表現をめぐる基礎的なことがら


※ 下の数字をクリックしたら、画面が表示されます。



言葉の表出の深みへ-村上龍『半島を出よ』 (2007.12)
作品を読むということ (2008.4 )
書くということ (2008.7 )
言葉への流露 (2010.3 )
作者、作品、語り手、登場人物について ①  (2013.5 ) 
  作者、作品、語り手、登場人物について ②  (2013.6 )  
自然・神・人間界  (2014.1 )  








 メモ ―自己表出と指示表出へ

メモ2019.10.21 ―自己表出と指示表出へ ① 2019.10.21
メモ2019.10.30 ―自己表出と指示表出へ ② 2019.10.30
メモ2019.11.24 ―自己表出と指示表出へ ③ 人間の等価性 2019.11.24
メモ2019.12.13 ―自己表出と指示表出へ ④ 疑問点を挙げる 2019.12.13
メモ2020.02.09 ―自己表出と指示表出へ ⑤ 疑問点を考える 第一回 2020.02.09
メモ2020.02.18 ―自己表出と指示表出へ ⑥ 疑問点を考える 第二回 2020.02.18
メモ2020.08.08 ―自己表出と指示表出へ ⑦ 疑問点を考える 第三回
 追記 2020.12.09
 追記 2021.01.22
 追記 2021.02.03
2020.08.08
2020.12.09
2021.01.22
2021.02.03
メモ2020.08.13 ―自己表出と指示表出へ ⑧ 疑問点を考える 第四回 2020.08.13
メモ2022.02.26 ―自己表出と指示表出へ ⑨ この概念の拡張性 2022.02.26
10 メモ2022.03.16 ―自己表出と指示表出へ ⑨ 続 ★ 2022.03.16








 作品(物語)を読むということ ―作品の入り口で


 目 次


作品を読むということ ① ―作品の入り口で① 織りなされる言葉 2012.5 
作品を読むということ ② ―作品の入り口で② 言葉の生産=消費 2012.7 
  作品を読むということ ③ ―作品の入り口で③  登場人物や語り手、作者の固有性 2013.5 
  作品を読むということ ④ ―作品の入り口で④ 作者、語り手、登場人物  2013.6 
作品を読むということ ⑤ ―作品の入り口で⑤  作者の選択ということ  2013.7 
  作品を読むということ ⑤ ―作品の入り口で ⑤ ―補遺   2013.10  
  作品を読むということ ⑥ ―作品の入り口で⑥  作品の細部から、戦闘場面  2014.1 
  作品を読むということ ⑦―作品の入り口で ⑦  ②を再度捉え返す 2014.2
作品を読むということ ⑧―作品の入り口で ⑧ 上橋菜穂子の『ラフラ』に触れ  2014.3
10 作品を読むということ ⑨―作品の入り口で ⑨  芸術の各表現  2014.4  
11 作品を読むということ ⑩―作品の入り口で ⑩  上橋菜穂子の『ラフラ』を読む  2014.5  
12 作品を読むということ ⑪―作品の入り口で ⑪  作品評価の基準  2014.6  
付論1  作者、作品、語り手、登場人物について ①   ※この文章は、上にあります。 2013.5
付論2 作者、作品、語り手、登場人物について ②  ※この文章は、上にあります。  2013.6
付論3  人、作者、物語世界(語り手、登場人物)、についての再考察    2016.9  
付論4  表現世界(作品)に対する読者(観客)の位置
 ―読者の作品内外における様々な行動 ※付論3の補遺 
  2016.9 
付論5  語り手について    2016.10  
付論6  映像作品から物語作品へ―映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について    2016.1
付論7 作者、作品、語り手、登場人物について・補遺   2018.7
資料編 『職業としての小説家』―自伝的エッセイ 村上春樹 2018.12
付論8 作家・作者・作品・語り手・登場人物について ①
  ―村上春樹から
2019.8
作家・作者・作品・語り手・登場人物について ②
  ―村上春樹から
2019.8
付論9 「私」(語り手)の死の描写
(追記.2021.1.19)
2019.10
2021.1
付論10 作者と作品世界 2020.6
付論11 白熱する〈語り手〉 008 表現集1の項目198「覚書2020.7.24―本を読んで気になったこと二つ」を転載。 2020.7
付論12 語り手のこと 2021.4.11
付論13 語り手のこと 2 2021.4.30
付論14 語り手のこと 3 2022.6.26
付論15 物語とドラマの作者・語り手・登場人物について  2022.11.28






1 作品を読むということ ① ―作品の入り口で①

  今年の1月から2月にかけて、上橋菜穂子の『獣の奏者』、『守り人』シリーズの物語の世界に誘い込まれるように次々と読みました。ファンタジー小説に分類されているのかもしれませんが、そういう分類を突き抜けた文学性、表現の質を持っています。現在では、他の分野もそうであるように、ファンタジーであれ、エンターテインメント文学であれ、時代小説であれ、純文学であれ、もはやそれらの境界はあいまいなものとなり、表現された言葉や世界自体で作品が評価されるようになってきています。このことは社会のあらゆる面に連動していて、それらの形式間の古びた垣根は依然として存在しますが、有るか無きかの状態になっています。ということは、表現される言葉や物語の本質が新たな形で問われなくてはならないということを意味しています。

 わたしたちも、日常の生活の場面で、様々なイメージなどを断片的に思い浮かべては泡のように消えていくということをくりかえしています。作者たちは、それらをいっそうの純度で抽出し、言葉を行使します。文字を仲立ちとする言葉として、作者の外に取り出し、それらの言葉と絶えず問答を繰り返しながら、ある生命感を持った、町や人や出会いや行動、それらが繰りひろげるひとつのまぼろしの物語を作り上げていきます。

 作り物ではあっても、それらがわたしたち読者の内面に、ある波紋を起こしたり、ある生命感に火をともしたりするのは、専門の作者ではないわたしたちもまた、泡のように湧いては消えていくイメージや情感としてであれ、日々、作者たちと同じようなことをしているからです。作者たちのように作品の言葉としてそれらを外に取り出すことはありませんが、沈黙の内に言葉が湧き上がり、また沈黙に帰っていくということを繰り返しています。そして、言葉というものが何かを指示する単なる記号ではなく、わたしたちの流動する心や情感を乗せるまぼろしの船のようなものであり、たとえ言葉が喋れない人でも人はそのような言葉というものを共有しているからです。このことは実感として言えると思われます。

 文学作品を読みながら、わたしたちは作品世界にのめり込んで感覚や感情を生産したり消費したりします。また、あれこれ考えを巡らせます。あるいは、よくわからない部分を何度も読んだりします。作品を読んでいる途中でも書物を閉じたら、なにかに熱中した後のような高揚した気分の余韻があります。

 文学作品を読み終えたら、日々が繰り返されていくうちに次第に作品世界の物語の筋の流れは、あいまいになり、薄らいでいきます。しかし、印象的な場面や言葉は、あるイメージや肌触りとともに記憶に残ることもあります。このことはあらゆる芸術表現や人間の行動に当てはまると言えます。

 語られた言葉でも、書き記された言葉でも、言葉は何かあるものをはっきりと指し示すということだけではありません。例えば、「木」という言葉でも、それを発した人の「木」のイメージやふんい気とそれを受けとめた人の「木」のイメージやふんい気とは異なります。同じ「木」として理解することはできますが、「木」のイメージやふんい気が異なるのは、その背景として、言葉は、ある一人の人間が、ある家庭や地域で、樹木が成長するように呼吸を重ね、外の世界と様々なやりとりをしてきた固有の年輪を持っているからです。また、「木」のイメージやふんい気が一人一人異なるといっても、それらのイメージやふんい気の個別性を超えて、ある共通性として抽出できるという面も持っています。要約すれば、言葉というものは、一般性として取り出したら、ある歴史性を持った共通の意味や概念やイメージの現在になりますが、その言葉を発したり、書き出したりする一人一人の側から見たら、その人固有の歴史を持った意味や概念やイメージや情感の現在が表現されていることになります。作者は表現の過程で、両者がぶつかり合ったり、親和したり、何かを付け加えたりしながら、作品の言葉として織り上げていくことになります。したがって、作者とは異なるある固有のものを持つそれぞれの読者が、その作品を読むというとき、読者それぞれの固有のものに引き寄せられた多様な感受や読みが起こりうることになります。

 ある言葉や作品に対して、多様な感受や読みが起こりうる根拠は、もっと本質的に言えば、言葉というものの持つ本質に由来しています。言葉は、人間の脳だけを土台とする記号性ではなく、人間の中の多様に流動する植物生や動物生にその主要な土台を置いています。ちなみに脳が意識されてきたのは近代になってからです。遠い果てから繰りひろげられてきた人間の植物生や動物生や脳が多層的に連結されたものとして、流動する言葉は表現されてきます。そして、そこから作者の固有の言葉の引き絞り方を通って、作品は織り上げられていきます。言葉や作品に対する多様な感受や読み、それはそれぞれでいいのですが、それを超えて作者の表現しようとした世界というものは残ります。それに近づくには、ちょうど小さい子どもがお気に入りの絵本などをそうするように、作品を何度も何度もていねいに繰り返し読むほかないと思われます。

 現在は、とても慌ただしい時代になってしまっています。作品は次々に書かれ、わたしたち読者は次々に作品を読みます。双方にとって、言葉はどこか磨り減ったものとなってしまっているような気がします。したがって、すぐれた作品と思われるものに対しては、じっくりていねいに読んでみることが大切だと自戒を込めて思います。作者もまた、じっくりていねいに作品を織り上げてきたと思われるからです。

 作品を読むということを考えるのは、どこか恋愛論を語るのと似たところがあります。つまり、味気ない思いがあります。なぜ恋愛論を語るのか、なぜ、作品を読むということを考えるのか。それは、そのことによって、なにものかがわかるということは、よりよい恋愛やよりよい作品の読み方への新たな入り口となるからだと思われます。また、作品を生み出すという過程や作品を読むという行為が一体何を意味するのかということも十分に明らかになっていないという事情もあります。

 人間にとって言葉というものをうまく説明できなくとも、言葉自体を使いこなしているということがあります。わたしたちは、論理的に十分に把握できなくても、なんとなくわかっているということがたくさんあります。さらに、なんとなくでさえわからなくてもそのことの未知の流れに乗っかっているということもあります。ひとつの作品にも、こうした一連のものが錯綜とした状態で含まれています。つまり、作品は作者の意識的な部分と無意識的な部分との両方が、言葉に呼び込まれたまぼろしの世界で働き合いながら作り上げられていると言えます。したがって、読者は、作者の作品を織り上げるまなざしの流れに沿って感覚や意識を生産したり消費したりしながら、一方で、作者の無意識にもまなざしを向けて触れていきます。

 岩に刻み込まれた初源の絵やそのような場で語られた言葉から、わたしたちは遠く歩み来た現在にいます。初源の絵や言葉が、どのようなものと見なされていたのか、現在のわたしたちにはよくわかりません。しかし、よくわからなくても、形式が複雑に多様になってしまってきていても、表現の本質においては、同じものが現在のわたしたちの言葉や作者たちの表現にも貫かれているのだと思われます。

2 作品を読むということ ② ―作品の入り口で②

 例えば、観た映画や読んだ本の感想を聞かれて、「おもしろかった」とか「感動した」という言葉は、わたしたちがよく使う言葉です。その理由やその状態をもう少し詳しく他人に説明することはできます。それでも感じた現場の様子を肌合いとともに生き生きと描き出すのは不可能とまでは言わないまでもとても難しいことです。

 このことは、読書について言えば、本を読み進める過程でわたしたちが感じ、考え、ある情感の流れに乗っていることは、わたしたちが意識的あるいは無意識的に行使している頭や心の複雑に関係したものに拠っているということからきています。しかも、作品の言葉そのものに感じる、あるいは作品の言葉から触発されて感じるふんい気やある情感の流れは、主にわたしたちの中の内臓感覚、つまり果てしない過去から積み重ねられてきた植物生の流れから来ているように思われるからです。この複雑に流動する感覚のようなものを言葉で覆い尽くすことはとてもむずかしいことです。それに、わたしたちが自分の言葉の触手を働かせたり、意識したり、また書かれた言葉に感応したりする、沈黙から言葉にわたる発動の機構は、まだよくわかっていないのも現状です。しかし、その発動のしくみがよくわかっていなくても、わたしたちは不随意運動(心筋の収縮や反射のような自分の意志が関わらない運動)のように、作品の言葉に感応し、心や頭を働かせています。

 人間活動としての書くことや読むということをもう少し掘り下げて考えてみます。一般的に見たら、書くことは、心と呼ばれるものに湧くなんらかの流動やうねりから引き絞って言葉へ生み出す、読むということは、その生み出された言葉をたどっていく、ということになります。いずれの行為もそれらの過程で言葉によって感じ考えイメージを思い描くということを行っています。そこには情感のようなものも伴っています。

 書くことや読むことは、経済的な概念(考え方)である生産と消費と似ています。経済的な分野でもサービス業のように物質的な生産や消費でくくれないようなものもありますが、経済的な分野が主に物質的な生産や消費とすれば、それを拡張して書くことや読むことは精神的なものや心の生産や消費と言うことができます。この概念を使って書くことや読むことを考えてみます。

 経済的な概念では、生産と消費の関係は、まず生産がなされ、流通を経て、消費に至るという経路をたどります。この間には時間の経過というものがあります。例えば、書店に注文して出来上がった本がわたしたち読者に届くのに以前は二週間程度かかっていましたが、現在ではインターネットで注文すると早くて二、三日で届きます。それでも、これ以上その時間を縮めるのは難しいと思います。しかし、電子書籍が普及して主流になればその時間はもっと短縮されます。これは生産と消費の疑似的な同時性と言えるかもしれません。物の生産には時間がかかりますし、流通を介するほかない物は、時間を短縮できても生産と消費を同時的にはできません。

 一方、書くことや読むことでは、それぞれ精神や心の生産や消費は割と同時的です。書き始めるまでにいろんな準備や作業はあるとしても、書き始める場面では同時的です。読む場合で考えてみると、言葉を読みながら描かれた情景を思い浮かべ、あるものが心を流れます。もっと細かく言えば、描かれていく情景や登場人物たちの振る舞いや言葉のひとつひとつに或る感情の流れのようなものを湧き上がらせ、時には読み手の心に強く染み渡っていきます。

 心や意識の同時的な生産と消費を、生産=消費と表してみます。すると、言葉に書きつけたり、書かれた言葉を読み進めたりする、わたしたちの言葉の活動は、食材を調理して(生産)、食事をとる(消費)と同じように、言葉によって情感やイメージを生み出し(生産)、それを味わう(消費)ということを行っています。そして、それは同時的な生産=消費という行動になっている、言葉における生命活動と呼ぶことができます。

 例えば、他人が指を切ったという話を聞くと、自分が怪我したわけでもないのにからだがぞくっとした状態になることがあります。あるいは、自分が今、現実に梅干しを食べているわけでもないのに、梅干しという言葉を聞いて唾液がでたり、酸っぱさの感覚が呼び起こされることがあります。わたしたちは、こうしたことを日常的に自然に行っています。言葉に触発されて、たぶん自分の今までの経験から幻のようなイメージや感覚が自動的に生み出され、それを味わっているのだと思います。そういう点で、言葉における生命活動は、わたしたちが日常的に自然に行っているものだと見なすことができます。

 作品を書いたり、それを読んだりする、この言葉における生命活動の総量は、作者と読者で一致するとはかぎりません。作者によって書かれた言葉の生産=消費の跡を追体験することによって読者もまた言葉の生産=消費を行っています。しかし、わたしたちは誰でも、ひとりひとりの固有のものを育んできていますから、一致することはあり得ないということが正確かもしれません。一般的には作品を読む読者には、共鳴や異和があります。作品として投げ出したら、作者もまたひとりの読者となりますから、作者も自分の過去の言葉における生命活動の結果である自分の作品に対して、共鳴や異和を持つと言えます。

 次に問題になるのは、言葉における生産=消費ということで、わたしたちは何をしているのかということです。それが言葉というものを持ってしまった人間の、言葉における生命活動だから、と言ってしまうとまだ言い足りない感じが残ります。作家の村上春樹は、書いていく動機について次のように内省しています。


  その物語(注.自分の作品)がどういう意味を持っているかというのは僕にはよくわからなかった。ただ、物語をひとつまたひとつと書いていくことによって自分が不思議に救われていく、自分が治療されていくというふうに強く感じています。それが僕にとって、今まで小説というものを書き続けてきた意味だったんです。
    (『こころの声を聴く 河合隼雄対談集』P238 新潮文庫)


 これを受けて対談者の河合隼雄は、次のように述べます。


 実際、村上さんの小説を読んで癒された人はたくさんいます。私のところへ相談に来る学生さんが、『ダンス・ダンス・ダンス』を読んで救われましたと言われます。ほんとは僕の本を読んで救われたと言ってほしいんですけど、(笑)。それはなぜかと言うたら、自分が日常レベルでアップアップしてるときに、いやそうじゃないんだ、もっと深い意識があるじゃないか、そこで自分は生きてるんだ、ということがわかって、救われるわけです。そういうことをやるのが僕は物語ではないかと思う。
    (『同上』P243 )



 作者、村上春樹は、自分が作品を生み出す行動の根幹には自己治癒ということがある、ということに気づいたと述べています。専門の作家に限らず、素人でも、何か作品を書いているときや書き上げたときは、解放感を味わいます。村上春樹の場合は、それを一歩進めて自己治癒であると言っています。それに対して、今は亡き臨床心理学者の河合隼雄は、作品を読むことで読者は自分を内省し、読者の現在に対する或る気づきが促され、今まで凝り固まっていたものが解除され、癒される、つまり読者も解放感を感じると述べています。この二人の発言は、たぶんわたしたちには異和感なく受け入れられるものだと思います。

 わたしは、書くことや読むことを生産=消費の活動として考えてみました。その活動の内面を考えてみます。いろんな問題が押し寄せるこの世界に生き、世界を呼吸している作家や読者も、うまくいかなかったり、呼吸が乱れたり、固くなったりすることがあります。そんなとき、そのような困難な状況を一時でも解放したような作品世界に出会い、その作品の言葉をたどっていくことによって、また読者の内面の世界にも共鳴が起こります。読者自身が感じ、考え、ある情感の流れを形成することによって、自分の肩の力を抜いたり、呼吸法を整えたりすることにつながっていきます。

 以上の流れからまとめ上げてみると、書くことや読むことの生産=消費の活動の根幹には、ありふれた言い方ですが、この世界をよりよく生きようという意志が込められていると思われます。どんなに悪にまみれた人物像を描き上げたとしても、そのような作品を作り上げようとした作者の意志の根幹にも、それは潜在していると思われます。これは果てしなく遠い果てからの人間の活動の根幹にあるものと同じであり、またそこから生きることを繰り返してきている現在のわたしたちの日々の活動の根幹にも通じているものだと思います。 

3 作品を読むということ ③ ―作品の入り口で③ 

 よしもとばなな『さきちゃんたちの夜』を読みました。作者もこん詰めて書いているはずですから、ほんとうは作品をくりかえし読み味わって書くべきですが、作品読みのレッスンとして一読で書いてみます。

 この作品集は、「スポンジ」(私、早紀)、「鬼っ子」(私、紗季)、「癒やしの豆スープ」(私、咲)、「天使」(私、沙季)、「さきちゃんたちの夜」(私、崎、兄の娘もさき)の五つの短編集から成り、主人公は語り手を兼ねた一人称の「私」(さきちゃん)です。一人称の「私」が、主人公ですが、作者は、この現在を生活する普通の若い女性たち、名前の文字はちがっても「さきちゃん」という共通の呼び方を持つ女性たちを登場させ、いろんな「さきちゃん」に照明を当てることによってなにものかを浮かび上がらせようとしています。この作者の仕掛けによって、各短編が一つの長編小説のようにゆるやかにつなげられています。

 ところで、『ゲド戦記』の作者が、作家と登場人物との関係について興味深いことを述べています。


 作品中の人物を一から創造するにせよ、知っている人物から借りるにせよ、おおかたのフィクション作家の一致した意見では、いったん物語中の人物になると、この人たちは自分の命をもちはじめ、時には作家のコントロールを逃れて、自分たちの存在を作り出した作家が予想もしないことをしたり、言ったりするようになる。
 わたしの書く物語に出てくる人々は、わたしにとって親密であると同時に謎に満ちた人たちだ。ちょうど親戚や友だちあるいは敵のように。彼らはわたしの頭のなかにいるのに、わたしは彼らが気になってならない。わたしが彼らを思いつき、作りあげたにもかかわらず、わたしは何が彼らを動かしているのかをあれこれ考え、彼らが結局どこへ行きつくのかを理解しようとつとめる。彼らはわたしとは別の、彼ら自身の存在感を持ちはじめ、彼らが存在感を持てば持つほど、わたしは彼らの言動をコントロールできなくなり、そうしようという気持ちもなくなる。小説を書いている間、登場人物はわたしの頭のなかで生きており、生きている人間に対して当然払わなければならない尊敬を、わたしは彼らに払うのである。登場人物を利用したり、こちらの思惑だけで操ったりしてはならないのだ。彼らはプラスチックのおもちゃでもなければ、わたしの声を拡大するためのメガホンでもないのだから。
 ( 「作家と登場人物」、『ファンタジーと言葉』アーシュラ・K.ル=グウィン 岩波書店)



 登場人物や語り手などによって織りなされる物語作品は、確かに作者が作り出したものですが、作者の感受や考えと同一ではないと述べてます。わたしたち読者としては少し奇異な感じを受けます。そこで少し思い巡らせてみます。物語世界は、確かに作者が書き上げていきますが、作者の想像上の世界、家族、社会、人間関係などといっても、それがリアリティーを持つためには現実の世界の家族、社会、人間関係などのあり様を無視することはできません。したがって、作者が書いている過程では、登場人物たちが自分の存在を主張し作者に修正を迫ったり、自由に振る舞ったりするということが述べられています。これは創作上の作者の内面ということで見ると、作者が作り上げた想像上の世界で、想像上の家族や社会人間関係などと対話しながら書き進めているということになります。物語作品は、作り物といっても作者を含めてこの現実社会を生きる人々の悩み、苦しみ、喜びに言葉を届かせようという意志を持っています。想像上の登場人物たちといっても、ひとたび作者によって作り出されたら、登場人物たちはこの現実社会の人間のあり様という現実性を携えて自立的に振る舞ってきます。ここに、対話ということが起こってきますし、作者の肯定や否定の批評性も発動します。このことを現実の家族、社会、人間関係などのあり様に向けてみれば、作品はそれらに対する批評性を内蔵していることになります。

 物語の世界に登場する人物たちは、わたしたちがこの現実の社会で様々な、独立した固有の人々に出会うように、「作家のコントロール」ということがありますが、それぞれが独立した固有の存在として登場し行動していきます。この地点では、作品は現在の世界が作者を通して書かせたものと見なすことができるように思われます。もちろんそこでは、現在の世界から切り取られた風俗や登場人物たちや物語が作者によって選択され造形されていく過程で、現在の世界のあり様との肯定や否定のせめぎ合いを作者は絶えず行っています。そのせめぎ合いの中には、作者固有の感受や考えから繰り出されてきたものが現れるはずです。つまり、現在の世界のあり様を見つめながら、登場人物を選択し、大きな枠組みとしての物語世界を構想し、その後は物語世界が自立的にうねっていくという過程には、現在の世界が作者を通して表現させたという一面を持ちつつも、作者固有の感受や考えから繰り出されたたたかいの跡も残されていると言えます。

 また、作品を読んでいて、こういう言葉はこの作者の作品によく出てくるなあ、と読者に感じさせることがあります。作者の登場人物(主人公)や語り手に語らせる物や人に触れての感受が、作者の他の作品にも何度も出てくる言葉の流れであれば、それは作者の固有性に属しています。

 よしもとばななの他の作品にあるように、この作品集にも登場人物の失踪や離婚や事故死や自然死などがあり、それらが物語の世界に不幸の影として差しています。たぶん現実世界のわたしたちの一般的な生活よりはその不幸の影は濃度が濃いように感じられますが、これは物語の世界が作者に要請しているものであり、この現在の世界の生き難さの象徴的な役割を担っています。日々の生活の中、訪れた不幸の影で主人公たちは思い悩み、考え、行動していきます。そうして自然とある望ましい生活のあり様が切り開かれていきます。この主人公たちの感受や判断や振る舞いの足取りには、たぶん作者固有のものが出ていると思われます。一人称の「私」(さきちゃん)が主人公ですから、主人公にスポットライトが当たっていて、そこに作者固有のものも多く注ぎ込まれているはずです。

 よしもとばななの作品には、現在の普通の人々の感覚能力を超えたオカルト的な描写がしばしば現れます。ということは、そのような描写は作者のなんらかの固執するに値するものとして意識的、無意識的に表現されていることになります。この作品集からそのような個所を拾い出してみます。


①失踪してしまった「高崎くん」の家にある風呂場のスポンジの匂いを嗅いでいて、「高崎くん」がインドにいる様を「透視」できたような描写 (「スポンジ」)


②宮崎に移り住んで鬼の人形を作っていた風変わりな「おばさん」が亡くなり、その家を訪ねてきた主人公紗季が、そのおばさんと交流のあった隣人の黒木さんの話を聞いてものごとを一挙に了解する「私」の描写

「お話は全部、よくわかりました。」
 私は言った。
 黒木さんの目の深く星のように強い輝きを見ていたら、おばさんがどんなに立派な人だったかめくるめく勢いでそのエッセンスが押し寄せてきて、関係性も意図も全てがわかったのだ。  (「鬼っ子」)

③ベトナムで事故死した兄の、未だその心の傷を抱えている奥さんと話していて、急に兄が「私」に乗り移ってきた描写。

 兄は義姉のそういうところがかわいかったのだろうな、と思ったとたんのことだった。 私の声の中に、急に兄が勝手に動き出した。
 私はイタコなんかじゃないし、霊能力もない。なのに、なぜだろう。私に兄が重なり、私は自分を一瞬忘れた。
 兄が強烈に近くにいて、私の目からは懐かしさのあまり自動的に涙がどんどん出てきた。「幸せに、ただ幸せにいてくれればいいんです。そうしたらさきもだんだん幸せになる。さきの幸せを忘れないでいてくれれば、だれが来ようと、絶対にいつかみんな幸せになります。時間をかけてくれれば、なにも文句はない。……以下略……」
  (「さきちゃんたちの夜」)


 超能力と見なされるような感覚は、可能性としては現在の人間にも潜在していますし、人類史で、人間が自然と深く濃密に交流していた段階ではそれが主流だったときも経験しているわけですが、現在ではそれはすり減ってしまっています。わたしたちは、現在に主流の科学的あるいは合理的な判断をするようになっています。しかし、合理的な判断だけでは、わたしたち人間の振る舞いは捉え尽くせないことも事実です。作者は風俗としてのオカルトと微妙に区別するように描写しています。②の描写は、人付き合いを避けて遠方の宮崎に一人住んでいたとっつきにくいおばさんという外からの視線を一挙にはがして、そのおばさんのほんとうの姿を捉えようという作者の意志の現れだと思います。①と③の描写は、登場人物たちの内面に湧き上がっているある危機的な状況を前にして、それを望ましい方向に軌道修正しようというふうに発動されています。ここには、作者の生きることに対する意志や倫理のようなものが発動しています。その意志や倫理のようなものは、例えば次のような描写に現れています。


 人と共にいるのは個の自分にとってはとても不自然、でも種としては限りなく自然なことでもあるのだ。その自然さはまるで雑草がはびこっていくような、沼の底はよくわからないにょろにょろしたものがどんどんうごめいて育っていくような、そんな意味をも含んでいた。
 その感覚を忘れてはいけない。人の体臭、息づかい、手のぬくもり、しっとりした生温かさ。そういうものがただただ気持ち悪くなってきたら、種としての自分が危うくなる。 知らない人と満員電車で触れ合うことと、愛する人たちがそばで生臭くいることとは違うのだということを、体が忘れてしまう。鈍くなってそれらをいっしょのカテゴリに大雑把にくくってしまう。
 バランスはいつでも取っていたいという意欲が突然にわいてきた。
  (「さきちゃんたちの夜」)



 さらに、作者にこのような意志や倫理のようなものを促す背景として、わたしたちを取り巻く世界に対する次のような認識があります。


 きっといつかおばさんもそんなふうにつぶやいたのだろう。そのあとで、おばさんは思ったのだろう。
 ここに住んだのもなにかの縁だ、私は、有名にもならなかった、人にも好かれなかった、家族ともどうしてもなじむことはできなかった。優しい言葉を人にかけることも、多くの人と会ったり食事したりすることもできなかった。体も強くないから、同じ時代にNYにいたのにオノ・ヨーコや草間彌生にもなれなかった。すごい作品も創らず、ただ生きて死んでいく。でも、だれも見ていなくても、鬼が見ているし、木も空も、神様も、私を見ているのだ。なにかとよくしてくれた黒木さんのためにも、できることを静かにやってから死のう。そのために残った時間を全部使おう。何かもっと大きなものが、偉大なものが、きっと私の命を見ていてくれるはずだ。
  (「鬼っ子」)

 それでも、このいろいろなものが渦巻いている世界の中で、ありとあらゆるものがつながって波と空と風のように押し合い、影響し合い、吸い取り合い、絡み合い、ずっと動き続けているダイナミックな流れの中で、人間にできることはただただ小さな手を動かして作業することだけなのだ。  (「癒やしの豆スープ」)

 わからないことばかりで流されやすいそんな愚かな私たちを、とてつもなく大きくおおらかなものが、祖父母のいた頃と変わらずに庭の木陰からそっと見ていたと思う。それがいいものなのか悪いものなのか私にはほんとうのところわからない。ただ、人間というものを長い間ずっと見ている目みたいなものなのだと思った。  (「癒やしの豆スープ」)


 これらは、通俗的に見れば「そんな悪いことをしていたら、おてんとう様がちゃんと見ているよ」というような誰もが一度は聞いたことがある言葉になります。わたしたち人間は、この人間界で、これは植物、それは動物、こちらは子どもで、あちらは大人などなど、さまざまな区別や階層を設けています。しかし、この人間界を超えた宇宙レベルの下でのわたしたち人間の生きる意味となるとよくわからないということが現状です。作者の表現したこの通俗性をいい意味で考えれば、人間がこの大地に生きていることの不思議さや意味についてなんども思い巡らせ、そういう言葉を生み出さざるを得なかった先人たち、さらにその先人たち……という人類史の大きな流れに、作者もまた渦巻く疲弊した現在に抗うようにして漬かっています。作品の言葉たちは、そこからの日差しを受けて、ひとがこの人間界で生きていく倫理の萌芽のようなものが描写されています。それはまた、現在を生きるわたしたちやこの現在の世界自体も、その現在のあり様に対してひそかに問いかけられている問いでもあります。

 
4 作品を読むということ ④ ―作品の入り口で④ 

  居眠り磐音江戸双紙シリーズの作品に、今までにもあったかどうかわからないのですが、39巻目に次のような語り手と登場人物の距離を取った表現があります。これを手がかりに物語の世界というものについて少し考えてみます。


① そのとき、速水父子は何事か談笑しながら淡路坂の真ん中に差しかかっていた。淡路坂は四丁ほど続き、太田姫稲荷を過ぎた辺りで武家地の間に通じる小路の口があった。
 この武家地を南西に抜けると、表猿楽町の速水邸の門前に出る。
 速水左近は心を許した剣友らと久しぶりに心地よい酒を楽しみ、微醺(びくん)を醒(さ)ますつもりで神田川の川岸道を選んだか。
 対岸には昌平坂学問所と聖堂の甍が見えた。
 (『秋思ノ人』居眠り磐音江戸双紙 39 P234 佐伯泰英 双葉文庫 2012.6月)


