』という理論は一言で言うと、「自然数」と呼ばれる「普通の数」(=つまり、1,2,3,・・・)の足し算と掛け算からなる、「環」と呼ばれる複雑な構造を

した数学的対象に対して、その足し算と掛け算という「二つの自由度=次元」を引き離して解体し、解体する前の足し算と掛け算の複雑な絡まり合い方の主立った定性的な性質を、一種の数学的な顕微鏡のように、「脳の肉眼」でも直観的に捉えやすくなるように組み立て直す(=再構成する=「復元」する)数学的な装置のようなものです。」




2023/07/09
例えば、「ゾーニング」や「ローン・オフェンダー」という流行の言葉がある。いずれも従来の日本語で「区分」や「単独犯」と言いかえることができる。なぜそんな言葉を使うのか。私たちの隣にいるのは、もはや先進中国ではなく、欧米だからだろう。

また、ビジネス世界でのカタカナ言葉の蓄積による自然さも加わっているのかもしれない。また、甘いものより「スイーツ」と言った方がなぜか新鮮味を感じるからだろう。昔の先進アジア中国の内面化と同様に欧米化も私たちの意識の中層辺りまで浸透してきているようだ。

わたしはいつも流行に遅れる方だから、恥ずかしくてそんな言葉は使わないけど、日本語の流れの現在をよそ事のように眺めている。しかし、やっとスマホは手にしてしまった。そして「スマホ」という言葉にも異和感はなくなった。



AIも人間が生み出した「文明の利器」である。まず、こういう人間の文明化の推力は押し止めようもない。それから、新しい物の登場には必ずといってよいほど人の受容と反発を伴う。わたしはAIのマイナス面や危険性をそんなに心配していない。火薬は鉱山などで役立つのだろうが、戦争の武器にもなった。

電話(スマホ)は便利であるが、オレオレ詐欺の道具にもなる。問題なしの「文明の利器」なんてなさそうだ。付け加えれば、人間の意志が戦争を終わらせることができる前に、探査や武器などの科学技術の過剰な成果が戦争の不可能を宣告してくれたらなあと夢想する。(AI考)



#安倍内閣総理大臣ありがとう (とか死んでも言うわけないじゃん!)
古谷経衡さんの考察によると、「ネット右翼の全国的実数が約200~250万人である」。従来なら社会の隅に居るべき「ヘンな人」であるこのネトウヨを無意識的であれ、仮想社会を通じて社会に引き出し本格的に組織化したのは、安倍総理

(安倍政権)である。そうして生活社会に敵対し、日本会議ー統一教会ー安倍政権としてネトウヨ化した。彼に身近な人や身近に感じる者たちは、「良い人」として親近感を感じさせる神のように祭り上げ、自分たちを支える御輿にした。神が死んで最近ではネトウヨさんも少し目が覚めてきたろうか



2023/07/16
RT
木村八朔(ブンサイ!管理人)@hassaku1996
・台湾で詠んだ短歌です #tanka #短歌

パスポート前に抱えて歩き出す弱さを跳ね返して 熱源



この歌から、最近やっと詠み終えた岡井隆の歌集『あばな』の中の、

たましひにもし道筋があるとして小道小溝を走らうね 水

の歌を構成が似てるかなと思い出しました。この「水」は、水みたいにさ、と理解しました。



2023/07/24
RT
宇宙の年齢は267億歳? 早すぎる初期銀河の発達を説明できる新たな理論モデルを提唱 https://sorae.info/astronomy/20230723-ccc-tl-hybrid-model.html
@sorae_jp より



「現在の宇宙は誕生から137億8700万年(±2000万年)が経過している」から、「宇宙の年齢は267億歳?」などの新たな理論モデルが次々に出てくるのは、人間と自然との出会いの深化による必然であり、超未来の人類の命運に貢献はするだろうが、現在の私たちにはほぼ無意味に感じられるのは仕方がない。



2023/07/25
つぶやきがこぼれて文字になるなんてちょっと服でも身に着けないと

いーろんな鳥が運んではにぎやかに降り積もるよ仮想の井戸端

#さよならTwitterの短歌


 






16


 最近のツイートや覚書など2023年8月


2023/08/04
農事メモ2023.8.4
暑い晴天続きなので、五日ぶりに畑へ出た。
・ブルーベリーの5回目の収穫。暑い中1個ずつとか2、3個ずつ手摘みした。
・晩白柚がソフトボール大くらいになった。今年は五個なっている。



ジャニーズには、まったく関心がなく今まで縁がなかったけど、今回知った長期にわたる性犯罪はタチが悪いと思う。それは、芸能プロダクションの営業ということと性犯罪ということが別々のものではなく緊密に関係しているように感じられる点である。それゆえ、逆に批判も忖度させてきたのだろうか。



2023/08/07
労働団体や経済団体や宗教団体などが、理想の社会を思い描くのは良いとして、極端にはオーム真理教や統一教会のように稚拙な社会革命や政治革命を目指して政治に関わり圧力をかけるのは害悪。労働団体、経済団体、宗教団体は、その本来の初発の動機や目的(人々の幸を目指す)に大人しく帰るべきだと思う



2023/08/08
地形や地理が政治や戦争と無縁ではなかろうが、いま流行の「地政学」が人間世界を捉える本質的な概念とは思えない。問題は、主に先進国で近代以降〈個(個人)〉というものが析出され尖鋭化している世界的状況で、「ユーラシア主義」などのアジア的遺制や感性がなぜ生きつづけているかということだと思う。

そうして、アフガニスタンやイスラム諸国などの古い感性や遺制を引きずっている国でも、自由さを欲求する〈個(個人)〉が次々に現れ出てくるだろう。その世界的趨勢は押し止めようもない。ある時期に形成されたその古い感性や遺制をいつかは脱ぎ捨てざるを得ないだろう。ロシアもまた。



2023/08/14
 小泉悠『ロシア点描―まちかどから見るプーチン帝国の素顔』は、以前読んだことがある。小泉悠は単なる「軍事研究家」ではなく、その言葉に日常の生活感覚をきちんと携えていることだと思う。今連載中の以下もおもしろい。「この戦争は、私たちの日常とつながっていて。」小泉悠×糸井重里も
https://www.1101.com/n/s/yu_koizumi2



2023/08/19
『暴れん坊将軍』もそうだし、韓国の時代劇もそのようだが、悪役はだいたい決まっているようなのだ。悪役専門なら、顔の化粧などを含めて役作りでやりやすいということがあるからかもしれない。

ところで、つい先頃まで、NHKのBSで『大富豪同心3』をやっていて見ていた。これは、ドラマが終わったらドラマに出て来た主人公等も敵役たちも、主題歌が流れる中いっしょに仲良く踊り出すということがあった。観客の私としては少し異和感があった。

確かに、ドラマは主人公も悪人たちも全てが織り成す物語が生命(いのち)であり、モチーフである。現実の世界の出来事や関係とは違って、ドラマが終われば、ドラマの外では、それぞれの役者たちは、物語から解放された自由で平等な存在である。しかし、その私の異和感は、どうしてもドラマを見る視線で

それを見てしまうからだろうか。
それは、歌手や俳優のファン心理についても言えることで、舞台を下りても舞台上のイメージを抱いてお気に入りの歌手や俳優を追っかける人々の視線や心理も、わたしの場合と同じなのではないだろうか。



2023/08/20
日曜劇場『VIVANT』、前回に続いて今回も見てしまった。だいたい物語の大枠がわかったような気がする。それにしても、大げさすぎる、悪い意味でアニメ的(空想的)なドラマだと思う。現在で言えば、ちょうど陰謀論と対応するような水準のドラマに過ぎないと思った。このドラマはスピード感と意外性が命か。



2023/08/23
fast(副詞 しっかりと)→fasten(動詞 (シートベルトなどを)締める)は、知っていたが、fast(自動詞 断食する)は知らなかったから、「ファスティング」(fasting)に出会って何だろうと思って、調べてみた。断食のことか。ま、断食は少々古臭いから、現在であれば何だろう、「ファスティング」で済ませているのかな。

ところで、カフカに「断食芸人」という作品がある。英語への自動翻訳によると「Fasting Entertainer」。

日本語もそういうところがありそうだけど、英語で思わぬ意外な意味に出会うことがある。昔windows付属のゲームに、地雷原から地雷を取り除くマインスイーパー(Minesweeper)というゲームがあった。この「mine」には、「鉱山・地雷・採掘する」などの意外な意味があった。最近では、Bitcoin miningもある。







17


 最近のツイートや覚書など2023年9月 ①


2023/09/04
農事メモ2023.9.2
・曇り日で草取りに出た。スイカを植えていた所とその横の畝にサツマイモを植えていた所の草取りしていた。そうしたら、草の間から小玉スイカのサイズのスイカが1つ出てきた。底の部分を草と一緒に少し切ってしまった。
・そんなことを期待しながら来たのであるが、ラッキーと思った。

仕事として農業をしている人は、終わり近くになればすべて片づけてしまうのだろうが、わたしの場合はもっとそのままにしておく。そして、そんな幸運は時々あるのだが、大きさからは大丈夫と思ったら、まったく甘味がなく食べることができなかった。おそらく甘味が付き出す前につるが枯れてしまったのかもしれない。

ほんとに残念だったけど、こんな小さな悲喜劇はだれもが経験ありそうに思う。



RT
朝日新聞 2023年9月3日
 前橋市出身の詩人・萩原朔太郎は1923年、関東大震災で被災した親戚を見舞うため、群馬から約100キロ離れた東京へ向かった。

 朝鮮人あまた殺され
 その血百里の間に連なれり
 われ怒りて視(み)る、何の惨虐(さんぎゃく)ぞ

 そこで見聞きしたことなどからうまれた詩「近日所感」は、震災翌年の24年に発表された。
 そんな朔太郎の足元の群馬でも、惨劇があった。



関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件に触れた萩原朔太郎の言葉に出会ったのは昨年だったか。また思い出してしまった。



2023/09/06
コウモリを「頭」で数えるのは知らなかった。調べてみると、「コウモリの数え方は「匹(ひき)」、「羽(わ)」、「頭(とう)」空は飛べるが哺乳類なので、「匹」で数えるのが原則 哺乳類だが空は飛べるので、「羽」で数える場合もある」とのこと。英語では「two bats」のように言う。

中国由来か、日本だけの数え方なのか知らないけど、純粋に数だけを示す英語(?詳しく知らないけど)に比べて、数えるのに別の要素も抱え込んでいるようだ。



2023/09/07
最近「ウェビナー」(英: Webinar)という言葉に初めて出会った。日本語由来かと思ったらそうではなさそう。「ウェブ(Web)とセミナー(Seminar)を組み合わせた造語であり、ウェブセミナーやオンラインセミナーとも呼ばれる。 」(wiki) 「桜の花」みたいな合成語に当たるのかな。



2023/09/08
2023/08/04
ジャニーズには、まったく関心がなく今まで縁がなかったけど、今回知った長期にわたる性犯罪はタチが悪いと思う。それは、芸能プロダクションの営業ということと性犯罪ということが別々のものではなく緊密に関係しているように感じられる点である。それゆえ、逆に批判も忖度させてきたのだろうか。

2023/09/08
わたしは今もジャニーズへの関心の圏外にしかいない。ジャニー喜多川は、ある時から小天皇のような位置と感覚を手にしたのかもしれない。そんな彼と彼の放埒を支えたのは、古代以前からのよくある姉-弟の絆と事務所の周囲の奉仕があったのだろう。そんな風に見てしまえば、これは現在の社会にも現存する

