詩『ツイッター詩』

     
(2015年1月~     ) 継続中


 目次


        ツイッター詩     日付            ツイッター詩         日付  
ツイッター詩1 2015年01月02日   51 ツイッター詩51 ( 7月下旬詩) 2016年07月23日
ツイッター詩2 2015年01月03日   52 ツイッター詩52 ( 8月詩) 2016年08月06日
3  ツイッター詩3 2015年01月03日   53 ツイッター詩53 ( 9月詩) 2016年09月01日
ツイッター詩4 2015年01月04日   54 ツイッター詩54 ( 10月詩) 2016年10月06日
5  ツイッター詩5 2015年01月05日    55 ツイッター詩55 ( 11月詩)  2016年11月01日
6  ツイッター詩6 2015年01月07日     56 ツイッター詩56 ( 12月詩) 2016年12月02日
7  ツイッター詩7 2015年01月08日    57 ツイッター詩57 ( 1月詩) 2017年01月01日
8  ツイッター詩8 2015年01月08日    58 ツイッター詩58 ( 2月詩) 2017年02月02日
9  ツイッター詩9 2015年01月09日     59 ツイッター詩59 ( 3月詩) 2017年03月05日
10  ツイッター詩10  2015年01月09日      60 ツイッター詩60 ( 4月詩) 2017年04月03日
11  ツイッター詩11 2015年01月10日     61 ツイッター詩61 ( 5月詩) 2017年05月01日
12  ツイッター詩12 2015年01月11日    62 ツイッター詩62 ( 6月詩) 2017年06月01日
13  ツイッター詩13  2015年01月11日    63 ツイッター詩63 ( 7月詩) 2017年07月03日
14  ツイッター詩14  2015年01月12日     64 ツイッター詩64 ( 8月詩) 2017年08月02日
15  ツイッター詩15  2015年01月13日    65 ツイッター詩65 ( 9月詩) 2017年09月03日
16  ツイッター詩16  2015年01月15日    66 戯れ詩2017.9.16  2017年09月16日
17  ツイッター詩17   2015年01月15日    67 ツイッター詩66 (10月詩) 2017年10月01日
18  ツイッター詩18  2015年01月15日    68 ツイッター詩67 (11月詩) 2017年11月01日
19  ツイッター詩19 2015年01月16日    69 ツイッター詩68 (12月詩) 2017年12月09日
20 ツイッター詩20 2015年01月16日    70 ツイッター詩69 (1月詩) 2018年01月07日
21  ツイッター詩21 2015年01月17日    71 ツイッター詩70 (2月詩) 2018年02月02日
22  ツイッター詩22 2015年01月17日    72 ツイッター詩71 (3月詩) 2018年03月04日
23  ツイッター詩23  2015年01月18日    73 ツイッター詩72 (4月詩) 2018年04月01日
24  ツイッター詩24  2015年01月19日    74 ツイッター詩73 (5月詩) 2018年05月01日
25  ツイッター詩25  2015年01月27日     75 ツイッター詩74 (6月詩) 2018年06月01日
26  ツイッター詩26 2015年01月27日     76 ツイッター詩75 (7月詩) 2018年07月02日
27  ツイッター詩27 2015年01月31日    77 ツイッター詩76 (8月詩) 2018年08月02日
28  ツイッター詩28 2015年01月31日    78 ツイッター詩77 (9月詩) 2018年09月04日
29  ツイッター詩29 2015年02月01日    79 ツイッター詩78 (10月詩) 2018年10月06日
30  ツイッター詩30 2015年02月01日    80 ツイッター詩79 (11月詩) 2018年11月01日
31  ツイッター詩31 2015年02月04日     81 ツイッター詩80 (12月詩) 2018年12月03日
32  ツイッター詩32 2015年02月10日    82 ツイッター詩81 (1月詩) 2019年01月08日
33  ツイッター詩33 2015年03月04日     83 ツイッター詩82 (2月詩) 2019年02月07日
34  ツイッター詩34 2015年03月04日      84 ツイッター詩83 (3月詩) 2019年03月07日
35  ツイッター詩35 2015年03月07日     85 ツイッター詩84 (4月詩) 2019年04月11日
36  ツイッター詩36 2015年05月03日    86 ツイッター詩85 (5月詩) 2019年05月02日
37  ツイッター詩37 2015年06月04日   87 ツイッター詩86 (6月詩) 2019年06月04日
38  ツイッター詩38 2015年07月05日   88 ツイッター詩87 (7月詩) 2019年07月05日
39  ツイッター詩39 2015年08月02日   89 ツイッター詩88 (8月詩) 2019年08月05日
40 ツイッター詩40 2015年09月01日   90 ツイッター詩89 (9月詩) 2019年09月03日
41  ツイッター詩41 2015年10月04日   91 ツイッター詩90 (10月詩) 2019年10月03日
42  ツイッター詩42 (11月詩) 2015年11月14日   92 ツイッター詩91 (11月詩) 2019年11月06日
43 ツイッター詩43 (12月詩) 2015年12月15日   93 ツイッター詩92 (11月詩 ②) 2019年11月19日
44 ツイッター詩44 ( 1月詩) 2016年01月06日    94 ツイッター詩93 (12月詩) 2019年12月03日
45 ツイッター詩45 ( 2月詩) 2016年02月05日   95 ツイッター詩94 ( 1月詩) 2020年01月11日
46 ツイッター詩46 ( 3月詩)  2016年03月04日   96 ツイッター詩95 ( 2月詩) 2020年02月07日
47 ツイッター詩47 ( 4月詩) 2016年04月09日    97 ツイッター詩96 ( 3月詩) 2020年03月06日
48 ツイッター詩48 ( 5月詩)  2016年05月03日   98 ツイッター詩97 (4月詩) 2020年04月03日
49 ツイッター詩49 ( 6月詩)  2016年06月04日    99 ツイッター詩98 ( 5月詩) 2020年05月05日
50 ツイッター詩50 ( 7月詩) 2016年07月03日   100 ツイッター詩99 ( 6月詩) 2020年06月04日
ツイッター詩     日付   ツイッター詩     日付
101 ツイッター詩100 ( 7月詩) 2020年07月08日  
102 ツイッター詩101 ( 8月詩) 2020年08月18日  
103 ツイッター詩102 (9月詩) 2020年09月07日  
104 ツイッター詩103 (10月詩) 2020年10月19日  
105 ツイッター詩104 (11月詩) 2020年11月03日  
106 ツイッター詩105 (12月詩) 2020年12月03日  
107 ツイッター詩106 ( 1月詩) 2021年01月08日  
108 ツイッター詩107 ( 2月詩) 2021年02月06日  
109 ツイッター詩108 ( 3月詩) 2021年03月08日  
110 ツイッター詩109 ( 4月詩) 2021年04月02日  
111 ツイッター詩110 ( 4月詩 ②) 2021年04月17日  
112 ツイッター詩111 ( 5月詩)  2021年05月06日  
113 ツイッター詩112 ( 6月詩) 2021年06月15日  
114 ツイッター詩113 ( 7月詩) 2021年07月17日  
115 ツイッター詩114 ( 8月詩) 2021年08月07日  
116 ツイッター詩115 ( 9月詩) 2021年09月05日  
117 ツイッター詩116 (9月詩 ②) 2021年09月12日  
118 ツイッター詩117 (10月詩) 2021年10月10日        
119 ツイッター詩118 (11月詩) 2021年11月14日        
120 ツイッター詩119 (12月詩) 2021年12月03日        
121 ツイッター詩120 ( 1月詩) 2022年01月03日        
122 ツイッター詩121 ( 2月詩) 2022年02月13日        
123 ツイッター詩122 ( 3月詩)  2022年03月23日        
124 ツイッター詩123 ( 4月詩) 2022年04月13日        
125 ツイッター詩124 ( 5月詩) 2022年05月07日        
126 ツイッター詩125 ( 6月詩) 2022年06月17日        
127 ツイッター詩126 ( 7月詩) 2022年07月26日        
128 ツイッター詩127 ( 8月詩) 2022年08月12日        
129 ツイッター詩128 ( 9月詩) 2022年09月19日        
130 ツイッター詩129 (10月詩) 2022年10月12日        
131 ツイッター詩130 (11月詩) 2022年11月23日        
132 ツイッター詩131 (12月詩) 2022年12月15日        
133 ツイッター詩132 ( 1月詩) 2023年01月09日        
134 ツイッター詩133 ( 2月詩) 2023年02月09日        
135 ツイッター詩134 ( 3月詩) 2023年03月11日        
136 ツイッター詩135 ( 4月詩) 2023年04月09日        
137 ツイッター詩136 ( 5月詩)  2023年05月09日        
138 ツイッター詩137 ( 6月詩)  2023年06月09日        
139 ツイッター詩138 ( 7月詩) 2023年07月11日        
140 ツイッター詩139 ( 8月詩) 2023年08月19日        
141 ツイッター詩140 ( 9月詩) 2023年09月14日        
142 ツイッター詩141 (10月詩) 2023年10月13日        
143 ツイッター詩142 (11月詩) 2023年11月17日        
144 ツイッター詩143 (12月詩) 2023年12月16日        
145 ツイッター詩144 ( 1月詩) 2024年01月17日        
146 ツイッター詩145 ( 2月詩) 2024年02月11日        
147 ツイッター詩146 ( 3月詩)  2024年03月15日        
148 ツイッター詩147 ( 4月詩) 2024年04月19日        
       
       




ツイッター詩


 [ツイッター詩]をはじめます。

 この列島の住民に限らず、言葉の障壁があっても、万人が感じるだろう考えるだろうある舞台に立ってみたい。歳を重ね過ぎたせいか言葉も固くなっているかもしれません。あちこち油でも差しながら、柔軟体操でもして、まぼろしの言葉をかたち成していきたいです。 (2015.1.2)







ツイッター詩1


例えば
「ソーシャルデザイン」
という言葉があり
何ものかが稼働している
出自は知らないが外からだろう
ちょっと気恥ずかしい響き
社会改造にせよ
というわけでもない
ないけど
社会改造以前の和語が
その和語以前の言葉が……
気になり
大きな木に
鳴っている






ツイッター詩2


例えば
「ソーシャルデザイン」にまたがって
大阪のおばちゃんたちを潜り抜けようとしたら
青年はあめちゃんをもらえるだろうか
もらったとして食べるだろうか
大阪のおばちゃんたちと青年の演じる
あめちゃんに関する劇
急ブレーキはないけど
どこからか
軋む音する






ツイッター詩3


しつこく
「ソーシャルデザイン」にこだわっている
ぶんぶんぶん ぶんぶんぶん
部屋の内外
煙もうもうで
端(はた)からは
ストーカーじみて見える
本人たちは鼻歌歌っている

おばさんたち
ちら見して
そそくさと通り過ぎゆく

言葉と言葉の衝突には
波紋が立ち
上る






ツイッター詩4


こだわりは
個にはじまり
個におわる
(周囲に伝染する場合もある)

そのベクトルたちの軌跡は
それぞれ
色や
匂いや
緩急や
屈折率や
ひとり一人
まるで性格のように違っていて
急には
曲がれない 止まれない 協調できない

こだわりこだわるこだわるるんれ







ツイッター詩5



人間界に呼び入れられて
季節は春となる


裏方の母のように
人の肌合いにどことなく
感じられるもの
人の衣服や食べ物など
衣替えさせるもの


日差しを浴びて
温もるからだ
目 耳 肌
ちいさく打ち震わせている


人の世が曇っていれば
あるいは
ひとりが曇っていれば
春も曇ってくる
二つの春がある







ツイッター詩6


「エチオピア 巡礼の大地」
偶然終わりの一分位
台所から観た
一人の女は
後生の安楽を願ってと語り
一人の男は
農民だから難しいことはわからない
ただ祈るだけと語った
誘い出された言葉と共に
顔の表情たちは
乾いた大地 乾いた大気
日差しに
しっくり溶けていた







ツイッター詩7


耳が遠いわけでもないのに
伝わらない
この村が 好むらあに
玉手箱は 小石に
なったりする
伝わってはいるのに
伝わらない
 
人は互いに紐伸ばし
伝っていく
すれ違い ぶつかり 交わり
伝う

一緒に食事したりハグしたり
するとわずかに熱は
伝わっている







ツイッター詩8


ゴラムは「わたしのいとしいしと」と呼び続け
伊東静雄は「わがひと」を歌い上げた
ともに「哀歌」に終わっても
切羽詰まった
心の奥処(おくが)からの
奔流(ほんりゅう)に違いない

けれど
「いとしいしと」はわかっても
「わがひと」は照れるな
伊東が着慣れぬ燕尾服(えんびふく)着ているみたい


註.「ゴラム」は、映画『ロード・オブ・ザ・リング』の登場人物の一人。
   本来の名前はスメアゴルという。







ツイッター詩9


言葉が湧いて
ゆっくり流れ出そうとする……
しばらくあれこれしてたら
忘れてしまった
(メモ取る時もある)

思い出せない
海は
いつものように
いちめん青く
さざ波立っている

とっても大切だったような……
今では
言葉の海に
溶け戻っている





10



ツイッター詩10


同じ日差しを浴びていても
一般に
銅像は外を向き
自画像は内を向く
大気や日差しの
吸収や反射率が違う

詩にも自画像がありうる
けれど
自分の背中は見えない
外界にさらされた
未明の自画像の部分を
隔靴掻痒(かっかそうよう)の歩みで
塗り重ねていく
生涯は





11



ツイッター詩11


数年前
近くの老人が亡くなった
若い頃から温室でランを育てていた
いつどうしてランの栽培を始め
止めたのか……
娘夫婦が戻り
しばらくして亡くなった
まだ道が泥道だった小さい頃から
ほとんど話したことはない
ただ時おり顔を交わした
ことはある

今私におぼろ気にある記憶たちは
私が去ると消えてしまう
わたしは他人の記憶にしばらく残り
百年もすると
いろんなことが消えていく
千年もすると
更地に異様なものが建つ
けれどいつの時でも
こんなこまごましたことが
人のあわいには
泡立っている






12



ツイッター詩12


耳から来る
みかた
味方だと思っていたら
見方の一つだった
誤解の峠を越えて
道に踏み迷う
 
耳から来る
みたか
三鷹に入り込む
たかみから太宰治をみたか
水の匂いする
 
耳から来る
みかた゜
うまく聴き取れない
音とともに
見たかい
景色が自在に変幻する






13



ツイッター詩13


耳から来る
かたみに後ろ髪引かれ
夕暮れの関所を背に
上っていく

きみは神田の民かたみのかみたか
狂おしいおぼろ月
溶け合って
舞い 舞い 舞い

二日酔いの
朝まだき出立してきた
民の神田は小さな点に
上っていく
祭りのこえの響き形見に
土匂う





14



ツイッター詩14


たかみから
たみのみかたか
みたかのみかたか
きみはみたか

みかたから
みたかのたみか
たかみのたみか
きみはみかたか

かたみから
みたかのかたみ
たかみのかたみ
きみはたみのかたみか

かみたから
たみはみたか
みたかのたかみ
きみもみたか





15



ツイッター詩15


こ と

流れ来る
切れ端ではなく
言葉の総量を
しずかに
感じ取りたい
流出させたい

ことば
日々擦り切れながら
かたち成すほかない
としても
皮膚の小さなひびから
痛みの記憶が引き出され来る
としても
………
しずかに
しずかな





16



ツイッター詩16


今年もまた
うたかいはじめちゃんやってる
シチュー作りながら
ちらちら観てしまった

静まりかえった画面
歌の尾を引く声が流れている
楽屋の階段を晴れがましい影たちが
ゆっくり上っていく

例えばこれはこの列島の住民が
時には避けられない
優しいリトマス試験紙
柔らかな踏絵

私はなーんも興味関心利害損得ないけど
小さい声でつぶやいてる
「当人らが心優しい人であろうとも
これまた 過誤の人類史の象徴である」と

・・・・・
あ 髪型が七三から真ん中分けになっとるやん!