② そんな噂話が流れる中、速水左近に江戸の表猿楽町の屋敷から書状が届き、坂崎磐音一行が江戸に帰着したことが告げ知らされた。
 速水は、甲府勤番解職は、
(坂崎磐音どのの江戸帰着と関わりがあるのでは)
 と直感した。そして、当の坂崎磐音の使いの弥助が密かに甲府入りし、速水左近の後職が、
「奏者番」
であることを伝えた。
 (同上 P14-P15)


 ①の場面の「何事か談笑しながら」や「神田川の川岸道を選んだか」という語り手の表現は、登場人物に添って歩きながらも登場人物と距離を取ったものです。つまり、登場人物を外側から眺めて描いています。一方、②の場面の「(坂崎磐音どのの江戸帰着と関わりがあるのでは)」という登場人物、速水左近の内面を語るとき、語り手は登場人物の内面に入り込んでいます。この居眠り磐音江戸双紙シリーズでもそうですが、現在の物語では語り手が登場人物の内面に自由に出入りしてその内面を細かに描き出すのが普通になっています。物語作品は、現在では作者のイメージや考えなどから織り上げられたものであり、登場人物や語り手は作者の分身と言っていいと一般に思われています。それならなぜ語り手は、①や②のように登場人物と距離を取ったり、その内面に入り込んだりするのでしょうか。

 ①のような表現に出会えないかと、テレビでNHKの『日本の話芸』という番組を二十話近く見ました。というのは、わたしの耳はそのような語りの記憶を持っていると思われたからです。なかなか出会えませんでしたが、その中に、神田松鯉(しょうり)の講談「水戸黄門記より 雲居禅師(うんごぜんじ)」につぎのような語りがありました。


 (雪が降るすばらしい景色を前にして)……しばらくの間ごらんになってたんだが正宗公(注.若い頃の伊達政宗)はご満足あそばしましたのか、されば帰還をいたすであろうと立ち上がりました。この正宗公という方は非常に癇性(かんしょう)の強い方だったんだそうで、寒中でも足袋をお履きになりません。素足でございます。


 伊達政宗も雲居禅師も実在していたようですが、このエピソードが本当にあったことかはわかりません。語り手は、伝わっている伊達政宗にまつわるエピソードや性格などを踏まえて語りを構成しているのでしょう。語り手の創作も入っているかもしれません。語り手は、「ご満足あそばしましたのか」とその内面に入り込まずに外側から伊達政宗を語っています。また、「癇性の強い方だったんだそうで」と伝聞の方に後退する面も併せ持っています。小さい頃ラジオで語り物を聞いたことがあるわたしの耳の記憶では、このような「誰々は何を思ったか」などの登場人物の内面を外側から推し量る語りが確かにありました。

 登場人物の内面に入り込んで内面を細かに描き出せるようになったのは、欧米の波をかぶった近代小説以降になります。したがって、①のような登場人物と距離を取った語り手の位置は、従来からの語りの歴史を踏まえていると見なすことができます。①の描写は、たぶん作者の語り物の体験から来る無意識的な表現ではないかと思われます。あるいは、もう少し細かにこの作品をたどらないと言い切ることができませんが、江戸という舞台に少し非凡なものを持つ坂崎磐音という主人公を歩ませ、様々な人々と関わり合う姿を描く作者は、作品が時代物ということもあり、この国の語りの伝統を無意識的にも踏まえているのかもしれません。

 ここで平家物語などの作品を取り上げてみる代わりに、この列島に保存されてきた膨大な昔話を収集し、その変遷の歴史をたどり、この列島に生きた人々の精神史を明らかにしようとした柳田国男の言葉を手がかりにしてみます。


作者と暗誦者との地位はまだいたって近い。ある者は最も忠実に片言隻句(へんげんせきく)まで守ろうとし、またある者はしきりに新意を加えて、古来の伝承に時代の粧(よそおい)をさせようと力(つと)めるのであるが、ともに聴衆がかねて期待するところの範囲から、遠く離れまいとする態度は一つである。群れが作者であり作者はただその慧敏(けいびん)なる代表者に過ぎなかった古い世の姿は、今もそちこちに残り留まっているのである。口と筆との二つの文芸が、截然(せつぜん)として袂を分って進むもののように、考えてしまうにはまだ少しく早いかと思う。
 (五 作者意識「口承文芸史考」P23 昭和10年~11年 『柳田國男全集8』ちくま文庫)

古人が話の種の定まった趣向を尊重し、曽我や忠臣蔵などの吉例(注.めでたいならわし)を追おうとした心理は、もう我々には会得しにくくなっている。
 (二十七 話の種「口承文芸史考」P77-P78 『同上』)


これは桃太郎や瓜小姫の昔話の、定まった発端の型となっているだけでなく、土地によっては舌切雀の雀までが、香箱の中に入ってまたは鳥籠のままで、上流から運ばれて来たという例もある。つまりは話の主人公となるような非凡児は、たとえ人間の姿をしていなくても、やはり普通の手続きでは出現しなかった。もっと進んで言うと神の御授けであったということを、説かなければならぬ習わしがあったからかと思う。犬の子の場合にあっても後に詳しく言おうとする灰撒爺(はいまきじじい)の話では、たいていはまた川上から流れて来る。そうして因縁があり理由がある爺婆の手に拾い上げられ、その家を富貴にすることになっているのである。
(「昔話と文学」P285 昭和12年 『同上』)


 「群れが作者であり作者はただその慧敏(けいびん)なる代表者に過ぎなかった古い世の姿は、今もそちこちに残り留まっているのである。」と、物語の遠い起こりからの流れに柳田国男はまなざしを向けています。「古い世」においては、物語の骨格は普通の人々の共通の思いから生まれ、作者という特別の人物が登場してからも当初は普通の人々の代表者に過ぎなかったと見なしています。「聴衆がかねて期待するところの範囲から、遠く離れまいとする態度」というものは、現在の作者についても言えます。現在を生きるわたしたちの抱えている困難や喜びなどと無縁な作品は、わたしたちの共感を呼ぶことは難しいからです。

 柳田国男は、近代小説以前の語り物や昔話について述べています。なぜ「曽我や忠臣蔵」が、語り物の素材とされたり、人々はその語り物を聞こうとするのか、柳田国男はもう理解するのが難しくなっていると述べています。しかし、「昔話と文学」に述べた言葉は、その理解に当たっていると思われます。「神の御授け」によって「話の主人公となるような非凡児」が特別な手続きによってある特定の人間の前に現れ、「その家を富貴にする」という語りの型は、「曽我や忠臣蔵」の以前の型だと言えます。ある威力を持った「非凡児」たちが悲劇的な運命をたどるのを普通の人々は拍手喝采や同情や悲しみで受け入れていたのかもしれません。そこに登場する有名人たちは、普通の人々の力を超えたものを持っていると見なされていたということが、もはや「その家を富貴にする」ということはなくなったとしても、武士の有名人たちが語り物の世界に登場してきた時代とそれ以前を共通して結びつけるものです。

 この普通の人々の力を超えたものを持っていると見なされる人々が、特別視されたり熱狂的に受け入れられたりするのは、現在までもたぶん薄らぎながらも連綿と続いています。スポーツ選手や芸能人などの有名人に対するまなざしや心の有り様にそれは現れています。

 これを柳田国男が述べたさらに以前にさかのぼってみると、巫女を通して生き生きと目の前に立ち現れる神々というものが想定できそうです。その背景には、普通の人々より感能力が強く、神々と深くつながることができる者と見なされた巫女が、特別な力を持つ者として遇されていたということがあります。これが小さな集落のレベルを超えて国家レベルの規模になると、たとえば、沖縄では最高位の巫女にあたる聞得大君(きこえおおきみ)という祝女(ノロ)は、琉球全土の祝女の元締めとなり、琉球王国の宗教的な守護者となっていました。

 語りの中に登場する神々は、古代のわりと人間化した神々でもその内面を十分に推し量ることが不可能な存在だったと思われます。つまり、人々に益ももたらせば、害ももたらすという、何を考えているのかよくわからないという面があったということです。語り手の巫女は神の言葉を間接的に語る者でした。どうしてそうだったかを考えてみると、古代以前の神々は、人間に恵みも災厄をももたらす、よくわからない自然の別名だったからだと思います。人間はそのような寛容さと苛酷さを併せ持った自然の中で途方もなく長い経験を繰り返してきました。自然を神として呼び寄せ、語りかけ、その真意を理解しようとすることが、まだ現在のように不十分ながらも自然に対する防御網を人間界に張り巡らせることができなかった段階の自然に対する対処法だったと見なすことができます。

 起源的に見れば、物語は正体の知れない親のような自然に向かって、子たる人間が問いかけたり、真意を推し量ったり、対処法を考えたりする、「ものかたる」ものだったものと思われます。このことは現在でも、無力な幼い子どもがその母親に「ものかたる」状況と類似しています。この段階では、正体が知れないのですから自然(神)は内面描写は不可能であるということがわかります。そして、「ものかたる」ことを果てしなく繰り返す中から、始まりがあり、展開があり、結末があるという物語のいくつかの型が生み出されてきたものと思われます。例えば昔話の『竹取物語』などの長者話は、その複雑になった物語の奥底では、自然(神、「非凡児」)が人間界にもたらす恵みの型を踏んでいると思います。

 物語の登場人物は、自然→神→人間界に降りてきた神→非凡な武士へと変貌してしてきました。同時に、舞台も自然と人間の直接的な関わりの場から、人と人とが関わり合う人間界中心へと変貌してきました。そして、明治近代以降、欧米の波をかぶり、欧米の近代思想や近代小説を仲立ちとして、ようやく登場人物の内面描写が可能になってきます。当然ながら、その背後には欧米の影響下に知的な層を中心として個の意識が切り開かれてきたということがあります。

 現在では、神々は迷妄として忘れ去られ、人間界の人と人とが関わり合う世界の物語になってしまいました。非凡な登場人物が現れる物語作品も依然としてありますが、作者も普通の生活者であり、普通の人々の共感を呼ぶような、普通の登場人物が主流になってきています。それでも、現在の物語作品にも最初に引用した①のような外面描写が顔を出すことがあります。それは、わたしたち大人も自分の子ども時代を意識的にも、無意識的にも反芻することがあるように、物語もその起源から始まる途方もない歴史を無意識にも反芻することがあるということだと思われます。この世界に誕生し、子ども時代を経て、わたしたちの現在があるということは、物語の現在と同様に、それらの始まりからの歴史をわたしたちの現在はそれぞれになんらかの形で保存しているのだと思われます。

5 作品を読むということ ⑤ ―作品の入り口で⑤ 

 次の文章は、居眠り磐音江戸双紙シリーズ最新作「徒然ノ冬」の出だしの部分です。物語の世界での作者の選択ということを考えてみます。


 巫女舞(みこまい)の調べが響いていた。笙(しょう)、鉦(かね)、笛の音が優雅な調べを紡いでいた。
 広大な天から白いものが舞い落ちていた。
 ひとひらふたひらだった白いものは雅な調べに合わせてだんだんと増えていき、ゆっくりと、だが、際限なく踊るように舞い落ちてきた。とはいえ、高く広い空を覆い尽くすほどではない。
「雪や、今年最初の雪やで」
 老婆の声が地底の深いところから伝わってきた。
 梅衣のお清の声だった。
(ああ、姥捨舞(うばすてまい)や、姥捨の郷)
 霧子は広大無辺な腕に包まれたような安寧と平穏を感じていた。

[註.このすぐ後に、(そうだ、空海様の腕に抱かれておるんや)という霧子の言葉がありますから、「広大無辺な腕」は、「姥捨の郷」のある高野山を開いた空海を指しています。]
 (『徒然ノ冬-居眠り磐音江戸双紙(43)』P7-P8 佐伯泰英 双葉文庫 2013.6)



 霧子は、敵の矢に毒が塗られた半弓(はんきゅう)に射られて矢傷を負い、二月ほど意識を失っていました。物語の出だしは、意識をなくした霧子が生死をさまよいながら夢うつつの状態で、夢を見ている場面です。語り手が霧子の夢の中に入り込んで、霧子が見渡し感じる夢の内容や夢の中でのつぶやきを語っています。姥捨の郷は、紀州、高野山の裏手にある隠れ里で霧子の生まれ故郷でした。物語の現在では江戸に帰還していますが、磐音や妻おこん等が田沼一派の追及から江戸を逃れて一時隠れ住んでいたところでもありました。この場面を本巻の物語の出だしに選択・配置したのはもちろん作者です。本巻を読み終えて物語の流れを振り返ってみると、この出だしの表現は、本巻の物語の主流が尚武館道場の一員である深傷を負った霧子と周りの者たちとの関わり合いに置かれることの表明にあたると思われます。

 霧子は医者の手厚い介抱の後、小梅村にある磐音の尚武館道場、その長屋に意識を失った状態で運ばれてきます。周囲のみんなが手厚く介抱したり、見守ったり、密かに祈ったりする中で、言葉に出さなくても周囲の者が霧子の回復を強く願っている心は共有されているというように物語は描写されています。そのことと呼応するように、夢うつつの状態にある霧子のなかにそれらの強い願いが「精気」という形で感受されている様子が描写されています。


 霧子の夢寐(むび 註.夢見のこと)はいつ果てることもなく続いていた。絶えることなく続く無明の時の流れであった。
 時に霧子は夢のまにまにあることを意識した。
 ……中略……
 干し柿が秋の陽射しにしぼみ、甘さが少しずつ増す頃、内八葉外八葉には冬の到来を告げる木枯らしが吹き荒れる。
「きりこきりこ、かぜん子きりこ、
 とんでけとんでけ、だいし様のもとまで、
 とんでけ、きりこ」
 という歌声が霧子の頭に響いて、不意に夢が途切れた。
 どこからともなく霧子を精気が優しく包み込み、夢寐から現(うつつ)に呼び戻そうとしていた。
(だあれだ)
 霧子は夢の中で精気を送る主に問いかけていた。そんなことが繰り返され、繰り返し送られてくる精気が独りではないことに気付いた。
(私を呼ぶのはだれだ)
(いったい私はどこにいるのだ) 
 霧子はまた夢の世界に戻っていった。
 (『同上』P92-P93)



 重病で病の床に臥している人とその周囲の人たちの間にはさまざまなドラマがあってきたし、あるだろうと思います。この世界に生還する人もあれば、亡くなってしまう人もあります。その渦中でどういったやりとりがあったかは人それぞれでしょうが、そのやりとりは現状ではよくわからないとしか言いようがありません。つまり、霧子の夢うつつの状態での感受があり得ないこととは言えません。しかし、現実には重病で病の床に臥している人の内面をこの物語の描写のように細かにうかがい知ることはできません。ただ、重病の状態から生還してきた人たちの体験談ということはあり得ますから、それらを通して内面の状態をうかがい知ることはできます。作者もそのような体験談を耳にしたことがあるかもしれませんが、この部分の描写は、作者の想像から生み出されたものと思われます。物語の流れからは霧子の生還への伏線にもなっています。

 そんな中で、主人公磐音は、「霧子を本心に戻そうと三七二十一日の精進、直心影流奥義法定四本之形奉献を密かに始め」ました。その「三七二十一日の満願の日」の尚武館道場での磐音の描写です


 磐音が正眼につけた、尚武館道場の護り刀の五条国永から左手を離し、親指と人差し指を軽く伸ばし、残る三指は軽く閉じて国永の鎺(はばき)に添え、左から右へと、両手を日輪の昇るが如くに半円を描いた瞬間、まばゆいほどの光が奔(はし)って長屋へと飛んだ。
 品川幾代は長屋に熱気とも霊気ともつかぬものが押し寄せるのを見た。すると霧子の体が布団を持ち上げてぶるぶると痙攣(けいれん)した。
 (『同上』P131)



 こうして、霧子は目を覚まし意識を取り戻します。そのときの様子を(「霧子さんが眼を覚まされましたぞ!」幾代の高らかにも誇らしげな声が小梅村じゅうに響いた。)と語り手は語っています。この高らかで誇らしげな声はまた、物語世界を生きている作者の声でもあるように感じ取れます。以前にも、この居眠り磐音江戸双紙シリーズにはこうした超自然的な描写があったことを覚えています。霧子には結婚にまで行きそうな相手、尚武館の利次郎がいますから、作者としては霧子を死なせるわけにはいかないと思います。もし霧子が死ねば物語世界は悲劇的な暗雲を抱え込まざるを得なくなるからです。それは、尚武館を巡る主人公たちの大きな家族のような情愛に満ちた世界を破綻させることはないにしても、深い傷を負わせることになります。

 この作者の表現は、通俗的でアニメの世界のように空想的になっています。また、「声が小梅村じゅうに響いた」という表現も大げさであり、現代小説の作家なら決してしない表現です。しかし例えば、人が身内の者の瀕死の状態に接したとき、人為の及ばないような状況でそのような現在では超自然的と言うほかない願望を抱くことがあるのも確かです。また、実際のところはよくわかりませんが、それが通じて生還できたのではないかと思えるような体験もあり得るように思います。そういうことを考慮すると、通俗的ですが、通俗的な真に応える表現ではあると言えます。物語の世界に即していえば、登場人物たちの心に立ち込めている不幸の影を払拭する、登場人物たちの願望に応える超自然的な表現となっています。一方、読者としてはわたしみたいにちょっと白けるなという印象を持つこともありえます。つまり、物語の世界に霧子が生還するにしても、別の解決法もあり得るのではないかということです。

 作者は、自らが描いた登場人物たちの行動や物語の流れから反作用を受けながら、つまり、「こうするだろう」「こうなるだろう」というような要請を受けながら、ある選択をしていくことになります。このことは作家に焦点を当てれば、作家が生み出した想像上の世界での作家の対話や葛藤や選択であると見なすことができます。したがって、こうした作品世界の問題解決の仕方には、作者の人間や人間世界に対する考え方やそこからくる選択や構成の意識が働いています。

 出来上がった作品を読むという点では、わたしたち読者は受け身的です。つまり、わたしたち読者は物語の作品世界に手を加えたりすることはできません。しかし、作品を読み、感じ、味わうということでは、心から精神に渡る何らかの消費や生産という積極的な活動を行っています。この「消費」を主に作品を読み、感じ、味わうことだとすれば、「生産」は、この選択はいいねとか、どうかな、まずいね、などという主に批評性として現れると思います。作品を読むというわたしたち読者の活動は、心から精神に渡る消費と生産ともに一体的なものですが、強いて分けてみるとそうなると思われます。

  
 作品を読むということ ⑤ ―作品の入り口で⑤ ―補遺

 前回触れた、主人公磐音をはじめとして尚武館道場の人々が霧子の回復を願う行動は、古来の形式とは違ってそれぞれの個人的な行動を取っています。しかし精神的にはいはば「共同の祈願」として霧子の回復を願っています。柳田国男の本を読んでいたら、次のような箇所に出会いました。その古来の形式は磐音らの行動に歴史的な根拠を与えるものになっています。


 たった一軒の家の憂いや悩みでも、それが村人の一人である限り、決して神様は打ち棄てておかれなかったことは、前にも紹介しておいた蓆旗(むしろばた)の縄を、氏神社から子の欲しい家へ、引いて来ているのを見てもわかり、または逆歯の生えた幼児のために、村の人が集まって日中機を織るのを見ても考えられる。こういう信心の最も明らかに顕(あら)われているのは、村で大事な氏子が大病にかかって命危いときに、多くの人が出て祈願をする千度参り、または数参り・度(たび)参りともいうものであるが、これなども最初はもっと弘く、村に何事か大きな憂い事がある場合、ことに五月六月におしめりがなくて、田が植えられなくて苦しむ時などの方が多かった。女や子供までを加えても、村では千人というの人はなかなか揃(そろ)わない。多分はめいめいが二度も三度も、還ってはまた御参りに行くので、千というのは精確でなくとも、実際は千度よりも多く、一日の内に神様の前に出て、口々に同じ言葉を申し上げて、神様を動かそうとしたことと思う。私たちが見てさえ感動せずにはおられないのは、漁船が沖へ出ているのに暴風雨が起って、船が次の日までも帰って来ぬ場合などに、母とか妻とか姉妹とか小さな児童などが集まって、この千度参りをするありさまである。隠岐島の海士(あま)村などでは、この日の祈願に先だって、浜の小石を千個だけ拾い寄せて、めいめいがそれを一つずつ手に持って、御参りしては拝殿に置いて来るそうである。人がこれだけ一心になると、たとえば船がよその港に遁(に)げ込み、または嵐と入れちがって無事に帰って来たとすれば、それを千度参りの力だと思い、また神様の御助けと信ぜずにはおられなかったはずである。


今では半分は世の中の義理、前には自分の家も同じようにして助けられたとか、いつかはこちらもそうした世話になるのだからとか、村の附合いということが根になっているのだろうが、これが氏神の御心にかなって、危篤な病人を恢復させる力になるということを信じていなかったら、単なる社交だけではこれまでの協力をなし合う者はなかったろうと思う。つまりは願い事があまりにむつかしく、個人の智恵や技術だけでは成就の望みがないと思う場合でも、これがただ一つの家だけの私の利益ではなくして、村人多数のともに切望するところでありますということを明らかにすれば、それならば助けてみようという思し召しが神にもあって、御陰を被ることが多いということを、久しく私たちの祖先は経験していたのである。村に住む者が吉凶禍福、常に互いに助け合わねばならぬという考え方が、たまたまその信仰と結び付いたものと私は思う。この千度参りを村の人にしてもらって、危い命を取り留めたという者の話なども、注意していれば折々は聞くことができる。土地によっては千度参りの人たちは、社の前に立って大きな鬨(とき)の声を揚げる。それが病人の枕元まで聞えて来ることもしばしばある。あるいは参詣の人たちが垢離を取った姿のままで、帰りにどやどやとその家に寄って行くこともある。こういう声を聴くと、たとえようもなく心丈夫になり、また元気がつくものだそうである。あるいはこういうところにも共同の祈願の隠れたる効果があるのかも知れない。
 (「村と学童」P525-P526, P527-P528 『柳田國男全集23』ちくま文庫)



 九月下旬のNHK「今夜も生でさだまさし」は、長崎が舞台でしたが、それを見ていたら長崎の眼鏡橋の下にある石の台のようなところにたくさんの硬貨が投げ入れられている場面が写りました。現在でもこのような風景は目にすることができると思いますが、柳田国男が書き留めた昭和初期と同様に「個人祈願」になってしまっています。

 また、こちらの町内会の各班は、現在では昔より分割されて小さくなっていますが、一昔前は班の人が亡くなると班で炊き出しをしたりして大忙しだったようです。現在では、結婚式も葬儀も医療も家庭や地域から抜けだしてそれぞれの業者の下、個人的なものになっています。

 現在では病気になれば個人的に病院にかかります。しかし、現在とは比べようもなかった医療の時代においては、人々は人為を超えたものに対して村の共同意志としての対処の行動を取っていたのだと思われます。それが現在から見ていかに迷妄に見えたとしても、柳田国男が最後に書き留めているように、「共同の祈願の隠れたる効果」があることも否定できないように見えます。磐音の場合もその祈願の行動が、道場のそばの長屋で臥している霧子の元まで聞こえていたと描写されていますから、そのような効果の発現と見なすことができます。作者のその場面の描写は荒唐無稽なアニメ的な表現であるというようなことを前回述べました。この感受に変わりはありませんが、人為を超えたものに対処する人間の知恵という意味では近代以前の歴史的なものにつながるものを持っているということができます。

 付け加えれば、作者、佐伯 泰英の居眠り磐音江戸双紙シリーズは、現在では古い情緒や感じ方にあたるものを発掘し、発現させているように見えます。作者は71歳です。世代や地域によって体験した時代の地層は違います。たぶん、若い世代にはこの作品はあまり受けないかもしれません。この作品は、江戸を舞台に登場人物たちが語り手に導かれるようにしてひとつの物語世界を織り上げていくわけですが、このことを作者の方に戻してみれば、この作品が江戸を舞台にしたということは、現在というものに突き動かされて現在の作者の情緒や感性の古い層を発掘しようとしていることになると思われます。そしてそのことが現在において何を意味するかは、わたしたちが未来を十分に思い描けないのと同じく、作者にも十分にわかってはいないものと思われます。

 
7 作品を読むということ ⑥ ―作品の入り口で⑥ 

 佐伯泰英の「居眠り磐音 江戸双紙」と上橋菜穂子の「ラフラ<賭け事師>」に描かれた戦闘場面の描写を取り上げてみます。物語作品にとっては、細部の描写に当たります。前者は、船の中での戦闘場面です。後者は、敵との戦闘ではなく戦闘の練習の場面です。練習といっても張り詰めた場面の描写になっています。



 磐音は備前包平の鯉口を切り、
 そろり
 と抜いた。そして、正眼に二尺七寸を置いた。
 両者の間合いは二間半だ。
 鰹節が昨日まで積み上げられていた中層船倉に緊迫が走った。だが、その緊迫
を醸し出している闘争者は一人、内藤朔次郎だけだった。
 磐音の五体からは、
「春先の縁側で日向ぼっこをしながら、居眠りしている年寄り猫」 、
 のような、なんとも長閑(のどか)な空気が漂って、それが内藤朔次郎を焦(じ)らせた。
 形相が変わった。
 踏み込み足が船倉の床を蹴り、一気に間合いを詰めてきた。
 だが、磐音は動かない。ただ中段の構えを微動だにせず、相手の切っ先が死線
を越えて生死を分かつ瞬間を待った。
 上体を傾けた踏み込みの中で伸ばされた剣が、
 すうっ
 と引かれ、次の瞬間、
 ぐ、ぐぐっ
 と二段構えで伸びてきて、磐音の喉元を捉えようとした。
 正眼の包平が戦(そよ)いだのはその瞬間だ。
 包平が内藤の剣の物打ちを柔らかく弾くと、狙いを外された内藤が磐音のかた
わらを駆け抜けて、
 くるり
 と反転し、二撃目を放とうとした。
 だが、そのとき、磐音はすでに内藤の駆け抜ける動きに合わせて、
 そより
 と身を翻し、反転して次なる一手を放とうとする内藤朔次郎の喉元を、
 ぱあっ
 と斬り割っていた。
 ランタンの灯りに血飛沫が飛び、内藤の腰ががくんと落ちたかと思うと、体が
捻(ね)じれるように船倉の床に転がっていた。
 中居半蔵がごくりと唾を飲み込んだ音が響いた。
 磐音はゆっくりとした動作で包平の血糊(ちのり)を懐紙で拭うと、鞘に納めた。
 (居眠り磐音 江戸双紙40 「春霞ノ乱」P326-P328 佐伯泰英 双葉文庫 2012.10月)


 ジグロの短槍の穂先がせまってきた。
 穂先が顔にせまっても、バルサはまばたきひとつせず、一歩前に踏みこんで、ジグロの槍の柄に、自分の槍を交差させた。渾身の力で槍を打ちつけたのに、ジグロの槍の軌道はほとんどぶれなかった。
 夜明けの光をはじきながら、頬すれすれに刃がかすめ、ひやりとした。鼻の奥に金臭いにおいがする。
「……もう一度!」
 低く、鞭打つような声とともに、また穂先がせまってきた。
 バルサは歯をくいしばり、さっきより半拍待って、穂先の近くに、槍を打ちつけてみた。
 金具同士がこすれあって火花が散る。ジグロの穂先の軌道がずれた。……やった、と思った瞬間、ふいに手ごたえが消えた。打たれた力を利用して、ジグロが槍を反転させたのだ。
 たたらを踏んで、身体が泳いだ。のびきった胴めがけて、ジグロの槍の柄がせまってくるのを、バルサは肌で感じた。
 とっさに腕をたたみ、手首の金輪を脇腹にあてた。かんだかい音がして、金輪に柄があたった。
 直接打たれたのではないのに衝撃が骨までひびき、右手から槍がはずれた。だが、バ
ルサは槍を落とさなかった。左手一本で槍を突きだして牽制しながら、左へと逃げた。
 うなりをあげて穂先がせまってくる。体勢を立てなおそうと、バルサは必死で、左へもう一歩跳ねとんだ。
とたんに、左足が、ずるっとすべった。あっと思ったとき、ジグロの槍が振りおろされ、首と肩のあいだに激しい衝撃が走った。こらえきれずに膝をついたバルサに、ジグロの
声が降ってきた。
「闘っている場の状況を、すべて頭に入れておけと言っただろう!」
バルサは肩で息をしながら、ジグロを見あげ、ゆっくりと立ちあがった。
 井戸の場所、水桶の場所など、避けねばならないところは把握していたつもりだったけれど、ぬかるみまでは目にはいっていなかった。実戦では、小石ひとつ踏んで体勢をくずしても、死につながる。それは、いつも心に刻んでいたはずなのに……。
「受けろ!」
 腹にひびくような声が聞こえて、バルサは、はっと短槍をかまえた。うなりをあげてジグロの短槍がせまってくる。かろうじて、それを受けたときには、もうジグロの槍は、しなりながら頭上に舞いあがり、振りおろされてきた。
 バルサは一撃を受けた力そのままに槍を振りあげ、両手で槍をささえて、ジグロの打ち込みを受けとめた。ガチーンとかんだかい音がして、両手が骨までしびれた。
 右に、左に、下から、斜め上から……はてしなくつづく連続攻撃を必死に受けつづけるうちに、手も腕もしびれて、目の前がかすんできた。
 ようやくジグロの攻撃がやんだとき、バルサは地面にくずれおちた。膝が笑ってしまって、立っていられなかったのだ。
ジグロが近づいてきた。あれだけの連続攻撃を仕掛けてきたのに、息もあがっていない。「まだ、左脇に槍をもってくるときの動きが悪いな。」
 バルサはうなずいたが、声はだせなかった。見おろしている地面が、ゆっくりとまわっているような気がする。
 (『流れ行く者』「ラフラ<賭け事師>」P140-P143 上橋菜穂子 偕成社 2011.6月)


 いずれの作品の戦闘場面の描写も物語の流れが必然的に呼び込んだものではあります。前者の方は、主人公磐音は絶えず田沼意次一派の刺客に付け狙われているということ、後者の場面は老いた賭博師・アズノと少女バルサとの交流により、主人公バルサの目や感受を通して人の生きるという有り様を浮かび上がらせようとしたこと、などです。

 『居眠り磐音 江戸双紙』には、毎巻、戦闘の場面があります。わりとすっと読み進めがちですが、当然ながら作者たちは、語り手となってその現場に立ち会い登場人物たちの凄まじい戦闘を見聞きしているように描写しています。①と②の戦闘場面は、磐音やバルサは戦闘の素人ではなく、たくさんの修練を積んできた者たちですから、素人の行動ではありません。したがって、わたしたちのよく知らない世界です。もちろん、作者たちもよく知らない世界ではあるでしょうが、それなりに調べたり体験したりして描写の修練を積んできたはずです。