アジア遺制的な権力の問題になり、誰もがそんな渦中にいることになる。ちなみに、「姉弟が一心同体となって事務所をもり立ててきたが「長い歴史の中、メリーがジャニーのことを守りすぎたことが、調査報告書でも私が知らなかったことを知ることになり、」(藤島ジュリー景子 9/7会見の発言 日刊スポーツ新聞社)



RT
「ある程度の線に近づいてきた。こうして自衛隊と自民党の為政者たちとつながる活動をしながら日本警察を背後から操縦できる活動をしてきた」(マルスム選集110巻1980年)
 註.文鮮明の発言録より


うーん、これは極めて強力な政治性を持った、すなわち宗教組織のメーバーの幸福や救いの追求が主目的ではなく、宗教組織による国家の乗っ取り計画が主目的とされている。同じおおぼらでもオーム真理教よりは現実的な行動をしてきてるように見える。まだ乗っ取り行動中と思うが、現状はどこまで浸透しているのだろうか。



2023/09/09
覚書2023.9.9(未ツイート)
人が日々の生活で心(の感受として)に思っては消えていくこと。それは、ひとりひとりの固有性という違う面もあるだろうけど、多数の人に共通する面もあるはずである。そこから一気に人間という世界普遍性としてではなく、それを意識しつつもまずは、この列島という地域の歴史的な心性として抽出してみること。

王朝中心の正史に対して、柳田国男が民俗学として試みたことはそれに当たるだろう。また、吉本さんが『母型論』で試みたこともそうだろう。しかし例えば、NHKは相変わらず王朝中心の正史に対応するような『大河ドラマ』を続けている。(ま、ウケるから放送するのだろう。わたしは見ないけど。)



農事メモ2023.9.9
昨年知り合いから四角豆(うりずん)の苗を2株もらって育て種を取った。春自宅の庭にその大豆みたいな種を蒔いて育ち、8/3の4回目の収穫の後ずっと花が咲かなかったすなわち実がならず収穫できなかったが、最近また花が咲き出して、今日5回目の20個の収穫をした。今年の天候不順のせいだろうか?



2023/09/10
江戸期や明治期の、種痘を打ったら牛になるとか、牛乳を飲んだら牛になるとかの恐れや不安は、現在からの視線からは、そんなことはないともう解決された問題だから当時の人々の迷妄としか見えない。しかし、当時の科学の水準を考慮すれば、現在のコロナ等のワクチン問題同様、簡単に片付けてはいけないように思える。



2023/09/11
たぶん私以外でも同様の印象を持っている人がいるだろうと、ネットで「ワンピース アニメ だらだら続いている 読者はどう思っているか」で検索したら、いろいろあり、「 2021/06/04(金) まだワノ国やってるらしいな」(「漫画まとめ速報」より)があった。私もつい習慣になって毎週付き合っているのだが、

ワノ国の鬼ヶ島での戦闘シーンは、二、三回で終わっても不思議ではないのに、何十話も延々と現在も続いている。ルフィもカイドウも荒唐無稽な存在というのはいいとしても、引っぱりすぎではないかと思う。それって物語からくる必然とは思えない。まあ、良いんだけど。

明日で終わる、全12回連載の「マンガ編集者、林士平の即答。」(ほぼ日刊イトイ新聞)を今興味深く読んでいて、アニメ「ワンピース」のことを思い出してしまった。







18


 最近のツイートや覚書など2023年9月 ②


2023/09/16
RT
NHKクローズアップ現代 公式@nhk_kurogen
NHKでディレクターをしている私
幼いころからずっと日本人なのに外国人扱いされ続けてきました
「日本語が上手だね」
「ハロー!ウェアユーフロム?」
悪意がないのはわかっています
でも、悪意がなくてもいつの間にか人を傷つけていることばがあることを知ってほしいです


島国でほとんど似たような顔立ちのため異質な顔立ちだったら目立つのは自然だが、そこからからかいなどになってしまうのは残念なことだ。この列島の民は、中国や韓国の人々と顔立ちはあんまり区別できない。深い関係があるのだろう。インド当たりまで行くと、違いがわかる。古代以前を振り返れば、

縄文人と後から入って来た弥生人は激しい抗争をしたと言うより割と融和的だったと見なされている。また、古代以降も渡来人として大陸や半島からやって来て溶け込んでいる。日本人の決断力の無さや白黒はっきりさせない負の心性と見なされるものは、そんな融和・共存を支えたのではないだろうか。



対談で来週「ほぼ日刊イトイ新聞」に登場予定の、日経の記者を18年間勤めて辞めてフリーになった「経済ジャーナリストの後藤達也さん」ということで、X(ツイッター)をチェックしてみたら、「 YouTube登録者26万人。noteの有料会員2.5万人(月500円、下記リンク)」とあった。ふと計算してみたら、

noteだけでも毎月12,500,000円の売上げ。記事を毎月何本かUPするための毎日の仕事(調査・研究)は大変だろうが、それにしてもすごいなと思った。誰でもできるものではないだろうが、ネットやSNSのもたらした恩恵だろう。

一方、わたし(たち)詩を書く者は、詩の評価の歴史的な経緯もあって、すなわち、詩はお金にならないという事情のため、商売っ気はあんまりなくて、表現の結果がお金になるなんてほとんど期待していない。わたしの場合は、それでいいかと思っている。

今ふと思ったけど、詩の場合も上のnote形式のようにして毎月4,5篇の詩をUPするからnoteの有料会員になってねということはやれそうな気がする。うまくいくかどうかはわからないし、わたしはやる気はないけど、チャレンジに値すると思う。

ただし、その場合、多くの読者を獲得したいなら、大多数の普通の人々が体験したことがあること、思い悩み感じ考えること、これらを詩のモチーフとして繰り込むことは必須だと思う。また、読者からの詩の添削講座なども併せてやれそうだ。



2023/09/17
先ほどNHKがエジプトのミイラの柩やその豪勢な装飾などを紹介していた。人の死も来世も無という現在の主流の見方、感じ方からは、それらは壮大な無意味に見える。けれど、現在のそうした視線や感受が絶対だとは言えない。未来ではまた違った死や死後観になるかもしれない。ただ人が世界観を持つことでは同一だ。



2023/09/25
最近「おすすめ」のところの動画をちらっと見て思うのだけど、動画の引用に簡単なコメントが付いている時もあるけど、何にもないのもある。外国もののせいもあろうが、どういう事情なのかよくわからないのも多い。不明なものを、ストレートに受け取ってはいけないなと感じている。

それは、どういう事情かで実際に起こったことかもしれないし、創作かもしれないし、また、誰がどういうきっかけでその動画を撮ったのかもわからないし。何せ遠い世界のものごとがSNSではすぐそこにあるように感じさせられるが、よくわからないものは、不明なものとしてスルーするしかない。



2023/09/29
現在は、例えば江戸末期や明治期と違って科学も科学技術も深化し高度化したといっても、かえって錯綜とした状況を引き起こしている。ただし、江戸末期や明治期の種痘を打てば牛になるや牛乳を飲めば牛になるは、現在からは馬鹿げた迷妄に見える。しかし、現在のコロナワクチン問題はそんなに単純には見えない。(当時も、現在のように単純ではなく、錯綜としていたのかもしれない。)

例えば、「処理水」の海洋放出問題もコロナワクチンを巡る不審な死や症状の問題なども、科学(医療)技術と問題への探究の成果を、オープンな場で専門家や素人の代表を含めて論議すべきだと思う。それなしの政策(実行側)の一方的なアナウンスが「錯綜とした状況」を引き起こしているように見える。

最近のNHKの日曜討論で安東量子さんも、「処理水」の海洋放出問題について当事者間のオープンな論議を重ねることがなかったと語られていた。







19


  最近のツイートや覚書など2023年10月


2023/10/03
近代短歌bot@kindaitanka
それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
?山川登美子『恋衣』


この歌から〈わたし〉になんか悲しいことがあったんだということは分かるけど、それ以上は以下のような事情を探らないともっとはっきりとは見えてこない。
https://ameblo.jp/sakuramitih31/entry-12473586524.html

忘れな草という花の名前は知っていたけど、「忘れ草」は知らなかった。ヤブカンゾウにあたるという。「『和名抄』に「一名、忘憂」とあり、身につけると憂いを忘れるという俗信があったが、これは『文選』などにみられる中国伝来のものらしい。」、当時は外来のカッコいいイメージだったんだろう。



2023/10/10
RT
「iPhoneを風呂に落として小説が二百冊ほど波打った夜」
#tanka #短歌 #群像短歌部


例えば、柳田国男に歌の素養があるのは知っていたが珍しくも俳諧評釈をしているのに出会って読んだことがあるが、江戸期の俳句(連句)は柳田の読みの助けがないとほとんどわからないものだった。ところで、この「iPhone」「小説が二百冊」の関連する意味は、百年後もすうっと理解されるだろうか。



2023/10/12
十年程前に信長の行状を記した『信長公記』(しんちょうこうき)を読んだ。(パソコン内を検索して読書ノートがヒットした) いくさでは、町を焼き払ったり村に放火や穀物を刈り払う描写がしばしば出た。また、城攻めの後に、女子どもも含む多数の人々を三つほどの家に閉じ込め火を付け焼き殺した残虐の描写もあった。

内乱や戦争のある他の地域は別にして、わが国では、今ではそういう集団(政治)の残虐はほぼなくなっている。ただわたしたち国民(生活者)を中心と見ることができない政治というのは相変わらずだ。けれど、現在では、生み出された高度なシステムのおかげで、非暴力で気軽に意志表示できる社会になってはいる。

ただし、まだわたしたち国民(生活者)自身がそのことに十分自覚的ではないように見える。ヘンなことをする行政や政権なら、その支持率をぐーんと下げ続ければ旧来の小規模なデモよりずっと効果的になっているように感じる。また、SNSでの主張を束ねることも意味があるだろう。

一昔前と比べると、知らぬ間にわたしたちは新たな段階の社会の渦中を生きている。
註.『信長公記』(しんちょうこうき)。



2023/10/13
諏訪大社の「蛙狩神事」を今知った。神(元は大いなる自然)への感謝としての生け贄だろう。世界的なこの生け贄の始まりは、まず人間を生け贄としていたものか、あるいは動物と並行していたか。少なくとも余りに残酷すぎると人間から動物に移行してきたものだろう。

古代マヤでは、太陽への動力補給としての人間(奴隷)の生け贄を捧げたこと。これを見ても、「生け贄」は集団の結束とはなっても、現在の科学からは迷妄に過ぎない。だから歴史の段階的な流れとして、人間→動物→廃止、あるいはまねごとだけで殺さない、あるいは作りものの動物、などへ移行していくのは仕方ないと思う。



私たちの生活を支えたり支援したりするのではなく、法や制度やプロパガンダ(宣伝)などによって、この社会の表層をかき回し、私たちや社会の流れを操作しようとする政治や世界の紛争地域の現状に、(何やってんだこのヤロウ、ふざけるな)などとつぶやきながらも、いつものように仕事はするし、笑いもする。



2023/10/31
SNSのおかげで超近接社会の仮象の下、ネトウヨ初めヘンな人のから騒ぎもわたしたちの身近に目立つようになってしまったが、しかしそんなこととは関わりなく、人や社会の本質的な変貌は確実に深く進行している感じがする。例えば、「家族葬」もそのひとつの現れ。



農事メモ2023.10.31
・畑(田んぼ)に自宅から持ち込んで植えていた白い花のアジサイ、それを訳あってこちらの畑の上の段の山際に移植した。スコップで掘り出したが、太くて固い根があったのでノコギリで切った。根付いてくれるかな。
・木立ダリアがもうすぐ花咲く。

木立ダリアは、毎年11月上旬に咲いて、ひと月ほど花が見られる。植物も、人間含めた動物も、大きくいえばこの宇宙からのおくりものみたいな周期性が身についているのだろうか。



近年、相手を貶めるために安易に使われる「テロ」を再確認していたら、以下のページがあった。「テロの実像」参照。

https://www.hitachi-systems.com/ind/travelerswan/column/11/1115.html 日立システムズ
「テロの実像」
テロリストとは、どういう人たちなのでしょうか?