17



ツイッター詩17


考える
万人は考える
振り切ることのできない万有引力に沿って
自然に 知らぬ間に
考えてしまう

一人
考えることには
見えない重力のように
過去の万人の足跡が流れ来て
一人の血流が脈打つ
 
考える
万人が考えている
日々
考え

いる





18



ツイッター詩18


考えない
万人は考えない
草木や犬猫みたいに
自然のままに
風を感じている
肌合いに
脈打つぬくもりに
束(つか)の間
寝そべっている

身を切る冬の冷たさに
つい考え込んでしまっても
夢の奥処(おくが)では
考えない
流れに漬かっている
遙か遠い 日々の暮らしのように





19



ツイッター詩19


わからない
別の国でも
別の地方でも
ないのにわからない
言葉がある

わからない
他人のでも
幼年のでも
ないのにわからない
言葉がある

わからない
言葉には
半ば無意識のように
匂い立っている
言葉の表情がある
駆ける心の
少し乾いた裏地がある





20



ツイッター詩20


とびっきりの
やさしい言葉に
ちゅうりっぷ
を思う

小学校に行くことになり
慣れない教室で
チューリップをうまく描けなかった
なぜみんなできるの?
今でも繰り返すことがある

やさしい言葉は
とびっきり難しい
固く折れ曲がってしまうと
見えなくなる
関係





21



ツイッター詩21


やさしいは
優しいなのか
易しいなのか
いずれをも含むのか
あるいはまったく別のことなのか
それだけでの確定は難しい
 
遠い始まりから
いろんな物語を潜り抜け
言葉は一から多へ
増殖分岐してきた
 
今では廃れた古典の意味に
他人の言葉が
思えるときもある





22



ツイッター詩22


とってもやさしい歌を歌いたいときがある
易しくて優しくて
誰もがやさしいまなざしで振り向くような
とってもやさしい歌
 
犬や猫も振り向き
花や木もなびくような
とってもやさしい歌
 
泡を噴き上げながら
単調に繰り返す
波の音みたいな
やさしい歌 





23



ツイッター詩23


タオルは何度も洗えるけど
濡れてくると 冷!
アメリカ流の使い捨てか
キッチンタオルをよく使う


154円か
まだあるし いいか

120円 一家族二個まで
お やすいやん
二つ買っておこう

スーパーのものの値段図が
私にも肌感覚で記憶されている





24



ツイッター詩24


二月になると
みかんと入れ替わるように
デコポンが店頭に顔を出す
 
遙か昔のように
その形状に沿って
誰が名付けたものか
黄色い響き
 
待ちわびる
わたしのデコポンと同じく
誰もが待ちわびる
お気に入りを抱えている
春の訪れのように
今年初めてを
待ちわびる






25



ツイッター詩25


意味が
あるある
と言っても
大人の打ち上げる線香花火にすぎないこともあり
 
意味は
ない
と言っても
なにか
どこか
微かに流れている
いみのようなものが漂っている
ことがあり
 
人の言葉の
遠おおおい
始まりのようなもの
今も滴り
匂っている





26



ツイッター詩26


ちょ
ちょこちょこ
おっ
ちょこちょこ ちょこまか
おっ
あっ
ちょこっち ちょこりんと
ちょこちょこ
ちょ ちょ
 
おっ あっ
おあ おお おっ
おっ ちょこ
あっ ちょこ
あっちょこちょい
あっちょこちゃい
おっちょこちょい
 
おっちょこちょい






27



ツイッター詩27


もうもうもう
(煙だけじゃない)
もおお もおお もおお
(牛だけじゃない)
もうもうもうもう
(不満だけじゃない)
 
もうおお もおおう もおおお おおおう
(土煙立て
突進していく
牛になった
イメージの
うねり
wave wave wave!)






28



ツイッター詩28


若い頃250CCバイクに乗っていた
福岡から帰省の折りの高速道
フルフェイスをかぶっていても
…110……120…ともなると
風圧に涙が出てくる
世界を越境するわけじゃない
から気が抜けない
固く 張り詰め続ける
時には はっと
魅かれる一瞬
まばたきする





29



ツイッター詩29


一つ事を考える
薄らいでは
またいつの時か
違ったつながりと
違った色合いの中
考えている

考える
3分考えている

考える
1時間考えている

考える
10年考えている

考える
たぶん生涯考えている

考える
日差しの中
知らぬ間に
自然と考えている





30



ツイッター詩30


知らぬ間に
あまりにもお近づきになり過ぎて
目と耳と鼻の先
きつくにおい立つ
互いに
息も荒く
根深く古ーい言の葉のつるぎを武器に
ツイートしている
しそうになる
この駆動はなに?

新たな舞台で
日差しを受けて
こんにちわ
よか天気ですね
とはいかないか





31



ツイッター詩31








風呂敷に包み込むように
つぶやいている
微風とともに
さつまいもの生涯を渡って来る
というわけにはいかないか

名前は
はじめ
ある深みから
汲み上げられ
しまいには
踏み固められた自然のように
呼ばれるけれど
滴り続けるものがある





32



ツイッター詩32


(名前ということを意識することなく)
名前を呼んでいる
なだらかな丘陵
ゆっくり下るように

若い頃には
こんな呼び方もあったような
(さ)
((さっ))
(((さあっ)))
((さ)っ)
さっちゃん

そんな声も
わたしのタンスに仕舞い込まれている





33



[ツイッター詩33]


ちゃぶだいがえし
柳田国男が何度か触れてる伝説の
人柱と同じく
あったかなかったか
よくわからない
見たこともやったこともないけど
深い霧の中
ともにその気配が立ち込めている

近代の人柱は特攻
今なお人柱は無言の内に受け継がれ
ちゃぶだいがえしに至る
〈苦〉や〈悲〉をすくい取る
パラダイスのように
この列島の小社会や
「自爆テロ」や
哀しい血の花開かせている





34



[ツイッター詩34]


卓袱台返しというのがあった
その手前の匂い 嗅いだことがある
テレビアニメで見たくらいだが
一気に闇に越境してしまうから
今では
そのとっさの技は封印された?
代わりに
二人のお天気次第のでこぼこ道
なだらかな丘陵が続いている
時には
深い穴に落ちもする





35



[ツイッター詩35]


言葉は
正確に突き刺さらなくてはならない
張り詰めた時もあれば
まるで刺身のつま
どんな言葉でもゆるゆるされるような
脇役の時もある

例えば
飲み会や
恋してる時や
心の肌を流れる
ひびきあいがあるなら
言葉は要らない

色色色の
言葉の階段があって
日々 刻々
誰もが
知らない間に
上(のぼ)り下(お)りしている
放っている
言葉のスペクトル





36



[ツイッター詩36]


頭が切れるとも思わない
優れた才覚があるとも思わない
自画像の中
きみはどこにいるのか
どんな包みをほどいたり
結んだりしているか
ありふれた朝

人間界では
甲乙丙丁、優良可不可、ABCD……
付くのが自然になってるけど
もし宇宙の次元から透過してみたら
人は誰もが等しく小さな光の明滅
人が十重二十重(とえはたえ)に揺らめいている

若い頃や頭中心の人には
なかなかわかってもらえまいが
気ままに
時にはぼおっとして
生きるのは
すてきなことではないか
誰にもどこか片隅にある
ちょっと
赤ん坊の時のような
ネコみたいな
忌野清志郎の独特の声みたいな





37




[ツイッター詩37]


おそらく同じ町内のよく知らない人に出会う
天気のことなど余り気に懸かっていないのに
〈こんちわー よか天気ですね〉
と言葉の街角を曲がってしまう

それは苦ではない
流れ続ける小川のよう
そのほとりに当たり前のように
わたしも立っている

わたしもまた汲み上げ
のど潤し 散布する
この列島を流れる
古い古い情感の奏でる
音階が日差しを浴びている




38



[ツイッター詩38]


ほんとうは
言葉ありき ではなかった
風はずっと向こうまで流れ下って行く

風の流れ
風の匂う
いろんな時間の駅の手すりに
触れ歩む
言葉以前を
言葉のように
〈あー〉〈うー〉と巡る

〈かぜのながれている〉
〈かぜのにおう〉
〈かぜのながれくだってゆく〉
言葉では言えない

ほんとうは
言葉ありき ではなかった
遠いわたしの 遙かなみち
もっと彼方に別の光が見える

そうして 今ここに
透き通る地層のように 
層成すわたしの





39



[ツイッター詩39]


人と人とのいさかいも
議論でも
口角泡を飛ばして
身近な現場でやり合っている
みたいでも
ほんとの舞台は
もやに霞んだ本流にある
誰もが座ることができるのに
棹さすことも 座り手もない
さびしい椅子

とってもリアルに見えても
そこは寄せ集めの幻の破片で敷き詰められ
自分専用の椅子になっている
視野と視野とが多重化し
やり合ってもやり合っても
原初の遠吠えみたいに
血は重たく濁り
不毛な造花の狂い咲く

誰もが
目が醒めてみたら
知らない所に
気づかれることのない椅子
があったような・・・・・
不確かな手触りの
(もやに包まれた本流が
静かに流れている)





40



[ツイッター詩40]


農のはじまりから
長らく降り積もった
いいこともあったろう
心の手足は自然に動いたろう
けれど共同の縛りは
深夜キュウキュウと夢に出る
今ではずいぶん解き放たれて
もう血を見ることはないから
我田引水!
我田引水していいんだよ

相変わらずこのクニのかなしい遺伝子よ
自分や家族以外のことを
そんなに感知するな
子どもがひどい熱を出しているのに
会社に行くんじゃない
ほんとうに人を大事に思うなら
波風立とうとも
我田引水!
日々通る小道に
いつものように日が差している

わかっていても
波風立つ小道はつらい
異風堂々と雪崩込んでくる
ものたちがあるから
数千年踏み固められ来た
威力!
威力業務妨害の峠を越え
我田引水!
我田が水にうなされているから
我田引水!

このクニのかなしい遺伝子よ
自分を殺して和解する
こじんまりと風景に溶ける
日々通る小道に
いつものように日が差している
そうして
〈かくめい〉(註)
ほんとうはありふれたもので
そんなところにひっそりところがっている

 註.「じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです。」(太宰治「かくめい」青空文庫より)






41



[ツイッター詩41]


生きてるものは みな
渦中の流れに乗り
振り向いたり
よそ見したりする
余裕のないドライバー
ただ内向きに
ブロックを組み上げる子どものよう

ものごとは いつも
遅れてやって来る
避けられない朝
行くしかない小道のように

失恋して
楽しかった日々のフラッシュバック
言葉は
broken heart
痛みの過去に着色されて
ある朝ふいと湧いてくる

大きな時の渦の
飛沫をひんやり浴びて
人が言葉を持たなかった時を
人が魚だった時を
人が不在だった時を
かたち成す言葉を身に帯びて
遡行する 遡行する
か細い流れを
遅れ たどりゆく
しずかな夜 夢現のよう






42



 [ツイッター詩42]


今日も地が震い
遠い国では戦火が上がる
フツーに暮らしていても
どこで 何が あるか
わからない
世界に生きている

ふあん
あなたは何のふあん?
あなたは誰のふあん?
追いかけて
あいまいな
木の葉を何枚数え直しても
お金は消費しても
愛にも 希望にも
ならない
愛の行き止まり
希望の行き止まり
つまり言葉の行き止まり

もう行き止まり
と誰もがわかっているのに
そこのかど あそこのかどと
ランニングマシーンのように
日々足早に歩いている
そして誰もが行き止まりの言葉をつぶやいている

明るすぎる照明を浴びて
楽しそうにダンスダンスダンス
けれど
この列島の大地から
無数の砂粒の軋む音のような
否定の韻ばかりが
幻聴のように聞こえてくる
いま・ここは・・・・




43



 [ツイッター詩43]


遙か
真っ暗な夜があったように
まっくらな言葉もあった
まっくらくらに目まいしながら
人は
わずかの火を頼りに
細い道を歩いた

母音の集落に
ああ おお
交わし合い
つぶやいたり
日差しを浴びて
一日の流線をたどる


そこに ある もの

母音に染まり
大いなる自然にこだま響かせ
人は音の丘陵を
上り下りして
踏み固めゆく
くり返しくり返す
足跡

(これをもし野蛮と言うなら
今も大して変わり映えはしない
むしろ今は
くたびれた靴下のよう)





44



 [ツイッター詩44]


眠り入るようなある境に
ぷるぷる ぷるぷる
水の揺れる
小さな音だ
あまりに近く大きい
水滴の振る舞いに
圧を感じ
心波立っている

水なのに
微かに
匂い立ち来て広がるものがあり
「水が違う」気分に
落ちていく
どこまで下るかわからない
心の片隅の不安
重くはない

不確かでも
何度か出会ったことがあるような
夢まぼろしのように
変幻で
大きさや形は不定でも
この圧の触れゆく感じは
抗いがたく
ぬるりと迫り来る





45



 [ツイッター詩45]


踏み重ねる
いち にい
いち にい
くり返す くり返し
くり返している
この世のものみなすべてと同じく
くり返す

足踏めば
熱も出る
汗も出る
踏まれるものから
青い麦の匂い微か
溶け出し
匂い出し
抗力の
寄せる風に包まれる

足は
踏み重ねる
くり返し
踏み踏む
遙か彼方からの流れのなか
無数の人々と同じように
薄闇のなか
いくぶんか
ねこのふみふむように
踏み重ねているのかもしれない





46



 [ツイッター詩46]


詩は生活の一部にすぎない
けれど生活の重力を振り切ろうとする
生活はリンゴを収穫し流通させ購入し食べること
詩は直接に幻のリンゴを創造し収穫しかじってみること

生活は3Kでも突き進む
詩はよけて理想の線分を描き終わることもできる
いま ここに

生活も詩も兄弟みたいに手足頭動かして
何かを生み出したり消費したりする
いま ここに

人は
生活に日々黙々と生きて
人は
詩に幻の血煙を上げる
遙か 始まりの
分岐線を
静かに回収し
いま ここに
新たな種を蒔くように
日差し受け 周りをよく見ていても
無意識的な内向は 深く 深く
(dance dance dance!)