 ①は、外面的な描写になっています。つまり、登場人物たちの内面描写は行われていません。「春先の縁側で日向ぼっこをしながら、居眠りしている年寄り猫」のようなという主人公磐音の「長閑な空気」の描写は、戦闘場面のほとんど全てにわたって登場します。生死を分かつ戦闘に置いてそういう心や身体の構えや有り様が可能なのかわかりません。可能だとすれば、主人公磐音はものすごい修練と場数を踏んできているということからくるのでしょう。①は、古来の語りの歴史に忠実な、戦闘場面を見てきたように語り手が事細かに外面から語っているように見えます。 そして、「そろり」「すうっ」「ぐ、ぐぐっ」「くるり」「そより」「ぱあっ」などの擬音語や擬態語の使用が場面の現実感を増幅させています。刀と短槍という武器の違いによる戦闘の違いはありますが、①はわりと語りの型に沿った描写に見えます。
                  
 一方、②は、「頬すれすれに刃がかすめ、ひやりとした。鼻の奥に金臭いにおいがする。」や「のびきった胴めがけて、ジグロの槍の柄がせまってくるのを、バルサは肌で感じた。」などに見られるように、語り手は主人公バルサの内面にまで入り込んでいます。そして、戦闘の場面の緊迫した肌合いの感覚まで描写されています。登場人物の感覚的な描写が現実感を与えるよう効果的に行使されています。

 ところで、①と②、ともに一対一の戦闘場面の描写です。一対多であればまた戦闘の仕方も変わってくるだろうと思えます。①も②も描写の方法は違っていても、戦闘の場面という現実感は読者には伝わってきます。ただ、②の描写の方がわたしたちの日常感覚に深く根ざした描写になっています。

 ここで作者の言葉を参考にしてみます。ネット上に上橋菜穂子へのインタビュー記事があり、次のようなことを語っています。現在では、たくさんの物語と出会うことができる上に、その物語の背景についても作者の言葉をいくらか目にする機会が増えて来ています。



私もそういう、五感で感じられるようなものが書きたいんです。でもね。読んでいる人が入り込める〈世界〉を描くには、そこにちゃんと、匂いや光が在って、空気の質感まで立ち上がってくるような全体感がなければいけない。あの知識と、この知識、という点をつなぐだけでは、読む人を「そこ」へ連れていくことはできないんです。

私の書く物語は、「ハイ・ファンタジー(異世界物語)」と呼ばれたりします。現実には存在しない世界の話ですから、具体性をもった表現でなければ、物語にリアリティも共感も与えられない。私だって、異界にも古代にも、行ったことなんてないですよ(笑) だからこそ、自分が五感で感じて蓄えてきた〈経験〉がとても大切になる。つまり、「自分が世界をどうやって感じとっているか」を、どのくらい繊細に悟っているかが勝負になるんです。その自覚なしには、人に、「ほかの世界」を感じさせることはできませんから。
ですから、経験の多様さは、それこそ財産です。山の中で山菜を摘んだときの、指先に染みた汁の色や匂い。湿気や草いきれ。オーストラリアのブッシュで焚き火を起こした時の、炎の色や煙の臭い。闇夜の暗さや、月夜の明るさ。そういう経験によって、「家の中で火を焚いて生活していた人々」や、「日の傾き加減で時間の変化を感じていた暮らし」を想起したり、描くことができる。視覚や聴覚といった、単一の情報だけじゃなくて、全身で感じたことを、全体として表現するっていうのかな。それが、〈世界〉を描くことになると思っています。やっぱり、〈経験〉って「全体」なんですよね。



子どもが、ピストルや武器に夢中になったりしますよね。私も実はピストル好きの剣マニアでした(笑) 小学生の頃、放課後、教室で男子とガチンコのケンカをしたことがあるし、大学院時代は武道を習ったこともあります。馬鹿だから、巻いてあるマットレスを素手で殴って、手の甲をすりむいて、青むくれにしたこともありました。あまりに痛くて、二度としないって誓いましたけど(笑)

子どもが武器や闘いに執着すると、不安に感じる大人も多いでしょうね。でも、私自身の経験からも、「それらに魅力や衝動を感じることで、取り返しのつかないことを起こすわけじゃない。むしろ、その衝動が自分にあることを認めたうえで、内省し、それを行使したらどうなるかを想像する力、自制できる力が育たないことが問題なんだ」と思っているんです。もちろん、人という生き物のなかには、想像できるからこそやる、という残酷な者もいますけれど。でも、多くの人は、他者の人生、他者の痛みが思いやれたら、手は出せないものですよ。

だからたぶん、「守り人」シリーズで、主人公のバルサは短槍を持っていたんだと思うの。最初に頭に思い浮かんだ時から、彼女は槍を持っていた。私自身は刀剣好きなのに(笑) 短槍なら、柄を使えば他にもやりようがあるけれど、刀は、差し向かいになった時に相手を斬り殺さずにはいられないですもの。それはとても恐ろしいことですよ。

武器や戦闘に魅入られながらも、人を殺める、手にかけることに恐怖を感じる。そういうアンビバレントな感情をもつのも人間ですよね。それがあるからこそ、人間の「どうしようもなさ」が実感としてわかる。その衝動をどうしたらいいか、考えることができる。その衝動を生々しく知っていて、それを受け止めるほうが、子どもにとっても、大人にとっても意味があると思いませんか?
 (「kao kids 2D インタビュー」 上橋菜穂子)



 引用の①は、なぜ戦闘の場面の緊迫した肌合いの感覚まで描写されているかということの表現的な背景となっています。引用の②は、主人公のバルサはなぜ短槍という武器を持っていたのかということの背景を成しています。しかも、そのことは作者が意識的に選択したものではなくて、半ば無意識的に浮かんできたと語っています。読者は、この引用の②まではなかなか思い至ることはできないように思われます。つまり、なぜ短槍という武器を主人公バルサは持っているのかという疑問を読者がふと考えたとしても、作者の固有のイメージや考えの流れから来ているのか、物語世界の要請から来ているのか、それとも偶然性なのか、などなかなか特定するのは難しいということです。

 作品は読者が自由に読み味わっていいものですが、一方に、すぐれた作品と思われるものに対しては作者の生み出した物語世界をそっくり追体験したいという願望もあります。しかし、それは実際にはなかなか難しいことですから、その願望の実現のためには、その作品そのものを何度も読み味わうのはもちろんですが、作者の他の作品を読み漁ったりします。また、このような作者たちの語る言葉は読者の助けになります。もちろん、作者の語ることと作品で実現されたこととの間には一致もあればずれもあり得ます。さらに、作品世界には、作者の意識的な表現もあれば、無意識的な表現もあります。たぶん、すぐれた作品の底には、作者自身も十分に気付かないような作者の孤独な姿や表情が染み渡っているのだと思われます。

 以上見てきたのは、当たり前のことかもしれませんが、作品のなにげない細部にも作者の姿は発現しているということです。つまり、語り手が、作者の分身として派遣され、物語世界をその世界の要請に乗って飛び回るだけではなく、その描写には作者固有の感覚や感受や考えなども込められているということになります。このことは、わたしたちが親しい人と語り合うとき、語る相手の言葉は、その両者の居る場面に関係づけられていますが、言葉の呼吸法のようなものや仕草や表情などによってその人の歩んできた固有性に彩られているということと似ているように思われます。

 
8 作品を読むということ ⑦ ―作品の入り口で⑦ 

 統計によれば、2000年代になると書籍の出版は、毎年7万冊余りの新刊書籍発行点数になっています。現在では、毎年膨大な数の書物が出回っており、物語も日々書き継がれています。わたしが小さい頃は、映画とか観る機会はほとんどありませんでした。学校から数年に一回ほど観に行った記憶があります。その頃からすると、現在ではテレビを通して、あるいはレンタルビデオなどによって、海外の映画までもふんだんに観ることができます。このことは、芸術表現を作る側の層の拡大とともに、読者層の拡大を意味しています。観たり、読んだりされないものが作り続けられるはずはないからです。時折、大ヒットする作品もありますが、映画ひとつとっても、多様なジャンルがあるように、読者層もそれぞれの好みによって多様化しています。ひと昔前までは、「純文学」に象徴されるような文化は知識上層に独占されていましたが、下方に決壊し、また下方から様々な大衆的な文化が花開き、現在のような多様な様相を呈しています。このような大規模な文化の混合状態は歴史的に見て未だかつてなかったものです。

 このような動向は、娯楽費が含まれる選択消費の拡大に対応しています。現下のような不景気の経済情勢もありますが、わたしの小さい頃と比べてみてもわたしたちの生活は経済的にずいぶん豊かになってきています。衣服費や食料費や住居費などわたしたちの日常生活にどうしても必要なもの(必需消費)と日常生活にゆとりや潤いをもたらすもの(選択消費)との割合が半々くらいになってきています。この選択消費の増大がわたしたちの書物や映画などの芸術表現の享受を支えています。したがって、企業などの経済社会もわたしたちの消費行動の分析やそれへの対応を切実な課題として取り組まざるを得ない時代になっています。しかしまた、一方で、わたしたちはこのような現状にある飽和感のようなものを抱いていることも確かなことに見えます。

 日々たくさんの映画や書物が作り続けられているという現状には、当然、経済的な動機も要請もありますが、作者たちのそれ以外の表現の動機を探ってみれば、いくつかの要素として取り出すことができます。

①まず作者にこの現在の世界に生きていることから来るある認識や願望やイメージがあり、それを形あるものとして表現したいという欲求が起こります。

②そこから現実世界とある対応を持った架空の世界に入り込み、その世界を築き上げていきます。太古であれば、生身の人間が平常の自分とはちがった、何かに憑かれたように変身して、物語(神話)を語ったのだろうと思います。そのつながりからすれば、現在でも書く(作る)のは生身の人間ですが、想像世界の作者に変身して、語り手を配し登場人物たちを呼び寄せて対話をくり返しながら、ひとつの作品世界を作り上げていきます。

 作者たちは、読者(観客)と違って、その架空の世界を造型していく過程で読者(観客)が目にしたらがっかりするような舞台裏も当然見たり体験したりしますが、その想像世界に入り込んだ造型への意志がそれらを架空の世界のイメージの断片として感じ取り、駆使して、造型していきます。この過程で、小説のように一人の作者でも、映画のように一人の作者でなくても、作者たちは、ともに精神的な生産=消費の活動を行っていることになります。わかりやすく例えると、子どもが砂浜で手や道具を用いて砂の家を作り上げていくような内面の活動を行っています。作者たちは、表現する世界の枠組みの中、それに促されるようにイメージや言葉、イメージや線や色、イメージや映像などを生み出して(生産)いきます。そして、それらを味わい反芻し(消費)ながら、波打つようにひとつの世界を作り上げていきます。作者たちにとっては、その表現活動の過程そのものが表現という生命的、精神的な活動と言うことができます。その作り上げられた世界には、それを織り上げた作者の好みや感じ方など作者固有のものも溶け込んでいます。

③作者は、作品をまず自分自身のために作りあげますが、一方で、その作品世界やその体験を他の多くの読者とも共有したいという願望を持っています。それは人間の表現ということ自体に内蔵されています。つまり、この願望は、人間的な本質に根ざした、誰もが持つ奥深いものです。

 では、読者にとって作品を観たり読んだりする動機は、どこにあるかと考えてみると次のようなものとして取り出せると思います。

①偶然にであれ、ある期待を持ってであれ、ある作品世界に入っていきます。

②物語であれば、言葉や映像の架空の世界のはじまりから様々な展開、そして結末へとたどっていく過程で、わたしたち読者は、共感や感動を味わいながら、わたしたち読者の持っている認識や願望のイメージを開かされます。作品に対する異和もあり得ますから、わたしたち読者の批評性も加わっていくことになります。

③その味わう過程は、先ほどの例えで言えば、子どもが作り上げた砂の家を見たり触れたりしながら、作り上げられた砂の家自体をイメージとして読者の内面に生み出し(生産)、その引き寄せられた砂の家の形や配置や作り様時自体を味わい、同時に、作ったこどもの内面の動機や込められた感受を読者の好みや良し悪しの批評性を込めながら味わう(消費)ということになります。

④表現されたものを味わおうとするのもまた、作者の場合と同じく、表現を分かち合おうとする人間的な本質に根ざした衝動によるものです。


 わたしたちが日頃あるものを体験するとき、まず出会いがあり、展開があり、結末があるというふうになっています。その過程で味わう体験(心や体が生産=消費する)と同じものが増幅されて作品世界は存在しています。わたしたちがなぜ作品の世界に入り込んでいくのかは、憩いや娯楽や遊びをなぜ人はしてきているのかという問いと同じく根深い人間的本質に属していて、簡単に取り出すことは難しいものだと思われます。

 例えば、遊園地の乗り物を外から見ているだけではその乗り物のもたらすものを体験することはできません。これはまだ作品の外側にいる状態です。外から見ていて乗ってみたいなというむずむずするような気分に押され、その乗り物に乗り、始まりから終わりまでの過程を肌で味わって、ひとつの体験として完結します。物語を読み味わう体験は、精神的な体験ですが、これもちょうどそのようなもので、しかも作品も味わう体験も、ともに現実の体験より凝縮されたり増幅されたりしたものと見なすことができます。

 ここでふたりの作家の言葉を参考にしてみます。



「どんな気持ちがしますか」と聞かれて「悲しい」と答えたときに、たぶん誰もが「でも、そのひと言でやっぱり伝えられないな」と思うはずです。
「悲しい」のひと言ですませたけれど、その後ろに、うまく言えなかったもやもやしたものが本当はいっぱいあって、その捨てちゃったものが全部集まらないと、本当は、自分が言った「悲しい」という意味にはならないんだけどな……そう思っている気がするのです。
「物語を書くことは、そのひと言ででは言えなかったこと、うまく言葉にできなくて、捨ててしまったことを、全部、ひとつひとつ拾い集めて、本当に伝えたかったのはこういうことなのだと、伝えることなのだと思います。
 物語にしないと、とても伝えきれないものを、人は、それぞれに抱えている。
 だからこそ、神話のむかしからたくさんの物語が語られてきたのだと思うのです。
 (『物語ること、生きること』P175 上橋菜穂子 講談社 2013.10)

 そして、バルサを書くのなら、本当に女の人がそこまで強くなれるものなのか、ちゃんと確かめておかないと書けない気がしていたからです。
 フィクションだから好きに書けばいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、私は、それが嘘だと思うと書けないのです。もちろん嘘をついてもいいところも、たくさんあるのだけれど、いちばん大切なところだけは嘘をつきたくない。それをしたら、その物語は、世に出す意味のない絵空事になってしまう気がするのです。
 (『 同上 』P163-P164 )



佐伯:「登場人物の人間を深く掘り下げよう」という気もないんです。深く掘り下げすぎたら読者の方もシリアスに感じて、ご自分の現実と引き比べてしまうでしょう? 私のは現実の憂さを忘れる小説なんです。
読者の皆さんは、どなたもいろいろな不安や不満をお持ちでしょう? 私だってそうですよ。なかには悠々自適な老後を送ってらっしゃる読者もいらっしゃるでしょうが、それでも、どこか充足なさっていない面がある。そういう方たちにとって私の小説が小さなオアシスになればいいですね。
 (「佐伯泰英インタビュー」2007(平成19)年4月)


 ひと言では伝えにくいほんとうに伝えたい真実味のあることと絵空事、二人の作者の言葉は対照的に見えます。わたしは、海外ドラマを少し見ています。それがまさしくドラマだとわかっていても、現実にはあり得ないと思われても、いい作りの緊迫した場面ではドキドキするような張り詰めた心の状態を味わいます。

 ハゼの木は、その樹液に触れると皮膚がかぶれると言われています。目隠ししていて、あなたは今ハゼの木の下を通っていますよ、と言われるとハゼの木ではなかったけれども実際に皮膚にかぶれの症状が出たということをある本で読んだことがあります。ハゼの木に実際に触れなくても、そのように反応するということは、遊園地の乗り物とはちがった、現実のものでない人間の精神的な作り物でもわたしたちは同じように受けとめ得ることを示していると思われます。したがってどのように荒唐無稽な絵空事の物語であっても、わたしたち読者(観客)の荒唐無稽な願望や恐怖や喜びを感じる人間的な本質に触れてくるならば、生きた作品として享受される可能性があります。

 例えば「ドラえもん」という漫画やアニメは、現実にあり得ないような世界です。ドラえもんがポケットから出すひみつの道具は絵空事です。そのひとつ、「どこでもドア」は「絵空事」ではありますが、現実離れしていても、今ここを抜け出してすぐにある所に行けたらいいなという子どもの抱くひそかな願望に応えるものを持っています。

 人間には、現在の自分をまじめに見つめ考えようとする性向といやな状態から抜け出したいという性向とがあります。根本においては両者は関わり合っているはずですが、まじめな仕事と遊びという風に分離して立ち現れることもあります。二人の作者の言葉は、それぞれの人間の性向に対応しています。ともに読者の願望の真実味に触れるからこそ、多くの人々に読まれていると言えそうです。しかし、作品の奥底で言えば、人間の二つの性向は度合の違いはあっても二人の作品に内在しています。例えば、佐伯泰英の表現する作品世界は、読者の気晴らしになる架空の世界かもしれませんが、作品の奥底の方では、作者は小さな生活世界で人々が情感を交わし合って関わり合う理想のイメージとしてひそかに抱き紡いでいるのだと思います。たぶん、多くの読者たちもその作品の底に生きている作者のイメージに感応しているのだと思われます。

 現在の物語の中心は、荒唐無稽さはなくなり人間界における人と人との関わり合う世界の表現になってしまい、説話や神話は現実離れした迷妄な世界と見なされるようになってしまっています。しかし、わたしたち人間が現在のどこかにとても古い時代からのものを残しているように、物語もまた、どこかにそれを残していると思われます。人間の二つの性向も遙か古くから携えてきているもので、作者の中にも読者の中にもどっしりと腰を据えているように見えます。

 わたしたち人間は、自然に働きかけながら自然をコントロールする術を徐々に大きくしこの人間界を作り上げてきました。そして、今この世界に存在しています。このことは偶然性のように見え、この人間界を超えた大いなる自然(宇宙)の方から眺めたら、生きているといっても生かされているように見えますから、どこかに受け身的な存在の気分や感情や意識を伴います。これはまた、人間の宗教的な感情や言葉の根幹に横たわっているものでもあります。したがって、わたしたちの精神的な生産=消費の活動の根幹には、なぜかわからないけど、このような人間的な活動を日々繰り返しているという、この人間界を超えた巨きな世界からの日差しのようなものを受けていて、作品にも微かなもやもやのようなものとして底流しています。このようなもやもやは作者たちに限らず、わたしたちの誰もがあわただしい日々の中ふと思い巡らすことの中にもあるはずです。その人間についての受け身的な自覚は、大昔から繰り返されてきた、人間界から大いなる自然に渡る人の生きる意味の追及を促す根源的な動因であると思われます。ここにおいては、とても古い時代の説話や神話も現在からは荒唐無稽さや迷妄に見える面がはげ落ちて、現在とひとつながりに見渡せるように見えます。

 以上のことは、一度「作品を読むということ ②」で少し触れたことがあります。再度捉え返してみました。

  
9 作品を読むということ ⑧ ―作品の入り口で⑧ 

 上橋菜穂子の『ラフラ』という45ページの短編は、『流れ行く者・守り人短編集』に収められている、長編『守り人』シリーズの番外編に当たります。作者は、その本のあとがきでその作品の成立事情に触れています。


(さまざまな出版社から『守り人』シリーズの新作短編の依頼を受け断ってきた中で、雑誌で自分の特集を組むということで、それならエッセイをと受けたが、なかなかそれが書けなくて)
 そういうこまった状態で、出勤しようと車を走らせていたとき、いきなり酒場の風景が頭に浮かんできたのです。
 人気ない閑散とした昼の酒場で、老女がサイコロを振っている。そのサイコロの振り方を、まだ細っこい少女のバルサが息をのんで見つめている……。
 その瞬間、息が苦しくなったのを覚えています。
 自分でも何が起きているのかわからない。ふしぎな状態の中で、あっというまに、「ラフラ〈賭事師〉」の物語が生まれてきたのでした。じっさい、田んぼの間の道路を、大学のほうへと曲がっていく、そのわずかな時間の間に、物語のほぼ全体が生まれてしまったのです。
 頭に宿ったその物語を書くのに要した時間は三日ほど。推敲をふくめても、ほんの数日で「ラフラ〈賭事師〉」はこの世に生まれたのです。
 そして、「ラフラ〈賭事師〉」を書いている間にもう、「浮き籾」と「流れ行く者」の物語イメージが生まれ、固まっていきました。
 誓って申しますが、こんな幸運は、そうそうあることではありません。


 (そんな幸運に恵まれた理由として作者は二つ上げています。)
①大河物語「守り人シリーズ」を書きおえていたということ。
②その「物語の底にいつも感じていた、大切な調べ」が「里に根づき、子どもや孫にかこまれて一生を終えるという人生から外れてしまった人びと―流れ行く者たち―の、人生の行く末……」だったが、「本編では主調としては奏でなかったその音が、本編の幕を閉じたとたん、静かな、しかし、胸をしめつける哀切な調べとなって、湧き上がってきたのでしょう。」ということ。


 作者が、作品の成立事情をここまで語ってくれると、「守り人シリーズ」を読んできた読者としては、なぜ「ラフラ〈賭事師〉」という「流れ者の老人の物語」なのかということに納得します。作者に突然のように湧いてきた、アズノという名の老ラフラの像は、物語の必然のように、本編では語られなかった主人公バルサの少女の像を引き寄せます。

 作者は、同じあとがきで、「長編の物語を書いているとき、私には、登場人物たちの人生がありありと見えています。本編では書いていない、彼女らの『生きてきたとき』も見えているのです。」と述べています。作者は、新しい家を作り上げていくように幻の物語世界を生み出し、積み上げていきます。作品として作り終わっても、ひとたび作り上げられた物語の世界は、作者の内面から消え去ってしまうわけではなく、そのときの作者の大きなモチーフ(動機、思想)とともに登場人物たちの表情やその語り尽くされなかった言葉も作者の中に余韻を響かせ続けています。そして、あるとき突然のように作者に語りかけてきます。

 作者はいったん物語世界を作り上げてしまっても、まだその物語世界との対話をくり返しています。その中から、あるときふっとまだ語られなかったことが湧き上がってくることがあります。比喩的に言えば、職人でも技術者でもコンビニの店員でも、人は皆自分の中に或る層のようなものとしてそれぞれの世界の体験を蓄積していきます。現場に入り込めばその蓄積された内面の或る層とのつながりから手足や頭が手慣れた感じで活動をはじめます。芸術表現する者もまた、この世界に幻を生み出す者というちがいはありますが、それと同様の機構を自分の内面に持っています。個や家族や職場の生活など、人は誰でも内面に互いに関わり合ういくつかの層のようなものを持っています。ひとりの普通の生活者でもある上橋菜穂子もまた、作者としての上橋菜穂子との二重の生活をしていて、日々、その二つの世界の出入りを繰り返しています。そうした中から作品は生み出されてきます。

 
10 作品を読むということ ⑨ ―作品の入り口で⑨ 

 長編『守り人』シリーズを完結させた後に書かれた短編作品『ラフラ』は、次のようにはじまります。


 夏の日が、暮れはじめていた。
 開けはなしてある窓から吹きこんでくる風が、ひんやりと冷たくなっている。それでも、涼しさを感じられるのは窓に近づいたときだけで、酒場の内側には、昼間の暑さが、むっと、よどんでいた。
 窓から見える空は、茜色がうすれ、ゆっくりと青紫へ変わりはじめている。
 バルサは、ぼうっと、その空を見あげて、茜雲を縫うように飛んでいく黒い鳥の群れを目で追っていた。
 今日は十日に一度の休業日で、酒場には客の姿はなく、奥の賭博場に一組、ススット(サイコロを使う賭博)をやっている客がいるだけだった。この酒場に泊まり込みで働いている給仕の娘たちは、昨夜のうちに、いそいそと家族のもとに帰っていき、今夜遅くにならないともどってこない。
 バルサは、帰る家がある仲間たちのことを、なるべく考えまいとしていた。六つの年に故郷から逃げだして、七年。養父のジグロと共に、旅から旅へと流れ歩いてきた自分の暮らしを、他人の暮らしとくらべたいとは思わなかった。
 それでも、夕空をひとりで見ていると、空ろなさびしさがこみあげてくる。
(父さん、早く帰ってこないかな……。)
 (「ラフラ〈賭事師〉」、『流れ行く者』所収 上橋菜穂子 偕成社 2011年)



 長編『守り人』シリーズからの読者であれば、バルサが幼くして父の親友ジグロとともに故郷を逃れ、流れ者の宿運を歩まざるを得なかった事情をわかっていますから、このバルサの見せる空ろな心象の描写に胸を打たれるものがあります。このとき、作者は長編『守り人』シリーズの物語世界に再び入り込んでおり、作者の派遣する語り手が少女時代のバルサのとある場面を物語の言葉として語りはじめます。

 まず、季節と時の情景、風、酒場の中の空気、バルサが今佇む酒場の窓から視線を向けた空の様子、酒場が休業日であること、バルサも給仕のひとりで、給仕の娘たちが家に帰っていて今いないという事情、そしてバルサの内面に入り込んだ描写、と語り手の視線は目まぐるしく転換を繰り広げています。これは、今窓辺に立つバルサが酒場で肌合いで感じてきたこと、感じること、眺めることに沿って語り手は語っています。しかし、読者は異和感を持つことなく言葉をたどっていくことができます。そして、その場面の底には、作者の言葉を借りれば、「物語の底にいつも感じていた、大切な調べ」、つまり、「里に根づき、子どもや孫にかこまれて一生を終えるという人生から外れてしまった人びと―流れ行く者たち―の、人生の行く末……」という、作者のモチーフの流れが潜んでいます。 少女バルサが、追い込まれるように形作ってしまった流れ者としての自分の現在の有り様を普通の生活をしている人々と比べたいとは思わなかったと描写されています。比べてみてもどうすることもできないからです。しかし、「帰る家がある仲間たちのことを、なるべく考えまいとしていた」ともありますから、どうしても考えてしまうのでしょう。強いられた運命の中でじっと耐えている少女バルサがいます。「空ろなさびしさ」は、おそらくそういう心の場所から湧いてきています。

 また、この場面の描写に、「ひんやりと冷たくなっている」や「それでも、涼しさを感じられるのは窓に近づいたときだけ」「昼間の暑さが、むっと、よどんでいた」などの肌合いの感覚的な描写がなされているのは、言葉が生み出す架空の場面に現実感を生み出す上でそれらは必須のものと考える作者固有の考えが実現されていると言えます。

 ここで「ある事情で故郷を逃れ、土地に腰を下ろして普通の生活をすることがかなわない、流れ者とならざるを得なかった少女の心象」というモチーフで、他の表現とのちがいや共通性を考えてみます。小説の言葉による表現は当然別様にも描写できますが、そのひとつが引用のような表現になります。言葉による表現では、モチーフは言葉によって実現されます。読者は表現された言葉をていねいにたどることによって、その作者のモチーフに近づくことができます。同時に、そのモチーフを実現する作者の、言葉に込めた固有の選択や匂いや感受の流れをも味わっていることになります。

 他の表現の考察に際して、わたしの手持ちは誰もが小中学生の間に体験する、美術や音楽や習字の体験という素人性しかありません。したがって、他の表現の根本の大枠を考えてみます。現在では、様々な形式の芸術表現として分化し、高度化してきてしまっていますが、遠い遠いそれらの初源にまでさかのぼれば、それらはおそらく一つの場に収束(着地)していきます。人間が何事かを外に放つ欲求を抱き、その欲求の果てしない積み重ねの歴史を経て、あるとき、岩に刻みつけたり、踊り出したり、歌ったり、語ったり、というように形あるものとしての表現を獲得してしまったという地点です。この人間にとっての表現というものの起源の性格は、現在のように芸術として各分野に別れ、高度な発達を遂げてきているように見えても、それらの深い部分に保存されていると思われます。

 したがって、現在では芸術と呼ばれている表現が、起源の方から眺め渡せばわたしたち皆に開かれているはずです。しかし、芸術に限らず、あらゆる分野が複雑に専門化してきている中で、自分のいる分野とはちがった他の分野について考えたり、論じたりする場合には、それぞれの分野を実際にはじめからたどるのは不可能に近いですから、自分の分野から想像力を働かせるほかありません。それぞれの分野の表現の具体的な体験や手触りを持つ人が論じる方が誤差は少ないかもしれませんが、あくまで手持ちの素人性からそれぞれの表現の大枠に触れてみます。

 絵画であればどうでしょう。まず、モチーフを実現する形式として具象画や抽象画があります。あるいは、従来の絵画という概念を解体した絵画というものもあるでしょう。選択した形式によって、いわば作者は半ば線や形や色となって画布などとの対話を繰り返しながら、言葉を繰り出すように空白の画布に線や形や色を動的にあるいは静的に、かたち成し、配置、構成していきます。作者の手は、積み重ねられきたこの国の絵画の歴史を、その達成を意識的にも無意識的にも踏まえながら、表現の時空に入り込み、モチーフにそってそれを現実化していきます。したがって、正確な模写でもない限り例えば江戸期の絵画にはなりません。(もちろん、模写でも微妙なところに現在は忍び込みます) 作品は正しく現在を呼吸する作者の現在性を帯びています。この過程は、表現というものがある幻を織り上げていくという意味では言葉の表現と共通しますが、ここでは言葉は線や形や色などの内臓感覚を含んだ感覚的な表現に変身しています。もちろん現在を生きる作者の思想性を表現することはできますが、絵画のある形式の選択にそれは現れたり、また、選択し構成された感覚的な表現のあわいに、あるいは底流に潜在してして存在します。モチーフの心象は、線や形や色など配置や関わり合う構成に溶けてしまっていて、そこから浮かび上がってくるものと思われます。

 音楽の場合は、作者は半ば音になって、音との対話を繰り返しながら、音に旋律やテンポを注ぎ込んで、音に生命を吹き込むように構成していきます。物理的には単なる音の組み合わせや速度の変化かもしれませんが、音を自在に操りながら人間的な音の表現になってきます。モチーフの心象は、その音の織りなしに溶けていて、楽譜はその音の表現や構成の再現可能な足跡であり、楽器によってそれが表現されると、その感覚的な表現から観客の内臓感覚を含んだ感覚的な味わいによって浮かび上がってきます。歌詞がある場合は、歌と音と仕草(踊り)が総合され、増幅された全身的な表現となることができます。詩や小説や絵画などを味わう場合より、歌謡曲を味わう方がわたしたち観客への内臓に響くような全身的な揺さぶりが強いのもこのためです。これは遠い遠い人間の初源の表現の形を保存しているからではないかと思われます。

 映像であれば、作者(たち)は半ば映像となってある映像の場面を選択し、少女を登場させます。その少女の表現する表情や動作、背景の様子などを、映像の選択や動きによってモチーフの実現を図ります。こういう過程をいくつも踏んで作品としての構成を成し遂げていきます。これだけでは不十分ですから、その過程では別の登場人物を配し会話の場面を挿入したり、あるいはナレーションを入れたりして、モチーフの実現を強化します。

 書。この場合、作者は半ば姿形(形象)となった言葉となって、そのような言葉との対話を繰り返しながら、手は筆と一体になって紙(白い空間)に、その空間と向き合いながら、言葉をかたち成していきます。このことは物理的には文字を書き付けていることになります。しかし、作者の内面では、白い空間を舞台としてモチーフの心象に沿った生産=消費の活動、つまり、流れたり、はねたり、休止したり、停滞したり、というその場面での内面的な運動を繰り広げています。「バルサ」という名でなくても何でもいいわけですが、例えば「バルサ」という言葉を書にしたら、そういう過程を経て生み出されたものと言えます。書を見る者は、白紙という時空において、その言葉へとかたち成す内面の運動をたどりながら、重い、軽い、静止、跳ぶなど主に内臓感覚的なもので受けとめてあるイメージを形作っていきます。ちなみに、『筆蝕の構造』(ちくま学芸文庫)として、書の内面的な表現の過程を初めて明らかにする試みを成したのは書家の石川九楊です。ここでの書のわたしなりの捉え方も彼の業績を参照しています。