私たちは、特定の宗教やイデオロギーに心酔した残忍な人間だという、なんとなくのイメージを持っています。 しかし、彼らの多くは決して無知蒙昧な狂信者ではなく、高度な軍事訓練(銃、爆発物の取り扱い方、戦闘訓練)を受け、実戦の知識、技術、経験を持った戦闘員であるということを知っておかなければなりません。

テロ組織は国家の正規軍と全面衝突するには、勢力範囲が限定的で規模も小さいため、歯が立ちません。そのため、テロという「最小限の犠牲で最大の効果」を得ることができる「小規模な軍事行動」を戦術として採用しているのです。 テロは、大勢の無実の人々を巻き添えに恐怖を拡散し、敵対勢力(敵対国)に心理的打撃と企業活動の停滞などの経済的打撃を与えることによって、闘争を有利に導き、組織の主張を認めさせたり、理想の社会を実現したりする目的で実行されると言われています。


「テロ」は、国家の規模なら「戦争」となるところのものであり、小規模な軍事行動と見なせるだろう。いずれも〈人倫〉の死である残虐や悪逆非道をともなう。







20



 最近のツイートや覚書など2023年11月 ①


2023/11/02
山下ワードレス@ywordless
#tanka #短歌
砂浜に音量ボタンが落ちていてマイナス2回で凪の海へと


この歌の生命は、「音量ボタン」と「マイナス2回」だろう。古い自然意識や歌から見れば、否定的に見られる思いつきの奇抜さということになりそうだが、私たちの現在的なデジタル思考の自然さから来ていると見なすべきだろう。自然意識も自然詠も大きく曲がり角を曲がってしまった。

例えば、温暖化問題の原因の真偽の程はわからないが、少なくとも人間世界(人間力)が、自然界(地球)に悪影響を及ぼしてしまうほどの力を持ってしまったという人間の意識の現状だけは確かだろう。上の歌のように、現在の人間は自然を操作・改変・人工化するという意識の段階に到っている。



2023/11/05
現代短歌bot@gendai_tanka
おにぎりをソフトクリームで飲みこんで可能性とはあなたのことだ
雪舟えま『たんぽるぽる』



〈わたし〉が飲み込んでいてそんな自分を〈あなた〉と呼んでいるはずはなく、〈わたし〉は〈あなた〉の光景を眺めている。そんなトリビアルなことに可能性という言葉使っている。「可能性」が大げさではなく人サイズなのがいい。「飲みこんで」は座りが悪いので「飲み込む。」ではどうか。



2023/11/07
「現役世代の負担で、手厚い高齢者福祉を期待するなら」という言葉が流れてきたが、年金も福祉も現役世代のおかげというより互いに支え合う社会システムになっているのであり、今の高齢者も「現役世代」として支えてきたはず。また、消費税は全世代にかかっている。

その言葉にはシステムの流れを現在で切断しての詐術が感じられる。
ところで、少子化問題が顕在化する以前には年金財政も将来のことは見通さず湯水のように年金施設等に使っていた時期があった。福祉も先をよく見通さずにやって来たのではないか?で、システムがほころび始めると、さらなる負担を迫る。

その言い草は、「後期高齢者の医療給付費を後期高齢者と現役世代で公平に支え合うため、後期高齢者負担率の設定方法について、」(「全世代対応型の持続可能な社会保障制度を構築するための健康保険法等の一部を改正する法律」令和5年)。

ところで、「政府は、令和元年9月に全世代型社会保障検討会議を設置し、人生100年時代の到来を見据えながら、・・・・・・さらには現役世代まで広く安心を支えていくため、年金、労働、医療、介護、少子化対策など、社会保障全般にわたる持続可能な改革を検討してきました」(厚労省HP)

ずっとずっと「少子化問題」ひとつまともに対応できなかったくせに何という大言壮語、何とでも飾れる言葉の見本みたいな表現だが、要するに今のシステムを維持するための傷口塞ぎ=高齢者への医療費の負担増などを述べている。お役所仕事は気楽なものである。



2023/11/09
RT
美術ファン@世界の名画@bijutsufan
パウル・クレー『花ひらく木をめぐる抽象』1925年 東京国立近代美術館


これは抽象画で、花ひらく木の事実としての叙景、すなわち写実画ではないが、作者の心に映った事実の抒情の姿、形、色合いである。写実画も抽象画も、〈もの〉に触れ作者固有の《対象》になった姿を表現している点では同一だが、その表現形式が違うだけである。



AI(生成AI)がクローズアップされる状況になっている。コロナワクチン(ワクチン一般も)も少しクローズアップされている。イギリス19世紀初めには「ラッダイト運動」( 機械うちこわし運動)があったという。江戸末には種痘で牛になるという騒ぎもあったという。歴史は反復している。

現在からは、過去のそれらは迷妄で単純な問題に見える。しかし、現在のAIやコロナワクチンなどの錯綜とした問題状況と同じく、過去のそれらも錯綜としていたのだろう。私たちは、〈科学〉といってもまだまだ人間や自然のことを十分にわかっていない。人間力はいつも未踏を含む過渡であると思う。

ことばの人である人間の表出、表現する言葉は〈指示表出〉(指示する)と〈自己表出〉(情動)との織物である『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明)に拠れば、AIは〈指示表出〉(編集や指示)のみを本質としている。だからといって、昔の機械と同じくAIが人間に禍福をもたらす状況までは今はよく見通せない



2023/11/10
RT・・・画像「★ミロ・Painting (Head) 20231110」あり。

検索していたら、この絵と似た作品に「カタルーニャ農民の頭部」というのがあった。どちらも画題が付いてなければ何を指し示しているのか(指示表出)が全くわからない。ところで、この作品は、点を付けてみたら人の目のようになったとかいう、誰もが経験したことのあるような絵の始まりの匂いがする。



2023/11/11
たくさんの「お金配り」をリポストしているアカウントに出会った。「まだ1度も貰えていません 現金でお願い致します」とかいうのもいくつかぶら下がっていた。50万円や100万円をタダで配る奇特な人がそんなにたくさんいるとも思えない。でなければ、何なんだろう。この詐欺花盛りの時代よ。

この件に関して、以下のブログがありました。

【騙されないで】Twitterのお金配りのツイートは本物?嘘?その目的や理由は?
https://daifukblog2.com/twitter-okanekubari-hontou-uso/

政府が国民に最低限の生活に必要なお金を贈与する制度であるベーシックインカム(贈与経済)もまだ実施できていない状況で、真実味を抱かせるためか必ずといっていいほど札束の画像を伴う「お金配り」のツイートに易々と釣られる人々は、不遇過ぎる?人が好すぎる?考えが甘い?



2023/11/13
イヨマンテ(または、イオマンテ)という言葉がある。「イオマンテとはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界に送り帰す祭りのことである。」(wiki) アイヌに限らず人は近代以前までは、動植物など様々なものに〈神〉を感じ考えていた。

現在は、そうしたある意味豊饒で神話的な世界は、意味をはがれてフラットな乾いた世界観になっている。つまり、現在クマに襲われる事件が増えているが、クマは怖い動物に過ぎなくなってしまった。アイヌの時代にはそうした事件はなかったろうか、まれにあったとしたらどのように感じ考えたのだろうか。



2023/11/14
農事メモ2023.11.14
・木立ダリアが満開です。
・先日ソラマメの種蒔きして、蒔かずにひと畝残していた所に、タマネギの苗を初めて植えた。50苗買ったけど、サツマイモの苗みたいにおまけがあるかもと思っていたら、10苗のおまけがあった。

 



覚書2023.11.14
時代劇専門チャンネルで、土日以外の毎日『暴れん坊将軍』を観て来ている。今シリーズⅤだから、600話ほど観続けて来た。つまり、そのドラマの世界に十分に慣れ親しんでいることになる。そのドラマの枠組み(構成)の定型ももうわかっている。

俳優さんたちは、ドラマの外では原則平等だとしても、ドラマの世界内では、身分違いや境遇の良し悪しなどがある。また、当時の秩序内に収まっている普通の人々かそこから外れてしまった悪人かなどの違いもある。

最近ネットスラングの「プロレス」(筋書きのあるショー、八百長などの意味)を知ったが、ドラマの世界では登場人物たちはまさしく真剣に作者のモチーフに沿って「プロレス」をしている。しかし、観客であるわたしたちは、「プロレス」の背後のことは考えずにプロレスを現実のように観ている。

ドラマの撮影が終われば、登場人物たちは俳優さんに戻りさらに普通の生活者に戻り家路につく。こうしたことを俳優さんたちはわりとシームレスに行動しているように見える。また、観客の私たちもそのようなことを割と自然なこと感じている。しかし、たまには破れ目や隙間(クラック)がないわけではない。

ひとつのドラマが終わればそこに出た俳優の仕事は終わりであるが、観客の中では、俳優の場合ならいろんなドラマに出たイメージが積み重ねられて、好ましい人と見なされることがある。あるいはドラマは単なるフィクションなのに「聖地巡り」とかが成り立つ。いわゆるファンの成立である。

このようなことは、ドラマ、俳優、観客のそれぞれの本質や相互の関係の近代的な理解を少し超えている、現在の観客によるドラマ≡ドラマの俳優≡聖地などの同一化(融即)は、人々は自然なものとしてみなしているようだが、人類の古い部分の名残から来ていると思われる。








21


 最近のツイートや覚書など2023年11月 ②


2023/11/16
RT
産経ニュース@Sankei_news
「作戦司令室など発見」 ガザで病院突入のイスラエル軍


軍は15日、シーファ病院内のものだとする映像を公表した。監視カメラが設置された室内を報道官が歩いて案内し、発見されたとする自動小銃や手投げ弾、防弾ベストやラップトップ型パソコンなどを指し示す内容だった


画像では、なんでも発見できる。
現代の画像の有り様を「手品」と呼ばないとすれば、古風に言えば「神の手」によるものということになるだろうか。画像は、なんでも創造できる。「神の手」の舞台裏を知ることができるのは、現場に居合わせるか、想像力を行使すること。



2023/11/17
現代短歌bot@gendai_tanka
フォルテとは遠く離れてゆく友に「またね」と叫ぶくらいの強さ
千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』


何かを説明するのにこの歌のように表現することがある。そういう慣習に乗りながら人の別れの場面の切なさを描き出している。一首で独立の歌だとすれば、「遠く離/れてゆく友に/フォルテで/「またね」と叫ぶ/後ろ姿に」はどうかな。

なぜ「フォルテ」なのかなと思って調べたら、wikiにある大学の「校歌の作曲を担当している」とあった。音楽にも通じているのだろう。因みに、歌集『グラウンドを駆けるモーツァルト』には、「グラウンドにモーツァルトがいる 大地からもらったリズムで今走り出す」という歌がある。



2023/11/19
胎内(たいない)市って初めて出会った。由来にはいくつかあるそうだが、地形からの連想より、「アイヌ語の「テイ・ナイ」(清い川)、または「トイ・ナイ」(toy-nay 泥の川)を語源」の方かなと思った。万葉仮名以来、漢字は音の利用だけではなく意味の利用もあるからまぎらわしい。



2023/11/21
RT
白川静@sizukashirakawa
(レヴィ=ストロースが)調査をしているときに、そこの酋長に文字を見せて、文字の機能を説明したことがある。するとその酋長が、さっそく村人を呼んで、その知りたての文字を、きわめて権威的な方法で行使してみせたというのです。それはレヴィ=ストロースの目の前で起ったことです。