47



 [ツイッター詩47] ( 4月詩)


言葉より速く
春は到達し
漂いあふれている

(いやいや
もしかすると
春は
草や木のように
出番以外は
楽屋裏でしずかに時間を紡いでいる)

ある時
からだの葉脈は
春の気配
流れ漂い触るる
気づくのだ
そうして身を立て直す

最後に
ゆっくりと
春の言葉が立ち上がる





48



 [ツイッター詩48] (5月詩)


同じ人であっても
同じ街に住んでいても
間近に近づくと
微妙に
色合い違い
形も違い
匂いも違う
視線を退くと
大体は
似たもの同士
同じ花開く

海を越え 山々を越えても
同じように人は花開く

硝煙の黒雲が漂い出すと
何かが次々に傾いでいく
蜘蛛の子を散らすように
散り散り
転がり落ちていく
ものたちもいる
それでも花開く

それぞれの地に 人に
虹が懸かり
何気ない風に
屈折し始める
スペクトル帯に分散する
それぞれの歩みも心も
花を孕んでいる
(それは不変)





49



 [ツイッター詩49] (6月詩)


階段を上り詰め
もうそこからは
階段が消えている
とすれば さてきみはどうするか

有り合わせの食材かき集めて
食事を作るように
鼻歌歌いながら
おぼつかない足取りで
いつものように
足踏み出すか
幻の階段へ

未踏の匂い
未知の味だとしても
無数の他人(ひと)の……
ためらいの韻
言うに言われぬこと
言っても仕方ないと思う
数々の小さな願い
肯定と否定の谷間には
無数の留保された
沈黙のつぶやきがあり
それはなかったことのように
二者択一のドアが閉じられていく

けれど
閉じられたドアの向こうには
時の流れの主流があり
沈黙の無数の泡立ちが確かにある
まぼろしの階段は必ずそこと交差し
そうして無数の小さな影たちが
階段に差してくる
おお このやわらかな
日ざしを潜り抜けてきた匂いの





50



 [ツイッター詩50] (7月詩)


雨が降っている
雨が降り続いている
(気がかりが
ないわけじゃない)
(例えば植えたスイカ
だめにならないかどうか)

雨が降っている
雨が降り続いている
(思いが
飛ばないわけではない)
(例えば遙か太古にも
雨がこんなに降っていたのかどうか)

雨が降っている
雨が降り続いている
底に流れる
思いとは別に
ただぼんやりと眺めている
雨・が・降・っ・て・い・る





51



 [ツイッター詩51] (7月下旬詩)


ポケモンGOの現在に
つっぱりも反発もなく
ただ自然に
別にケイタイも持たず
ぼくは生きている
あ スイカ食べたいな

荒れた現在の風景に
モンスターをふいと見出したら
普通は病気だけど
たぶん製作者の意図を超えて
正気で本気で熱気を帯びて
街路を駆けていく
命知らずもいる
(どんな潜在夢を灯し
光っているのか)

ポケモンGOの現在に
同じ現在を分かち合っている
ぼくは ぼんやりと
梁塵秘抄の文句をつぶやきながら
現在の向こうへ
イメージ走らせている






52



 [ツイッター詩52] (8月詩)


とっても小さい頃は
カタカタの
くり返す上下動や
立てる木の音木の響きにも
大いに感じ
こころ踊ったものだ

おそらくは見守りの
今は亡き姉や兄等も居て
履き物の立てる
ぐっぱんぐっぱんにも
気が魅入る
歩き回れる世界
見えるものの多寡に関わりなく
世界は豊穣に満ちあふれていた

けれど今や
その世界はまるで
遙か太古のように遠く
不明の靄(もや)に沈んでいて
時折ひとつふたつ
気泡が打ち寄せてくるばかり
(戻りたいわけではない
ただこの世界のシン・意味に触れたいだけ)


註1.「カタカタ」は、小さい子用の手押し車
註2.「シン・意味」は、『シン・ゴジラ』を模倣した。掛詞。






53



 [ツイッター詩53] (9月詩)


(ああ)そりゃあ良いね
みどり成す丘陵に
やわらかな風も吹いている

(おお)そうだったのか
多言の海
左右に分かれ
開かれるおぼろな一筋の道

(ううっ)急に倒れゆく日のからだ
雲にさえぎられて
暗転する舞台

(ああ あ)日の落ちた
夕暮れ道
当てもなくとぼとぼ歩く

(ううん あ)まぶしい
新しい日差しが
また差して来ている

ああ

おお

ううっ

ああ あ

ううん あ





54



 [ツイッター詩54] (10月詩)


木々の中の一本の木
木肌に触れる
木(もく)する木
風が枝葉を揺らしても
木(もく)する
幹や枝葉や その内を
木々(もくもく)と流れている
と思うが
木の声は聞こえない

通りすがりの
見知らぬ人の
流れる風に
心開いていれば
肌はやさしく呼吸している
かもしれない
思い詰めた事情に
固く閉じているなら
空も風も日差しも
あまり浸透できないだろう

外と内では
風景が変貌する
このすれ違う見え方は
饒舌と沈黙
普段着と余所行き
いろんな対比に染まる
避けられない別れのようなものだろうか
見るだけではなく
言葉を開き
深く芯の方で感じるならば
境界からいくらか出入りできるか

内にいても外にいても
時に たいせつなのは
うさぎのような鋭敏な耳
千里眼のように感応する目
通りすがりの
見知らぬ女(ひと)の
うっすらと化粧の匂い
流れる風に漂っている





55



 [ツイッター詩55] (11月詩)


(どん どん どん)
秋祭りの練習か
風に乗って来る
音の物語
((たぶん 深みはある))

(ぴーひゃら ぴー)
笛の音に乗り
下ってゆく
小さい頃
やったことはない
余り心高鳴ったこともない
ただ 毎秋
わたしの耳は聴き
この土地の匂いのように
いくらかなじんでいる

(どん どう どん どお)
太鼓や笛が
音の物語の音階をうねり
稜線へ
祭り衣装の影たちは
秋の盛りから遠望している

ところで
現在の音の物語は
騒々しい街を
抽象された
コマーシャル顔の臭みを漂わせる
アカルイ少女たちが
秋の遠望もなく
周回している
ソレモイイダロウガ
余り心高鳴ったこともない
((タダ ニンゲンノエンボウハ アル))





56



 [ツイッター詩56] (12月詩)


ささいなことだけど
若い頃は見向きもしなかった
ミョウガ
好きなみょうがになってしまった

ささいなことだけど
畑に出る
道際に小竹
花を付けることがある
みょうがも白い花咲く
でも しょうがに花
があるとは知らなかった

ささいなことだけど
心にかかる重さが
ずしりということがある
着物もらった
太宰治のように (註.)
無量の峠に佇む

ささいなことに
つまづくことがあり
ささいなことが
賞味期限切れみたいに
捨てられることがある
でも 人の世は
小春日和に
ぽつぽつ咲くさつきのように
ささいなことがひかり輝くことがある


  註.「着物もらった/太宰治のように」

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
 (短編「葉」 太宰治 青空文庫) たぶん、作者の実体験から来ている。






57



ツイッター詩57] (1月詩)


冬 日差しが差す
はじまりの
差している 体温が上がる
ほのかな
温かい ふゆ 殖ゆ 冬 富有
推移する
イメージの イメージ野
しずかに収束する
遊能? 愛能! ふぅゆう






58



[ツイッター詩58] (2月詩)


つっぱってはいても
生まれ落ちては
この世の習い
いくつも着せ替えられて
ランララン
ずいぶんと身は馴染んできた

大気や光や音の
変容する配合を呼吸して
ランララン
街のショーウインドウには
ひとり 見慣れた顔が映る
おお もう来るのか老年!

ふと襲い来る過呼吸に
幻の前世を
のぞき込む
バーズアイビュー(註.1)
クリアーなグーグルアースと違い
ランララン
靄に包まれて
何が何やら判別できない

遙か
大空は真っ青
海も青
大地は緑
と見えても
ランララン
倍率次第で像は変貌する
幻のように滲みている
あらゆるものの死の予感
そして ここ。

(註.1)バーズアイビュー(bird's eye view)は、鳥瞰図。





59



[ツイッター詩59] (3月詩)


長らく凪(な)いでいた
海面が
何か  どこか
蠢(うごめ)き  出す  気配に
もぞもぞ
揺れ始めている
波の内面
傾斜していく
波の発生の方へ

衣装は違っても
太古より
今に続く
果てしない
波の
打ち寄せ  返す
響き  響き合い
揺れるという不変の中
更新される
波動法

気づく
より素早く
波は繰り出し  退いていく
暗い海底の
ある空隙(くうげき)のような所から
大きな主流の
垣間見える
上の方  きらりと跳ねる魚たち

波の死に  響きの死に
冬枯れの草花が添う
茎や地下茎が
新しい春に傾斜している
新たな波に  新たな響きに





60



[ツイッター詩60] (4月詩)


闇の中
前の晩の熾火(おきび)は
灰に埋もれて
微熱の夢を静かに巡り

薄明かりから
降りてくる
降りてくる朝のけはい
気づきばかりが
くり返しくり返し対流し
出立の気配に
沈黙は眠そうに
夜の底に黒々と滞留している

百年前も今も
変わらない
大きな主流がある
ちろちろ輝きはじめる
朝の小さな熾火
時間を超えて
くり返し流れ出す
エナジーフロー

ひとつの言葉が
波間から顔を出し
ひとりひとり飛び魚のベクトルとなって
朝の空気に
突き刺さってゆく
あるいは
溶け込んでゆく
あるいはまた
負のベクトルと化す





61



[ツイッター詩61] (5月詩)


星野道夫の
文章の
どこかに
太古のある夕べ
漁から帰る夫と岸辺で出迎える妻
を思い浮かべた
場面があった

たぶん現在の
それぞれの日々の小さな場面
と同じく
遙か太古から時間の海は流れている
同じように波立ち
時には大きくしぶきも上げ
「清光館哀史」も浮上する

魂の舟は
なんどもなんども送り出され
魂の航路も変わり
舟の装備や飾りも派手になったけど
送ることは変わらない

変わらない日々と言っても
ハイスピードカメラのように日々走る
撮影され展開された像の中に
疲弊した魂のスローモーション





62



[ツイッター詩62] (6月詩)


時には
ひらがなのように
やわらかな
日差しを浴び
みどりと風に
さそわれ
うとうと眠れ

世界は
せ・か・い・・・
消失していく
ありふれた
この小さな場所
ひらがなの灯りの下
木の葉が風の歌をうたい
みどり匂い流れる

消失した世界の
誰もが持つ
特異点で
ひとり 深く中心に
眠れ

(ああ 今日もいい日だった)
(人と人)
(ある深みで信号する)





63



[ツイッター詩63] (7月詩)


即興の
言葉の谷を下る
七曲がり八曲がり
言葉の塩はむずかしくても
言葉の清水は
杖を突き立てるまでもなく
湧き出す場所はあり
そこにもあそこにも人がいる

流行の
ふしぎファッションも
誰もが見慣れた
言葉の谷から上ってくる
のは間違いない
異国の歩き方真似ても
この地に育つ
からだから匂い立つ
谷の言葉
谷のリズム
谷の清水
の匂う

谷を下りに下っても
乾いた大地と草原と濁った水
には行き着かない?
この列島の
みどりの風に
言葉はなびいて来る





64



[ツイッター詩64] ( 8月詩)


あのひとの気持
わかる わからない
わかるわからない
わかるからない
この世界に目覚めた者が
世界の主(ぬし)の無言の意志
を推しはかる
花占いは まだ
気まぐれな恋心の少女のもの
ではなく
世界の猛威に 傷つき果てた
人々の祈りのような

生贄(いけにえ)も人柱も特攻も
この世界をわかり損ねた
人々の哀しい花占いの形式
救われる 救われない
救われる救われない
すくわすくわない
自然は 無縁顔で
静かに運行している

何かいいもの
もたらす もたらさない
もたらすもたらさない
もたらもたもたない
太古の
花占いの形式は
今もどこかに残留している
自然は 無縁顔で
静かに運行してゆく





65



[ツイッター詩65] ( 9月詩)


ひとつの水たまり
にも始まりと
移りゆきと
終わりがある
大気や風や日差しと
虫や草花や人と
関わり合いもある

人の心の内にも
ひとつの水たまりがあり
大気や風や日差し
虫や草花や鳥や人に
かたち成して
水たまりを訪れてくる
しずかな穏やかさの中にも
小さな異変はある

振り返ると
父も死に母も死に
時間は構成と形態と色合いを
変貌させている
秋の枯れ葉たちも
昨年と同じように
通路に積もりゆく
けれど何かびみょうに違う
今年の秋

今年の秋
手のひらで触れてみる
無量のおもい
は言葉にならない
言葉を手にする以前の
幼子や人類のように
しずかに内に吹き荒れるおもい
に触れる




66



[戯れ詩2017.9.16]



はじまりの
遙か太古の集落で
一瞬、と言っても割と長い間
巫女や代理業務者たちが
集落に背を引かれながら
晴れがましくも壇上に上り続ける
穏やかな日々があった

まだまだ付かず離れず
分離せず
ジェアラート!は鳴らない
子どもらは駆けまわり
静かに集落は暮れてゆく

人は現場を離れると
空語空言空事を平気で言うようになる
人が群れると
狼男のように変貌することがある
ジェアラート! ジェアラート!
長い日々の内に
変身が完了する
(ああ、あの人たちは人が変わってしまったね)
人々の声は届かない

ジェアラート! ジェアラート!
もはや背を引かれぬ者たちが
集落のニワトリ蹴散らし水がめ割り
土煙を上げて走り回り
今度は集落の背を引きはじめる

遙か太古より
今もなお
負の遺伝子は受け継がれ
群れた者たちが勘違い
キリッとスーツに身を包み
違うだろー!と大声出したり
富を私物化したりと
そこかしこで得意げだ

ジェアラート! ジェアラート!