 書の題名はよくわかりませんが、言葉の表現でも絵画でも音楽でも現在では題名があります。万葉集以来、和歌には詞書(ことばがき)と呼ばれる、作歌の事情や場面がわかるものが歌の前に添えられているのがあります。人はそれぞれ十人十色でこちらが思わぬことを他人が考えることがあり得るように、芸術表現も題名を与えないと解釈の自由度が大きすぎてモチーフがよくわからないことがあります。題名は、モチーフが概念として凝縮されたものと見なすことができます。和歌の詞書が生まれた事情はわかりませんが、おそらく作者が作り上げた作品の世界に道に迷わないで入り込んでくれるよう導く、小さな道案内のようなものと思われます。

 古今集や新古今集の時代でも専門歌人ではない貴族層が歌を詠んだり味わったりする困難はあったはずですが、現在でも、詩や物語や音楽や映画や絵画などを素人が味わうのは、難しいものがあります。上に、あるモチーフに沿ったいろんな芸術表現を例示してみました。しかし、現実には作品を深く味わうのはとても難しいという思いがあります。作品から受け取るものは、一人ひとり違います。一人ひとりの作品の受け取り方でいいじゃないかという考えもあり得ます。しかし、特に近代以降、作品に作者という個人が張り出してきましたから、作品へと表現した作者と出会うのは、作品を深く味わう上で大切なことになって来ています。

 人間の芸術表現には、見る聴く触れる匂う味わうなどの感覚的な表現とともに人の多様な内臓感覚的な表現が伴います。単に何かを指し示すとか概念的なもの(考え)だけでは生き生きとした生命感を生み出したり、感じ取ったりすることはできません。芸術表現の形式によって、内臓感覚的な表現による度合いの大小のちがいもあります。絵画や音楽や書は、もちろんそれらの中でも各作品のその度合いのちがいはありますが、一般的には概念的なものは縮退し内臓感覚的な表現の度合いが高いと思われます。したがって、それらの作品は頭で見る、聴くではなくて、むしろからだ全体で見る、聴く、感じるものになっています。

 ところで、芸術表現のある形式が生み出す過程は、各分野毎の歴史と独自性を持っています。各表現を実現する具体的な過程では、現在を呼吸する作者は現在の風を受けつつ、それぞれの形式の歴史性や独自性に則り、ということはその内部で一定の修練を積んで手慣れた手付きで、あるいはその歴史的な蓄積と格闘しながら、表現することになります。その面から眺めれば、各表現は互いに孤立して見えます。さらに現在では各表現は迷路のように複雑で緻密な世界に入り込んでいます。しかし、あらゆる芸術表現は、人間が絵画や音や映像や舞踊などを介して、心から精神に渡る世界を駆動させながら、幻を外に生み出すという点では太古以来共通しています。ただ、それぞれの形式によって表現が生み出されていく時、人間の心から精神に渡るスペクトル帯のような世界のどの領域を主要に駆動としているかの違いがあります。

 ここで考えてきたことは、各芸術表現の大枠であり、入り口に過ぎません。読者(鑑賞者、観客)として単に作品の印象を語るのではなく、各芸術表現の具体的な作品を批評するには、それぞれの分野の歴史的に積み重ねられてきた表現の現在をたどりながら、そういった場から放たれた作者固有の作品といういうものをたどらなくてはなりません。これはとても大変なことです。もうひとつ、別の方法もあるように思われます。先に述べた各芸術表現の大枠で、「それぞれの形式によって表現が生み出されていく時、人間の心から精神に渡るスペクトル帯のような世界のどの領域を主要に駆動としているか」に着目し、その作者による現在的な駆動と表現の有り様をたどってみる方法です。これはまだやれるかどうかわからない、わたしの直感的なイメージに過ぎません。


注.
本文中の「 音楽の場合は、作者は半ば音になって、」について
 本文でこのようにさらりと述べていますが、各表現は、心から精神に渡る領域からなにものかを形あるものとして生み出すためには、表現の媒介(仲立ち)が必要となります。それは、人間が初源から積み重ねてきた言葉や音や形象や所作などが、美を生み出し美を感じ取ることができるものとなったという人間的な表現の歴史の現在として存在しており、各表現の作者たちは、そのことを無意識に踏まえて表現を生み出します。その表現の過程では、ちょうど巫女が神の言葉を語るとき、神(の言葉)と同調するように、音楽であれば音に語らせることになります。つまり、作者は意識の中では人間的な音になっていることになります。そうでないとうまく音を操れないと思われます。
 ある作家が作品を制作しているときに、誰かが訪れてきたら気づいて手を休めるでしょう。「半ば」と書いたのは、遠い昔の巫女が短時間、神に全入して忘我の状態になり得るのとはちがって、一般に表現の過程にある作者たちにはその度合いの差はあっても醒めた現実的な部分も残っています。このようなことは各表現の作者たちが実感していることだと思います。

 
11 作品を読むということ ⑩ ―作品の入り口で⑩ 

 上橋菜穂子の『ラフラ』という45ページの短編は、11回読んでみました。まず5回読んで、ずいぶん間を開けてさらに6回読みました。長編はなかなかむずかしいですが、短編だから可能なことです。こういう経験は初めてです。11回読んでみてこの物語の世界が身近に感じられるようになり、ああ次はこう展開するなとわかりますし、初めの方では気づかなかった言葉に立ち止まることもあります。また、作者の生み出した言葉になじむ度合いも深まります。

 言葉というものは、その発動の動的な機構は未だ十分に明らかではないとしても、この世界を生き、呼吸する人が生み出すもので、単なる記号的なものではなく、何かを指し示すことと同時に内臓感覚も含めた人間の多様な情動や感覚も織り合わされていますし、さらに作者の意図したことと同時に作者の無意識も織り込まれています。一般的には、作者は読者の読みに対して不満を持っていると思われます。何気なく配置されたような小さな描写でも、物語世界とのあるつながりが意図されていたり、また、作者の固有の愛着が込められたりしているはずです。したがって、読者が自らの言葉を駆使して、作者の作品に込めた意識的・無意識的な総量を実際にたどることはとても難しいものがあります。ここから作品を何度も読み味わうということも意味を持つことになります。

 『ラフラ』というこの短い作品の物語の世界の骨格は、次のようなものです。「カンバル王の主治医であったがゆえに、きたない陰謀に巻きこまれ、命をうばわれた父」、「陰謀を隠蔽するために殺されかけていた幼いバルサ」を父の親友の武人ジグロが連れて追っ手を逃れます。この作品は、そのような「流れ者」となった主人公バルサが十三歳の少女だった頃のことで、同じく、十二の年にふた親を亡くして、ラフラ(専業の賭事師)だった伯父にひきとられて、十六の年にはその伯父も死んで、それからずっとラフラをやって生きてきた、「流れ者」である名高いラフラの老女アズノ(「七十ほどに見える小柄な老女」。ラフラとしてこの酒場にふた月ほどの滞在)との出会いの場面を通して、老若の異質な生の時間を交錯させ、この世界を普通の人びとの生活世界からはずれて生きざるをえない人の姿を描き出したものです。バルサにもジグロにもカンバル王国からの追っ手がかかっていますから、本当の平安の日々は訪れません。物語の舞台は、短編作品にふさわしく、カンバル王国の隣りにあるロタ王国内のある酒場と氏族長の重臣タカーヌの屋敷だけです。


 『ラフラ』の物語の場面構成

①主人公バルサが酒場に登場。

②酒場でバルサと同じ給仕をしている知り合いのマナと恋仲にあるアールが賭博の〈タィ・ススット〉(「ススットは、いわば模擬戦だ。限られた領土をめぐって戦や商いの駆け引きをおこない、大半の領土を獲得した者が勝者となる。」 タィ・ススットは、一晩もかからず勝負が決まるみじかいススット。)をしている。負けが込んでそのアールがバルサに代わりを頼む。バルサが負けを取り戻し、終わった後賭博の相手グループにアールが襲われ、バルサが相手を打ちのめす。その賭博を仕切っていたラフラ(賭博師)のアズノという老女が止めに入る。

③父代わりのジグロとの短槍の戦闘の練習場面。アズノがそこに通りかかる。

④開店前の酒場の隅ででアズノがひとりでススットやっている場面。バルサが見に来る。アズノがバルサにゴイ(サイコロ)の投げ方を教えてくれたりする。

⑤この地域を治める氏族長の重臣、タカーヌとアズノが二人だけで非公開で五十年も続けている〈ロトイ・ススット〉の続きをタカーヌの館で行う場面。バルサはアズノから立会人として参加を求められる。タカーヌの孫のサロームも加わる。

⑥タカーヌの館からの帰りの場面。

⑦タカーヌが提案した、二人が五十年も続けてきた〈ロトイ・ススット〉(長いススット)の最後の締めくくりの場面。公開でお金を掛けて行う。タカーヌの孫サロームとアズノが対戦する。


 物語の場面の構成は、描写の時間の順に上のようになっています。作者は、最初のイメージからある程度の構想を練って書き始め、次第にそのイメージを現実のものとする肉付けをしていきます。作者は、あとがきで職場へ出勤途中の車の中で、突然のように情景や人物が浮かび「そのわずかな時間の間に、物語のほぼ全体が生まれてしまったのです」と書いています。物語の大まかな場面の構成や流れそうかもしれませんが、主人公バルサとアズノの出会う場面の具体的な有り様は、作品を書きながら生み出されてきたものと思われます。この物語の流れの起伏は、他の物語作品と同様に、例えば遊園地の乗り物に乗っているような体験を読者に与えることになります。この作品は、そのようなエンターテインメントに終わらず、物語の底流があります。そこに触れてみます。作者は、上の各場面で主人公バルサとラフラのアズノを周到に関わらせています。

 次に、上の物語の場面で、少女バルサとアズノとの対話や関わりの描写を抽出してみます。

 バルサとアズノとの対話や関わりの描写

②の場面

「バルサが(註.ススットに)くわわったことにも、なんの反応も示さなかった。」(アズノ)

「……めなさい。もう充分。それ以上やったら、殺しちまうよ。」(アズノ)

「あんた、わたしの名前、知らないよね。」
「はい。」
「わたしは、アズノっていうんだよ。あんたは、たしかバルサって名だったね。あの若い衆がそう呼んでたような気がするけど。」
 バルサはうなずいた。それから、ぺこりと頭をさげた。
「……あの、ありがとうございました。」
 アズノは、かすかに手をふるようなしぐさをした。
「それは、もういいよ。それより、あんた、ススットをはじめて、何年経つの?」
 バルサは、まばたきしした。
「一年です。」
 アズノは、かすかに眉をあげた。おもしろがっているような光が、その目に浮かんでいた。
「ふうん。」
 鼻を鳴らし、なにか言いかけたが、けっきょくなにも言わずに、アズノは立ちあがった。(アズノ)


③の場面

 近づいていくと、アズノはすっと手をのばした。
「ちょっと、持たせてくれるかね。」
 バルサが短槍を渡すと、アズノは目を見ひらいた。
「重いねぇ!こんなもんを、よくあれだけの速さで振れるもんだ。」
 短槍を返してくれながら、アズノは、たずねた。
「こんなことを、毎朝やってるのかね。」
 うなずくと、アズノはあきれたような顔をした。
「あんたの根性も見あげたもんだが、親父さんも、たいした人だ。」
 まだ十三の娘が激しい武術の稽古をしているなど、ずいぶんと奇妙な光景に見えただろうに、アズノは、ぽんぽんとバルサの肩をはたいただけで、酒場にもどっていった。(アズノ)


④の場面
 
 バルサは声を低めた。
「ラフラは、大勝ちしづける人が出ないように、うまくあやつってるんでしょう?勝負を正確にあやつれなかったら、そんなことはできないんじゃない?どうやってあやつるの?」
 それを聞くや、アズノは笑いだした。
「いやだねぇ、この娘は。それは職業上の秘密ってもんさ。―まあ、あんたは目がいいから、もうちょっと場数を踏めば、自然と見えてくるんじゃないかね。」
 チクの実をもうひとつ口に放りこんで、器用に種を吐きだしてから、アズノはつけくわえた。
「絶対に大負けしないコツを教えてやろうか?」
「うん!」
 身をのりだしたバルサに、顔を近づけて、アズノはささやいた。
「……うまく逃げることさ。」
 バルサは顔をしかめた。
「え……そうかなぁ。逃げようと思ってると、腰がひけて気迫が半端になっちゃうよ。勝てる勝負も勝てないんじゃないかなぁ?」
 アズノは、にやにや笑った。
「あんたらしい考え方だねぇ。」
 言ってから、アズノはふっと笑みを消した。
「あんたの気性には合わないだろうけどさ、逃げるってのは大切な技術だよ。年寄りの言葉だ、おぼえておきなよ……。」(アズノとバルサ)

 バルサがつぶやくと、アズノは羊皮紙に目をおとしたまま、うなずいた。
「長い、長い勝負さ。金を賭けないお遊びでね。だまして、たすけて、近づいて、離れて……。」
 独り言のように、アズノは言った。
 ―中略―
 最後の日付は、二年前のものだった。
「まだつづいているんだね。」
「相手(註.タカーヌ)が病を得たんでね、ちょっと休止してるけど、まだ決着はついていないんだよ。」
 この〈ロトイ・ススット〉の中では、アズノはめずらしく領土を争っていた。放浪者の駒ではなく、領主や戦士の駒、奥方の駒などを使って、これまで目にしたアズノのやり方とは似ても似つかない、まっすぐで、真剣な勝負をくりひろげている。(アズノ)

(タカーヌの使者ヤーザムがアズノを招きに来たとき)
「ヤーザムさま、わたしの立会人として、この子をつれていってもようございますかね。とても勝負度胸がいい子で、ぜひともこの勝負を見せてやりたいんですが。」
(アズノ)


⑤の場面

 アズノが(註.タカーヌの館の居間に)はいっていくと、肘掛け椅子に腰をおろしていた老人が、おお、と、手をあげた。
「アズノ!……きたか!待ちかねたぞ。」
 その姿を見、その声を聞いた瞬間、アズノの身体がかすかにこわばったのを、バルサは感じた。老人の声には、武人らしい抑えた歓喜がにじみでていたが、身体のどこかに痛むところでもあるのか、張りがなかった。(アズノ)

 アズノは敷物の上に膝をつき、深ぶかと頭をさげた。
「長いこと、ご無沙汰をいたしました。お目にかかれて、ほんに、ほんに、光栄でござります。」
「うむ、うむ……さあ、こちらへまいれ、顔をしっかりと見せよ。」
 手招きされて、アズノは、恥じらうように、小声で笑った。
「顔をしっかり見せよなどと、タカーヌさまもお人が悪うございますねぇ。もう、しわだらけでございますのに。」
「なんの。そなたは変わらぬ。―時は、不公平なものだ。わしの上だけ、重く降りつもりおった。」
 アズノはバルサを紹介し、部屋の隅の椅子にすわらせると、タカーヌのそばに行って、下座の椅子に腰をおろした。下賤な賭博師であるアズノは、始終、一歩ひいた態度をくずさなかったが、それでも、ふたりの会話からは、たがいを思いやる気持ちが伝わってきた。(アズノ)

 こんなススットは見たことがなかった。金を賭けた勝負には常にただよっている、臆病な駆け引きなどかけらもない、野を騎馬が駆けていくような、爽快で激しい勝負だった。
「……考えたのだが、このススットの決着は、公開でやらぬか。」
 タカーヌの目には、贈り物を思いついた少年のような、明るい光がやどっていた。
「これほどすばらしい勝負を、われらだけのものにしておくのは、いかにも惜しい。最後の勝負は、公開とし、金を賭けた勝負にしようではないか。」
 それを聞いた瞬間、アズノの顔に奇妙な表情が浮かんだ。―つかのまだったが、燃えさかっていた火に、冷水をふりかけられたような、唖然とした表情が浮かんだのだ。
 アズノは、ゆっくりと頭をさげた。
「タカーヌさまが、そう望まれるのでございましたら、もちろん、そのように……。」
 その答えを聞いて、タカーヌは、うむ、うむ、とうれしそうにうなずいた。(アズノ)

(アズノの帰り際に)
 タカーヌは、静かな声で言った。
「明後日の勝負、サロームに勝ってくれ。」
 アズノがおどろいて目をみはると、タカーヌは、紅潮した顔で、うなずいてみせた。
「あれは、もっと伸びる男だ。―ぜひとも、敗戦というものを、あじわわせてやってくれ。そして、な、勝利の栄光と賞金を受け取ってくれ。」
 アズノは顔をふせた。バルサは、アズノの唇がふるえているのに気づいて、どきりととした。アズノは、なかなか顔をあげなかった。顔をふせたまま、かすれた声で、
「……ありがたい、お言葉でございます。このわたしを、そこまで……。」
と、言った。そして、ひとつ息を吸ってから、ようやく顔をあげた。
「全力を尽くしますが、ご期待にそえるかどうか、お約束はできません。」
 タカーヌは、信頼しきっている目で、ほほえんだ。
「なに、そなたなら、やれるさ。」(アズノ)


⑥の場面

 夜更けの道を、アズノは、足をひきずるようにして歩いていた。声をかけるのが、はばかられて、バルサも無言で脇を歩いた。送ってきてくれた館の者が、街の門までふたりを送りとどけて帰っていくと、アズノは深いため息をついた。
 バルサは、がまんできなくなって、口をひらいた。
「あの人、なんで、あんなことを言ったのかな。―やっぱり、アズノさんを動揺させて、孫息子を勝たせようとしてるのかな。」
 アズノは、つかのま、バルサがなにを言っているのかわからないという表情で、眉をよせてバルサを見ていたが、すぐに、ああ、と、つぶやくと、微苦笑を浮かべて、首をふった。
「あの方は―タカーヌさまは、そういうお方じゃないんだよ。」
「でも……。」
「タカーヌさまはさ、ロトイ・ススットしかご存じない。いさぎよい、武人の勝負事しかご存じないのさ。―酒場での、金を賭けたタィ・ススットなんぞ、見たこともないお方だよ。わたしをひっかけようなんてきたないことを、考える方じゃない。」
 手に持った灯りをゆらしながら、アズノは歩きはじめた。そして、暗い夜道を見つめながら、ぽつっとつけくわえた。
「……あの方は、わたしに贈り物をくださりたいのさ。五十年の長い楽しみの、褒美にね。」
 その声が、あまりに小さかったので、バルサは、なぜか、涙が出そうになった。
「なら、勝てばいいじゃない。タカーヌさまの気持ちに応えるためにも、勝ってあげなきゃ!」
 アズノは、答えなかった。(アズノとバルサ)


⑦の場面。

 アズノとサロームの勝負は、多くの観客の前でおこなわれた。
 一進一退をくりかえす、白熱したその攻防は、長く人びとのあいだに語り継がれる名勝負となった。
 アズノは、その夜、戦士の駒は使わなかった。攻めるときは、旅芸人や隊商、暗殺者などの駒を使って脇から攻め、あとはひたすら、守りに徹した。
 攻められても、攻められても、のらりくらりとかわし、サロームが領土を得る一手を打つたびに、金を払わねばならぬように仕向ける。……ラフラらしい、一瞬も乱れることのない、狡猾な手で、アズノは、すこしずつ領土をうしなう一方で、着実に金を稼いでいった。
 勝負のあいだ、タカーヌは、かすかに眉根をよせ、ときおり、問いかけるように、ちらちらとアズノを見たが、アズノは一度としてタカーヌに視線をむけることはなかった。
 そして、アズノは負けた。五十年綴ってきた勝負が終わったとき、サロームは多くの領地を得、アズノのもとには銀貨が残っていた。(アズノ)


 ⑤の場面、久しぶりの再会の場面で、アズノの「ほんに、ほんに」とタカーヌ「うむ、うむ」と二回くり返して描写されています。(タカーヌの「うむ、うむ」は、同じ場面の少し後にももう一度現れています)一回でもいいのに二回もくり返されています。語り手は登場人物たちが語った様子をそのまま描写していますが、ここには二人の関係を知る作者の共感の思いがにじみ出しているように思えます。アズノとタカーヌの関係がはっきりと描写されていませんから、わたしたち読者は、そしてバルサもわかりません。ただ、ふたりが出会った場面でバルサが感じたように「その姿を見、その声を聞いた瞬間、アズノの身体がかすかにこわばった」というような端々から想像を巡らせるしかありません。その言葉でもそうですが、「バルサは、アズノの唇がふるえているのに気づいて、どきりととした。」という言葉でも、作者は、アズノの謎をバルサに察知させようとしています。また、語り手の向ける視線や描写にも制御を加えてアズノの描写に細心の注意を払っているように見えます。

 アズノとタカーヌとの間に恋愛感情のようなものがあったのかどうかはわかりません。ただ、身分の差を超えて、信頼関係を築いています。そして、そのような世界でラフラとしての職業を脱いでアズノは世俗を超えたような潔いススットをタカーヌと五十年も続けてきています。したがって、タカーヌは善意の思いやりから提案したのですが、タカーヌから公開でしかも金を賭けて孫のサロームとの最後の対戦を提案されたとき、アズノは衝撃を受けたはずです。

 ⑥のタカーヌの館からの帰り際の場面で、アズノはタカーヌとの五十年が終わりを遂げたことに寂しさや無量の思いを感じています。一方、少女バルサはアズノの謎を推し量りかねています。⑦の孫のサロームとアズノの対戦で、アズノは狡猾な手も使うラフラとしての立場に立って、勝負に望んでいます。タカーヌとの五十年に渡るススットは、アズノの心の中ではすでに終わっています。アズノとタカーヌは五十年にもなる親しいつきあいですが、両者それぞれのこのススットへの感じ方や考え方のちがいも現れています。タカーヌの最後の心配りは有り難くてもアズノの心は孤独であったと思われます。⑦の場面の、「勝負のあいだ、タカーヌは、かすかに眉根をよせ、ときおり、問いかけるように、ちらちらとアズノを見たが、アズノは一度としてタカーヌに視線をむけることはなかった。」という描写は、そのことを語っているように見えます。

 この作品では、アズノの生い立ちは簡単に描写されていますが、アズノがどのような人生を歩んできたのか、その過去はあまりはっきりとは描写されていません。また、アズノとタカーヌに過去、どんな出会いがあったのか、どういう関係なのか明らかにされません。②や③の場面でもバルサもアズノも互いの境遇を詮索することもありません。短編の作品ということからくる、あまり細かに描き込まないという描写の自然性ということもありますが、引用に見られるようにアズノの言葉は抑制的に描写されています。おそらく長幼の積み重ねた時間の差やそこを簡単に飛び越せるものではないという作者の思いや認識からそういう描写になっているのではないかと思います。一方で、作者は周到に主人公のバルサや語り手を制御してアズノの存在に照明を当てようとしているように見えます。

 ところで、アズノという老女の存在は、どこから来ているのでしょう。まず、長編『守り人』シリーズの物語世界を掘り深めるように、作者にふいに湧き上がってきた「流れ者」というあり方の設定があります。それはアズノという名を与えられます。もう一つ、そのアズノの寡黙なしっかりとした芯のある存在感は、どこから来るのでしょうか。作者上橋菜穂子は、また文化人類学者でもあります。若い頃はオーストラリアにアボリジニの調査としてフィールドワークとして出かけています。そうした文化人類学者としていろんな現地での出会いの経験から蓄積した人間観があるように思われます。作者の幼い頃からの家族や周辺地域での体験はもちろん、文化人類学者としてのフィールドワーク体験が折り合わされて、アズノという老女の存在感の造型に影響を与えているのではないかと思われます。

 ④の場面で、アズノが、絶対に大負けしないコツとしてバルサに教えた言葉に「うまく逃げることさ」というのがあります。「身をのりだした」バルサは、「顔をしかめ」ます。このアズノのアドバイスは、賭け事の世界だけではなく、おそらく生き方を含めてアズノが教えようとした言葉を象徴するものだと思われます。しかし、現在の少女バルサは描写されているようにその言葉の持つ重みがわかりません。その言葉はこの世界を長らく生きてきたアズノの経験に裏打ちされています。おそらく遠い先、いつかバルサにもわかる時が来るかもしれないというアズノの思いがあります。そして、それはまた作者の思いでもあると思います。

 作品の中で、少女バルサは、子どもらしい感じ方や判断を示したり、そのような言葉を発したりしていますが、作品の底の方では、作者によってうまく制御されて、老女アズノと少女バルサの関係は、謎を残しながら互いが沈黙の内に何ものかを交換し合うというように描写されています。少女バルサにとっては、この出会いが、そこで感じたことがずっと後になって思い起こされたりするのかもしれません。また、あるときふっとアズノの言葉が反芻されるのかもしれません。そういう意味で、この作品における二人の出会いは、この世界におけるわたしたちの出会いや関係というものの有り様の本流に沿っています。

 つまり、このわたしたちの世界ではものごとがすぐにわかる場合もあれば、しばらくしてわかることもあり、さらに何十年や一生かかってわかってくるようなものもあります。親子関係でもまた他人との関わりでも、わたしたちは誰でもそのような長い時間がかかってわかるということを経験しています。それには後悔や苦い思いが伴うこともあります。

 少年、少女期の成長の物語はひとつの定型のようによく見かけます。この作品もその定型を踏んでいると見てもいいですが、主人公の少女バルサとラフラの老女アズノは、「流れ者」として似た境遇にあります。作者によって抑制されて作品ではあまり描写されていませんが、二人は言葉にならない場所で対話を行っていると見なせるように思います。この世界におけるわたしたちの出会いというものの有り様の本流に沿いながら、従来の安易な成長の物語とはちがったものを作者は切り開いて見せています。そういう意味で、この作品はすぐれています。

 
12 作品を読むということ ⑪ ―作品の入り口で⑪

 ある芸術作品が優れていると思えるかどうかは、ひとり一人の読者によって異なります。同じ作品であってもひとり一人の作品の味わい方があり、そこから感じ、考えることが、それぞれの人の固有なものの感じ方や考え方に引き寄せられてくるからです。そのようなひとり一人異なった読みに終わることが普通の読者あるいは観客だと思われます。その過程では生み出された作品の幻の世界は、読者のそれぞれの追体験によってたどられ、読者にある感受や考えを生み出し、なにものかを味わせてくれます。ある読者が気づかなかったことを別の読者は気づくということもあります。いずれにしても、ひとり一人の読者なりの心から精神に渡る生産=消費の活動を行っていることは確かです。

 作者も読者も、人間が生み出し積み重ねてきた概念(考え)である意味や価値というものを生み出したり消費したりする、心から精神に渡る活動を行っています。この活動自体に対しては、割と無意識的です。作品など作らなかったり読まなかったりする人々を含めて、誰もが生きていること自体でなんらかの人間的な表現活動をしていると見なせば、作品もそれらと同列の表現活動です。また、読者や観客の読むとか観るとかいうことも同様です。これは作品の良し悪しを超えた、作品の基底に横たわっているもので、これを作品評価の第一の基準とします。人間界を超えた大自然の方から眺めたら、作品の良し悪しは未だ意味を成さず、人間的な場所で、人が表現するというそのこと自体がなんらかの意味を持っているということになります。このことは、さらに拡張すれば、宇宙や大自然の方から眺めたら、人間を含めてすべての存在するものたちの生きる有り様が、果てしなく積み重ねてきた人間界の基準によってなんらかの意味を背負っているということです。このことは、そういう内省をする人間という存在がもたらすものであり、言葉というものが切り開く場所です。したがって、表現するということ自体に無意識的であっても、あらゆる表現は、大いなる自然との関わり合いから来る促しのようなものがかたち成すものとして、なんらかの意味や価値を表出していることになります。ここでは、あらゆる人間的な表現は、良し悪しや優劣を超えた等しいものと見なせます。

 人間界に戻して、ひとり一人の読み味わいから、それをもう少し突き詰めて考えてみます。何度もくり返してひとりの作者というものが作り出した作品を読み味わえば、作品自体の世界の有り様が割と共通するものとして思い描くことができるように思われます。

 ある作品が優れているということは、人間界における表現の歴史の中でなにか新たなものを付け加えたということ、これを現実世界の方に返せば、現実世界を生きる同時代の大多数の人間の今まではっきりと言葉として気づかなかった新たな世界の有り様や意識や感覚を切り開いて見せたということ、そのような感情や意識の有り様を指し示したり、そういう感情や意識を表現しているものであると考えます。芸術の作者たちは、起源的に見ると太古のシャーマンや巫女と似ているところがあります。普通の人々より感度が高くより特殊の技能を身につけた者がシャーマンや巫女となり、大多数の人々の意識の深みにある願望に触れながら神(自然)の言葉に共鳴しある共同的な世界を現出させる力を持っていました。芸術家もまた、普通の人々の日々の生活の中で湧き上がっては消えていく様々なものを水源として、そこから汲み上げながら言葉などによってその作品世界に生命を吹き込んでいきます。ただ芸術家とシャーマンや巫女とが異なるのは、前者が個に仕え、後者が共同的な世界に仕えるように表現することです。

 人類が遠い果てから紆余曲折を経て現在まで積み積み重ねてきたものから眺めて、人間界におけるすべての表現の生産=消費の活動は、そのこと自体で意味や価値を持っています。そこで、作品のすぐれた意味やすぐれた価値というものを考えてみると、すぐれた意味は、その積み重なりの現在を少しでも突き破ろう、押し上げようという指示性を持つものであり、すぐれた価値は、大多数の人々が気分や感情や意識の中でわりと無意識的に抱いていて、未だ切り開かれなかった意識の有り様を現在の中で格闘しながら表出しているものと言えます。これを作品評価の第二の基準とします。

 わたしたちは学校の教材などで古典を読むことがあります。数百年前のものや千年前のものでも古典を読んで感動することがあります。これはどこから来るのでしょう。登場人物たちの悩みや苦しみが、現在では解消なり解決なりがなされていたとしても、当時の第二の基準に照らして作者たちのもがき格闘する姿に、現在も同様にしている作者たちと同じ人間的なものを感じ取るからだと思われます。また、作品には作者たちの無意識的なものも含まれていて、数百年や千年経っても新たな顔立ちで現れるものを秘めているからだと思います。この背景にあるのは、家族や社会の形態や仕事や恋愛などの形態が時代によってちがっていても、人間というものは時代によってそんなに変わらないという側面も持っているということがあります。こうしてすぐれた古典は生き続けています。

 わたしたちが作品を評価するのは、主に、人間界の歴史的な積み重なりを前提とした第二基準からということになります。第一基準は、人間とは何か、生きることは何か、表現することは何か、など人間界において、人間界を超えたものである大自然との関わり合いを考える、より根源的な問いかけになります。つまり、表現すること自体に対する内省ということです。もちろん、このことは作品の中にも何らかの形で浸透しているはずです。したがって、そこからの評価ということもあり得ます。

 こうしたわたしの考え方(作品評価の第二の基準)からすると、この「作品を読むということ」で先に取り上げた、よしもとばななの『さきちゃんたちの夜』と上橋菜穂子の短編『ラフラ』は、ともにすぐれた作品と言えます。よしもとばななの『さきちゃんたちの夜』は、大いなる自然と人間界の関わり合いを追究する言葉を秘めています。したがって、第一基準からの批評も可能だと思われます。