レヴィ・ストロースが「文字の機能を説明した」のは近代的な欧米的言語観によるものだろうが、酋長は「権威的な方法で行使してみせた」というのは、神との対話のようにして、あるいは神々(こうごう)しくということだろうか。というのは

白川 エジプトのヒエログリフでも、ピラミッドの中にしかありませんね。王さまの墳墓にしかない。・・・・・エジプトでも本来は、文字そのものは神との交通の手段であった。中国では祖先を祀(まつ)る時にも、祀る器物に文字を入れて祖先に告げる。そういう風なことを、殷代にはやっています。

吉本 最近、沖縄の学者さんが書いた方言札という表題の、要するに、その学者さんの文章を読むと、日本本土では、ただ言葉だけで言霊(ことだま)といっていたんだけれども、沖縄では、・・・中国の漢字が文字として入ってきたときに、文字どおり文字を書いた紙を祀って拝んだりしていたという。


本当に神様扱いにして、文字を奉って拝んだりしていたんだという研究が書いてあって、へーっと。
https://blog.goo.ne.jp/okdream01/e/e821e2a6078d77ce41454cb31695cdcb




2023/11/23
RT
註(.イスラエル/エンジェル投資をしている人)
人質交換でイスラエル刑務所から解放されるパレスチナ人150人はテロリストです。イスラエル領土で犯罪を犯し司法に裁かれ判決を受けた犯罪者です。一方ガザに拉致されていて人質となり解放されると言われている50人は0才の赤ちゃんや80代の高齢者などです。

イスラエルの自衛する権利を批判し「中立」や「バランス」という美名を掲げる人々が本当にそう信じているならこの人質交換は全く中立でない。少なくとも「イスラエルの人質は50人じゃなく150人にすべきだ」という論理になるはずだが軽くスルーされる。

結局イデオロギーやポジショントークが先にあり便利できれいな「中立」や「バランス」を着ているだけだろう、という認識を僕は一定の勢力に対して持ってます。なので偽善ぽいんです。
2023年11月22日


この方でも、イスラエル人と結婚していた焼き物やっている女の人でも、現地とその地の人々と深い結びつきを持っていたら、例え一応圏外の日本人でもイスラエルの国際法を無視したいろんな負にも目をつぶりイスラエルびいきになるんだろうな。先の戦争中のこの地の人々もほとんどがそうだったろう。

戦争は人倫の死だからたとえ国際法があっても戦争の双方とも残虐が普通に行われる。そして、言葉を交わしている分には普通に見えても、双方の地の人々も心も 目もイッてしまう。世界も私たちも〈戦争〉から遠いと思っていたら、(戦争になったらきみはどうするの?)を迫られるような雰囲気を感じている。



現代短歌bot@gendai_tanka
目がさめるだけでうれしい 人間がつくったものでは空港がすき
雪舟えま『たんぽるぽる』



なんてことないような感情を表現された言葉が、歌として表現されている。逆に言えば、わたしたちの誰もが歌えるような言葉になっている。そして、そんな好き嫌いは誰にもある普遍的なものである。近代以前の昔では、例え文化上層の文学があっても、こんな万人の歌も存在し続けていたと思われる。



2023/11/24
現代短歌bot@gendai_tanka
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
中澤系『uta 0001.txt』



まず、意味不明に突き当たる。普通なら、下の句は「白線の内側までお下がりください」となる。作品の言葉をこの世界の意志の表現と見るなら、この世界の動きになじめない者は近づくなという排斥の意志になる。一方、〈私〉(作者)の意志の表現と見るなら、この言葉の走行も歌の表現なんだ、それが分からない人は下がってくれ。この短い表現の一首だけではモチーフを決めかねる。わたしは、後者かなと思うけど。



2023/11/26
現代短歌bot@gendai_tanka
戦争が(どの戦争が?)終つたら紫陽花を見にゆくつもりです
荻原裕幸『あるまじろん


 註.「終つたら」は、「終ったら」の表記のミスではなく、戦前風の表記になっています。


表現している主要な場の次元とは別の次元からの言葉として、わたしも( )を時々使うけど、(どの戦争が?)はそのようなものとして表現されている。作中の〈私〉にとって〈戦争〉は自明のことを指しているのだろうが、戦争は大から小さな人間間のものまで無数にあり続けているよねという批評性が加えられている。



現代短歌bot@gendai_tanka
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
中澤系『uta 0001.txt』



「ぼくたちはこわれてしまった」とずっと言い続けている「こわれてしまった」「ぼくたち」の状況が表現されているが、「ぼく」ではなく「ぼくたち」とは、小グループか社会全体の人々を指すのか?画像化してみれば、何気ない都市風景の中に空白感を抱えた人々が立っている。そうして、社会も人もこわれている。



2023/11/27
『大岡越前』の大岡忠相を演じるのが加藤剛の場合と東山紀之とでは、同じようなドラマの物語でも、何かちがう。また、『暴れん坊将軍』に登場する横内正演じる大岡忠相もいる。この間のジャニーズ問題で登場した東山紀之の言動で、大岡忠相を演じる東山紀之のイメージが揺らいだ。

例えば、結婚式などの司会業をやっている人が、舞台を下りるとまた別人のようになり得るように、それは当然のことだが、ふしぎな気分だ。

ファンとして追っかけやっている人は、相手の普通の生活人は捨象してまるごとドラマや歌を演じる人として見て感じ受けとめているのだろう。これって、卑弥呼の時代の人々で卑弥呼を崇拝する人々もそんなものだったんだろうか。近くは、それに政治性や宗教性が加味されたアベ信者や韓鶴子信者等がいる。



現代短歌bot@gendai_tanka
しろがねの洗眼蛇口を全開にして夏の空あらふ少年
光森裕樹『鈴を産むひばり』


言葉の選択は、イメージを左右する。「しろがね」とくると、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに・・・」を連想してしまう。こんな言い方は「少年」の世界と対応している。似た構成に「あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず」がある。枕詞の古さが新しい神話性を表出か。

「洗眼蛇口」って知らなかったけど、「洗眼蛇口って今はもうないんですよね。プールのあとに目を洗うための、二股で上に向かって水が出る蛇口があったんですよね。全開にしたらすごく高くまで水が上がって、子どもたちはそれを面白がってやる。」というのがあった。



2023/11/30
RT
日経サイエンス@NikkeiScience
「“新元素”を生む現代の錬金術」

複数の元素を原子レベルで混ぜると,もとの性質を失って“新元素”に生まれ変わる。
周期表の常識を超えた化学の新しい世界が見えてきた。

日経サイエンス2024年1月号【特集:ありえない物質を作る】
2023年11月30日



「異種の元素を原子レベルで均一に混ぜ合わせる」ということの具体的なイメージがよくわからないけど、人間は、遺伝子レベルで自然を操作できるのと同様に、原子レベルそのもので自然を操作できる自然認識の段階(深さ)に到っているということだろうか。

吉本さんは晩年に、対象(事象)の捉え方として、(水素と酸素を合わせると水ができる)、どれが水素に当たり、どれが酸素で、そういうこと(水)が起きたのかと考えると語っていたと記憶する。

そういう原子レベルそのものの操作・認識の段階に入ると、吉本さんが語った「水素+酸素→水」の化学反応(自然認識)ももちろん残るだろうけど、さらに新たな形の深まった自然認識の中に旧来のものは包括されていくような気がする。








22


 最近のツイートや覚書など2023年12月 ①


023/12/03
現代短歌bot@gendai_tanka
ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』


ハロー 夜。/ ハロー 静かな/霜柱。/ハロー カップヌー/ドルの海老たち。
句切りしてみると、句と句の間で文が切れていない「句またがり」はあるが、短歌の5・7・5の音数律はまだ意識されている。もっと言えば、句点が打たれていることによって、短歌的な音数律とは別の新たなリズムが二重化され

ているようにも見える。〈私〉は部屋でカップヌードルを食べながら外を見たりしている、現在のありふれた情景。そして、世界への無言のあいさつ。表現として見れば、旧来短歌からはるかに脱した自由さを獲得している。短詩に近づいている。



2023/12/04
RT
イギリス料理の不味さについて


「イギリス料理は不味い」と何度が耳にするけど、イギリス人自身は「不味い」とは思っていないだろう。なぜなら、人は大事な食事を不味いままでは耐えられないと思うからだ。ちなみに、明治33年(1900年)から二年間英国に留学した、夏目漱石に「倫敦消息」(青空文庫)がある。

それを「秀丸」にコピーして、「食」で検索をかけたら、朝食のメニューの描写はあったが、貧乏生活していたせいもあるかもしれないが、マズいということは書いてなかった。夢の西洋と思っているわけでもなくズケズケ言う漱石だから、記述があれば信用できるかなと思った。

漱石には、ロンドン滞在日記もあるらしいけど、青空文庫にはない。漱石全集にあるだろうか。



2023/12/06
現代短歌bot@gendai_tanka
恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の恋人の死
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』


恋人の/恋人の恋/人の恋/人の恋人/の恋人の死
普通は、例えば「知り合いの女性の恋人」くらいまでしかこの関係的な社会の糸はたどられたり語られたりしないから、この歌はそんなわたしたちの社会の関係のつながりの複雑さが表現されている。

短歌的な音数律の5・7・5で区切ってみるとその複雑さが浮上する。しかし、作者の本来のモチーフは、現実にはあり得ないようなつながりの言葉遊び歌に見える。



現代短歌bot@gendai_tanka
紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき
大辻隆弘『デプス』


会田誠が紐育空爆之図(戦争画RETURNS)(1996年)を描いている。9.11(2001年)より前で、そのモチーフは知らない。歌集『デプス』(砂子屋書房、2002)に収められているこの歌は、会田誠の紐育空爆之図と9.11の衝撃を重ねて表現されたものと思われる。「紐育」(ニューヨーク)という古い表記は、

戦前につながるイメージを喚起するための使用だろう。ざまあみやがれというこの歌の心は戦争世代なら当然だろうが、わたしたち戦後世代には日本人の温和すぎる心性とともにピンとこない。戦争時代との連続性を意識するごくわずかの層は、9.11に心深くでそんな思いを抱いたのかもしれない。



2023/12/08
「両毛線」ねえ、冗談かと思えば、現実にあるJR線。両毛の由来は、「毛野(けの)は後に、令制国として上毛野国(かみつけのくに、現在の群馬県)と下毛野国(しもつけのくに、現在の栃木県)となり、二国に跨る地域名としての両毛(りょうもう)」(wiki)とのこと。「毛」は音の借用のみだろう。



白川静@sizukashirakawa
朝の開戦のニュースは、中学の羽栗賢孝校長、商業の今小路覚瑞校長、そして私たち教務二人で聞いた。羽栗校長はニュースを聞くと直ちに「エライことをした」と吐き棄てるように叫んだ。歴史家である羽栗校長は、これが何を意味するかを直覚したのであろう。

「直覚」、若い頃の吉本さんの文章にも出てきた。直観のこと。言葉の使用にも時代性がある。たぶん、明治以来の哲学や心理学の用語から流れ出てきたものであろう。そう言えば、「精神分裂病」も見直されて現在では「統合失調症」に変更されている。



2023/12/14
ふしぎに思ってきたのだが、安倍晋三ほど目立ってヘンな政治家はいない。日本会議や統一教会やネトウヨどもを背後にして、マスコミや司法に手を突っ込み、御用評論家たちに囲まれ、ネトウヨの神としてあがめられてきた。社会の主流から外れた退行的なヘンな人々のヘンな中心的存在として祭り上げられた。