67



[ツイッター詩66] ( 10月詩)


江戸期の飢饉の様子の描写を
古い農業書で読んだことがある
百年前のクジラ取る小さな舟の写真を
見たことがある
小さい頃秋の収穫祭の
場にいたことがある

現実の内に
流れ匂い立つ
のはたぶん外からの想像を超えて
「悲惨」でも「喜び」でも「希望」でもない
やむにやまれず 言葉を超えて
ただその場に生きること
ただその場を生き続けること
人間界を超えた大きなものに促されるように
生きる

誰もが
言葉にならない
こじんまりした世界の内を日々生きているが
若者ばかりでなく
カッコ付けた言葉の船に乗り
エンジンふかせて
「悪意」や「希望」を振りまく者たちがいる
肥え太ってしまった人間界で
空中浮揚した横着者たちが騒音を立てている

人は
気まぐれな母のような
自然の慈愛と猛威にさらされ続け
人間界を肥え太らせてきた
きみはどのような祭りの中にいるか いないか
不在の風景ばかりが降り積もっている
けれどきみは 人並みに
祭りの輪から目をそらすことはない
けれどきみは
流れに浸かって ひとり 固有の渦を成している





68



[ツイッター詩67] ( 11月詩)


(遙か太古の
人々は
石に霊魂が籠もってる
と見なした)
と語るとき
石、マグマが冷え固まり
石、堆積し途方もない時間で固まった
と無意識につぶやくきみの視線も
走っている
時間の峠を越えていく
 
二昔前までは
(運んでいた塚の石が
そこに据えよと
急に重くなった)
という民話がまだ生きていた
 
時間の波が入れ替わり
もはや 肌合いでは
入れない
感じられない
イメージできない
新しいイメージの地層に
時の岸辺に
きみは立っている
こうして人のイメージ群や位相は変位してゆく
 
けれど
同時代でも
石に祈る人がいる
信の内にいても外に居ても
他人(ひと)のまなざしの
ということはまた
自らのまなざしの
無言の生命イメージの総量を
感じ取るのはむずかしい
けど人ゆえに
つい触手を伸ばしてしまうのだ





69



[ツイッター詩68] ( 12月詩)


つぼみだす
小さな蕾の
冷たい冬風に吹かれている

(濃縮する 濃縮する
のうしゅくしゅく
濃縮される時間)

日差ししだいに高まり
あったかくなってゆくと
蕾ふくらみ匂い出す

(力込め 力込め
ちからこめごめ
膨張する か・た・ち)

春風のぬくもりに
誘い出されて
花ひらき
大気へ匂い立つ

(イメージは
言葉の舟に乗り
イメージの
細道から思いっきり手を広げ・・げ・ては
翼はばたきゆくベクトルの)

春 はる
待っていたぞ
このはるを





70



[ツイッター詩69] (1月詩)


言葉よ
遙かな太古から なんと
スターウォーズの戦艦の内部のような
複雑な迷路の世界に来てしまったのか
微風も吹きはするが あの
(うぉっほっほ うぉっほっほ)
シンプルでしかあり得なかった時が
めまいするほど懐かしいぞ

何かの影のように
言葉も揺れる
言葉も泣き笑う
言葉も遠慮する
言葉も人に足掛ける

沈んだ心に
華やぐ服を着て
ぱっと街に出る
言葉もある
道路に影は差している

影そのものとなって
言葉は泳ぐ
自在に小舟にも船にも飛行機にもなり
イメージ化した心にまたがって
沼や湖や大海や大空を走る飛ぶ
走る 走る 走る 飛ぶ

生きている影の呼吸する
日差しや大気の成分が
色の付いた霧のように
知らぬ間にまき散らされている





71



[ツイッター詩70] (2月詩)


モビルスーツに身を包んでも
心は渇いている
憎悪を焚き
火の付いた高揚感に
ほおは火照り
自在にどこにでも飛んで行ける
まるで夢の中のように
手足を動かさなくても
目的の地に瞬時にたどり着き
面白いように言葉の敵がひっくり返っていく

((乾いているぞ))
((かわいているぞ))
((kawaiteiruzo))
張り詰めた背を流れる 微かな
黄色い蜃気楼
(((うん?)))

 やわらかな・・・
 聞こえない
 見えない
 肌感覚がない
 風も匂わない

(飛ぶぞ飛ぶぞ飛ぶぞ 飛んでいくぞ)
(次はあそこを偵察し
隙あらば攻撃する)
モビルスーツとなった
言葉たちは
人っ子一人いない
荒れた抽象の野や街々を
日の丸貼り付け
飛行する
非行する
街々が赤々と輝いて見える

((お前は病気だ))
((おまえはびょうきだ)
((omaewabyoukida))
どこからか警告音が 微かに
立ち上っているが
(((うん?)))





72



[ツイッター詩71] (3月詩)


太古に
迷妄という名の出店が出ている
店からの視線には
空は青々
水は清流を成し
山々は深く
人々の心は自然の内にまどろんで見えるらしい

また別の出店もあり
縄文海進や海退のデータより
照準を絞っている
植生や自然環境のデータも加え
当時の人々や集落に
像を絞ってゆく
ただ人々の心模様は見えていない

遅れて
別の旅人も現れる
(この太古の人々が
迷妄ならわれわれも同じだ)
というお札を握りしめ
いくつもの
集落を訪ね歩く
空模様と心模様の
きつく関わり合う地平を
ひそかに追ってゆく

(何ものかを切り捨てた)
(現在の科学では)
(太古の科学も)
(太古の人々の心ー身も)
(現在の人々の心ー身も)
(十全にはわからない)
(依然として(いや、いつの時代もかもしれない))
(わからないことが入口だ)

旅人は
わからないという旅装を背負い
わからなさの時間の地層へ入っていく
霧が出ている

時間の流れを下ってゆく
「日本には天皇がいっぱいいた。
あちらにもこちらにもいた。
大和の天皇も、諏訪神社の
大祝(おおほり)天皇も同格だった。」(註.1)
(そうだろう だが今はそのことではない)
むろん現在から忍び込む固定イメージ
は遮断して
旅人は影の集落を歩き回る

近代以来の
サド・マゾのデカダンス遊びでもなく
自然との必死の関係から
生み出された
祭りの日の植物霊(人)殺し
それは特攻死とも同じ呪(まじな)いなのだ
それはまた柳田国男が書き留めた
柿の木に実を付けぬなら切ってしまうぞ
と言ってちょっと傷つけるのと同じことかもしれない
それを迷妄と呼ぶなら仕方がない
けれどそれは
現在の
人と人 家族 国家の残虐と同様の迷妄なのだ

太古の人々の
厳しい母なる大自然の残虐に
駆け引きするほかなかった
哀しい知恵
そこから集落で
俺が俺がと上り詰める者
神々が切り貼りされる詐術
現在と同じような
精神風景が広がる

時間を瞬時に超えて
帰還する
旅人は
現在をも旅する者だ
テレビから流出する
歌も芸能もスポーツもにぎやかだ
(別にどうでもいいけど
人々が受け入れているのなら
そりゃあそれでいいさ)
(わからない 太古のマス・イメージ、そのつながる実感が)
(わからない 現在のマス・イメージ、そのつながる実感が)
(肌感覚の)
(無意識的な)
(歌い 踊り はしゃぎ 悲嘆にくれる
マス・イメージの根っここそが)
(そこには人類の)
(起源からの)
(母型の闇がどんよりと漂っている)
(ような気がする)


(註.1)
『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(P17)





73



[ツイッター詩72] (4月詩)


(セイデンキ)
((内に奇妙に響いている))
セイデンキ
セ・イデン・キ
セイ・デンキ

大丈夫
きみは大丈夫さ
静電気 ほら
静かだろ?
だって静電気なんだもん

セイデンキ
セイデンキセイデンキ セ
イデンキ!セ
イデンキ!イデンキ!
((消滅! ・・・しないぞ))

ほらほらこうやって
触れてみるよ
ばちっと線香花火
ほども熱くも痛くもないよ
だって静電気なんだもん
科学的ーい!!

セイデンキセイデンキ
say!デンキ
say!デンキ
((ココマデハ・・・返答が来ナイ))





74



[ツイッター詩73] (5月詩)


現在に
物語の朝が目覚めるとき
物語の内と外
小さな軋みを上げ
肌にそぐわない
服の感触がある

風がない
のに風は吹いている
初夏の暖かい日差し
から仕切られ
花冷えする内に
流れる風 (さ む い)

風が微かに流れている
のに風が止んでいる
ぼんやりと
日差しを浴びている
静かな
しずかな内に
漂う (か す か な)

風とは別に
風があり
流れも肌合いも
音色(おんしょく)も
少しちがう
〈かぜ〉と呼ぶほかない
(かぜ が あ る)

風の風向や流速や・・・
細分化や緻密さとは別に
かぜの解析
は可能な気がする
かぜ を感じている
(か ぜ)





75



[ツイッター詩74] (6月詩)


小さい頃から
なんどもなんども
なじんではいる
ものなのに
いつでも
触れるとひゃっとする
するするする
空模様があやしくなり

感覚の 下る
小さな無数の蕾(つぼみ)たち
芯の方に
また霧が立ち込めてゆく
(wakaranai)
わ・か・ら・な・い
わからない
霧立つ揺れる

わからなくても
わかったように
飛び石を踏む日々
すき間に横たわる
ダークマター
時にはつまづいて
深刻深黒抵抗行程悔恨もあり

一日の縁(へり)からはい上がり
今日も飛び石を踏む
時には鼻歌歌い
(アリさんみたい)
どこからか声が聞こえてくる

(わからなくてもいいんだよ
ただ 味わえばいいさ
この世界の みどりの葉葉を
微かに乳の匂いする銀河の恵みさ)





76



ツイッター詩75(7月詩)


通りを歩く
飛び込んでくるもの
遠ざかるもの
たちが見える

歩いているのは
ぼく
見ているのも
ぼく
でもそんなこととは無縁
のように風景はある

ぼくの中にも
風景はある
なじんだ草木も
あまりよくわからない
花咲くこともある

通りを歩く
視線を流してる内に
風に揺れる風景から
いくつかの破片を切り取り
僕の内に
イメージの葉となって
重なりしまい込まれていく

昨日のような今日
明日のような今日
でも
数ミリグラムは
今日が新しさになびく





77



ツイッター詩76(8月詩)
 ―「『家の中で迷子』(坂口恭平 2018年6月)のためのメモ」をきっかけに

 もうそれ以上遡れないような幼い頃の記憶を誰でも持っていると思う。さらに、胎内記憶を持っている子どももいるらしいが、三、四歳になるとそれも消失(あるいは、潜在化)してしまうという。言葉以前の段階、その言葉のようなものの編制から十全な言葉の秩序下に心身が置かれることになってしまい、言葉以前の世界は潜在化してしまうのだろう。

 わたしには、なぜか時々湧いてくる小さい頃の記憶がある。自宅のまだ土の庭先でカタカタを押していた情景である。回りに姉や兄がいた。しかし、その前後の庭に出る前のことも庭から家にか戻った記憶の方はない。わたしと弟は4つ違いだから、たぶん弟が生まれる前の、わたしが4歳以前のことだと思う。不確かだけどまだ言葉がしやべれなかったような記憶がする。回りには姉や兄がいて、私はよたよたとカタカタを押していた記憶がある。カタカタは、歩く練習と遊びを兼ねたもので、たぶんわたしは庭で遊んでもらっていたのだろう。悪い気分ではなかったような感じが残っている。

 自分の子どもらのことは覚えていないので赤ちゃんが立つのは何歳頃かについて検索してみた。小児科のお医者さんによると、現在は「赤ちゃんが歩き始めるのは、だいたい1歳前後が平均的な時期です。ただ、赤ちゃんの体の大きさや体重、成長の度合いなどによって歩き始めるタイミングには個人差があります。早い赤ちゃんだと生後8~9ヶ月頃、ゆっくりめの赤ちゃんだと1歳半頃に歩き始めます」(「こそだてハック|妊活・妊娠・出産・育児が"もっと楽しくなる"情報サイト 」)ということらしい。今から半世紀くらい前もこれと同じ時期だったのかは分からないが、そんなに大差はないだろう。

 これを考慮すると、上のカタカタの記憶は、わたしが1歳位から4歳までの間のことと考えられる。ちなみに、4つ違いの弟が生まれた日のことは、まだ自宅での出産で、人が慌ただしく家の内外を行き来するイメージととも別に記憶がある。

 わたしや人類の通り過ぎた時間は、当然〈現在〉から直接的には戻れない。しかし、〈現在〉から脚色されて〈現在〉に浮上することはできる。しかも、わたしの〈現在〉にわたしの太古(幼児期など)は何らかの形で保存されているように見える。だから、通り過ぎてきた太古にできるだけ近づくことはとても難しく見えるけれど不可能ではないような気がする。

 ここでわたしの太古に近づいてみる。




①現在の構成的な視線から1

家の土庭で
まだ言葉もしゃべれない
わたしが遊んでる
浴衣みたいな着物着せられ
遊んでもらっている

(ほら こっちこっち こおっち)
(ほらほら 手の鳴る方へ )
姉や兄の誘う言葉に
カタカタがゆらゆら
進んでゆく
わたしの心も心地よく揺れている



②現在の構成的な視線から2

家の土庭に
カタカタカタ カタカタカタ
音響く 音響く

足取り
ゆらゆらしながら
音響く
心の軌道も
頼りなく見えても
いい感じ
それが今のぼくさ
これ以上カッコよくはできないよ



③現在からダイブした内からの視線のつもりで1

乾いた土
カタカタ カタカタ カタカタ
かるい土埃(つちぼこり)がする
誘いの手に
からだゆらゆらしながらも
こころの足は
息を弾ませ
よたよた進む
カタカタ カタカタ カタカタ



④現在からダイブした内からの視線のつもりで2

乾いた土
カタカタ カタカタ カタカタ

  かたかた かたかた
  ひっぱられそうな
  ぐいぐいぐい
  ぐいーん ぐい
  かたかた かたかた

足下の土
カタカタ カタカタ カタカタ

  かたかた かたかた
  土はかたいけど
  なんか盛り上がるような
  かたかた かたんかた
  かたんかた かたかた

かるい土埃(つちぼこり)もする
誘いの手に
からだゆらゆらしながらも
こころの足は
息を弾ませ
よたよた進む
庭全体は見わたせない
世界は狭い

  せまいと言っても
  ここがいませかいのすべて
  かたかた かたんかた
  かたんかた かたかた
  あ もう一回





78



ツイッター詩77(9月詩)


家に潜り込む日に
薄光る金だらい
水面が ふうっと微かに揺れると
水の粒々が
きらきら跳ねている

流れる 静かな
流れゆく流れに
誘い出され 黙々と
わたしも内に流れる
流れの水をすくう
感触の 冷たいっ
流れゆくを見る

染み込む水
次々に
制圧されていく地区
その微細ぼんやりと眺めながら
内に肌触れる
その湿り気の

ふうっと途切れる
賑わいの言葉
道々
相手の森の奥を
感じている
言葉は樹木の静けさ
で立っている

日差しにかざす
手は赤々と
めぐりめぐる
海流の
るる るるる
流れてゆく
るるる るる るるる
赤々と流れる
(にんげんを超えた大地の)





79



ツイッター詩78 (10月詩)


しっとけらまんば
みんば みんば
さっとけりみんば
まんば まんば

ぶろっけんぶろっく
むんぼ むんば
ぎりゃーくぎりょーく
むんば むんぼ

(遙かな 意味の岸辺
澱み漂うもの が ある)
あ、あ、おー ぁおぁおぁわわ





80



ツイッター詩79 (11月詩)


(すうっ)
風が動き出す
どこか すき間
を通って来る
さむい、なあ

(ひやっ)
過ぎた
わずかの時間
不確かに なりかけた
時間の道を
冷たい男
立ち上がり
立ち去っていく

(いたっ)
油断した心に
蜂の刺す
出来事が生起する
後は乱れに乱れて
ひとまずの収束へ

(ゆらゆら)
心も揺れる
水面に
木の葉一枚落ちる
ざわめくざわめく
木の葉船上のアリたちは





81



ツイッター詩80 (12月詩)