 最後に、わたしはいろんな疑問を抱えながら物語を読んでいましたが、物語作品とはどんなもので、どう読んだらいいのか、自分が物語作品を読むために考えてきました。少し芸術全般にも触れてみました。以上で、本稿を終わります。

 
付論3 人、作者、物語世界(語り手、登場人物)、についての再考察  

 柳田国男の〈語り物〉の世界の追究や吉本さんの対談(「対談 作家への視点」『国文学 解釈と鑑賞』至文堂 1981年6月号)をきっかけに、物語の作品をより良く読むことに関連して、作者・語り手・登場人物についてその歴史性や現在的な有り様について少し考えたことがあります。現在的な有り様として、ある人が、あるモチーフに突き動かされるようにして、作者に変身し、ある幻想の舞台に向けて語り手や登場人物を派遣します。語り手や登場人物も作者の観念的な分裂(疎外)であり作者が生み出したものであるのは当然であるとしても、他方、登場人物たちとしても自立的にこういうキャラクターとして設定されたのならこんな風に振る舞うだろうなというような、選択し書き留めるのは作者だとしても、現実社会での人間関係や人間の振る舞い方の影響を受けています。こうして、作者に派遣された登場人物たちが行動し互いに関わり合い、それを語り手が語り進めていきます、さらに作者がそれらの言葉を書き記すことによって、物語の作品世界が造型されていきます。その造型されていく物語の作品世界には、語り手や登場人物の有り様に影響を与えている現実とその様々な有り様と作者との間の異和や親和などをも織り込まれています。

 わたしにはこれらのことをもっとしっくり来るような比喩で捉えてみたいという欲求があり、一年程前に一度書いたことがあります。(この文章の後に付します) 結婚式での例えを使ってみました。まだまだ十分ではないという思いからもう一度、試みてみることにしました。特に近代以降頃から次第に個が、一人の人間という存在がクローズアップされてきます。現在では、個という存在がいっそう先鋭化されてきていて、男女の関係を含む人と人との関係でも企業の振る舞いや行政や国家の対応もそれを無視しては成り立たないような状況になってきています。つまり、個と個の関わり合いにとっても個に向かう側にとっても、難しい時代になっています。

 例えば、今結婚式場で司会進行の仕事を職業としているAという人がいるとします。常識的な職業としての作家(作者)という言葉の使い方は脇に置いて、あるひとりの個が作者と見なされるのは彼が表現の世界に赴こうとしている時です。この例で言えば、Aが自宅を出て職場に向かう時点で仕事モードになりつつあるから、まだら模様のように個としてのAと司会進行の係りとしての職業人のAに二重化しています。職場に到着して仕事についてもその二重化は消失してしまうことはありません。個としてのAはずいぶん後景に退きつつ職業人の層が前面に出て来て仕事をしていることになります。

 職業人のAの仕事である結婚式は、何人もの会社の同僚スタッフの協働によって構成され、進行します。結婚式はわたしの小さい頃はまだ自宅で行われていましたが、今では業者の手に移ってしまっています。この結婚式の主体は当然結婚する二人ですが、結婚式を造型し展開していく業者の方から見てみることにします。すると業者のスタッフは結婚式の作者たちと見なすことができます。この作者たちは、結婚式という全体に対して言えることで、具体的な場面では、Aのように司会進行や音楽担当や配膳担当など具体的な仕事を担当することになります。また、関連するいろんなものの仕入れや調達、経理の仕事なども含みます。この作者たちは、事前に、結婚式の構成や進行について打ち合わせをするはずです。この場合の打ち合わせは、会社としてもう何度も経験されているから割とスムーズに進むでしょうが、ここで作者たちが意識するのは、結婚する当事者たちやその家族の意向、社会的な流行の取り入れや会社としての独創性の発揮、社会的な結婚や式に対する人々の感覚や意識、会社の意向、などで、それらを意識的あるいは無意識的に選択し取り入れていきます。物語作品に対応させれば、この打ち合わせは作品の大きなモチーフを考え、それを貫徹するためにどのような人物たちがどういう舞台でどんな物語を繰り広げていくかということを大まかに考えることに相当します。

 そこで、「結婚式」を「作品」、仕事に着いたAの「司会進行」を「語り手」、「結婚する二人やその家族や友人たちや仲人など」を「登場人物」と対応させて考えるとわかりやすくなると思います。

 作者たちは、事前に登場人物たち(主に結婚する二人)と打ち合わせをして彼らの意向や要望をくみ取ります。また、現在の社会の慣習や流行を吟味しつつそれらから結婚式の構成や進行に取り入れてこういうのはどうでしょうかと提案することもあるかもしれません。こうして結婚式の当日には、作者たちは具体的な仕事担当に変身して、登場人物たち(結婚する二人や他の参列者)により印象的で心に残るような結婚式を成し遂げようというモチーフを現実化していきます。と同時に、この結婚式はクールな営利の仕事としても実現されていきます。つまり、経済的な利益を生み出す仕事としてということです。このことは、現在の作家たちが作品を書いて売るという経済社会組み込まれて仕事をしている場合の事情と対応しています。

 結婚式の司会進行を担当するAは、結婚する二人から事前に聞き取った二人の生い立ちやエピソードなどを元にして、結婚式で登場人物たち(結婚する二人)の内面に入り込んだり、二人の関係の有り様について語る(描写する)ことができます。このことは言葉の作品では、語り手が登場人物たちの内面に自在に入り込んで描写したり、外から様子や行動を描写したりするのと対応しています。結婚式での語り手も物語作品の語り手も、すべてを知ることができる神のような全能性はありません。このことは次のような事情になっています。

 結婚式での語り手の場合は、人間における他者理解というものの限界性から来ています。もう一方の物語作品の語り手の場合には二つの事情があります。一つは、語りの遙か起源の制約、つまり人間にとって猛威と慈愛をもたらす神に近いと見なされ、しかもその恐ろしい正体がよくわからないという〈大いなる自然〉という感受がもたらしたもの、つまり〈大いなる自然〉について語るとしてもそれがあまりにも巨大で強力な対象だから、わたしたち人間にはそれを知り尽くしようがないということから来ていると思います。語る対象が、〈大いなる自然〉から貴人の武士、そして普通の人間へ、と遙か太古から現在へと移り変わって来てもその起源の制約を引きずって来ているのだと思います。

 二つ目は、作品の舞台は幻の世界であるとはいえ現在では主要には人と人とが関わり合う人間界であり、その舞台に登場するのは人間たちであり、語り手もまた同様の人間であるから、現在の一般的な人間力を超えすぎると読者にとっても現実味(リアリティ)を失い荒唐無稽で空疎なもの感じられるからです。こういうわけで、一人称の主人公=語り手の場合であっても、語り手は、主人公の内面を知り尽くしたり、全ての登場人物の行動や内面に触れたりすることができないことになります。つまり、語り手であれ、現在の人間的な性格が付与されているわけです。言い換えれば、他者(自己)理解の限界性です。わたしたちが作品を読むとき、そうした語り手の一般的な有り様は自然なものとして受けとめられているはずです。

 今はどうなっているかわかりませんが、わたしが小学生だった頃の体験では、国語の授業で詩や物語を読み味わう場合、この表現から作者の感じていることや作者の考えを捉えてみましょうというように、作者と作品とが位相差のない割と直線的な関係で捉えられていた印象があります。今のわたしにとっては、作品を読み味わう場合にそれでは満足できなくて、人、作者、物語世界(語り手、登場人物)についてもう少し微細に捉えてみようとしました。さらに、そういう機構は、個、家族、職場、宗教や国家などの様々な位相差を持つ、すなわち次元の異なる世界とわたしたちが日々関わり合って生きている、その関わり合いの機構とも割と相似なような気がします。しかし、この列島の根深い伝統としては、位相差を飛び越えてつながるという割とのっぺらぼうのつながり方がまだまだ負の遺伝子のように残っているように思われます。



 付.

 以上、職場での仕事と物語作品の表現の二つのことを対応させながら述べたことを取り出して大まかに図式化してみます。


1.個A(自宅など) →→変身→→ 職業人A(職場) →→変身→→ 個A(自宅など)
                       ↓司会進行担当A(職場)
                       ↓職場の打ち合わせ
                       ↓結婚式の司会進行・語り(職場)


2.個A(自宅など) →→変身→→ 作者A(自宅など) →→変身→→ 個A(自宅など)
                     ↓(作品のモチーフを考え、
                     ↓具体化するイメージを練る)
                     ↓
                     ↓(派遣する)
                    語り手
                     ↓(登場人物の行動や内面などを語る)
                   登場人物

※ ここで、「個A」というのは、具体的にはわたしたちひとり一人の存在のことであり、総体としての一人の人間を指しています。わたしたちは、大きく分ければ私的な存在と公的な存在を現実の様々な場面で誰でも強いられています。両者の間を変身しながら行き来しています。もっと、細分化すると一人の人間には、自分そのものとつながる、家族とつながる、職場とつながる、宗教や国家などとつながる、などいろんなつながる可能性の「結合手」を内に持っています。そして、わたしたちはそのような様々な世界とつながったりほどいたりしながら日々生活しています。つまり、わたしたちひとり一人の中に、様々なレベルの世界とつながる層があり、それぞれの層がそれぞれの世界への「結合手」を持っており、その接続の微細な機構は未だ把握が難しいとしても、日々接続したり解除したりしながらわたしたちは生きているのです。

 例えば、学校に通っているA君は、自分の性格に悩んだり趣味を楽しんだり、家族の中での担当の風呂洗いの仕事をしたり、学校に行って勉強したり保健委員会の会議の議長の役を務めたり、と一日をいろんな世界とつながりの手を結んだり、ほどいたりしながら生活しています。わたしたちの誰もが、特に何か問題が起こらない限り、割とシームレスにこのように様々な世界を日々行き来しながら生活しています。

 そのことは、ある人が、職場に出かけて仕事をする場合も、物語作品を生み出す場合も似たような行動を取っています。その点に注目して比喩的に考えてみました。


------------------------------------------------------------------------------
  2015年07月11日
 人、作者、物語世界(語り手、登場人物)についての軽ーい考察



 作品(物語)は、ある人がよいしょっと腰を上げ、作者(表現する者、表現世界を生み出す者)になって、何かを生み出そうとして表現世界に足を踏み入れ、登場人物や語り手を手配し、構想を練り書き出し、ひとつの物語世界(作品)を創り上げていきます。もちろん、その過程では、行きつ戻りつのその世界の模様替えや手直しなどもあります。
 作品世界の文字を書き記しているのは作者となったある人ですが、その作品世界で言葉を繰り出すのは、語り手や登場人物に変身してしまった作者です。したがって、それらは作者とはイクオールではありません。

 つまり、ここで、現実としてある人の活動や活動内容だからといって、「ある人」=「作者」=「語り手」=「登場人物」ということにはなりません。次元や位相の違いを考えると、むしろ、「ある人」≠「作者」≠「語り手」≠「登場人物」となります。この≠という数学記号は、ここではそっくりそのまま等しい分けではないという意味で使っています。

 そのことは、ちょうどある人が結婚式会場に勤めていて、司会の仕事をしているとすると、「ある人」≠「結婚式の司会者」≠「結婚式のいろんな催し」、であることは実感でわかると思います。そこでは、多様な性格の個である「ある人」は、絞り込まれて職業上の「結婚式の司会者」に変身しています。もちろん、それらが実際としてそのある人の行動であるという点では否定することはできません。

 その司会者としての振る舞いは、社会的な風習の現在をふまえ、その古い形や最新の形を検討して、おそらく自らも参加して決めた会社のメニューに沿いつつ、またお客たちの要望も受け入れつつ、自分なりの言葉のリズムを加えながら結婚式の構成を進めてていくはずです。

 このことは、物語などの芸術という場面での、作者についても言えます。つまり、ある情景やある場面の描写は、作者によってなされていますが、そういう情景やある場面の描写の歴史的な現在までの達成を無意識的にも踏まえながら、また作者が作り上げたものではない現在の社会の風俗や流行などを踏まえながら、作者の固有な選択や色合いが加わって描写されています。

 だから、作品は作者が描写したといってもいいけれど、現実の世界が作者に書かせているという言い方も成り立ちます。

 このようにわたしたちは、「ある人」≠「結婚式の司会者」≠「結婚式のいろんな催し」や「ある人」≠「作者」≠「語り手」≠「登場人物」というふうに、現実の社会では多層的な関わり合いの世界を無意識的な活動のように日々行き来しています。例えて言えば、わたしたちは日々分身の術を使って行動や生活をしています。

 (ツイッターのツイートに少し加筆訂正しています)

付論4 表現世界(作品)に対する読者(観客)の位置
       ―読者の作品内外における様々な行動   ※付論3の補遺

 例えば、わたしは観ていないけど一時期韓流ドラマが人気になったことがあり、そのドラマの登場人物を演じた役者を追っかけたり、あるいはドラマのロケ地を訪ねたりという記事やニュースを目にしたことがあります。わたしの場合は、流行にずいぶん遅れて近年になって偶然のきっかけでわが国の時代劇に当たる韓国のドラマを6、7作観たことがあります。どの作品もとても長い続き物でした。わが国の時代劇とは違ったおもしろさがありました。そして、あの登場人物はおもしろいなとか、当然ながら殺陣や映像がエンターテインメント的だななどと作品の印象をつぶやくことはあります。けれど、俳優やロケ地などを追っかける気持はわたしには全くありません。作品は作り物の虚構の世界であり、登場する人物を演じる俳優たちはその虚構の世界だけを生きていると思うからです。

 しかし、そのような追っかける気持はなんとなくわかるような気もします。おそらく、気に入った歌手や俳優やスポーツ選手や芸術家などの個人的なことも含めて興味を持ち追っかける心理と同一なのでしょう。さらに、それは遙か太古から続く根深い精神の遺伝子のようなものだと思われます。

 まず、現在的に見て、人は誰でも、この人間界では個人、家族の一員、職業人、など多重の関係網の中を、私的~公的に渡って日々行き来しながらわりとシームレスに行動しています。様々な役柄を演じているように見えても、それはひとりの人だという受け止め方は、自然であろうと思われます。特に西欧社会と違って我が列島では、一人の人の中の私的な面と公的な面をはっきりと区別することがなく、あいまいな同一性と見なしがちです。つまり、誰でも実感としては違いを感じることはあっても、ひとりの人間の中に私的~公的に渡って現れるいろんな層が未分離だということです。

 テレビの草創期の笑い話として本で読んだことがあります。ある役者があるドラマの中で一回死んだのにまた別のドラマに出ていて、テレビを観ていたおばあちゃんが役者が死んだのに生き返っているととてもビックリしたという話です。今では、そういう風に思うことはなくなっていると思いますが、もしそのようなあいまいな同一性でひとりの人を見るならば、そういう驚きは成り立ち得ます。また、有名人を追っかける意識もそのあいまいな同一性に基づいているように思います。これをまとめると次のようになります。西欧の実情は知らないから、西欧的な言葉や論理や書物から得た西欧人の考え方に基づいた大雑把なイメージ把握になります。テレビなどで西欧人を観ていると、スポーツや芸能人に対して、パパラッチもいて、ということは普通の人々のそんな興味や関心の需要の存在もうかがえて、わが国の人々と似たような面もありそうに思います。したがって、わが列島と西欧との意識の大まかな主流の区別として取り出してみます。


 あいまいな同一性(わが列島の場合)
 「ひとりの人」≒「表現者」≒「表現の舞台」≒「表現」


 それぞれの差異性(西欧の場合)
 「ひとりの人」≠「表現者」≠「表現の舞台」≠「表現」

  註. (≒ : 大体等しい) (≠ : 等しくない)


 歌手や俳優やスポーツ選手や芸術家などが、〈表現者〉に変身して〈表現の舞台〉に上り〈表現〉し終わったなら、また元の〈個人〉に戻ります。しかし、〈表現者〉が〈表現の舞台〉を降りても、社会も人々もそのように〈個人〉と見なすのではなく、〈表現者〉という色の付いたフィルター越しに見ます。有名人として見ると言い換えることができます。傾向性としては、わが列島と西欧とにおいて、上記の区別のようなものがあるとしても、この「有名人」に対する眼差しや意識の有り様は、度合いの差を含みつつの人類普遍と言えるかもしれません。また、わが国で見ても、今から半世紀前と現在とでは、有名人に対するまなざしや意識はずいぶん変貌してきているように感じられます。つまり、有名人もわたしたちと同じ普通の人々ではないかと捉える部分が増大してきて、そのマレビト性が薄らいできています。つまり、「有名人」に対する眼差しや意識の有り様の度合いが薄まっています。

 では、次にそのような人類普遍とも言えるような「有名人」に対する眼差しや意識の有り様はどこから来ているのでしょう。たぶん、簡単に言えば、遙か太古の巫女やシャーマンの登場(発生)の仕方や彼らへの普通の住民たちの眼差しや処遇から来ている根深い精神の遺伝子だと思います。わが列島は、近代以降大きな西欧化の波を二度もかぶり、その影響も少しずつ浸透し、徐々にひとりの人間の中に私的~公的に渡って現れるいろんな層の区別が付けられる方向に向かうと思います。しかし、政治を含めてその「有名人」へのまなざしや意識が、マレビト性として当人たちも周りの人々も負性として依然として根強く現在に生き残っています。

 ところで、読者(観客)は、スポーツや芸術のどんな表現(作品)でもそれを観(読み)終われば、ちょうど上映が終わって映画館を出て行く時のように現実の世界に帰還して行きます。もちろんどんな作品でも観(読み)終わっても余韻を引きずったり、さらにもっと後まで印象に残るということはあります。「有名人」や「聖地」への追っかけの人々を別にけなすつもりはさらさらないけれど、それでいいのだとわたしは思っています。表現された作品こそが全てだという方向に向かえばいいなと思っています。


註.「あいまいな同一性」について

 柳田国男がこの列島に数多く残っていた小町伝説について取り上げたことに以前触れたことがあります。諸国を巡り歩いた語りの女性たちが、村々で一人称で小野小町になりきって語ったから、その語りを聞いた村々の人々は語り手と小野小町を同一化して小野小町伝説を生み出したり小町塚などを築いたりした、と捉えています。これも「あいまいな同一性」に当たります。
(因みに一人称の語りについては、『アイヌ神謡集』・知里幸惠にも、「梟の神の自ら歌った謡」など一人称の語りの作品が収められています。) 

付論5 語り手について 

 遙か太古、と言ってももう専門に語る者を想定できるようになった段階では、柳田国男の語りの考察を踏まえれば、語りはそれを面白がって聞く普通の人々の持つ世界観や世界イメージに添って語られるものだった。そうして、その語りには〈語り手〉が独自に生み出した脚色も付け加えられていった。

 時代が大きく下って、名の知られた武士などの貴人が〈登場人物〉として三人称で語られる場合には、〈語り手〉はその実在した武士の現実の有り様とは直接には関わりない説話に基づき、エンターテインメントとして、普通の人々が貴人として思い描くようなイメージに応えるように衣装や乗る馬の飾りやその武士の振る舞いなどを伝えられた説話的なイメージから選択したり、自分で想像したりして、まるで自分が現実に見てきたかのように語っていたに違いない。したがって、近世までの語りは、まず説話があり専門の〈語り手〉がいてその〈語り手〉が語りの中心だったとしても、〈語り手〉と〈聴衆〉という場では現在以上に〈語り手〉と〈聴衆〉との合作と呼べるような性格が強かったように見える。付け加えれば、現在のマスコミの語り手たちの語りも普通の大多数の人々がああそうかもねと思うようなイメージの流れや組み立てでできている。つまり、俗受けするような通俗的な表現になっていて、語りの対象とされる芸能人や「有名人」たちの現実そのものとは何の関係もない説話だと思った方がいい。

 現在の物語は、作品として主にひとりの作者によって創造される。そして、その物語の作品世界には、作者・(その作者の派遣する、あるいは作者に変身した者によってある舞台へ向けて観念的に外化された)語り手・登場人物というものたちがいて物語世界の創造に携わっている。また付け加えれば、その作品は著作権として作者(個人)は地上的に法で保護されている。もちろん、ここでも近世までの語りの〈語り手〉のように、物語の作者もまたその世界の一人である現在のこの世界、そこに日々生きて活動している大多数の普通の人々の抱く世界観や世界イメージ、つまりマスイメージの渦中に在っての喜びや葛藤などをくみ取ってくる。作者が作品を創造するといっても、その作品世界を組み立てる素材や用具をわたしたちが生活するこの現実界という貯水池に負っているのである。もちろん、作品の創造の過程では、作品は作者の選択・行動によって織り成され、作者のこの世界で生い育ってきた固有性もそこに付加されていく。

 ところで、現在の物語の〈語り手〉は、近世までの聴衆の意向を強く背負った〈語り手〉とは違って、一人の作者という存在に近い、個的存在と見なせるように思われる。しかし、〈語り手〉は、普通の人とは違い、登場人物たちを外から描写したり、(近代以降は)内面に入って描写したりという超人性(自由度)を持たされている。とはいっても、近世までの〈語り手〉と同様に、大多数の普通の人々の現在浸かっているマスイメージと大きくずれるということはないように見える。

 ところで、〈語り手〉が、動物や植物の内語のようなものとしてそれらに同化した意識の状態でそれらの思いや考えを言葉として語ったとする。もし、物語作品が〈童話〉という形式を選択していたら、そのことはあまり不自然とは見なされないように見える。また、遙かな古い時代では、海外の古い民話や説話の出だしとして、まだ人間が動物の言葉をわかっていた時代というような定型がある。わたしはこのような表現に出会って、それはどういうことなんだろうとふしぎに思い、疑問に思ったことがある。その定型表現になんらかの根拠があるとすれば、おそらく文字も成立していなかった遙かな太古、自然にまみれて生きる人間の世界理解や世界観から来ている、その名残であろう。つまり、人々があらゆる自然物と言葉を交わしたり交感したりすることができると信じられ、そのようなものとして自然に振る舞っていた人類の段階の名残ということだろう。

 現在では、〈語り手〉も〈登場人物〉も一人の〈作者〉によって生み出されるようになってしまった。人類の初源から眺めれば遙か遠くまで来て、分化や高度化を遂げてきたのかもしれないけれども、〈語り〉や〈物語〉の本質は形を変えても同一性として反復されているように見える。

 
付論6 映像作品から物語作品へ
 
―映像作品と言葉の作品における、作者、語り手、登場人物について

 「関口知宏のヨーロッパ鉄道の旅」の日めくり版ベルギーの旅の1日目を観ていたら、おそらく関口知宏が乗って走っている電車を外から撮った場面が出てきた。このような場面は、『関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36000kmをゆく』でも何回かあった。また、アメリカのテレビドラマ『FRINGE(フリンジ)』でも、舞台はあの牧歌的な西部劇の舞台ではなくこんな高度に錯綜とした世界ですよと観客に意識化させるかのように、ドラマの各回の始まりや場面が大きく転換したときなどに大都市を上から俯瞰した場面が毎回ちらっと出ていた。このことから連想したことがある。

 そのことに触れる前に、言葉の作品、物語ということについていくらか触れておく。 ある人が、何かを表現しようとすると「作者」に変身する。現在では、作者は、想像的な時空を生み出すために「語り手」や「登場人物」たちを派遣する。作品の言葉を現実に書き連ねていくのは、当然のこととして「作者」であるが、なぜそのような想像的な時空を生み出したのかという作者のモチーフや作者自身は、影を潜めるように「語り手」や「登場人物」たちの後景にいる。このことにわたしたちは十分に慣れてしまっていて不思議なことには思わない。作者は作品の言葉の細部にも意識的にか無意識的にか散りばめられるように宿っているのかもしれないが、わたしたち読者は、作品の全行程を走破することによって作者の表情やモチーフに触れる、あるいは触れた気持になる。

 昔、演劇の劇中で舞台裏(現実)をちらっと明かすような作品があった―ずいぶん昔のビートたけしや明石家さんまの登場した『オレたちひょうきん族』にもそんな舞台裏(現実あるいは偽現実)を明かす要素があったように思う―、また、芥川龍之介は「作者」を作品中に登場させた。これらをもう少しわかりやすい例で言えば、あるとても有名な俳優がいたとして、その俳優(本人からすれば、今は舞台を下りている普通の人)が、自分たちと変わらない買い物などの日常的な行動をしているのを目にした時の、俳優としてのその人への眼差しと普通の生活者としてのその人への眼差しとが、自分たちの中で齟齬(そご)を来たして異和感をもたらすことになる。あるいは、新鮮な驚きという場合もあるかもしれない。これらの感覚の奥深い根は、太古の巫女やシャーマンなどに対する普通の住民の眼差しにあるのは確かだと思われる。

 作品や俳優の裂け目を垣間見せることは、わたしたちの自然な感覚に異和感をもたらすものであった。と同時に従来とは違うということからある新鮮さももたらすものでもあった。しかし、わたしたちは日々の生活で、家庭や学校や勤務先などでは同一人物なのだが、それぞれの場面で微妙に違うような人格として振る舞っていて、普通そのことには疑問を抱かない。それと同じように現代では、ある人が何か書き始めようとして「作者」に変身した時、「作者」は想像の物語空間に合わせるように「登場人物」たちを配し、作者と同一とは言えない「語り手」を派遣する。


 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申の刻下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
  (「羅生門」芥川龍之介 青空文庫)



 「作者は・・・・・と書いた」とか「前にも書いたように」とあるが、確かに言葉を連ね書いたのは「作者」であるが、普通なら作者から分離された「語り手」が語っていることになる。ここでは、「作者=語り手」となり「作者」と「語り手」が未分離になっている。こういうことがどこから来ているかと考えてみると、西欧文学の影響に関してはわたしはわからないから、この国の表現の歴史から考えれば、長く受け継がれ来た語りの伝統ではないかと思う。

 現在、物語において「作者」が「語り手」を分離するのは、わかりやすく言えばちょうどある人が衣装を身に着け化粧もして「俳優」に変身して舞台に上ることと同じである。さらに身近な例で言えば、家族の中では「圭ちゃん」と呼ばれているある少年が、学校という小社会では友達関係でなければ一般に「圭太郎」と呼ばれたり、名字で呼ばれたりするのと同じである。わたしたち人間は、家族や学校や勤務先など誰もが現実の位相の異なる小さな世界間や、何かを連想したり想像したりなどの精神的な世界間を割とシームレスに日々出たり入ったりしていて普通はそのことをあまり意識しない。

 ところで、わが国の「語り物」の伝統では、過去に作られた物語やあるいは歴史上の人物や出来事を自らアレンジしたりして、物語を語る「語り手」がいた。柳田国男によればそういう人々がこの列島を旅して村々や町々に語り物を流布させていた。その「語り手」は、一般に、近代小説のように登場人物たちの内面に入り込んで内面描写をすることなく、登場人物たちの行動を外側から語った。例えば「語り物」の例を挙げてみると、


 (引用者注.雪が降るすばらしい景色を前にして)……しばらくの間ごらんになってたんだが正宗公(引用者注.若い頃の伊達政宗)はご満足あそばしましたのか、されば帰還をいたすであろうと立ち上がりました。この正宗公という方は非常に癇性(かんしょう)の強い方だったんだそうで、寒中でも足袋をお履きになりません。素足でございます。
 (神田松鯉(しょうり)の講談「水戸黄門記より 雲居禅師(うんごぜんじ)」、NHKの『日本の話芸』より)



 このように、「語り手」は伝聞や想像を交えて、自らが見てきたように語るが、「語り物」では外面描写になっている。このことの意味は、別に語り物の起源からの歴史的なものとして論じなくてはならないが、ここではそれには触れない。近代以前の語り物では、誰かがあるいは多数の人々が共同で作りあげた物語を、「語り手」はいくらか自らの主観や感情や聴衆への受け狙いなどを付け加えながら語り継いでいったのだと思う。したがって、現在のような物語世界の仕組みの知識に触れていない聴衆(読者)の側から見れば、「作者=語り手」と同一化されたはずである。あるいは柳田国男が小町伝説の全国的な流布の原因として述べたように「語り手=登場人物(主人公)」の同一化も起こりやすかった。テレビ放送が始まりだした頃の話として聞いたことがある。テレビドラマの中で一度死んだ者が、生きていてまた別のドラマに出ているのにおばあちゃんだったかがびっくりしたという話である。真偽のほどは別にして、こういう笑い話が流布するということは、二昔前の聴衆は「俳優」とその演じる世界、「語り手」とその物語る世界、そして想像世界と現実世界とを同一化しやすかったからだと見なすほかない。

 近代以降の小説に慣れたわたしたちには、「作者」が「語り手」を分離せずに芥川龍之介の「羅生門」のように「作者」と「語り手」が未分離なのは、現在的には「普通人」と「俳優」とが二重化したような異和感がある。あるいは、読者としてはせっかく虚構(つくりもの)と意識せず物語を読み味わっているのに、これはつくりものだよと言われているようで感動が白けるように感じるかもしれない。つまり、この「羅生門」で作者が登場する必然性は感じられないのである。芥川龍之介の「羅生門」は、登場人物たちの内面に入り込んだり、内面を推し量ったりと、近代小説の構造を十分に備えている。考えられることは、「羅生門」というこの作品が古典を素材としていることであり、そのことが、この「作者」と「語り手」の未分離ということを呼び寄せたのではないかということである。つまり、古典を素材としアレンジする中で、内面描写を伴う近代小説の構造を持ちつつも、わが国の長い語り物の伝統を無意識に体現したものではないだろうか。人間の感覚や意識も、また表現の歴史も、華やかな現代性を持ちつつも、太古からのその深い感覚や意識や表現の奥深い歴史の地層の中に浸かっている。したがって、表現の長らく続いてきた定型は何らかの拍子にこのように顔を出すことがあるからかもしれない。

 ここで、ようやく最初の連想に戻る。
 最初の連想の話に戻せば、旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮るということは、映像作品として見れば作品の舞台を俯瞰的に見渡す映像を重ね合わせただけだという普通のことに過ぎないかもしれない。しかし、この映像作品には、旅の主人公関口知宏という登場人物や彼が現地で通り過ぎたり出会ったりする登場人物たち、数々の情景、口数は少ないにしてもナレーションとしての「語り手」などが存在する。映像を撮り持ち帰りそれを編集しナレーションを加えという、表現される映像空間の外にいて映像作品としての作り上げの過程に関係する人々を「作者」として括ると、「作者」は映像作品の趣旨や現地での旅の主人公関口知宏の行動についてお互いに前もって何らかの打ち合わせをしているはずである。そういう「作者」としての関与があるはずである。大まかにはそれに沿いながら旅の主人公関口知宏が相対的な自立性を持って行動することによって映像作品のための主要な部分が形成されるだろう。ナレーションはおそらく映像の編集過程で後から加えられるもので、言葉の物語作品の語り手の重要な働きとは違って、軽いものに見える。

 旅の主人公関口知宏を乗せた列車を外から撮る(見る)ということやその映像を選択して作品に付け加えるということも、作者の映像作品への関与のひとつであり、作者の眼差しが作品に登場したものだと見なすことができるように思う。

 そして、先に述べてきたように、このことを言葉による物語作品に対応させれば、芥川龍之介の「羅生門」に「作者」と宣言して登場するように露骨にではなく、見分けにくいけれども作品の中へ「作者」が顔を出すことと対応していると思われる。わたしが小学校の頃には、先生が「みなさん、この部分の描写から作者の気持ちを考えてみましょう」のような国語の時間があったように記憶する。作者と作品とは同列に対応するように見なされていたように思う。このことは、現代から見て単なる誤りということではなくて、この国の文字使用以前からのとても長い語りの伝統の残滓としての自然性、自然な感覚ではないかと思う。柳田国男は語り物について、語り歩くものがいたわけであるが、本当は「群れが作者である」と述べていた。つまり、語り手は大多数の民衆に受けそうな物語を語り、民衆の感動する曲線に沿うように語ったからである。