狡猾なスネ夫とさらに虎の威を借りたジャイアンの振る舞い、もうひとつエリートとは無縁ののび太の子供っぽさを併せ持っていたのが、その魅力と崇拝の源泉か。安倍晋三の悪(退行)を結集する謎は、政治の具体領域での、解明されるべき研究対象であり得ると思う。



現代短歌bot@gendai_tanka
この煙草あくまであなたが吸ったのね そのとき口紅つけていたのね
佐藤真由美『プライベート』


この煙草/あくまであなたが/吸ったのね/ そのとき口紅/つけていたのね
なんか男女の言い合っているような場面が浮上する。短歌を抜け出たただの会話に見えるが、短歌的な韻律の5・7・5は意識されている。そして、古今集あたりの男女の愛憎を歌った歌の系譜にも連なっている。



白川静@sizukashirakawa
僕が思うに、人間はもう宗教を卒業せねばならんと思うとる。


それはわかるけど、難しいだろうなあ。まだまだ続くと思う。始まりは動物生かもしれないが、自然に神を見る感じる自然宗教から、あの人(シャーマンや集落の代表)スゴイ輝いている崇拝するよ等人間界に転位し、次には各種の世界宗教や新興宗教が生まれてきた。強度の宗教性は現在では国家を含めて弱まってはいる。

弱度の宗教性は、有名人への〈推し〉から崇拝感まで、太古以来ずっと続いている。もちろん、こちらは社会的には無害であり、人それぞれが好きにやればいいことだが、ただその背後には、平等と見なされている人間への価値序列観や意識が潜在しているはずである。








23


 最近のツイートや覚書など2023年12月 ②


2023/12/18
RT
北欧、暮らしの道具店@hokuoh_kurashi
書き留めることは、世界と能動的に向き合うこと。

歌人の東直子さんに短歌の魅力や言葉にすることの効用を教えていただく特集。最終話の今回は、短歌の楽しみ方についてじっくり聞いてみました。
https://hokuohkurashi.com/note/308879

---------------------------------------------------
【短歌に出会って】第3話:書き留めることは、世界と能動的に向き合うこと より

(ライター 嶌陽子)
もうひとつ、東さんに聞いてみたいことがありました。なんだかいいなと思っても、全体の意味はよく分からないという短歌もあります。分からないまま、短歌を味わうというのもありなんでしょうか?

東さん:
「うまく説明できないけれど、なんだかいいなあと感じることってありますよね。その感じ方で全然いいんです。

作品の中にある余白の部分から、読者がそれぞれ想像して世界を広げていけばいいし、言葉で説明できない感覚を味わうのも面白いんじゃないかな」

(ライター 嶌陽子)
その言葉を聞いてほっとひと安心。気になっていた東さんの作品についても聞いてみることにしました。

 「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露

『春原さんのリコーダー』

人間や蜘蛛が生きているリアルな気配に惹かれるものの、上の句と下の句の関係を含め、どんな意味なんだろうと考え込んでしまいます。

東さん:
「娘が幼稚園の時に、舞台の幕の下から出ている手で自分の子どもを当てるという遊びに参加したことがあって、ぶじに娘の手を当てることができた。その時のことを詠んだ歌です。

手だけ見て触って判断したときの不安な気持ちと、でも確かに生きている実感のようなものが混ざった気持ちがあって、それが帰り道に見た自然の姿と結びついたんです。脱皮したての蜘蛛は弱々しいけれど、朝露がかかっている蜘蛛の巣はみずみずしい生命感があるなって」
---------------------------------------------------


文章中にある以下の歌の上の句と下の句の二つの場面の連結が具体的に説明されている。

「ママの手ってわかっていたよしめってて」脱皮したての蜘蛛に朝露
 (東直子『春原さんのリコーダー』)


読者は、その歌からなんらかの「生命感」つながりの理解までは行けそうだが、

歌の場面の具体性までたどり着くのは難しい。(まあ、人間の現状からはそれはそれで良いのだろう。あるいは、もっとよくわかりたいという観点からは、それは仕方がないことだ。)



2023/12/22
先日、偶然出会った「なつぴなつ」のツイートから「学歴の暴力」というのを知った。1つ知った歌詞から判断すると固い漢語を駆使したトゲトゲの椎名林檎の歌詞に近い。自分自身に対しても言うのだが、もっと柔らかい言葉で語れそうに思う。

気になったこと。「ゆるキャラ」(「見る人の心を和ませる独特の雰囲気を漂わせたキャラクター」)というのがある。「学歴の暴力」のメンバーの名前、えもりえも、なつぴなつ、あずきあず、あろえあろ、りりりかり、これらはゆるキャラ言葉とでも言える語感を持っている。また、対句表現みたいな造語法はなんか古来からありそうだ。



2023/12/24
白川静の説明で知ったが、中国の漢字の研究も錯綜としていたという。後漢の許慎の『説文解字』は、最古の漢字事典だが、甲骨文や金文(註.後漢の時代より1000年以上も前)といった豊富な古代文字資料の発掘以前のもので、解説にこじつけや的外れなどがあるという。例えば、「間」の成り立ち。

「間」の成り立ち
①会意文字 です (門 + 月 (日))。 「 欠け た 月 」の象形と「 左右両開き になる 戸 」の象形から 門 を 閉じ ても 月 の 光 が 漏れる 、すなわち 「 すきま 」を意味する「間」という漢字が成り立ちました。 ※「間」は「閒」の 略字 です。(ネットのまとめより)

②深く研鑚を積んだ白川静によると「間」は、「字の初義は、門中に肉(月。月は肉の形)をおいて祀り、安静を祈願する意で、間敵・間静の意となる。」(白川静『新訂 字統』より)


①のような現在的なイメージからの理解が起こる理由には、「月」には、簡略化したときに「肉」⇒「月」になった「にくづき」と、それときまったくの別物の「つきへん」があるという事情がある。

先ほど、学者さんの、月と日から読み解いた「「間」とは何か」というツイートが流れてきた。それで少し調べてみた。人間の思考は、対象(この場合は漢字)にどんな恣意的な意味づけも自由だが、発生の事情に近づいた方が人間の本質を明らかにする上で大事だろうと思う。



2023/12/29
最近、元貴乃花の演じるテレビCMを何度が目にした。「ふるなび」(ふるさと納税サイト)のHPには三つのCMが掲載してある中の「最大30%還元キャンペーン告知篇②」である。説明によると、「貴乃花さんが老舗「ふるなび屋」の店主役で登場し、・・・」ということらしい。このCMの最後で、

セリフに詰まってしまった店主元貴乃花が「すいません」と言う場面がある。これは、CM制作者や撮影しているスタッフなどへのミスして「すいません」ということだろう。しかし、これをそのままCMとして公表しているとうことは、偶然か意図的かは知らないが素人臭さの親しみの表出を狙ったものか。

「ふるなび」は、たぶん民間組織だろうと思ったらそうだった。「株式会社アイモバイルは、日本のインターネットIT企業。ふるさと納税支援サイト『ふるなび』の運営事業とアドネットワーク事業を中心に行っている。 同じ渋谷区にあるアイ・モバイル株式会社とは別会社である。」



農事メモ2023.12.29
スイカ、カボチャ、キュウリ、サツマイモ、うりずん、ソラマメくらいしか育てていないので、今頃になると、農作業は冬休み。今年は、真木の木の剪定をしている。ほんとは、秋か春先が良いらしいけど。今日計算したら、三時間で6本ほど剪定できた(切った後処理含む)。


農事メモ2023.12.29
・自宅から遠目に晩白柚の木が見える。一個しか実が見えなかったので、久しぶりのその畑の見回り。ちゃんと四個なっていた。1月になって収穫しようかと思っている。


・ざぼんの木も1株ある。触ったら軽く取れたので、今年の初収穫。12個収穫。木の病気のせいか、少し煤けている。




2023/12/31
X(ツィッター)にはいろんな出会いがある。昔、真偽は別にして推理小説のように読んだ古田武彦の本に、「九州年号」というのがあったが、江戸時代後期の国学者、鶴峯 戊申(つるみね しげのぶ)が、『襲国偽僣考』でわが国の従来の年号とは異質な「九州年号」というものをまとめたのか。



北島三郎と言えば、『暴れん坊将軍』に登場する火消し「め組」の頭、辰五郎役である。め組は毎回登場するが、頭の辰五郎は、寄合などに出かけていて不在であることが多い。このことの現実的な背景としては、北島三郎が歌の興行などで忙しいせいだと思われる。

時代劇ついでに言えば、『暴れん坊将軍』には毎回、無敵の吉宗とお庭番二人による悪をやっつける場面がある。最近見終わった、人は殺さずため込んだ悪銭を盗み取るをモットーとする、宗次と弁蔵との盗賊の話の『ふたがしら』では、血が流れた。『暴れん坊将軍』ではほとんど血の表現がない。

この違いは何だろう。『暴れん坊将軍』での立ち回りは、舞台劇の伝統に連なるものかもしれない。要するに悪が成敗されるということが表現できればいいからである。一方、『ふたがしら』での鈍い音や血が飛び散るのは、(本当にこうして人は大ケガしたり死んだりするんですよ)というリアリズムの表現か。








24


 最近のツイートや覚書など2024年1月 ①


2024/01/02
RT
鴻上尚史@KOKAMIShoji
「体育館は雪の中のテントより寒い 」5年前の記事ですが、その数十年も前から何も変わっていません。自然災害の多発国で、どうしてなんの対策もないのでしょう→ざこ寝、プライバシーなし……「避難所の劣悪な環境」なぜ変わらないのか - Yahoo!ニュース


1932年(昭和7年)生まれの桶谷秀昭の『昭和精神史』の中だったと思うが、アメリカの戦闘機の作りと比べて零戦は搭乗する人間(個人)を大事にしない作りなっていたそうだが、そんな零戦に賛意を寄せていたように思う。桶谷の批評は伊東静雄論などマトモで感動し、初期には愛読したが、

ヘンになってからはほとんど読まなくなった。様子見に読んでみた『昭和精神史』だった。こんな避難所のシステムについても、相変わらずそんな零戦の設計思想と通じる、この国の個人を大事にしない発想から来ているように感じられる。



2024/01/08
最近、「もやもやする」という言葉に何度か出会った。検索のAI 搭載のBing によると、「何かがスッキリしない、気持ちが晴れない、といった感情を表現する言葉です。この言葉がよく使われるようになったのは、2010年代以降のことです。」とある。

それ以前の、略語由来の「うざい」や「きしょい」や「きもい」と同じ内臓感覚から来る感情表現ではあるが、それらと比べてあまり他者への攻撃性は無く、自分の感情への批評性の言葉となっている。これが他者に向かう時は、よくわからない、納得できない、というやんわりした批評性の言葉になっている。



2024/01/09
まず、各地に一人一人の住民がいる。地方の行政も県や市や町村等と層があるが一つと見る。それらは消防や医療などたくさんの組織や機関に指示命令や依頼できる接続網や権限を持たされている。更に、この社会の最上層には地方よりずっと強力な諸機関を携えて行政を担当する国家がある。この三層において、

現在の民主制の政治理念からも最優先されるべきは、住民の具体的な生活の有り様(よう)である。そこから、今何ができて何ができていないか、なぜ現状なのか、など二つのレベルの行政への批判(それは自分の地域の場合にもあり得るから)と、住民への支援の気持ちは、同じ列島の住民として当然で自然なことだと思う。

(なんで、こんなことを自己確認しなくてはならんのか?ヘンな人がウヨウヨいるよなあ。)

付け加えると、ヘンな人に限らず「自衛隊」に、なんか特別視があるような気がする。それは、昔のヘイタイさんに対する普通の住民の意識や感情(私は戦争世代じゃないから実感的ではないが)みたいなもののように感じている。災害救助は自衛隊の仕事であるから、こちらが恐縮したり何らへりくだる必要はない。