(暑い日差しに
足踏みする
体育の授業は
少しカクカクするが
汗はランダムに噴き出る)

今 わけもなく
足踏み鳴らす
コンクリートが
固い表情を返す
昔の土の
地面の感覚が
補整するみたいに
微かに加わっているか

体育と違って
今 ここに
足踏み鳴らす
ぼくの足は無秩序
みたいでも ちがうなあ
言葉で分別する
のは難しいけど
この足なら ほらわかっているさ

足に代わって
大げさに言えばさ
もう若くはない足の
時間の年輪から
今 ここに
滲み出し 流れる
時間の交響





82



ツイッター詩81 (1月詩)


外から中を
あれこれかれこれ
想像する 思い悩む
(うまくいけばいいけど
そうなったらどうしよう
ああなったらどうしたらいいのか)
薄暗い夜道をぐるぐるさまよう
夜の重量が重く膨らんでゆく

まぶしい朝
いちにーさんの呪文を唱え
思い切ってダイブする
ドキドキのバンジー・ジャンプから
潮退くように
未来イメージがしぼんでゆく
ありふれた朝に
浸かっている

(なあんだ
考えすぎだったなあ)
内省のしずく滴りながら
いつものように
朝の通路をゆっくり歩いて行く





83



ツイッター詩82 (2月詩)


(智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。)

智恵子の見上げた空
智恵子に下りてきた空

(私は驚いて空を見る。
むかしなじみのきれいな空だ。)

光太郎の見上げる空
光太郎の中を流れる空

(智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。)

智恵子に空が下りてくる
ずんずん下りてくる
智恵子の中を流れる空 智恵子の青
交わる空 濁る空 逸れる空 つなぎ止めようとする空
絵には描きようもない 沈黙の空争い

(あどけない空の話である。)

としめくくる
光太郎の中の空 荒涼と
かなしい並行世界の空空しい

今日もまた
この街の空 あの街の空
この列島の空
いろんな空があり
空の下 こころ空色に映え
出会い 交わり 濁り 軋む


註.( )内の引用は、高村光太郎『智恵子抄』の「あどけない話」より。





84



ツイッター詩83 (3月詩)


(そらはひろいな おおきいいな)
と歌って以来
おんなじ空の下
あんまり気にもかけないで
時には 見上げる
空を眺め
空に触れ
空に浸かる

背後の影 まぼろしのよう
くり返し くり返し
空は現れ
空は眠った

振り返ると
青いベースに
例えば
みどりの木を植え
小さな椅子を置き
風を流す
ひとりの空を持っている

おんなじ空なのに
ひとり ひとり
まるでこどもたちの絵の展示のよう

大空の下に育ち
誰もが小さな空を隠し持っている
不吉な雲が流れ続けると
智恵子のように
小さな空が はっきりと
ふるえ出すのがわかる





85



ツイッター詩84 (4月詩)


空が曇る
風が流れ出し
勢いが付いてくる
空が無慈悲に顔色を変える
激しい雨 雨 雨
いつ止むともわからない
原始の叫びじみてくる
(ぶるっと みぶるいする)

ありふれた光景の
ぐらり
反転することがあり
(しんじられない!
そんないちめんがあったんだ)
けれど
誰もがダースベイダー
ダークサイドに落ち込むことがある
(みぶるいする あんこくめん)

あんこくめん あんこくめん・・・
暗黒面が共鳴する
忘れられた古物語

智恵子の空遠く
大空の古物語がある
信じられない
大きな海進も海退もあった
さらにさらに
この大地が固まる以前から
ぼくらのくらくらするめまいの彼方
暗い暗い cry 空があった
オオカミ声で人が叫んでいる
ワオワオオオオン!





86



ツイッター詩85 (5月詩)


なんだか微かに匂いする
と感じる時
それはまぼろしではない
時間の空洞から
やって来る
日々の歩みに滲透しているもの

気づきは
凪の水面でも
絶えず波立っている
ように訪れる

ある日
いつもは素通りしていた
草花に立ち止まる
そんな風に
気づきは宿を取る

そうやっていくつもの宿を重ねる
気づきの旅も
いつもの朝のはじまりに帰っていく

じかんの海の岸辺には
恒河沙(ごうがしゃ)の気づきが
打ち寄せている
積み重なっている
卒塔婆はない
絶えず動き漂い流れるものだから





87



ツイッター詩86 (6月詩)


溝に落ちる
めったにない
溝に落ちる
想像してみる
溝に落ちる
ぼくにはなかったか

そう言えば
似たようなことがあった
溝に落ちたのだった
見慣れた溝が
距離はつぶれ
静けさが破られ
一瞬の暗闇
残骸の宇宙船
ただ横たわる痛み
みぞみぞみぞみぞ

そんな溝なんてない
毎日が過ぎてゆく
(溝語なんて知らない
それがいい
それでいい)
などと思うこともなく
歩いている


おもいおもうこともなく
重い衝撃が訪れる
ある昼下がり
溝に落ちる





88



ツイッター詩87 (7月詩)


母に連れられてきた
近くの川の洗い場近くで
川岸の砂地を掘り
小石を積む
水を引く

澱み濁り臭う川以前の
まだまだ小さいぼくは
きれいな水を引く
茅や草や石が
配置された慣れ親しんだ風景
人たちの気配と水音 水の匂い
それらが自然に漂っている中
ぼくは無心に
水路を引き 舟を浮かべる
さあ 出発だ
小さな物語の中を流れていく

見上げると
人 人 人 の織りなす
こじんまりした
それでも大きく見える世界
そんな時間の流れから
ぼくの物語の自然さも夢も来ていた
のかもしれない

今はもう どこをどう
流れているのか
わからない
新しい町の表情に
追いやられてしまった川の
小さな物語の破片たち
ぼくはぼんやりした二重の
眼差しで拾い集めようとする

小さな物語の
破片たち
どこへ散っていってしまったか
遙かな時が
きらきらした
水面に浮かんでいる
もう戻れないよ
と念を押すように
風が静かにさざ波を立てる





89



 [ツイッター詩88] (8月詩)


衛星画像からは

に等しい
小さな砂地
ひんやりと
死が覆っている
見える

降下する
ずっとずうっと降下する
小さなグレーの布
砂地は死んでいる?
見える

ぼんやりした記憶の
遙かな果て
小さな砂地の
なつかしい?
(なつかしくはある)
上り詰めた近代の
崖っぷちから
泣き濡れて投身する
なんて幻さ
もう戻れやしないさ
見える

戻りたいわけでもない
ただ 砂地の現在を
踏みしめて噛みしめて抱きしめて
ららら らん
と歩みすぎるだけさ

昔と同じように
砂地の内では
ひとりひとりの砂粒が
湿った風に
いい呼吸をしている
見える





90



 [ツイッター詩89] (9月詩)


戻り道は
考えていない
拍動の巡る血の
自然に 前へ 前へ

過去の
子どもの視線の構図は
現在の
ぼくの視線の構図に
うまく重ならない
それでも
匂い立つ
同じような匂い 同じような色合い

あのこと そのこと
もういろんなことを
忘れてしまった
それはいい それでいい
けど匂い立つものがある
ぼくが生きてきた
あの地この地の
流れる水の匂う

限られた素材から
たくさんの言葉を
調理し並べてきた
(気に入らないなあ)
ほんとうに言葉にしたい
ものは隠し味のよう
夜も明るい 喧噪の
言葉の森にまぎれてしまって
あいかわらずの迷路の現在か





91



 [ツイッター詩90] (10月詩)


「ハッキリと言いなさい」
と言われても
ひと言では言えない
言えない 言葉の家ない
吹きさらしの
千言でも 万言でも
カチッとぴったり
言い尽くせない
風吹く中

子どもばかりでなく
大人になっても
そんな場面に
出くわすことがある

のんびりと歩いていたら
急に風景が揺れ出し
窮屈な言葉の窪地に落ちている
責め立てられ追い立てられ
ているような
濃い意味の磁場
(風が ないなあ
窓は どこだ?)

「ハッキリと言いなさい」
と言われて
言葉の森の道
しぶしぶたどっていく
枯れ木の目立つ
緑少ない小道を
抜けて行く
心には枯れ葉ばかりが降り積もる


(秋 どんより空の
異変の徴候から 渦中 収束まで
溺れそうに泳いでいく)





92



 [ツイッター詩91] (11月詩)


することは
つながりの糸伸ばし揺らす
双方向に波が行き交い
明かりも点る

勉強する
仕事する
音楽する
買い物する
相談する
一人でする
周りに波風の立ち
返ってくるのは
いい風ばかりじゃない

一人でする
するの周りは
一人二人と目が届き
干渉の縞模様の立つ

しないことは
何もしない
それでも波風が立つ

歯磨きしない
挨拶しない
説明しない
買い物しない
一人でしない
周りに波風の立ち
返ってくるのは
いい風ばかりじゃない

onとoff
のスイッチじゃない
することもしないことも
心や社会の草原に
同じように波風の立ち
草がなびいている





93



 [ツイッター詩92] (11月詩 ②)


仕事の合間のひと休み
誰もがほっとする
わけではない
前の仕事をひきづりづり
先の仕事を引きよせよせ
気がかりが引っかかりかり
濁りのほっともある

農仕事のひと休み
「おーいお茶」
って何だろう?
ペットボトル以前の
昔ならわかる
今は
今は誰に呼びかけてるの?
新次元の「おーいお茶」

時代とともに
物も関係も言葉も変わる
今は
誰もいなくても
「おーいお茶」が飲める
チャンネル争いしなくても
テレビが観れる
無くしたものと手に入れたもの
いいことばかりじゃない

(こんなふうに
時は流れていくのか)

ひと休み
割と ぼうっと
空を見ている
空を見ている。





94



 [ツイッター詩93] (12月詩)


しない
詩無い
詩しない
時間はたくさんある

そんな時は
詩は
眠ってる
わけじゃない
無意識の川原
川は流れ
時折泡の立つ

しない
詩の竹刀
詩しない
竹刀は静かに部屋に掛かっている

そんな時は
詩心は
眠ってる
わけじゃない
時折むしゃ震いに
詩の竹刀は
昂ぶる夢のように撓(しな)る

しない
詩無い
夢の中
グーグルアースで旅する
シナイ半島
しない
詩無い
知りもしない
シナイ半島

そんな時に
乾いた大地
今日も煙が上がる
シナイの貴重な水よ 大地が乾いている
詩は
詩はどこを走行しているか
シナイ半島
詩の土煙は見えない
・・・・・・
夢が反転して
わたしの部屋に止まる





95



 [ツイッター詩94] (1月詩)


する しない
食べる 食べない
大きく分かれる
道の先にも
無数の分かれ未知が点滅する

視線を引くと
窓の内に人がいて
そこここ動いている
〈食べる〉
少しだけ 食べる
おいしそうに 食べる
気まずそうに 食べる
太宰治もまた 食べるひとりだった

家の外にも人がいて
そこかしこ腰掛けている
〈食べる〉
よそ行きの少し良い気分
少しよそ行き風に 食べる
気がかりを沈めて 食べる
太宰治もまた 何度も食べてきた

食べる 食べない
の峠を越えて
いろんな草花が見える
生え育った草花たちが 風に
微細な差異に揺れている

生まれ発ってゆく
言葉たちもまた 大気に
それぞれ固有の身ぶりで
微細な差異を羽ばたかせている

見える





96



 [ツイッター詩95] (2月詩)


(・・・)
尋ねられて
すばやく答えられる
ことも多くなった
(が)
尋ねられ
問いそのものを抱え込んで
一歩も進めない
こともある
(な)
何者にもなるつもりはないけど
科挙みたいに
途方もない
時間さえあれば
問いに少しは答えられる
のかもしれない
(も)
もしもしと
夜中に訪ねて来るものがある
振り切るように
黙って さっと手を払うと
暗闇に人の気配がする
(た)
たったひと言の
支えがないばっかりに
闇夜を落ちていく
人の声がする
(ふ)
負の札ばかりに
ふふふ
力なく寂しく笑っている
(う)
渦巻く心
うずくまる心よ
さっと立ってゆけよ
ひとつひとつ
闇くずを拾いながら
(・・・)
この世界に
偶然のように生い立ち
どんなにマイナス札ばかりに見えても
どんな荒れ地でも
日を浴びて
草木は育ち枯れてゆくよ





97



 [ツイッター詩96] (3月詩)


眠りの余韻を
少し引きずって
朝に入る
とんとんとん とんとんとん
朝食の匂いもする
(トントントン)
普通に階段を降りて行って
(トントントン)
それは困ると
言葉の素の顔が言う
見られたら困るものが
朝だけではなく
言葉の素顔にはある
(入っても良いですか)
いやいや
それは困る
困るんだよ
と拒絶の石が
眠気も覚めて
固く座り込む
ああそう言えば
明日はお祭りか
(とんとん ととん
とんとん ととん)
お祭りの言葉には
誘い出されもするが
今は明日じゃない
ひとところに長居はならぬ
ならぬならぬと
力んでも
(トントントン)
と物事はうまくはいかない
(トン トットン)
くらいの言葉の色合いで
がまんするしかない
言葉は
いつも翼を隠し持ってるんだけどね





98



 [ツイッター詩97] (4月詩)


(ううっ)
風が (つ・め・た・い)
まともに浸かっていると
ぶるっと身ぶるい
(さむいな)
言葉の服を重ねる

(左右上下でなく 横 横か)
この冷たい風の中
深あい人の道
親鸞みたいに
横様に超えていきたいな
日々しがらみの
靴は脱ぎ
素足の
冷えた言葉の道を
歩いていく

(ここはどこ?)
くり返す
なじみの場所でも
時には名をたずねている
不明の木々
不明の信号機
くたびれた言葉の道を
どこへ行くのか
(どこへ?)