 しかし、主に明治以降の近代社会においては、西欧の思想の影響下、個の存在の自覚が本格的になり、現在に向かって次第に個が先鋭化してきている。それに対応して、近代小説においては、作者という個がせり出してきたために語りという近世までの主流と違って、作品を読み味わい批評する上で「作者」という固有の個を考えざるを得なくなってきた。つまり、作品の背後にそれを生み出した作者という固有の内面を想定せざるを得なくなってきた。

 ここから、作者、作者の想像し創出する物語の世界、そこに入り込んで登場人物たちの内面をのぞきこんで説明したり、情景を説明したりする語り手、などの表現過程における各要素や各主体を分離したり関連づけたりしなくてはならないようになってきた。作者は、作品からは退いた後景に位置するが、一般的には作品のモチーフとなって物語世界に参与する。また、作者のいくつもの作品によく出てくるような場面の描写があるとすれば、それだけ作者の意識的か無意識的に固執されたモチーフだから、そこは作者の顔出しと言えるだろう。ともかく作者は小さな破片のようなものとなって作品世界に散布されているはずであるが、その作者の顔を分離して余さず取り出すことはとても難しいように見える。したがって、読者にとってお気に入りの作品であれば、何度も読む度に新たな気づきや発見があり得るかもしれない。

 ところで、作者、語り手、登場人物に関して、吉本さんが『悲劇の解読』かそれに関わる対談だったかで触れていたが、そのときは深く考えず意味するところがよく飲み込めなかった。あるいは、わたしの方にそのことに対して吉本さんほどの切実さのモチーフがまったくなかったからかもしれない。人は、互いにある切実さのモチーフという同じ舞台に立てないならば、本当に切実に物事を感じたり受けとめたりすることは難しいものだからである。

 吉本さんのモチーフは、生身の「作者」と作者が想像的な表現の世界で変身した、あるいは作者から派遣された「語り手」とを区別しないならば、例えば作者の生存の悲劇をどこに帰したらいいか明確にならないというようなことだったと思う。今は、少しわかってきたように感じている。遙か太古からのつながりの中にありながらも形を変えてしまっているということ、そういう現代において物語を表現するということ、表現された物語を出来うる限り十全に読み味わうということ、そのためにはそのような微細に見える区別と連関に対する理解を深めることが大切な課題になってくる。

付論7 作者、作品、語り手、登場人物について・補遺

 小谷野敦の「 芥川賞は町屋良平だな。」(6月18日)というツイッターのツイートを目にして、初めて知った町屋良平という作者の『青が破れる』(2016年11月)を読んでみた。帯によると、選考委員の藤沢周、保坂和志、町田康の三氏が「大絶賛!」とあるが、うーんそこまではなかったなあ。短い文の書き連ねで、文体が軽いのが良い意味で少し気になった。
 
 同作品に付された書き下ろしの掌編あるいは短編作品の二作「脱皮ボーイ」と「読書」の方が実験的で気になった。後者は、わたしたちがふだん抱く心から意識に渡る世界での多層的ともいうべきそれらの振る舞いや表情の描写の試みである。場面は、電車で昔別れた恋人同士が同席して、はじめに互いに目を合わせてなくて、さらに女性の方は読書に浸っていてその男に気づかない、男の方は気づいている。回想を交えた多層の心理描写が続く。前者は、物語の形式としての「語り手」が従来になく珍しい。


 着席している電車のなかで膝同士がコツッとぶつかり、女は「すみません」と声に出しはしないものの、充分そのことばの含まれた会釈をしたが、となりに座っている男の顔は見なかった。
 彼女は読書に耽っていた。このとき、主に上半身は読書をしていて、書のなかの体験を追従していた。だが下半身はどうだろう。どこか腑に落ちないような、しずかではあるが穏やかでない訴えめいた、なにかを叫んでいた。女は読書に耽りながらも、どこか意識の削がれるように、集中を逃していた。それは彼女の下半身の、とくに先ほど男に接触した膝から下の、背信があったからだったが、女はそれをわからない。膝から下部は意識のうえで、充分に彼女に含まれない。彼女の意識のどこかに、先程膝のぶつかった男性の履いているスニーカーの色彩があった。全体の灰色に、印象的な赤のラインが走り、ぶつかった男性の膝と足のかたちによく合った。それでも彼女の意識では、読書が勝った。じっと読み耽る。となりに座るスニーカーを気に入ったことなど、彼女は充分認識しないが、彼女の膝から下ではそれを言っている。いっぽう、男のほうでは気づいていた。横に座り読書に耽っている女が、過去の数ヶ月のあいだ、自分と恋仲にあった女性であることを。
 (「読書」P128)


 彼女に、「なんか必要なもの、ある?」と聞かれて、「じゃあふりかけとか、なんか柿の種とかお菓子」とか要望を言うと、そのとおりに買ってきてくれる。親に頼めば済むのだけれど、彼女は会社を早退したり休日を駆使したりして俺を見舞うのを気に入っているらしく、スーパーとか売店にいくその道すがらを描写してくれるうちに、相性がいいのか俺もいっしょに出かけているような気分になるのだった。
 俺もいっしょに・・・・・・
 運び込まれた病院の傍にたまたま巨大な公園があって、そこを散歩していると失われたなにか善いものの存在を感じることがある。イヤフォンからすてきな音楽が流れてきて、数週間前には見も知らなかった男の子を殺しかけ、そのひとの用事を手伝っているうちに、奇妙な多幸感に見舞われている自分に気がついた。スーパーの袋の重みは、ふしぎな引力をわたしの右肩のあたりに与えている。お菓子をたくさん買いすぎていた。
 (「脱皮ボーイ」P111)



 「読書」の引用部分で、隣同士に座ってお互いに気づかないわけはないだろうという普通の感覚がわたしに起こるが、そういう疑問を押し切ってもちょっと張り詰めた場面を作者は描きたいモチーフがあったのだろうと思う。ここで「女」に描写されているような読書に意識を向けている一方で、別のことに心囚われているような状況は、誰にもよくあることである。ところで、この作品では、「男」や「女」という三人称の言葉のもとに「語り手」は「男」や「女」に付きまとい外面からあるいは内面に入り込み物語を語り、進行させる。これは一般に見かける三人称の物語である。


 一方、「脱皮ボーイ」の方は、この場面で「俺」から「わたし」(引用者註.駅のホームで「俺」にぶつかってしまった女性。「俺」は線路に落ちて危うく死にそうになった。)に変わっている。章が変わってこのように一人称で語り手が変わるという作品はあるだろう。また、三人称の作品だが、村上春樹の『1Q84』では、最後には青豆と天吾の出会いの章があったが、「青豆」と「天吾」という登場人物の章をそれぞれ交互に設け、三人称として語り手は語っていた。しかし、この作品のように同じ場面で語り手が変わるのはわたしは出会ったことがない。読んでいて、あれっと面食らった。

 こういう同じ場面で語り手が変わるようなことは他にないかと思い巡らせてみた。落語がある。落語の場合は、登場する語りの者(落語家、噺家)が、地の文の説明を語ったり、一人何役かで登場人物の役で語ることになり、その切り替えるときは声色や表情などを変えるから、わたしたちはそれに異和感を持つことなく語りを聞くことができる。

 しかし、物語作品(小説)ではなじみがない。語り手が交代するとき、行をあけるなどの配慮がなければ特に、読者として少し混乱するのではないかと思う。つまり、落ち着いて読み進めない。「脱皮ボーイ」の引用の場面は、語り手を変えなくても、「読書」のような三人称の描写でも差し支えはないと思う。なぜ作者はこうしたことを選択したのだろうか。語り手が登場人物を「彼」や「彼女」という三人称として、つかず離れずで描写することは現在では普通にやられている。作者は、三人称として語るよりも、登場人物それぞれが一人称として語る方が、登場人物それぞれの独立した存在としての生(なま)の迫真性が出るのではないかと考えたのかもしれない。そして作者は、実験的に書いてみたのかもしれない。

 空想のイメージに過ぎないが、遠い未来では、言語が進化して語り手や登場人物を必要としない直接的な表現もあり得るかもしれない。しかし、わたしたちが現在、物語作品に出会うには、その背後に作者、語り手、登場人物を必須とする。物語作品は、作者がすべて書き生みだしたものであるが、それが生み出されるためには、作者がそこを生きてきた現在までのマス・イメージの加勢が必要であり、現在の所、作者、語り手、登場人物という一連の舞台を必要とするのである。

ところで、この作者の引用した二作品を読んで、近代の二葉亭四迷の『浮雲』(註.青空文庫で読める)などの現在から見たらたどたどしく見える表現と引き比べると、登場人物の外面も内面も自在に書き分けて、なんと細かな世界にまで入り込んできたものだろうという思いを禁じ得ない。しかし、もちろん、そうした細密で複雑な表現は、これからもまた作品表現の自然必然の過程として踏み迷いつつも進んでいくというほかない。


註.書き留められた「落語」は、以下で読むことができます。
「東西落語特選」
http://www.niji.or.jp/home/dingo/rakugo2/fulllist.php

資料編

資料1
『職業としての小説家』―自伝的エッセイ 村上春樹 2015年9月


 この本は、作品を作る側にある作家の内側からの証言として、わたしたち読者や批評をする者には大いに参考になると思われます。以下、その本からいくつかの項目として抜き出しておきます。

1.物語作品の中のキャラクター(登場人物)について
  P218L7~P220L1

2.長編小説を書き、仕上げる過程
  P138~P149
  (P138L13~P139L2  P140L2~L4  P141L2~L6  P142L14~P143L10  P144L1~L9
  P145L2~L4  P145L10~L13  P145L14~P149L2  P148L15~P149L1)

3.人称(一人称小説や三人称小説)と登場人物と作者の関わり
  P228~P232
  (P228L8~P229L6  P230L12~P231L2  P231L13~PL15  P232L7~L14)

4.作家としての一つの転位、『羊をめぐる冒険』
  P248L1~L11

5.作家から見た読者像
  P251L6~L8  P254L8~P255L15  P259L11~P260L13

6.作家への読者の声に対して
  P252~P253

7.私も思ったことことがある疑問の一つ、「どうして自分と同じ年代の人間を主人公にした小説を書かないんだ?」という質問に対する作者の回答 
  P235~P239

8.物語とは何か
  P285―P286

付論8 作家・作者・作品・語り手・登場人物について ① ―村上春樹から

 作家・作者・作品・語り手・登場人物について ① ―村上春樹から


 作家・作者・作品・語り手・登場人物については何度か考えてみた。最近、作家、村上春樹のインタビュー集を読んで、またそのことを再確認してみようと思った。この①の文章では、作者・作品・語り手・登場人物が現れる以前のことに触れている。

 この人間社会に個々具体的に生きるわたしたちの姿をひとつの共通性として抽出してみると、誰もが、父親であるとか会社員であるとか時々趣味のクラブに通っているとか、様々なつながりを持ちそれぞれの場での顔を持っている。その様々な顔を持っているひとりの人間を総合性としての人間(個人、個)と捉えるとすれば、以下に平面的な層として図示(註.図1)してみるが、その総合性としての人間は誰でもA、B、C、D・・・などいくつもの位相の異なる世界を日々行き来しながら生きている。付け加えると、現在ではSNSやネットゲームなど仮想空間の位相にも入り込めるようになってきた。

 その位相の異なるという意味は、例えば子どもが家を出て学校に行ったら、例え父親が同じ学校で先生をしていても、プライベートな用事でなければ、呼びかけの言葉としては「お父さん」ではなく「先生」と言う言葉を使うはずである。このように、家族という場と学校という小社会とでは世界が違うしその言葉もちがう。つまり、位相が違っている。

 テレビが普及し始めた頃の次のような笑い話のようなものに昔、文章で出会ったことがある。テレビの中で一度死んだ者がまた別の日にテレビに出ていてとても驚いたという話である。わたしたちは俳優とはそんなものだと分かっているから、そういうふうに具体的な人間とその人が俳優として演じる世界とを同一化してしまって驚くということはない。時代を遡るとそのような同一化はもっと強くなるような気がする。わたしたちの時代は、現実の人間とその人が俳優として演じる世界を別ものだと分かっているし、そのことは自然なものになっている。

 しかし、以下の引用で村上春樹が、作家としての自分と普通の生活者としての自分を割とはっきりと区別していていても、他者と出会ういろんな場面でそのはっきりと分離しがたい二重性に遭遇してふしぎな感情を抱いている。また、わたしたちでも、いわゆる有名人をそのイメージでその人全体やふだんの生活の様子をイメージすることがある。これは、先に挙げたテレビの草創期の笑い話と同質の同一化によるものではないかと思う。そうして、このようなイメージの同一化、すなわちひとりの人間の中のいくつもの位相を同一化しようとしたり一つののっぺりしたものとして捉えようとする意識性は、わが国では負の精神の遺伝子とも言うべきもので、とても根の深い問題だと思われる。

 現在でも残っているその意識性は、個人と社会や国家という次元や位相の異なる世界をやすやすと同一化してしまう傾向として残存している。個人にとって社会や国家は、完全に無縁とは言えない。しかし、わたしたちは家族や会社などの小社会に生きていて具体的に「責任」を追わざるを得ない場面がしばしばあり得るが、社会や国家という抽象的な世界に対しては、― そこを根城とする官僚や政治家たちは別にして ― そういう「責任」を持ちようがない。個人の身近な生活世界(小社会)と抽象的な社会や国家という世界は、世界の仕組みが違うのである。これは例えば、近所付き合いや町内会の場で政治的な問題をまじめに語るようなもので、誰にとってもそれが場違いであるということはわかると思われる。

 このような負の精神の遺伝子とも言うべきもの、たぶん西欧のようにあらゆるものを位相の異なるものとして区別しそのように対応することなく、ひとつののっぺらぼうのように捉える意識性は、わが国でアジア的な古代国家が成立した時期よりもさらに遙か昔からのもののように感じられる。逆に言えば、国家以前の太古の、上と下との階層差があんまりなかった強固な集落の構造から来ているような気がする。この上に国家が乗っかっていってもその意識性が応用されたのではなかろうか。現在表面化してきている排外的なネトウヨ現象は、この根深い負の精神の遺伝子とも言うべきものから来ているはずである。おそらく彼らの内面は、連続的でなく断続的かもしれないが生活とイデオロギーが転倒した病的な内面になっているはずである。

 村上春樹のインタビュー集から、このことに関連することを引用してみる。


1.普通の人間としての村上春樹 (図1の「家族の中の人(生活者)」)

 村上 でもいったん机を離れると、僕はすごく普通な人間です。自分で言うのもなんだけど、ごく普通の考え方をして、ごく普通に生活して。だからたとえば道を歩いていてたまに、あ、村上さんですねって声をかけられて、いつも読んでますとか言われると、今でもとても不思議な気がします。もう三十年作家をやっているけど、「なんでまたこの僕に?」という気がしますね。というのは、道を歩いているときは、僕は本当に普通の人だから。たぶん机の前に座っているときは普通じゃないところがいくらか出てくると思うんだけど、そうじゃないときはどこにでもいる当たり前の人ですよね。だから、握手して下さいとか言われると、なんで握手するんだろうって真剣に不思議に思います。サインなんかしても、なんかまるで「こども銀行」のお札を刷っているみたいで。


 日本にいれば僕はほとんど人前に出ません。テレビに出たりラジオに出たりしないし、講演もしないし、サイン会もしない。というのは、もちろん苦手だからだし、それにそんなことしてもしょうがないと思うからです。書いたものは多くの人に読んでほしいと、ものすごくそれは強く思うんだけど、それ以外のことっていうのは関係ないんですよね、本当に。
 (『村上春樹インタビュー集1997-2011』P532-P534)



2.作家としての村上春樹

 ―読者を驚かすことは、あなたの作品の強みのひとつだと考えますか。

 村上 僕自身、驚かされるのが好きですね。小説を書いているとき、次に何が起きるのか僕にはわかりません。先に何が起きるか、角を曲がってみるまではわからない。そういうのは、とてもわくわくします。僕は毎朝小説を書いています。次はどうなるのかと期待しながら、わくわくして、スリルを感じています。自分でも驚かされるのは楽しいですし、もし僕が驚かされるなら、きっと読者も驚かされるでしょう。僕は何も考え出したりはしないで、ただ何かが起きるのを待っているだけなのです。僕は作家になれてとても幸せです。だって小説を書いていると、日々驚きの連続であるわけですから。
 (『同上』P551)



 この人間社会の中で様々なつながりを持ちながら具体的に生きているひとりひとりの人間を、抽出してみると「総合性としての人間」という人の総体像が得られる。「総合性としての人間」としてひとりの人間をまるごと捉えるとしても、日々の生活ではわたしたちは家族を中心の場とする生活を重力の中心に引き寄せられるようにして生きている。(施設で生きる子どもにとっては疑似家族と見なし、ひとり住まいの場合には単独家族と見なすことにする。)そうして、その家族を具体的な場として生きる人の有り様が、ひとりの人間の生存の自然基底となっている。この生存の自然基底は無視し得ないある強度を持っていて、人はこれを離れてイメージやイデオロギーなどの世界のみを生きるということはできない。それがもし可能とすれば、現実の具体的な生活は抜け殻のようになりイメージやイデオロギーのみが生き生きした現実味を持つという転倒した内面世界、すなわち精神の病を生きている場合だけである。

 したがって、誰もがいくつもの顔を持っているわけだが、普通の生活者の顔をして歩いている時の村上春樹が作家としての村上春樹として呼びかけられて当惑したりふしぎな気持ちになるのはわかるような気がする。これに関連して思い出すのが、何の作品でもいいけど、例えばアニメの作品「君の名は。」で主人公が過ごした駅や図書館などの土地を訪れることをファンの間では「聖地巡礼」といって流行っているらしい。また以前には、韓国のドラマの「ロケ地巡り・聖地巡礼」というのもあった。別にそんな風な楽しみ方を否定する気はないが、わたしや上記のような村上春樹の感覚からすれば、こうしたことは作品にとってはほとんど意味はないということになるだろう。このような「聖地巡礼」もイメージの同一化の意識から来ているように思う。

 ところで、わたしたちが家族などの身近な生活世界を中心に生きるという生存の自然基底からすれば、社会や政治の問題はどうでもいい問題としてある。ただ、社会や政治の有り様がわたしたちの生活世界に利をもたらすことは少なくより多く規制したり干渉したり不利益をもたらしたりする歴史の中に依然としてわたしたちはいる。つまり、行政や政治が生活者の利益のためにのみあるという本来的な意味を生きるなら、わたしたちはさらにのんびりと「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)を生きることができるはずである。

 わが国で現在でもしばしば否定的に取り上げられる「政治的無関心」という問題についてひと言。まず、わたしは半ば以上はそのことに肯定的である。国家以前の遙か太古の、上と下があんまり格差がなく割と平等な集落社会では、上の方というか担当が、宗教的な行事や経済的な分配などの行政的なものも割とうまくやっていて、別にそれらのことに文句を言う必要もない。自分が当番になればやればよいだけで、普通はあんまり関心を持たない。このような強固な集落性の時代(段階)が長くあったのではないかという気がする。このような意識性は、現在では町内会もいろんな問題を抱えているのかもしれないが、町内会の構造に保存されているように感じる。国家がこのような小さな集落の意識構造に乗っかって社会規模が大きくなり高度化してからも、そういう集落の強固な意識性からうまく接続したり展開することなく、現在まで来ているのではないかという気がする。明治近代以降、欧米からの大きな波をかぶってきた現在では、欧米からの模倣の滲透とは言え、個や社会や国家に対して割と分離した意識を持つ欧米の視線の影響を受けて、そこからの内省が社会レベルで働くようになってきている。要は一方からの啓蒙ではなく、それらの二つの視線がどう交差したらいいかという問題があるように思われる。

 


付論8 作家・作者・作品・語り手・登場人物について ② ―村上春樹から

 作家・作者・作品・語り手・登場人物について ② ―村上春樹から


 人が表現の世界に入り込み、くり返し修練して、作家や詩人となっていく。作品としてある程度のすぐれた水準を持ち、たくさんの人に読まれそうか、などこの経済社会の関所を通った者は、売文という表現の世界に入っていく。どんな分野でも同じだろうが、現在の経済社会の組織と結びついたプロの表現者は、アマチュアの表現者と違って、一定の関所を通って入り込み、厳しい修練や要求などを強いられるから磨かれたそれなりの表現の水準を持っている。もちろん、読者のハートをつかんだり売れるものでなくてはならないなどの経済社会の強力な有言あるいは無言の要請によって、表現をダメにしてしまうという場合もあるかもしれない。

 ここで考える「作家・作者・作品・語り手・登場人物」は、表現者としてプロであるかアマチュアであるかは無関係である。太古や未来はさておき、現在の物語作品は、誰によって書かれても「作家・作者・作品・語り手・登場人物」を必須のものとしている。

 作家と作者は区別しなくてもよさそうだが、表現世界に向き合ってひとつの作品を生み出す主体を「作者」とする。ひとつひとつの作品の「作者」は、その時々の精神世界とモチーフを持った作者である。作品を生みだした「作者」の時系列の推移が、「作家」という統一した表現の主体に刻まれていくことになる。こう考えるなら作家と作者は区別した方がいいように思える。

 「作者」が、あるモチーフを持って表現世界に向き合って、「語り手」や「登場人物」を派遣する(あるいは、観念的に対象化する、または、外化する)。そうして、「作者」はテレビ番組のプロデューサーのように「作品」の背後に控えていて、「作品」世界の渦中で「語り手」や「登場人物」たちが作者のモチーフを担いつつも、割と作者から相対的に独立して自立的に振る舞い「作品」世界を作り上げていく。「2.作家としての村上春樹」として引用した作家(作者)村上春樹のまるで他人事のような語りは、こうした事情に拠っている。「作品」世界を作り上げるための下調べしたり、実際に「作品」の文章を書き記していくのは、当然のこととして「作者」なのであるが、「作品」世界の中で現実的に行動していくのは作者そのものではなく、作者に派遣された「語り手」や「登場人物」なのである。

 「作者」は「作家」と同じと見なしても良いが、「作者」と「語り手」や「登場人物」は同一ではない。作家たちの発言を読むと、登場人物たちや作品世界が、作者(作家)にこうしろああしろと迫って来るというようなことをしばしば語っている。村上春樹も、引用した「2.作家としての村上春樹」で、「次に何が起きるのか僕(引用者註.「作者」)にはわかりません。」と語っている。「作者」は物語の「作品」世界と切れているわけではなく、その舞台の袖にいて、ある時は口を出すことがあるかもしれないが、一般に舞台上の「作品」世界で「語り手」や「登場人物」たちが織りなす動向を見守っているようなのだ。そこでは、物語の「作品」世界は「語り手」や「登場人物」たちの自立的な行動に支配され、「作者」からは相対的に独立したものになっている。それは例えば、ある会社の社長と彼によって現場に派遣されて仕事をしていく従業員たちとの関係に似ている。

 では、「語り手」や「登場人物」とは何だろうか。「作者」のあるモチーフを実現するために「作者」に派遣されて来たのは確かであるが、いったん「作品」という物語世界の舞台に立てば、現在まで積み重ねられてきた物語の有り様や現在の現実世界での人々の有り様などを無視しては彼らの行動は成り立たない。したがって、「作品」に現実味を持たせるには「語り手」の語りや「登場人物」たちの振る舞いや感じ考えることには、現在の現実世界からの選択や現実世界との対立や親和などが存在することになる。つまり、「語り手」や「登場人物」たちは、「作者」のものの感じ方や考え方の影響を受けているかもしれないが、舞台の袖にいる「作者」とは異次元にいて相対的に独立して振る舞うから、「語り手」や「登場人物」たちと「作者」とは同一のものと見なすことはできない。しかし、物語世界の底流には、「作者」の作品に込めたモチーフが流れていることになる。




付論9 「私」(語り手)の死の描写

 「私」(語り手)の死の描写


 最近出た町田康の短編集『記憶の盆をどり』に、変わった題名の「エゲバムヤジ」という作品がある。その最後の場面がわたしの関心を引いた。

 この6頁分の短編は、次のようなシンプルな話である。「強風が吹き始めてから六ヵ月。なにひとつよいことがなかった。」「私」に、ときおり見かけるから同じアパートの住人とおぼしき女が、布の箱を持って私を訪れる。そして「あたし、もう無理だから。お宅で飼っていただけますう」と言って有無を言わせない感じで私にその箱を手渡して去る。そして、私はその箱の中のわなないている小さな白い塊を「エゲバムヤジ」とすぐにわかる。「こういうもののことをエゲバムヤジというのは、中三のときに死んだ叔父に聞いた」からだというのだ。

 そうして、私はエゲバムヤジの世話をする日々が続く。ある日、私はエゲバムヤジを連れて岩壁に出かける。そしてなにかの拍子にその岩壁から私とエゲバムヤジは落下するが途中の岩棚に引っかかって助かる。その後は、私はなぜかいろんなことがうまくいくようになる。そんなある日、先の女が悄然とした様子でまた現れてからエゲバムヤジを返してくれと言う。今では、私の大切な家族で守護天使のような存在になっているからふざけるなと私は思う。しかし、その女は十億円やると言う。


 十億円。喉が鳴った。エゲバムヤジを抱く手に力が入った。エゲバムヤジは小刻みに震えていた。怯えたような目で見上げていた。
「お願いします。十億円で。残りは夕方までにとどけます」
 女が再び言った。身体が熱くなって汗が出た。吸い込まれるような感覚を覚え、震える手を女の方に差し出した。エゲバムヤジは、爪を出して腕にしがみついていた。
 次の瞬間、そのエゲバムヤジの爪の感触がふと消え、空中に放り出されたような感じがしたかと思ったら五体がごつごつした岩に叩きつけられて断裂して散らばり、波に洗われて消えた。断裂した直後、意識にエゲバムヤジの幸福な笑顔と悲しい哭き声が浮かんだが、それも直ちに消えて、後はただひたすらの虚無。
 (「エゲバムヤジ」、『記憶の盆をどり』 町田康 2019年9月)



 この作品は現代的な衣装の物語に見えてもその骨格は意外と古い。「花咲かじいさん」のような古い説話の形式を取っている。たぶんこの正体不明のイメージを背負わされた「エゲバムヤジ」という生きものは、「花咲かじいさん」の「犬」にあたっている。女が所持している多額なお金はエゲバムヤジのおかげで手にしたのではないだろうか。女は、エゲバムヤジの日々の世話を面倒に思って手放した後、精神的にも満たされない日々になり返してくれと来たのだろう。一方、エゲバムヤジとの日々になじんでエゲバムヤジを大切に思っていた私は、女の十億円に「身体が熱くなって汗が出た。吸い込まれるような感覚を覚え、震える手を女の方に差し出した。」と葛藤の末傾いていく。これはエゲバムヤジにとって裏切りである。私がお金に目がくらんだ瞬間にエゲバムヤジのもたらした幸は消える。たぶん先の岩壁からの落下はエゲバムヤジのおかげで助かったのではないか。だから、時間が戻って幸が取り消されて、私は今度は元のままに落下してしまうことになったのだろうと思われる。ということは、エゲバムヤジを手放した女にも何らかの不幸が訪れていたのかもしれない。こうしたことはよくある説話の形式である。

 現在のわたしたちにも依然としてこうした説話の形式に心引かれる面が残っているとすれば、それはこの人間社会の不如意な現実に誰もが出会うからである。そこから生み出される様々な願望のイメージが存在するからである。

 ところで上の引用は、この作品の末尾の部分である。通常でも、作品が終われば登場人物も語り手も作者も消える。しかし、この場面はたとえ現実離れしていたとしても主人公の「私」が死ぬ場面である。そして「私」=「語り手」となって物語は進行してきているから、「私」が死ねば「語り手」も消滅するはずである。したがって、「語り手」は「私」の死の場面と死の直後の場面を語ることはできないはずである。

 いや、そんなに固いこと言わなくても物語を楽しめればいいさ、という考え方もあり得るだろう。その場合は、表現の矛盾は稚拙な荒唐無稽さとして受け入れるということになる。しかし、荒唐無稽なものではなく生真面目に表現の本質から考えてみるとそれはどうなるだろうか。考えられるのは、「私」=「語り手」は、斜め上方からベッドなどに横たわっている自分を眺め話もきこえるという一種の臨死体験者の視線を行使しているのだと言えそうだ。あるいは、作者が臨時出張してきて「語り手」の代打をしたと見なすほかない。



付論9 「私」(語り手)の死の描写
 (追記.2021.1.19)


 町田康の短編集『記憶の盆をどり』の中の「エゲバムヤジ」という作品では、その最後の場面で「私」(語り手)の死の描写がなされる。つい最近読んだ柳美里の『JR上野駅公園口』(河出文庫)も主人公(語り手)の死で終わる。読者にとってはあいまいに感じられる描写を潜るとどうも主人公は山手線の電車に飛び込んだようなのである。語り手が語り手の死を語るなんて矛盾ではある。まるで臨死体験やフラッシュバックのようにその死に臨んだ場面が割と長く描写されている。

 故郷相馬の妻も亡くなり、主人公の「私」(語り手)は、大きな喪失を抱えて出稼ぎで長年来ていた東京に舞い戻り、上野で今度はホームレスとして生きていく。そうして、「私」は大きな喪失と空白を抱えていたことは間違いないが、何が拍車をかけたかはわからない。故郷への入口でもある上野駅で、その入口を永久に閉ざすように自死するのである。「私」は、次のように自死への道行きに入り込んでいく。


 空を見上げ、雨の匂いを嗅ぎ、水音を聞いているうちに、いまこれから自分がしようとしていることをはっきりと悟った。悟る、という言葉を思い付くのは、生まれて初めてだった。何かに捕らわれてそうしようというのではなく、何かから逃れてそうしようというのではなく、自分自身が帆となって風が赴くままに進んでいくような――、寒さや頭痛はもう気にならなかった。 (『JR上野駅公園口』P158-P159 柳美里 河出文庫 )


 そうして、自死の行為に入る場面はたぶん次の個所であろう。


「まもなく2番線に池袋・新宿方面行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線まで
下がりください」
(引用者註.これは、ゴチック体の表記)


 黄色い線の上に立って目を閉じ、電車が近付いてくる音に全身を傾けた。
 プォォォン、ゴォー、ゴトゴト、ゴトゴトゴト、ゴト、ゴト・・・・・・
 心臓の中で自分が脈打ち、叫び声で全身が撓(たわ)んだ。
 真っ赤になった視界に波紋のように広がったのは、緑だった。
 (『同上』P161)



 この後、主人公の「私」(語り手)に関わる過去の場面が、「風景をみているのではなく風景から見られているように」続き、P166でこの作品は終わる。この電車に飛び込んだと思える場面の語り・描写は、当然に極微の時間である。これを荒唐無稽な描写と見なさないためには、語り手は「私」から浮上して「私」の臨死体験を語っていることになる。もちろん、それを言葉として書き留めているのは作者である。

 こうした死の場面の描写には、当然死にゆく本人は関与することはできない。しかし、似たようなことが、ずいぶん前に読んだ『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』にあったような気がすると思い出した。この本の著者である難病に冒されたクレア・シルヴィアという四〇代の女性が、バイク事故で亡くなった十八歳の青年の心肺を移植する。移植後に、著者に、その事故の場面のイメージが浮かんでくることがあった。これは、臓器移植に伴って提供者(ドナー)の記憶の一部が受給者(レシピエント)に移る現象で「記憶転位」と呼ばれている。


 ①
 数週間後、ふたたびティムが夢の中に現われた。

 わたしは女になった男だ。スピードをあげていくつものヘアピンカーヴを曲がっていく。爽快な気分だ。だが今、カーヴを曲がりそこねてわたしは車線を越し、対向車の流れに向かって道路上を飛んでいく。わーっと叫びだしたくなるような解放感にあふれた気分だ。車が崖から落ちていく『テルマ&ルイーズ』の最後のシーンにもちょっと似ている。宙を舞うような感覚だ。わたしは道路を飛びだし、無限の空間を感じる。
 (『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』P139 クレア・シルヴィア/ウィリアム・ノヴァック)



 この時点では、著者はまだ自分に心肺を提供したドナーのことは何も知らない。後で、図書館で日付け含めてたぶん彼だろうと思える交通事故の青年の記事に偶然出くわすことになる。そうして、いろいろな逡巡があった後そのドナーの家族に連絡を取り、会いに行く。そこでわかった事故の様子は次のように語られている。


 ②
 姉妹は左手に見える茶色い家を指差した。「事故の少し前にティムがあの壁を塗ったのよ」カーラ(引用者註.以下の「ジョージィ」も、ともにティムの姉たち)が言った。「あの出来栄えにすっかり御満悦だったから、わたしたちは、きっとあの子はふり返ってもう一度あの家を見たんだと思うの。だから、ドライヴウェイに入ってくる車に気がつかなかったんだわ」ジョージィが大きな木のそばに車をとめ、わたしたちは車からおりた。
「ここよ」ジョージィは言った。「運転していた女性は、車をそこに残したままにしておかなきゃならなかった。そして、もう二度と乗ることはできなかった。車はあそこに放置されたまま、数週間経ってようやく撤去されたわ。ティムがここを通りかかる手前で、うちの前を通ったとき、父が大声で、あの子にスピードを落とせと言ったの。父はいつもうるさくそう言ってた」
「ティムは頭からあの木に突っ込んだの。ヘルメットなしでね。」ジョージィが言った。「救急車が来たときには、あの子の脳味噌はすっかり露出していたわ」
 (『同上』P222-P223 )



 本書を読んで書かれていることが作り話とはとうてい思えないが、臓器移植による「記憶転位」が起こりうるものとすれば、引用①は、死にゆく者が見た瞬間の映像を臓器移植を受けたクレアが「記憶転位」によって感じ取り語っていることになる。通常ではあり得ないことである。①は、事故の当事者の内からの映像であり、②は事故後の現場を目にした家族の語る外からの像である。外から現場を後から捉えたのはそうなのだろうが、①は「記憶転位」ということを現在の科学が明確に突きとめ得ていない段階だから、そうなのかもしれないと少し保留を含めて判断するしかない。つまり、現段階では、わたしちは死の場面(内面)をうかがい知ることはできない。だから、死にゆく者が見た瞬間の映像であると断定的には言えない気がする。

 先に、『JR上野駅公園口』の作品の終わりで主人公の「私」(語り手)が自死する場面の描写は、語り手は「私」の臨死体験を語っていることになり、そしてそれを言葉として書き留めているのは作者である、と書いた。このことを『記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記』の場面と対応させると次のようになる。上の交通事故の場面では、主人公の「私」に当たるのは交通事故死した青年ティムであり、普通は以下のことは不可能であるが、「記憶転位」によって臓器移植を受けたクレアが「語り手」として主人公の「私」の死の場面を感じ取り語ることになる。そうして、それを書き留めているのは「作者」のクレアである。わたしたちの現在の「主人公」「語り手」「作者」というものに対する捉え方からはそう見るほかない。


 ところで、アイヌの神話に「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴しずく降る降るまわりに』」(『アイヌ神謡集』知里幸惠編訳 青空文庫)がある。これは梟の神が一人称で語る話になっている。次のような出だしである。


「銀の滴降る降るまわりに,金の滴
降る降るまわりに.」という歌を私は歌いながら
流に沿って下り,人間の村の上を
通りながら下を眺めると
昔の貧乏人が今お金持になっていて,昔のお金持が
今の貧乏人になっている様です.
海辺に人間の子供たちがおもちゃの小弓に
おもちゃの小矢をもってあそんで居ります.