ただし、自分が、災害に遭って自衛隊の具体的な人々に助けられたら、一般に助けてくれた他人にそうするようにたぶんその人たちには感謝するだろうけど。



2024/01/10
近現代短歌bot
蝌蚪(くわと)生(あ)れし/水のよろこび/水の面(も)に/触れてかがやく/風のよろこび
 雨宮雅子 『秘法』

釈迦入滅時 生き物たちも集まって来て、その死を悼(いた)んだという(涅槃図)。それは死の場面であるが、反転させると誕生の場面となる。オタマジャクシの誕生を水も風も、もの皆全てが祝福しているように感受

され擬人的に描写されている。こういう人間世界内の表現理解を超えて、ビミョウな言い方をしてみる。沈黙する大いなる自然の側から見ると、その自然の一部の存在である人間の言葉を借りて大いなる自然の内省を表現しているとも言えそうな気がする。

なぜなら、生き物たちも人間もその大いなる自然の一部なんだから。ちょっとめまいを感じそう。



2024/01/12
RT
「1日1000円のみ支給」等、数々の違法が発覚した桐生市福祉事務所について新証言。申請したいと言ったら「家計簿をつけてください」。数日後、家計簿を見せると「生活保護を受けている人で最低金額の人は1日800円で生活している。その人を見習って」と言い、追い返し。保護率半減の背景がわかります。

【独自】桐生市生活保護課の水際・恫喝・ハラスメント「9年が経ちやっと話せる」女性の告白
(小林美穂子「週刊女性PRIME」)

戦争が人間の残虐さを引き出し増長させるように、「生活保護」という制度悪が担当部署の人々の残酷さを引き出している。早く改廃すべき制度と思うが、まだまだ機が熟していない状況か。例えばAIの深化・普及が社会構造や諸制度に改変を促す状況まで待たねばならないのか。



2024/01/14
RT
WIRED.jp@wired_jp
化学療法や放射線療法を含むCAR-T細胞療法以前のがん治療が、患者が新たに発症したT細胞がんに関与しているという説明もある。

病と治癒行為、そんなリニアーな単純な関係ではなく、うーん、複雑だ。まだまだ人の体内の機構はよくわかっていないところがある。








25


 最近のツイートや覚書など2024年1月 ②


2024/01/17
いつからか、新聞のテレビ番組欄が、アニメや時代劇などいろんな専門チャンネルなども出てきて、多彩になってきた。また見たことないけどABEMA(アベマ)やヘンな桜チャンネルや百田尚樹チャンネルやら個人が気軽に「放送局」を持てるようになっているようだ。先ほど、DOMMUNE(ドミューン)にも出会った。

現在に生きるわたしたちは、自分のことも社会のこともその未来を現在から見通すことは難しい。社会のことは、構造的なものだから見通す(予測する)ことはいっそう難しい。気づいた時には、もうずいぶん変貌を遂げてしまった社会になっているということが多いようだ。



井上陽水の歌、「青空ひとりきり」(発売:1975年11月25日)の歌詞を探していて、「夢寝見」という歌に出会った。読みは、 (ゆめねみ)。今はやりのゆるふわネーミングに近いが、これは当然、中国から漢字を借りて換骨奪胎してきた、わが国の書き言葉としての新日本語への経験に連なるものである。

意味は、夢に見るイメージ、ほどの意味か。そういえば、昔、野田秀樹を中心に旗揚げした「夢の遊眠社」という劇団があった。このネーミングもまた、古来からのわが国の言葉の歴史に連なっている。

ところで、「 青空ひとりきり」の歌の言葉を、現在の風俗の尖端に置いてみる。歌詞の各連の最終行(「青空、あの日の青空、ひとりきり」など)が、世界の渦中に立っている。50年程の時差があり、現在はもっと孤独や空虚感は透明になり、深度を増しているような気がする。

また、現在は歌も言葉も、二昔前よりもパワーが衰え、必然的に(避けようもなく)「草食系」になってしまっているような気がする。歌番組をチラ見したが、歌にダンスや動的な照明や映像が伴っている。これは歌や言葉の衰弱とも見える。もちろん、背後にそれを促すこの社会の構造的な変貌がある。

それは別の見方もできる。現在の諸問題が、個別具体的な問題解決とは別に、BIなど人類史的な規模で考えないといけない面があるように、歌に踊りや照明映像などが付加して歌を励起状態へ導くことは、現在的な歌や言葉の衰弱でありつつも、人類的な歌の起源の新たな反復に当たっているのでは、とも見える。

例えば、空詩や木詩や土詩や画像詩など、わたしも画像を付けた詩(言葉)をやったことがあるし、やっている。そんなつもりではなくても、これも、現在的な言葉の衰弱と関係ありそうに思う。現在では、映像が付いてないとなんだか心細いとか不安であるとかがありそうな気がする。



2024/01/18
政治覚書2024.1.18
アメリカのトランプは、今までの政権ではなかなか解決されない不遇を抱えた層に支えられて登場し、今までのパッとしない政治以上のひどい扇動政治をした。一方、わが国では、司法・マスコミなどに手を突っ込んで口先だけの独裁的な安倍政治で、従来の政治の暗黙の了解をなぎ倒していった。

また、維新は、該当地域での政策・評価は知らないが、広報宣伝としてのテレビや芸能組織と癒着し、イソジンやら雨合羽やらいくつかの現象から判断する限り、今までのパッとしない政治への不満な層から押し出されてきた、今まで以上の口先だけのヤンキー政治、または、お祭り政治。



2024/01/19
最近の車の色が多彩になってきたのは、技術力によるものだろう。わたしが気になっているのは、丸みのある柔らかなデザインではなく、「トゲトゲ」とかカクカクしたなんか威圧的なデザインになってきたなということだ。調べてみたら、技術力がもたらした面が中心で時代性には触れられていない。

その車のデザインは、個人が、SNSで自由に感想を述べたり、「エッジの効いた」自己主張をしたりできるようになったという新たな事態に対応するものだろうか。いやいや、実状は、独り立ちした手ぶらの個人による表現というよりも、アジア的な負の遺伝子を持つ、

個人が国や防衛省や政党などなどと同化した、いわば「トゲトゲ」した〈党派性〉の発言の花盛りである。昨今の車のデザインは、そんな現在の社会の空気と対応していると思う。アメリカのトランプ現象も、これと相似だと思う。



2024/01/20
NHK BS『あきない世傳 金と銀』を見ている。ここで、天満屋(てんまや)というのが出てきたような気がする。(「暴れん坊将軍」の方じゃなかったよなという気持ちからこんな微妙な言い方になっている。) 同じ髙田郁原作の『銀二貫』というドラマでは、大阪天満(てんま)という言葉が出ていた。

wiki「天満宮」では、全国すべて「てんまんぐう」と読んでいる。大阪も、大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)。地名などにもなっている天満は、「てんま」、天満祭も「てんままつり」となっている。しかし、天神祭は、「てんじんまつり」である。

調べてみると由来として、「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、『 日本書紀 』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という、とある。

また別のでは、天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は、没後の菅原道真を神格化した呼称、あるいは神格化された道真を祀る神社。天神信仰、天満宮の主神。祟り神で神仏習合した神。主に学問の神、雷神、仏法神として祀られている、とある。

「天満大自在天神」も「天満」も、外来漢語のある固さ、よそよそしさを持っている。それを自分たちの身近な生活圏に引き入れ受け入れることばの振る舞いから「てんま」という音が生み出されたのではないだろうか。これは、大阪あたりの地域性の自然な語音だろうか、それとも一般性を持つものだろうか。

追加として、「天満町」の読みを調べたら、(地名辞典ONLINE)
1.「てんまちょう」は、
京都、島根、広島、香川、長崎・佐世保、
2.「てんまんちょう」(てんまんまち)は、
大分、宮﨑、岐阜、長崎・諫早
※正確を期すためには、ほんとは現地の人に聞いた方がいいのだろう。



2024/01/22
GIGAZINE(ギガジン)@gigazine
生成AIを利用して書かれた第170回芥川賞受賞の九段理江「東京都同情塔」が海外でも話題に


目下そのことが可能とは思えないが、生成AIが100%出力構成した「作品」なら、作者はカメラのシャッターだけを押すことで「作品」を生み出したことになる。従来の言葉によって表現された作品という概念からは、とても作品とは呼べない「作品」いうことになる。

作者によると、「小説の約5%が生成AIが出力した文章のままであること」らしい。物語を生み出すには、調べることもあるから、検索や書物の代わりに今までの人類知からの編集・構成をする生成AIの力を借りたということに過ぎない。ただし、今後生成AIの利用度の%は、もっと上がって行くに違いない。

それととも、作品とは何か、言葉とは何かが、改めてわたしたちに問われるに違いない。自然の花の生命感がわたしたちにある感動を与えることがあるように、人工の花(人の手が加わった造花や絵画に描かれた花など)が感動を与えることもある。生成AIの文章が、従来の作品より感動するということもあるかもしれない。

自然の作り上げた偶然な造形にも、人は「夫婦岩」と名付けて神聖さを感じたり、人の顔やゴジラの姿を感じたりすることがある。生成AIは、人間の手が生み出した人工の手である。「感動」という自然性も、感動とは何かと問い直さなくてはならないのかもしれない。



2024/01/25
「中国女性の髪型(註.1920-2020の変化)だけで、歴史とイデオロギー、精神と文化、社会問題とメッセージまで表現した4分動画を2分にカット」というのが、先ほど動画とともにTLに現れた。

私たちは、現在のあらゆるものを「呼吸」(それらが体内を巡り、代謝し、反応する)して、現在に生きている。現在には、子どもから大人や老人が混在しているように、主流のイデオロギー(集団的な考え方、思想)から昔風の古いイデオロギーまで存在している。また、古来からの姿形を変えてきた風習もある。

社会のイデオロギーは、一般にはそのままの形では髪型や服や物語などに反映しない。例えば、イデオロギーとしての効率やその波及意志の優先の考えは、人の批評性(受け入れ)によってスピード感やエッジの効いた感性的な表現になったりする。つまり、時代のイデオロギーも、生きる人々(作者)の批評性

(受け入れ、批判など)を潜り抜けて、ものの選択や、髪型などの感性的な表現となる。こういう問題は、もう前時代の素朴反映論やリニアーな関係把握とは違って、現在では生きる主体を含めてもっと構造的なものとして捉える段階になっていると思う。



2024/01/29
RT
「プレハブ小屋で恩師から美しい響きを学びました」阿川佐和子、天才ピアニスト・藤田真央から受ける音楽講座
阿川佐和子のこの人に会いたい【ゲスト・藤田真央】 週刊文春 2023年12月14日号

★本文(3)の末尾
藤田 「思い悩んだ末、彼(ショスタコーヴィチ)は国家(ソ連)を賛美する内容の交響曲第五番を作るのですが、実は体制に批判的な意味合いの音がこっそり入っているんです。」
阿川 「検閲でひっかからなかったんですか?」
藤田 「音楽に詳しくなければ気付かないような入れ方なんです。」


音に関しては素人のわたしだが、「体制に批判的な意味合いの音」というのがどんなものなのかが気にかかった。当時の体制、秩序がのっぺらぼうの明るさや力強さが主流とすれば、それに批判的な音とは、柔らかさや繊細さや生命感に満ちた緩急さということだろうか。