わからない
(わからない)
不明の
横断歩道を渡る
あてはない
なくても
とりあえず
昨日のように渡る





99



 [ツイッター詩98] (5月詩)


鼻歌うたいたい時には 歌い
踊り出したい時には 踊り
それでいいじゃない
過去や未来を気にして
ブレーキかけなくってもね
引きこもっていても
いま ここの
その感じ

いま ここには
過去や未来や現在のイメージ群や
たくさんのものが
蝟集(いしゅう)する
平均台の上を行く
のはもうたくさんだ
引きこもっていても
口笛でも吹いて
気ままに歩いてゆくんだ

外は硬い空気 硬いからだ
(硬い不幸もある)
沈黙を深く沈めて
わざわざ出かけない
内側の
ドアを開けると
日差しが注ぐ
まぼろしの道があり
気ままに散歩している



100



 [ツイッター詩99] (6月詩)


緑の
(日差しにぬれて
葉のみどり
揺れている)
風が
(肌にふれて
みどり滲みてゆく)
今ここに
(振り返っていくこころ
はなく)
階段はない
(下ることもなく
いまここに半ば溶けている)

時には
探査する心を起動せず
自然の近傍に
いる
ああ
みどりがしみる
空が真っ青だ



101



 [ツイッター詩100] (7月詩)


〈青〉という言葉を書いて
見つめている
周囲を巡りながら
〈青〉の中にダイブする
しぶきが上がる
青い滴が肌を滴る

〈青〉
放つ思いと退く後悔とが
溶け合って流れている

もう動き出した電車
乗り込む前には戻れない

〈青〉
世界は一色ではなく
一色に収束もすれば
発散もする
うごめく色
だから言葉は
どこかで
途上の句点を打つ

〈青〉
微世界が
大きな世界に
膨れたり戻ったりしている
ちょうど
地球の中から全宇宙を見るように



102



 [ツイッター詩101] (8月詩)


夢ではない
ある日
抜け出て
風景画の中
ぼんやりと歩いている

見ていても見ていない
日差しの下の
視線は退いて
自分の奥深くへ
ぼうっと下りている

そんな時は
風景画の中
風が流れ出す
雨が降りはじめる
木々のみどりや
家々の色が
溶け出し滲む
風景が抽象に
ぐらりと傾き
倒れ込んでいく

風景画の中
歩いていると
ぼんやりとした状態から
重力がシフトしていく
ひとつのなじみの世界
a o 世界へ



103



 [ツイッター詩102] (9月詩)


くり返し出会う
なじみの世界なのに
何度も何度も
たずねても
小さな謎は相変わらず
椅子に腰掛けたまま
語り出そうとはしない
(もしかして問い方が違うんじゃないか・・・)

波が寄せては退く
日々の岸辺には
言葉が飽和している
憑かれたように
言葉が言葉を飲み込み吐き出し続ける
言葉場を
誰も逃れることはできない

古びて捨てられた
プラスチックの言葉たち
誰も手を差し伸べようとはしない
負ばかりが降り積もる
(新しい言葉の芽は・・・)
とつぶやきかけては沈黙に沈む

たぶん道がちがうんだろうな
とは言っても
発想の根っこが凝り固まっていて
どんなにあがいても
そこからはどんな芽も屈折していく
(「たぶん道がちがうんだろうな」と心が指し示す
言葉の通路が違うんじゃないか)

〈言葉のスーツを着て
〈橫超!〉
と呪文みたいに
カッコ付けて唱えなくても
すぐそばにあって
気づかれない
ありふれた道を進んでいく
(それでいいんだよ
それがいいんだよ)



104



 [ツイッター詩103] (10月詩)


今日も
にぎやかな言葉通りに
言葉飛び交い
挨拶したり ぶつかったり 追跡したり 誘い込んだり
している
言葉場
(コトババ?)

にぎやかな言葉通りにも
微妙な言葉場がいくつもあるんだけど
微と妙が背中合わせの椅子に座っていて
互いに無縁と思ってるから
いつも解は
アイマイミーなんだよな
誰のせいでもなく
漏れていく本質
穴の開いた
言葉場
(アナ ドコヘ?)

どこが悪いとは言えない
なんとなくすぐれない体調
と感じ出すと
この言葉通りでは
言葉たちが感染していく
くいくいくいくい
流行のアカルイ異風が流れている
(アカルイ?)

大きな網は
見映えする言葉を掬(すく)い
パッパッパッと手品みたい
連結してイメージを作り出す
小さな網は
あちこちそちこち
慎重に掬っていく
なかなかイメージが流れ出さない
(アミ?)

大きな網も小さな網も
ほんとうは
モスキート音と違って
誰にも聴こえている音場の中にいるのに
自分の心臓の鼓動のよう
気づかない
漏れていく本質
空耳かと疑いながら
低音の 微かに鳴っているような
バ バ バ バ バ
言葉たちはふだんの重心からそれて
イメージの流れる音を聞いている



105



 [ツイッター詩104] (11月詩)


それは形だけど
きみのひとつのかたち
これは色だけど
きみのひとつのいろ

ひとつの
きみのかたち きみのいろ
の中には
知らず知らず
選択されなかった
無数の形や色が横たわっている

向こうの
沈黙の崖の近くには
きみが振り返らなかった
言葉たちが
気づかれるのを待っている
静かな
しずかな
沈黙が日差しの中小さく揺れている

作者も気づかない
言葉があり
気づかれた言葉と
気づかれない言葉の
静かな黙劇が
沈黙の崖の辺りで
演じられている
観客はひとりもなく
さびしい青の流れている



106



 [ツイッター詩105] (12月詩)


こんな窮屈な
細道に来てしまった
もう大道には
戻れそうにもない
言葉道

ゆったりした
大道の気分 言葉は
うその気分 言葉に
なって閉まった
死語にいる

死の感じが
死の匂いが
死語になってしまっている
のがわかる 見える

なんと窮屈な
と呪(のろ)いながら
無数の枝葉の細道を
言葉の身は潜(くぐ)っていく
もちろん普通に
日は差し風も吹く
おいしいパンケーキも食べる

死後の夢はある
けれど言っても仕方がない
窮屈な言葉通り
を黙々と歩いていく

心は
無意識のよう
時折
どこかに風穴はないか
触手を伸ばしてはいる

たぶんこんなことを
にんげんは
何度もくり返してきたのだろう
死語と死後が
ひそかに私語する通りにいる



107



 [ツイッター詩106] (1月詩)


深まる
秋の色を越えて
深まる言葉の秋

慣れた自然さから
振り返る
古びたイメージの中の
秋が遠のいて
見える
言葉の道を
向こうへ駆けて行く秋

追ってはいけない
滅び行くものは
仕方がない
新しい概念になりきれない
言葉の丘を
いくつも越えてゆくきみよ
ほらAZBの歌もいい感じだろう?
鼻歌でも歌いながら
今日も
丘を越えて行こうよ
「丘を越えて」越えて行こうよ

深まる
深まる言葉の秋
枯れて舞い落ちる言葉たち
新しい概念の秋は
まだ匂い立たない
そんな言葉の通りを
踏みしめながら歩いている
言葉の秋 ずいぶん乾いて
深いなあ
にんげんの空洞が微ふるえている


註.
「丘を越えて」は、1931年(昭和6年)発表の歌。



108



 [ツイッター詩107] (2月詩)


言葉の飛び石を
無心に飛んだのは
子どもの頃
無心ということが
どれほど貴重なものか
その時はわからなかった

降り積もる時間
しだいに変わりゆく無心
  ナイナイ内
装飾や配慮や内省や
いろんなものが
無心の姿を変貌させていく
  内ナイナイ

自分から
変身!
ということもあるけど
そればかりではない
無理やり変身させられる
のをぼおっと見ている子どもの自分がいた

広告宣伝装飾自己主張の時代!
それを自然と感じる
のもいいさ
けれど異和する子どもの自分もいる
異和異和異和
  イワンの馬鹿
  虔十公園林
(ちがうなあ)
と折り返してくる自分がいる

たまには昔みたいに
飛び石を飛んでみる
 あ い え
        あーい え
           ウ ラ ン ド ル の
 音 楽 隊
        も う 春 か



109



 [ツイッター詩108] (3月詩)


若い頃には
用事が無くても訪ねて行く
訪ねて来る
そんなことがあったような気がする

現在は
用事で訪問する
訪問してくる
コマーシャルとプッシュプッシュプッシュ
のアメリカン
それでも薄い情味は付いている
一方
沈黙の峠で
行ったり来たり
そんな心やさしい少年たちも
どこかにまだいるかもしれない

言葉の野は
どこかエコロジー
言葉の街は
疾走する消費経済
回せ回せ回せ
と地の声天の声がする
どこもかしこも用事と経済だらけで
言葉の圏内が息苦しい
そんな手垢が付いて
ぼんやりと景色眺める
やさしい歌もない

用事も経済も無く
言葉がくつろいでもいる
はずなのに見分けにくい
にくいねと思っても
やっぱりコマーシャル言葉に急変身する
(う う うう モオー モオー)



110



 [ツイッター詩109] (4月詩)


だんだんとなかよくなっていった。
だんだんとなかなくなっていった。
だんだんとそとへとなっていった。

なんだかたのしかった。
なんだかたのもしかった。
なんだかたのおもかった。

どうなんだろう、あんがい
どう、なん、だろう、あんがい
どうなんだ、ろうあんが、い
 
ぼくは言葉のファンだ
ぼくは言葉のフアンだ
ぼくの言葉はふあんだ


註.
第一連から第三連の一行目は、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの 今日のダーリン」(2021/03/23)より引用 。



111



 [ツイッター詩110] (4月詩 ②)


ふと
見えない自分の背中が
気になったら
気づくかどうかに関わりなく
きみはもう
不安な顔をして
重力場の外れに立っている
あるいは
この世界の深みに下りている

いつもなら
考えることもなく
日々の飛び石を
踏んでいるのに
ふとリズムが乱れたか
踏み外すことがある

外れに外れて
世界の外れ
までやってきても
もう慣れたもので
恐くはない
ただここからは
別の不明の森
が果てしなく続いている

(果てしなく?)
(そう思える見えるだけではないのか)
(簡単に巻き取る
言葉が問題なんだろうな)
不明の森は〈奥深く〉
は確かな感じがする
そうしてあらゆるものが
抽出された純度で漂ってくる



112



 [ツイッター詩111] (5月詩)


あっ そこから先は
と感じられる
だんがいぜっぺき感がある
見える光景に
深い目まいが加わって
もうその先には行けない
(いけないよお)

(いけないことなの それっていけないことなのか)
いけないことなんて
ここにはない
けれど いけない行けないいけない
色んないとが混じり合い溶け合い
深みにはまる
元気なんかもらいようもなく
言葉の足がすくんでいる

頭ではわかっているのに
心からだは違う方を見ている
そこから書き記された
言葉と言葉もそれぞれ
違う方を見ている
(勝手に滑っていくよう)
そうして文脈は流れ続ける

声色や表情が見えにくいから
言葉たちは
感じ取られにくい
それを良いことに
言葉はカッコつけすぎる
あるいは
大げさに明るく振る舞う
深く悩みすぎる
あるいはまた
現場を過少申告する

言葉の様々な芸の姿もまた
言葉の有り様には違いない
けれど 時には 芸を超えて
言葉は白日の下に引き出されるべきだ
晴れは晴れ
曇り空は曇り空
雨のち晴れは雨のち晴れ
と微妙さそっくりそのままに
白日の下に
(裸形は痛々しいぞ)



113



 [ツイッター詩112] (6月詩)


考える考える
考えすぎる
(あっ、しまった)
と思ってももう
通りすぎてしまっている
穏やかな風は
一瞬の夢

すぎるすぎる
通りすぎる
(すぎてしまった)
後悔ばかりが追いかけてくる

閉まったものは
開かない?
(そんなことは ないと思う)
けれど ズンと極低音に閉まってしまった
残像や響きは残ってしまう

要するに
きみはこの地上を旅する者
「いい日旅立ち」
「ディスカバー・ジャパン」
「イヤシイヤサレ元気の湯」
喧騒のコマーシャルあふれる表通り
(ウッセーな)
とつぶやいたりして
黙々と通りすぎていく

ゆくゆくは
なんて考えの足引き締めることなく
日差しを浴びて
ゆったり歩いて見るか
((無限遠点から急降下して))
(いまここが・・・
すべてなんだ)
草いきれがしている



114



 [ツイッター詩113] (7月詩)


風が出ている
わけではない
シームレスの
言葉の布が一枚
はためいている
心はぼんやりと
言葉の峠の方を見ている

言葉の布のはためきを
微分していくと
切断された風と
空の青の匂いと
滲みている人の体温とが
抽出されて
虹色の心が
微分場に浮かんでくる

言わなくてはならない
言葉は次々に湧いてくる
ようなのに
言うべき必然が
感じられない
言葉の解析学よ

「一切は空」などとも違う
白い言葉の道
その隣の道には
たくさんの言葉たちが
昨日と同じように
あわただしく歩いている

歩いている
あ る い て い る
こと自体が
内に静かに水を湛(たた)えている
(深々と青いね)
と深い時間の内に静かに座る



115



 [ツイッター詩114] (8月詩)


〈言葉にはからだがある〉
と思い始める
と ひとつひとつの言葉には
姿形や体臭があり
ある固有のふんいきを放ちながら
言葉の街を歩き出す

〈言葉にはからだがある〉
と思い重ねてゆくと
言葉には生誕があり
成長があり
死がある

言葉の〈あ〉が〈い〉にすり寄る
つれない〈い〉に
くり返し〈あ〉は
身を焦がし不可能の夢に眠る
地団駄踏む〈あ〉から
ある時〈あああ〉という黒の感動詞
が神のように生みだされる

神生み神話と違って
生みだされた言葉はつらい
たくさんの人々を追いかけ
言葉の街で生きていく
見向きもされなくなった日
死後を生きる死語となる
いつか迷い込んだ者が
死語を発掘して
その冷たいからだに触れようとする



116



 [ツイッター詩115] (9月詩)


〈言葉にはからだがある〉
とイメージするならば
「ミクロの決死圏」!
いやいや それもいいけど
自由に高度を上下し
透過することができる
MRIのようなひとつの視線!