 この後、梟の神は、「今お金持になってる者の子供等」の金の小弓による金の小矢には当たらずに、貧しい家の子のただの粗末な弓矢に射られて「死ぬ」ようなのだが、その後も物語の最後まで梟の神は語り続ける。 その子の家に連れて行かれて、梟の神と受けとめられもてなされる。寝静まった真夜中に梟の神は、その貧乏で粗末な家を「神の宝物」でいっぱいにする。その後その家の者は近所の人々を招いて歌や踊りの酒宴を二三日催し、梟の神のもたらしたものを喜び分かち合う。そうして、「人間たちが仲の善いありさまを見て,私は安心をして」アイヌの村を去り神の国の自分の家に帰っていく。この梟の神も神々を招いて酒宴を催し、神様たちへ人間の村を訪問した時の その村の状況や出来事を詳しく話す。そうして、次のようにこの神話は終わる。


彼(か)のアイヌ村の方を見ると,
今はもう平穏で,人間たちは
みんな仲よく,彼のニシパが
村に頭になっています,
彼の子供は,今はもう,成人
して,妻ももち子も持って
父や母に孝行をしています,
何時でも何時でも,酒を造った時は
酒宴のはじめに,御幣やお酒を私に送ってよこします.
私も人間たちの後に坐して
何時でも
人間の国を守護(まも)っています.
  と,ふくろうの神様が物語りました.



 梟の神は、わたしたちの現在の世界では矢に射られて肉体的にも死ぬわけである。しかし、肉体は死んでも霊魂として神は生きつづけているということが人間の世界(アイヌ)で信じられていたから、梟の神は霊魂として生きていると見なされている。それゆえの梟の神の語りであろう。「私は私の体の耳と耳の間に坐って」いて、というふしぎな描写があり(これは霊魂になってしまった梟の神ということか)、そこからその子の家の者が寝静まった夜中にその子の家を「神の宝物」でいっぱいにするのである。熊を殺してその魂であるカムイを神々の世界に送り帰し自然からのまたの恵みを祈る祭りのイオマンテは熊ばかりではなさそうである。つまり、わたしたちの現在の感じ考え方からすれば、梟の神が射殺された後も「語り手」として語り続けるのはあり得ないこと、子どもの童話や荒唐無稽なことになる。しかし、熊や梟が神として感じ考えられていた世界では、十分に「語り手」として生きていると見なされていた。人々はそういう世界に生きていた。


付論10 作者と作品世界

 作者と作品世界


 大塚英志は、吉本さんとの対談『だいたいで、いいじゃない。』の対談相手として知っている程度であった。最近ツィターで見かけた。そこで戦争期の太宰治の作品について否定的に触れているツイートに二、三度出会ったことがある。最初は、太宰治の「女生徒」についてだった。以下の引用文にも同様のことが述べてある。青空文庫にある「女生徒」を読んでみて、大塚英志は作品の舞台中でのある場面における女生徒の発した言葉を作者の言葉と同一化しているのではないかという印象を持った。

 わたしの太宰治の作品に対する印象では、あからさまな戦争讃美や戦争協力的な作品は書いていないという思いがある。柳田国男とともに、太宰治も、割りといい戦争の潜り抜け方をしてきたようにわたしは捉えてきた。

 また、最近、大塚英志の、「ていねいな暮らし」の戦時下起源と「女文字」の男たち (http://www.webchikuma.jp/articles/-/2041 2020年5月22日更新、とある。)という文章に出会った。この文章は、「ぼくはコロナという戦時下・新体制がもたらした「新しい生活様式」や喜々として推奨される「ていねいな暮らし」に、吐き気さえ覚えるのである。」というモチーフから、戦時下の表現が現在のそれと照応しているのではないかという思いから追究されている文章である。ここで太宰治については、以下のように述べている。


 この地に足のつかぬ都会の少女なり女性たちが、新体制下、豹変していく様は、城が描き留めた例に留まらない。ぼくは、城の文体から太宰治の「女生徒」を連想する。そこではいうまでもなく、一人称の「私」のふわふわと漂う自意識が冗舌に語られる。それは現在形としても読み得る、自我のあり方だ。
 しかし注意して読むと、それは、ファシズムを待つ小説であることもぼくはくり返し書いてきた。またくり返すのは気が引けるが、やはり以下のくだりを引用せざるを得ない。これも考えてみれば、男による女文字だ。太宰の危うさもそこにある。

 それならば、もっと具体的に、ただ一言、右へ行け、左へ行け、と、ただ一言、権威を以て指で示してくれたほうが、どんなに有難いかわからない。(中略)こうしろ、ああしろ、と強い力で言いつけてくれたら、私たち、みんな、そのとおりにする。
(太宰治「女生徒」)

 ぼくはこの十年近く、ずっと今はファシズムを待つ戦時下だと語っては失笑されてきた。しかし、この世界が待っていたのは此のような「強い力」であったことは、やっと実感してもらえるだろう。
 言うまでもなく「女生徒」は日中戦争開戦後の1939年に書かれ、同名の単行本に収録されるが、1942年、つまり日米開戦の翌年、短編集『女性』に再録される。ぼくはこの短編集が「女生徒」の読まれる文脈を正確に示しているとずっと言ってきた。そこには「十二月八日」と題された短編が収録される。それが女生徒ではなく主婦のモノローグとして語られ、日米開戦当時の「わたし」の変容がこう描写される。

 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。
(太宰治「十二月八日」、太字筆者)

 ふわふわと地に足のつかない「わたし」が着地したのはどこであったかは明らかである。そこで主婦となった「わたし」は「昭和十六年の十二月八日」の「生活」を「ていねいに」書こうと決意するのだ。「ていねいな暮らし」の「ていねい」がここから始まったと強弁する気はないが、彼女が新体制下に「ていねいな」「生活」を発見した事だけは確かである。その彼女たちが担う「新体制生活」のフィクサーの一人が、女文字の花森安治であったのは既に見た。


 わたしたちは、他者に対していくつもの異なるイメージを持ち、描写することができる。ということは、自分も他者たちからいくつもの異なるイメージを抱かれているということになる。わたしたちは、割りと均質な社会に生きていて、その均質なイメージの影響下にあっても、わたしたち一人一人が異なる生い立ちを持っているから、他者に対してそれぞれの抱き放つイメージの根っこやイメージの織り上げ方が違ってきて、そういう事情になるのだと思われる。こうした事情は、ある作品を読んだ場合の印象が人それぞれだという事情と同型である。他者も作品も、さらに言えばあらゆる対象も、その人の固有の向きから眺められ、イメージを持つと言えそうである。

 大塚英志の作品の読みも、そのような彼固有の向きから眺められ、感じ取られたものである。ここで、わたしは、大塚英志の作品の読みがそれでいいのかというモチーフのみからこれを取り上げている。したがって、作者と作品世界の関わりが問題となる。

 まず、一般的に見て、ひとりの人間が(よおし作品を書くぞ)と「作者」に変身して、ある大雑把なモチーフを持って「作品世界」を作ろうとする。「作者」は現在を生きて呼吸しているから、もちろんそのモチーフには現在に対する作者の位置や判断が織り込まれている。作品の言葉を書き記していくのは「作者」であるが、「作者」が直接「作品世界」に登場するのではなく、「語り手」や「登場人物」を「作品世界」の内に派遣する。「作者」は「作品世界」のそでの部分、背後にいて「作品世界」の流れを眺めながら書き記していく。もちろん、書き進めながらモチーフの具体化で最初に抱いていたイメージに追加したり、修正したりしていく。そのことを具体的に実践するのは、「作品世界」の「語り手」や「登場人物」である。だからこの場合、作者のモチーフと任意の登場人物の言動を直ちに同一であると見なすことはできない。

 この短編「十二月八日」という「作品世界」に登場する主な者は、主人、主婦(妻)、園子(今年六月生れの女児)、主人のお友だちの伊馬さん、である。伊馬さんは、太宰治の知り合いの伊馬春部のようである。また、太宰治の長女は園子と言う名前で、年譜によると昭和十六年の六月生まれである。つまり、この作品中の設定は、作者太宰治の家族や知り合いが登場する場面であり、その家族などの実像を借りている私小説的な作品になっている。もちろん、場面の選択や作品としての構成には作者の表現的な配慮がなされている。具体的には、上の引用部にあるように主婦が日記をつける場面から作品世界は始まっている。

 作者の作品に込めたモチーフは、作品に登場するすべての人々の言動が関わっているが、一般に主人公がその多くを担っている。したがって、表現としても主人公の言動に意識のアクセントが置かれることになる。

 この作品では、作家太宰治の奥さんと思しき主婦が、主人公であり、同時に語り手になっているように見える。表舞台に立っているのは、確かにこの主婦である。作家である主人の言動は、その主婦によって語られるのみで、主婦の背後に陰の存在となっているからである。そうして、現実的にはどうだったかはわからないが、この主婦は、戦時下の戦争推進や戦争協力的な主婦として描かれている。たぶん、当時の大部分の大衆は、表向きとしては特にそうした意識を持っていたと思われる。作者太宰治は、そうした普通の人々の像を奥さんと思しき主婦や近隣の人々に見ていたと思う。

 語り手の主婦によって語られる主人の像は、戦争に対する非難がましいことを言うわけではないし、主婦のように積極的に戦争推進や協力の言動をするわけでもない。主婦から見たら、主人は少し変わったところのあるダメな人として描かれている。ここで、主婦= 語り手が、この作品の主人公であると断定すると、作者太宰治の意識のアクセントやモチーフが主婦の上に置かれていることになり、大塚英志が引用部で述べたような戦時下のそれを肯定するような作品になるだろう。わたしは、それは違うのではないかと思っている。太宰治は、そんな単純な構成の作品を書く人ではない。本文からいくつか抜き出して考察してみる。(以下の引用は、青空文庫、太宰治「十二月八日」より)


1.この百年後からの視線を意識した日記という想定には、作者の現在への微かな批評精神が働いている。また、表現の表舞台に立ち今から語っていく「主婦」は、背後の主人の批評によって相対化されている。また逆に、以下の2.や3.に見られるように主人も主婦の語りによって相対化されている。これらのことは作者のモチーフの実現のために、ずいぶん意識されたものだと思われる。


 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。なにせ紀元二千七百年を考慮にいれて書かなければならぬのだから、たいへんだ。でも、あんまり固くならない事にしよう。主人の批評に依れば、私の手紙やら日記やらの文章は、ただ真面目なばかりで、そうして感覚はひどく鈍いそうだ。センチメントというものが、まるで無いので、文章がちっとも美しくないそうだ。


2.このような「どうだっていいような事」を主人が考えたり、話したりしているのは、主婦の視線からは「馬鹿らしい」と否定されている。しかし、社会の中でも戦争色が強まる中で、それに心からは馴染めない、自分の抱えている人間の本質問題へのモチーフとは交差しないという思いが作者の中にはあったのだろう。わたしは実感としてわかるが、そういうときには、このようなどうでもいいように見えることを語るほかないのである。例えば現在で言えば、オリンピックに興味関心がゼロであるわたしが、もしオリンピックを語る、語らざるを得ない場面に遭遇したとしたら、以下のような主人と伊馬さんのような語りになるほかないのである。主人は、舞台の背後の存在として語られているが、これはまさしく主人、すなわち作者のこの社会の中で一段落ち込んだ場所を精神的にも生存の有り様としても生きているということと対応するような構成になっている。また、主人の有り様は以下の引用末尾あたりの主婦の言葉によって相対化されている。


 紀元二千七百年といえば、すぐに思い出す事がある。なんだか馬鹿らしくて、おかしい事だけれど、先日、主人のお友だちの伊馬さんが久し振りで遊びにいらっしゃって、その時、主人と客間で話合っているのを隣部屋で聞いて噴き出した。
「どうも、この、紀元二千七百年(しちひゃくねん)のお祭りの時には、二千七百年(ななひゃくねん)と言うか、あるいは二千七百年(しちひゃくねん)と言うか、心配なんだね、非常に気になるんだね。僕は煩悶しているのだ。君は、気にならんかね。」
 と伊馬さん。
「ううむ。」と主人は真面目に考えて、「そう言われると、非常に気になる。」
「そうだろう、」と伊馬さんも、ひどく真面目だ。「どうもね、ななひゃくねん、というらしいんだ。なんだか、そんな気がするんだ。だけど僕の希望をいうなら、しちひゃくねん、と言ってもらいたいんだね。どうも、ななひゃく、では困る。いやらしいじゃないか。電話の番号じゃあるまいし、ちゃんと正しい読みかたをしてもらいたいものだ。何とかして、その時は、しちひゃく、と言ってもらいたいのだがねえ。」
 と伊馬さんは本当に、心配そうな口調である。
「しかしまた、」主人は、ひどくもったい振って意見を述べる。「もう百年あとには、しちひゃくでもないし、ななひゃくでもないし、全く別な読みかたも出来ているかも知れない。たとえば、ぬぬひゃく、とでもいう――。」
 私は噴き出した。本当に馬鹿らしい。主人は、いつでも、こんな、どうだっていいような事を、まじめにお客さまと話合っているのです。センチメントのあるおかたは、ちがったものだ。私の主人は、小説を書いて生活しているのです。なまけてばかりいるので収入も心細く、その日暮しの有様です。どんなものを書いているのか、私は、主人の書いた小説は読まない事にしているので、想像もつきません。あまり上手でないようです。



3.主人の戦争に関する言葉が語られてはいるが、「よそゆきの言葉でお答えになった」という付帯条項がある。夫婦の会話なのによそゆきの言葉とは解せないという思いとともに、主婦が敏感に「よそゆきの言葉」と察知したのはわかるとして、そのことを語らざるを得なかったということが心にかかる。「よそゆきの言葉」は、以下の「主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならない」ということと対応している。つまり、主人の内心の有り様は、別様であるということを作者としては指示したかったのだろうと思われる。


 主人も今朝は、七時ごろに起きて、朝ごはんも早くすませて、それから直ぐにお仕事。今月は、こまかいお仕事が、たくさんあるらしい。朝ごはんの時、
「日本は、本当に大丈夫でしょうか。」
 と私が思わず言ったら、
「大丈夫だから、やったんじゃないか。かならず勝ちます。」
 と、よそゆきの言葉でお答えになった。主人の言う事は、いつも嘘ばかりで、ちっともあてにならないけれど、でも此のあらたまった言葉一つは、固く信じようと思った。



4.主婦の内心の地形図ともいうべきものが作者によって描写されている。社会の上層から下りてくる戦争の気配に感激を持って敏感に反応しつつ、一方では、社会の片隅の生活の小さな場面に喜びや安らぎを感じている。これはこの主婦に限らず戦時下の大衆の一般的な内心の地形図だったはずである。


 夕刊が来る。珍しく四ペエジだった。「帝国・米英に宣戦を布告す」という活字の大きいこと。だいたい、きょう聞いたラジオニュウスのとおりの事が書かれていた。でも、また、隅々まで読んで、感激をあらたにした。
 ひとりで夕飯をたべて、それから園子をおんぶして銭湯に行った。ああ、園子をお湯にいれるのが、私の生活で一ばん一ばん楽しい時だ。園子は、お湯が好きで、お湯にいれると、とてもおとなしい。お湯の中では、手足をちぢこめ、抱いている私の顔を、じっと見上げている。ちょっと、不安なような気もするのだろう。



 作者太宰治には、作品を構成する上で戦前の検閲ということもいくらか考慮されているのかもしれないが、それ以上に、太宰治は精神的にも生存としてもこの社会の落ち込んだ場所を生きる者であったということから、この「十二月八日」のような、百年後の世界からの視線や主人は舞台の背後に位置するというような表現の構成になったのではないか。だから、ほんとうの舞台、ほんとうの主人公は、表舞台に立つ主婦ではなく、舞台の背後にいる主人だと思う。

 主婦は、日々の生活を生きながらも、意識の一方では戦争にのめり込んでいる。主人はそうでもない。主人が、どうでもいいようなことにこだわっているのは、主題(戦時下)とはある程度無縁を生きているからではないか。そうして、主婦と主人、近隣の人々、それらの登場人物を眺める作者太宰治の心の有り様もまた、ほんとうの主人公である主人のそれと同様のものであったと言えるだろう。


付論11 白熱する〈語り手〉
  覚書2020.7.24―本を読んで気になったこと二つ


 多和田葉子の『献灯使』(2017.8.9 講談社文庫)を読んだ。作品そのものは、あんまりおもしろくなかった。作者は意識的にだろうが、何が起こったのかと読者が焦れったく不審に思うほど、大地震や汚染の描写が断片的であいまいにぼかしてある。その大災厄後の列島社会は、今までの生活様式が破壊され自由な行き来もできないようになり、廃墟の中の生活みたいな退行的な生活ぶりの描写に、そんなことはあり得ないだろうと思いながら読んだ。

 しかし、作品を読んでいて気になったことが二つある。一つは、

1.人間にはどのように時間は保存され、また発動するか。

 義郎は、玄関で靴を脱ごうとしてよろけて片手を白木の柱につき、木目を指頭に感じた。樹木の体内には年月が波紋になって残るが、自分の身体の中に時間は一体どんな風に保存されているのだろう。年輪になって波紋を広げていくこともなく、一直線上に並ぶこともなく、もしかしたら整理したことのない引き出しの中のように雑然とたまっているのではないか。そう思ったところで再びよろけて左足を床についた。
「どうもまだ片脚で立つ能力が不足しているな」
 と独り言を漏らすと、それを聞いて無名が目を細め、鼻を少し持ち上げて、
「曾(ひい)おじいちゃん、鶴になりたいの」
 と尋ねた。声を出した途端、風船のように揺れていた無名の首が背骨の延長線上にぴたっと定まり、眼もとには甘酸っぱい茶目っ気が宿った。
 (『献灯使』P11-P12 多和田葉子 講談社文庫 2017年8月)



 わたしが時々思い起こすこと。人間にはどのように時間は保存され、また発動するかということ。この場合の時間には、個の過去の時間と人類史の時間との二種類がある。そうして、それらは相互にどんな関係にあるのか。「樹木の体内には年月が波紋になって残るが、自分の身体の中に時間は一体どんな風に保存されているのだろう。」を読んでまた思い起こしてしまった。

 難しい問題であるが、わかっていることもある。日本社会が近代を上り詰めて、人々の中で旧来のものや感性や秩序との軋轢が深まってくると、古い時代が慰藉のように呼び寄せられる。それは先の戦争期に全社会的に開花したと言えるだろう。つまり、危機に陥ると太古の古い感性への退行が、個のレベルや社会的レベルで発動されることがあるということである。

 よくわからない点として、記憶として呼び寄せられるほかないように見える個の時間や人類史の太古からの時間が、わたしたちの内面に保存されているのは確かであるが、それは地層のように層を成して保存されているのか、それとも、現在のわたしたちの意識が呼び寄せるものに接続されて登場するのか。あるいはまた、記憶として呼び寄せられる他に、時間の旧と新とがわたしたちの心身にシームレスに接合されて存在しているのか、今のところよくわからないとしか言いようがない。

 これに関わることに今日ひとつであったので付け加えておく。


今日は、その後、J-waveのラジオにリモート出演をするので、一度、チェックをした。出演が午後3時で普段であればアトリエにいる時間なので、その前にパステルの絵を描こうと思って、早めにアトリエへ。やはり日課が一番大事である。イレギュラーなことが起きる時は、最初に日課を早めにやっておく。そうすることで、揺れ動きやすい精神が、ある程度おさまってくれる。ラジオ出演するくらい、別に気にすることじゃないだろうとも思うが、でも、その大小の問題ではなくて、揺れ動くということ自体に対して、まだ警戒心がないわけではないということなんだろう。別に気にしなければいい。はっきりいうと、日課なんてなくてもいい。小学生の僕はそう言う。なるほど、次はそういう状態を目指してもいいかもしれない。もう何にも気にせずにその瞬間瞬間にやりたいと思ったことをそのままやる方法に。まだまだ先は長いと思うが、それもまた面白そうだ。でも、今はまだ修行の身、精神状態は今までにないくらい相当安定しているが、用心はしておこうということで、僕はやっぱり日課である絵を描くことをはじめた。なんといっても、絵を描きたいからだ。
 (坂口恭平「土になる」第2部(14) 2020/07/24 )
 ※現在、ネットの「note」に毎日連載中。



 「やはり日課が一番大事である。イレギュラーなことが起きる時は、最初に日課を早めにやっておく。そうすることで、揺れ動きやすい精神が、ある程度おさまってくれる。」という判断と行動は、〈僕〉の現在的な判断と行動である。「ラジオ出演するくらい、別に気にすることじゃないだろうとも思う」は、その判断や行動に対する内省である。しかし、その次の「はっきりいうと、日課なんてなくてもいい。小学生の僕はそう言う。」は、「小学生の僕」がなければ、現在の判断や行動に対する内省と区別が付かない。この「小学生の僕」というのは、小学生頃の自分の判断や行動を指している。つまり、現在の〈僕〉の中には、「小学生の僕」が何らかの形で存在していることが示唆されている。


 二つ目は、作者・語り手・登場人物に関係することである。

2.〈語り手〉が、主な登場人物の〈義郎〉や〈無名〉と同化したような描写が心に懸かった。
 〈語り手〉は、上に引用した「1.」の部分のように、登場人物の外面を描写したり内面に入り込んでその内面を語る(説明する)ことは一般によくあるが、それとは少し違うようなのだ。

 遙か太古においては、作者・語り手(巫女やシャーマン)が、自分たちに恵みとともに猛威ももたらす〈大いなる自然〉=〈神〉の内心を推しはかったり、〈大いなる自然〉=〈神〉をなだめたりしたこと、そのことを語る宗教性が、〈物語〉の原型であった。もちろん、芸術としての〈物語〉は、そのような宗教性を原型としながらも、その宗教性からの飛躍と切断によって獲得された表現である。作者・語り手(巫女やシャーマン)は、物語の世界に登場する〈大いなる自然〉=〈神〉に近づいたり、その思ったり語ったりする言葉を聞いたり、推しはかったりすることはできる。したがってこの〈物語〉は起源としては、〈語り手〉(巫女やシャーマン)は、〈登場人物〉たちと同じ物語の世界に存在するといっても、互いに同一化するには余りに隔てられ過ぎた存在の関係になっている。ただし、イタコが当事者に乗り移るように、〈語り手〉(巫女やシャーマン)のイメージや意識の中での跳躍によっては同一化は可能である。すなわち、〈語り手〉(巫女やシャーマン)は後景に退いて、あるいは溶け合って、神本人になりきって語ることもあり得るように見える。これは、〈語り手〉(巫女やシャーマン)のイメージや意識の中での跳躍によって同一化をくり返してきた経験の中から獲得されたものであろう。アイヌの物語には、そのような神自身が一人称で語る物語がある。それは例えば、『アイヌ神謡集』の「シマフクロウ神が自らをうたった謡」などに見ることができる。(『アイヌ神謡集』知里幸惠編訳 青空文庫)


 義郎の朝には心配事の種がぎっしりつまっているが、無名にとって朝はめぐりくる度にみずみずしく楽しかった。無名は今、衣服と呼ばれる妖怪たちと格闘している。★★布地は意地悪ではないけれど、簡単にこちらの思うようにはならず、もんだり伸ばしたり折ったりして苦労しているうちに、脳味噌の中で橙色と青色と銀色の紙がきらきら光り始める。寝間着を脱ごうと思うのだけれど、脚が二本あってどちらから脱ごうかどうしようかと考えているうちに、蛸のことを思い出す。もしかしたら自分の脚も実は八本あって、それが四本ずつ束ねて縛られているから二本に見えるのかもしれない。だから右に動かそうとすると同時に左とか上とかにも動かしたくなる。蛸は身体に入り込んでしまっている。蛸、出て来い。思い切って脱いでしまった。まさか脚を脱いでしまったわけじゃないだろうな。いや、ちゃんと寝間着を脱いだようだ。さて脱ぐものを脱いだのはいいけれど、今度は通学用のズボンをはく必要がある。布が丘になっていて、その丘を突き抜けてトンネルが走っている。脚は列車だ。トンネルを走り抜けようとしている。またいつか明治維新博物館へ行って、蒸気機関車の模型で遊びたいな。トンネルは二本あるから、一本は上り列車が入っていく口で、もう一本は下り列車が出て来る口。であるはずなのに、右足を入れても左が出てこない。かまうもんか。肌色の蒸気機関車がトンネルに入っていく。しゅ、しゅ、ぽ、ぽお。★★
「無名、着替えはできたのか。」
 曾おじいちゃんの声を聴くと、蛸はあわてて靴下の中に隠れ、蒸気機関車は車庫に滑り込んで、無名だけがその場にとり残された。着替えというたった一つの仕事さえまだできていない。
「僕はダメ男だなあ」
 と無名がしみじみ言うと、義郎が吹き出して、
「いいから早く着なさい。ほら、」
 と言いながら、しゃがんで通学用のズボンを両手で持ち上げてみせた。
 (『献灯使』P112-P114 多和田葉子 講談社文庫 2017年8月)


 この〈語り手〉が登場人物の〈無名〉と同化したような描写が、★★印を付けた部分に見られる。ここには上げないが登場人物の〈義郎〉に対しても同様なことが行われている。これは作者の意識的な描写だろうと思う。引用の出だしから二行目の★★印を入れたところまでは、〈語り手〉による普通の語り(描写)になっている。〈語り手〉は、〈登場人物〉義郎や無名の内面に入り込んだり推しはかったりして語っている。ところが、それ以降は〈語り手〉は、〈無名〉と同化して〈語り手〉=〈無名〉と化している。ちょうど巫女さんが神に乗り移ったような状況になっている。したがって、これはこれであり得るかなと思うが、ほとんどなじみがなかったので異和感を持った。

 物語の世界で日頃見かけないこの〈語り手〉の振る舞いはどういう事態なんだろうか。人がどういう生まれ育ちをしたかが、その後の生涯を大きく規定するように、物語の起源はの有り様は、その後の物語を規定する。起源の有り様を振り切って物語が自由に表現されることはない。例えば、芥川龍之介は、「羅生門」でもそうだが、〈作者〉を物語世界の中に登場させたことがある。読者としては、虚構の物語世界に入り込んでなじみかけているのに、急な作者の登場でシームレスな物語世界との接続に水を掛けられたような気分になったことがある。このような恣意的な自由の行使が、神的な世界、今風に言えば仮想の世界という物語の起源性の有り様にそぐわなければ、そのような表現に永続性はない。

 以前、作者・語り手・登場人物について遙か太古の起源から考えたことがある。ここでもまた、太古からの宗教性の世界、そこからの飛躍・断絶した物語の世界ということをおさらいして、この問題を考えている。なぜならば、起源の有り様は現在を深く規定しているからである。

 芸術としての〈物語〉にまで飛躍したその源流の太古の宗教的な段階を想像してみる。
 〈巫女〉のような〈物語り〉の専門家が登場すると、〈語り手〉(巫女)は、何を考えているのかよくわからない、人間より優位に立つ至高の〈登場人物〉(大いなる自然、神)と対話、交渉し、その神意を聞き取ったり、人間の願い(意志)を神に伝えたりする存在であった。この場合、〈語り手〉(巫女)は、神的な世界、今風に言えば仮想の世界、その世界内の存在であり、至高の〈登場人物〉(大いなる自然、神)と向き合っている。