田中泰延 RTして
電通に入ると、まず資料室にデンとある『日本財界系図』という巨大な本を閲覧することになります。
そこには日本の大企業・大資本の株主、経営者の家系図、相関図が網羅されています。驚くなかれ、
●日本の大企業といわれる法人の9割くらいは
●5つか6つの家族の持ち物
●それらの家族同士も婚姻している
●それらの家族の子女はさらに政権与党の有力者の子女と婚姻している
という事実が普通に名前と線で示してあります。
電通マンとは彼らに奉仕する職業であること、仕事を遂行するにあたって、「どこの家族の系列にある資本か」を間違えないこと、を叩き込まれます。
卑近な例ですが、三菱UFJの担当として宴会を仕切ったときにアサヒビールを搬入したりキヤノンのカメラで撮影したりして出入り禁止になったり降格されられたりした人もいました。  
電通が日本を操っていたとか、お笑い草の陰謀論です。
日本は5、6軒の家族の損得勘定でみんな仕事を得たり給料をもらったりして生きているのです。
そしてそれはどこの国でも産業革命以後、資本家階級と労働者階級が発生したこの200年ほどはまあ、当たり前のことです。
だからこそそういう「家族さん」を飛び越えて資本の地図を塗り替えたイノベーティブな創業者、ジョブズだのゲイツだのベゾスだの孫だの柳井だのの出現は社会の変革のために大切なのです。
まあ、そこからまた新しい家系が始まるわけでもあるんですけど。

以前、ある政治家の家系図が、TLに流れてきて、まあいろんな「有名人(名家)」つながりだねえ、いろいろ助け合ってきたんだろうなと感じたことがある。ずいぶんフラットな社会になってきたが、この趨勢(すうせい)はとどまることはないだろう。それとともに、そうした系図は骨董品に近づくだろう。

昔、フロイスの『日本史』で知ったが、戦国時代の九州の大名(主なものでは、豊後の大友氏、薩摩の島津氏、肥前の竜造寺氏)は互いに姻戚関係を結んでいた。それでも、互いに争っていた。姻戚関係で集団の絆を結ぶ、これは歴史的に根深いのではないだろうか。



詩集の出鼻に買ったのに、ゆっくりと読む余裕がなかった山本育夫さんの詩集。その詩「キズミ」(詩集『ことばの薄日』)を読んでいたら、「目にキズミと呼ばれた/小さいルーペをはさんで」という詩句があった。調べたらキズミ・ルーペを売っている時計修理やメンテナンスの専門店の

「五十君商店 (いぎみしょうてん)」があった。五十君は、名字でもあるらしいが、初めて出会った。ちなみに、五は、いー(いつ)、五十は、いそと読む。だから、五十君(いそぎみ / いいみ / いぎみ)とも読むらしい。








26


 最近のツイートや覚書など2024年2月 ①


2024/02/01
晩白柚の「ザボン漬け」は、十年ほど前に2回作ったことがある。煮崩れしてかうまくいかなかったと思う。晩白柚の実がうまくならなかったせいもあるけど、それで以後作らなかった。久しぶりに立派な実が4個なったので、1月に1個から「ザボン漬け」を作ったけど前と同じくうまくいかなかった。

今日、また作った。今度の出来はまずまずの出来だと思う。レシピの30分煮るがいけなかった。水からワタを煮て沸騰したら火を止めるという別のレシピに従ったら、煮崩れしないでよかった。そのせいでその後砂糖を加えて煮る時の水気を飛ばすのもうまくいった。


 



2024/02/02
先生でも医者でも製造者でも政治家でも、ある分野(部分集合)の専門家は、自分の手慣れた分野から〈世界〉(全体集合)を見がちだ。しかし、〈世界〉すなわち私たちの生活世界は人の歴史から見ても深い。だから、ものごとを見誤らないためには、〈世界〉から絶えず汲み上げてものを考えなくてはならないと思う。



RT
『撤退論』まえがき(内田樹の研究室)


「失敗学」という言葉は知っていたが、「撤退学」、「撤退論」というのは知らなかった。近代から現代(高度経済成長期)にかけての上り調子の時期には無縁な学であったろうが、現代の衰退期(ということは、先々には新たな別の形の上昇期ともなるかもしれないが)には必須の学のように感じられる。



2024/02/05
RT
“入植地問題”ってなに?アメリカの政策転換の先にある現実|中東解体新書|NHK NEWS WEB


先日のNHKスペシャルでも、「入植地」の問題も取り上げていた。今日の毎日新聞の一面でも取り上げていた。入植者の中には、兵士が同行し(守られ)、武器を持ちパレスチナ人の家に押し入り強奪する者もいる。現在のイスラエルは、軍事力を背景とした強盗国家と言うほかない。

なんと、トランプ(政権)が、2019年11月、「イスラエルがヨルダン川西岸で行っている入植活動は国際法違反とは見なさない」と表明したのか。タダでさえアメリカを主要な後ろ盾と考えているイスラエルを、さらにつけ上がらせることになったのではないか。



《読者諸君も気をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思いながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでいるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だろう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憩いの巣だ、なんともあの家に行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まずたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に箒など立てられているものである。他人の家に、憩いの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問という事に於いては、吾人は驚くべき思い違いをしているものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑ふ者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯してゐるのだ。》(太宰治「カチカチ山」、『お伽草紙』より)

ある人のブログからの孫引きだが、太宰治自身もそんな痛い経験を重ねたのであろう。一般にも当てはまりそうな気がする。



2024/02/06
RT
「中年はおもしろい」 歌人の永田紅さん、科学者と母の目で詠む実感 | 毎日新聞


<親指と人差し指のあいだにて「いま二センチ」の空気を挟む> 永田紅
「妊娠8~9週目に詠んだもの。エコー検査で胎児の大きさを知り、「このくらいかな」と自分の指で測ってみた、その感覚を歌にした。」
・・・うーん、「詞書き」がなければ歌の場面には下り立てない。



RT「解散命令が下りた後に霊界のお父様が天心苑に下さったメッセージ 2023.10.13」
"すべての食口が立ち上がり、心を一つにして『呼名祈祷』をしなさい。呼名祈祷は実体が動くまで、結果が見えるまで祈り続けなさい"


これは、呪いの藁人形とも同じもので、物や言葉で型どおりに呪えば、実体が動く(呪い殺せる)という平安時代やそれ以前の世界観につながるものだろう。これは、『源氏物語』の中の人物たちのように、呪われる相手も同じ世界観の中に生きていないと効果はないだろう。

また、「霊界のお父様が天心苑に下さったメッセージ」とあるから、あの幸福の科学の大川隆法の「霊言」のように、あの世にいる霊を呼び出し、その霊の言葉を霊能者が語り下ろしたものか。 この技もまた、霊を自分に降霊( 憑依 )させて、霊の代わりにその意志などを語る、巫女の口寄せに連なるものだ。

しかし、そんな世界は主流としては通り過ぎてしまったから、私たちにとっては「古い」、古すぎるんだよな。つまり、ピンとこない、訴えてこない。また、同じ現在に生きている信者さんたちは、現在を全否定するに等しいそんな世界観では救われないと思う。



2024/02/07
もう昨晩になってしまったが、テレQの番組を何気なく見ていたら、「香りをデジタルデータ化する」という言葉が出て来て驚いた。しかも、独自の機器でその香りのデジタルデータをダウンロードして香りを味わえるという。「スタートレック」の物質転送装置に対するように驚いた。



RT
HIKAKIN、「お前も一般人だろ!」の指摘に“反撃”「チャンネル登録者数1245万人は超えています」


「ヒカキン」って、二、三度名前に出会ったくらいでよく知らないけど、まだこの人は「有名」ということへの上りがけなんだろうなと思う。

(参考)
2023年9月14日
「吉本さんのおくりもの」・更新の情報 http://dbyoshimoto.web.fc2.com 「言葉の吉本隆明 ②」に、  2023.9.14 項目744「『名前』ってなんだ?」を新たに追加。 #吉本隆明 #吉本さんのおくりもの

「有名」ということに少し関わると思うが、人の価値観やものの感じ方は、日々の具体的な場面で表れる。もちろん、その表れはストレートではなく、遠慮したり配慮したりで屈折することもあり得る。例えば身近な例では、X(ツイッター)のフォロワー数やフォロー返しに対する感じ考えにもそれらは表れる。

以前、意識的に消費を控える運動をやってみようと思った時には、たくさんフォローし、フォロワー数やフォロー返しの数が多くなることを強く意識していた。それを終了した後は、そんなに気にしなくなった。興味深い人はフォローするし、逆にフォローされたらヘンなものでない限り原則フォロー返する。



2024/02/10
RT(「南妙法蓮華経」がある書体で書かれているのを見て)
伊勢原 法泉寺【公式】@ISEHARA_HOSENJI
明日は10時から15時まで 御首題直書き対応日です お天気良さそうですし、お暇な方気軽にどうぞ


書体は、石や竹、紙などの素材の制約にもよるだろうが、時代の空気や精神によって変貌したり新しく登場したりしてきたのかもしれない。この書体は、良し悪しは別にして、とんがった感性や意識の感覚的な表現になっていると思う。

書の理論と言えば、石川九楊『筆蝕の構造―書くことの現象学』等があるが、書体についてどう述べていたかは記憶にない。彼はまた書の実践家でもある。↓の「歎異抄 No.18」は、もう何が書いてあるかの次元は離脱して、作品の全体がひとつの「書体」になっていると見ることもできそう。
https://rakushokai.jp/shoda_ishikawakyuyo/



2024/02/13
覚書2024.2.13
大は政治から、小は会社内や家族内のことまで、吉本さんが取りだして見せた、相互に関わり合う「現在的な課題」(現在何とか解決可能な問題)と「永続的な課題」(現時点での根本的な解決は無理)がありそうだ。景気のいい連中は、あたかも全てを一刀両断で解決すると豪語する。

彼らにしろ、例えばオーム真理教や統一教会のマンガ的、空想的な政治改革(革命)のイメージなども、「現在的な課題」と「永続的な課題」をいっしょくたにして、すぐに政治改革(革命)が可能のような詐術の宣伝をする。たぶん、大多数の生活者は「現在的な課題」の舞台での政治的な振る舞いに

与党も野党も同列に見ている。時代は、与党も野党も現在的な課題が押し寄せる場に連れ出している。人々は、自分たちとはあんまり縁のない世界と思いつつも、「少子化問題」一つを取ってもよく政治や政治家を見ているはずだ。

今ひろってきた次のトランプの言葉もまた、詐術に満ちた空想的な政治言語である。
「2024年は最後の戦いです。あなた方を味方につけて、我々は陰の政府を破壊し、戦争屋を政府から追放し、グローバリストを追い出し、共産主義者、マルクス主義者、ファシストを追い出し、我が国を憎む病んだ政治階級を追い出し、偽ニュースメディアを敗走させ、沼地を排水する。 そして、私たちはこれらの暴君と悪党から私たちの国をきっぱりと解放します!」(2024年2月11日)


わたしは、現在的な「女性問題」(ということは、男性問題でもある)や「性的少数者」の問題に当事者性として余り考える必要がないせいもあるが、触れたことがない。遙か太古以来の母権制社会の下では男は肩身が狭かったのかもしれない。その後社会構造の促しによって父権制社会に転換し、

今度は女が肩身が狭い身となった。もちろん、個別的には現在同様平等観を持った人々もいただろう。現在は、母権制社会と父権制社会の瓦礫の上に、人類の「永続的な課題」の促しから、ふたたび人間の平等ということが「現在的な課題」として具体的に問われているのだろうと感じている。








27


 最近のツイートや覚書など2024年2月 ②


2024/02/17
今日のNHKのニュースで、昨年のH3ロケット1号機は、「打ち上げ失敗」だったと何度も述べていた。ネットニュースでも一様に「打ち上げ失敗」だったと書いてある。技術者は姑息なことはしない言わないという印象を持っているが、幹部連中や周囲やマスコミが執拗に「打ち上げ中止」と言い張っていた覚えが

ある。ツイッターでもその援護者がいたと思う。そんなことを奥さんに言われて思いだした。部分的には「打ち上げ中止」でいいけど、全体としては「打ち上げ失敗」だよね、と当時思ったものだ。



2024/02/18
RT
判事「過ち認める能力持たず」 トランプ氏側に533億円支払い命令
毎日新聞 2024/02/17


判事は「被告らは過ちを認める能力を持たず、証拠に背を向け、見ざる、聞かざる、言わざるの姿勢を取った」と指摘。」また、CNNの記事では、判事は、トランプ氏や他の被告人について、「悔恨や反省のなさはほとんど病的な域に達している」と述べているという。驚くべき異例の発言。

トランプが、住民ウケしている西部劇の無法者だとすると、わが国に翻訳するとお調子者で粗暴なジャイアンということになろうか。一方、安倍晋三は、自民党の政治家やネトウヨや取り巻き文化人等に精神的・金銭的な燃料投下しながら無法なスネ夫を演じていた。

また、昔、モーニングショーで、田﨑史郎がとにかく安倍はなぜか選挙に強かったので党の支持も強かったと語っていたが、これは主に統一教会つながりによるパワーだった。安倍死後、ネトウヨのパワーは我に返ることもなく、「推し」を探し求めて目下迷走中のように見える。



2024/02/19
RT
私はこれが一番ピンときました
作家、高橋源一郎氏の現代語訳「教育勅語」が話題!