 みどりに押されて
 ふっとわたし(言葉)が立ち上がる
 〈いいかんじ〉
 わたし(言葉)のからだが揺らいでいる
 〈いい感じ〉
 なのか
 〈いい漢字〉
 なのか
 わたし(言葉)のからだが定まらない。

透過せよ 透過せよ
そのみどりなす流れに
投下せよ投下せよ
視線を投下せよ

 わたし(言葉)を流れるものがあり
 みどりに押されて
 ひとつのつながりへ
 わたし(言葉)の手を取られてゆく
 〈みどり〉の〈いい感じ〉に
 〈わたし(言葉)が流れ出す〉
 〈あっまぶしい 朝だ〉



117



 [ツイッター詩116] (9月詩 ②)


パンケーキって
パンとケーキの話でも
パンと音の鳴るケーキでも
パンケーさんの乗っている飛行機のことでも
何でもイメージできるさ
けど 今は
大好きな食べ物の
パンケーキの話

パンケーキと出会うには
ある時ある所に生まれ落ち育ち
ぐんぐんぐんと大きくなり
ある時 初めて
パン ケーキ
という言葉を慣れない手つきで口にしてみた
やわらかい ほんのり甘い いい匂い
の言葉にイカレてしまった

パンケーキにも
いくつかの言葉の階段ができてしまった
まずは ひとりゆったりパンケーキを食べるぼくの場所
(いろいろ忘れて さあ食べるぞ 最高だな)
次にパンケーキを食べるぼくは
もうおじさんになったけど
パンケーキという言葉が
若い女の人を呼び寄せるみたい
(ぼくって カワイイ?)
さらにカワイイつながりで
他のおじさんたちをも組織する
(ぼくって イイナイイナ
パンケーキ総理になった気分)
イイナイイナ パンケーキ

ある時いい気になっていたら
パンケーキの言葉の足につまづいて
一瞬に BANCAkEになっちまったよ



118



 [ツイッター詩117] (10月詩)



夜の深みに黒が濃くなる
ありのままにも願望にも(リアリズムにもロマン主義にも)
遙か遠く
あるいは ただ深く沈んで
傷ついた言葉は喩となり
ひとり ひとり
〈みらい〉に向かう

大空が相変わらず
曇ったままや大荒れでも
重たくのしかかってきても
確実に
下りて行く〈みらい〉の感じがする

夜の闇の中
はがれた花弁の〈みらい〉が
〈み〉〈ら〉〈い〉となり
ひらひらと
〈ら〉〈い〉〈み〉 〈らいみ〉になったり
〈み〉〈い〉〈ら〉 〈みいら〉になったりしながら
ひらひら ひらひら
フォーメーションをくり返す
言葉の喩が下って行く

(ほんとうは
フォーメーションとかではなく
言葉の喩が着地する
場が問題なんだ
登場人物と語り手と作者と・・・・・・
と静かに思う)

いつものように
朝のまぶしい階段を上っていく
夜露がうっすらと言葉に残っている
《み ら い》



119



 [ツイッター詩118] (11月詩)



遠足
えんそくえんそくえんそっく
エンソク エンソック エーンソク
(なんかテレビCMみたい)
えんそく え・んそく えんそ・く
(でも宣伝の旅じゃない)
良い着心地を探すように
音の響きの
流れを下ってゆく
見慣れぬイメージの波が
あちこちに上がる

とおいあしか
遠泳もあるのに
遠歩とならなかった
漢語の海から
なぜか「遠足」を引き上げた
近代人は
どんなイメージの水路を通ったか
欧米の水も散布されたか

遠足以前と
遠足以後があり
遠足の内を歩いて来た者
遠足の外を歩いてた者
ビミョウにすれ違いの道
は分かれていく
先生のスタスタの概念の足
の内側を
少年たちは寄り道小道
ちょっといじわるしたり
はしゃいだり
木の枝を折ったり
にぎやかにゆったり歩く
今も歩いてるんだぜ



120



 [ツイッター詩119] (12月詩)



言葉よ
言葉はどこにいるか
あふれかえる言葉の街
言葉よ
おまえはどこにいるか
裏通りに咲く雑草のようにか
表通りのにぎやかな言葉の影にか
それは小さな〈ことば〉か
それとも
それは異装の〈コトバ〉か

怒られた少年の言葉が
俯(うつむ)いている
そのとき
次々と放たれてくる言葉
言葉が言葉に
衝突スル 屈折スル 反射スル 貫通スル

俯く少年の言葉は
舞台の上の言葉
そこに真を探しても無駄だ
衝突スル 屈折スル 反射スル 貫通スル
少年の言葉の曲面から
放たれる
言ば こと葉 コ戸バ
放たれる言葉には真は被覆されている

言葉がどこにいようと
真は
真は奥底に
ひっそりと沈んでいる
簡単には出会えない

例えば現在の
橋上の二人よ
同じ澱んだ水面を眺めている
言葉はともに深く沈んでいる
けれど
湧き上がってくる
イメージや音楽を着た言葉は
なかなか出会えない




121



 [ツイッター詩120] (1月詩)



湧いてきた
つぶやいた
とっても短い言葉でも
お茶の時間の味わいがあれば
ほっとするね
そんな一時があれば

あればいいな
と願っても
お茶の時間が終わったら
またふだんの歩みに戻っていく
戻っていくね

でも湧いてくるからには
そんな言葉場が
どこかにあるんだ

あ 金星が出てるわ
そうだね 明るいね
(よぞら きんせいが ひかっている)



122



 [ツイッター詩121] (2月詩)



アワアワの
昨日までのことはよくわからない
今日言葉になってしまった
言葉は新調の服着て言葉の街のある街角に立つ
(気恥ずかしいな)
ぼくの内を
いくつもの葉が
ひらひら ひらひら
落ちてゆく
(なんかさびしそうな感じの葉葉)
おぼえていなくても
そんな言葉のはじまりの朝が
確かにあった

遠いはじまりはわからない
ことばかり
それでも自然に
言葉は今を振る舞っている
あっ いるいる いるよ
と水の中をのぞき込んでは
心はやる言葉の冒険も考える

それでも
遠いはじまりに気が向く
のはひとつは現在の不安からか
もうひとつはそれが現在にも深く宿っているからか
カラカラと回しても
金色の遙かな過去がパッと転がり出るわけではない
でも遠いはじまりの促しや匂いは
確かにある
と感じている

見えないけれど
確かな重力の所在が感じられる
太古から続く現在の重力場の中
言葉の舟に乗り
現在の
ありとあらゆる歌を引き絞って
言葉の歌を歌うのさ



123



 [ツイッター詩122] (3月詩)



詩、詩で全てが言える
(そんなバカな)
しっしししし 言葉の深みを流れているものがある
そこから一気に掬(すく)って来るぞ
(そんなバカな
それでは
経済学は、土木工学は、栄養学は、心理学は、医学は、自然科学は、・・・
どうなるんだよ)

全ては心 全ては精神現象
全ては言葉
と見なせる場所では
全集中の詩が世界を全包括する
(ゼンホウカツって、何なん?)
それは2\dg、・・・ふろしきさ

詩で全てが言える
詩は全てを包む
詩は沈黙の内で歌う
詩は 詩は 詩は
しわしわになっても歌うんだ
 
(小説が面白いぜ)
(ドラマがわくわくどきどきするな)
(漫画はいいな)
(フィギュアスケートはカッコいい)

そりゃあよかった
気分よく楽しけりゃあいいさ
詩にこだわるのは
詩は 詩の 詩が
人間の全内省を引き受ける
可能性の星の瞬きを感じるからさ
もちろん、歌って、踊って 時にはきまじめに
それが詩

詩は
いい天気の土手に寝転んで
〈ああ いいな〉
それだけで
詩は
この世界の中枢に触れる



124



 [ツイッター詩123] (4月詩)



着飾る
服に限らず
言葉にもある
(ああ それってしぜんなんだろうな)

よそ行きの気分に
晴れがましい
合わさって
少し酔った言葉になる

よそ行きの当てがなくても
出かけて行く言葉がある
バーチャルの
街角を曲がって
まぼろしの
集まりに出る
出会う
人人人
少し背伸びした言葉
(少しギクシャク自分でも感じながら)
投げかけている

うちに帰れば
よそ行きは脱ぐ
(ああ これもしぜん)
ちょっとほっとする言葉たち

言葉は
日々いろんな世界
行き来する
自然なことと思ってはいても
夢にうなされる
日もある



125



 [ツイッター詩124] (5月詩)



でんとうが生まれる以前には
でんとうのことは皆目わからない
でんとうのすごさもわからない
(ほそぼそと)火や油やロウソクや
薄暗い明かりに
((ふと不平不満に沈むことはあるさ))
(めんどうと言っても仕方がない)
手付きはそれが普通と見なしている
周囲は明かりに染まり
自然な顔つきをしている

ぱあっと
でんとうに照らされて
漱石でさえ微笑んだ
のは確かだろう
でんとうは急に普及し出して見える
が電灯に到る道には
たくさんの廃棄物が横たわっていた
その先からでんとうは
パッパッパッパッ家々に波及する
漱石の小説にも登場する
旅先の柳田国男が遠く離れて目測している

でんとうの世になったからには
戦争だ
センソウダ
ダダダダダ
と圧をかけられても
(昔ハ良カッタ)とつぶやかれても
もうランプやロウソクの世には戻れない

いくつもの争いを踏みしめて
ここまで来たからには
せんそうも





でんとうを(普通に)浴びながら
みんな前を向いて
とぼとぼあるくしかないよなあ
またきっと
でんとうのver2.0に出会うだろう
((その時はもうでんとうとは呼ばない))



126



 [ツイッター詩125] (6月詩)



初夏の木々が

みどり
ミドリ
といろんな表情をしている
同じ季節のエロスに
貫かれているとしても
〈midori〉
音の通路がちがう
響きがちがう
イメージの花火がちがう
〈ちがっても同じ 同じでもちがう〉
レベルの違いそのままで
そのことにどこかでつながっているならいい
〈midori〉

同じ人が
季節によっても変貌する
春になれば人も
内から
うごめき出す
緑さんも
みどりやミドリに揺らいでいる
〈ちがっても同じ 同じでもちがう〉
緑さんが鼻歌を歌っている
〈midori〉

ふと十年前の森へ
入って行く緑さん
(どうだったかなあ わたし)
(もうぼんやりした抽象の森になってしまい
うまく思い出せない)
レベルの違いそのままで
〈ちがっても同じ 同じでもちがう〉か



127



 [ツイッター詩126] (7月詩)



少し下っていく
視線を向けているのだろうが
風景から退(の)いた心が
ぼんやりと
何を見るともなく
見ている
何か

たぶん誰にもありそうな
時間のすき間
もっと下って行くと
すき間の時間
が流れている
のを肌に感じている
ような

何百万年も続いて
今があるように
今には何百万年が収まっている
どこか
心もまた たぶん
何百万年が層をなしていて
知らぬ間に層を上り下りしているみたい
感じる

わからない
秘密みたいでも
ぼくらはみんな
知らぬ間に
秘密の内を
上り下りしているよ
いるよ

下った先には
深青の時間の水が
さざ波立っている



128



 [ツイッター詩127] (8月詩)



意識すること
運動・計測・理解・目標・修正・・・
言葉が生産性の煙を上げている
舞台には
意識することばかりが
主流をなしている
そんな言葉になれない
意識以前が
薄く影を引いている

意識しないこと
別に意識しない 意識しない
(のんびりゆっくり行こうか)
と思っても
もはやそんな場所はめったにない
あらゆる場所はエンクロージャーされ
生産・流通・交換・消費
のモードに入っている
だから消えてしまった牧歌のように歌うほかない

一部を全部と思い込んだら
一部以外は
静かな影となる
無理を承知でと頼み込まれても
影は無とはならない
無音の響きを立てて
歩き回る

確かに
陰陽
光と影
精神と物質
二元論は通りやすい概念の道だ
けれども
実際には二つは分かちがたく
絡み合っている
意識することは意識しないことと
主従関係ではなく
互いに等価な振る舞いとしてある

だから影も
宮沢賢治みたいに
気ままにジャンプするのさ
エンクロージャーされ
もう越えられない
と思うこともなく
ほらその小さなすき間でさえ
ジャンプできるだろう
ジャンプジャンプジャンプ



129



 [ツイッター詩128] (9月詩)



言葉や概念たちの
生真面目なやりとりが
続いている
論じている
反論している
揶揄(やゆ)している
いずれの立場も意味や反意味を信じている

意味信仰の圏外では
圏外ということも意識することなく
意味もなく
言葉の砂場で遊んでいる
子どもばかりではない
〈無心〉と呼ぶには
あまりにカジュアルである

言葉は開かれるべきだ
意味も反意味も
局所系に過ぎない
その無意識の前提が疑われるべきだ
意味の戯れもあり
超意味もあり
意味の零度の近傍もあり

意味場には
構成する
濃度と
運動する
否定があり
人が知らぬ間に生きている
そんな素振りの
意味の表情もある





130



 [ツイッター詩129] (10月詩)


意味も反意味も
取らないからといって
ポストモダンの脱構築ではない
このわが国では
なんかそれって
よそ行き着た坊ちゃんみたいで
場違いで 気恥ずかしいんだよな

ほらほら わかるでしょう?
生きて行くには
よそ行きもあれば
日々のなんてことないくり返しもあり
家の戸を開け放つには気恥ずかしいこともあり
そんな湿地の地域性が
放つ言葉にまとい付いてくるんだよな

ポストモダンもハイパーモダンもいいさ
一理はあるさ
でも局所系には違いない
遙か遠くから
人が歩いてきた
人が今歩いている
そして人が歩いて行く
この深層海流の振る舞いを
うまく捉え尽くせればなあ
にんげんの普遍の顔
それさえわかれば
もう鼻歌歌って歩いて行けるさ



131



 [ツイッター詩130] (11月詩)


ことばのベクトルには
くり返され来た
志向性や匂いや癖がある
手慣れた手付きの
無意識の自然が 流れている ような
(ああ その みずしぶきの)

そこから
見れば
吉本さんが芥川龍之介のひみつを開いて見せたのは
手慣れたベクトルが
内省上を縦横に走って見せたのだ
にっちもさっちも行かない悲劇が
よおく見えてしまった
(じぶんもまた 同じく じたばたしてる)

ことばの生まれ育ちは
一般論に抽出できても
ひとりひとり
染みついた決定論のように
逃れられない
強力な駆動力を持っている
正も負も溶け合って
現在地に寄せて来る
(おお それは ささいなこと ではない )

註.吉本隆明「芥川龍之介の死」
『吉本隆明全集』第5巻:1957―1959 晶文社 所収。



132



 [ツイッター詩131] (12月詩)


言葉があるから
ひとりきりもあれば
ふたりのひとりも
さんにんよにん・・・のひとりもある

言葉は手だ
手は思いっきり振ることもあり
手はつなぐこともある
手は内に閉じこもることもあれば
手は振りほどくこともある
言葉はふしぎな結合手

遙かはるかな水中生活が想像しにくいように
言葉が 言葉のようなものが
存在しなかった時代
を想像することも難しい
それでも
この世界に生まれ育って今あるように
ひとりの内で
無数の時間を潜り抜けてきた
言葉が生まれ育ってきた

それでもいつか
身に張り付いてしまった
言葉を脱ぐ日が来るだろう
(くるだろうね)
〈つらい嫌なこともあったけど
ああたのしかった〉
と内心に響かせながら
避けられない橋を渡って行くのかな
(いくのかな)



133



 [ツイッター詩132] (1月詩)


風の音や車などの騒音しかしない
と見えても
下ってゆくと
室内では
ストーブの音がしたり
テレビの音や
話し声や
おとおとおと おとおとおと
音をたてている

死は
音をたてない
かもしれない
けれど死の内側では
まだ微生物たちが微かな音をたてている
かもしれない

現場が見えなくても
たとえSNSの文字がこぼれ出るだけであっても
音は存在する
音はイメージを浮上させ
音は街を歩き
音は文字や絵やダンスの動きを描いている
音は生きている



134



 [ツイッター詩133] (2月詩)


(今どきお札なんてもらってもなあ)
ということはあるさ
当然誰かが作って手配して
お札というものになっているのだろう

それでも
要らなくなった人形が
なぜか捨て難いように
お札にも人形にも
たんなる〈もの〉を越えて
なにか なにかある

〈信じる〉ということがある
大石が自分から動いた
とかいう説話ではなくて
小石がふいと自分に寄ってきた
そんな気持ちになることはある
しかしいずれも似たものか

〈信じる〉者がさっと通りすぎる
はっきりとは語られない
あいまいな
言葉にはなりにくい
けれど踏み固められた道がある
ときおり冷えたことばの旅人が通る

もう少し
先まで行けるような気がする
信 信 信
シン・・・

遙か胎内生活は
言葉以前のある気配に
包まれている
滴るいのちの空気に
信のしずくが溶けていた?
確かに
信の芽はそこにあったはずだ



135



 [ツイッター詩134] (3月詩)