 〈語り手〉(巫女)の有り様にはもうひとつある。〈語り手〉(巫女)は、自分が神的な世界(仮想の世界)で体験したことを〈聴衆〉(読者)に物語る存在でもある。ここから、〈語り手〉(巫女)が〈聴衆〉(読者)に向って物語る有り様には二つ考えられる。ひとつは、〈語り手〉(巫女)が至高の〈登場人物〉の有り様を三人称として語ることである。もうひとつは、イタコが当事者に乗り移るように、〈語り手〉(巫女)が心的な跳躍によって至高の〈登場人物〉になりきって語ることである。

 これらは、宗教的な段階の表現の有り様であるが、この原型から〈語り物〉や書き言葉の〈物語〉へと転位していった場合、前者は三人称の物語へ、後者は〈わたし〉の一人称の物語へとつながっていったように見える。宗教性では、〈語り手〉(巫女)と至高の〈登場人物〉(大いなる自然、神)との対話、交渉の場面があり、次に、それを〈聴衆〉(読者)に物語るという二重の場面がある。そこから芸術にまで飛躍した〈物語〉では、〈作者〉(〈語り手〉)のモチーフに従って〈語り手〉が語ることによって登場人物たちが駆動され物語がうねり出す。それが、〈聴衆〉(読者)の前に登場することになる。

 近代以降の個が先鋭化して社会の舞台に登場し始めた段階では、何を考えているのかよくわからない神と同様に人間の他者(登場人物)も何を考えているのかよくわからないが、〈語り手〉は太古の神の時と同様に〈登場人物〉を外から観察したり、心の内をのぞいたりして語っていく。三人称の物語である。また、何を考えているのかよくわからない神の一人称語りに対応するのは、同様に自分自身というものがよくわからない〈わたし〉の一人称物語である。

 というわけで、ここで取り上げた2.の〈語り手〉が登場人物と同化したような描写は、イタコが当事者に乗り移るように、〈語り手〉が心的な跳躍によって至高の〈登場人物〉になりきって語るということで、起源的にもあり得ることである。ただし、この作品は、三人称の物語が基調になっているから、この場面では〈語り手〉が白熱して思わず〈登場人物〉になりきって語ってしまったと見なすほかないだろうと思う。

 最後に、遠い将来には、文字で書かれ読まれるという物語が 変貌して、作者・語り手・登場人物が融合し、ホログラフィーのようなイメージ流の物語になってしまっても、物語の世界を流れるイメージ流の振る舞い(語り手・登場人物)として、その物語の起源との同型性は保存されると思われる。


付論12 語り手のこと

 作品(物語)を読むということ ―作品の入り口で 付論12 語り手のこと


 この本、『七面鳥 山、父、子、山』の作者には、NHKEテレの『お伝と伝じろう』という番組で初めて出会った。子ども番組の中のそのサイケデリックな衣装などのイメージは強烈だった。最近では、『仮面ライダーセイバー』に語り手(語り手を逸脱して物語世界にも足を入れている感じもある)として登場している。この作品は、自伝的な初めての作品らしいが、サイケデリックなイメージとは違った普通の物語世界である。

 この作品の章立て(構成)は、目次によると、「四歳」、「九歳」、「十九歳」、「三十八歳」となっている。主人公は、作者の体験が投影されていると思われる「ぼく」であり、これが「語り手」でもある。ということは、「ぼく」の成長に合わせて「語り手」も成長していることになる。作品を読み進みながら思ったのは、四歳や九歳の「ぼく」が「語り手」になるのは無理があるのではないかということである。主人公を彼やその名前で呼ぶ三人称とする「語り手」を設定すればそのような困難は避けられるだろう。ではなぜ、そのような主人公の「ぼく」を「語り手」として設定したのだろうか。たぶん、作者の自伝的な作品という性格もあり、主人公を三人称として客観的に描写するのではなく、作者の体験に基づいた実感を、実感の言葉を大事にしたかったからであろうと思われる。「語り手」の様子を見てみよう。ちなみに、以下の引用に出てくる「フミヤアキ」(P14 本名は「文明」)は、「ぼく」の父親であり、「チャコさん」(P56 本名は「知佐子」)は母親である。


引用①

 町のいたるところにトラックの荷台からこぼれた正方形の小片が落ちていて、道路の端っこは、マツ
やスギやヒノキの匂いが漂っている。
「さあ、早う」
 フミヤアキが先導して、ゆりの後ろに下りる近道を行く。細くて急勾配だが、丸太の段が作られていてすべりにくくなっている。行き先はいつも通り、スナックわき見である。
「わき見じゃと」
「一番わしらがやっちゃいけん行為よ」
「免停になるよ」
「わき見はダメじゃろ」
「ダメ」
「わき見って!」
「いや、ダメじゃろ、わき見」
 山道を下りながら、四人の大人とぼくは声を出して笑い合った。
 わき見は、ゆりから三軒ほど南の、駅と反対に進んだT字路にある。
 わき見ママは背が高く、パーマと脱色をくり返したせいでキューティクルのない髪を後ろにたばねていて、声がハスキーで歌がうまい。目とまゆ毛が同じ細さで、つり上がっている。近づくと、個別包装のレモンティー飴のような匂いがする。・・・中略・・・
 開店と同時に入店する。
「ぼうやは、いつもの席」
 ママはイントネーションがいかにも東京帰りの、なまりのない言葉をボソボソしゃべる。
 言われた通りに、ぼくは一番奥の壁ぎわのカウンター席に座った。
 (『七面鳥 山、父、子、山』P22-P23 レ・ロマネスク TOBI 2021年3月)


引用②
 
「じゃあ、軽に乗ってる人は小柄な女性がタイプってこと?」
「そういうことよ。わしもチャコさんのことは愛しとるけど、体重が一〇〇キロある女を一回抱いてみたい」
 聞いてはいけない話だとぼんやり感じながら、ぼくは目を閉じる。明日も保育園があるから早く寝なくては。
「フミヤアキちゃん、あの、断崖から落ちて炎をよけながら川に飛び込んだ話ししてや」
 ヒートアップしたオーシャンの声が遠のいていく。
 寝返りを打って目を覚ますと、カウンターに知らないお客さんが一人伏せて寝ていた。店内に時計はない。十二時を過ぎたあたりだろう。
 デコトラチームはテーブルに移ってきていて、おとなしいヒラちゃんが珍しく酔ってしゃべっている。けいくんはその横で口を開けて寝ている。
 (『同上』P26-P27)


引用③

 ついに十月十五日、これに勝利すれば優勝が確定するという巨人戦が、午後二時に後楽園球場で始まった。保育園でも、先生も園児も朝からその話で持ちきりだ。
 昼寝から目が覚めると、どこかから「かっ飛ばせー」の声援が聞こえる。試合が始まった。
 三時半のおやつを食べているときも歓声が聞こえていた。園児も一様にソワソワしていて、降園もみんな早足だ。
 近隣の民家から「うぉー」「うぉー」と泣き叫ぶような断続的な雄叫びが聞こえてきた。
 とうとう悲願のリーグ優勝を果たしたのだ。
 わき見のT字路を左に曲がると、店の前に黒山の人だかりが見える。ぼくは昼寝のおねしょで汚れたズボンとパンツを、ゆりの二階にいったん置いてから見に行くことにした。
 ゆりの入口には臨時休業の貼り紙がしてある。
 (『同上』P40-P41)



 四歳の「ぼく」=「語り手」というこは、①の「ぼうやは、いつもの席」、②の「聞いてはいけない話だとぼんやり感じながら」、③の「三時半のおやつを食べているとき」や「ぼくは昼寝のおねしょで汚れたズボンとパンツ」などに表れている。しかし、どこでもいいのだが、全体が「語り手」を物語世界に派遣した作者によって整序されすぎているように見える。つまり、現在の年齢の作者のものごとの了解の仕方が四歳の「ぼく」=「語り手」に入り込んでいる。例えば、

①の「わき見は、ゆりから三軒ほど南の、駅と反対に進んだT字路にある。」や「わき見ママは背が高く、パーマと脱色をくり返したせいでキューティクルのない髪を後ろにたばねていて、声がハスキーで歌がうまい。」など。

②の「ヒートアップしたオーシャンの声が遠のいていく。」

③の「これに勝利すれば優勝が確定するという巨人戦が、午後二時に後楽園球場で始まった。」

 全体的に言えるのだが、わかりやすい表現を取りだしてみた。こういう表現は、あきらかに四歳の「ぼく」=「語り手」のものではない。物語世界には、そでに控える「作者」と舞台上の「語り手」と「登場人物」しかいない。登場人物と語り手は物語世界で次元の違うところに存在しているから、四歳の「語り手」を四歳らしからぬ読者にわかりやすい語りをさせているのは、「作者」というほかない。読者であるわたしたちは、作品を読み進めながら四歳はこういう語りはしないよなあとちらりと思いがかすめたりしても、あんまり深追いすることもなく物語世界の決め事や有り様に次第になじんでいく。しかし、そのようなちぐはぐさは物語世界の迫真さをいくらか削いでしまうような気がする。なぜなら、「語り手」は、登場人物たちを外から内から描写しながら、自らの力で物語世界を開示し、牽引しなくてはならないからである。

 それでは、今までに何度も問いかけてきたが、現在的な「語り手」とは何か。
 ひとつの物語の舞台に、登場人物たちを呼び込み、外から描写したり、それぞれに語らせたり、行動させたりしながら、ある関係的な世界の迫真さ浮上させることである。そうして、その「語り手」の背後には、「作者」の作品に込めたモチーフがある。つまり、「語り手」は、「作者」のモチーフに沿って行動していくのである。

 もうひとつ、この作品を読みながら考えたことがある。引用②で、四歳の「ぼく」=「語り手」は、スナックわき見にいて、途中から寝入ってしまう。


「フミヤアキちゃん、あの、断崖から落ちて炎をよけながら川に飛び込んだ話ししてや」
 ヒートアップしたオーシャンの声が遠のいていく。
 寝返りを打って目を覚ますと、カウンターに知らないお客さんが一人伏せて寝ていた。店内に時計はない。十二時を過ぎたあたりだろう。



 この四歳の「ぼく」が眠っていた時間にも、他の登場人物たちはなんらかの行動をしながら物語世界を生きていたはずである。しかし、四歳の「ぼく」=「語り手」であるから、語り手は眠ってしまっていることになり、その間のことは描写されないことになる。これを敷衍すると、ひとつの物語世界には、「語り手」も知らない登場人物たちの時間があるということになりそうである。これは、物語を起源的に見れば、はじまりの登場人物は「神」(大いなる自然)であり、それが人間界に写像されると登場人物は「貴人」となり、物語の語り手はそれらとは隔絶した普通に近い人であるから、語り手は、容易にはわかり得ないと思われる登場人物の「神」や「貴人」をわかろうと必死に語り描写することになる。こうした物語の起源性から、「語り手」と「登場人物」の位相の違いはきているはずである。したがって、物語世界は作者に制御されてしまった世界というよりも、作者のモチーフは貫徹されながらも、作者も含めていろんな無意識的なものや開かれていないものたちが存在している世界とみた方がよさそうである。


(追記)

 引用①の父親たちの冗談について

 「行き先はいつも通り、スナックわき見である。」とあるから、これは初めてスナックわき見を訪れるわけではなく、この冗談のやり取りは、半ば以上読者に対する表現(もてなし、サービス)であり通俗的ではあるが、ぼくの父親やその仲間たちがどこにでもいそうなありふれた人間たちであることをも指示している。
 ところで、「わき見じゃと」は、何を受けた言葉か?その直前の語り手の「行き先はいつも通り、スナックわき見である。」を受けているはずはないから、これもまたその前に「わき見」に関わる言葉が登場人物の誰かによって話されていたということであり、その場面が語られることなく省略されているということになる。


付論13 語り手のこと 2

 作品(物語)を読むということ ―作品の入り口で 付論13 語り手のこと 2


 今までは、作者、語り手、登場人物ということを物語作品の世界内で考えてきた。物語は、語られなければその世界は姿を現さない。すなわち、物語は〈語り手〉を必須のものとしている。劇(ドラマ)では、登場人物たち自身が自ら語り行動するから、〈語り手〉は必須ではない。ただし、劇(ドラマ)でも、部分的にナレーションが入ることがある。これは、作者(制作者)が登場人物や場面の現在に至る複雑な事情をどうしても説明しておきたいという場合に用いられるようだ。あるいは単に物語時代の名残として語り手のようなものを登場させている場合もあるのかもしれない。

 NHKの旅番組『世界ふれあい街歩き』は、物語ではないが観る者に仮想の旅を実感させるような番組である。番組は、当然映像を持ち帰って編集されナレーションが振り付けられてできているのだろうが、カメラがゆったりした人の歩く速さで進んだ光景が展開され、途中出会った人と話を交わしたりもする。これにもおそらく実際の旅には同行していないナレーターが付いて、現地でつぶやいたり人々と実際に言葉を交わしているような構成になっている。この番組は、単なるノンフィクションの映像でもなく、もちろんフィクションそのものの映像でもない、両者にまたがる領域のしかもノンフィクションの領域に近い映像の作品と言えるだろう。すなわち、淡い物語性が付加されているノンフィクションの映像の作品である。もし、この作品にナレーションがなければ、人の声がしたり人やネコや車などが行き来しているにぎわいの街中を、人が黙って旅している映像になる。映像の作品として生き生きとした生命性や淡い物語性も立ち上がっては来ないような気がする。それを近い形で実感するには番組を観るとき音を消してみればよい。一般に、劇(ドラマ)は〈語り手〉は必須としないが、この作品の場合は〈語り手〉のナレーションは必須に見える。


 吉本さんは、詩的言語帯や物語的言語帯とも位相を異にする劇的言語帯を設定して、次のように述べている。


 劇の発生は、すでにふれたように、芸術そのものの発生と同時に、太古にさかのぼってかんがえられるものだ。 しかし書き言葉としての劇、あるいは書き言葉としての戯曲(的なもの)をもとにした演劇の成立は、世界中どこでも、詩の時代と散文(物語)の時代のあとにやってきている。劇そのものが、歌曲と舞踊とをどれだけひき連れているかに幻惑されるひつようはなく、このことは、劇の特質をあかすのに役立つものといえる。詩の表出としていちばん高度な抒情詩では、人間のこころのうちの世界のうごきをえがくことができるようになった。物語の表出では、複数の登場人物の関係と動きを語ることができるようになった。劇においては、登場人物の関係と動きは語られるのではなく、あたかもみずから語り、みずから動き、みずから関係することができるかのような言語の表出ができるようになった。
 物語でも、登場人物たちはある場面で会話をかわすが、それは会話をかわすことが語られるという仮構を意味している。劇では登場人物みずからが語り、それによってみずから関係するという仮構になっている。
 劇について、おおくの駄弁をひとびとにゆるすことにしよう。この世はにぎやかなほどよいばあいもあり、にぎやかなほど孤独なばあいがある。わたしは劇を、言語としての劇のうえにたって演じられる劇にいたる総体性とかんがえるから、あらゆる劇的なものの根柢に、言語としての劇があり、それはたんに、戯曲とか脚本とかいう以上の内向する意味をこめて、劇の総体を支配しているという見地にたつことにする。そこで、第4図のような劇的言語帯の成立が、本稿にいままでつきあってきたひとびとには、たやすく想定できるはずだ。
 図表をみなれないひとのために、言葉をかえれば、言語としての劇は、そこにふくまれている説話性と日記物語性を、舞台、採物(道具)、歌舞、道行、地その他に抽出したあたらしい言語帯の成立を意味している。
 (『定本 言語にとって美とはなにか Ⅱ』 P120-P121 角川選書)
 ※第Ⅲ部 劇 第Ⅰ篇 成立論 1 劇的言語帯 より
 ※第4図は、略。



 引用の初めの方に、「詩の表出としていちばん高度な抒情詩では、人間のこころのうちの世界のうごきをえがくことができるようになった。物語の表出では、複数の登場人物の関係と動きを語ることができるようになった。劇においては、登場人物の関係と動きは語られるのではなく、あたかもみずから語り、みずから動き、みずから関係することができるかのような言語の表出ができるようになった。」と、詩と物語と劇の本質がわかりやすく述べられている。ここから、新たな劇という言語の帯域に形作られる劇の世界の構造が明らかにされていく。

 詩の世界では作者と見なしてよい〈わたし〉が世界を開き語り、物語の世界では作者が派遣した〈語り手〉が〈登場人物〉たちの言葉や振る舞いを語ることによって物語世界を開き展開させていく。そうして、劇の世界では登場人物たち自らが語り、動き、関係し合うようになった。この〈語り〉(〈語り手〉)の推移は、この世界でのものごとの推移と同質のものだ。

 例えば、明治期の漱石の作品には部屋の電灯の描写がある。それ以前の部屋の明かりは、柳田国男の「火の昔」に詳しいが、火を焚いたりロウソクのようなものを使っていた。誰かが絶えず火の管理を心がけなくてはならなかった。漱石の頃からは、ただ電灯のスイッチを入れたり切ったりすればよくなった。もちろん、火やロウソク→電灯と変位しても部屋の照明という点では連続している。また、管理という点でもずいぶん軽減されても連続している。詩も物語も劇(ドラマ)も、〈語り〉(〈語り手〉)の有り様が推移して、〈語り手〉が不在になったり消失してしまったように見えるが、いずれにおいてもある仮想の世界を開くという点の〈語り〉は必須のものであり、〈語り〉においては連続している。表現の世界の構成の有り様においては変位を遂げてきていても、ある表現的世界を語るという点では連続性を持っているのである。

 詩から見ると、物語では〈語り手〉なるものが登場してきた。物語から見ると、劇(ドラマ)では〈語り手〉が消失してしまった。そんなふうにも見えるかもしれない。しかし、前者では新たな役割を担って新たな物語という世界を開くために〈語り手〉が登場したのであり、後者ではさらに新たな劇(ドラマ)的世界を開くために、〈語り手〉は〈登場人物〉たちの地平に下り立ち彼らに内在化されたのである。


 付論14 語り手のこと 3

 作品(物語)を読むということ ―作品の入り口で 付論14 語り手のこと 3


(事情があって宍野六之丞(ししの ろくのじょう)という偽名を使っている、武者修行中の坂崎空也についての語り手の表現)

1.
「いや、しっかりと稽古を積んだ五体と見た。それがしの一存で道場に上がってもらえ。平櫛氏と遠山師範にはあとでそれがしが許しを乞うでな」
「は、はい」
 と峰村(引用者註.峰村正巳)が返事をして空也は、いや、宍野六之丞は新陰柳生当流平櫛道場に上がった。
 道場では七、八十人の稽古着の門弟が稽古をしていた。ほぼ大半が毛利家家臣と空也には思えた。
 (佐伯泰英『空也十番勝負―風に訊け』P88)



2.
「いつなりともおいでなされ」
 誘いの声に乗って五人のうち、左右の端のふたりが一気に間合いを詰めてきた。
 正巳は、最初斬り合いになるなど考えてもいなかった。なんとなくだが、六之丞が斬り合いになるように仕掛けていると思った。
 それに乗ったふたりが死地を超えて突っ込んできた。
 引き付けるだけ引き付けた空也の下段の木刀が左に、次の瞬間、右に躍(おど)ってふたりが叫び声を上げ、倒れ込んだ。
 残りの三人が動く前、空也が相手方へと踏み込んだとき、六之丞がどう木刀を振るったのか正巳には見えなかった。
 一瞬の後、五人とも松林に倒れ込んでいた。
「ろ、六之丞さん」
 と空也が眼の前で展開した戦いが正巳には理解がつかず、呼びかけた。
「正巳さん、大丈夫です。手加減していますから、骨は折れておりますまい」
 (『同上』P129-P130)


 坂崎空也は自分の名前は「宍野六之丞」と峰村正巳に紹介しているから、2.の峰村正巳は、六之丞と認識し「六之丞さん」と呼びかけている。現実世界でのわたしたち同様に、登場人物たちはこの物語世界の一部を生きていて、親しい間柄にあっても他の登場人物のことを知り尽くしているとは限らない。

 ところが、語り手は登場人物たちとは違った位相にある。語り手の具体性から言えば、ある登場人物には十分慣れているが、別の登場人物たちにはまだよく慣れていないとかあり得るだろう。1.の「空也は、いや、宍野六之丞は新陰柳生当流平櫛道場に上がった。」という名前を言いかえた語り手の表現は、何を意味するのだろうか。主人公の空也に長らく付き従ってきている、あるいは空也の心の内にも何度も出入りしてなじんできている語り手という場所から言えば、「空也」と呼ぶはずであるが、この物語世界の要請によって空也は今「宍野六之丞」という偽名で通しているのだから、語り手もこの物語世界の要請に従って「六之丞」と呼び直したのである。登場人物に限らず語り手も背後にある何ものか、すなわち物語世界の要請を振り切ることはできない。

 同じ2.の「残りの三人が動く前、空也が相手方へと踏み込んだとき、六之丞がどう木刀を振るったのか正巳には見えなかった。」という表現では、前半の「空也」では語り手は「宍野六之丞」ではない主人公空也という視線で受け止めている。一方、後半の「宍野六之丞」では正巳が彼を六之丞と見なしていることに添って語り手は描写している。いずれもこの物語世界の規制された流れに語り手も添っているのである。


3.
 開いている扉から風が入ってくる。その風の匂いを全身に受けて、アイシャは思わず立ち止まった。
「止まるな」
 強い口調で言われ、縄をぐいっと引かれて、アイシャは歩き始めた。
 扉の外に出たとたん、圧倒的な光に包まれた。
「・・・・・・!」
 生まれて初めて見る風景が目の前に広がっていた。視界の彼方まで、青い水面が広がり、水面がめくれるようにして、こちららへ打ち寄せてくる。
(・・・・・・波?)
 波であることはわかるが、水面がうねって盛り上がり、打ち寄せてくるさまは、湖などで見たことがある波とは比べものにならぬ力を感じさせる、一種異様な光景だった。
「こ、これは何ですか」
 アイシャは思わず、オラムに尋ねた。オラムは驚いてアイシャを見た。
「これ、とは?」
「この目の前にあるものです」
 ああ、とオラムが言った。
「そうか。まだ見たことがなかったか。これは海だ」
「海・・・・・・!」
 言われてみれば、そうなのか、と思えたが、こういうものだとしか聞いたことがなかった海というものを初めて自分の目で見た衝撃は大きかった。
 (上橋菜穂子『香君 上』P427-P428 文藝春秋 2022.3.25)


4.
 ふたりはうなずき合い、崖を離れ、シダラ栽培地を目指して歩き始めた。
 シダラ栽培地に向かうには、往きに通った道とは別の道を辿らねばならないが、マシュウは迷う様子もなく山を下って行く。往きに祈祷者の若者に道案内を頼んだのは〈祈りの岸辺〉に向かうときの礼儀のようなもので、実際には、道案内は必要なかったのだろう。
 シダラ栽培地に着いたのは、正午にもならぬ頃だった。
 (上橋菜穂子『香君 下』P164)


 3.は、人並み以上の匂いに対する感受性とそこからの判断力を持つ主人公のアイシャ、湖は見知っていたが海というものを初めて見たアイシャの驚きが語られている。わたしたちも、例えば海を初めて見た経験を持ったはずであるし、これに似た驚きの感情を持ったことがあるかもしれない。語り手は、「こういうものだとしか聞いたことがなかった海というものを初めて自分の目で見た衝撃」の渦中にあるアイシャの内面の有り様に付き従いながら語っている。しかし、作者に物語世界へと派遣された語り手は海というものを見知っているのだろうと思う。海というもの、その様々な光景を知っていて「海」が普通の自然なものとなっているオラム同様の語り手であると思われるが、語り手は海というものを初めて目にしたアイシャの驚きに忠実に添って語っている。



 4.は、マシュウという登場人物が道案内を頼んだことについて、「道案内は必要なかったのだろう。」とある判断を下している。このことは、語り手がマシュウという登場人物について知り尽くしてはいないということを意味している。これは物語の起源としてみれば、語り手(巫女、あるいはシャーマン)は登場する神の神意を推し量ることは出来ても知り尽くしてはいないということ、言いかえればこの世界の創造者ではないということと同型である。もちろん、アイヌの神が一人称で語る物語もあるように、語り手(巫女)が神と同化して神として語るという物語もありうる。いずれにしても、物語の起源は、人間が被造物のように存在している、あるいは人間が存在を許されているこの世界との対話 ― 人が生きる意味や世界(大いなる自然、神)への願望(理想のイメージ)を巡って ― にあったものと思われる。このような物語の本質は、遙か現在の上橋菜穂子『香君』にも貫かれている。そうして、起源としての語り手の振る舞いも現在に保存されている。


付論15 物語とドラマの作者・語り手・登場人物について

 作品を読むということ ―作品の入り口で
       付論15 物語とドラマの作者・語り手・登場人物について



 今回取り上げることは、作品のどこについても言えることだからどこを引用してもかまわないのだが、読み終えたこの作品の末尾から引用して考えてみる。


 嵯峨清滝の山寺で通夜と弔いを施主として務めた空也は、京へと下ってきて四条大橋の西詰めに足を止めたのだ。
 名無しの武芸者との勝負が武者修行の最後の戦いなのか、と空也は考えながら、橋を渡って祇園感神院へと足を向けた。
(霧子姉ならば姥捨の郷で空也を必ずや待っていてくれる)
 と考えながら、
(このままでは修行は終われない)
 と空也は思った。
 (『空也十番勝負(八) ― 名乗らじ』 佐伯 泰英 文春文庫 2022.9.10)


 この作品の副題が「名乗(なの)らじ」となっているのは何を指しているのだろうと、作品世界に入っていく前にわたしはちらっと考えた。もちろん、考えてもわかりそうになかった。わたしたち読者は、おそらくこの作品の終わり辺りで主人公の空也が武芸者と勝負する場面までそのことを知らないままだろう。空也に戦いを挑んだ武芸者が空也に問われても名乗らなかったという事情に拠っている。

 今から考えてみることは、現在の物語の作品にとっては当然のこと、自然なことに属している。だから、なぜ取り立ててそんなことを考えるのかという疑問があり得るかもしれない。わたしは、ただ物語世界の現在の自然さを含めてできるだけその世界をはっきりつかみたいだけだ。

 まず、作者が最初に主人公の空也が「名無しの武芸者」と立ち合うと構想する。次に、作者が語り手となって物語世界に下り立って、作者の構想や物語世界の促しによって語り手は、この物語の最後に主人公の空也と「名無しの武芸者」と立ち合う場面を語ることになる。語り手に語られて登場人物たちは、自らや他者に気づいていく。武芸者は、自分は名前を名乗らないのだとか、主人公の空也は、相手の武芸者は名前を明かさないのだとかに気づいていく。

 「(このままでは修行は終われない)/と空也は思った。」ということも、作者には当然のことに属している。この作品が、作者によって『空也十番勝負』とその初めから名付けられている以上、主人公の空也は各地で武者修行しながら十人の相手と十番勝負の立ち合いをすることになるということは、作者にとっては自明である。しかし、このことは語り手にとっては必ずしも自明のことではない。語り手は、作者のモチーフや構想に背を押されたり促されたりするのは明らかでも、語り手はこの物語世界の現在に集中し白熱する存在である。したがって、登場人物の空也は結果として十番勝負の立ち合いをすることになるという未来のことは、よくわかっていないと思える。もし、作者同様にわかっていたら、白々しくて「(このままでは修行は終われない)/と空也は思った。」というふうには語れないように思われる。しかし、ここの描写には作者の促しというか作者の思いが溶け込んでいるような気がする。

 語り手も登場人物たちも、語り手が物語世界の現在に集中し白熱するすることによって、物語世界を縫い上げていく。語り手も自らが語るまではこの先のこと、未来はわからない。登場人物も語り手に語られるまでは自らの気持ちはわからない。作者、語り手、登場人物は、もちろん作者の分身、作者の心や意識の対象化された存在たちであるが、それらが共同で意識的に協力し合ったり、あるいは無意識的に分離したりしながら、ひとつの物語世界が作り上げられていくように見える。しかし、ほんとうのところは曖昧で断定し難いところがある。つまり、物語の世界から眺めれば作者、語り手、登場人物は分離しているのだが、それぞれの未分離感がのこるのも確かなことである。

 物語の世界に関わる作者、語り手、登場人物たちの関係は、わたしたちひとりひとりの現在が乳胎児期や幼少期に深く規定されているように、物語の起源に規定されているのは間違いない。しかし、微かな幻のような感覚以外としては、わたしたちが言葉をおぼえ使いこなす以前の時期(乳胎児期や幼少期)の記憶が一般には残っていないということと同じく、その物語の起源もまた幻のような靄(もや)に包まれたままである。

 作者は物語を書き続け、わたしたちはその作品の物語世界を読み味わう。作者も読者もそのことを割と自然なものとして行動している。そういう自然さの深みに向け、物語の世界に関して時にふと湧き上がる疑問がある。物語とは何であり、物語を書くこと、物語を読むこと、は何なのかと。そんな時、わたしたちは物語の起源に対面しているのである。ここではその起源には迫らないが、たぶん起源辺りでの物語の世界の有り様、物語世界の現在性というものは、わたしたちの現在の物語の世界の有り様、物語世界の現在性とは違っていたような気がする。例えば、現在では分離されている過去や未来や現在とかいう意識も溶け合ったような総合的な時間意識があり得たのかもしれない。

 ところで、物語から劇(ドラマ)に転位すると、作者、語り手、登場人物たちの関係は変貌する。ドラマでも語り手が登場することがあるが、物語ほど中心的な存在ではない。補助的なものである。ドラマの世界を構成する中心は登場人物たちである。物語世界では語り手に語られ導かれるようにして登場人物たちは物語世界を行動した、物語世界の現在を生きた。。しかし、ドラマの世界では登場人物たちはいわば語り手を自らの内に内在させている。物語世界の語られることによって現前する登場人物たちと違って、ドラマの世界では登場人物たち自身がドラマ世界を演じ展開させていく。

 ドラマの世界の舞台に上る役者たちは、台本を読み、他の役者たちの振る舞いや、各場面の意味や話全体の作者のモチーフにも思い考える。そういう意味では、物語の世界とは違ってドラマ世界の登場人物に上って行く前の役者たちは、わたしたち現実の人間が自分の未来を想像するようにドラマの未来のことに思いを馳せたり、世界の意味について考えたりする。たとえそうだとしても、わたしたちの生活現実と同様に役者がドラマの舞台に上って登場人物に変身してしまったら、未来のことは知らず現在を生きているようにドラマ世界を行動するのである。わたしたち読者や視聴者の方が、全体から見てあいつが怪しいとか犯人はそいつなのにとかより知っているようになっている。役者たちがドラマの全体や話の結末に通じているとしても、ドラマの舞台に上った登場人物たちは、現実のわたしたちと同じくよくわからない現実自体を生きるからである。

 ドラマの役者たちは、台本を読んでいて、ドラマの世界の現実や未来をのぞき見て知ることになる。例えばドラマの中の事件を起こした犯人は誰かわかるだろう。しかし、役者たちがドラマの世界に入り込んで登場人物たちとなってしまったら、ドラマの世界の構成について知ってしまったことは忘れてしまわなくてはならない。登場人物たちは、架空の世界ではあるがわたしたち同様にドラマの世界の〈現在〉を、必死にあるいはのんびりと、白熱してあるいは沈潜して生きるからである。これが現在までのところのドラマの世界の自然さとなっている。





















inserted by FC2 system