これを読んでいて、吉本さんの「グラフト国家」ということを想い出した。「南島論」(A021 吉本隆明の183講演 テキストデータあり フリーアーカイブ)の中で語られている。例えば、クラスで生徒たちが校則について話し合っているとする。いろいろ話が出てまとまりそうな段階で、上からあるいは横合いから

先生がまとめや提案などを行うとする。これもわかりやすい「グラフト」(接ぎ木)の例だと思う。住民の上に小国家があり、他所からやって来た集団が横合いからその小国家の上に「グラフト」(接ぎ木)する、次第に継ぎ目が忘れられていく。「教育勅語」なども至極当たり前の顔をして下ってくる。



「ずっとさびしくて、ずっと平和。」谷川俊太郎×渡辺真理・対談202402 ほぼ日
    ― 谷川俊太郎さんに、PEANUTSの話を聞きに。
の最終回の今日の分「その7」を読んでいたら、吉本さんについてささいなことだけど初めて聞く話があった。


谷川
いやあ、やっぱり車椅子に乗ると、
そこまで楽しくないよね。
そんな意識はしないんだけど、
前に吉本隆明が車椅子になった時に、
彼は舞台上で話をしながら車椅子で
ぐんぐん、ぐんぐん回ってるんですよ、
舞台上を曲乗りみたいにして、けっこう上手くて。

真理
アクロバティック(笑)。

谷川
彼はそれが楽しいらしいんですよね。
それは、一つ自慢でもあって、
「俺は車椅子でもこんなことするんだぞ」みたいなね。
あれは、すごく印象に残ってますね。


吉本さんのほぼ最後の講演は、『芸術言語論 ――沈黙から芸術まで』(講演日時:2008年7月19日)で、昭和女子大学人見記念講堂であった。久しぶりの講演会だった。車椅子で檀上に上って話されていたけど、谷川俊太郎の語ったような場面は記憶にないから、別の講演会でのことだろうか。



2024/02/21
RT
荒川和久/独身研究家/コラムニスト@wildriverpeace
書きました。世界最高レベルの子育て支援のフィンランドでさえ出生率1.26。子育て支援では出生増につながらないのは明らかで、日本含め先進国のほとんどが出生減=20代の結婚減。若者が若者のうちに結婚や出生できなくなったという本質の課題に向き合わないといけない。


少子化問題は、最近亡くなった批評家の芹沢俊介が、割と内側から内在的に批評をしてきていたと記憶している。事実(統計)はわかった。とすれば、次は当然なぜそのような現象になっているのかという、現在の人々の主要な共同の意識・無意識と社会の有り様の批評になるだろう。

私は、「少子化」を必ずしも「悪」(負、よくないもの)と見なしてはいない。例えば、物価が上がりすぎれば人々は買い控えで対応する。経済政策等で物価が緩和されれば消費はまた元に戻るだろう。「少子化」という現象もそんなものなのか。社会条件の緩和がそれを緩ませることは部分的にはあるかもしれない。

どうもそうではなく、近代以降の社会の変貌と対応するように個の意識が尖鋭化し成熟してきた必然の結果のような気がする。それは統一教会-自民党などの退行的な家族の重視などではどうにもならない奔流となっている。だから、大きな歴史の流れで揺り戻しなり、内省なりで動向は決まるような気がする。



2024/02/26
↓RT  「わかりやすく、おもしろく、偏りなく」。経済や投資の話をお伝えしています。・・・という後藤達也氏の経済から。彼のことは「ほぼ日刊イトイ新聞」での対談から知った。最初、noteの有料会員3万人(月500円)を知った時、直ぐに計算してしまった。

現在は、やる気さえあればそんなことも可能にしている。この方はしっかりした見識を持ち、研鑽を重ねている様に見えるが、いろんなジャンルの人々が、心優しい読者に助けられて、表現≡経済活動をしているように見える。従来の表現の定型(企業)はまだ存続しているが、こんなひとり表現≡経済活動も開花してる。



2024/02/27
『徒然草』第百九段に、学校の古文の教科書にも出て来たことのある「高名の木登り」の話がある。木登り名人が下から指図して、弟子に木に上らせて梢を切らせたとある。使えば便利だと思う、弥生時代には存在したというハシゴの記述はない。仕事を終えてもう少しで地上だという時こそ心せよと名人はいう。

緊張が解けてほっと気を抜くと油断するから危ういという。それは現在にも通じる合理的な判断・心理に属している。これは現在の庭師のような仕事だろうか。また、仕事にかかる前に、昔、山に入る時祈りを捧げたような、そんなことはしなかったのだろうか。思い巡らせば、いろんなことがよくわからない。



2024/02/29
覚書2024.2.29
先日二週にわたって放送された『鬼滅の刃』(特別編集版の『「鬼滅の刃」遊郭潜入編』と『「鬼滅の刃」遊郭決戦編』)のビデオを見た。遊郭編の長篇は、以前見たことがあるけど続篇かななど思いながら見た。しかし、ずいぶん見た後、敵の女鬼が放つ鋭い破壊力の布切れは見たことがあった。

また、その女鬼の中からだったか別れ出てきた兄の鬼の粘り着くような独特なしゃべり方には以前に出会った覚えがあった。決定的なのは、二つ目の決戦編で、柱や炭次郎らと鬼との決戦の最中に挿入された回想の場面の、その柱の一族の墓の前で、柱とその若い三人の妻たちとの会食の場面であった。

それは確かに以前見た遊郭編の長編に出てきたのを覚えていた。ドラマでも小説でも、見た読んだ現場から離れ時間が経つと記憶も印象も薄らいでいく。たいていは、ほとんど覚えていないということになるのが一般的だろう。
表現されたものを前にして、わたしたちはその現場で何をしているのだろうか。

作者は、作品へと表現することで、生産≡消費(解放感など)を同時的にしているのであり、観客や読者は、その世界の中に入り込み、物語の起伏や人物たちの振る舞いや感じ考えを見る聞くたどることによって、生産(精神的な活動の活性化や内省)≡消費(解放感など)を同時的にしているのではないだろうか。

いろいろ言われ尽くされてきたことをまとめてみると、そんなことになりそうに思う。

ところで、鬼は、先の大戦では「鬼畜米英」であり、戦争する敵の国家やその下の国民を指していた。昔の説話の鬼は何だろうか。少なくとも、こちらの集落や地域(説話の作者)からは異類と見なされている人々のことだろう。もちろん、「鬼」と見なされている人々は自身を鬼とは思っていないだろう。

ここでの鬼とは何だろうか。とても長い柱や炭次郎らと鬼たちとの決戦の後、負けた鬼の兄と妹との過去が回想される。容貌の醜かった兄は何かと軽んじられ痛めつけられる。遊郭という場でさえ居場所のない不遇の兄妹は肩寄せ合い生きていたが、あることがきっかけで鬼になって強大な力を手にする。

『鬼滅の刃』は、派手な目まぐるしい決戦の描写や時々挿入される茶目っ気のある子供っぽさの描写などがウケている要素で大きいのかもしれないが、おおざっぱに見てきた限りでは、うつ病になったり犯罪を犯したりなどの、「普通」から外れて「鬼」になった人々の魂の救済を目指す物語かもしれない。







28


 最近のツイートや覚書など2024年3月


2024/03/03
農事メモ2024.3.2
・剪定した真木の木の切断面で、少しはがれているものがある。ハシゴに登ってノコギリで切っていく場合、幹が太すぎる時は頭頂部を全て切断してしまうと危ないようなので、少し切り残して倒れると思われる方に倒しているせいである。もっとうまいやり方があるのかもしれない。

・数えたらこの小山の下の林はちょうど100本剪定した。あと10本ほど未剪定がある。この小山の上の方にも昔の畑に真木の木を植えて山林となっているのがある。そこはもう剪定を終えている。明日にでも数えてみようと思う。
(※ 数えてみたら、合計210本ほど剪定していました)
昨年の十月から剪定を思い立って始めて、一回で5,6本位の剪定で、もうすぐ終わりそう。我ながらよくやったと思う。
・初めて植えたタマネギの二回目の追肥をした。根元に化学肥料をパラパラした。

 
 
 上は、剪定した真木の木の切断面。



2024/03/07
RT
あれか、とげとげしたもの鬼とか悪霊とかが嫌がるみたいな、あれか。柊鰯みたいな。
↓のハリセンボンは鳥取県。
軒下にハリセンボンを吊るす風習(画像略)


うーむ。なんと即物的な。現在の視線からは幼稚に見えても、当時はあれこれ必死で考えたんだろうか。「 柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らない」(wiki「柊鰯(ひいらぎいわし)」より)



2024/03/09
脇から少しだけ付き合って見たテレビアニメから言えば、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』の主要な登場人物たちの特質は、その天真爛漫な幼児性にあったように記憶している。そこは誰もが通り過ぎ抜け出てしまったなつかしい故郷のような世界である。



先ほど、テレビの情報番組を見ていたら、わたしはその名前を二、三度目にしたくらいだが、TVアニメ『呪術廻戦』の外人さんのファンの声を取り上げていた。日本語がよくわからないのに、日本語字幕で見ているとか。意味はよくわからなくても、外国の音楽のように聴いているとか。

人物たちの声優の独特な声に好感を持ったり癒やされたりしているらしい。どれがどれかと質問されると、丸っこい絵は「ブーバ」で尖った絵は「キキ」と国を超えてほとんどの人が答えるという「ブーバ・キキ効果」と言われるものがある。内臓感覚は人類普遍だから、それと同じくそこで感じ取っているのだろうか。



2024/03/30
人名で、「海南江」は(かなえ)と読むという。今日出会った読みにくい人名は、「七五三代」。今調べたら、「七五三」はしめ縄の(しめ)と読むらしい。とすると、「七五三代」は(しめよ)さんか。「七五三」は名字としても若干あるという。



2024/03/31
「換毛(期)」という言葉に初めて出会った。「羊毛の採取を目的に家畜化された種は、毛の生え変わりがさほど起きないため、人為的に刈り取らなければ生命に関わることもある。2021年、オーストラリアで飼育環境から脱していたヒツジが保護された際の例では、毛の重量が30kgを超えており話題となった」

↓RT この羊の話は昔出会った覚えがある。野生だったら、換毛できるのだろう。
 (その羊の記事と写真。ネットにあり。)







29



inserted by FC2 system