昨日と同じように椅子に座る
イスニスワル
(確かに同じ椅子に座ったが
昨日と全く同じかどうか・・・)
書く道筋でも
脇道に入り込んだり
うしろを振り返ったりもする

書なら
さらりと書き上げた後
少し運動したような爽快さが
あるのかもしれない
言葉の道にもそれは
あり得るだろうが
ぼくの場合は
ひとつの道で
紆余曲折し
十重二十重に追って行き
やっと目的地に着く
感じがする

昨日と同じように椅子に座る
といっても
オナジヨウニ
同じ中にも微妙な
風の流れがあり 滞留があり
(おっとう)
と深みに落ちることもあるかもしれない
(あ、見つけた)
という日もあり
同じ中にも
千差万別だね

今日もまた
同じ椅子に座り
歩き慣れた道に入って行く



136



 [ツイッター詩135] (4月詩)


住んでいる町でも
すべてを見続けているわけではない
(あ あの家は取り壊わされて・・・
新しい家が建つのか・・・)
とふと気づくこともあり

まだ聞き分けがなさそうな小さい頃
そこら一帯は田んぼだった
その田んぼの際の道を兄弟で歩いていた
無人の神社の前には
今のコンビニみたいに洗練されてはいない
雑然といろんなものがある
何でも屋さんの個人商店があり
その店への行きだったか 帰りだったか
ぼくだったか 弟だったか
(弟だったような気がするが・・・)
なぜか5円か10円玉を田んぼの方に投げて
兄か姉が何か注意するようなことがあった
そんな田んぼの前に立った場面を
なぜか思い出した

そんな記憶の場所も
今ではすっかり変わって
一帯は住宅地やスーパーになってしまっている
昔ほど水はきれいじゃない
あの川はコンクリートで整備されてしまって
立ち入る者をほとんど見かけない
けれど
記憶の場所と時間が
確かにそこにあった

当時と現在とを見比べると
暗転して
家並みも変わり
均質の田舎から均質の地方都市へ
農業中心からサービス業中心へ
土臭い自然から人工的な自然へ
小さいものから大きなものまで
いろんなものがすっかり変わってしまった

振り返る視線や
内省する言葉とは違って
町の姿も
急に変貌したわけではなく
日々少しずつ 少しずつ
見ている間に
見ていない間に
ちょうどそれらの谷間を
季節の巡りをくり返すように
変わってきたのだろう
そんな移りゆく大気を呼吸しながら
みんな生きてきたんだ
みんな生きているんだ
みんな生きていくのか

そうしてまた
人は
何度も何度も
こうした変貌をくり返してきたのだろう



137



 [ツイッター詩136] (5月詩)


ことばが歩いて行く
ことばにはからだがあるから
向こうからやって来る
ことばに
無言でも
匂いのようなものを感じてしまう

ことばは歩く
ことばは水の中にも入るし
泳ぎもする
空だって飛んでいる

ことばは自由だ
ことばは自在だ
なんでも
(できる?)

ことばは不自由だ
ずばりと言い切ることができない
あれこれかれこれ
道をたどってあの目的地に着く
ことばは遠足か
重い荷を背負ったつらい行軍のようでも
楽しげなピクニックのようでも
(ある?)

あるあるあるある
あればあるときあらわれよ
ことばは変幻自在
でもしかし
ことばは何ものかに縛られている
いるいるいる
いろんなものが
まとわりついている
そんな谷間をことばは歩いて行く

人に生まれてしまったからには
例えしゃべれなくても
例え書き記せなくても
そんなことば人になってしまった
しまったなあ



138



 [ツイッター詩137] (6月詩)


誰もがことばの人
の姿で言葉道を歩いている
歩いている 歩いている
歩いているよ

「わたしは話が苦手で」
「オレは文章なんてめんどくせえな」
「アタシうまく言葉をまとめられないの」
言葉の手前からいろんなものがこぼれてくる

遙か太古の人も
始まりの小さい子どもも
〈うまく言いたい〉とか
〈うまく言えないけど〉
ということとは無縁だった
どの段階からか
〈修辞〉ということが芽ばえた
それは
文字が生み出され
その熱気も冷めた頃
〈習字〉ということがはじまった
に似てはいないか

もちろん
習字や修辞への道は
はじまりから用意されていたはずだ

小さなことから大きなことまで
はじまりの線を踏み越えると
衣装を着たことばたちが
日々を紡(つむ)ぐのに夢中になり
言葉言葉言葉
があふれ出し
積み重なり
そうして
はじまりは
静かに埋もれていく



139



 [ツイッター詩138] (7月詩)


ことばの人と言葉には
なかなか明かされない
主人公の生い立ちみたいな
ひとつの物語がある

言葉とことばの人を分離するのは
言葉が
トランプの札みたいに静態的ではなく
ことばの人と
ことばの人が選び放つ言葉とは
投函されてしまった手紙みたいに
もう戻らない関係にあるからだ
ことばの人と放たれた言葉とは
動態的・重層的に見るほかない

表現の通路を通って
ことばの人に放たれてしまうと
言葉は
風に乗り
言葉が流れて行く
言葉が舞っている
受け取りのスペクトルで
大きな中央地帯はあるにしても
いろんな人に
いろんな受け取り方をされる
言葉たち
(ああ うまく言えなかったなあ)

手品でもファッションショーでもない
言葉は
どんなに過激でも
アクロバットをしても
素朴な疑問とやわらかなハートを
隠し持っている
言葉よ
ほんとうは
そこにこそ
下り立って
しずかに耳を傾けて欲しいな
と願っている
言葉は

騒がしい周囲に囲まれて
ことばの人の放った
言葉には
静かな
小さく波立つ
ひそかな
通路が
まぼろしみたいに見える



140



 [ツイッター詩139] (8月詩)


植物たちも動物たちも
一日の終わりには帰って行く
葉を閉じるものもあり
ねぐらに丸まって眠るものもあり
同じように
ことばの人も
一日の終わりには帰っていく場所はある

もしも帰っていく場所が
安らぎのない
揺れ止まない部屋なら
否定の言葉ばかりが
沈黙の沼に降り積もる

現在は過剰な言葉と客引き言葉にあふれている
時代の尖端のことばの人は
そんな言葉の通りを自然な感じで泳いで行く
そんな通りから外れたところからは
言葉で規制し
言葉に誘い込む
ように見えてしまう
警戒してしまう
だから普通のことばの人は
言葉にならない沈黙を
いっそう深くする

どんなことばの人も
うちに帰って
服を脱ぎ靴下を脱ぐと
もう言葉を放とうという気にはなれない
沈黙の疲労野に横たわる
ゆめは
夢は見ない
見ているのかもしれないが
夢は見ない

こんなどんよりした現在が
どこまでもどこまでも
続いていく
ように感じられる場所では
ことばの人は
深く沈黙に沈むばかりである

もちろん
いつものように
朝はまたやって来るし
ことばの人は
いつものように
朝に踏み出して行くだろう

けれど
ことばの人の
沈黙は
時代の意味にとらわれない
峠道を歩いている



141



 [ツイッター詩140] (9月詩)


風が吹いている
(かぜがふいている)
という感受は
ひとり固有のもの
と同時に
この列島地域の中の
この地域のものであり
その家族で育った者のものであり
人間という世界普遍のものでもある

それらが織り合わさって
分離することは
難しい

雨が降っている
(あめがふっている)
という言葉の通りを
ひとり
ことばの人は歩いている
背中の影は見えなくても
確かに影を帯びている

ひとりの内には
他人と共通はあっても
言うに言われぬものがあり
その自然さに
ひとりの言葉は染まっている

だから
ひとりにしか見えない
ことばの人の
総量を推し量るのは
とても難しい

この人
その人
あの人
近づけば
違いは
匂ってくる
そうして
交差する
ぼくの視線と肌感覚に
少し見知らぬ道が
微かに浮かび上がってくる



142



 [ツイッター詩141] (10月詩)


「赤の他人」
今では少しなじんでいて
ヘンな気分になることはない

長らく生きていても初めて出会う言葉がある
「赤の他人」に初めて出会ったとき
赤(アカ)と他人が結びつく
その奇妙な表情に
戸惑ったと思う

その後には
気を静めるために
辞書を引く
今なら
検索に出向くことになる

そうして
時々「赤の他人」に出会っている内に
「赤の他人」は
しだいにその奇妙さを脱ぎ捨てて
ぼくの身近な言葉の椅子に座ることになる

ところで
小さい頃から
くり返しくり返す
改名もあり
くり返すくり返し
てきた
言葉たちは自然だ
〈ごはん〉も〈おふろ〉も〈かあちゃん(ママ)〉も
自然だ
しぜんだなあ

くり返してきた
大きな時間の水圧から
自然に
こぼれ出る言葉たち
もある

あるある
ありをりはべりいまそがり
言葉の滑り台を
つい滑ってしまう
時もある



143



 [ツイッター詩142] (11月詩)


使っていても
それをよくわからない
ということがあり
知っていても
深みまでは知らない
ということがある

いつも放っているのに
言葉のことをよくわからない
ということがあり
ずっと生きてきたのに
生きるということがよくわからない
ということがある

人は考える坂を上ってきた
ずっとずっと上ってきた
これからも上り続けていくだろう

ところで
例えばネコが
外に出て外気をクンクンしたり
日差しを浴びて寝そべり解けている
そんなふうに
人もまた
そんな場面や時間も持っている
(知らなくても
わからなくても
いいさ)
という顔してしぜんに歩いているよ



144



 [ツイッター詩143] (12月詩)


同じ時代の同じ社会に存在していても
生きている小社会や家族や
違っている
違っていても
語らなくても
誰もがわかるものと
語られないと
意味不明のものがあり
同じ時代同じ社会に存在している

そうして わかるものもわからないものも
ともに揺らいでいる
(あらゆるものが 揺らいでいる)
感じに襲われる
(大きな 時の 曲がり角
を曲がっている 気配か これは・・・)

年齢や世代によって
見える言葉の風景は
同じもあれば 違いもあり
社会の層を流れている
その下の方では
またひとりひとり 違っている
ちがっているね
ひとりひとり
社会の結節や流れがどうあろうと
日々小さな火を点し続けている
(ああ 無数の微小な火たちが 見える)

社会は
上の方から あるいは街路から
(無意識的に あるいは意識的に)
バラバラを嫌い ひとりひとりを引き寄せ
中心を持とうとする
壮年にぴったりの言葉の衣装を身に着け
中心の流れを敷いていく
その流れの端の方を
少し遠慮気味に
子どもや老人たちの言葉が通って行く
(子どもらはわからないかもしれないが
いろんなものが大きく変わってしまい
時は「スピード感で」流れ続けている)



145



 [ツイッター詩144] (1月詩)


昔は小学校で何年に一度か映画を見に行った
あるいは校舎の壁に白い映写幕を張って
映画が上映されたこともあった
いずれも映画の中身はまったく覚えていないけど
ふしぎな世界だった
物語は稀少だった
そんな通りを通って
ひとりひとり
自分のみちへ入って行った

今では
物語もドラマも
あふれている
それが普通の光景になり
まぼろしの川みたいに
流れてきては去って行く
物語の橋を渡ったり
渡らなかったり
小さな電子機器ひとつが
そんな世界と接続する

過剰な作品たちの中
ひとりひとりの
大事な物語なのに
ひとりひとりの物語は
アウトラインがくっきりとは描けない
あふれかえった
物語やドラマの中
主人公のわたしは
ドラマの手前で
手ぶらで
乾いた風に吹かれている

次々に生み出される物語
誘いかけるCMの言葉や映像たち
知らぬ間に
エンクロージャーされている
ひとりひとりの存在感
そんな通りを通って
ひとりひとり
自分のみちへ入って行くんだろうな



146



 [ツイッター詩145] (2月詩)



目をつむってもつむらなくても
〈ながれている〉
と感じることはあり
いろいろことばの手で探(さぐ)っていると
〈流れる〉という概念の岸辺に出る

木々ややぶを通り脱けて
見晴らしのいい
そこに
出たいわけじゃない

幼稚園の先生が明日の日課を書き留めている
園の外では砂遊び
みんなできるだけ仲良く
ひとりひとり何か物を作る
と記して日誌を閉じた
その通りから外れて
言葉通りを歩いて行く

〈流れる〉という概念の岸辺に
〈組み上げる〉という概念が寄せている
何か構造物が建つ気配がする
自分には関係なさそうで
通り過ぎて行く

そうしてことばの足は
そんな岸辺を遠目に
〈ながれている〉
そのものの内に浸かっていたい
と感じているようなのだ

流れる
ナガレル
ながれる
しっくりといく場所に座り
〈流れる〉の内側をながれる



147



 [ツイッター詩146] (3月詩)



日差しを浴びて
目をつぶると
(あかい あかいなあ)
手を日にかざしても
指間が薄赤い
(ふしぎだ)
こんなこと
何度かやったことがあるような

説明できる人にとっては
ふしぎでも何でもない
ことかもしれない
けれども
この世界には
ふしぎはなくならない
ような気がする

人は自然の内にあって
目覚めた存在だけど
人も自然の一部に過ぎないから
自然を知り尽くすことは
難しい
気がする
だから
ひとつのふしぎが自然になっても
また別のふしぎが湧いてくる

(ふしぎだ)
(ふしぎだね)

ほころび縫い合わせながら
日々の自然となった流れの中
人間界は急に泡立ちもするが
時には 自分の心身を解(ほど)いて
ふしぎに浸かることがある

(ふしぎだ)
(ふしぎだね))



148



 [ツイッター詩147] (4月詩)


現在から眺めると
一昔前までは
知りたいことがあれば
図書館に出かけるか
役所や会社を訪ねるか
電話で尋ねるか
知り合いに聞くか
しかなかった
いくつもの面倒なバリアーがあった
うまく思い出せないこともあり
あれあれ・・・と
ストレスに沈むことも多かった

今でも 人には〈わかること〉と〈わからないこと〉があり
どちらもなくなることはないが
〈わかること〉が容易になった
気がしている
〈検索〉するだけで
ものごとが大体わかる
ようになってしまった
面倒なバリアーが
消失してしまった気分

(ところで
それで
ほんとうに
君はわかっているのか)
〈わかること〉にも確かにいくつかの層がある
けど軽くわかるだけでもいい
後は自分で考えるさ

新しいものが社会に登場したら
人は怠惰になるとか
家族が壊れるとか
退行するネガティブが不安に叫び出す
けれど人は人の本質性の流れを下って行くだけだ
問題があれば微調整する
だから
軽い〈わかること〉でもいいじゃないか
あんまり重たく考えすぎずに
スルーすればいい

面倒なバリアーが
なくなることはいいことだ
そんな晴れ上がった新しい空が
またひとつ自然なものになっていけばいい



149



 [ツイッター詩148] (5月詩)



inserted by FC2 system